日本熊森協会

2008年6月28日
今日の誕生日の花は・・ササユリ
花言葉は・・・・・・・希少価値

「バイタリチィーの権化」
かって岡本太郎のテレビからのパワーで映像からそう感じたモノだ。
言葉でのうりも糸井重里ばりに置き換え「バクハツダ!」

政治家田中角栄は確か「動くブルドザー」のあざなでその行動ぶりを驚嘆した。
片手を挙げ「よっ!」イカにも急がしそうで庶民的で頼もしい。

NHKラジオ深夜便の27日・日本熊森協会・森山まり子に同じ全身が熱くなるものを聞いた。

言葉ゆえ「クマ守り協会」とメモには書いた。
お話を聞き進める中で途中「熊森協会」でいいと自信を深めた。

・・・「熊」をいかす・・う〜〜ん・・
    ・・・くま・・・プ〜さんでなく本物だよ・・
   ・・・大陸にはパンダもいることだし・・
   ・もともと幾多の猛禽類が森林の王であったしその前には恐竜を含め
   た大型の生き物がその体力でちょうてんをしめてた
  ・・・・結果・・・
究極の自然保護だ!
でも・・何なんだこの人!・・麻布の獣医?・・理科の先生・・

山村に育ちいまその地域に幼き頃のライフスタイルが残ってればこの人の気づかれてる
環境荒廃はそうは無かったハズで懺悔をこめて記録する。

西に九州連山を仰ぎ見る山懐の宮崎市より15K西の西都市。
タバコ生育のためのピンセットで一個ずつ摘んで蒔く種床。
この種床はチョット説明がいる代物。

「奥山」のフレーズがノスタルジック。
西の彼方の九州連山を確かに地域民みんなが「奥山」と呼んだ。

「奥山」から運んできた「フッカフカ」の落ち葉をさらに腐食させ
海辺の針みたいな松の葉ッパを腐食をさせたもの。
それに前々から準備してた牛馬のフンを稲わらなどと混ぜ合わせて
3メーターもの小高く積み上げ醗酵を示す蒸気が出るまで保存したる堆肥としたものとブレンドする。

大雑把に細かく粉砕しそれを振るいにかけ、細かく均等化したものとして細かな砂利類と混ぜ合わせたモン。
それが贅沢なるたばこの種苗育成の床。
通常1メートル位の高さの長方形で温暖維持の工夫をした
立って歩けるビニールハウスの先駆をなし足るもの。

堆肥小屋は幾棟もからなる農家建物群の一つの必要なる建物。
建物で一番小さきは厠。
厠=トイレは農家敷地内の外の建物であった。

厠の大のほうは便層に板を通したものに両足をコワゴワ落ちないように「ハタカル」。
このポーズで用を済ますわけだが大人が基準ゆえ左右の間隔が遠く幼児は大変。

緊張と鍛えられてるゆえ落ちた経験は無いが
秘話で中に落ちた話を聞いたことはある。ソリャl〜もう・・

田んぼ区域で密かにすみに準備してある肥溜めに落ちた似たる経験はある。
ただ底浅く這い上がれるので「泳ぐ」状態ではなく悲惨さの違いは「ウンデイ」のさ。

畑や田んぼに撒く寸前は便層は満杯に近く
「ポト〜〜ン」のおつりの被害に遭う。
通称「ポッチョン便所。
梅雨のこの時期、安心して「大」の方は出来ない。

この梅雨の時期なんぞは本当に常にそんな状態があるので陰鬱であった。
なぜに便秘症状にならず毎日快便通だったかというと
芋など穀物主の繊維素食物で溢れでていたからであろう。
それには実証データーに事欠かなかった。

初恋の時期の頃でもあり小学校の教室では困ったモンであった。
「ぷ〜〜っ〜」「ブッ!」
さまざまに飛び交う。オーケストラ状態に成るときがあった。

授業はセンセ〜によっては中断のときもある。
「イモベェ〜ジャ〜」
嘲笑と赤ら顔の側の大きな立場の違い。

「キンピ」=金肥料は化学肥料。もったいなくしてあまり使わない。
三井化学、高鍋南九州科学、か全農=農協=JAなどが30kg風袋の紙袋に入ってた。
金で買った・・美味いハズ・・の短絡でお恥ずかしいナメテ見たことさえあった。
あの味の素をなめたとき以上の・・アブナイ!もんだ。ホントニ・・
社会全体が情報にともしい時代。

封は糸=ヨマでしてあり、タコ揚げなどに再利用を見越し兄たちとのバカ居合いで集めた。
ヨマを貯めるのは農作業の楽しみであった。

駄農家か勤勉農家かの違いはこの肥料作りの差がメルクマール。
堆肥農家の作物は肥料の三要素のチッソ、リンサン、カリがキッチリある。
マァ〜リンサン分が少し少ないか。、
茎やツルの成長を早めるN分を多くまかなうのを自然と知った。
金肥には配合比率さえ数値化され表示されている。

