台風一過

2008年9月19日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・女郎花(オミナエシ)
    花言葉は・・・はかない恋、親切

天涯に 風吹いており 女郎花(オミナエシ)

1時30分台風一過の合間にお月さま。
慌ただしく特急列車がこの時間に走った。
高鍋あたりで止まってたんであろう。
乗客もいた。御苦労様。

受信の悪かったラジオが雑音なしになり出した。
マッキンレーを背後にしたオーロラの磁波じやぁ~あるまいに
台風13号には磁波攪乱の要素があったんであろうか。

満月の日のブログで100年に一度ほどの大恐慌ショックで書き足らぬ事がある。
題名が少しずつ違う「月」

♪ でたでた月が まるい まるい まんまるい ぼんのような 月が

♪ かくれた雲に くろい くろい まっくろい すみのような 雲に

♪ でたでた月が まるい まるい まんまるい ぼんのような月が

このなかにでてくる言葉さえ解説がイルご時勢。
「ぼん」=お盆の四角は目出度い席で日常的には丸い形の盆。
13号台風に備え御茶を沸かしてぼんを構え待ってたのに来襲しなかった。

『月』は、1910(明治43)年に『尋常小学読本唱歌』に発表された文部省唱歌。
石原和三郎作詞の「おつきさま」
(おつきさま、えらいな、おひさまの、きょうだいで~)よりも
息長く愛唱されてきた歌。
幼き頃月の手まねをしながら歌ったものだ。

昭和7年(1932年)『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』

一、
  出た、出た、月が。
   圓い、圓い、まんまるい
   盆のやうな月が。
二、
  隱れた、雲に。
   黑い、黑い、まつくろい
   墨のやうな雲に。
三、
  また出た、月が。
   圓い、圓い、まんまるい
   盆のやうな月が。

昭和16年(1941年)2月『ウタノホン 上』
オ月サマ
一、
  出タ、出タ、月ガ。
  マルイ マルイ マンマルイ
  ボンノ ヤウナ 月ガ。
二、
  カクレタ、クモニ。
  クロイ クロイ マックロイ
  スミノ ヤウナ クモニ。
三、
  カタ 出タ、月ガ。
  マルイ マルイ マンマルイ
  ボンノ ヤウナ 月ガ。

『月』の この曲と歌詞が紛らわしいのが、
「月が出た出た月が出た」の歌い出しで有名な『炭坑節』

月が出た出た 月が出た ヨイヨイ
三池(みいけ)炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ サノヨイヨイ

一山 二山 三山 越え ヨイヨイ
奥に咲いたる 八重つばき
なんぼ色よく 咲いたとて
様ちゃん(さまちゃん)が通わにゃ 仇(あだ)の花 サノヨイヨイ

あなたがその気で 云うのなら(いうのなら) ヨイヨイ
思い切ります 別れます
もとの娘の 十八に
返してくれたら 別れます サノヨイヨイ

さまちゃんはこれも開設がイル。
仕事場のアイドル或いは女性総称。

炭坑節の原型となったのは、三井田川伊田坑で
選炭婦たちによって軽快なテンポで歌われていた場打選炭唄。
伊田尋常高等小学校(現.田川市立鎮西小学校)に勤務していた小野芳香氏が
、田川地方の民謡・童謡の調査収集に取り組むなかで伊田場打選炭唄を採集し、
明治43年(1910)に一部改曲したものを補習科の生徒に試唱させた。

また、大正14年(1925)には研究授業の参考資料として編さんした
「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」のなかに「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録。
。これが炭坑節(選炭唄)が記録された最初のもの。

商業出版物のなかでは、昭和5年(1930)に春秋社から刊行された世界音楽全集の第13巻に、
「香春岳から(炭坑節)」の題名で藤井清水の編曲・解説によって収録されている。
レコード化されたのは昭和7年(1932)のことで、
日東レコードから後藤寺小唄の裏面に「炭坑唄」の標題で収められている。

いつのころから「炭坑節」と一般に呼ばれるようになった、
戦後、「炭坑節」の名で全国的に流行し、盛んに歌い踊られるようになる。
。現在では日本を代表する民謡として海外でも知られるほどになっている。

唄が宴席に持ち込まれ、やがて、花柳界で選炭唄に三味線の伴奏がつき、
洗練されつつ座敷唄として広く歌われるようになった。

1948年(昭和23年)11月にはコロムビアレコードで赤坂小梅、ポリドールレコードで日本橋きみ栄、
テイチクレコードで美ち奴、キングレコードで音丸が炭坑節をレコードに吹き込んだが、
赤坂小梅のみが座敷唄の節回しであり、あとの3人は流行唄の節回しで唄っている。

