みえざる手・・

2008年9月8日
相撲が土俵外で賑わっているようじゃぁしょうがない。
北の湖が店賃が高かった理事長ポストを降りた。
ロシアの追放力士決定に人情が入りすぎた。

身の丈にあわせ、置れてる立場で運営しなければ世相がついてこない。
マスコミに媚びる情況が存在してる社会の異常さ故仕方ない。
実にマスコミのいい加減さは困ったものだ。

共同通信の支離滅裂な実正なき記事なれば、各社同じながらの紙面
百花繚乱にするには記者魂の百鬼夜行が真実に迫れるが望むべきもない。

 朝毎ヨミ終え2K(日経)3K(産経)。

新聞の顔は社説。
ここでもどこも右ならへの共同記事で大差ない新聞。
そこに異変があったこの何日か。

平和が基本に核廃絶がある。
インドの核兵器を認めるいい加減さ。
 原子力供給国グループ=NSGの日本など45カ国の総会
、核拡散防止条約=NPTに参加していない核兵器保有国インドへの原子力関連輸出を認めた。

 最後まで承認を渋った国々には、ブッシュ米大統領自ら説得工作を展開したという
核兵器の不拡散をめぐる国際社会の良識が、米国の圧力によってねじ曲げられた
このように
読売の社説が久しぶりに輝いている。

インドのみなぜ特例するのかという。
核の拡散で北にさえモノがいえなくなる。
読売渡辺恒夫の若かりし頃、番記者時代の政治の師大野伴睦を想い出したのか。

不思議なことにこのインドの問題に日経は別としても近々の社説で触れてない朝日。

この時期悪いときにグルジアの日本大使館設置を決めたこともそうだ。
北方領土交渉のの最中の間の悪さ。
この国には国益成る言葉はない。

他紙の社説になき広島の記事で満足しているのであろうか。
広島市で開かれたG8下院議長会議=議長サミットで、一行が原爆慰霊碑への献花を終えて戻ろうとしたときのこと。
米国のナンシー・ペロシ下院議長はもう一度慰霊碑に向かい、胸の前で小さ十字を切った。アサヒの社説のみノ記事。

総裁戦も同じモノ。面白くもない。

福田内閣が身を引くのはその自民党を二分する小泉の負の違算の綱引きにある。
上げ潮派と財政改革派とである。
前者は小池、石原であり、後者は与謝野さらに立場を少し変えた麻生。

フクダさんちのヤスオ君・・どう〜したのかなぁ〜。
再び劇場型で全国踊っているこの状況。

踊る大総裁選空騒ぎ。
太陽族元祖の寵児あり
町衆注目の小池姐御。
「ライスに負けぬマダムスシ。」
大宰相、大歌人の孫あり、
太一ちゃんバッジつけてます?
プラモ戦闘機遊びオタクは生活の目線なし
恩義、恥を知らぬ岐阜二区棚橋は官僚の親譲りの横柄さ。。
ナベツネさえ睥睨した郷里の大先輩。
羽島の大野伴睦銅象が泣いていよう。
どこにもみえぬきかぬ、政策なし。

「私を野球に連れてって野球は一人ではできません」
「私はずっと直球勝負」「球(ボール)を探しに行ってきます」。
意味深?それにしては小泉の影で 球筋読めぬ、渡り鳥的七色の変化球
小泉次第でサプライズ?。

棚橋ジュニアは通産省を辞めるとき選挙立候補のハク付けで騒がれた張本人。
背景の田中角栄6奉行の小沢一郎vs梶山静六=「一・六戦争」を勃発させた。小高正志著「夜に蠢く政治家たち」エール出版社詳しい。
棚橋ジュニアが総裁戦に立候補し小沢に対立するはオヤジの時代から

通産次官のオヤジ祐治は84年に孫正義とくんで
東大の坂村健教授によって提唱された日本版OS・トロン=TRONプロジェクトを潰した国賊。
「孫正義・起業の若き獅子」 大下英治 講談社で明か。

この時にもう一人、トロン潰しに加わっていたのがソニーの盛田昭夫
半導体は自分とこのソニーで開発したのにNEC、東芝が盛況に逆恨み。
田原総一郎の「新・日本の官僚」で明か。

通産官僚オヤジ棚橋は高杉良の小説「局長罷免」講談社 ¥579 に詳しい。

 衆議院・参議院・合計
町村派61・・21・82
津島派46・・10・56
古賀派38・・。8・46
山崎派32・・・3・35
伊吹派19・・・6・25
高村派14・・・2・16
麻生派13・・・2.15
二階派13・・・2・15
谷垣派12・・・3・15
無派閥57・・21・78

国会議員票387(衆院議員304人、参院議員83人)
都道府県連票141(各県連3票)の計528票
22日が開票日。
いざ戦わん!

盤面での戦いは将棋。
その将棋界が賑わっている。

名人位をライバルの永世名人森内から奪取し永世名人位を取得した羽生永世名人。
再び7冠をに手が届かんばかりの勢い。

そこに又ニュースである。

西川慶二・七段(46)の長男・西川三段がリーグ戦で優勝して四段に昇任。
晴れて棋士になった。

親子でのプロたる、将棋指し棋士の誕生である。
子ともに現役の棋士が誕生するのは資料が残っている1950年代以降では初めて。
好津家、通の話では親子棋士は6組目らしい。

師弟の対決はあったが確かめてはいないが
記憶からは親子の対決はないハズだ。。

プロへの登竜門は奨励会に合格して年齢制限の中での四段が条件。
東京大阪の東西で180人。そのうち4段になれるのは2割。
西が盛況で昨年の糸谷、豊島(18)が四段になり

