宮崎と台湾問題
2008年1月16日昼間晴れてて夜雨のパターンが三日連続。
深夜2時過ぎに降り出した雨はすっかり晴れ上がった。
なぜに知ってる?
またもや2時過ぎまで徘徊。
馬鹿につける薬はない。せめてもの罪滅ぼしでブログに向かう。
そこいらのブログ魂どころではない。死の形相。
サツマイモの形をした台湾は九州とほぼ同じ面積。
07年に日本の新幹線車両が導入され開業している。
中国ではフランスに負けている。
南部の台南県にある鳥山頭水庫は台北駅から新幹線で1時間40分。
景色は宮崎高鍋の人たる緒方英樹全国建設技術研修センター広報室長によれば
西都市三財あたりに景色に似た懐かしさを感じると地元紙に記した。
最大の人造湖は77年前に16000KMの給排水路で不毛の地といわれた嘉南平原へ給水させ穀倉地帯に変えた。
金沢出身の土木技師八田興一の情熱が実ったもの。
神の与えたもうた水であるとの地元民は感謝を祈念して記念碑を建立した。
中川外司は23回目の墓参をした。
八田技師を慕い台湾と友好の会の金沢の事務局長。
草の根交流に奮闘されている。
11月1日より宮崎と石川県小松に国際定期空路開設が決まった。
台湾人の意向を汲み取ることが出来る。
南九州初の宮崎の好機。
台湾人が最も行きたい国は日本。
先日ブログに書いた通り。
仙台市は台南市と七夕交流を期にスポーツ経済交流を活発化させている。
12月25日は憲法記念日でも会った。
どんげかせんといかん!という割には県民の意識高揚の施策にかける。
県民の何人が開通のこのことを知ってるといえるのか
聞いてみるがいい。
どうにも国際定期航路の認識に欠ける宮崎県民の情況がある。
こうなるといつものおせっかいが顔を出す。
農産物を含めた国家的目標を持った宮崎県総力を上げての取り組みである。
丁度具合がよい。
日本の空の物資輸送が4月より新編成されようとしているからだ。
全日本空輸、日本通運、近鉄エクスプレスの三社が貨物の国際事業で共同出資の新会社を設立しようとしているからだ。
アジアでの小口貨物を先行運送してるのはファデアル・エクスプレス=フェデックス。
日本通運社史によると航空貨物運送は日本では50年前後に登場した。
進駐軍の兵士が母国に送るみやげ物や企業の書類など僅かな量しかなかった。
70年代にいるとカラーテレビなど重量の割には付加価値の高い商品が増え、
航空貨物の需要が拡大し始めた。
事業者は日本航空だけである。
、85年には日本貨物航空が新規参入。
世界ではじめての航空貨物は1911年英国で電灯一箱が最初と語り継がれる。
当初は郵便物など少量を旅客と一緒に運んだ。
日中戦争で中国軍に味方した元米軍義勇兵。
劣勢の中国空軍を支援するため志願して集まった
米国が中立であったためだ。
41年にフライイング・タイガースと呼ばれる編隊を英国領のビルマを拠点に活動した。
当時の航空技術で難しかったヒマラヤ山脈を越えて卓越した技術を発揮した。
41年太平洋戦争がはじまり義勇軍は解消帰国する。
このときのメンバーのボブ・ブレスコットが貨物航空会社を設立する。
45年米国初の民間航空会社フライング・タイガー・ラインを発足した。
カルフォルニアからジョージアにぶどうを運び、その後花や家具など飛行品目を増やした。
本格的拡大は70年代。
ボーイング747のジャンボ機の登場。
生鮮食料品など輸送時間が重視される商品が増加した。
89年米国ではフライング・タイガー・ラインが71年設立のフェデックスに買収される。
貨物機の運行や荷物の集配を一貫して手がける新事業で急成長した小が大を飲み込んだのだ。
ボーイングによると2025年世界の航空貨物の成長率はネン6パーセントとみる。
フェヂックスはアジアを含む国際展開を強化している。
大型貨物を得意としてきた日本勢との拮抗が激化してこよう。
ねらい目はそこにある。
宮崎清武町花卉農家の人○○さんは農家に君臨するJAにたよらず
、東京の花卉市場に航空輸送を始めた全国初期の事業を始められた先駆者。。
なんのノウハウも無い頃の新規輸送を始めた人で特筆できる。
今台湾は救国の国家編成で生みの苦しみに有る。
手助けするには今しかない。
新規航空路線を開設して宮崎は、はたまた石川はなにをしようとしているのか。
理念なき場当たりゆえ次の策が無い。
アジアの盟主たらん!は日本民族の魂だろうが。
深夜2時過ぎに降り出した雨はすっかり晴れ上がった。
なぜに知ってる?
