テケレッツノパー
2008年4月6日擬似病期的を喜ぶ人はこの世に広といえどこの爺のみであろう。
いっちょ前に病気的になり痛みがわかるからだ。
木曜日から鼻水が溢れクシャミを伴う突然の「花粉症症状」に驚いた。
「おまえは・・だれだ!」
「ヘヘツ〜エッエッヘツ・・三遊亭円生デェ〜・・テケレッツノパー」
「今日から鼻の下が炎症=円生の花粉症なんだ。!・・」
「エエッ!知らなかったの。・・田舎モン・・」
4日後の宮崎・・鼻の下に鼻水の痕跡を示すなんかチョッピリ異様なるカサカサを感じる。
長年人間ヤッ取れば自分のことは誰よりわかり、にわかお医者さん気取り。
どうやら言われてる花粉症は都会病との複合汚染であると断定。
罹患、治癒があまりにも偶然過ぎる人体実験の様相からの判断。
はや化石人の生きてる環境は田舎風に生きる体質と化している。
人間を超えたる老人の域での悟りの境地。
菜の花や 月は東に 日は西に。
優しさ淡菜画を思わせる情景描写が慕わしい。
イザナギ・イザナミの子孫の天孫降臨後の西都原、菜の花桜を東より朝の4時頃の風景。
月天心 貧しき町を 通りけり。
与謝蕪村の詫びさびを帯たるを好む。
いわんや そのおしえをば。
俗気を脱するを以って最となす。
5日浅草の仲見世までは良しとしても浅草寺界隈は年に数度の主役交代。
浅草寺より花やしきに向かっての伝法院が賑わった。
伝法院大書院での投扇興ゆえだ。
扇を約1,5M離れた的に目掛けて投げ、的の落ち方で点数を競う春の恒例行事。
華やかなキモノの芸者が模範演技。
120人がトーナメントで参加。
80畳の大書院は白熱
伝法院は120名の宮崎からの人を含める参加者に沸きに沸いた。
扇を投げる奥義アリ。言わぬが花の奥伝。
上野国立では353年王義之の蘭亭序展でせせらぎに杯ゑ浮べ詩を読んだときの展示物。。
宮崎都城では島津邸宅で曲水の宴。
シーガイヤ隣の遊園地のメイン施設・大観覧車は壊された。
花やしきは1853年植物園として開園。
大正から昭和初期は動物園。
1947年日本最初の遊園地として開業。
昭和28年ジェットコースーター国内第一号。
変わらぬ歓声がせまぐるしい不思議な空間に敷地以上の広さ利用ゆえにより響く。
反対側の木馬館の方が本来の拙者むけ。
文化の大衆的合意の所産の映画。
3丁目のオールゥエイズに涙する世代。
塩野七生は日本人を含む東洋人でおそらく初めてローマの体形をなしえた人。
文芸春秋4月号でもローマからの寄稿をかかさない。
地中海性気候では夜雨が降る。と教えていただいた。
なるほど、羅生門で黒沢が雨を見事にスクリーン化。
、ヴェネツィアでのグランプリ受賞は邦画を世界レベルに引き上げた。
敗戦後の混乱期の時代背景もあり、日本人、映画人にどれほどの勇気を与えてくれたかわからない。
嫌な雨模様は、仏国映画カトリーヌドヌーブにして「シェルブールの雨傘」を
米国にもとびジンケリーにして「雨に歌えば」とミュージカル映画に昇華した。
ローマの日本文化会館ほどゴージャスなつくりはない。
向き合ってるローマ大学の建築家の人々は日本建築に誤解を持って見てるいることだろう
その建物での映画祭に成瀬巳喜男の連続上映がされてると報告する。
クロサワでも小津安二郎、溝口健二でさえ映画が好きのイタリア人になって久しい。
浮雲、流れる、女が階段を上るとき、乱れる
浮雲は三流の女たらしを忘れられなく屋久島にまでついていって亡くなるお話。
流れるは芸者屋のお話。
女が・・はバーのマダムのお話。
乱れるも地方の個人商店で苦労する未亡人のお話。
いずれも日本人にさえ娯楽性に乏しき理解しズらキモノを
イタリア人は歓喜して迎いいれたのか。
演出、脚本撮影演技、俳優の大人の顔の人々。
高峰秀子、山田五十鈴、田中絹代、岡田茉莉子森雅之、らの役者があったればこそ。
時代は荻原朔太郎が羨望で異国をながめた頃。
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすは あまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅に いでてみん。
畏友と呼びたき大先輩の詩人で絵描き黒岩敏郎の懺犠の言葉を想起する。
「せきやん・・・モンマルトルに一度でも行き描いてみたい。」
