韓国の聖火
2008年4月27日聖火リレーは3000人に守られ韓国を行っている。
北を終え、中国の自国内に入り、8月8日8時8分を迎える。
聖火リレーが混沌としている。
ギリシャ神話
ゼウスとプロメテウスの「火の争い」
全能の神ゼウスからプロメテウスが火を盗み、
それを人間に与える。それがさらに災いを生む。
日本神話
、イザナミは火の神カグツチを産んだ際に火傷やけどを負い、それが元で死ぬ。
怒ったイザナキに殺されそれを契機にさらなる混沌こんとんを生み出していく。火は人間の偉大な発明であると同時に、争いもその火が原因となる。
聖火は、プロメテウスに由来するギリシャ・オリンピアで採火される。
11人の巫女みこによって火を誕生させる神話的儀式
「火の争い」に怒ったゼウスは、人類を困らせるためにパンドラという神を命じてつくる。
彼女に秘密の箱を与えわざと開けさせた。
多くの災いがそこから飛び出す「パンドラの箱」。
信州の国における良心・善光寺のギリギリの聖火受け入れの出発地点返上の苦渋の決断。
更科紀行の旅での俳聖・松尾芭蕉。
「月影や 四門四宗も ただ一つ」。
宗派や性別、階級にかかわりなく人々を救う。
この寺の独特の性格を表している。
天台宗と浄土宗が共同で住職を務め合計39の寺院が一緒に運営する。
中には尼寺もある。
善光寺の存在そのものが、多様な価値が溶け合う様を説いている。
聖火リレーとほぼ同時に、その善光寺でチベット騒乱の犠牲者を追悼する法要が開かれ。
希望者は誰でも参加のかたちをとった。
「平和的な手段による中国への抗議」。
厳戒の中で走者に声援を送るか。
本堂で静かに祈りを捧げるか。
どちらも平和を願う心に変わりはない。
今の時代人は差別蔑視丸出しの「チョウセンジン!」の言葉の真意が汲み取れまい。
ヨン効果もありハングル全盛。
霧島酒造の幻の焼酎金霧島もこの国があればこその冬草奈津虫焼酎である。
よき時代になったものだ。
幼少期には伊東家の菩提寺たる三財岩崎観音様西側山麓に数件の朝鮮人の住む家があり
地域の朝鮮人蔑視の風潮から怖いもの見たさで投石の意地悪準備をして近寄っていったものであった。
近接に自経営耕作地があり、カンショなどの収穫時期の家族総出の作業にはないもを
敵愾心の如く燃え上がらせてて望んだものだ。
「チョウセンジン、チョウセンジン、パカスルナ。」
たどたどしき会話で揶揄。挑発。
朝鮮人ごっこは幼少期の小さき心の冒険心を慰めるに十分なるものであった。
ほんのこの前まで日本映画さえ上映されず、漫画を含めた日本文化禁止。
歴史の逆行は過去の本性として生じてしまう。
難航した「靖国」は公開がそれぞれ発表されている。
関川夏央の作品にルポ「ソウルの練習問題」がある。
・・・・・
ひとりの青年が肩の力を抜いて韓国をめぐり歩く。
ハングルに酔い、人々に出会い、素朴な驚きと胸に迫る共感を軽やかに綴っていく。
・・・・
世に出たのは四半世紀ほど昔になる。
韓国、と聞けばへんに身構える雰囲気もあった時代に、この本は新鮮なるもの。
居酒屋の喧噪。迷路のような地下道。
若い女性のつぶやき。
描かれた様々な「日常」から隣の国の素顔を知った人も多かろう。。
韓流ブームで垣根はにわか低くなった
日本人の韓国観が大きく変わったのはソウル五輪を控えたあのころからだろう。
日本のOLが週末にソウルへショッピングに出かけ、
向こうからもシーガイヤの多勢を占める普段着で観光客がやって来る。
初めて来日した李(イ)明博(ミョンバク)大統領と福田康夫首相も
「シャトル外交」継続を約束した
そういう自然なつき合い方ができるのが「日韓新時代」だろう。
切り札のずっと懸案になっている天皇陛下の訪韓が現実味を帯びてくる。
報道されてないが、李大統領は陛下との会見で訪韓への期待を口にしたという。
中国のときと同じ状況である。
