不屈の・・

2007年11月11日
絶体絶命のがけっぷちの自民党が息を吹き返した。
予想される衆議院選挙での惨敗ムードに止めを刺すほどの大変換をの効果である。

伊吹幹事長は今朝のNHK政治討論で、新テロ対策特別措置法案、参院で福田首相の問責決議が可決された場合は、解散総選挙を実施すると恫喝する元気ぶり。

大連合へ向けた福田vs小沢の会談の決裂の余波はとどまるとこを知らない。
とりわけ民主党の衝撃は計り知れない。
似たる状況で休止してテたるブログがある。

ノーベル文学賞の第一号候補者は誰になるのか三人で競っていた。
大江健三朗、三島由紀夫と共に日本文学を世界に広めた安部l公房。
川端康成は受賞挨拶に書いた美しい日本でも難解なる日本文学がようやく世界の桧舞台に立てたことをまず喜んだ。
難解なる言語、操る情操豊かなる日本民族、世界に向け訳する作業、世界的視野文学の先駆的若き文学者を受賞に至った理由としてあげつらい称えた。自分の力でなく先駆者を含めた日本の総合力であると。
弟子たる三島由紀夫らの国際的視野の作品群が内向きなる川端文学が総意として年齢的に受賞したものであることを熟知してのこと。

安部の作品に鬼才 勅使河原宏監督 の手のメガホンで映画化もされた「砂の女」がある。。
その部落において家を維持するためには、住民達はほとんど一日中砂掻きをしてる。
そこの女に出くわした.. 砂におぼれてしまう男のお話である。

似たようなことで溺れさせられてるのが、十字架を背負った人。
赤十字創立者のアンリージュナンの響きの受難のブロガーせきやんである。

叩き落された奴は徹底的に叩くことが社会の掟たる政治論に似た環境を享受されている。
緊急避難は休筆以外に無い。

度重なるブロガー受難で矜持してきた7年間の生真面目なこのブログも休止やむなき中。
強きものほど案外と脆い事を持ってることを、きしくも証明してしまった状況である。

ドン太さんや渦中ゆえ避けてた今でこそお礼の挨拶ができる淵瀬春秋さん愛読者の陰ながらの励ましに精神的にどれだけ助けられてることか。
名前を挙げるとさしさわりが生じるといけないので触れないが(触れてます?)心よりの御礼を申し上げます。

どんな難関の出張や全員の慰安旅行、深夜の来客の後さえ
次の日に屋根の上の作業が待ち受けていてもブログを書かなかったことは無い。
それが休筆である。
5、6年前ブログ名を変えてまでも続けた受難の時もあった。

文学における禁止用語に抗議して筆を折ったる本意に似ている。
井上ひさしやナポレオン狂で頭角を現し短編の雄・阿刀田高の文才はなくとも睡眠時間を削りひたすら努力をしてきたことは同じである。。

ブログに真摯に取り組む神のみが知るひたすらな姿勢。
誤記脱字変換ミスを指摘されても冷や汗ながらひたすら自己の生きる証を曝け出しほんの一部表してきた。

自分に正直に社会の蟻の一歩でもの進展を願ってのことである。
ミートホープに始まる告発はやり心根とは全く違うスタイルであり、ユダ的手法はとらぬ。

差別用語の世間常識を振りかざし言葉を使わせない言葉狩りに抗議しての一時中断の緊急避難。
ここんとこ連続して生じてしまった。

大雨が降った民主党。
雨を滋養して人生山あり谷ありの大海心。
再度小沢を呼び戻した。

都庁舎に出勤しない文学者石原慎太郎の二束のわらじを許すまきじの幼友達黒川紀章にしてさえ
認めない分筆家受難の時代。
たかがブログされどブログ、
この表現スタイルで時代を切り開いてきたしそうしていく。

