骨子
2008年7月4日今日の誕生日の花は・・・ノカンゾウ
花言葉は・・・・・苦しみからの開放
洞爺湖サミットが近かづき事前の国際会議も含め
言葉の世界共通語に弱き島国民族たる言語の貧しさをあらためて思い知らされる。
会合での発言はいったん英語に翻訳され仏独伊露・・になって会議は成り立つ。
英検2級程度は国境を陸続きとする人々には生きるすべで当たり前のようだ、
宮崎でのすし職人李さんは容姿はもちろん言葉から韓国人とは思えない流暢さの日本語を操られる。
言葉の修行は1年未満。
英語力はわからぬが先日の外国人との会話をそばから見てる限り完璧。
三ヶ国語を大層なる勉強時間を費やさすことなく能力としてみにつけておられる。
日本人は誰もが義務教育から6年は学んでてもチンプンカンプンが常。
脳構造に違いが生じてるんであろうか。
国の規範は憲法に由来する。
その憲法さえ英語やドイツ語の訳語として日本で使い始めたらしい。
日系新聞にあった。
中華人民共和国
「人民」「共和国」は日本生まれの漢語なんだそうな、
翻訳は文学そのもの。
ただ横文字をたてにしただけではない。
独創性と想像性が翻訳の文化の本領を発揮する。
国際交流基金雑誌「をちこち」
「日本語は翻訳によっていかにに鍛えられたか」
星の王子様=小さな王子様
万事がその思考を強いられる。
それで日本人1億3000万人は少子化で
2050年には9500万人とかで説明される。
私なんぞは100歳を超えている。
それで年金問題なんぞを解く政府、まさにそれを、詭弁という。
資源危機、食の危機がインフレ傾向として社会を覆っているが
15年度までに自給率50パーセントを3日打ち出した。
問題点解消は何もない空論。
農業はおろか漁業はガソリン高騰で15日の一斉休業で悲鳴をあげる。
知りうるかぎ漁業ゼネストは初めてのこと。
かって政治の対局の頂点にあった総評でさえ出来なかったことを
唱え行動せねば成らぬほどの逼迫した状況になっている事の証左だ。。
翻訳能力では解決できない真正面から取り組まねば成らぬ
国家、政治の責任である。
つくづく政治学の貧困を感ずる。
翻訳での置き変えではないが
「音楽」は「音学」ではない。
どうして「文学」は「文楽」ではないのか。
文学者といえば、詩人や小説家より、大学で文学論を講じる学者が近い。
文学が誤解される理由が文学という言葉自身のなかにあるように思える。
エンターテインメント作家浅田次郎。
「近代に入って小説はアカデミズムと結びつくことで難しくなっていった」と
「読者と乖離してはいけない」
文学が学問になってはいけないとする警鐘だろう。
確かに、古代日本の文学作品である「万葉集」はみんなで楽しむために編まれた。
源氏1400年日本の生み出した、世界唯一のかな文字がより日本人の心に近い表現が出来た
万葉の歌は民謡。
「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しき」
「多摩川にさらす手作り・・「さらさらに」
「さらさらに」・・何そこの児のここだ愛しき」と
「さらさらに」を繰り返す労働歌、佐佐木幸綱「男うた女うた」。
琵琶法師が語る「平家物語」も耳から入る娯楽作品。
これらは文「学」ではなく文「芸」ではないか。
広辞苑では「文学」の項には文芸とある。
「文芸」の項には文学とある。
文学を文芸に置き換える。
詩人や小説家は、文学者ではなく、文芸者になる。
広辞苑では「芸者」の項には「多芸な人」とある。
「芸妓(げいぎ)」は4番目に出てくる。。
そうなれば文学を紐解く行為には本来眠気はこないもの
そのようなものが文学作品なんであろう。
宮崎の文学の募集のチラシ見た。
8月締め切りで
小説随筆詩短歌などのジャンルに分けての募集要項がある。
文楽、楽しむで申し込んでみたい。
入選を狙うなら話題性にあわせること。
それを縦糸にして
横糸には男女の恋、愛を伏線に持ちつづけさせる。
若干の世界的テーマと政治性。
三要素とでも言おうか。
さらに地震で弱ってる岩手の人への力付け応援メッセージ。
地元人の登場。
世界の孤児の父宮崎の偉人石井十次の事業からのブラジル移民者同士の恋愛劇。
となれば・・
ブラジル移住笠戸丸100年でいい。
レアメタルなどの資源を持ち、食料輸出国のブラジルと、資源が乏しく食糧輸入国の日本。
この2つの国をつなぐ架け橋