北を終え、中国の自国内に入り、8月8日8時8分を迎える。
聖火リレーが混沌としている。
ギリシャ神話
ゼウスとプロメテウスの「火の争い」
全能の神ゼウスからプロメテウスが火を盗み、
それを人間に与える。それがさらに災いを生む。
日本神話
、イザナミは火の神カグツチを産んだ際に火傷やけどを負い、それが元で死ぬ。
怒ったイザナキに殺されそれを契機にさらなる混沌こんとんを生み出していく。火は人間の偉大な発明であると同時に、争いもその火が原因となる。
聖火は、プロメテウスに由来するギリシャ・オリンピアで採火される。
11人の巫女みこによって火を誕生させる神話的儀式
「火の争い」に怒ったゼウスは、人類を困らせるためにパンドラという神を命じてつくる。
彼女に秘密の箱を与えわざと開けさせた。
多くの災いがそこから飛び出す「パンドラの箱」。
信州の国における良心・善光寺のギリギリの聖火受け入れの出発地点返上の苦渋の決断。
更科紀行の旅での俳聖・松尾芭蕉。
「月影や 四門四宗も ただ一つ」。
宗派や性別、階級にかかわりなく人々を救う。
この寺の独特の性格を表している。
天台宗と浄土宗が共同で住職を務め合計39の寺院が一緒に運営する。
中には尼寺もある。
善光寺の存在そのものが、多様な価値が溶け合う様を説いている。
聖火リレーとほぼ同時に、その善光寺でチベット騒乱の犠牲者を追悼する法要が開かれ。
希望者は誰でも参加のかたちをとった。
「平和的な手段による中国への抗議」。
厳戒の中で走者に声援を送るか。
本堂で静かに祈りを捧げるか。
どちらも平和を願う心に変わりはない。
今の時代人は差別蔑視丸出しの「チョウセンジン!」の言葉の真意が汲み取れまい。
ヨン効果もありハングル全盛。
霧島酒造の幻の焼酎金霧島もこの国があればこその冬草奈津虫焼酎である。
よき時代になったものだ。
幼少期には伊東家の菩提寺たる三財岩崎観音様西側山麓に数件の朝鮮人の住む家があり
地域の朝鮮人蔑視の風潮から怖いもの見たさで投石の意地悪準備をして近寄っていったものであった。
近接に自経営耕作地があり、カンショなどの収穫時期の家族総出の作業にはないもを
敵愾心の如く燃え上がらせてて望んだものだ。
「チョウセンジン、チョウセンジン、パカスルナ。」
たどたどしき会話で揶揄。挑発。
朝鮮人ごっこは幼少期の小さき心の冒険心を慰めるに十分なるものであった。
ほんのこの前まで日本映画さえ上映されず、漫画を含めた日本文化禁止。
歴史の逆行は過去の本性として生じてしまう。
難航した「靖国」は公開がそれぞれ発表されている。
関川夏央の作品にルポ「ソウルの練習問題」がある。
・・・・・
ひとりの青年が肩の力を抜いて韓国をめぐり歩く。
ハングルに酔い、人々に出会い、素朴な驚きと胸に迫る共感を軽やかに綴っていく。
・・・・
世に出たのは四半世紀ほど昔になる。
韓国、と聞けばへんに身構える雰囲気もあった時代に、この本は新鮮なるもの。
居酒屋の喧噪。迷路のような地下道。
若い女性のつぶやき。
描かれた様々な「日常」から隣の国の素顔を知った人も多かろう。。
韓流ブームで垣根はにわか低くなった
日本人の韓国観が大きく変わったのはソウル五輪を控えたあのころからだろう。
日本のOLが週末にソウルへショッピングに出かけ、
向こうからもシーガイヤの多勢を占める普段着で観光客がやって来る。
初めて来日した李(イ)明博(ミョンバク)大統領と福田康夫首相も
「シャトル外交」継続を約束した
そういう自然なつき合い方ができるのが「日韓新時代」だろう。
切り札のずっと懸案になっている天皇陛下の訪韓が現実味を帯びてくる。
報道されてないが、李大統領は陛下との会見で訪韓への期待を口にしたという。
中国のときと同じ状況である。
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