子供ながら穂先の育ってるこの時期の田んぼをみれば
茎や葉っぱのいろで肥料成分の過不足がわかった。
緑深く黒っぽいか、黄色っぽいかで肥料状態がわかる。
堆肥かキンピかさえ判れば大したもの。

話を戻そう。
ラジオからの日本熊森協会・森山まり子のお話である。

1992年尼崎市立武庫東中学校の生徒指導のきっかけで
   絶滅寸前兵庫県野生ツキノワグマの保護に立ち上がる
     祖先が残してくれた豊かな森を失い、クマだけではなく
     日本文明が滅びようとしていることに気づく。

1997年、実践自然保護団体日本熊森協会を結成。

祖先が手付かずで守ってきた「奥山」の自然林は、
戦後の国土総合開発計画や拡大造林政策、道路、スキー場建設などにより荒廃。、
野生動物たちは、すみかとえさ場を失った。

空腹に耐えかねた動物たちは、生きるために人里に出てきて農作物をあ
さるようになる。
人と熊との遭遇は有害獣として駆除され続けることになる。。

地元の人たちもまた、増える獣害に悲鳴を上げている。
、大型野生動物たちと、かれらが造る豊かな森を残さなければ、
私たち人間もまた、生き残ることはできないのだ。


人間によるスギ・ヒノキの人工林化、開発、地球温暖化によるミズナラの大量枯死などで、奥山に野生動物の棲め
る環境がなくなっています。奥地の森が、すでにボロボロの状態である上に、凶作や異常気象が重なると、人間が手を差しの
べない限り、絶滅の危機にある野生動物は絶滅します。

山にあるエサのある豊作年は、ツキノワグマは見事に人里に出てきません。
山の実りの凶作年に、奥地にドングリを運び、クマが人里に出てこないようにすることは、餌付けとは全く別のものです。
日本の全森林の42%にもおよぶ。内8割が手入れのされていない、いわゆる放置人工林
だが、青々とした木々が生い茂っているので森林破壊と捉えられにくい)など、
特に国土の67%を占め水源でもある森林の荒廃は進んでいる。

運営は私の生活費でまかなってきました面が多いです。
昼の仕事をした上での活動。
正直体はボロボロで無理。主人に相談し
教職を米国に住む娘たちまで了解してもらいやめた。

すばらしき若者がメンバーのほとんど。
経済的には困窮している。
「私と知り合ったばっかしにゴメンナ」

「一回しかない人生を動物を守るに賭ける。
      謝らないでください。」

給料をもらってやる仕事にしたい。
初めて事務局員採用の募集をした。
北海道・宮崎・埼玉と採用できた。

「地球倫理生存賞」を受賞・
絶賛される奥山、その荒廃
ちゃんとみていただいてる人々がおられることの喜び。

兵庫県豊岡市但東町大河内地区に田んぼを取り組むこととした。

大阪市での講演会。
「自然は無いし,ましてやく「熊」・・・」

瑞穂の国以前かってこの民族は森の民でもあった。
森は恵みをもたらした。
材木、食料山菜・木の実、衣服品、木おわんはトチノ木、紙・・・
薪・炭のエネルギー燃料として重宝された。

団塊の世代の幼き頃はプロパン電気での調理はされてなく
すべからず森からの贈り物薪・炭で土場の台所のかまどでなされた。
あまもりでもしようものなら滑る危なっかしいかまどの台所。
生活改良普及員の主なる仕事にかまど改善を思想普及するのが仕事の主な時期があった。

全て森からの恩恵を受けてきた。
森に手を合わせて暮らしてきた。
くだって山ノ神。

そういえば山ノ神の敬称の奥様方。
オソレ・・うやまう。

大阪市での講演会。

水だけは森からいただいてるハズ。
{???」
コップいっぱいの水・・どこから・・
考えたことが無い

NHKゆえではないが連想ゲームである。
「水道」「淀川」「琵琶湖」
いっぱいの水は・・
「雨水」
「雪解け」
そうですネ〜
じゃんじゃん120本の川から琵琶湖に注いで来てます。