各社ともレコードは大ヒット
、当時の傾斜生産方式による石炭増産の風潮もあって知名度が高まった。
さらに炭坑節をもとにした「新炭坑節」「新々炭坑節」「月が出た出た」という歌謡曲も作られ、
いずれも久保幸江や霧島昇によって唄われヒットしている。

炭坑節が大流行する中で、一部の出版物や歌詞カードに誤記があったことから、
大牟田市の三井三池炭鉱(1997年3月30日閉山)で生まれたという誤解が広がった。

また、伊田と後藤寺との間でどちらの炭坑節が元祖かという論争も過熱した。
この論争は、伊田が元祖だということで当初に触れたとおり。

全国各地の盆踊りでのスタンダードとなっているものは、
鈴木正夫の歌ったものが各地の自治会の間などでのカセットテープによるダビングであるケースが多い。
鈴木 正夫(、1900年(明治33年)1月30日 - 1961年9月28日)は宮城県丸森町出身の民謡歌手。
1931年レコードデビュー。
せきやんの持ち歌の一つ「娘巡礼」を歌った歌手の鈴木三重子は娘。
初代と二代目がおり、現在活動しているのは息子の秀(二代目)である。
紅白出演歴(初代)
第1回NHK紅白歌合戦…常磐炭坑節
第2回NHK紅白歌合戦…新相馬節
第4回NHK紅白歌合戦…花笠音頭
第6回NHK紅白歌合戦…相馬盆唄
第7回NHK紅白歌合戦…常磐炭坑節


プロ野球の埼玉西武ライオンズは前身が福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズだったため、
現在でも炭坑節を応援歌として使っている。

麻生総理は福岡の炭坑王の御曹司。
この曲でやれば総裁選どころか小沢一郎さえ引きとばせるのをご存じないらしい。

炭坑節は盆踊りのスタンダードとして今でも各地で聞け踊れる
以外なのはペドロ&カプリシャス版
初代ボーカル前野曜子は1971年から1973年まで務めた。「別れの朝」がヒット。1988年没。
その時のモノ。
高橋真まりこは二代、現在は三代目 松平直子。

「月」をテーマや歌詞に扱った曲は、『朧月夜(おぼろ)』、『うさぎ』、『証城寺の狸囃子』
、ベートーヴェン ピアノソナタ「月光」、ドビュッシー「月の光」、ムーン・ライト・セレナーデ、ムーンリバーなど、
古今東西時代を問わず数多く残されている。

月の引力が人間に及ぼす不思議な影響がある。
 月の直径は地球の4分の1以上あり、地球サイズの惑星をめぐる衛星としては異常ともいえる大きさである。
このため、月の重力は地球に影響を及ぼし、太陽とともに潮の満ち引きを起こしている。

 サンゴやウミガメ、その他の海の生物は満月の前後に産卵することが多く、人間でも同様で
、満月が近くなると出産ラッシュで大忙しになることがあるともいう。

満月の夜は事件・事故が多い?!
 古来から、月は人間のホルモンバランスや精神状態に影響を与えると信じられており、
新月・満月には重大事故が多く、上弦下弦の半月には「うっかり事故」が起りやすいという。

。ある地方の警察署は月の満ち欠けと犯罪や事故の関係を統計的に調査しているとのことで、
実際に満月の前後には犯罪が増加するとのデータもあるらしい。

 ラテン語で月は「ルナ(LUNA)」といい、そこから派生した「ルナティック(LUNATIC)」という英単語は、
「狂気の, 精神異常の;常軌を逸した」という意味として今日用いられていることからしても、
昔から月が人間の精神状態に与える影響は少なからずあった。

ハネムーンの語源は?
 ちなみに、結婚したばかりの夫婦二人だけで出かける旅行を新婚旅行(ハネムーン)というが
このハネムーンの語源は古代の蜂蜜酒に関する文化に由来している。

 古代から中世のヨーロッパにおいて、新婚直後の新婦は住居から外出せずに1ヶ月間、蜂蜜酒を作り、
新郎に飲ませて子作りに励んだ。

 これは蜂蜜に強壮作用があるとされたことと、ハチの多産にあやかるためではないかとされている。
ここから「蜂蜜の一ヶ月」=「蜜月」(ハニームーン)という言葉が生まれたとのこと。
なお、月の満ち欠けのように移ろいやすい男女の関係を皮肉った意味合いを指摘する説もあるようだが
真相の程は定かではない。

