おかしな時代だ。新たなる名言の一つになろう。
リーダーの条件は今や自分の像をテレビにどう映し
視聴者の心にいかなるイリュージョンをつくり出すかに在る。
バーチャルの世界に在る自分も自戒せねばならぬ。

小池百合子を書いていたが管理者の「大改革」に戸惑い
アップに何度か失敗してその内に状況は一変。
勝ち馬に乗れ!の言葉が生きて麻生の一回目総裁選投票できまりのようではある。

小泉が舌も渇かぬうちに小池支持の馬脚を表しても流れに竿させはせぬ。
よって総裁選で一回目投票で過半数にならないときで続けてみたい。

町村派は四代続けて総理を出してきたがこれで「ノーサイド」は無理であろう。
事務総長の中山成彬は宮崎の人。群馬生まれの拉致大臣中山恭子の夫。
宮崎一区には民主推薦に前回知事選に敗北した林野庁長官川村が立候補した。
町村派の胡散霧散どこれではない分裂劇。

米問題を福田総理は知ってたのは当然であろう。
三笠フーズが全量の24パーセントで残り76パーセントは
当然小学校や福祉施設、病院に流出は予測できる。

これは全国、宮崎中山の選挙前にも穏やかではなかろう。
その選挙の在り方である。

アメリカの影響は世界を席巻する。
選挙スタイルも同じようになってきた。

それを意識している人とそうでない人との間には大きな開きが出る。
あの永田町でたった二人それを常に考え、実行している人がいる。
小泉純一郎と小池百合子である。

その巧みな能力はその能力なき人と残虐にも対比し、晒される。
最もその能力のない久間章生防衛大臣の後に小池百合子を象徴的に55日だけ据えた。
米国軍事産業に棹さす自主防衛の施行思考者は守屋次官、久間大臣と
スキャンダラスをセンセーショナルに報道され排除された。
小池の大物ぶりにハクをつけるための日米の黒幕の演出。

これでライバルに差をつけ、彼女をいきなり大ものに持ち上げた。
明瞭なトーク、落ち着いた物腰いつも微笑をたたえるチャーミングさと抜け目ない。

表現力に乏しくカラ元気を装っているにしかか見えない与謝野、さらに麻生。
防衛のみ述べるオタク、坊ちゃん石原5人の総裁候補でぬきんでて対照的である。
それはそうだろう。
ニュース番組「ワールド・ビジネスサテライト」初代キャスター。

2005年、郵政民営化法案に反対した小林興起の対抗馬として、東京10区に立候補し勝利。

防衛問題で揺れたこの国のことを想い出してもらいたい
わずか一年前のことだ。
何故惹起したかである。

8月9日米国を訪問した小池百合子防衛相は、
ライス米国務長官と会談。

「私を日本のライス長官=Japanese Riceと呼ぶ人がいるが、ジャパニーズ・ライスといえば寿司。
私のことを「マダム・スシ」と呼んでください!」

日本で悪評高きこの小池発言の裏に潜んでるモノ。
、アメリカ側での評判はどうなのか。
「宗主国」アメリカはこの恥ずべき売国者の恭順を示す媚びる姿勢を喜んだことだろう。

新渡戸稲造の武士道を諳んじてれば
「愛(う)いやつよ・・のぅ~」
年配者には
「ギブ・ミー・チョコレート」と写り好意的であったろう。

ここまでになれば流石に
「勝手に米国に行って自己宣伝」
と一定の判断のマスコミ論調の日本の常識も働いた。

それは正鵠でなく紙背を読んでいない。
小池百合子は米国から呼びつけられ踏み絵を踏まされたのだ。屈辱の日ゆえにである。

新聞記事。
2007年8月11日
訪米の小池防衛相、異例の厚遇 要人ら、次々と会談

 小池防衛相が初訪米で米政府から異例の厚遇を受けた。
主な目的は国防長官との会談だったが破格の扱い。
ゲーツ国防長官、
チェイニー副大統領
ライス国務長官、
ハドリー大統領補佐官
ら要人との会談も次々とセットされた。
もしかしたら将来、外相や首相になるかもしれないという
風評がワシントンで広まっている事情もあったようだ。

 チェイニー副大統領。
「(地元の)ワイオミングに行く予定だったが、予定を変更してお会いすることにした」。

アーミテージ元国務副長官
「私が講演すると、最初に小池氏に関する質問が出るほど注目度が高い」。

 小池は訪米前、自らシーファー駐日大使に日程調整を頼み、到着後も防衛省職員との食事会をキャンセルして
ボルトン前国連大使ら十数人の米国人脈の集まりに変更した。
現役閣僚といえども、これだけの厚遇を受けるのは、まさに異例中の異例。
 9日には有力シンクタンクで講演、あのマダムライスが飛び出す。

