勝利の女神

2008年12月26日 お仕事
今日の誕生日の花は・・冬ベゴニア
花言葉は・・・・・・・愛の告白

はなやさんにはこの時期はピンクのラブミーの品種が並ぶ。
可憐で小さい花からの花言葉。
イブ、クリスマスに乗り遅れた人の日?
チャンスの日である。
ただ・・爺の独断責任は持てませヌぞ!
年末年始この時期欠かせぬ義理を果たすべし。

かぞえびの かかしもならぬ ぎりひとつ

ここんとこテレビづいている。
08年1月19日から2月23日までの毎週土曜日NHK放送された「
フルスイング」が25日再放送された。

岡山市の人・高畠導宏(1944年1月18日~2004年7月1日)はプロ野球界から去り1998年、日大の通信課程に入学、教員免許を取得。
2003年春より福岡県筑紫台高校の教員になり、野球監督で甲子園を目指したが、2004年7月1日、膵臓癌のため入院して5週間目で60歳の若さで死去。

同世代人ゆえこの手の学園モノ熱血漢人には同化してしまってお恥ずかしく嗚咽は止まらない。
さらに今年の自分を同化する
テレビはドキュメンタリィーに限る。

爺も7月に似た状況を味わされた。
2週間兄のもとに夜の看病を尽くしたが棟梁の職人の兄をガンで亡くした。
入院してすぐに逝ったゆえ、人ごとでなくなおさらより異状の感情移入。
仕事は違えど仕事バカぶりもそのまま似ている。

こんな事があった。
沖縄をのぞく九州全土に太陽光発電工事を施工した。
まったく予備知識なしの宮崎市内の甍の屋根が目立つ家に飛び込みセールス。
「屋根にパネルを上げさせてクダサイ!」
お話をしていると神が引き合わせてくれたようである。
この家兄の作品ではないか。
這々の体で身分を明かさず逃げ出した。

外観は民家でなくミニお寺さん。
壁は竹で縄を撒き土壁、屋根の瓦の下には藁を切り込んだ土を伏せる昔風のそのままの構造の家しか造らなかった。

高畠先生はプロ野球界で「伝説の天才打撃コーチ」と呼ばれたその人である。
世界の王貞治は荒川コーチがあればこそ一本足打法も世界一のホームランも実現できた。

岡山の星のつく人とは大違いの人柄の野球人。
ブログを再現するとこうである。
大学四年1966年の第2次ドラフト会議で巨人軍の指名を断りノンプロの日鉱日立へ入り、。全日本四番打者の実績で1967年11月に、南海ホークスからドラフト5位指名を受けてプロ入りを果たす。

不動の四番打者・野村克也とクリーンアップを打つ左の強打者として新人王をも期待されるが、春季キャンプでのスライディング練習の際、左肩を脱臼してしまい、プロでは実績が残せず、972年に現役引退。

29歳の若さで打撃コーチに抜擢される。オールスターゲームで野村が捕手に専念する年かつ前年にチームがAクラスだった場合とのこtで、野村に代わってパ・リーグのコーチを務めた。

しかし1977年、野村監督解任に伴い江夏豊、柏原純一と共に球団に反旗を翻し、選手専念となった野村と共にロッテオリオンズに移籍。野村はわずか1年でロッテを退団するが、高畠はその後もロッテに残り、1988年までの12年間で落合博満や水上善雄らを育成。
選手から多大なる信頼を得る。

当時のロッテからは落合をはじめ高沢秀昭(1988年)、西村徳文(1990年)など多くの首位打者が生まれた。

藤原満(南海)にはグリップが太く1キロ以上の重量があるタイ・カッブ式バットを特注バットを振るのではなく、ボールにバットをぶつけてゴロやライナーを出やすくし、アベレージヒッターに育て上げた。

落合博満(ロッテ在籍時)に対しては、性格を踏まえ、「グリップの高さを10cmほど高くしたらどうだ」と一言のアドバイスだけを送り、ロッテ在籍8年間で3度の三冠王に導いた。

西村徳文(ロッテ)には、右打者からスイッチヒッターへの転向を勧め、1年目の秋季キャンプから約2ヶ月余り、川崎球場そばのビジネスホテルのシングルルームに泊り込み、朝昼晩つきっきりで指導した。
西村はリーグ屈指のスイッチヒッターとなり、1990年に首位打者を獲得した。

水上善雄(ロッテ)に対しては、ストレート、変化球での打撃の統計をとり、変化球に強いということを実証、認識させた上で、全打席変化球が来るというヤマを張るよう指示し、かつ投手の癖盗みに長けていた為、ベンチから声を出すこと(カーブなら『なにぃ??』、ストレートなら『よーしゃ!』など)で、次投げてくる球種を打席に入っている水上に伝えていた。
あまりにしつこく、かつ癖がバレてしまう為、東尾修はマウンド上からベンチの高畠を睨み付けていたという。

1990年には野村のヤクルト監督就任に伴いヘッド兼打撃コーチとしてヤクルト入団。
しかし野村との確執が生じ、この年限りで退団。

1991年福岡ダイエ・中日・、オリックス・千葉ロッテと延べ7球団で30年間、打撃コーチを務め、30人以上のタイトルホルダーを育てた名伯楽は素晴らしき実績を残した。

