自然と芸術
2008年7月25日今日の誕生日の花は・・・・ ひまわり
花言葉は・・・・ あなたはすばらしい 崇拝
太陽はペルーの国旗にもある。
日系で大統領にまでなったフジモリの不遇なる現状の身の上をおもうと辛い移民が浮かぶ
宮崎県移住史によれば.
1911年甲斐長蔵は7人でペルーに渡航した。
1914年、チリ、アルゼンチンを経てブラジルに移住
宮崎県ブラジル移住第一号である.
18年串間観次郎が続いた..。
ひまわりの ゆさりともせぬ おもたさよ
竹島の教科書記載が表面化し始めた.
韓国議会では軍隊の駐留は日本との軋轢を招くと国防大臣が否定したものの「実効支配」から「領土守護対策」へ用語を改めた。
竹島に「総合海洋基地」や定住民のための村、
漁民用の宿泊施設を建設し.、
首都圏にも竹島を紹介する博物館を設立する方針なども打ち出した。
・・・と報じてる新聞さえある.、
即触発軍事行動寸前であるが能天気の国は報道機関さえ暑さでか
その程度しか報じない
竹島問題なんだろう韓国大使が帰韓して日本に着任しない.
対馬の遣隋使役を従来韓国の区長が渡対馬して演じてたが来ない.
宮崎でも姉妹都市の報恩郡より連絡.
「少年の交流事業は留保する」
中学生20人相互ホームステイが中止に成る.
93年以来の行事がこれだ。
友好親善は隣国同士の根底に必要である.
国際交流の人脈を大事に育てることである。
もっと近世史の日韓を学ぶべきである.
大アジアの視点は育たない。
それには正確に恐れずおしえることだ。
自虐史観などと非難にめげず真実を隠しては成らない.
日本の皇居に韓国軍が雪崩れ込み、皇后を庭先に連れ出し(みんなが見てる状況証拠)
虐殺、遺骸は焼いた。
事前の恥辱はさすがにブログとはいえ筆にも起こせない惨さは強姦どこではない。.
さぁ〜日本人はどんな感情を持つだろう.
1895年(明治28年)10月8日に公司三浦梧楼
ら日本軍隊と他の与謝野寛ら右翼壮士とともに
当時の朝鮮王朝の王妃、閔妃の暗殺=乙未事変を決行した.
指揮をとったのは杉村濬 (ふかし ) 堀口九万一ら大使館員である.
、
杉村陽太郎は(1884−1939)駐フランス大使、新渡戸稲造の後任として1927年国際連盟事務局次長に就任したが杉村濬 の長男である.
フランス文学者堀口大学の父は堀口九万一。
三浦梧楼の従者与謝野 寛はのちの与謝野 鉄幹。
総理を狙う与謝野馨 の祖父である。
その後、杉村濬 (ふかし )は第三代ブラジル大使で100年前に笠戸丸ブラジル移民に奔走し 堀口九万一は
杉村を補佐した.
明治42年伊藤博文をハルビン駅頭で暗殺した安重根は暗殺理由の第一として閔妃は伊藤の指示
により殺害されたからといっている。
DOU YOUR BEST AND IT MUST BE FIRST CLASS
最善を尽くせそして一流たれ
あちこちでの大小の夏祭りはオラガクニサの自慢の種.
故郷の村から出て行ったものには永久のノスタルジー
夏は平和の季節.DNAの連鎖の祖先を遠く偲ぶ。
そこに世界の文化が加わる.
下町浅草にはすっかりブラジル・リオのサンバの熱意がさまになってきた.
本場では豊満なる乳房の100パーセント露出は当たり前の開放感.
性器のみが隠されてるだけのサンバの熱気を週刊誌カラー写真が伝える.
.
貧困ゆえに選ばれたものだけしかの部分さえ今だ持ち合わせているので
よりカーニバル参加を精一杯誰憚ることなく楽しむには背景があるのだ.
甲子園の熱闘が屋内球のドームになったらどうなるんであろう.
文化は逆があるのか.
華麗なるバレエが野外バレエとして毎年19回も演じられてきた
舟木上次の熱意になる。
冒頭の言葉が苦しいとき背中を押す.