小泉相がテネシー州メンフィスの故・エルヴィス・プレスリー邸で腰をクネクネさせてみせた国辱「あの時」以来。

国内で突然の行動を非難を受けた「勝手に」行ったのだとしたら、ここまでの待遇はしてくれないハズ。
前もって米国側から
「チェイニー、ライス、ゲーツに会わせてやるから、ぜひ来なさい」
とオファーがあったに違いない。
もちろん小泉も後押ししたフシが在る。。

アメリカには小池に属国・日本の首相になって欲しいという「空気」があろう。
何故か。属国の傀儡に都合のいい人材それだけである。
350兆円の郵貯資金を差し出した小泉後を睨んでいる。

「空気」を読むことには天才的な才能を持ちあわせてる「マダム・スシ」の小池百合子ゆえ
、米国側が自分に期待を寄せていることは一瞬にして読み取ったハズ。

「アメリカ様」が私を日本国総理大臣にしてくださる!」
思わず感極まって、スペシャル版リップサービスを行なった訳だ。

「8月9日」小池とライスが会談した日。
実はこの日が国家、外交には大事なのである。

長崎出身でありながら失念してる久間防衛大臣以外は
愛国国民の日本人は誰でも知っていよう。
熱狂的甲子園でさえ試合は中断し、祈る。

長崎に原爆が投下された日。

日本国内には先輩らに祈りをせず
「原爆記念日にアメリカにいってチャラチャラしてるとはなにごとか?!」極めて不人気。
当然米国支配者はその日を意識してのこと。
「たまたま」なぞ政治の世界に金輪際あり得ない。

偶然?笑止!忘れるはずのない屈辱。
今を踏み出した歴史さえ抑えてない政治家らしい。

1948年の 極東軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名の絞首刑執行。
丁度皇太子=現今上天皇の誕生日に処刑執行日を合わせた。

12月23日は、現天皇(当時は皇太子)の誕生日。
「オレたちにまた刃向かうようなことがあったら、次は皇太子を処刑するぞ!」
という露骨きわまる恫喝の日を愛国国民はワスレマジ。
小池・靖国参拝などチャンチャラ可笑しテケレッツ~ノパ~。

62年前のその日をふまえて
「歴史的事実」を積み上げを意図的に演出されてるのも知らぬのか。
「8月9日」それを知らずして総裁候補どころか日本の政治家失格である。
しっかりと日本の外交史に残る汚点である。

節操なき政治遍歴には品格も国益もなんもあったモンではない。
「豚に口紅」の大統領選でも立候補するが良い。

節操なき政治遍歴。自民党の人材不足。
きわめて異常なる所属政党の変遷。

1992年、日本新党公認で参議院選挙に立候補し、当選(比例区)。

1993年、日本新党公認で衆議院選挙に立候補し、当選(兵庫2区)。

1996年、新進党公認で衆議院選挙に立候補し、当選(兵庫6区)。その後、自由党に入党。

2000年、保守党公認で衆議院選挙に立候補し、当選(兵庫6区)。

2003年、自民党公認で衆議院選挙に立候補し、当選(近畿比例ブロック)。

野田聖子佐藤ゆかり程度なのに、何故厚遇されるのか。
、小泉政権における最大の「功臣」のひとりゆえだ。

小泉純一郎・竹中平蔵両氏による強引な「郵政解散総選挙」の際、
真っ先に「刺客」として名乗りを上げ、
選挙区を兵庫6区から東京10区に移すことまでした
「郵政民営化」反対勢力の象徴的中心人物。欧州におけるダンヌダルク。

身体を張って命がけで売国政策に反対した真の「国益擁護派」
通産官僚の出の国家真の自民党を支えるべき小林興起衆議院議員を討ち取った

東大法学部から通産省、政府派遣留学生とし米国ペンシルベニア大学でMBA(経営学修士)を取得
「地盤・看板・カバン、」なにもない非世襲議員で親米、
初当選は通産省を退職してから落選経験4回、足掛け8年後。

「郵政民営化」とは「郵政米営化」
「民」は「民」でも、米国の「民」『主権在米経済』小林興起著)。

「年次改革要望書」は米日政府間で毎年交換されている正式な外交文書で政権外の政治家はそのテキストの存在さえ知らなかった。
「主権在米経済」「郵政米営化」「貢ぎ続ける日本」「日本はカネだけがあるアメリカの保護領 属領 」
「植民地」と親米ゆえに現状を憂える。
パブリックが担うべきユニバーサル事業の郵政事業。

