連夜のノーベル賞受賞で湧く列島だが「明るき日本の底ちから」にピッタシゆえ,麻生総理のしたり顔が妙に離れない。

やはり選挙向けの政治関与のノーベル賞の受賞があったと考えると素直に喜べない。
かって佐藤栄作の平和賞に世界的ブーイングを爺の世代は知っているからだ。

お神籤占いの大吉には勝って兜の緒を締めろとの類することが必ずある。
江戸っ子の処世術状況。
 めでためでたが 三つ重なりて 下のめでたが 重たかろ

懸案の予算、アフガン給油特措法と次々に目途を立てた。
選挙を経ないで民意無き三回連続の内閣は異常どころではない。
平穏無事に進むのが不思議でならない。

国会では麻生節を封印。卒がない。
「詳しくは大臣が答えます。」

政治家の要諦「綸言汗の如し」は平家物語にも出てくる。
 平家に有らずんば人にあらず。
言葉は一度口から出たら取り消せない

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

それがさらに多くの文化を生む。
何の世界もソウダ。

『吾妻鏡』 - 鎌倉幕府編纂の歴史書。平家物語と同時期の出来事を描く。
『玉葉』 - 同時代の大臣である九条兼実の日記。
『愚管抄』 - 兼実の弟で天台宗の僧である慈円による史書。
『保元物語』 - 平家物語以前の出来事を描いている。
『平治物語』 - 同上。
『義経記』 - 義経の伝説を描く。落ちのびる描写が中心。

下って

『敦盛』
『忠度』
『巴』
『船弁慶』
『橋弁慶』
『景清』
『俊寛』

幸若舞
『敦盛』

浄瑠璃・歌舞伎
『義経千本桜』
『一谷嫩軍記』
『平家女護島』(俊寛)

昭和期
『耳なし芳一』 小泉八雲(「怪談」所蔵)
『新・平家物語』 吉川英治
『宮尾本 平家物語』 宮尾登美子
『双調平家物語 』 橋本治
戯曲
『子午線の祀り』 木下順二
『平家物語』(マンガ日本の古典、横山光輝)

『吾妻鏡』 - 鎌倉幕府編纂の歴史書。平家物語と同時期の出来事を描く。
『玉葉』 - 同時代の大臣である九条兼実の日記。
『愚管抄』 -兼実の弟で天台宗の僧である慈円による史書。
古典
『源平盛衰記』 - 平家物語の一異本。
『保元物語』 - 平家物語以前の出来事を描いている。
『平治物語』 - 同上。
『義経記』 - 義経の伝説を描く。落ちのびる描写が中心。

ノーベル賞で同じ部門で三つ。
これまで16のうち5つ。科学系で言えば13がこの部門である。
3つは川端康成・大江の文学賞と平和賞の佐藤栄作。

今回のノーベル物理学賞の受賞者
米シカゴ大学の南部陽一郎名誉教授(87)
京都大学の益川敏英名誉教授(68)
高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)の小林誠名誉教授(64)

いずれも素粒子研究での功績が認められたもので、湯川秀樹、朝永振一郎につづく南部陽一郎は第2世代、益川、小林は第3世代にあたる。
アインシュタインを相手に激論を交わした逸話も残る。
物理現象を確率論で説く量子力学を「神様はサイコロを振らない」として否定する大学者に30分も食い下がったという。
そして化学賞・下村脩博士(80)

にわか調べの自己ノートゆえ間違いのご教示は歓迎ですが
嫌みのにわかつっこみはご勘弁を願いたい。
先行き無き爺ゆえ、無駄な時間はもったいなく、先がない。

北朝鮮をここまで増長させたのは何度も訪朝して支援してきた旧社会党にある。
その一部が小沢の民主党にいる。
拉致の問題の責任は社民党にあり民主党に政権を渡すべきでないと言ってる人がいる。

国家とは何であり、政権党の仕事と権力の怖ささえ
何一つ真に理解していない。
世間で言われている優秀なる学歴の方が「小学生以下の理論」を振りまかれるのに
つきあう時間は無いのと同じである。

今回のノーベル賞の意義である。
地球は何故存在してるのか。
いわば人間は何故生存できてるか。
それは137億年前にビックバンの大爆発とされる。
そこで
物質と反物質、
粒子と反粒子
となる。

