カレーは和歌山に限る
2009年4月22日 お仕事今日の誕生日の花は・・ヤマツツジ
花言葉は・・・・・・・燃える想い
葉っぱを押しのけて咲く如く花が彩る。
この盛りの如きあでやかさのソウ花状態はナンなんだ。
一面真っ盛り。
遊び場の 裏山いっぱい ヤマツツジ
昨年春秋氏の教えだったと思うがこのブログで記録に留めさせていただいたことを再掲する。
裁判官がまとう黒のいかめしい法服。
あれを考案したのは明治時代の東京美術学校の黒川真頼(まより)教授。
法学者・穂積陳重の「法窓夜話」にそうある。確かジュリスト誌であったハズ。
考案者の弁。
「欧米では古雅なる法服を用いて法廷の威厳を添えている」
のにならったという。
今も法服は「威厳」の象徴だ。
そんなガウンを着用に及び、難しい言葉を口走るプロたちに交じってズブの素人が何を言えるものか。
5月21日から始まる裁判員制度これに対し、多くの国民が抱える不安のひとつはこれだろう。
最高裁の調査でも、「裁判官と対等に意見を言う自信がない」とたじろぐ声が噴き出している。
法服の生みの親の黒川先生は某日、よく似た教授服を着て裁判所に出かけた。
すると判事に間違えられ法壇に並ばされたという。
法服も法制度も案外そんなものなのだ。
さらに記憶がある。
聖徳太子が定めたという十七条憲法の第十条
〈人の違うを怒らざれ。人みな心あり〉とある。
人がそれぞれ違っているのを咎めるなと。
時代、宗教、国境を超えた普遍の戒めだろう
日本書紀には、聖徳太子が仏教の経典を
「悉(ことごと)に達(さと)りたまひぬ」
訳意はこうなるのか(すべて悟得された)。
漢字の表記などから国文学者の中西進教授は対談のなかで、
太子が釈迦(悉達太(シッダール)子(タ))の生まれ変わりだという考えがあったのだろう、と推測している
インドは紙幣に17もの異なった言語で額面などを記載しているように、多言語、多民族の国家で知られる。
「共生」の教えともいうべき胸にしみ入る条文の遠い淵源をふと、お釈迦様の国に求めてみたい心持ちになる
人の違うを怒らざれ。人みな心あり、命あり…。
最高裁が21日和歌山カレー事件に「死刑!」
1審2審ををそのまま踏襲した。
動機不明、自白なし、事件の真実は全く明らかにされていない。、
ヒ素の入手経路も明らかにされてない。
ヒ素を素人は簡単に入手できるのであろうか。
少なくとも爺はどこに行けば手にいるのかしらない。
たとい爺の部屋から出てこようともとにかく爺のモノではなく
使用しようにも熱に強いか弱いか使用方法も致死量も解らない。
市井の人はその程度で普通生きている。
鍵もしてない自宅の車庫からは知らぬ間に他人が置けば確かに出てこよう。
真須美死刑囚の自宅から事件と同じに近いヒ素が出たのみが唯一の証拠としか思えない。
お祭りの時にカレー鍋に混入できる状況が数十秒あったのみ。
だれでも疑われた者を追求していけばその時間があったはずだ。
その目撃証人も裁判では着てた服の色が違っている証言をしているお粗末さ。
本人は無罪を主張している。
爺の乏しき幼き知識では「疑わしきは罰せず!」が法の精神、さらに三審制にあると聞いていた
判決文をニュースで聞いてても下りと結論が急で整合性に?がつく。
無罪を主張してるので反省がないとなるのは当たり前。
不審な動き
状況のみといえど
認めること
判決を左右することではない。
卑劣さ残忍さに反省がない。
新宿駅以前の松本サリンのオーム事件の時、
誰もが自宅にいっぱい一般人が持ち得ない薬品を
持ち得るなどの報道で誰もが犯人と決めていたフシがあった。
もし、新宿駅事件がなされなければ恐らく状況証拠から誤認逮捕となっていたろう。
今日の判決を見ると状況証拠から当然死刑である。
和歌山カレー事件の唯一救われるのはプロ集団が判決を出したことにある。
素人は加わっていない。
ところが5月21日以降はそうは成らない。
素人がこのようなる裁きをするのである。
一般市民が裁判官が選んだ証拠を見せられるまま
裁判官が主張する法律解釈に従うままに
傍聴人が見守る中黒い法衣で出廷し、残虐な殺人事件の証拠を無理矢理見せられ
死刑や重刑の決定に強制的に参加させられるのである。
裁判員には証拠選びや法律解釈の権利は認められていない。
それでも他人の生命にカンすることを決めなければならない。
検死官医師や鑑識員刑事事件弁護士、ならともかく
死体や殺害現場をほとんど知らない素人が無理矢理みせられる。
これは心的外傷を被る恐ろしき体験となろう。
関わった案件で死刑判決になれば凶悪犯でも殺すことに手を染めるわけだから
後々までの後悔は残らないものか。
心的外傷後ストレス障害=PTSDほど厄介なるモノはない。
爺の傷は未だ癒えてない。
裁判員には生涯にわたって守秘義務が課せられる。
