今日の誕生日の花は・・オモト
花言葉は・・・・・・・母の愛・長寿
ユリ科。分厚い葉が根本から伸びる。
万年青の字をあてる古くから観賞用に愛された。
卵の白身で葉をふいて愛でたモノである。
秋に赤い実をつける。
はつゆめで あいしを告げず あいにけり
はつゆめで見た人にあったが、それを話すことも出来ずおもがゆい。
今夜は初夢。
それを観ると叶えられる縁起がいいと言われている。
枕の下に愛しき人の名を書いて寝たモノである。
初夢を観る時間はないようで一日中ワクワクで最高のおとしだま。
なんとなればNHK深夜24時から至福の一晩があるので就寝の暇はありません。
??・
今の落語は聞くに堪えないほど。
唯一残ってるのが声帯を病気で痛め摘出で声が出ないが、志ん朝、円楽の高座無きときゆえこの人しかいない。
「・・・新春蔵出し!まるごと立川談志・・・」
これは最高の時間である。
時間亡き人は、枕だけでも最高である。
魅力のすべてをオールナイトで名演。
やかん
へっつい幽霊
芝浜
粗忽長屋
撮りおろし・居残り佐平二
はぁ~やくコイこい・・お正月の2日の深夜。
深夜0時からあさの5時堪能した。
ビデオ撮れば・・ばっかッ!
やっていいことと悪いことがありやぁ~。
リアルタイムの醍醐味しか落語の良さはない。
芸術ナゾではない。
あくまで同時進行のお座敷の遊びの域であるベキ。
野暮はいけない。
・やかん・
枕がまったく斬新の落語との格闘の生き様を指し示してる新たな落語の歴史に残る一席。
枕のみでいい話であった。
講談師調の立て板に水のところは拍手さえナチュナルに呼び込んでてたので出来のいい一席ぶりを示している。
・へっつい幽霊・
博打がらみは三木助に限る。
素性から難儀もあり兄弟の立場の小さんと特に親密であった三木助は噺の限定で昭和の名人の一人。よって大名跡、
声色のいい息子がこの名を継いだが重圧で自裁した今では悲しき性の名。
いまの時代のように復活してる流行ばりの大名跡の時代でなかったゆえでもある。
季節モンでもある落語ゆえ年越し初春は芝浜。
芝浜は三木助の十八番。
このへっつい幽霊も三木助の持ちネタでそうであった。
さげの「幽霊ゆえお足はだしません。」のあと再度、解釈付きでプラスのよけいな演出。
何故こうしたのか。
落語好きの爺は談志師のメッセージをこう解釈する
もともとこの噺は上方はなし故にさげに二つがある。
「まだ金に未練があるのか」
「せめてテラ=寺がほしい」
同じ進行役の爆笑問題は特に田中は評論家としては談志論は無理である。
出来の悪いのは悪いでいい。
おなじ一席荒れていた。
終わった後のサッパリ感がない。
アレ?次の話は前のプログラムになかった「芝浜」。
・芝浜・
枕なしではじめ「そうはいるか」とクスグリから噺はじめる。
この演出は季節と夫婦の驥尾の情感の噺ゆえ辛い。
ただこれはいい。ヨッ!師匠!
「商いにいっとくれよ」
「いかないよ」
「なに寝ぼけてるの」
「42両あるんだ~」
「かまのふたがあかないよ」
拾った大金を仲間内と散在する場面を省略し夫婦のやりとりの
「夢か」「拾ったか」不条理なる噺の欠点を現代人に理解さすために時間をいっぱい使う談志流であった。
私は貝になりたいの中居・仲間の夫婦愛の演出が表面的で不評はこの日の一席の談志の芝浜を聞いて望めば良かった気がする。
ぼてふりから出世成功はなしの部分の魚河岸のところは逆に簡単演出である。円楽師との違いだ。
何度でも聞きたい師匠スジにさえあたる三木助解釈の談志の芝浜は絶品。
滑稽派柳派でもコレがあるという立川流のお家芸である。
山場の部分にさしかかり膝組を解消して・・冷蔵庫に走る。
アアッ辛い切ない。
いよいよの佳境の場面である。
嫁さんが夢で処置して誤魔化してた古い財布を差し出す場面にかかりだした故だ。
酒のやれない爺も思わず一杯のアルコールをとりだしてやり始めてシマッタ!
嗚呼!・・・・
どうしたことか書いたのがここから先パソコンが飛んでスルーしてしまった。
・・・
滑稽噺の柳派に師匠小さんの兄弟血筋の三木助を通じて伝わり談志の立川流での夫婦のなんぞやの驥尾を歌い上げる。
1日NHK討論会に出てた勝間和代が出来のいいときの談志の一席聞くべきである。
金でしか尺度を測れない人生観がコペルニクス的に変わろうというモノだ。
リアルタイム故とりわけ一席はなしの出来不出来もあるが、初めて接する夫婦の情感のお噺ゆえ聞くだけでよかろう。
いいできばえであった。
・粗忽長屋・
、人間の業の肯定!行き倒れの場面に来て死を肯定しての死んでる熊さんに似たヒトを
本人が死人を抱き言う。
「死んでるのは確かにオレダが抱いてるオレは一体誰だろう。」
・居残り佐平次・撮りおろし
コリャァ~ダメダ!やはり観客がないと談志師の良さは出ない。
やはり声が不自由になった分、録画の撮りおろしは談志師の噺の一席の良さはでない。
50分42秒・・自分でも言ってた
「出来悪かったんだろうな。俺自身がいってる・・」
番組は5時前に終えた。
かって一年のご褒美で初席はお上りさんで寄席のはしごで浅草新宿池袋とにいたモノだがこの落ちぶれぶりは情けなや。
業の肯定!談志師の落語の神髄である。
わからぬ??
