今日の花言葉は・・カッコウアザミ
花言葉は・・・信頼、幸せを得る。
キク科メキシコペルーなど中南米が原産。園芸店ではアゲランタム。
青紫のいっぱいの花をつける。
白、ピンクモもあり、花数から実に豪華な感じを与える。
かりがねの 声のしばらく そらにみち
カリは渡り鳥。大陸満州などからやってくる。
大空を舞う姿もいいが声がまたいい。
雁と月の切手はマニアの垂涎の的であったなぁ~。額面6円?何円だったか。・・・
冒頭に告白から始めなければならない。
レイズ岩村のことを9月30日にアップしてるつもりで観たら・・
この日のブログは記載がない。
いろいろと調べたが記事が見あたらない。
22日夕方の宮崎は西の空は真っ赤な夕日なのに宮崎市内は雨という。真夏の天候状態。
23日は24節季の降霜。
温度は29度を記録してるが、久しぶりのたまに小雨が降る状態で夜には明日が天候であるような兆候の知らせ。
今は24日の3時。
惰眠がもったいない故、週刊誌などからあちこちと情報の入手。
どちらさまかのブログにあったが、山ほどあるネタがあってもどうにも書くのが怖くおっくうである。
自己用のメモでしょう。ブログって。HPではないんだから。
環境の差は有るだろうが爺はブログ環境は劣悪で、資料は手元にない。
記憶で書いてる部分大ゆえ間違いがおおかろう。
気にしてないといえどやはりカキコは気になる。
商業文でも無きボランテアにすぎないゆえ鷹揚なるものを求めたい。
どこまでも厳しいなら書き手の意図の「プチッ!」の道義的マナーを守れ!と対置したい。
いつまでどこまでこの快適なる秋が続くのだろう。
はや10月下旬、24日の到来の夜が明ける。
スポーツの秋・宮崎ではプロ二軍の戦いが行われている。
アメリカではプレーオフをおえナリーグ・田口フィリーズVSアリーグの岩村の居るレイズが戦い深夜ビデオで観た。
接戦3-2で岩村の3安打を帳消しにしたフィリーズいよいよ田口も枠内に登録されよう。
ナリーグは勝率トップの福留の居るシカゴ・カブスがドジャースに3タテをくらった。
モメンタム=勢いのあるフィリースが追いつかれ逃げ切った。
アリーグも勝率トップ・エンジエルスがレッドソックスにひねられた。
奇跡のレイズが岩村などの活躍でホワイトソックスを蹴散らし、レッドソックスさえ最終戦で撃破した。
松坂、レスターの先発陣バベルボンの救援と投手優先に勝ったレイズは岩村効果?。
日本ではプレイオフといわないでCS戦と呼んでるようだ。
それがどうにも盛り上がりに欠ける。
何故か。
勝率1位に1勝と不可解なる可笑しきルール。
ハンディキャップレースなぞ、どこの世界にあろう。
日本では144試合も戦い抜いたペナントレースが10ゲームも離れた3位中日と日本一を争ってたたかってる奇妙さ。
何もかもアメリカ流が可笑しい。
広大な国土故3地区に分けそれぞれ優勝を決めプレーオフを経てワールドシリーズをいま戦ってるわけだ。
「負けてもCSシリーズがある」が阪神敗因の原因ではなかったのか。
北京でボロボロにされて心配してたら案の定、阪神はペナントを失った。
初戦勝った中日も今日は負けて巨人の2勝1敗。
当たり前であろう。寄せ集め金満チーム巨人軍である。
原のにやけぶりが、なおいっそう気に入らない。
西武の日本一進出にキヤンプ地宮崎南郷町は大喜び。
巨人軍が勝ち上がれば嬉しき悩みとなろう。
それにしても中日落合が勝ち上がったらどうなるんであろう。
同じ事はパでもある。
梨田監督の保守性には勝負師のかけらもない。
仰木監督と贅沢な時間を過ごされたブログの方が羨ましいがあの勝負師は清原を奮い立たせイチローをアメリカに立たせた。勝負には厳しかった仰木監督流を見習えと言いたい。
ただ、原因は「1勝」ハンディー戦にあった面は否めない。。
パCS第2ステージは第5戦で決着。
第6戦で先発する予定だった日ハムのエース、ダルビッシュは不完全燃焼。