今日日経文化欄にある。
野外バレエが演じられてるのは
避暑地・清里高原。フイルドバレエである、
野外と場所ゆえの困難性が付きまとう.
1250Mの標高は演じた一部の人を酸欠にさせる.
雨が降るといろいろと大変である.
舞台がぬれ滑ると危険な状態.
昼夜の寒暖の差で結露ができその水滴が晴れた日でも危険である.
よって床は40度にした。
外気が涼しいので丁度良い.
ただ・・費用がかかる。1千万以上の赤字さえだしたことさえ生じた.
リゾ−トブームが終わり収支が厳しい時期とも重なった.
きっかけは妻子がバレエに縁があり、
川口ゆりこ・今村博明らの
「シャンブルウエスト」の劇団に出会えたことにある.
1990年8月.2日350人。がスタート。収支どこではない。
不思議なことを参加者が共有してきた.
満天の星木々天然の舞台装置
これこそ本来の舞台やも知れない.
ジゼルの悲しき場面に雨が降り出した.全員涙が出た
白鳥の湖で悪魔が出る場面で・・雷鳴がとどろいた.
かぐや姫のとき、姫が月に昇る場面で満月が現われた.
数限りない不思議.
自然の斜面に150坪の平らな舞台
その舞台は大工さん、照明
劇場公演より難しいと自負する舞台づくり。
裏方の仕事を共に味会う出演者、ダンサーの人間的成長
06年17回目は大雨で2000チケットがパー払い戻しの恐怖.
ほとんどが来年に回していただけ、倒産を免れた.
今年は27日から8月9日まで。三つの催し物.
「タチヤーナ」「、シンデレラ姫」「、おやゆび姫」
重度障害者が場面によっては奇声を上げる
それを参加者しぜんの舞台がやさしく包み込む
萌え木の村での野外バレエ。
いつぞやになるやしらねど訪ねることになろう.
かって思想的に過激な言動の浅利慶太をみていたものだ.
若気の至りで左翼皆無の時節柄、リベラルしかない時代には大恥ずかしい.
浅利慶太率いる55年創立の劇団四季。
1964年以来ニッセイの力を借り.ミュージカルを無料で25万人に届ける.
今年は250以上の都市を年間40万人に舞台を届ける.
日産NPOゆうらいふ21もバックアップ。
総右翼化の時期リベラルしか運動形態の深厚はないのかもしれない。
宮崎都城はNHK大河ドラマ篤姫の出身島津家の誕生の地.
降下・島津貴子は平成天皇の妹さん.
その都城に北の代表が初めてお目見えした今年のお祭りのメインとなった.
ねぶたが日向都城に登場した.
夏は疲れる
ダラリと眠い=ねぶたい
ねぶたは元は睡魔を指した
追い払うのは神の災禍受けるので用心。
池田弥三郎著「日本故事物語」
ねぶたの由来を教える.
神の来臨ゆえのお盆眠ってはいけない。.
ねぶた流れよ豆(まめ健康)の葉よ
とまれと歌う
家内の息災を祈った.
まなこの性に善いように
戸田正寿アートデレクター洞爺湖サミットを演出した。
風塵雷神図の絵のことは触れたが、外にも
長谷川等伯松林屏風と光琳ををも対にして部屋を飾り上げたしい。..
国策ゆえスタッフは充実.
コピーといえど本物そのままの趣
京都国際文化交流財団、キャノンが仕切った.
日本美俵や宗達が8月11日から上のおやまでの展示会.
107〜11月16日まで大林琳派展と大賑わい.
上野のお山の国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展が8月17日まで開催されている.
。
美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。
国宝・重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される
永徳の「檜図屏風」に隣り合い、
等伯の「松林図屏風」。
濃く彩られた檜は金地から飛び出す勢い。
片や、涙でにじんだような水墨の松林は、
頼りにしていた千利休と、愛息を続けて亡くした時期の作。
二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。
作者は互いに目を合わさず、正面に群がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。
どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている
この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華」の創刊120年にちなむ。
宗達と光琳、円空と木喰、歌麿に写楽。・・・
文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念と評する論評
花を見て、花となり、やがて華になる。
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
花言葉は・・・・ あなたはすばらしい 崇拝
太陽はペルーの国旗にもある。
日系で大統領にまでなったフジモリの不遇なる現状の身の上をおもうと辛い移民が浮かぶ
宮崎県移住史によれば.