教え子には、中日の落合監督、メジャーの田口、イチロー、ロッテのサブローや巨人の小久保など日本球界が誇る名選手が並ぶ。

個々の選手のスタイルを尊重し、決して押しつけない指導。
選手の悩みや迷いを受け止め、個性に応じた多彩な練習アイディアで長所を引き出す。

さらに「相手投手のクセ」を見抜き、球種・配球を読んで攻略する頭脳野球を伝授。
選手のメンタル面を支えるために、心理学やカウンセリングまで学び始める。
野球に対する情熱と向上心、さらにひとを育てることへの飽くなき探究心は、追随を許さなかった。
話を戻そう。
主人公に“うり二つ”で、連続ドラマ初主演を務めた高橋克実と共演の吹石一恵。のトークが爽やかでいい。
「ずっと自分が出てるんで恥ずかしくなった。自分なりによくやったと思いながら涙が出た」。
「高畠さんのノートに記された『気力というのはあきらめない気持ちだ』という言葉を撮影の間、自分に言い聞かせていた」
同僚教師役の吹石の弁「高橋さんが黒板に『夢』という字を書くシーンをよく覚えている。夢のない人生なんて考えられない」
また、吹石さんは元プロ野球選手である父・徳一さんに高畠さんについて質問したと逸話を残す。
「すれ違ったことはあると言ってました。珍しく父のほうからドラマの話を聞いてくれたりして、交流が密になりました」と言う。
主題歌は、夏川りみの「あの花のように」

脇役が光る。
伊藤蘭 里見浩太朗、校長先生は・・だれだったかな~名がでない。
「たとえ無駄だと知っても、あきらめてはいけない」

今年の野球。
オリンピックがなければ間違いなき阪神がペナントを制していた。
三年目で大輪の花を咲かせた岩田稔の成長が大きい。

4/26甲子園で完投した阪神6-2巨人がとりわけ光る。
阪神の左投手として、03年8月16日の井川慶(現米大リーグ・ヤンキース)以来となる巨人戦での完投勝利。

巨人戦では金田(国鉄)、平松(大洋)に次いで歴代3位の39勝を挙げ、巨人キラーの称号をほしいままにしたミスタータイガース・村山実は、岩田にとって関大の先輩でもある。
くしくも、名前の漢字は違うが読み仮名は麻生総理以外は同じ「みのる」と読むのは偶然では片づけられない神のみぞ知る。
研究熱心である。スランプが続いたが同じ左腕の下柳から投手の基本を自ら学び投球術をどん欲に吸収し自身の投球に生かした。

横浜戦でプロ初勝利。6回を6安打1失点。
圧巻は3回1死満塁で4番村田、5番佐伯を連続三振に打ち取った。
球界一給与で全イニング1330出場の世界記録更新中の25日契約更改した金本が猛打賞で、鳥谷が美守でアシスト。
まさか岡田監督がこの時点で終幕は読めなかった。
WBCにひそむ問題でもある。

 阪神・岩田稔投手(25)は一日4回自分で注射を打つ。
1型糖尿病患者なんである。

24日名古屋市内で開催されたクリスマス・イベント。
1型糖尿病患者とその家族たち約200人が集まった。
二桁10勝投手阪神・岩田稔も参加。
全日本エアロビック選手権覇者の大村詠一選手と初の対面を果たした
高校時代に発病した際、野球を続ける意欲を与えてくれた「恩人”」
「大村くんは糖尿病の大先輩。すごく影響を受けています。病気のことを隠さず、自分から打ち明ける勇気をくれた」

 学年では岩田が2学年上だが、小2で発病した大村の方が、闘病生活は長い。
そして、大村の姿勢が、岩田に野球を続ける勇気を与えた。

 岩田は大阪桐蔭高2年の冬、ウイルス感染から1型糖尿病を発症。
落胆した息子を励まそうと、母・律子(52)はテレビで紹介された大村の熊本県内の練習場へ2人で出向いた。
岩田は、大村のハンディを感じさせないパワフルな演技に感動。
「同じ病気でも頑張ってる人がいるんや」。
一度はあきらめかけた野球を続ける勇気をもらった。

神のみ知るお告げナンであろうか。いやそうではない。
会員にのみ届けられる情報誌に記事がある。
小泉政治につけ込み政府の規制緩和の各種改革諮問員を勤めたオリックス・宮内義彦の経営が危ないと3頁の特集で言う。
そう言えば新聞1面を使い1500億円分の新株予約権の募集があったがこれも資金繰りが厳しい証拠??
ほかにも東証1部ジョイント・コーポレーション破綻寸前の救済劇も大量に出るであろう不良債権が怖かった故らしい。
これほど幾重にも状況証拠がある。

あわてて思い止まらせた宮内の狼狽ぶりも詳しくリアルである。
球団はどうなる?
堤清二なくとも「レオ」は日本一・アジア一になってるではないか。
野球の神髄はそんなもんじゃぁない。
村山実の再来・阪神・岩田稔の生き様もそうである。

国の政治の乱れは地方も乱れる。
秋田県寺田典城知事が全国で初じめて学力テストを公表した。
文部科学省は24日、序列化や過度の競争を避けるため、都道府県教委による市町村・学校別結果公表を禁止する09年度の実施要領を発表。また、秋田県内の市町村教委も同様の理由から、市町村別の公表に反対していたのにである。

昨日触れたように秋田県は来春(4月19日)には知事選を控えている。
こん知事いい気なモンである。

自民党は橋本五郎(61)読売新聞社特別編集委員の知事候補擁立に25日失敗した。
前羽後町長の佐藤正一郎(55)だけ知事選への立候補を表明している。
はたしてどのようなる展開になろう。
もう一つはえ張りたいのか秋田県寺田典城知事の姿勢である。
秋田県は過去2カ年の全国学力テストで平均正答率が、小学生は国語、算数の4分類すべてでトップ
中学生も好成績。
「子供たちの間に序列化や過度の競争はないと思う。教育者はそれを乗り越えて自分たちの教育の向上に生かすべきだ」と辞めていく知事。

地方も国も政治の世界はどうにかなっている。


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