初戦で10失点した先発のグリンは反省を生かせず、3回途中5失点KO。
3年連続の日本シリーズ進出を目指した野望は断たれた。
このシリーズの最大の疑問は、
「なぜダルビッシュを初戦に先発させなかったか?」
に尽きる。
17日の初戦で投げていたら、中4日で22日の第5戦でもう一度先発することも可能だった。
しかし、梨田監督はダルビッシュを18日の2戦目で先発させ、中4日で23日の第6戦に温存。
結局、2度目の先発は回ってこなかった。
梨田監督は試合後、その意図について説明している。
「ダルは涌井とちょっと外したかった。ダルが勝つのは分かっている。でも西武はアドバンテージの1勝がある。涌井に誰かが勝ってくれないと…」
西武のエース涌井に、ダルビッシュ以外の投手が投げ勝った上、ダルビッシュが2勝しない限り、アドバンテージははね返せないとの判断。
しかし結果的には、涌井に2敗して万事休す。
梨田監督の“奇策ローテ”について、ダルビッシュは
「行けというところで投げるのが選手。初戦に行けば勝てるというワケじゃない」
、今季を「負けなんで、しょうもないシーズン」と総括。
野球界のあり方までお国事情が違うのに日本一を決める形態まで対米追従では物笑いである。
さらにスポーツにありまじき政治性にある。
ファンは読売ナベツネなどの黒い動きを見抜いている。
WBCの監督選びの選考会議が始めに結果アリがイチロー松坂の正論で北京四位の星野がようやく辞退宣言を出した。
阪神岡田監督は身を挺して星野に異議を表明した。
遅きに失した感。
このブログでは触れてきた今だ公式に一つのお詫びもしていない。
原監督に爺がおもしろくないのは「18」を背負い続けた桑田への仕打ちにある。
清原桑田が去る08年は一つの終わりにあたる。
爺の野村張本王長島の世代にしてみればその前の水原川上の世代を含めると三世代の変遷を観てきたことになる。
イチロー松坂の活躍は目に痛い世代間格差。
ここまで進展した野球界である。
それにしては桑田と清原の去り方の違いは印象的である。
パ・リーグは清原和博(41)に会長特別表彰として功労賞を贈り11月21日のプロ野球コンベンションで表彰する。
86年から96年まで西武、06年からオリックスとパ・リーグに通算14年間在籍。
受賞理由について「西武の黄金時代を支え、最後もオリックスで花道を飾った」と小池会長に異議なし!。
06年の通算1500打点表彰で、中日落合博満監督(55)が花束贈呈のプレゼンテーターを務めた。
清原は「落合さんから花束もらった選手なんておらんやろ。ありがたいし、うれしいよ」あのときの素直さから番長の
面影はなく人柄の立派さに酔った。
日本のプロ野球界でホームランを500本以上打った選手。
(1)王貞治
(2)野村克也
(3)門田博光
(4)山本浩二
(5)清原
(6)落合博満
(7)張本勲・衣笠祥雄の8人
このうち、1度もホームラン王のタイトルを取った経験がないのは、清原、張本、衣笠の3人。
張本と衣笠はあくまで中距離ヒッター。
張本には通算最多安打3085本、衣笠には連続試合出場2215試合の記録がある。
ホームラン525本(2006年シーズン終了時点)の長距離ヒッター清原は、打率、打点とも無冠で、1シーズンに40本以上のホームランを打った経験もない。
清原の持つ記録は、196個の死球と1944個の三振。
死球の多さは、いかに内角球を苦手としているかの裏返しの証明。
常勝西武ライオンズと読売巨人軍の4番バッターとして6度もの日本一を勝ち取った実績。
塁上にランナーがいる場面では右方向へヒットを打ち、ホームランを狙うよりもチームの勝利を優先したゆである。
高校野球や日本シリーズで見せた、短期決戦の大試合での勝負強さ。
外角のボールを右方向へ流す器用さ、レフト、センター、ライトに満遍なくホームランを打ち込めるテクニックなど、
清原ならではの優れた点は他の選手に群を抜いている。
