時間がほしい。
2007年11月2日一本指でキーボードを恨めしくローマ字を入力、キーボードの「変換」の白き文字は百戦錬磨で消えている。
誤記ばかりの「ヘンカ〜ン」。
時代だな〜と感じさせられる「間違いだらけの変換!」で思うように文字が変わってくれない。
マウスの矢印が狙ったところに瞬時に動いてくれないもどかしさ。
音声認識を早く開発してくれないものか。
馴れぬ指はどうにも初期白蝋病か手首まで蔓延化シビレ状態なんであろうなきっと。
飲み代は捻出できてもPC購入費は出てこない不可解さ。
イヤダいやだ年取るの。
殴り書きで文章を起こし清書なんぞ女の人頼みのツケが回ってきている。
音声認識を早く開発してくれないものか。
「KENNSEI」「ヘンカ〜ン」とやっても目当てたる「拳聖」の文字は含まれてない。
死語なんであろうな。
義務教育しか修めてない・・いやそれすら怪しき中一時代のSVCの授業さえ、サボって毛沢東の徒であったゆえ
まともな日本人の基礎教育さえない身には致し方ない。
日本の資本の成長に合わせた収奪体制から来る相対的貧困化からの現状維持。
破壊から生み出そうとする社会改革の膨大なるエネルギー。
藤田東湖を主客とする水戸・陽明学の徒でもあった訳でもあり
ただひたすら象牙の塔から書を捨てて街に出よ!に従った。
かく言いながらアジビラをガリ版ではたらく側からの立場で書きばら撒いたものだ。
お粗末なもので朝日新聞棒引きの時ナンゾ、著作権違反ではないか。
昼の労働の後の討論で時間を割き、文字通り侵食を忘れ社会改革に費やした。
団塊の世代のやったことはムダであったんであろうか。
53年ぶりの中日の日本一を老骨ポンコツベテラン中村のりひろが何故にMVPの名誉に浴しえるのか。
結果どの世界にもどうしても人の輪には経験者たる爺の陰の存在が必要なんであることを示している。
なにしてんだ!わかものら!団塊世代に頼る出ない。
自分で道を切り開け!
ただ組織はしんしん代謝がないと危うくここんとこの入門「0」の相撲界。
九州場所が近づいてるがよかった!4人の新弟子検査は全員合格。昨年より減ったが九州場所でデビューする。
イシハラマサノブがんばれ!
拳聖「ピストン堀口」と呼ばれた堀口恒男は試合や遠征で大学を欠席しがち。
自分の腕で学費を稼ぎたいのだが大学から怠学を言い渡される。
自分のことは自分で処理した。
早稲田大学総長に嘆願書をしたためたのは昭和12(1937)年。
「従来欠席多ク学業ヲ抛ほう棄きシタルモノトセラルルモ一言弁解ノ辞ナキモ未いまダ全ク勉学ノ意ナキニ非あらズ」
ヒットアンドウェイ。
イギリスを中心とするスマートなボクシングはこの頃の日本にはない。
ただひたすら打たれても前に!亀田の次男坊に投影するものを見た。
日本人初の試合に勝でなく倒すは藤猛。
「岡山のバァチャン・・」とまめらぬ日本語もチャメッケ、タップリでこのひとのより
倒せる日本人ボクサーは一人もいない。
随分以前に書いたがことだが白井義男から科学的ボクシングは生まれた。
大学教授のイスを捨てたる、まったくボクシングには無知たる名トレーナーの米国人があったればこそ。
この人は晩年白井が引き取り日本で死した。二人の美談がある。
殴られても前に突き進もうとする、拳聖「ピストン堀口」。
堀口の試合同様の気迫がこもる亀田次男坊の試合振り。
K-1よろしく終いにはルール無視の危なきブン投げる。
おっと!k−1には投げ技は無いとご指導ご鞭撻を賜ろうぞ。
拳聖「ピストン堀口」は元世界王者と互角に戦うさまは戦争へ突き進む重い空気を吹き飛ばし当時の国民を熱狂させた。
世界ボクシングタイトル戦で一回り以上も違う世界チャンピオンに吐きつけた言葉など日本人のモラルさえ無き言動に沸きに沸いてた亀田一家のスタイルは葬りさられ日本人の品位。
厳しい処分を受けた亀田大毅選手の
これまでのメディアの過熱ぶりと似ていなくもない。
ただ、選手としての資質は違う。
堀口は年長の王者へ「ゴキブリ」とか「オレのパンチは宇宙一」などと稚拙な言葉は使わなかった。
亀田選手より若い17歳のとき〈道に志して悪衣悪食を恥づる者は、未だ与ともに議はかるに足らず〉と、
日記に書いている。
内省していたからこそ“拳聖”と呼ばれた。
戦争の影響もあり世界戦は組めず、36歳で事故死した。
拳聖の精神は孫のジムに引き継がれている。