口外したことが知られたら逮捕され刑事罰になる。
検死官医師や鑑識員刑事事件弁護士、にも当然守秘義務があるが
プロの専門家である。
自ら選んでついた職種で長年の教育訓練を受けふさわしき報酬や名誉もあり、同業者の権益擁護もある。
素人の裁判員とはまるで事情が違う。
監視社会密告の弾圧社会が到来してないか。
旧革新勢力は戦時下ファシズムの再来を恐れ改憲政治勢力自民党右翼と戦い
また
旧保守勢力は共産化を恐れ左翼政治勢力と対峙した。
その双方が恐れていたのは
国民ソウ動員型の密告社会。
軍隊に酷似した上意下達の司法機関の暴走
それを黙認した法曹界の怠慢。
お上のみ目の向いたマスコミの批判精神を忘れた腐敗で
いつの間にか5月21日を迎えてしまう。
ファシズムと言う言葉の解釈は学者の数だけあるが
イタリア語のfascio=東・結束にある。
国家が危機を乗り切るには軍産官民互いに反目を乗り越え一致団結して勇猛果敢に立ち向かい乗り切るべきだ
独裁制の体制下にあらゆる勢力を引き入れコレに逆らう勢力を容赦なく弾圧していく
命令一下全体が一つになって動く体制が作られる。それがファシズムだ。
この国には厄介なことに死刑制度が残っている。
裁判員制度は素人国民を死刑を含む重罪判決の重責矢心理的ストレスを
無理矢理加担させる国民総動員制度に他ならない死刑司法ファショだ。
司法界がそうなるなら公務員制度の
警察や軍隊もみな素人国民にやらせればいい。
公務員総てソウダ。
素人には無理である。
発想が馬鹿げている。
大学という教育制度が欧州に発足して千年近いが
尤も古い学問が法学である。
専門的知識と訓練が必要ということだ。
訓練を受けてない素人が人を裁く危険性。
国民に開かれた裁判制度という。
ならばカメラを持ち込めるや現在の密室法廷を改めることだ。
裁判の傍聴は国民の権利だ。
ところが人数制限で実務上傍聴制限がある。
人権がこの国には全く理解されていない。
正しい訴訟手続きで罪が立証され有罪判決が出て
その宣告がなされるまでは
どんなに怪しき人でも無罪であるルールは
近代法の大前提である。
国民の大部分はコレを実感で知らない。
マスコミもしかり。
三浦和義事件にみられる人権侵害報道がそれだ。
容疑者を罪人と信じる。
マスコミに欺された国民はコロリと欺され信じる。
小沢民主党主秘書は今のところ無罪である。被疑者である。
推定無罪の認識が無く容疑者を罪人と信じる。
そう言う構造がある限り素人裁判員を加えれば冤罪の危険は増すばかりだ。
国会で行政の長たる総理が
「小沢の秘書は明らかに違法であったがゆえに逮捕ということになった。」
裁判官もビックリの有罪判決をしている。
その三日後笹川総務会長。
民主党小沢一郎の団体献金禁止発言に対して
「泥棒が私は今日限りで止めるから皆さんもやめようと言う方が
もっと説得力がある。と公言した。
推定無罪どころか小沢一郎さえドロボー以下と決めつける法の無知、横暴ぶりだ。
こういう法の無知、アホウの輩が法治国家の行政を司ってる現実にある。
最高学府を出て留学までして勉強した二人にしてこの程度だ。
しかもこの程度の認識者が政治権力者となり法制度を腐らせてきた。
事例は省略する。
素人の人権意識法理解なぞ推して知るべし。
一度マスコミの新聞テレビで報じられた時点でこの国は既に犯罪者扱いになっている。
PTSDに今だ苦しんでる爺である。
爺なんぞは今日時点でさえ一分一秒も新聞のインタビューを受けていない。
それが地元紙の紙面を毎日賑わした。
地元新聞が本人取材を一秒一分もせず一方的に書きまくる。
もうその時点で爺は犯罪者扱いである。
これに全く取材無しのテレビが加わるとどうなるか。
警察検察が動き出す社会情勢が醸し出される。
新聞に書かれて1ヶ月近く再度の新聞記事の乱暴なる催促を経て司法が動き出す。
その時点でも一切の取材無し。片手落ちの新聞社。
されど対抗処置をとらぬ爺の暢気さ。
書いてあることチャンチャラおかし。
総て誤解から来てることナンテェ事はない。
開き直りでなく事実に反した誤解に過ぎないから屁とも思わない。
普通はソウであろう。
抗弁処置の手法さえ知らない。
一般人はその程度で生きている。
司法機関が動かなければ怠慢であるとの常識的ものがある。。
社会全体に平等意識が全く欠けてる魔女裁判の雰囲気がある。
社会存在を最初の一報の時に、逆告訴ぶ告罪なぞで訴えないと犯罪は簡単に作られる。
冤罪が生じる要素がこの国にはゴマンとある。。
三審制最高裁なぞ全くあって無きが如き者。
弁護士の説明一つが総てを左右してしまう状況下にある。
「総てをお任せします」となる状況にあるのだ。
本人の恣意は入らない。
後はベルトコンベアーで処理され進んでいき一丁上がり!