日本の三振王は清原ではない。
ヤクルト・岩村明憲である。
ワールドシリーズ初戦のコンパクトで三安打の変身ぶりには考えられないこと。
世界の舞台に立ち自分を見つめ直した結果その結果を早く出した者で感心する。
ブログが消えているので思い出し書く。
爺が好ましく思えるのは、逸話がある。
母親が亡くなった際、「試合で活躍するのが一番の供養」と考えて葬儀には出席しなかった。
喪章を付けて臨んだ試合では、2本の本塁打を放ってチームの勝利に貢献。
ダイヤモンドを1周した岩村は、人差し指を天に向け涙を流しその後移動日に母の墓前に出向いた。
愛媛・宇和島東高時代は全日本高校選抜の4番。
甲子園未出場にもかかわらず4番打者。
「四国の怪童」の異名をとり、高校通算26本塁打。
県予選で1番打者として出場したところ、試合開始直後の初打席に敬遠。
1996年、ヤクルトスワローズにドラフト2位で入団、
背番号は48。98年、横浜戦でプロ初出場。
99年6月、左膝の靭帯を痛めて戦線離脱。
2000年、池山隆寛から三塁手のレギュラーを奪取、ゴー ルデンクラブ賞受賞。
01年、背番号1に変更。チームの日本一に貢献。2度目の ゴールデングラブ賞を獲得。
02年、初の打率3割超え。ベストナイン、ゴールデングラ ブ賞。
03年、三角線維軟骨複合体水平断裂で前半戦を戦線離脱。
04年、ゴールデングラブ賞。チーム史上最多タイで自己最 多44本塁打1999年のペタジーニに並ぶチーム史上タイ記 録、初の100打点超え。初の「打率3割・30本塁打・100 打点」を達成。
同時に、日本人最多でセ・リーグ新記録となる173三振 セ・リーグ盗塁王・赤星憲広(阪神)と同じ7盗塁で両軍最 多タイの数字
05年、2年連続で「3割・30本・100打点」を記録。ゴール デングラブ賞。
06年、シーズン前にワールドベースボールクラシックの日 本代表として世界一に貢献。
この年、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する。
06年、ポスティングシステム=入札制度によるメジャー移 籍を表明。
同11月、デビルレイズ(現レイズ)が450万ドル(約 5億4800万円)で独占交渉権を落札。
同12月、3年総額770万ドル(約9億4000万円) で契約した。
2007年、ポジションが決まっていなかったため、内外野を含 む5つのポジション用のグラブを用意した。
シーズン途中にケガがあったものの1番三塁手として定着。
守備面ではメジャーリーグの三塁手(両リーグ通じ、100 試合以上出場した選手)中トップの守備率.975を記録し た。
打撃面でも1番打者に定着し、デビルレイズのルーキー記録 となる出塁率.359を記録。
その他、三塁打10本はリーグ2位、対左投手の通算打率.32 3は左打者として両リーグ通じて3番目に高い数字。
08年はサードからセカンドへコンバート。
清原和博と親交が深い。清原の記録三振は152。
矢沢永吉の大ファンで、2004年から「止まらないHa?Ha」テーマ曲に使用。メジャーでは英語版・「HURRICANE」。
大の阪神ファンで、掛布雅之に憧れて左打ちに変えたと公言している。
また、「もし日本に帰る機会があったら、子供のころからの夢をかなえたい。一度でいいから、あの縦じまのユニフォームを着て、甲子園の大歓声の中でプレーしたい」
山口県下関出身の1歳年上の女性と2005年6月13日に結婚。
2007年7月10日に第1子(長男)が誕生。
怪我のみが岩村の心配事項。
攻走守そってて魅力のホームラン・バッター。
大リーガーになってようやく注目され始めたという野球好きの日本人の底浅さが思い知らされる。
あらためてお国事情お国自慢の野球王国愛媛松山商を思い知らされる。幕末四賢公伊達の殿様の英明さが彼のDNAに受け継がれたのであろう。