・・・イイジャ〜ン。(自己満足)
第1回芥川賞は1935年に石川 達三が受賞。
受賞作品の「蒼氓そうぼう」のテーマがそうでゲンがいい。
グローバル経済の主役BRICs
ブラジル、
ロシア、
インド、
中国でもある。
オリンピック開催候補地4つの一つでもあるブラジル。
米国・・・シカゴ
ブラジル・リオデじヤネィーロ
スペイン・マドリード
日本・・・東京
大杉栄虐殺の軍人甘粕が犯罪者として裁かれること無く大陸に渡り映画界のドンで変貌。
満州国の大陸軍人と組し本国を無視して関東軍の暴走のカリスマ的役割を担ったことに
手がかりを見出したい。
つまり中国のラストエンペラーの如き
韓流ブームにあやかり、朝鮮王朝のラストエンペラーである。
神戸港を出港した初のブラジル移民船「笠戸丸」が
サントス港に着いたのは、
1908(明治41)年6月18日
それから100年後
2008(平成20)年6月18日
このことが成功裏に迎えたのは
岩手の人三代目ブラジル公司の杉村濬(ふかし)の尽力大成るものがある。
人生は実に奇怪。
一国の王朝のトップを殺害、滅ぼしたのに
九死に一生をへて新天地で花開いたその人である。
杉村濬(ふかし)は韓国公司山口萩の人・三浦梧楼のもと、
臨時代理公使として岡本柳ノ助等とともに中枢として
韓国王宮その制度を破壊した閔妃暗殺事件に中心事物として参画。
乙未事変(いつびじへん)とは朝鮮国王王妃明成皇后であった閔妃が
1895年10月8日に暗殺された事件。
韓国語ではウルミ、俗に「明成皇后 弑害事件」とも呼ばれる。
世界の非難を浴び、日本に逃げ帰った
「謀殺及兇徒聚衆」の罪名で広島監獄に収監さる。
明治29年(1896)1月広島地裁予審で免訴。
この時代はのんきなものだ。
明治32年(1899)6月には外務省通商局長、
明治38年(1905)ブラジルに駐箚、移民事業に尽力する。
明治39年5月21日任地で病死、59歳。
出世の時代の寵児になるきっかけがある。
神奈川県令野村靖の紹介で日向の伊東藩の同じ先祖に当たる岡山備中岡田藩主
伊東氏 の臣・花房義質駐韓公使に面会、助力を得る。
、明治13年(1880)4月に初めて渡韓をはたす。
外務省御用掛、副領事、二等書記官、領事、一等書記官を歴任し
釜山、仁川、ソウルと朝鮮勤務に就く
そして前述の成功物があるわけである。
あれ?ここまで披瀝したらもう作品化する前に発表したも同然ではないか。
残りは翻訳に似たる構成、人物像の組み合わせのみ。
ええいっ!まだ開陳しちゃえ!
6月28日朝日26面
歴史的資料が発見された。との記事。
日清戦争直後1895年秋
朝鮮王朝の王宮に押し入り
皇后閔妃が殺害された新資料が見つかった。
日本高官の間で交わされた手紙。
駐韓公司三浦梧楼の独断とされtきた
就任以前に資金提供などの懐柔策から
強硬策に転換することで高官の間で合意が形成されていたことを
示唆する内容。
歴史をめぐる日韓の大きな溝となってきた事件で
懸念してたことが表面化した文部省天下り下関教育長の
歴任認識の歪曲化発言の時期でもあり論議を呼ぼう。
私にしてみれば不謹慎ながら作品のネタが
増えたことに限定すれば喜ばしい限り。
「朝鮮の皇后閔妃弑害事件日本政府高官の手紙見つかる。12通。」
絶対権力集中は大久保利通の敷いた内相にある。
時の野村内相が韓国井上馨公司に当てたGO!サインの手紙。
反閔妃クーデターの朴内相に300万を貸与
さらに追加の300万も準備されていた。
国家予算8000千万のときの懐柔費用の600万の
巨額の政治耕作資金・賄賂の生々しき手紙。
「貰わナイ。」「コワイ事」
と閔妃が拒否したことが写しとしての記事に原文写真写し付き。。
驚きのスクープだが他誌の報道はない。
王宮を襲う部隊は陸軍600人と熊本の壮士47人。
念が入っている。公司井上は9月1日離任。
後任公司に三浦梧楼公司が着任。
外出もせず読経に明け暮れていたという。
そして10月8日皇后閔妃弑害事件=ウルミ=
俗に「明成皇后 弑害事件乙未事変」が実行サル。
三浦公司は国王の父が首謀者で
実行者は日本人を装った朝鮮人と主張。
欧米列強は日本政府に抗議。
日本政府は関係者を広島で裁くが全員無罪。
他方現地韓国では朝鮮人3人が死刑。
日清戦争に勝ったのにロシアが出てくるのは
日本には何のために戦争をしたのか判らないとの政治的背景がある。
