文化交流

2008年5月1日
春に三日の晴れ間なし。
朝方からそぞろ雨の宮崎である。

今日の誕生日の花はスズラン。
     花言葉は純愛、希望

すずらんは りりり、りりりと 風にあり

宮崎公立大図書館には芥川直木賞のコーナーで全作品が備わっている。
残念ながら貸し出しはすこぶる低いようでよっていつでも手に取れる。
第1回芥川賞は35年「蒼氓(そうぼう)」石川達三。

神戸の国立移民収容所に集まった人々がブラジルへ船出するまでを描いている。
作者自身移民船に乗り、2カ月だけだが、向こうで働いた経験があった。
「ついぞ考えて見たこともない外国という事・・・・」、
移民たちと自分の実感を伝えた描写が鋭いのは実写ゆえか。

日本からブラジルへ初めての移民船が渡って「今年は100年」。
「日本ブラジル交流年」。

    移民きみら辿(たど)りきたりし遠き道に  
          イペーの花はいくたび咲きし

1998年の歌会始で皇后さまが詠まれたこの歌
イペーはブラジルの国樹ともいえる落葉高木
黄色や桃色の房を枝いっぱいにつけ、
日本での桜のように、見る人にさまざまの事を思いださせる花らしい。

海外移住は日本の国際社会への仲間入りを意味したと書いてある。
現在ブラジル移住者といえば、故国へ出稼ぎに来た日系ブラジル人を指す。

“逆移住者”は、100年間積み重ねた日本からの移民の数を超えた。
確かに海外移住というものは、日本の国際社会での位置をよく反映している。

写真展「新世界に渡った日本人」
写真展はその記念行事の一つで、11月まで全国各地を巡回する。

宮崎にも毎年学生さんを自己所有のビルに受け入れられてる方がおられ
100名を超えた日本でのブラジル学生の父。
叙勲を受けられた話は聞かない。

宮崎ではすずらんの花は空輸で楽しんだものだが、隔世Kの感がある。

100日をきった北京オリンピック。
西欧列強の支配に苦しみ、民族内争闘を経ての減政治体制と複雑なる過去がある。
中華国民統一の象徴に日本の大学で学んだ魯迅がいる。
平塚らいてう・奥村博史との交流が広く語られていない。

魯迅は1936年(11年)上海で死去
偶然にも上海にいた画家奥村博史は弔問
死を悼み死顔のスケッチをとった。

新聞の写真をももとにして油彩画で
「魯迅臨終の図」
のその肖像画を描き夫人に送った。

20年後原爆禁止運動で夫人が来日。
奥村博史は羽田で夫人を迎えた。

そのときの夫人の驚きが語られる。
旧知のらいてうと奥村博史が夫婦である事を初めて知ったのだ。

感激が自伝にかかれてるが一般に知られていない。
信州のらいてう上田市記念館。
70年前の意外なる文化交流が週3日の
会館でのふれあいで気づこう。

なにも聖火のみが平和の使者ではない.
信州の持つ歴史の普遍性こそが両国の平和に繋がる.

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