川の行き着くところは
山の中・・湧き水・・
だが禿山だったら湧き水はなく湧いてこない。

森は関係ないか。

森が豊かでないとコンコンとはこない。
森は豊かか荒れてるか。
その・・
   チェックは・・・動物が住んでます。
その覇者ちょうてんの・・・熊が住んでます。

森の恩恵を知るために原生林ツアーを企画する。
西宮から岡山県まで西日本までそんなとこどこにもなし。
ブルドーザーで列島中壊してしまった

「若すぎ原生林83ヘクタール」
人がいらず草木の密生。
熊が住んでる森だと空間だらけ

美しいきれい絵になる写真になる自然の森。
気づく違いの保水力のある熊の住んでる森。
足元に「ジワッ〜・・」、こけ、水のしずく

谷川の水の音のおっき〜こと。
これが自然の森。

植物だけではないバクテリア動物がいる
植物多彩の密接共生。

人工林との違いは一目瞭然、植物の種類の多さ。
逃げるので目にいらねども、フン足跡でわかる。

いろんな動植物の共生
森に寄生だけでなく作っている。

大型動物すうで保水力が高いかがわかる。
空間があり、獣道があり風が入るので森全体が蒸れない

フンの中の種、もとの森ドングリの枝を折る
日陰が森に入る。

ブナの原生林だけでない。ベースでいっぱい入る。コケ
全ての生物がどれ一つかけてはいけない

ミヤザワマサイチ長野81歳
台風の日森はどうやってるのか。
台風直撃に原生林に入った。
吹き飛ばされる程の強さ。
体を木に巻きつける
台風の日に体を張って観察
植物一本倒れない。
全体が揃ってることで台風がなんでもない。

お爺さんが湯上り。
自然の森は台風が枯れ枝を落とし水が運び出す。
マイナスでない
生き物一つだけでは生き残れない

森から離れている。
スキー場看板は壊れている。

クマなどの害虫殺せ!
森を作っている。
地が生んである生かされている。

祖先の自然観動物感を古老より聞く
和歌山県ヒガシヤマショウゾウ

柿のみをとってやる。
なっていた全部をちぎり届けると「ガッ〜ン」拳骨
三分の一は山に残す。

庭水をまくにも黙ってないで「声を出せ!」
ここは山里、飛び出してきた森の動物に水がかかったらかわいそう。

障子張り替え
格子の一つは空間で紙を張らない。
「ツバメの格子」
田舎の西都の幼き頃の実家でもそうであった。
言葉は乱暴であったが心根はやさしかった。

人口保全に成功した文明が滅びた
森をほろぼしたゆえに。

日本熊森協会の自然保護活動。
現場に行く話を聞く

関東熊被害農家
まず返事はワンパターン・「会わない。」

そこを通過しても・・厳しい顔つき
まず出てくる最初の挨拶代わりの言葉。
何の仕事をしているのか。
農業に丹精一晩で帰れ!

16年前のこと。
父は農家出身
「いのししを守ろう」
農家の敵!やめろ!
大事なことであった。

怒ってたリンゴ園
被害の連続。
さる、しか夜は熊
枝を折る3年間は成らない。

収獲時期は動物も知っている。
見張りに立つ
不眠不休なので疲れる・・・ウトウト
動物たちの被害にあった惨状に目がさめる。
被害目の前殺してやりたい

やられる
刈尽くされている下草。
憎しみしかない。
第三者の存在の大事しさ

森の維持
考え変わる。
外からゆえ見えた。
かかわっていくが大事
正直有難い。リンゴ園放置林動物

ドングリを獣道にかき集めて撒く活動

人工林切る手伝うドングリ運ぶ
僕ら人間のことしか考えてなかった。

日本熊森協会
もりやまです
かえれ!

提案!
動物が住めるスギ、ヒノキで埋め尽くされた拡大造林
根づかづ崩れる広葉樹の復元

農業の継続
協力関係
勇気の無い

出てこい!
行く!
話せばわかる。

全ての生き物
現代生態学
科学少女人類を救う
化学汚染人間の頭
自然は超えた制御できないk枚の世界。
小さくなる人間以下されていたんだ人間
祖先

知ってた兵庫せん1510M
くま・・くまさん寸取りなさる、
わしりゃみずもらって生きてきた。

表の泉、行ってはいけない山
ブナ退治原生林黙ってしまった。神が住んでた神々しい
手付かずで間々っきた。

バチをうける
荒れ放題
気が付いた。行動する。
声行動かわらない子供たち

奥山をヒノキスギ大人が植えた
弊害が起きている。気がつた者が植えたら言い。子供はやさしい。
今植えたらいい。

おまえらだけじゃぁ
わかるわかる

野生の大量駆除

奥山再生
もリ山まりこ 西宮市在住
079ー822ー4190

テーマ曲がピッタリ出会った。

コクーン「たったひとつの地球」
ノリコ・・歌手

「たったひとつの地球」

歌:NORIKO
作詞 作曲 編曲:本田裕子

たったひとつの地球
守りたい この手で

(1)
当たり前のように 息をして
当たり前のように 水を飲んで
当たり前のように 生きていた
この地球が 悲鳴あげてると 知らずに

誰かがやってくれるから
ただ見てるだけ それでいい
そんな風にずっと逃げてきた
手遅れかな
気付けばまだ間に合うかな

ごめんね 青い海よ
汚すつもりは なかったのに
ごめんね 緑の森よ
壊すつもりは なかったのに
たったひとつの地球
守りたい この手で
きっと

(2)