携帯でのコミュニケがとれず、コミュニュケ手段のギャップ
コミュニュケのバリヤフリーが要請されるご時世を感じる。

年寄りがいない社会、家庭環境に育ったものが多数派、主流をなしている。
ただし年寄りの社会経験に学び生かす知恵ほど貴重なるものは無い。

藤原 智美の暴走老人!である。
検閲されねばならぬのは第三の権力たるメデイアである。
ネット網の拡充とはいえ、いまだ世論公器は新聞である。

陰りが見え出しつつある賞味期限切れ食調気味のそのまんま効果の神話。
権力はより大きく反動して牙を剥き、手のひらを返すごとき反逆する習性を持つ
ホリエモン然り亀田家がそうである。
時のわだいに祭り上げられ引きずり落とされる餌食になっただけ。
学習効果は何度も経験してる。よって自重をも必要である。

ツーレオ時代のコンビ大森歌右衛門は宮崎県移入人第一号。
知事の近辺人で設立されてる株「びっきょ」で社長を務めてる岡山人であることは以前触れた。

大森歌右衛門が社長を辞めたと新聞記事がある。

案の定知事と私企業の事がわだにになりつつある。
国策捜査の前触れたる世論の誘導、公安サイドのシグナルであることを注意した大意であった。

辞意を表明と地元紙が報じたこの8日の日夕方、びっきょにいるせきやんの不可思議さ。
ここまで引っ張ってきてる事業者週刊紙、そのまんまブログに登場する岡本氏と新商品の戦略をご教示
いただくためである。
歌右衛門にも相談して三人で企画しようとわかれたばかり。

神の使いたるそのまんまの力は二人の高級官僚たる現職林野庁長官、大蔵官僚を吹き飛ばした。
国策捜査しか引き摺り下ろす手はないことを注意喚起した次第。

連立劇での裏方はナベツネ福田首班を決定したメデイァ界ののドンの暗躍である。
土曜日朝のNHKラジオは新聞を読んでが面白い。
この連立劇の読売新聞の社説のみが異常なる論評と他紙との違いを際ださせていた。
それもそのはず福田首班、大連立の仕掛け人である渡辺恒夫は読売の主筆である。

安部が辞任したとき東新橋の日本テレビ最上階議長室の主の氏家斎一(81)のところに、森喜郎(70)
青木幹雄(73)山崎拓(70)渡辺恒夫(81)の巨魁が集まり福田首班を決めた。
翌日福田氏支持の新聞記事で、麻生総理での体勢の流れの政局が変わった。

首相の靖国参拝反対のナベツネのメデイアの仕掛けで一挙に政局が動いた。
安部政権と蜜月の産経は安部の突然のことに首相官邸派遣の阿比留瑠比政治部記者石橋文登記者は痛恨さを隠せず
手を施すことができなかった。今は外務省駐留軍担当に変わった。
産経のゆれる記事が混乱をいまだ象徴している。

安部退陣の朝日の快哉さ
安部は朝日の言葉のテロと提訴上場維持の日興コーデアル証券の安部の救済策に論評した山田編集委員を提訴
朝日は官邸に食入る記事ができなかった。

福田斎首班に読売と朝日が共闘した。
ただ氏家、渡辺は憲法早期改正主義者である。

二人は1926年5月生まれで東大でも同級
ポスト鈴木善幸に四人が立候補した82年11月田中角栄は中曽根を推した。働きかけたのは渡辺はある。

氏家は97年5月71歳の誕生会に自民党と新進党の大連立と自社さきがけ推進派の自民党三役竹下、加藤、山崎を参加させ中曽根も会場にいた。
、党内対立中曽根・竹下の手打ち式を演出した。
渡辺はいない
渡辺は竹下、氏家は中曽根と分かれていたからである。
今回の大連合は長き構想の末の福田vs小沢の対談であったのである。
そしていまやマスコミ界は毎日新聞を倒産させての朝日日経読売のANYエニー連合の共同体性を持った販売網の再編まできている。
朝日新聞が面白くなくなったのはそこにある。
休筆するのはマスコミその他であり、せきやんではない。
励ましを受け何回目か再度立ち上がらん!。

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