古川柳にもある。
泣き泣きも いいほうをとる 形見分け。
親が死んだ!
お通や喪明け。
手元にある品物の親の遺産の形見分け。
悲しみの中に我をつい忘れ・・
いざ本領が・・本性がムックリ。
「こっちのほうが値段が高そうで価値がある。」
「こっちとろう。」
教育チャンネル2日の朝6時から話芸は落語で遊三師。テレビ笑点の芸風でない聞かせる噺。いい一席。
今日3日は権太楼の「占い八百屋」
御神酒徳利では憚られたのか。
何十年ぶりに聞いてもかれてない芸風はいただけない。もう若手ではないんだから。声の質なんだろうな。
たしか長野の出自のハズであったが。
新日本紀行・ふたたびは昨日2日青森のこけしから3日は浅草。木馬亭根岸京子席亭も写ってた。
プッチャリン=中島理一郎(56)のペーソスの曲の中、映像がすすむ。浅草では知るヒトぞ知る人気者の道化師。
フランス・パリ・ポンピドー広場にて大道芸披露、阪神大震災時は寝袋持参で各小学校を慰問訪問。
福岡・久留米のひと。 昭和25年4月27日 164cm 55kg ゆえ人ごとではない。
NHK総合 1月20日(土)AM11時00分~AM11時40分 人間の記録を中心とした紹介ドキュメントの出演があるようだ。
2日イタリア・ベネチャの宮崎のヒト・黒木昭国。
宮崎のガラス工芸職人の作品は世界に認められたようである。
13世紀の自然を除いたベネチャは経済都市で産業の中核はガラス工芸品が富をもたらした。
ガラスは教会のステンドグラスが典型的。
そこに驚かす作品を持ち込み一躍世界のガラス美術の作家となった。
テレビ三昧。天気はいいし・・・
いいお正月である。
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花言葉は・・・・・・・母の愛・長寿
ユリ科。分厚い葉が根本から伸びる。
万年青の字をあてる古くから観賞用に愛された。
卵の白身で葉をふいて愛でたモノである。
秋に赤い実をつける。
はつゆめで あいしを告げず あいにけり
はつゆめで見た人にあったが、それを話すことも出来ずおもがゆい。
今夜は初夢。
それを観ると叶えられる縁起がいいと言われている。
枕の下に愛しき人の名を書いて寝たモノである。
初夢を観る時間はないようで一日中ワクワクで最高のおとしだま。
なんとなればNHK深夜24時から至福の一晩があるので就寝の暇はありません。
??・
今の落語は聞くに堪えないほど。
唯一残ってるのが声帯を病気で痛め摘出で声が出ないが、志ん朝、円楽の高座無きときゆえこの人しかいない。
「・・・新春蔵出し!まるごと立川談志・・・」
これは最高の時間である。
時間亡き人は、枕だけでも最高である。
魅力のすべてをオールナイトで名演。
やかん
へっつい幽霊
芝浜
粗忽長屋
撮りおろし・居残り佐平二
はぁ~やくコイこい・・お正月の2日の深夜。
深夜0時からあさの5時堪能した。
ビデオ撮れば・・ばっかッ!
やっていいことと悪いことがありやぁ~。
リアルタイムの醍醐味しか落語の良さはない。
芸術ナゾではない。
あくまで同時進行のお座敷の遊びの域であるベキ。
野暮はいけない。
・やかん・
枕がまったく斬新の落語との格闘の生き様を指し示してる新たな落語の歴史に残る一席。
枕のみでいい話であった。
講談師調の立て板に水のところは拍手さえナチュナルに呼び込んでてたので出来のいい一席ぶりを示している。
・へっつい幽霊・
博打がらみは三木助に限る。
素性から難儀もあり兄弟の立場の小さんと特に親密であった三木助は噺の限定で昭和の名人の一人。よって大名跡、
声色のいい息子がこの名を継いだが重圧で自裁した今では悲しき性の名。
いまの時代のように復活してる流行ばりの大名跡の時代でなかったゆえでもある。
季節モンでもある落語ゆえ年越し初春は芝浜。
芝浜は三木助の十八番。
このへっつい幽霊も三木助の持ちネタでそうであった。
さげの「幽霊ゆえお足はだしません。」のあと再度、解釈付きでプラスのよけいな演出。
何故こうしたのか。
落語好きの爺は談志師のメッセージをこう解釈する
もともとこの噺は上方はなし故にさげに二つがある。
「まだ金に未練があるのか」
「せめてテラ=寺がほしい」
同じ進行役の爆笑問題は特に田中は評論家としては談志論は無理である。
出来の悪いのは悪いでいい。
おなじ一席荒れていた。
終わった後のサッパリ感がない。
アレ?次の話は前のプログラムになかった「芝浜」。
・芝浜・
枕なしではじめ「そうはいるか」とクスグリから噺はじめる。
この演出は季節と夫婦の驥尾の情感の噺ゆえ辛い。
ただこれはいい。ヨッ!師匠!