村田(21)がつづいた。
師匠の中田章道7段が富山出身で父親の関係で富山魚津出身でもある。

宮崎の小学生名人・都成竜馬は元アマ名人吉田正和とともに3段リーグに参戦。
順調に成長してきた。
5級・3級を6勝負けなし、1級は14勝5敗
18年に12勝4敗で初段通過、19年2段を12勝4敗。
ただ、3段リーグ前期8勝9敗34位と惜敗を嘗めた。

師匠谷川浩二の薫陶を受け前途洋々。
日向は勝負の剣聖の生地その血が騒位でいよう。

塚田門下江戸の人・藤森(20)神吉門下・吉田(21)西村門下青森の人小泉(18)
ライバルにはことかかないプロの卵3段リーグ。
晴れ舞台はもうそこである。

地元紙がスポーツ人みたいに書かないので情報が不足している。
そのスポーツ紙も協同記事で読むに耐えない。

投手として甲子園歴代トップの20勝は桑田真澄(40)の栄光。
打撃でも高校通算25本塁打。
その息子・真樹が桜美林でデビューした。

内角高めを飛距離110mで観戦してた父を唸らせた。
「(甘かった)初球を打たなきゃダメだよ〜。
  でもあの(打球の)高さでよく越えたね。飛距離は負けるな〜」。

四球、捕邪飛のあと、四回二死二塁から左前適時打を放ち、3打数2安打3打点の活躍。
四回には二盗も決め快足もアピール

1メートル79、70キロの体型は更に進化
母親真紀「太ももなんかすごいのよ」と驚くほど成長し、パワーもついたという。

北京はオリンピックに沸き、パラリンピックの開催中。
1920年の北京にキリスト者・清水安三、郁子が貧困に喘ぐ女子を対象とする実務教育機関・崇貞平民工読学校を朝陽門外に開校
(翌年崇貞女子学園に1938年に崇貞学園と改名)。
小学校や中学校を併設し、在華日本人にも門戸を広げた。

桜美林はキリスト者・清水安三、郁子の1917年に中国・大連へ渡り、布教活動を開始にある。。

敗戦と共に帰国、東京町田に
「キリスト教主義に基づいた国際的な教養人の育成」
を建学の精神とする桜美林学園を創立する。
桜美林は母校米国オベリン大学のオベリンからの名前。

「学而事人<学びて人に事う>」
<学問は、自分の利益を計るために為るのではなく、社会に役立てるために為るものである>

「夢を見よ夢は必ずなるものぞ、うそと思はば甲子園にきけ」
                       清水安三
我らの世代には甲子園初出場で初優勝の記憶が抜けない。

詳しくは「朝陽門外の虹」/山崎朋子/岩波書店/
桜美林に託すた桑田真澄もみずからを投影して偉き子育て。

イベントの始まりは力道山が老若男女の4000万人を魅了したプロレスリング
福田総理になく小泉にある大きな差である。
総裁戦をその様に利用している。

ブログカラ。
ノア:東京大会は6日◇東京・日本武道館◇1万1500人 で開催された。

 佐々木健介(42=健介オフィス)が史上初のメジャー3大タイトル制覇を成し遂げた。
ノアのGHCヘビー級王者・森嶋猛(29)を22分2秒、北斗ボムからの片エビ固めで撃破。

新日本時代の97年8月に故橋本真也から奪ったIWGPヘビー級王座初戴冠から11年。
07年8月には全日本の3冠王座も奪取。
トップレスラーとしての実力を維持し続け、
ついに前人未到の偉業を達成した。

 自分より30キロも重い145キロの巨体を担ぎ上げた。
佐々木はこん身の力を込めた北斗ボムで、
王者をマットにたたきつけた

さぁ〜沖識名、あるいは審判の時のグレート東郷・・のスリーカウント
レフェリーと場内の声が1つになった3カウント。
「ワン・・つ・・スリ〜〜・・」

 31歳で新日本のIWGPのベルトを巻いた。
それから11年の歳月をかけて全日本の3冠
、そしてGHCの3大メジャー王座を制した。

天竜の助言もあり妻を中心に新たなる団体の立ちあげ。
03年12月のフリー宣言以来、団体の枠を超
えて手抜きなしの全力ファイトで戦ってきた。

06年には左目眼窩(がんか)底骨折の重傷も負った。
それでも戦い続けた。

この日の22分2秒には苦闘のプロレス人生が凝縮されていた。
見守った妻の北斗晶(41)は「いっぱい挫折もあった。
ここまでこれたんだなあと不思議な感じ」と振り返った。

 デビュー23年の大ベテランだが、キャリアにあぐらをかくことはない。
今も試合前の準備には全力を注ぐ。
今回は森嶋の必殺技「岩石落とし」

対策に、同技の名手だったマサ斎藤氏の指導を仰いだ。
新団体の顧問二迎えた。
防御法はもちろん低い体勢からねじるように投げる攻撃法も学んだ。
この日、森嶋から受けた同技は
1発のみ。逆に佐々木は同技で3度王者を投げ飛ばした。

 8月末には福島・いわき市で1泊2日の合宿を敢行。
消波ブロック上でのスクワット海中でのスパーリングなど、
練習で貪欲に新たなメニューを取り入れている。

この向上心こそが佐々木の強さを支えている。
快挙にも浮かれた様子はみじんもない。
「おれはだれの挑戦も受けますよ。明日でもあさってでも、どこでもやってやる」。
新王者の叫びがリングにこだました。

塩谷正人のレポートは真迫に迫っている。

プロレスってショウではなかったの?。
なんだこの真剣さ。佐々木健介!ここにあり。

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