邦画界

2008年6月14日
今日の誕生日の花はセンダン
花言葉は・・・・・意見の相違

山の子に栴檀の花の小学校

自然の中でスクスク育つ学び人

東京では地下鉄副都心線が今日開通。
池袋から横断しての新宿、埼玉まで一直線。
人の動きが大きき変わろう。現に新宿デパートは立替改装済みである。

地下鉄・新宿三丁目は落語好きのおのぼりさんの私の一番乗降が多いところで
変貌が一番激しくなろう。

石原知事の次なる野望の高層化の歌舞伎町はコマ劇場さえ、いずれ壊し、松竹は立替中。
常備500人の警察が毎夜「徘徊」している。
、そこから追い出された群れはアキバに移った

無差別テロはそこで引き起こされた。
社会現象たる半失業者状態の無権利の派遣社員25歳の蛮行によって。

どんなハードな映画をしのぐほどの白昼テロ。

淀川長治、荻昌弘、水野晴郎。そして高野悦子
本番前に落語の枕よろしく映画を楽しく紹介してくれた。

水野晴郎の記憶は水曜ロードショウは金曜日にポジションを変えての事が記憶に残る。
数々の映画をお茶の間に紹介し、天国に旅立つ。
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」
の名せりふを残して。

実は秘話がある。
何年か前確か02年ごろ。
宮崎は土建業の県。
建設土木の現場の技術者は県の清武の建設学校の出か
測量技術者は熊本測量専門学校の出。

国の建設大学の校長の大原衆議院議員は田野町に
測量専門学校を誘致建設し数年前まで安定性の経営であったが
投機的経営者の前に閉鎖した。
施設は広大なるものでここに映画学校を企画した。

校長に荻昌弘・・?ウ〜ン?水野晴郎・・
周りの人を通じて接触し、返事が待たれた。
ところが入院または明け後はハワイカどっかの静養で
連絡がうまくいかず頓挫。

いまだ現地は膨大なる施設が空いてるハズだ。
実に惜しい。

その後芸能関係からの転進知事の神懸かり的政治的躍進で
の出現で声優学校を延岡の篤志家の資本出資で作った。
市内のホテルの中にである。
実に小規模なるとても学校とはいえない学校。

校長にかってのコンビ相方ツーレロ=歌右衛門を岡山から呼んだ。
県庁横の名喫茶店らくがきを知事の右腕の部長さんの経営する
びっきょの社長にも就任させた。

さすがの県議会も目立ちすぎのこのことを質問したので社長から解任させた。
ラジオの番組などにとりあえず身を隠してささやかに宮崎を支えてはいる。
この県は県民の英雄は育たない。出るくぎは打たれるたとえを地で言っている。
このお話を持ち込んで見ようか。

邦画界は好調である。
02年27,1が05年53,2と邦画が洋画を逆転。
各社撮影所の強化に乗り出した。

世田谷住宅街の東宝撮影所
巨大壁画2メートルのゴジラが見守る。
全12棟のうち6棟を建て替えた。

かべにフック、スタジオ内に巨大セットが組める。
スタジオ内に大量の雨が降らせられる。
控え室は豪華で汚い時代のときに比して隔世の感。

深田鎌作監督の西遊記
本広克行少林少女
の自在なアクション。
樋口真 監督の隠し砦の三悪人はスタジオにセットが組まれた。

松竹京都撮影所。」20億円かけ4棟立替。
00年鎌倉大船撮影所を閉めた。

東映は1億円伏見城を改築中。
天守閣は姫路城」

角川映画」20億円調布市
スタジオ新設。 
   
日活撮影所改修工事
代償50以上」常時機能は」6つだけ。

1959年邦画の黄金期。
外国映画のシリーズとリメイクでの観客離れの敵失。
供給過剰粗製濫造、好調な作品が「全体を支え」製作に資金が回る。

途絶えて循環がたたれる。
資金回収で生まれ変わる撮影所
それだけで映画界全体が」活性化」までにつながるかは難しい。
向上した今ソフトを担う映画作家の活躍が待たれる。

講談浪曲落語、時代小説のよみもので人生を拾った。
捨て去った人生をである。
ほとんどの方が鬼籍に要られる。

山田洋次は昭和6年大連生まれ。
70歳を過ぎている。

東大を出たが、定例のコース新聞、出版、官僚、政治家の道を目指さず
その当時はマイナーな映画を選んだ。、
進歩良心派の道はこのときからである。

吉田喜重、篠田正浩、大島渚ヌーベルバークがもてはやされる頃も自分を貫いた。
大島と同期で、京大と東大の違いであろうか。
石原慎太郎ともとも同世代である。

知人の紹介状を頼りに立ち寄った
海坂藩での出来事だ。

不祥事を起こした藩士を討ち果たせば、仕官がかなう。
妻子を連れた浪人の、長い旅暮らしも終わるはずだった。
 しかし、その男に戦うつもりはなかった。

−これでは斬れんな。 と、丹十郎は思った。
  国へ帰って、百姓をやるという。

心を許した丹十郎は、宿賃を支払うために刀を売り、実は竹光であることを明かす。
次の瞬間、男は豹変する。
「それなら、話は別じゃ」
   と丹十郎に襲いかかった。
   ・・・・・
    ・・・・・・
小太刀の名手だった丹十郎。
  
映画『たそがれ清兵衛』の原作、藤沢周平の『竹光始末』の一場面。
   ・・・・・

小心者が増長する姿勢は毎日味わっている。
小金なき者は人格さえ否定される。

世の中を照射する山田洋次の心根や・・・いざ!

幻の宮崎映画学校・校長・水野晴郎・・・・
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」

バッカヤロウ!死んで花身の・・・
ご冥福をお祈りいたします。
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