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キク科メキシコペルーなど中南米が原産。園芸店ではアゲランタム。
青紫のいっぱいの花をつける。
白、ピンクモもあり、花数から実に豪華な感じを与える。
かりがねの 声のしばらく そらにみち
カリは渡り鳥。大陸満州などからやってくる。
大空を舞う姿もいいが声がまたいい。
雁と月の切手はマニアの垂涎の的であったなぁ~。額面6円?何円だったか。・・・
冒頭に告白から始めなければならない。
レイズ岩村のことを9月30日にアップしてるつもりで観たら・・
この日のブログは記載がない。
いろいろと調べたが記事が見あたらない。
22日夕方の宮崎は西の空は真っ赤な夕日なのに宮崎市内は雨という。真夏の天候状態。
23日は24節季の降霜。
温度は29度を記録してるが、久しぶりのたまに小雨が降る状態で夜には明日が天候であるような兆候の知らせ。
今は24日の3時。
惰眠がもったいない故、週刊誌などからあちこちと情報の入手。
どちらさまかのブログにあったが、山ほどあるネタがあってもどうにも書くのが怖くおっくうである。
自己用のメモでしょう。ブログって。HPではないんだから。
環境の差は有るだろうが爺はブログ環境は劣悪で、資料は手元にない。
記憶で書いてる部分大ゆえ間違いがおおかろう。
気にしてないといえどやはりカキコは気になる。
商業文でも無きボランテアにすぎないゆえ鷹揚なるものを求めたい。
どこまでも厳しいなら書き手の意図の「プチッ!」の道義的マナーを守れ!と対置したい。
いつまでどこまでこの快適なる秋が続くのだろう。
はや10月下旬、24日の到来の夜が明ける。
スポーツの秋・宮崎ではプロ二軍の戦いが行われている。
アメリカではプレーオフをおえナリーグ・田口フィリーズVSアリーグの岩村の居るレイズが戦い深夜ビデオで観た。
接戦3-2で岩村の3安打を帳消しにしたフィリーズいよいよ田口も枠内に登録されよう。
ナリーグは勝率トップの福留の居るシカゴ・カブスがドジャースに3タテをくらった。
モメンタム=勢いのあるフィリースが追いつかれ逃げ切った。
アリーグも勝率トップ・エンジエルスがレッドソックスにひねられた。
奇跡のレイズが岩村などの活躍でホワイトソックスを蹴散らし、レッドソックスさえ最終戦で撃破した。
松坂、レスターの先発陣バベルボンの救援と投手優先に勝ったレイズは岩村効果?。
日本ではプレイオフといわないでCS戦と呼んでるようだ。
それがどうにも盛り上がりに欠ける。
何故か。
勝率1位に1勝と不可解なる可笑しきルール。
ハンディキャップレースなぞ、どこの世界にあろう。
日本では144試合も戦い抜いたペナントレースが10ゲームも離れた3位中日と日本一を争ってたたかってる奇妙さ。
何もかもアメリカ流が可笑しい。
広大な国土故3地区に分けそれぞれ優勝を決めプレーオフを経てワールドシリーズをいま戦ってるわけだ。
「負けてもCSシリーズがある」が阪神敗因の原因ではなかったのか。
北京でボロボロにされて心配してたら案の定、阪神はペナントを失った。
初戦勝った中日も今日は負けて巨人の2勝1敗。
当たり前であろう。寄せ集め金満チーム巨人軍である。
原のにやけぶりが、なおいっそう気に入らない。
西武の日本一進出にキヤンプ地宮崎南郷町は大喜び。
巨人軍が勝ち上がれば嬉しき悩みとなろう。
それにしても中日落合が勝ち上がったらどうなるんであろう。
同じ事はパでもある。
梨田監督の保守性には勝負師のかけらもない。
仰木監督と贅沢な時間を過ごされたブログの方が羨ましいがあの勝負師は清原を奮い立たせイチローをアメリカに立たせた。勝負には厳しかった仰木監督流を見習えと言いたい。
ただ、原因は「1勝」ハンディー戦にあった面は否めない。。
パCS第2ステージは第5戦で決着。
第6戦で先発する予定だった日ハムのエース、ダルビッシュは不完全燃焼。