当たり前のように 愛し合って
当たり前のように 夢を見て
当たり前のように 暮らしてた
この笑顔が 永遠だと 思い込んで

どんなに傷付けられても
ずっと 支えてくれたよね
なんの文句も 言わないで
手遅れかな
動けばまだ間に合うよね

ごめんね 青い空よ
汚すつもりは なかったのに
ごめんね 全ての命
絶やすつもりは なかったのに
たったひとつの地球
守りたい この手で

ごめんね 青い地球
傷付けたくは なかったのに
ごめんね 未来の子どもよ
悲しませたく なかったのに
たったひとつの地球
守りたい この手で
ずっと

日本熊森協会
17000名の会員がおり、兵庫県本部以外に18府県に支部がある。
宮崎県にも支部があったんである。

医療法人社団 杏子会 小島胃腸科・内科 宮崎県延岡市緑ヶ丘2−25−10
ミツイ水産(株) 宮崎県延岡市松原町1丁目4−3 水産加工業

2007年
  12月23日(火) 祝 宮崎県支部結成!!
2008年
6月
1日(日) 森山会長出席 綾町 照葉樹林文化シンポジウムへ参加
ナント宮崎にもおいでである。

国内に生息推定数8000頭から12000頭といわれてきたツキノワグマだが、環境省の発表によると、
2004年からの大量駆除によって、この4年間に約7800頭が有害獣として駆除された(狩猟数は除く)。

この数は届け出があったものだけで、地元猟友会のメンバーに見せると一様に
、実数はこれよりずっと多いと証言される。
 山は荒れて棲めず、人里に出て行けば子グマに至るまで人間によって殺されてしまう。
国をはじめ行政はみんな知らん顔だが、日本のクマ保全は、もはや待ったなしである。


1992年に、尼崎市「武庫東中学校」の生徒たちと、絶滅寸前兵庫県野生ツキノワグマの保護に立ち上がる。
、祖先が残してくれた豊かな森を失い、クマだけではなく日本文明が滅びようとしていることに気づく。

1997年、実践自然保護団体日本熊森協会を結成。

クマをシンボルに、大型野生動物たちの造る保水力抜群の最高に豊かな森を、子や孫、そして、全生物に残すため奔走。

西宮市在住
講演要旨

 祖先が手付かずで守ってきた「奥山」の自然林は、戦後の国土総合開発計画や拡大造林政策、道路、スキー場建設な
どにより荒廃し、野生動物たちは、すみかとえさ場を失った。
空腹に耐えかねた動物たちは、生きるために人里に出て来て農作物をあさるようになり、有害獣として駆除され続けている。
地元の人たちもまた、増える獣害に悲鳴を上げている。
 しかし、大型野生動物たちと、かれらが造る豊かな森を残さなければ、私たち人間もまた、生き残ることはできないのだ。

 わたしは自然のしくみを教え研究している者のひとりとして、人類に絶望していました。
人類の欲望はとどまるところを知らず自らの生息環境まで破壊しており、近い将来滅びるに違いないと確信していました。
 思いがけなく、クビを覚悟で生徒たちと「クマ保全活動」に立ち上がるはめになって、行動することの大切さを知りました。
 欧米ではものすごい数の大人たちが自然の保全に立ち上がっています。
 「先生、大人って、ほんまはぼくらに愛情なんかないとちがうかな。
  自然も資源もみんな使い果たして、ぼくらには何も置いとこうとしてくれないんやな。」
 生徒がさびしそうに言った言葉が今も忘れられません。
 このままではいけません。外国の大人たちに負けないよう、日本の大人もがんばりませんか。
西宮市在住。
講演要旨

 祖先が手付かずで守ってきた「奥山」の自然林は、戦後の国土総合開発計画や拡大造林政策、道路、スキー場建設などにより
荒廃し、野生動物たちは、すみかとえさ場を失った
。空腹に耐えかねた動物たちは、生きるために人里に出てきて農作物をあさるようになり、有害獣として駆除され続けている
。地元の人たちもまた、増える獣害に悲鳴を上げている。 
しかし、大型野生動物たちと、かれらが造る豊かな森を残さなければ、私たち人間もまた、生き残ることはできないのだ。

九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします    
        プチッ!
        ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
         ↑ ↑ ↑

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索