日清戦争で朝鮮から中国の影響は一掃されたが三国干渉の脅威があった。
そこで皇后閔妃のロシアより政策を止めるための文明国としてはの蛮行。
「今もなお鬼哭(きこく)の声が耳につき わが巡礼の旅は終わらじ」。
アマゾンの読経を新聞がおしえる。
長年、海外移住者の援護活動をしていた
日本海外移住家族会連合会の初代事務局長、藤川真弘(本名辰雄)の歌。
ブラジルの密林で無縁仏になった移民の存在を知り、
その鬼哭啾々(しゅうしゅう)の声に突き動かされ、57歳にして仏門へ。
移民が夢に見たであろう富士山を望める伊豆大島に観音像を建てた。
「海外開拓移住者菩提・富士見観音堂」。30年前のことだ
自給自足の堂守となったが、8年後、読経巡礼先のアマゾンの川岸で自ら消息を絶った。享年70。
その生涯は18年後、在ブラジルの映像作家、岡村淳がドキュメンタリー映画「アマゾンの読経」として記録、
苦難の移民史に刻まれている
新聞は伝える。
藤川死後、荒れ放題になった観音堂。
それを知った日本ブラジル交流協会の研修生OBが時折、「お掃除合宿」に訪れている。
「国による棄民」を嘆いた藤川真弘(本名辰雄)坊師。
日本ブラジル交流100年の新時代をどう指し示そうや。
梅雨のせいか、いとおしくも悲し・・ブラジル百年。
閔妃暗殺実行犯・三代目ブラジル公司の杉村濬(ふかし)贖罪の一代国家的大事業の成就。
現代外交官の鏡である。
文才も経験も無く初挑戦が何を生むかのみ。
言葉は日本語それも宮崎弁。
ここまでくれば・・・
まな板の鯉の料理次第。
・・・どんげかせんといかん!
ううううう〜〜ん。
文楽は音楽と違いやはり文学がピッタリである。
・・どうなるんだろう。・・
ギャグニー風に・・
・・・・お楽しみはこれからだ。・・
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
花言葉は・・・・・苦しみからの開放
洞爺湖サミットが近かづき事前の国際会議も含め
言葉の世界共通語に弱き島国民族たる言語の貧しさをあらためて思い知らされる。
会合での発言はいったん英語に翻訳され仏独伊露・・になって会議は成り立つ。
英検2級程度は国境を陸続きとする人々には生きるすべで当たり前のようだ、
宮崎でのすし職人李さんは容姿はもちろん言葉から韓国人とは思えない流暢さの日本語を操られる。
言葉の修行は1年未満。
英語力はわからぬが先日の外国人との会話をそばから見てる限り完璧。
三ヶ国語を大層なる勉強時間を費やさすことなく能力としてみにつけておられる。
日本人は誰もが義務教育から6年は学んでてもチンプンカンプンが常。
脳構造に違いが生じてるんであろうか。
国の規範は憲法に由来する。
その憲法さえ英語やドイツ語の訳語として日本で使い始めたらしい。
日系新聞にあった。
中華人民共和国
「人民」「共和国」は日本生まれの漢語なんだそうな、
翻訳は文学そのもの。
ただ横文字をたてにしただけではない。
独創性と想像性が翻訳の文化の本領を発揮する。
国際交流基金雑誌「をちこち」
「日本語は翻訳によっていかにに鍛えられたか」
星の王子様=小さな王子様
万事がその思考を強いられる。
それで日本人1億3000万人は少子化で
2050年には9500万人とかで説明される。
私なんぞは100歳を超えている。
それで年金問題なんぞを解く政府、まさにそれを、詭弁という。
資源危機、食の危機がインフレ傾向として社会を覆っているが
15年度までに自給率50パーセントを3日打ち出した。
問題点解消は何もない空論。
農業はおろか漁業はガソリン高騰で15日の一斉休業で悲鳴をあげる。
知りうるかぎ漁業ゼネストは初めてのこと。
かって政治の対局の頂点にあった総評でさえ出来なかったことを
唱え行動せねば成らぬほどの逼迫した状況になっている事の証左だ。。
翻訳能力では解決できない真正面から取り組まねば成らぬ
国家、政治の責任である。
つくづく政治学の貧困を感ずる。
翻訳での置き変えではないが
「音楽」は「音学」ではない。
どうして「文学」は「文楽」ではないのか。
文学者といえば、詩人や小説家より、大学で文学論を講じる学者が近い。
文学が誤解される理由が文学という言葉自身のなかにあるように思える。
エンターテインメント作家浅田次郎。
「近代に入って小説はアカデミズムと結びつくことで難しくなっていった」と
