わからぬこと。

2008年8月29日
かって台風常襲地の台風銀座と言われていた宮崎に台風が来ない。
ここ二〜三日クーラーなしでも過ごせるギラギラ太陽なしの涼しき宮崎。

昨夜29日愛知名古屋では「避難勧告」「自衛隊出動要請」と宮崎では今では懐かしささえある言葉をきく。
現に人ひとり亡くなられたようである。戦争災害で死ぬのは年寄りと子供。 

大雨の様を表現するのに「バケツをひっくり返したような」と言う。
そのときは「30mm」である。
せきやん流の「ワイパーがまにあわない」が「50mm」。

岡崎で「146mm」、
関東多摩・町田で「110mm」
岡崎では14万世帯の避難勧告。

アナウンサーは興奮してて続ける。
長野で「30mm」京都丹後で「33mm」

「猛烈な雨」「記録的な」とか言ってて島根岐阜関東一円・・
はたまた仙台とかの地名の連続で何を言ってるか解らない。

「30mm」と「140mm」を同列で喋る程度ゆえ
この人北海道とかの出で、実体験はないのであろう。

緑、南区、三宮岡崎愛知の至る所30万世帯の避難勧告。、神奈川相模原・・堤防決壊・・
スーパーあずさは運転見合わせ。あずさなので新宿〜山梨なんであろう。

堤防決壊にはノスタルジックな響きがある。
堤防は馬牛だけでなく人様の食糧の宝庫。

春はスイスイゴンボ、ツバナ、サドガラなどを食した。
ヨノギは餅に入れので摘み持ち帰った。
外にもガナナ、野いちご実に多くを手短に食した。

その堤防が台風時に根本から或いは水量が増して堤防のかさを超して
オーバーホローでむらに押し寄せる。
堤防は案外脆くその現象が何時間も続くとひび割れ決壊する。
幼少時の砂遊びで経験したことの自然の猛威である。
三財川の堤防はよく決壊した。

決壊箇所から濁流が集落に押し寄せる。
床上浸水に備え畳は土間の上にある釣り天井みたいな床に既に緊急避難で備えてある。

数年前の宮崎来襲の台風14号で畳の山をみたが
家の造りから備えになってない現代生活形態。

では人はなにをするか。
農家故大変である。
庭の中央部は雨を逃がすため集める構造上ナチュラルに低い。
幼子が牛馬を逃がすため膝ぐらいの時牛舎から引っ張って手綱をひいてると
庭の中央部にさしかかる。

増える水で首を超える深さと低地の中奥部で背が届かない
泳いでる牛に便乗で捕まって必至の形相。
カナヅチではないはずだが衣類を着用してるので溺れてる状態。

避難できるものは数少なく村中が水浸しで逃げようもない。
わずかに高いところを探し膝までのところで茫然としていた。

消防団の自営組織は生命と財産を護ってくれる集落内の大人達で構成されている。
護ってくれるのは市町村でなく自営組織。

ただ堤防決壊には流石にその場での緊急対応で決壊が治まるものではなかった。
何日か後に決壊現場をみるとパックリと堤防がなくクチを開けていた。

農家の敷地は庭もあり随分と広い。
広い庭は農業の一部で資産でカウントするものではない。

この時期は刈り取った収穫物の籾の天日干しの作業場。
片隅の相撲土俵も牛などの繋ぎ止めるところも前部使う。

ムシロごとに保管所から出してお日様に乾す。
書くとこれだけだが作業は大変。

一斗缶で運び出す。幼少故これがズッシリと重い。
そのままでは富士のお山状態で意味がない。

ギザギザの山形のもので籾を波形にムシロからこぼれないようにひく。
籾での京都の竜安寺石庭状態にする。

直すときはまず右かららムシロを両手を大きく開いて持ち右から左と籾を中央部に寄せる。
、右折り曲げ三分の一が終わったら、ムシロ左手側にまわり同じ作業で三分の一の作業で真ん中になっている。

それを一斗缶に移し30KG位入るかまげに入れ保管場所に運ぶ。

天日干しの籾の米は味がが違う。
炊き出したときに「プ〜ン」と香ってくるお日様のにおい。

そりゃぁ〜そうだろう。
この作業が自然まかせなので大変。

あの頃はお昼ごろと夕方に必ずと言っていいほど入道雲が沸きだってくる。
「ゴロゴロ」と天が騒ぎ出したらネコの手も借りたいほどの大騒ぎ。
雨にあったら元も子もない。

最後のほうは終了間際で雨に濡れるのが常。
あちこちに散らばって農作業してる家族一同も這々の体で飛んでかえって大勢でもそうである。

ようしたもんで通りがかりの人々も急遽お手伝いの風習があり助けていただく。
もちろん無報酬、無垢の村の財産。
労働の貸し借りの「かてり」ほどはいかないが不文律の道徳律。

たま〜〜に「こ〜てこい」
ビックリする伊藤博文か板垣退助だったか百円札が渡される。。
アイスきゃんでぃーがわたることがある。

その頃は色んなものに貨幣価値があった。
大福帳の貸し付け帳簿が出たらお恥ずかしいのをおさえていく。

籾殻の箱に入った卵十個を渡されることもある。
一個10円で引き取ってもらい100円の買い物。
物物交換である。
あれから50年以上も過ぎてるがいまだ卵は10円。
卵が物価の優等生と言われるゆえんである。

ちなみに殻の表面がガザガザしていれば産み立て。
新鮮さのない卵は殻がツルツル。

買ってくる形態は色々でもアイスきゃんでぃーには変わりない。
全身汗ビッショリが一変に吹っ飛ぶ。
一本5円のアイスキャンディー。
砂漠における末期の水の如き。甘露寒露。

宮崎の見慣れた青空をバックの入道雲。
これも南の国特有の雲のようで、それも日本海側でもこのような
ニョキニョキの面白く形を変えて沸き上がる雲はないらしい。

温暖化でかなり気候の変更が起きてるようだ。
鹿児島よりの都城の稲作は普通作で刈り取りの済んだ宮崎米の早期水稲と違いお日様のほしいところ。

ところでこの大雨「避難勧告」は土建業者は死活問題の大喜び。
隠語でボーナス、お年玉と呼ばれている。

旧建設省内にある予算で復旧事業で仕事が出るからである。
昨日に書いたことに後日談があった。

「建設業界 我慢の限界」
入札改革見直しを目指し3000人集会を来月2日にとある。
昨年8月県庁内に座り込みを企画したら1000社にタイして10人が集まったのみ。

東国原知事の入札改革に異を唱えている。
最低制限価格の引き上げと予定価格の事後公表を求める。

大会には知事も出席する茶番。できレース。
そのハズデ建設業界の専務理事は渡辺孝明と元土木県幹部。

一般競争入札は測量業者と前知事の事件から改革実施されてきた。
知事も初心を忘れての政治家になっている。
全体のパイの問題には言及してなく、これが宮崎の経済を立て直すになるものではない。

その政治は奇怪なる新聞の一面である.
小沢立候補のとなりに渡辺ら5人が民主離党新党とある。

面子の政治家にはえらいはなむけ.
ただどうなんであろう.比例でつまり政党で当選したのが3名。

地方区なる個人で当選したのは岡山の姫様。ただあのトラ退治で片山寅之助を制したわけで全党上げてのこと.

真に個人で当選したのは松下新平=宮崎地方区のみではないか.
原職を破るサプライズ。
東国原選挙の前で宮崎県民はビックリであった。.
この時期になんたることか.

プチッ!
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