初戦で10失点した先発のグリンは反省を生かせず、3回途中5失点KO。
3年連続の日本シリーズ進出を目指した野望は断たれた。
このシリーズの最大の疑問は、
「なぜダルビッシュを初戦に先発させなかったか?」
に尽きる。
17日の初戦で投げていたら、中4日で22日の第5戦でもう一度先発することも可能だった。
しかし、梨田監督はダルビッシュを18日の2戦目で先発させ、中4日で23日の第6戦に温存。
結局、2度目の先発は回ってこなかった。
梨田監督は試合後、その意図について説明している。
「ダルは涌井とちょっと外したかった。ダルが勝つのは分かっている。でも西武はアドバンテージの1勝がある。涌井に誰かが勝ってくれないと…」
西武のエース涌井に、ダルビッシュ以外の投手が投げ勝った上、ダルビッシュが2勝しない限り、アドバンテージははね返せないとの判断。
しかし結果的には、涌井に2敗して万事休す。
梨田監督の“奇策ローテ”について、ダルビッシュは
「行けというところで投げるのが選手。初戦に行けば勝てるというワケじゃない」
、今季を「負けなんで、しょうもないシーズン」と総括。
野球界のあり方までお国事情が違うのに日本一を決める形態まで対米追従では物笑いである。
さらにスポーツにありまじき政治性にある。
ファンは読売ナベツネなどの黒い動きを見抜いている。
WBCの監督選びの選考会議が始めに結果アリがイチロー松坂の正論で北京四位の星野がようやく辞退宣言を出した。
阪神岡田監督は身を挺して星野に異議を表明した。
遅きに失した感。
このブログでは触れてきた今だ公式に一つのお詫びもしていない。
原監督に爺がおもしろくないのは「18」を背負い続けた桑田への仕打ちにある。
清原桑田が去る08年は一つの終わりにあたる。
爺の野村張本王長島の世代にしてみればその前の水原川上の世代を含めると三世代の変遷を観てきたことになる。
イチロー松坂の活躍は目に痛い世代間格差。
ここまで進展した野球界である。
それにしては桑田と清原の去り方の違いは印象的である。
パ・リーグは清原和博(41)に会長特別表彰として功労賞を贈り11月21日のプロ野球コンベンションで表彰する。
86年から96年まで西武、06年からオリックスとパ・リーグに通算14年間在籍。
受賞理由について「西武の黄金時代を支え、最後もオリックスで花道を飾った」と小池会長に異議なし!。
06年の通算1500打点表彰で、中日落合博満監督(55)が花束贈呈のプレゼンテーターを務めた。
清原は「落合さんから花束もらった選手なんておらんやろ。ありがたいし、うれしいよ」あのときの素直さから番長の
面影はなく人柄の立派さに酔った。
日本のプロ野球界でホームランを500本以上打った選手。
(1)王貞治
(2)野村克也
(3)門田博光
(4)山本浩二
(5)清原
(6)落合博満
(7)張本勲・衣笠祥雄の8人
このうち、1度もホームラン王のタイトルを取った経験がないのは、清原、張本、衣笠の3人。
張本と衣笠はあくまで中距離ヒッター。
張本には通算最多安打3085本、衣笠には連続試合出場2215試合の記録がある。
ホームラン525本(2006年シーズン終了時点)の長距離ヒッター清原は、打率、打点とも無冠で、1シーズンに40本以上のホームランを打った経験もない。
清原の持つ記録は、196個の死球と1944個の三振。
死球の多さは、いかに内角球を苦手としているかの裏返しの証明。
常勝西武ライオンズと読売巨人軍の4番バッターとして6度もの日本一を勝ち取った実績。
塁上にランナーがいる場面では右方向へヒットを打ち、ホームランを狙うよりもチームの勝利を優先したゆである。
高校野球や日本シリーズで見せた、短期決戦の大試合での勝負強さ。
外角のボールを右方向へ流す器用さ、レフト、センター、ライトに満遍なくホームランを打ち込めるテクニックなど、