「読者と乖離してはいけない」
文学が学問になってはいけないとする警鐘だろう。
確かに、古代日本の文学作品である「万葉集」はみんなで楽しむために編まれた。
源氏1400年日本の生み出した、世界唯一のかな文字がより日本人の心に近い表現が出来た
万葉の歌は民謡。
「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しき」
「多摩川にさらす手作り・・「さらさらに」
「さらさらに」・・何そこの児のここだ愛しき」と
「さらさらに」を繰り返す労働歌、佐佐木幸綱「男うた女うた」。
琵琶法師が語る「平家物語」も耳から入る娯楽作品。
これらは文「学」ではなく文「芸」ではないか。
広辞苑では「文学」の項には文芸とある。
「文芸」の項には文学とある。
文学を文芸に置き換える。
詩人や小説家は、文学者ではなく、文芸者になる。
広辞苑では「芸者」の項には「多芸な人」とある。
「芸妓(げいぎ)」は4番目に出てくる。。
そうなれば文学を紐解く行為には本来眠気はこないもの
そのようなものが文学作品なんであろう。
宮崎の文学の募集のチラシ見た。
8月締め切りで
小説随筆詩短歌などのジャンルに分けての募集要項がある。
文楽、楽しむで申し込んでみたい。
入選を狙うなら話題性にあわせること。
それを縦糸にして
横糸には男女の恋、愛を伏線に持ちつづけさせる。
若干の世界的テーマと政治性。
三要素とでも言おうか。
さらに地震で弱ってる岩手の人への力付け応援メッセージ。
地元人の登場。
世界の孤児の父宮崎の偉人石井十次の事業からのブラジル移民者同士の恋愛劇。
となれば・・
ブラジル移住笠戸丸100年でいい。
レアメタルなどの資源を持ち、食料輸出国のブラジルと、資源が乏しく食糧輸入国の日本。
この2つの国をつなぐ架け橋
・・・イイジャ〜ン。(自己満足)
第1回芥川賞は1935年に石川 達三が受賞。
受賞作品の「蒼氓そうぼう」のテーマがそうでゲンがいい。
グローバル経済の主役BRICs
ブラジル、
ロシア、
インド、
中国でもある。
オリンピック開催候補地4つの一つでもあるブラジル。
米国・・・シカゴ
ブラジル・リオデじヤネィーロ
スペイン・マドリード
日本・・・東京
大杉栄虐殺の軍人甘粕が犯罪者として裁かれること無く大陸に渡り映画界のドンで変貌。
満州国の大陸軍人と組し本国を無視して関東軍の暴走のカリスマ的役割を担ったことに
手がかりを見出したい。
つまり中国のラストエンペラーの如き
韓流ブームにあやかり、朝鮮王朝のラストエンペラーである。
神戸港を出港した初のブラジル移民船「笠戸丸」が
サントス港に着いたのは、
1908(明治41)年6月18日
それから100年後
2008(平成20)年6月18日
このことが成功裏に迎えたのは
岩手の人三代目ブラジル公司の杉村濬(ふかし)の尽力大成るものがある。
人生は実に奇怪。
一国の王朝のトップを殺害、滅ぼしたのに
九死に一生をへて新天地で花開いたその人である。
杉村濬(ふかし)は韓国公司山口萩の人・三浦梧楼のもと、
臨時代理公使として岡本柳ノ助等とともに中枢として
韓国王宮その制度を破壊した閔妃暗殺事件に中心事物として参画。
乙未事変(いつびじへん)とは朝鮮国王王妃明成皇后であった閔妃が
1895年10月8日に暗殺された事件。
韓国語ではウルミ、俗に「明成皇后 弑害事件」とも呼ばれる。
世界の非難を浴び、日本に逃げ帰った
「謀殺及兇徒聚衆」の罪名で広島監獄に収監さる。
明治29年(1896)1月広島地裁予審で免訴。
この時代はのんきなものだ。
明治32年(1899)6月には外務省通商局長、
明治38年(1905)ブラジルに駐箚、移民事業に尽力する。
明治39年5月21日任地で病死、59歳。
出世の時代の寵児になるきっかけがある。
神奈川県令野村靖の紹介で日向の伊東藩の同じ先祖に当たる岡山備中岡田藩主
伊東氏 の臣・花房義質駐韓公使に面会、助力を得る。
、明治13年(1880)4月に初めて渡韓をはたす。
外務省御用掛、副領事、二等書記官、領事、一等書記官を歴任し
釜山、仁川、ソウルと朝鮮勤務に就く
そして前述の成功物があるわけである。
あれ?ここまで披瀝したらもう作品化する前に発表したも同然ではないか。
残りは翻訳に似たる構成、人物像の組み合わせのみ。
ええいっ!まだ開陳しちゃえ!