今回の騒動を見たら対戦相手の
王者・内藤大助選手と同様「こんなことでボクシングが注目されるのは残念」と言ったことだろう。
今も昔も商業主義がはびこっているし、利用しようという人間や親がいることに変わりない。
1年間リングに上がれない間、亀田選手はじっくり自分に向き合ってほしい。
体力や技術があっても、たしなみなくして真の王者とはなれない。
哲学の道は僅か何キロの道。
せせらぎが寄り添うにして流れるがより自然の中にヒトをおく、千年の古都の佇まい。
先哲の西田幾太郎は何を考え思索したのかがより以上なる効果を道に生み出してるのかも知れぬ。
メタボ処理で歩き回ってる市井の人々にはない人間を彫塑としてロダンが自然に姿を描いた真理の追究の道なのか。
白樺派の武者小路実篤が最初に国内紹介した人たるロダン。
宮崎木城の地に最初に鎮座した
飲んで生き方論、仕事論をたたかわす団塊の世代のほうがよっぽど実利的哲学。
酔っ払いを見事に活写した落語家の真骨頂。
ガソリン漬けの国で一滴もガソリンがない砂上の楼閣の国家。
アメリカのいいがままの小泉政治になり、中東に、より依存度を高め90パーセントもこの地域に国家の日常を頼る。
ガソリン産油国のその国は火種どころか国家の体も無い荒れるバクダッドはいよいよ泥沼化。
宮崎美術館では吉村作弥のエジプト発掘展を開催しているが、チグリス・ユーフラテスの文明の起源の
イラクのことを忘れられる筈が無い。
アメリカ傀儡のムシャラク体制の危うささえ考えさせてくれる。
ここまで原油が上がっていいのか。
ミャンマー=ビルマは値上げのガソリン価格から眠れる安穏なる層の僧侶が立ち上がった。
なにも軍事独裁政権に立ち向かったのではない。
容赦ないガソリン価格の上昇に抗議しただけである。
シラヌノ権兵衛でとおしきれれば立派なもの。
イラク特措法が期限切れで、メイドインジャパンの無料ガソリンスタンドの中断が生じる。
試練の時期の日米関係。
党首会談は物別れの後さらに二回目が実施されるが、まっさかの大連合の道をバルカン政治家福田康夫の
決断がなされるのやも知れない。
いずれにしろ小沢一郎主導の党首会談。
小沢が自民党幹事長の頃に初めての当選の福田康夫。
その政治経歴はまるで逆。
運転手のいない車の如くである。
車無しには宮崎での生活は困難である。
公共の足は中心街の市内でさえ不十分いわんや、市内より田舎の足の確保は困難を極める。
ただ絵になるじたいとなればそれもまた別。
和田誠のペーソス溢れる絵は谷内六郎亡き後の文春の表紙を飾るに十分である。
財産たる切り抜き帖に秘密の知恵があるがこのたび出版された。
ハイライトのパッケージ和田誠の知はそこそこに溢れほのぼのとしている。
そのタバコのデザインでさえ健康の警告文で三分の一が占めている
自分のデザインと思えないのに変えるのになんの断りも無い。
ひたすら耐え忍んでるそうだが団塊の世代ゆえ。
その心根は千冊の装丁内容を知らないと無理。
ここまでの道が手作りのみちそのもの。
コンピュターは使わない。
こつこつ手でやるのが好きは親父の世代からのDNAだったったようだ。
筑紫小劇場に参加放送の音響や演出に精をだしたる父親像がダブルようである。
和田誠の筆になる文春表紙は30年を超えた。
書き出しの秘訣は歩く45分の通勤にあるという。
和田誠なりの哲学の道なんであろう。
スタスタと歩くと野良猫を見たりこんなところに花が咲き次の表紙が浮かぶという。
県立美術館のエジプト展と同時開催されてるチェコ・ミーシャに通じるものを感じる。
いずれにしろ目を日本にとどめる限りその視野は世界に向いている。
偏狭なる地元愛がしぜんにそうなってく結論じみたもの。
シーガイヤ併設のワトソンゴルフ場に青木とニクラウスが今日から対峙するのもしかり。
名古屋駅が大変貌を遂げ京都駅大改革を峻がしたようなもの。
そこの昨日の地元紙は宮崎駅周辺の大改革を一面に告げた。
バスターミナルを含む大変貌が期待される。
つくづく東国原知事の政治てき風向きはフォローの風である。
あやかりたいものであるが、努力のこの二日の成果は着実に1歩づつ前に踏み出している。
宮崎モンロー主義も周縁を間じかで花開けるかどうか神武の国の民はひたすら純真に祈りに似た毎日を過ごさんがため
あがくでもなく必死の形相でもなく自然体が実利をあげつつある手ごたえをつかんでいる。
