4・19

2008年4月19日
誕生日は馬齢を重ねてもワクワク感がある特別なる日。
何の縁があるのかこの日の始まり。
携帯の時代である。

「おきちょる?」
「皿洗いをおえ、仮眠にはいる手前の状態。・・・」
「サラアライ?」
「ブログどうなっちょると・・」
「書いちょるが不可抗力の状態で・・」
「力かしちゃろか・・・」
「ちからをぬく時期なんじゃろ・・・」

薄暗い早朝近い明け方に車でお迎えをしていただく。
30数年来の友はナントこの日を覚えてお出でいただいた。
政界操縦術の田中角栄みたいである。
感激のプレゼント。

まさに不眠不休の努力をお認めいただき皿洗いをしてまでも商道に邁進する姿を買っていただいた。
軽快なる始まりの予感ではあった。
午前中メールでの受注だが之では上手く進まないので電話に集中せんといたさん。
支障状況もあり、受注には至らず。
溝に落ちたる憑き物の長きスランプ。

4・19のお祝いの昼食後は休みを頂く。
適当なるバランスをとらないと精神構造が持たない。
宮崎の経済状況ににたる環境。

九州の一部にありながら陸の孤島といわれ、ドン底からの脱皮が進まない。
マスコミの宮崎の派手な取り上げ方にしては内需政策が切り捨てられてるために
建設業でなってた県は不況風がもろに吹き荒れている。

ガソリン国会は知事を先頭に、郵政選挙の刺客を殲滅しえた県の面目若如。。
世論に抗しての一般財源化反対!道路を整備しよう。と公聴会の二会場の一つの県にもなった。
危うき福田内閣は党の主張を下げガソリン国会を乗り切ろうと強行した。
政局の混迷はここにある。
それを受ける以前に宮崎の道路事情は察するに余る。

ただ自然の恵みは宮崎のナを高めつつある。
太陽の卵マンゴー、宮崎地鳥・・・山の幸、海の幸はますます賑わいを増す。
日本一の宮崎牛の称号を得た年に、新たに海の幸が加わった。
養殖部門のトップの農林大臣賞に宮崎北浦の「日向の本サバ」が選ばれた。
、実におめでたい。
この栄誉は一昼夜になったものではない。

昭和45年当時の北浦町はブリの養殖で賑わってた頃、仕事に携わっていた。
いまの道路はなく海岸線をひたすら未舗装砂埃の中を北浦を土々呂より目指した。
途中熊野江ではサザエ、鮑のつぼ焼きを食した。
今と違い、その一個あたりの大きかったこと。
自然地元近海もの。
当時制定された単調なる日向灘海岸の北部の日豊リアス式海岸の国定公園区間内である。

大分鯖江町に隣接する直海そしてこの北浦町に行くには、国道10号線を北川から行くか、
海岸線をひたすら走るしかなかった。
この道路事情悪き中、桜並木、桜トンネルは今でも残る当時の往来の名残。
この僻地扱いの地域もバイパス道路が完成して一変した。
今では足を延岡より日帰りのチョット伸ばしたる観光地。
足の不自由なる松井議員は宮崎政界にも名を成した。
漁協さんよりのその頃の時代がなしえた贈り物に養殖ブリが合った。
お正月前には尾頭付の一本者をバイクで郷里の西都まで運び一家の中心的話題を受けた頃がある。

国道10号線をノンビリとバイクを走らせた。
道路状況はアレから38年を経てもほとんど進展がない。
建設大臣を輩出した門川町内の区間のみが片側二車線に改良されただけ。
隔世の感がある他県道路事情からシテも
よくぞ耐え得る県である。・

秋サバは嫁に食わすな。
脂の乗り切ったサバを食するときの喜びひとしお。
嫁にまで回らぬ秋サバは嫁イビリ。

ただも一つの説がある。
サバの生き腐れの言葉があるように食あたりにならぬようの思いやり。

養殖部門の全国には名だたる技術の県がある。
北海道カキ、石川県のフグを抑えて「日向本サバ」の農林大臣賞

養殖の技術を地元紙が伝える。
日向本サバの技術は功である。

長崎より種苗150-200センチ
半年後には400-500センチ
無投薬、歯ごたえのある食材の誕生。「日向本サバ」
救世主たるは海産物水揚げの落ちてるときでもある。
太陽信仰の国に抗さんか効果を備え、食材の宝庫に燦然と青い魚の光が差し込んだ。
語源は小さい歯=小サバからと説く。

青い背中は青魚の代表
北上して秋に南下
無投薬、歯ごたえ日向本サバ
端境期に水揚げすれば平静のブリ大臣も夢ではない。
四面楚歌の状態における一筋の光明でもある。
古事記日本書紀のうみさちひこやまさちひこのすんだ古代日向のDNA。
財産の受け継ぎは有難い。
生活の隅々に人間としての矜持があればこそなし恵たるもの。
大事に引き継がれている日本人の心根がなしえたるもの。
青き太陽神の日向本サバは関サバ漁不振にあるなか押しも押されぬ名実ともに日本一である。

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