6月28日朝日26面
歴史的資料が発見された。との記事。
日清戦争直後1895年秋
朝鮮王朝の王宮に押し入り
皇后閔妃が殺害された新資料が見つかった。
日本高官の間で交わされた手紙。
駐韓公司三浦梧楼の独断とされtきた
就任以前に資金提供などの懐柔策から
強硬策に転換することで高官の間で合意が形成されていたことを
示唆する内容。
歴史をめぐる日韓の大きな溝となってきた事件で
懸念してたことが表面化した文部省天下り下関教育長の
歴任認識の歪曲化発言の時期でもあり論議を呼ぼう。
私にしてみれば不謹慎ながら作品のネタが
増えたことに限定すれば喜ばしい限り。
「朝鮮の皇后閔妃弑害事件日本政府高官の手紙見つかる。12通。」
絶対権力集中は大久保利通の敷いた内相にある。
時の野村内相が韓国井上馨公司に当てたGO!サインの手紙。
反閔妃クーデターの朴内相に300万を貸与
さらに追加の300万も準備されていた。
国家予算8000千万のときの懐柔費用の600万の
巨額の政治耕作資金・賄賂の生々しき手紙。
「貰わナイ。」「コワイ事」
と閔妃が拒否したことが写しとしての記事に原文写真写し付き。。
驚きのスクープだが他誌の報道はない。
王宮を襲う部隊は陸軍600人と熊本の壮士47人。
念が入っている。公司井上は9月1日離任。
後任公司に三浦梧楼公司が着任。
外出もせず読経に明け暮れていたという。
そして10月8日皇后閔妃弑害事件=ウルミ=
俗に「明成皇后 弑害事件乙未事変」が実行サル。
三浦公司は国王の父が首謀者で
実行者は日本人を装った朝鮮人と主張。
欧米列強は日本政府に抗議。
日本政府は関係者を広島で裁くが全員無罪。
他方現地韓国では朝鮮人3人が死刑。
日清戦争に勝ったのにロシアが出てくるのは
日本には何のために戦争をしたのか判らないとの政治的背景がある。
日清戦争で朝鮮から中国の影響は一掃されたが三国干渉の脅威があった。
そこで皇后閔妃のロシアより政策を止めるための文明国としてはの蛮行。
「今もなお鬼哭(きこく)の声が耳につき わが巡礼の旅は終わらじ」。
アマゾンの読経を新聞がおしえる。
長年、海外移住者の援護活動をしていた
日本海外移住家族会連合会の初代事務局長、藤川真弘(本名辰雄)の歌。
ブラジルの密林で無縁仏になった移民の存在を知り、
その鬼哭啾々(しゅうしゅう)の声に突き動かされ、57歳にして仏門へ。
移民が夢に見たであろう富士山を望める伊豆大島に観音像を建てた。
「海外開拓移住者菩提・富士見観音堂」。30年前のことだ
自給自足の堂守となったが、8年後、読経巡礼先のアマゾンの川岸で自ら消息を絶った。享年70。
その生涯は18年後、在ブラジルの映像作家、岡村淳がドキュメンタリー映画「アマゾンの読経」として記録、
苦難の移民史に刻まれている
新聞は伝える。
藤川死後、荒れ放題になった観音堂。
それを知った日本ブラジル交流協会の研修生OBが時折、「お掃除合宿」に訪れている。
「国による棄民」を嘆いた藤川真弘(本名辰雄)坊師。
日本ブラジル交流100年の新時代をどう指し示そうや。
梅雨のせいか、いとおしくも悲し・・ブラジル百年。
閔妃暗殺実行犯・三代目ブラジル公司の杉村濬(ふかし)贖罪の一代国家的大事業の成就。
現代外交官の鏡である。
文才も経験も無く初挑戦が何を生むかのみ。
言葉は日本語それも宮崎弁。
ここまでくれば・・・
まな板の鯉の料理次第。
・・・どんげかせんといかん!
ううううう〜〜ん。
文楽は音楽と違いやはり文学がピッタリである。
・・どうなるんだろう。・・
ギャグニー風に・・
・・・・お楽しみはこれからだ。・・
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
コメント