またもや2時過ぎまで徘徊。
馬鹿につける薬はない。せめてもの罪滅ぼしでブログに向かう。
そこいらのブログ魂どころではない。死の形相。
サツマイモの形をした台湾は九州とほぼ同じ面積。
07年に日本の新幹線車両が導入され開業している。
中国ではフランスに負けている。
南部の台南県にある鳥山頭水庫は台北駅から新幹線で1時間40分。
景色は宮崎高鍋の人たる緒方英樹全国建設技術研修センター広報室長によれば
西都市三財あたりに景色に似た懐かしさを感じると地元紙に記した。
最大の人造湖は77年前に16000KMの給排水路で不毛の地といわれた嘉南平原へ給水させ穀倉地帯に変えた。
金沢出身の土木技師八田興一の情熱が実ったもの。
神の与えたもうた水であるとの地元民は感謝を祈念して記念碑を建立した。
中川外司は23回目の墓参をした。
八田技師を慕い台湾と友好の会の金沢の事務局長。
草の根交流に奮闘されている。
11月1日より宮崎と石川県小松に国際定期空路開設が決まった。
台湾人の意向を汲み取ることが出来る。
南九州初の宮崎の好機。
台湾人が最も行きたい国は日本。
先日ブログに書いた通り。
仙台市は台南市と七夕交流を期にスポーツ経済交流を活発化させている。
12月25日は憲法記念日でも会った。
どんげかせんといかん!という割には県民の意識高揚の施策にかける。
県民の何人が開通のこのことを知ってるといえるのか
聞いてみるがいい。
どうにも国際定期航路の認識に欠ける宮崎県民の情況がある。
こうなるといつものおせっかいが顔を出す。
農産物を含めた国家的目標を持った宮崎県総力を上げての取り組みである。
丁度具合がよい。
日本の空の物資輸送が4月より新編成されようとしているからだ。
全日本空輸、日本通運、近鉄エクスプレスの三社が貨物の国際事業で共同出資の新会社を設立しようとしているからだ。
アジアでの小口貨物を先行運送してるのはファデアル・エクスプレス=フェデックス。
日本通運社史によると航空貨物運送は日本では50年前後に登場した。
進駐軍の兵士が母国に送るみやげ物や企業の書類など僅かな量しかなかった。
70年代にいるとカラーテレビなど重量の割には付加価値の高い商品が増え、
航空貨物の需要が拡大し始めた。
事業者は日本航空だけである。
、85年には日本貨物航空が新規参入。
世界ではじめての航空貨物は1911年英国で電灯一箱が最初と語り継がれる。
当初は郵便物など少量を旅客と一緒に運んだ。
日中戦争で中国軍に味方した元米軍義勇兵。
劣勢の中国空軍を支援するため志願して集まった
米国が中立であったためだ。
41年にフライイング・タイガースと呼ばれる編隊を英国領のビルマを拠点に活動した。
当時の航空技術で難しかったヒマラヤ山脈を越えて卓越した技術を発揮した。
41年太平洋戦争がはじまり義勇軍は解消帰国する。
このときのメンバーのボブ・ブレスコットが貨物航空会社を設立する。
45年米国初の民間航空会社フライング・タイガー・ラインを発足した。
カルフォルニアからジョージアにぶどうを運び、その後花や家具など飛行品目を増やした。
本格的拡大は70年代。
ボーイング747のジャンボ機の登場。
生鮮食料品など輸送時間が重視される商品が増加した。
89年米国ではフライング・タイガー・ラインが71年設立のフェデックスに買収される。
貨物機の運行や荷物の集配を一貫して手がける新事業で急成長した小が大を飲み込んだのだ。
ボーイングによると2025年世界の航空貨物の成長率はネン6パーセントとみる。
フェヂックスはアジアを含む国際展開を強化している。
大型貨物を得意としてきた日本勢との拮抗が激化してこよう。
ねらい目はそこにある。
宮崎清武町花卉農家の人○○さんは農家に君臨するJAにたよらず
、東京の花卉市場に航空輸送を始めた全国初期の事業を始められた先駆者。。
なんのノウハウも無い頃の新規輸送を始めた人で特筆できる。
今台湾は救国の国家編成で生みの苦しみに有る。
手助けするには今しかない。
新規航空路線を開設して宮崎は、はたまた石川はなにをしようとしているのか。
理念なき場当たりゆえ次の策が無い。
アジアの盟主たらん!は日本民族の魂だろうが。
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