社会改革の多忙さで何一つの自由なる時間も持てず逝った吟遊詩人の社会改革の闘志が痛い。
アンチ巨人・中日ドラゴンの理由を恐怖で聞けなかった。
中央での文芸の審査委員の多忙さ。
何もかも映画をも教えいただいた。
名匠小津安二郎に凡作の「お茶漬の味」作品がる。
「赤飯で祝うべき出征なのに、前夜に夫婦でお茶漬けサラサラとは何ごとか。」
内務省や軍部の難癖に、1940年お蔵入り。
、戦後あらためて完成させた映画人の執念の映画。
ただ、牙を抜かれた時節に作っては凡作をやむ得ないとことか。
黒沢明監督の「一番美しく」は終戦の前年に封切られた
脚本にさえ目くじらを立てる。
「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」
「胸をひろげ」は猥褻で劣情を刺激する。
内務省の検閲官はそう告げて再考を命じたと
黒沢の自叙伝「蝦蟇(がま)の油」(岩波現代文庫)に事実の怒りを訴える。
洋の東西を問わず被害はあるようだ。
「独裁者」は歓喜で迎え入れられたが、チャプリンの「殺人狂時代」(47年)は
米国の宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけた。
マッカシーの赤狩りの嵐に覆われるたこの国は、「追放」する
20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。
アカデミー特別名誉賞の授賞式である。
それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない
靖国神社がテーマの日中合作「靖国」
東京と大阪の映画館5館が街宣車の抗議行動のひと握りの人の意思により上映を中止
多くの人が目隠しをされる。
それがまかり通る社会。
多少似たことを実に身近に所見できる世相がまかり通る。
ブログ復活はいまだ不安定で動揺を持っての不安定さ。
爺にブログを続けさせてくれ!
伝統文化と映画にはそのようなことは微塵も窺い知れない日本人の姿がある。
落ちる鼻水は目じりのものが加わってカサを増しているのやも知れない。
「テケレッツノパー」
いっちょ前に病気的になり痛みがわかるからだ。
木曜日から鼻水が溢れクシャミを伴う突然の「花粉症症状」に驚いた。
「おまえは・・だれだ!」
「ヘヘツ〜エッエッヘツ・・三遊亭円生デェ〜・・テケレッツノパー」
「今日から鼻の下が炎症=円生の花粉症なんだ。!・・」
「エエッ!知らなかったの。・・田舎モン・・」
4日後の宮崎・・鼻の下に鼻水の痕跡を示すなんかチョッピリ異様なるカサカサを感じる。
長年人間ヤッ取れば自分のことは誰よりわかり、にわかお医者さん気取り。
どうやら言われてる花粉症は都会病との複合汚染であると断定。
罹患、治癒があまりにも偶然過ぎる人体実験の様相からの判断。
はや化石人の生きてる環境は田舎風に生きる体質と化している。
人間を超えたる老人の域での悟りの境地。
菜の花や 月は東に 日は西に。
優しさ淡菜画を思わせる情景描写が慕わしい。
イザナギ・イザナミの子孫の天孫降臨後の西都原、菜の花桜を東より朝の4時頃の風景。
月天心 貧しき町を 通りけり。
与謝蕪村の詫びさびを帯たるを好む。
いわんや そのおしえをば。
俗気を脱するを以って最となす。
5日浅草の仲見世までは良しとしても浅草寺界隈は年に数度の主役交代。
浅草寺より花やしきに向かっての伝法院が賑わった。
伝法院大書院での投扇興ゆえだ。
扇を約1,5M離れた的に目掛けて投げ、的の落ち方で点数を競う春の恒例行事。
華やかなキモノの芸者が模範演技。
120人がトーナメントで参加。
80畳の大書院は白熱
伝法院は120名の宮崎からの人を含める参加者に沸きに沸いた。
扇を投げる奥義アリ。言わぬが花の奥伝。
上野国立では353年王義之の蘭亭序展でせせらぎに杯ゑ浮べ詩を読んだときの展示物。。
宮崎都城では島津邸宅で曲水の宴。
シーガイヤ隣の遊園地のメイン施設・大観覧車は壊された。
花やしきは1853年植物園として開園。
大正から昭和初期は動物園。
1947年日本最初の遊園地として開業。
昭和28年ジェットコースーター国内第一号。
変わらぬ歓声がせまぐるしい不思議な空間に敷地以上の広さ利用ゆえにより響く。
反対側の木馬館の方が本来の拙者むけ。
文化の大衆的合意の所産の映画。