数多き経験ノ中で思いで多きモノが消えていった。
夏の日の想い出・・
鈴木道明 作詞/作曲

♪きれいな月が 海をてらし
たたずむ影は 砂にうかび
あなたの熱い くちづけが
つめたい頬に よみがえるの♪

*)夏の想い出 恋しくて
ただひとりだけで 来てみたのよ
冬の浜べは さみしくて
よせる波だけが さわいでた

夜のなぎさに 鳴く鳥が
私の影を かすめてゆく
はるかかなたの 灯が
私の胸を ゆするのよ

*)繰り返し
(ハミング)
冬の浜べは さみしくて
♪よせる波だけが さわいでた♪

歌ってた歌手が
ナクナッタトノニュース

日野てる子さん63歳(本名・一ノ瀬照子)9日、肺がんのため死去。松山の人。
既に密葬を済ませた。

この曲を歌った日野てる子は、62年、全日本ハワイアンコンテストでの優勝をきっかけに、バッキー白片らに師事し、和製ハワイアン歌手として活躍。

65年にリリースした「夏の日の想い出」は100万枚を超える大ヒット
同年には紅白歌合戦にも初出場(3年連続出演)
長き黒髪に赤いハイビッカス。
余りにも大人びていて・・とまどったモノだ。

作詞と作曲の鈴木道明といえば、同65年の越路吹雪の「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」
、西田佐知子の「赤坂の夜は更けて」(65年)や「女の意地」(65年。70年に再吹き込みでヒット)など、
厭世感漂うオトナの歌を手がけた。
夏の日の想い出はサザん・ボーカル原由子がカバーしている。

不思議ともう一人の方が浮かぶ。
「久保田早紀」の顔も浮かばないがなんだろうこの曲のイメージの変わらぬ鮮烈さ。
 団塊の世代は一様に驚いた。
1980年のミリオンセラー、不朽の名曲「異邦人」。
懐かしい『異邦人』のジャケット

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ihoujin.htm

 (1) 子供たちが空に向かい
    両手をひろげ
  鳥や雲や夢までも
    つかもうとしている
  その姿は 昨日までの何も知らない私
  あなたに この指が届くと 信じてた
  空と大地が 触れ合う彼方
  過去からの旅人を 呼んでいる道
  あなたにとって私 ただの通りすがり
  ちょっと振り向いてみただけの異邦人
(2) 市場へ行く人の波に
    身体(カラダ)を預け
  石畳の街角を
    ゆらゆらとさまよう
  祈りの声 ひずめの音 歌うようなざわめき
  私を置き去りに 過ぎてゆく白い朝
  時間旅行が 心の傷を
  なぜかしら埋めてゆく 不思議な道
  サヨナラだけの手紙 迷い続けて書き
  あとは哀しみをもてあます 異邦人
  あとは哀しみをもてあます 異邦人
久保田早紀はあの曲と共にスターダムにのしあがり、あの曲と共に芸能界を去った、
いわゆる「一発屋」で「あの人は今」のような記事の常連」と思われがち。

本人が書いてるホームページもある。 
今は本名の久米小百合というゴスペルシンガーになって教会でのチャリティコンサートをこなしている
自叙伝『回想録-午後の頁から』NCM2Books,1993に詳しい。
 久保田早紀は今はキリスト教関係の音楽をやっている
ドンピシャのブログカラ。
「異邦人」からその傾向は端的に見て取れると思う。
 
この歌では、異邦人であり、彼女が今居る国は「祈りの声」が響き「蹄の音」がする「異国」である。
この曲のテーマは一種の「感傷旅行(センチメンタルジャーニー)」である。
同様のテーマは「真珠諸島」「夢飛行」「最終便」などにも見られる。

恋に傷つき、そこから一時的に逃げる、
「ある場所」から逃げるのではなく、「世界そのもの」から逃げる。
「極度に純化された精神的世界たる向こうの世界」へ行っちゃうと言うことになる。

その典型例がセカンドアルバムのメインタイトルの「天界」である。
「男と女をこえて愛せる人はひとり あなたはひとりしかいないのよ 広い世界の中で」
、これはアンドロギュノス(両性)的な愛と言うよりは、無性の極度にスピリチュアルな愛を歌っている
永久の歌は記憶にあるが教会コンサートにいる久保田早紀の顔は何故か全く出てこない。

耳を澄ましてごらん・・とも聞こえてくる・・・生きるの強く一人ではないから。
何なんだ!この幻覚じみたメロディー。
ホンダルツコ・・
・・・
サルビアのハナ・・
・・オリズル・・

うさぎ うさぎ

なに見てはねる

♪ 十五夜お月様

見てはねる。♪

台風なんぞではなかった。
騒いでるのはマスコミのみ。

月夜は特に満月の夜はおかしくなる。
ウオっ~~オ~オオオオッ~

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