その原子の核は電子を帯びており
陽子
中性子が存在している。
この時代の湯川、朝永のノーベル賞である。

ところでこれら陽子中性子は3つのクオークであるとされた。
ところが
粒子、反粒子を検証するとどうしても三つ足りない。
根源のクオークが6つなら無難である。

小林29歳・益川33歳の時で現在は64歳と68歳35年前のことである。
    
その歴史的場面に遭遇した人がいることをブログで教えていただいた。
当時、大学院生だった京都大基礎物理学研究所の九後太一教授(59)

昭和47年9月、通称「湯川研」と呼ばれる京都大ソリューション研究室。

夏休み明けの研究員らに学術誌に掲載前のガリ版刷りのプリントが配られた。

 週1回定例で開かれていた研究室のセミナー。
その日の発表者は当時の助手、小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授。
約20人の学生は、それまでの常識を覆す斬新なアイデアに首をかしげた。

「クォークが6種類?」。
「6種類のクォークなんてとても信じられない」。
プリントを見た20人の研究員は目を疑った。
当時、クォークは3種類以上はないというのが通説だったからだ。

九後教授は京都大大学院の修士2年・、益川敏英京都大名誉教授の指導を受けていた。
小林名誉教授の発表を聞いて
「方法論としては面白いと感心はしたが、まさかそんなわけはないだろうと、全員が半信半疑だった」。
数多い研究発表の1つに過ぎないとあまり気にも留められなかったという。

 しかし、その後、「小林・益川理論」が脚光を浴び始めた
。九後教授にとっては、2人の研究者の活動を間近でみる機会に恵まれた

鼻っ柱が強く、声が大きい益川名誉教授と、冗舌ではないが時に鋭い指摘を放つ小林名誉教授。
対照的な2人だったが、研究に関してはウマが合っていた。

九後教授が益川名誉教授にマンツーマンで修士論文の指導を受けている最中、
部屋に小林名誉教授が入ってきて、いつのまにか2人が議論をすることが度々あった。

研究室の黒板はみるみるうちに2人が書いた計算式で埋めつくされた。
九後教授は「とても楽しそうで、まるで子供みたいに夢中でした」と振り返る。

 あれから36年。

昨年益川・小林がノーベル物理学賞に最も近いと言われる
欧州物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞を受賞したとき、「もしかして…」と予感したという九後教授。

「ノーベル賞への過程に立ち会えた感じ。あの2人だからできたんだと思う」
恩師の栄誉を喜んでいる。


受賞理由となった成果は「対称性の破れ」と呼ばれる現象を説明する理論の構築
自発的対称性の破れ」について、日常的に見られる例はどのようなものか。
ラジオで聞いた比喩。

まぁるいテーブルに6人座り料理を待つ。
左右に箸が置いてある。
最初の誰かが左か右かの箸をとる
左をとれば全員が左をとることになる。

これが素人向けの「自発的対称性の破れ」なんである。

小林教授と益川教授は「CP対称性の破れ」という現象を説明するいわゆる小林・益川理論を35年前につくりあげた。ビッグバン後に宇宙にあったとされる「反粒子」が消えた謎を解き明かす理論で、素粒子の基本粒子のクォークが六つあると予言した。

 当時はクォークが三つしか見つかっておらず、世界の反応は六つもあるはずがないと冷ややかだった。しかし、クォークは1990年代半ばに六つ目が見つかり、理論の正しさが示された。さらに高エネルギー加速器研究機構が大がかりな実験で「CP対称性の破れ」の検証に取り組み、理論が裏付けられた。

仁科の研究が湯川朝永となり、歴的積み上げがあった。
世界史的にはもっとすごい日々が流れた

「友人らしく見える人はおおかた友人ではない、そう見えない人がおおむね友人である」。
古代ギリシャの哲学者デモクリトスの言葉という。

こと人間性については、なかなか皮肉っぽい観察眼の人だったようだ
だがこの人はこと自然界のことはまっすぐ考え詰める性格だったらしい。
その師である
レウキッポスという人とともに物を限りなく細かく分割していけばどうなるかと思いをめぐらした。
そして最後にこれ以上分けられない粒子があると考えた。
それをアトム、原子と呼んだ
「知性をともなわぬ名声と富は危険な持ち物なり」という言葉もある。