3丁目のオールゥエイズに涙する世代。
塩野七生は日本人を含む東洋人でおそらく初めてローマの体形をなしえた人。
文芸春秋4月号でもローマからの寄稿をかかさない。
地中海性気候では夜雨が降る。と教えていただいた。
なるほど、羅生門で黒沢が雨を見事にスクリーン化。
、ヴェネツィアでのグランプリ受賞は邦画を世界レベルに引き上げた。
敗戦後の混乱期の時代背景もあり、日本人、映画人にどれほどの勇気を与えてくれたかわからない。
嫌な雨模様は、仏国映画カトリーヌドヌーブにして「シェルブールの雨傘」を
米国にもとびジンケリーにして「雨に歌えば」とミュージカル映画に昇華した。
ローマの日本文化会館ほどゴージャスなつくりはない。
向き合ってるローマ大学の建築家の人々は日本建築に誤解を持って見てるいることだろう
その建物での映画祭に成瀬巳喜男の連続上映がされてると報告する。
クロサワでも小津安二郎、溝口健二でさえ映画が好きのイタリア人になって久しい。
浮雲、流れる、女が階段を上るとき、乱れる
浮雲は三流の女たらしを忘れられなく屋久島にまでついていって亡くなるお話。
流れるは芸者屋のお話。
女が・・はバーのマダムのお話。
乱れるも地方の個人商店で苦労する未亡人のお話。
いずれも日本人にさえ娯楽性に乏しき理解しズらキモノを
イタリア人は歓喜して迎いいれたのか。
演出、脚本撮影演技、俳優の大人の顔の人々。
高峰秀子、山田五十鈴、田中絹代、岡田茉莉子森雅之、らの役者があったればこそ。
時代は荻原朔太郎が羨望で異国をながめた頃。
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすは あまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅に いでてみん。
畏友と呼びたき大先輩の詩人で絵描き黒岩敏郎の懺犠の言葉を想起する。
「せきやん・・・モンマルトルに一度でも行き描いてみたい。」
社会改革の多忙さで何一つの自由なる時間も持てず逝った吟遊詩人の社会改革の闘志が痛い。
アンチ巨人・中日ドラゴンの理由を恐怖で聞けなかった。
中央での文芸の審査委員の多忙さ。
何もかも映画をも教えいただいた。
名匠小津安二郎に凡作の「お茶漬の味」作品がる。
「赤飯で祝うべき出征なのに、前夜に夫婦でお茶漬けサラサラとは何ごとか。」
内務省や軍部の難癖に、1940年お蔵入り。
、戦後あらためて完成させた映画人の執念の映画。
ただ、牙を抜かれた時節に作っては凡作をやむ得ないとことか。
黒沢明監督の「一番美しく」は終戦の前年に封切られた
脚本にさえ目くじらを立てる。
「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」
「胸をひろげ」は猥褻で劣情を刺激する。
内務省の検閲官はそう告げて再考を命じたと
黒沢の自叙伝「蝦蟇(がま)の油」(岩波現代文庫)に事実の怒りを訴える。
洋の東西を問わず被害はあるようだ。
「独裁者」は歓喜で迎え入れられたが、チャプリンの「殺人狂時代」(47年)は
米国の宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけた。
マッカシーの赤狩りの嵐に覆われるたこの国は、「追放」する
20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。
アカデミー特別名誉賞の授賞式である。
それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない
靖国神社がテーマの日中合作「靖国」
東京と大阪の映画館5館が街宣車の抗議行動のひと握りの人の意思により上映を中止
多くの人が目隠しをされる。
それがまかり通る社会。
多少似たことを実に身近に所見できる世相がまかり通る。
ブログ復活はいまだ不安定で動揺を持っての不安定さ。
爺にブログを続けさせてくれ!
伝統文化と映画にはそのようなことは微塵も窺い知れない日本人の姿がある。
落ちる鼻水は目じりのものが加わってカサを増しているのやも知れない。
「テケレッツノパー」
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