軌跡

2008年8月31日
「ドクトル」とくれば映画好きの団塊の世代には「ジバコ」と続けよう。
デビット・リーンの名作は「タラのテーマ」の音楽だけでも哀愁をこめる。

もう一人は「秋山」或るいは「ちえ子」、と続けるはずだ。
青春期に悩み相談で誰もが記憶する。
秋山ちえ子は91歳で今も矍鑠(かくしゃく)。
一徹している仕事に「かわいそうなぞう」を終戦の日のラジオで朗読したと新聞が教える。

作家・土家由岐雄が児童向けに書いた東京上野動物園のゾウの話。
空襲で街に逃げ出さないよう殺されたぞうの話は
東国原知事の前の安藤知事のお母さん・安藤千枝先生が詠んでくださった。
永井隆博士の「この子を残して」とともに記憶に残る読み語り.
三つ子の魂百までの言葉を思い出す。

太平洋戦争末期上野動物園のぞうは最終的に餓死と決まり、やせ衰えながらも
えさをもらおうと必死に芸をする姿が、戦争のむごさを伝え涙した記憶である。

その秋山ちえ子の朗読がCDになったそうだ。
英語版も一緒に収められ、米国の歌手・シンディ・ローパー(55)が担当した。

本土を空襲された経験がない米国の人たちがどう聴くか。
イラクから引き上げようとの民主党オバマとイラク戦継続の共和党の対立の一番の政策の差だ。
共和党女性副大統領の差で共和党が逆転の様相を感じ取る米国のそこ力をみる。

山本達雄の物語が英語で出版された。
「ザ・キーパー・オブ・ザ・フレーム」(中村学園大教授・飼牛(かいご)万里著、海鳥社)

被爆直後の広島で見つけた火を携帯カイロに移して、故郷の福岡県星野村でともし続けた。
その「原爆の火」が今も燃え続けている、

原爆の火を残した男・山本にとって、当初火は米国に対する憎しみの象徴でもあった。
自ら被爆者として苦しむ歳月が「怒りの火」を「平和を祈る火」に変えた。

ブラジル日本人移民百年の原爆パネルをみたブラジルの若者の話しを聞く。。
「何故日本はその経済・技術力でアメリカに報復の原爆を落とさないのか理解できない」

憎しみが怒りの連鎖を生む紛争、戦争の連続。
世界はいたるところ、戦争の火種が絶えない。

農業で手助けしてて物取りに虐殺された日本の若者。
アフガンの平和活動も躊躇されよう。

悲話、悲劇が繰り返される。
だが戦後63年が過ぎても日本から発信されるものは古びない。

この国は8月が終われば平和の声が急速にしぼむ。
平和の国は来年の8月まで待たねばならぬのか。

日本は米国の要請によりインドの原爆を認めようと動いている。
福田総理のヒロシマ、長崎の言葉は何であったのだろうか。

プチッ!
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