現在では小泉・竹中による「郵政民営化」とは
「国民の財産を米金融資本にそっくり献上」せんとする売国的な政策
郵政マネーには関心があっても、郵便事業そのものには関心がない事は少しづつ明らかにされている。

ラムセス・ヒルトンは エジプト・カイロ・ナイル川に面した三角形の高層ホテル。
カイロ考古学博物館のすぐ前という格好の立地条件で、どこに出かけるにも便利。

その別館「ラムセス・ヒルトン・アネックス 」に本格的なショッピング施設やレストランが揃い日本料理店がある。
名前は「新ヤマト」。
和風の店内はいつも在留邦人や日本人観光客でいっぱいだ。

オーナーは小池勇二郎(85)小池百合子の父である。
兵庫県芦屋市で石油関連の貿易会社を営んでいた。

自宅の書棚には中東に関する専門書が並び、父は幼かった小池と兄に口癖のように
「石油資源に恵まれない日本は、つねに中東情勢に揺さぶられてきた。戦略を持たないといけない」
と語りかけた。

 祖父も米シアトルで修業した貿易商。
若き日に単身でのエジプト留学を決行した小池は「世界を見てやる」は3代にわたるDNA。

これから触れる数奇な人生をたどった父親との
関係が、いまの小池百合子を生み出したいえよう。

小池勇二郎はカイロ在住。
海軍中尉、満鉄経理部を経て復員後、ペニシリン販売で成功し、石油会社などを経営。
関西経済同友会の幹事をつとめた。
ナセルが大統領のころから貿易を通じてエジプトと縁があった。

1969年、リビアのカダフィに短波の聴ける日本製ラジオを大量にプレゼントした。
そのころ「青年作家・石原慎太郎を総理に」という運動に参加、
総選挙に出馬したが、惜しくも落選した。

それが、小池一家の運命を大きく変える。
事業にも陰りが見え始め、やがて行き詰まり、
最後に選んだのがカイロへの脱出だった。

百合子は1971年9月、関西学院大学社会学部を中退。
一家は芦屋を去り、エジプトに渡る。
そして、彼女の特異な経歴を彩るカイロ大学への入学となるのである。

父の挫折がなければ、百合子は芦屋のお嬢様のまま関学を卒業し、
お金持ちのボンボンの奥方に納まっていたかもしれない。 

 勇二郎には別の顔もあった。
同い年生まれで沖縄や北方領土の返還を歴代政権に
働きかけたロビイスト末次一郎の経済的支援者だった。
あの影の立役者瀬島龍三と並び立つ末次一郎である。

中野学校の教官・吉原政巳は陸軍士官学校で瀬島龍三と同期
小野田寛郎、末次一郎は中野学校の静岡・「二俣分校」出身。二俣校1期生、

中野学校の校是ともいう「赤きこころ」、「誠を貫く」
中野学校・本校は昭和20年に入って、群馬県・冨岡中学に疎開
市川雷蔵の陸軍中野学校の映画に「そぅだったんだ~」と秘密組織の裏面史を想像したモノだ。

69年には衆院選に兵庫2区立候補。
惨敗した挙げ句
三島由紀夫の「盾の会」にも肩入れして身上をはたく。

「友達の友達がアルカイダ!」と法務大臣の東大金時計組
の人がいた。
この人の付き合いは青春時代からで繋がりはアラブ仕込み半端じゃぁない。一族のなしたるDNA。
確証が今できぬのでやめる。

定数 5 / 立候補者 : 12

得票数
120632 原 健三郎 62 自由民主党 前 著述業
112394 岡本 冨夫 48 公明党    前 会社役員
77800 永田 亮一 58 自由民主党 前 会社取締役
73139 堀 昌雄   53 日本社会党 前 医師
69395 土井 多賀子41 日本社会党 新 大学講師
 67997 山下 栄二 68 民主社会党 前 党県連会長
 53836 中島 祐吉 55 日本共産党 新 県委員長
 34740 中沢 栄二 46 無所属    新 会社役員
 32788 小池 祐三 44 自由民主党 新 園田学園理事
 7074  小池 勇二郎 47無所属   新 三昌物産社長
 3167 藤原 隆男 31 無所属  新 経済研究所長
 820 吉井 亀吉 68 無所属   新 政治・経済長

「アラブ」も「政治」もつねに身近にあった小池。
「中東、エネルギー、安全保障、経済。」
「私の政治家としての背骨は、それらを総合し、日本を守ることにある」という。

カイロ大学はサダム・フセイン、PLOのアラファト議長らの母校
カイロ大学での生活は毎日が驚きと刺激の連続だったという。
10万人の学生が在籍しキャンパスといい教室といい、どこも人であふれていた。