近代の物理学はついに原子の存在を突き止めたが、すぐさまにその原子はさらに何種類もの粒子から成ることも知る。

この素粒子の解明こそが現代の知性のフロンティアとなった
その素粒子の探究。
何せ素粒子中の素粒子クォークの理論。
「対称性の自発的破れ」やら、それを可能にする6種のクォークやらを説明されても頭が痛くなる。
ただアイデアは風呂上がりに浮かんだなどのエピソードを聞けば、同じ人間の業績だとホッとする。

デモクリトスの洞察は二千数百年後に立証されたが、3人の研究も何十年もの歳月を経ての受賞だ。
「偶然には何事も起こらない」。

デモクリトスの言葉通り、神様はこの世の最も奥深い謎に答えた者をちゃんと祝福してくれた。新聞も絶賛。

化学賞は約40年前、オワンクラゲから緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見した事。

どうも今年に集中しているのが解らない。

小柴受賞の実証より早くてもよかったんではと思える。
化学賞でもそうである。
医学界ではすでに常識的に各種機材に実用化されている。

その思考の基礎は南部39歳の時で現在は87歳で48年前と言うことになる。

 「いまさら」の昨夜の言葉を「ああいう言い方」と前言訂正。
化学賞も何かがあった事であろう。
「わたしがやったことは(受賞理由となった)緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見したことだけ。
(共同受賞者の)チャルフィーがそれが役に立つものだということを見つけ、チェンが改良した。
だから医学賞か生理学賞の対象だと思った」

何か不自然である。

佐藤 栄作(1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、山口の人。
第61、62、63代7年8ヶ月の内閣総理大臣。
男三兄弟長男は佐藤市郎元海軍中将、兄が岸信介。

自民党幹事長の時造船疑獄で逮捕状が出たが、犬飼法務大臣の指揮権発動で逮捕を免れた。
その後逮捕されが恩赦で逃げ切る。

何故長期政権になったかはぐうぜんである。
 大野伴睦(1964年5月没)、河野一郎のライバルの死去。
 1964年(昭和39年)7月池田勇人に総裁戦で負けるが11月に池田は病気退陣 総裁になる。
         
1974年(昭和49年)、田中首相の日米にまたがる金脈問題が騒がれ始める中、
佐藤は非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞受賞。
国連大使だった加瀬俊一のロビスト活動によることが暴露されている。

辞任の時の記者会見で新聞批判を取り消さぬ故記者は全員引き上げ空席の座椅子が目立つたった一人でテレビに向かい
話す記憶が抜けず未だ覚えている。

憲法改正さえ議論させれ改正の準備法案も安部内閣で強行されている政治状況。
この時期になってみれば実態無きといえど大きな歯止めになっている非核三原則。
昭和51年の核拡散防止条約(NPT)批准に合わせて、国会で決議したものである。

加藤紘一自民党でさえ総裁に担がねばならぬほどの危険きわまりない政治状況にある故である。

大隈重信以来の「国民葬」が行なわれ政治実情も知らぬ国民も幼き爺も学校はお休みで喜んだ。
葬儀委員長は田中角栄、遺族代表は岸信介。
どこまでも刑事被告人田中角栄の政治的陰謀であった。
佐藤栄作の平和賞のノーベル賞には疑惑が伴っている。

古きを持ち出してのノーベル賞受賞で支持率は上がったんであろうか。

選挙に勝つためといって、まんまと首相の座を射止めると、今度は「早期解散」は形勢不利と見て、「選挙より景気だ」と言い始めた。

こんな卑怯な人物に国のトップを任せていたら、政治はおろか株価はどんどん下がって日本経済はお先真っ暗。
社会のモラルまでガタガタに崩壊しよう。
政治や経済の立て直しより目先の株価対策という貧困な発想。
解散・総選挙をしないなら、何が目的で首相になったのか。
福田前総理の呻吟ぶりが聞こえる。

この国を愛するもの。なにはともあれおめでたい。
急遽の差し替えがノーベル賞受賞者へのお祝いとしたい。

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