「商いにいっとくれよ」
「いかないよ」
「なに寝ぼけてるの」
「42両あるんだ~」
「かまのふたがあかないよ」
拾った大金を仲間内と散在する場面を省略し夫婦のやりとりの
「夢か」「拾ったか」不条理なる噺の欠点を現代人に理解さすために時間をいっぱい使う談志流であった。
私は貝になりたいの中居・仲間の夫婦愛の演出が表面的で不評はこの日の一席の談志の芝浜を聞いて望めば良かった気がする。
ぼてふりから出世成功はなしの部分の魚河岸のところは逆に簡単演出である。円楽師との違いだ。
何度でも聞きたい師匠スジにさえあたる三木助解釈の談志の芝浜は絶品。
滑稽派柳派でもコレがあるという立川流のお家芸である。
山場の部分にさしかかり膝組を解消して・・冷蔵庫に走る。
アアッ辛い切ない。
いよいよの佳境の場面である。
嫁さんが夢で処置して誤魔化してた古い財布を差し出す場面にかかりだした故だ。
酒のやれない爺も思わず一杯のアルコールをとりだしてやり始めてシマッタ!
嗚呼!・・・・
どうしたことか書いたのがここから先パソコンが飛んでスルーしてしまった。
・・・
滑稽噺の柳派に師匠小さんの兄弟血筋の三木助を通じて伝わり談志の立川流での夫婦のなんぞやの驥尾を歌い上げる。
1日NHK討論会に出てた勝間和代が出来のいいときの談志の一席聞くべきである。
金でしか尺度を測れない人生観がコペルニクス的に変わろうというモノだ。
リアルタイム故とりわけ一席はなしの出来不出来もあるが、初めて接する夫婦の情感のお噺ゆえ聞くだけでよかろう。
いいできばえであった。
・粗忽長屋・
、人間の業の肯定!行き倒れの場面に来て死を肯定しての死んでる熊さんに似たヒトを
本人が死人を抱き言う。
「死んでるのは確かにオレダが抱いてるオレは一体誰だろう。」
・居残り佐平次・撮りおろし
コリャァ~ダメダ!やはり観客がないと談志師の良さは出ない。
やはり声が不自由になった分、録画の撮りおろしは談志師の噺の一席の良さはでない。
50分42秒・・自分でも言ってた
「出来悪かったんだろうな。俺自身がいってる・・」
番組は5時前に終えた。
かって一年のご褒美で初席はお上りさんで寄席のはしごで浅草新宿池袋とにいたモノだがこの落ちぶれぶりは情けなや。
業の肯定!談志師の落語の神髄である。
わからぬ??
古川柳にもある。
泣き泣きも いいほうをとる 形見分け。
親が死んだ!
お通や喪明け。
手元にある品物の親の遺産の形見分け。
悲しみの中に我をつい忘れ・・
いざ本領が・・本性がムックリ。
「こっちのほうが値段が高そうで価値がある。」
「こっちとろう。」
教育チャンネル2日の朝6時から話芸は落語で遊三師。テレビ笑点の芸風でない聞かせる噺。いい一席。
今日3日は権太楼の「占い八百屋」
御神酒徳利では憚られたのか。
何十年ぶりに聞いてもかれてない芸風はいただけない。もう若手ではないんだから。声の質なんだろうな。
たしか長野の出自のハズであったが。
新日本紀行・ふたたびは昨日2日青森のこけしから3日は浅草。木馬亭根岸京子席亭も写ってた。
プッチャリン=中島理一郎(56)のペーソスの曲の中、映像がすすむ。浅草では知るヒトぞ知る人気者の道化師。
フランス・パリ・ポンピドー広場にて大道芸披露、阪神大震災時は寝袋持参で各小学校を慰問訪問。
福岡・久留米のひと。 昭和25年4月27日 164cm 55kg ゆえ人ごとではない。
NHK総合 1月20日(土)AM11時00分~AM11時40分 人間の記録を中心とした紹介ドキュメントの出演があるようだ。
2日イタリア・ベネチャの宮崎のヒト・黒木昭国。
宮崎のガラス工芸職人の作品は世界に認められたようである。
13世紀の自然を除いたベネチャは経済都市で産業の中核はガラス工芸品が富をもたらした。
ガラスは教会のステンドグラスが典型的。
そこに驚かす作品を持ち込み一躍世界のガラス美術の作家となった。
テレビ三昧。天気はいいし・・・
いいお正月である。
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