1911年甲斐長蔵は7人でペルーに渡航した。
1914年、チリ、アルゼンチンを経てブラジルに移住
宮崎県ブラジル移住第一号である.
18年串間観次郎が続いた..。
ひまわりの ゆさりともせぬ おもたさよ
竹島の教科書記載が表面化し始めた.
韓国議会では軍隊の駐留は日本との軋轢を招くと国防大臣が否定したものの「実効支配」から「領土守護対策」へ用語を改めた。
竹島に「総合海洋基地」や定住民のための村、
漁民用の宿泊施設を建設し.、
首都圏にも竹島を紹介する博物館を設立する方針なども打ち出した。
・・・と報じてる新聞さえある.、
即触発軍事行動寸前であるが能天気の国は報道機関さえ暑さでか
その程度しか報じない
竹島問題なんだろう韓国大使が帰韓して日本に着任しない.
対馬の遣隋使役を従来韓国の区長が渡対馬して演じてたが来ない.
宮崎でも姉妹都市の報恩郡より連絡.
「少年の交流事業は留保する」
中学生20人相互ホームステイが中止に成る.
93年以来の行事がこれだ。
友好親善は隣国同士の根底に必要である.
国際交流の人脈を大事に育てることである。
もっと近世史の日韓を学ぶべきである.
大アジアの視点は育たない。
それには正確に恐れずおしえることだ。
自虐史観などと非難にめげず真実を隠しては成らない.
日本の皇居に韓国軍が雪崩れ込み、皇后を庭先に連れ出し(みんなが見てる状況証拠)
虐殺、遺骸は焼いた。
事前の恥辱はさすがにブログとはいえ筆にも起こせない惨さは強姦どこではない。.
さぁ〜日本人はどんな感情を持つだろう.
1895年(明治28年)10月8日に公司三浦梧楼
ら日本軍隊と他の与謝野寛ら右翼壮士とともに
当時の朝鮮王朝の王妃、閔妃の暗殺=乙未事変を決行した.
指揮をとったのは杉村濬 (ふかし ) 堀口九万一ら大使館員である.
、
杉村陽太郎は(1884−1939)駐フランス大使、新渡戸稲造の後任として1927年国際連盟事務局次長に就任したが杉村濬 の長男である.
フランス文学者堀口大学の父は堀口九万一。
三浦梧楼の従者与謝野 寛はのちの与謝野 鉄幹。
総理を狙う与謝野馨 の祖父である。
その後、杉村濬 (ふかし )は第三代ブラジル大使で100年前に笠戸丸ブラジル移民に奔走し 堀口九万一は
杉村を補佐した.
明治42年伊藤博文をハルビン駅頭で暗殺した安重根は暗殺理由の第一として閔妃は伊藤の指示
により殺害されたからといっている。
DOU YOUR BEST AND IT MUST BE FIRST CLASS
最善を尽くせそして一流たれ
あちこちでの大小の夏祭りはオラガクニサの自慢の種.
故郷の村から出て行ったものには永久のノスタルジー
夏は平和の季節.DNAの連鎖の祖先を遠く偲ぶ。
そこに世界の文化が加わる.
下町浅草にはすっかりブラジル・リオのサンバの熱意がさまになってきた.
本場では豊満なる乳房の100パーセント露出は当たり前の開放感.
性器のみが隠されてるだけのサンバの熱気を週刊誌カラー写真が伝える.
.
貧困ゆえに選ばれたものだけしかの部分さえ今だ持ち合わせているので
よりカーニバル参加を精一杯誰憚ることなく楽しむには背景があるのだ.
甲子園の熱闘が屋内球のドームになったらどうなるんであろう.
文化は逆があるのか.
華麗なるバレエが野外バレエとして毎年19回も演じられてきた
舟木上次の熱意になる。
冒頭の言葉が苦しいとき背中を押す.
今日日経文化欄にある。
野外バレエが演じられてるのは
避暑地・清里高原。フイルドバレエである、
野外と場所ゆえの困難性が付きまとう.