留学中の1973年10月、第4次中東戦争が勃発。
灯火管制下のカイロで、耐乏生活を強いられた。

「戦争慣れしているエジプトの人たちが食料を買いに走る姿を見て
、私も近くの店に飛び込みましたが、店の棚に残っていたのはタワシと長靴だけ。
仕方なくバラハというナツメヤシの干物で一週間しのぎました。
浴槽からコップに至るまで水をため、ガラス窓には青い絵の具を塗り、のりのついた紙をクモの巣のように張り付けました
。高射砲の衝撃でガラスが割れる危険があるからです」

父親の栄光と挫折と復活をかたわらで見守り、自らも日本から遠く離れた
戦火のアラブ世界で学生生活を送った経験は、
政治への関心と野心を大きく育てたのは想像できる。。

なぜカイロ大学を選んだのかという問い答えている。

「私は会社という組織の中で働くよりも、まず自分の腕に技をつけようと考えました。英語は通常兵器にすぎない、これか
らの日本にとって必要不可欠な地域はどこかと絞った結果がアラブだったわけです。
私は、そういうことを17歳で考えたんですね。10代では何をし、
20代では何をするかを。こういう自分の考え方を私は人生マーケティングと言っています」

そんな小池に、さらに影響を与えたのが、かつて「防衛庁の天皇」
の異名をとった海原治。

 海原は旧内務省出身で自衛隊の前身、警察予備隊の創設にもかかわった。

自衛隊の主力戦闘機の後継機選定をめぐる激しいつばぜり合いを演じていた
佐藤栄作と河野一郎の政争に巻き込まれ、防衛庁長官を更迭される。
その後、天下りはせず、軍事評論家となった。

 小池が知己を得るきっかけは、
79年から出演していたテレビ番組「世相講談」。
講演などで不在がちになった竹村健一に代わり、海原も司会進行に加わる。

「常に世界的な視点で物事をとらえた。ときに日本の国防に辛辣な意見を浴びせたが、
相手を論破するだけの論理性があり学ぶことが多かった」と振り返る

。06年に亡くなった海原との親交は数年前まで続いた。
 日本が非軍事化から再軍備へと動いた激動の時代に、日米防衛協議の最前線に立った海原。
その薫陶を受けた小池が政治家として揚げる外交・安保政策は、タカ派的

政界入りした小池は、小沢一郎を「政治の師」と仰いだ。
そして小泉純一郎についた。
 
小池が2人に学んだのは、どんな高邁な政策でも、それを具現化する
権力過程に乗せなければ意味がないということだ

。03年、小泉内閣の環境相に起用されて以降、
「閣僚のできることは、政務次官の何万倍」と、権力の重みを身をもって知った。

これまでの政界の常識では測れない。
「クールビズ」を仕掛け、世に流行らし、だらしないノーネクタイを全国化した。

カッコ悪いとか良いとかが男を見る判断基準になったりする。
どんな地位にある人なのか、
概してあまり重要視しない。
それは、ある意味女性の強さであり、女性だから許される部分もある。

逆に小池百合子にとって気がかりなのは
、土井たか子のように「女性に好かれるタイプ」とは言いにくいことだ。
男以上に強い気性を内に秘めながらも、外見的には「なまめかしさ」を漂わせる。
それが政治家としてはプラスに働くのかどうか。

小池百合子は就任後の会見で大きな世界地図を壁に貼り付け、
それをバックにしてインタビューを受けたテレビ写りを恒に気にする。
ただ、黒い噂の綻びも出てきた。

あの社会党委員長・衆議院議長の土井たか子さえ政治の場から去らねばならなかった
事務所経費や秘書給与の同じ問題を持ちながら逃げきった。
環境大臣の頃の関連企業からの献金や防衛大臣の時の百万円、公用車私物化などに
警察当局からの圧力がなければ乗りきれないハズだ。
秘書に公安から採用しているからともっぱら

「けれん」という日本語がある。
NHKでコラムニスト・天野祐吉が指揮者カラヤンの美学を
「洗練」と「けれん」のキーワード解く。
歌舞伎用語で、いわば「はったりを利かせる」というような意味である
「けれん味たっぷりの芝居」とは、奇抜な演出や演技に換言できる。
政治家に必要なる「徳」の一つでもあろうか。

「ジャパニーズ・ライスといえば寿司。私のことを「マダム・スシ」と呼んでください」
次期総裁の最有力候補といわれる麻生太郎も、漫画ファンにばかりアピールしていたのでは心もとない。
小池のバックには、劇場型政治のドン、小泉純一郎がいる。

そこの人
「スシくいねぇ~」

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コメント

お日様だいすき
2008年9月13日23:39

お仕事は政治評論家に?日本が新たに開墾した新田が今年はスペインへ・・・。エネルギー政策と政治家ってお題で宜しく。

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