誤記ばかりの「ヘンカ〜ン」。
時代だな〜と感じさせられる「間違いだらけの変換!」で思うように文字が変わってくれない。
マウスの矢印が狙ったところに瞬時に動いてくれないもどかしさ。
音声認識を早く開発してくれないものか。
馴れぬ指はどうにも初期白蝋病か手首まで蔓延化シビレ状態なんであろうなきっと。
飲み代は捻出できてもPC購入費は出てこない不可解さ。
イヤダいやだ年取るの。
殴り書きで文章を起こし清書なんぞ女の人頼みのツケが回ってきている。
音声認識を早く開発してくれないものか。
「KENNSEI」「ヘンカ〜ン」とやっても目当てたる「拳聖」の文字は含まれてない。
死語なんであろうな。
義務教育しか修めてない・・いやそれすら怪しき中一時代のSVCの授業さえ、サボって毛沢東の徒であったゆえ
まともな日本人の基礎教育さえない身には致し方ない。
日本の資本の成長に合わせた収奪体制から来る相対的貧困化からの現状維持。
破壊から生み出そうとする社会改革の膨大なるエネルギー。
藤田東湖を主客とする水戸・陽明学の徒でもあった訳でもあり
ただひたすら象牙の塔から書を捨てて街に出よ!に従った。
かく言いながらアジビラをガリ版ではたらく側からの立場で書きばら撒いたものだ。
お粗末なもので朝日新聞棒引きの時ナンゾ、著作権違反ではないか。
昼の労働の後の討論で時間を割き、文字通り侵食を忘れ社会改革に費やした。
団塊の世代のやったことはムダであったんであろうか。
53年ぶりの中日の日本一を老骨ポンコツベテラン中村のりひろが何故にMVPの名誉に浴しえるのか。
結果どの世界にもどうしても人の輪には経験者たる爺の陰の存在が必要なんであることを示している。
なにしてんだ!わかものら!団塊世代に頼る出ない。
自分で道を切り開け!
ただ組織はしんしん代謝がないと危うくここんとこの入門「0」の相撲界。
九州場所が近づいてるがよかった!4人の新弟子検査は全員合格。昨年より減ったが九州場所でデビューする。
イシハラマサノブがんばれ!
拳聖「ピストン堀口」と呼ばれた堀口恒男は試合や遠征で大学を欠席しがち。
自分の腕で学費を稼ぎたいのだが大学から怠学を言い渡される。
自分のことは自分で処理した。
早稲田大学総長に嘆願書をしたためたのは昭和12(1937)年。
「従来欠席多ク学業ヲ抛ほう棄きシタルモノトセラルルモ一言弁解ノ辞ナキモ未いまダ全ク勉学ノ意ナキニ非あらズ」
ヒットアンドウェイ。
イギリスを中心とするスマートなボクシングはこの頃の日本にはない。
ただひたすら打たれても前に!亀田の次男坊に投影するものを見た。
日本人初の試合に勝でなく倒すは藤猛。
「岡山のバァチャン・・」とまめらぬ日本語もチャメッケ、タップリでこのひとのより
倒せる日本人ボクサーは一人もいない。
随分以前に書いたがことだが白井義男から科学的ボクシングは生まれた。
大学教授のイスを捨てたる、まったくボクシングには無知たる名トレーナーの米国人があったればこそ。
この人は晩年白井が引き取り日本で死した。二人の美談がある。
殴られても前に突き進もうとする、拳聖「ピストン堀口」。
堀口の試合同様の気迫がこもる亀田次男坊の試合振り。
K-1よろしく終いにはルール無視の危なきブン投げる。
おっと!k−1には投げ技は無いとご指導ご鞭撻を賜ろうぞ。
拳聖「ピストン堀口」は元世界王者と互角に戦うさまは戦争へ突き進む重い空気を吹き飛ばし当時の国民を熱狂させた。
世界ボクシングタイトル戦で一回り以上も違う世界チャンピオンに吐きつけた言葉など日本人のモラルさえ無き言動に沸きに沸いてた亀田一家のスタイルは葬りさられ日本人の品位。
厳しい処分を受けた亀田大毅選手の
これまでのメディアの過熱ぶりと似ていなくもない。
ただ、選手としての資質は違う。
堀口は年長の王者へ「ゴキブリ」とか「オレのパンチは宇宙一」などと稚拙な言葉は使わなかった。
亀田選手より若い17歳のとき〈道に志して悪衣悪食を恥づる者は、未だ与ともに議はかるに足らず〉と、
日記に書いている。
内省していたからこそ“拳聖”と呼ばれた。
戦争の影響もあり世界戦は組めず、36歳で事故死した。
拳聖の精神は孫のジムに引き継がれている。
今回の騒動を見たら対戦相手の
王者・内藤大助選手と同様「こんなことでボクシングが注目されるのは残念」と言ったことだろう。