1250Mの標高は演じた一部の人を酸欠にさせる.
雨が降るといろいろと大変である.
舞台がぬれ滑ると危険な状態.
昼夜の寒暖の差で結露ができその水滴が晴れた日でも危険である.
よって床は40度にした。
外気が涼しいので丁度良い.
ただ・・費用がかかる。1千万以上の赤字さえだしたことさえ生じた.
リゾ−トブームが終わり収支が厳しい時期とも重なった.
きっかけは妻子がバレエに縁があり、
川口ゆりこ・今村博明らの
「シャンブルウエスト」の劇団に出会えたことにある.
1990年8月.2日350人。がスタート。収支どこではない。
不思議なことを参加者が共有してきた.
満天の星木々天然の舞台装置
これこそ本来の舞台やも知れない.
ジゼルの悲しき場面に雨が降り出した.全員涙が出た
白鳥の湖で悪魔が出る場面で・・雷鳴がとどろいた.
かぐや姫のとき、姫が月に昇る場面で満月が現われた.
数限りない不思議.
自然の斜面に150坪の平らな舞台
その舞台は大工さん、照明
劇場公演より難しいと自負する舞台づくり。
裏方の仕事を共に味会う出演者、ダンサーの人間的成長
06年17回目は大雨で2000チケットがパー払い戻しの恐怖.
ほとんどが来年に回していただけ、倒産を免れた.
今年は27日から8月9日まで。三つの催し物.
「タチヤーナ」「、シンデレラ姫」「、おやゆび姫」
重度障害者が場面によっては奇声を上げる
それを参加者しぜんの舞台がやさしく包み込む
萌え木の村での野外バレエ。
いつぞやになるやしらねど訪ねることになろう.
かって思想的に過激な言動の浅利慶太をみていたものだ.
若気の至りで左翼皆無の時節柄、リベラルしかない時代には大恥ずかしい.
浅利慶太率いる55年創立の劇団四季。
1964年以来ニッセイの力を借り.ミュージカルを無料で25万人に届ける.
今年は250以上の都市を年間40万人に舞台を届ける.
日産NPOゆうらいふ21もバックアップ。
総右翼化の時期リベラルしか運動形態の深厚はないのかもしれない。
宮崎都城はNHK大河ドラマ篤姫の出身島津家の誕生の地.
降下・島津貴子は平成天皇の妹さん.
その都城に北の代表が初めてお目見えした今年のお祭りのメインとなった.
ねぶたが日向都城に登場した.
夏は疲れる
ダラリと眠い=ねぶたい
ねぶたは元は睡魔を指した
追い払うのは神の災禍受けるので用心。
池田弥三郎著「日本故事物語」
ねぶたの由来を教える.
神の来臨ゆえのお盆眠ってはいけない。.
ねぶた流れよ豆(まめ健康)の葉よ
とまれと歌う
家内の息災を祈った.
まなこの性に善いように
戸田正寿アートデレクター洞爺湖サミットを演出した。
風塵雷神図の絵のことは触れたが、外にも
長谷川等伯松林屏風と光琳ををも対にして部屋を飾り上げたしい。..
国策ゆえスタッフは充実.
コピーといえど本物そのままの趣
京都国際文化交流財団、キャノンが仕切った.
日本美俵や宗達が8月11日から上のおやまでの展示会.
107〜11月16日まで大林琳派展と大賑わい.
上野のお山の国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展が8月17日まで開催されている.
。
美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。
国宝・重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される
永徳の「檜図屏風」に隣り合い、
等伯の「松林図屏風」。
濃く彩られた檜は金地から飛び出す勢い。
片や、涙でにじんだような水墨の松林は、
頼りにしていた千利休と、愛息を続けて亡くした時期の作。
二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。
作者は互いに目を合わさず、正面に群がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。
どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている
この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華」の創刊120年にちなむ。
宗達と光琳、円空と木喰、歌麿に写楽。・・・
文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念と評する論評
花を見て、花となり、やがて華になる。
九州地区ブログランキング参加!
・・・元気ください・・・
お願いいたします
プチッ!
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
コメント