清原ならではの優れた点は他の選手に群を抜いている。
日本の三振王は清原ではない。
ヤクルト・岩村明憲である。
ワールドシリーズ初戦のコンパクトで三安打の変身ぶりには考えられないこと。
世界の舞台に立ち自分を見つめ直した結果その結果を早く出した者で感心する。
ブログが消えているので思い出し書く。
爺が好ましく思えるのは、逸話がある。
母親が亡くなった際、「試合で活躍するのが一番の供養」と考えて葬儀には出席しなかった。
喪章を付けて臨んだ試合では、2本の本塁打を放ってチームの勝利に貢献。
ダイヤモンドを1周した岩村は、人差し指を天に向け涙を流しその後移動日に母の墓前に出向いた。
愛媛・宇和島東高時代は全日本高校選抜の4番。
甲子園未出場にもかかわらず4番打者。
「四国の怪童」の異名をとり、高校通算26本塁打。
県予選で1番打者として出場したところ、試合開始直後の初打席に敬遠。
1996年、ヤクルトスワローズにドラフト2位で入団、
背番号は48。98年、横浜戦でプロ初出場。
99年6月、左膝の靭帯を痛めて戦線離脱。
2000年、池山隆寛から三塁手のレギュラーを奪取、ゴー ルデンクラブ賞受賞。
01年、背番号1に変更。チームの日本一に貢献。2度目の ゴールデングラブ賞を獲得。
02年、初の打率3割超え。ベストナイン、ゴールデングラ ブ賞。
03年、三角線維軟骨複合体水平断裂で前半戦を戦線離脱。
04年、ゴールデングラブ賞。チーム史上最多タイで自己最 多44本塁打1999年のペタジーニに並ぶチーム史上タイ記 録、初の100打点超え。初の「打率3割・30本塁打・100 打点」を達成。
同時に、日本人最多でセ・リーグ新記録となる173三振 セ・リーグ盗塁王・赤星憲広(阪神)と同じ7盗塁で両軍最 多タイの数字
05年、2年連続で「3割・30本・100打点」を記録。ゴール デングラブ賞。
06年、シーズン前にワールドベースボールクラシックの日 本代表として世界一に貢献。
この年、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する。
06年、ポスティングシステム=入札制度によるメジャー移 籍を表明。
同11月、デビルレイズ(現レイズ)が450万ドル(約 5億4800万円)で独占交渉権を落札。
同12月、3年総額770万ドル(約9億4000万円) で契約した。
2007年、ポジションが決まっていなかったため、内外野を含 む5つのポジション用のグラブを用意した。
シーズン途中にケガがあったものの1番三塁手として定着。
守備面ではメジャーリーグの三塁手(両リーグ通じ、100 試合以上出場した選手)中トップの守備率.975を記録し た。
打撃面でも1番打者に定着し、デビルレイズのルーキー記録 となる出塁率.359を記録。
その他、三塁打10本はリーグ2位、対左投手の通算打率.32 3は左打者として両リーグ通じて3番目に高い数字。
08年はサードからセカンドへコンバート。
清原和博と親交が深い。清原の記録三振は152。
矢沢永吉の大ファンで、2004年から「止まらないHa?Ha」テーマ曲に使用。メジャーでは英語版・「HURRICANE」。
大の阪神ファンで、掛布雅之に憧れて左打ちに変えたと公言している。
また、「もし日本に帰る機会があったら、子供のころからの夢をかなえたい。一度でいいから、あの縦じまのユニフォームを着て、甲子園の大歓声の中でプレーしたい」
山口県下関出身の1歳年上の女性と2005年6月13日に結婚。
2007年7月10日に第1子(長男)が誕生。
怪我のみが岩村の心配事項。
攻走守そってて魅力のホームラン・バッター。
大リーガーになってようやく注目され始めたという野球好きの日本人の底浅さが思い知らされる。
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