今も昔も商業主義がはびこっているし、利用しようという人間や親がいることに変わりない。
1年間リングに上がれない間、亀田選手はじっくり自分に向き合ってほしい。
体力や技術があっても、たしなみなくして真の王者とはなれない。
哲学の道は僅か何キロの道。
せせらぎが寄り添うにして流れるがより自然の中にヒトをおく、千年の古都の佇まい。
先哲の西田幾太郎は何を考え思索したのかがより以上なる効果を道に生み出してるのかも知れぬ。
メタボ処理で歩き回ってる市井の人々にはない人間を彫塑としてロダンが自然に姿を描いた真理の追究の道なのか。
白樺派の武者小路実篤が最初に国内紹介した人たるロダン。
宮崎木城の地に最初に鎮座した
飲んで生き方論、仕事論をたたかわす団塊の世代のほうがよっぽど実利的哲学。
酔っ払いを見事に活写した落語家の真骨頂。
ガソリン漬けの国で一滴もガソリンがない砂上の楼閣の国家。
アメリカのいいがままの小泉政治になり、中東に、より依存度を高め90パーセントもこの地域に国家の日常を頼る。
ガソリン産油国のその国は火種どころか国家の体も無い荒れるバクダッドはいよいよ泥沼化。
宮崎美術館では吉村作弥のエジプト発掘展を開催しているが、チグリス・ユーフラテスの文明の起源の
イラクのことを忘れられる筈が無い。
アメリカ傀儡のムシャラク体制の危うささえ考えさせてくれる。
ここまで原油が上がっていいのか。
ミャンマー=ビルマは値上げのガソリン価格から眠れる安穏なる層の僧侶が立ち上がった。
なにも軍事独裁政権に立ち向かったのではない。
容赦ないガソリン価格の上昇に抗議しただけである。
シラヌノ権兵衛でとおしきれれば立派なもの。
イラク特措法が期限切れで、メイドインジャパンの無料ガソリンスタンドの中断が生じる。
試練の時期の日米関係。
党首会談は物別れの後さらに二回目が実施されるが、まっさかの大連合の道をバルカン政治家福田康夫の
決断がなされるのやも知れない。
いずれにしろ小沢一郎主導の党首会談。
小沢が自民党幹事長の頃に初めての当選の福田康夫。
その政治経歴はまるで逆。
運転手のいない車の如くである。
車無しには宮崎での生活は困難である。
公共の足は中心街の市内でさえ不十分いわんや、市内より田舎の足の確保は困難を極める。
ただ絵になるじたいとなればそれもまた別。
和田誠のペーソス溢れる絵は谷内六郎亡き後の文春の表紙を飾るに十分である。
財産たる切り抜き帖に秘密の知恵があるがこのたび出版された。
ハイライトのパッケージ和田誠の知はそこそこに溢れほのぼのとしている。
そのタバコのデザインでさえ健康の警告文で三分の一が占めている
自分のデザインと思えないのに変えるのになんの断りも無い。
ひたすら耐え忍んでるそうだが団塊の世代ゆえ。
その心根は千冊の装丁内容を知らないと無理。
ここまでの道が手作りのみちそのもの。
コンピュターは使わない。
こつこつ手でやるのが好きは親父の世代からのDNAだったったようだ。
筑紫小劇場に参加放送の音響や演出に精をだしたる父親像がダブルようである。
和田誠の筆になる文春表紙は30年を超えた。
書き出しの秘訣は歩く45分の通勤にあるという。
和田誠なりの哲学の道なんであろう。
スタスタと歩くと野良猫を見たりこんなところに花が咲き次の表紙が浮かぶという。
県立美術館のエジプト展と同時開催されてるチェコ・ミーシャに通じるものを感じる。
いずれにしろ目を日本にとどめる限りその視野は世界に向いている。
偏狭なる地元愛がしぜんにそうなってく結論じみたもの。
シーガイヤ併設のワトソンゴルフ場に青木とニクラウスが今日から対峙するのもしかり。
名古屋駅が大変貌を遂げ京都駅大改革を峻がしたようなもの。
そこの昨日の地元紙は宮崎駅周辺の大改革を一面に告げた。
バスターミナルを含む大変貌が期待される。
つくづく東国原知事の政治てき風向きはフォローの風である。
あやかりたいものであるが、努力のこの二日の成果は着実に1歩づつ前に踏み出している。
宮崎モンロー主義も周縁を間じかで花開けるかどうか神武の国の民はひたすら純真に祈りに似た毎日を過ごさんがため
あがくでもなく必死の形相でもなく自然体が実利をあげつつある手ごたえをつかんでいる。
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