その社会現象がある事を証明してるのが一国の総理の発言からにして
その程度の軽い社会人認識に過ぎないことが証左である。
裁判員制度に素人が加わる恐ろしさはこの国ではこのよう満ち溢れている。
誰が裁判員制度を作ったのか
政治は別に譲るとして実務者のことだ。
サンデー毎日3/22に記事がある。
検察のトップは樋渡利秋(63)検事総長。
リクルート事件では半蔵門病院にある江副浩正会頭に病室での異常なる事情聴取
総長に上り詰めたのは裁判員制度創設導入の功労人事である。
兵庫県出身と言えばこのブログでも書いてきた小泉竹中に連なるオリックスをはじめとする一連の兵庫人脈。
99年に始まった政府の司法制度改革審議会の事務局長。
素人たる国民の司法参加に激しく対立する法曹三者や有識者の反対の猛攻をとりまとめた。
法務事務次官などを歴任。
その樋渡利秋の秘蔵っ子が佐久間達也特捜部長(52)で
特捜部100人の司令塔。
在米日本大使館書記官や法務官僚のエリート街道を歩くのを
将来の特捜部長として樋渡の横やりで特捜副部長に呼び戻した。
昨年7月部長就任の時の弁に小沢事件への政治性を感じる。
「放っておけば政治経済のシステムを腐らせる事件を暴きたい。」
副部長の時は福島県知事事件、防衛施設庁談合事件を手がけた。
今回の小沢事件の指揮者。
最高検大鶴基成(54)は今年1月の人事で地検次席検事就任が有力視されてたが
マスコミ評判が悪く報道対応に適さないと直前に谷川に変えられた。
特捜部長時代はライブドア事件や村上事件を指揮
気に入らない社は出入り禁止を連発
福島知事事件も現場がのる気分でないのを
これが出来るかどうかで自分が刑事正や次席になるか決まると息巻き怒鳴り続けた。
あの原発に監視し続け電力会社からきらわれた福島県知事の事件である。
出世のために事件を手がけるとは恐れ入ったモノである。
取り調べの際のビデオカメラや録音機を設置する取り調べ可視化法案を民主党が提出している。
政権を執れば実施するとの小沢民主を嫌がってる検察当局。
小沢狙いの体制は作られてきていたのである。
それらを含めて裁判員制度は5月21ニチからスタートする。
さぁ~素人が裁判できるのか。
御白州にしょっぴけ!
遠山の金さん如くに入れ墨でも入れてはしないか心配である・
この御白州をなんと心得る。
このサクラ吹雪が目にはいらネェ~か。
クワバラクワバラ。
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葉っぱを押しのけて咲く如く花が彩る。
この盛りの如きあでやかさのソウ花状態はナンなんだ。
一面真っ盛り。
遊び場の 裏山いっぱい ヤマツツジ
昨年春秋氏の教えだったと思うがこのブログで記録に留めさせていただいたことを再掲する。
裁判官がまとう黒のいかめしい法服。
あれを考案したのは明治時代の東京美術学校の黒川真頼(まより)教授。
法学者・穂積陳重の「法窓夜話」にそうある。確かジュリスト誌であったハズ。
考案者の弁。
「欧米では古雅なる法服を用いて法廷の威厳を添えている」
のにならったという。
今も法服は「威厳」の象徴だ。
そんなガウンを着用に及び、難しい言葉を口走るプロたちに交じってズブの素人が何を言えるものか。
5月21日から始まる裁判員制度これに対し、多くの国民が抱える不安のひとつはこれだろう。
最高裁の調査でも、「裁判官と対等に意見を言う自信がない」とたじろぐ声が噴き出している。
法服の生みの親の黒川先生は某日、よく似た教授服を着て裁判所に出かけた。
すると判事に間違えられ法壇に並ばされたという。
法服も法制度も案外そんなものなのだ。
さらに記憶がある。
聖徳太子が定めたという十七条憲法の第十条
〈人の違うを怒らざれ。人みな心あり〉とある。
人がそれぞれ違っているのを咎めるなと。
時代、宗教、国境を超えた普遍の戒めだろう
日本書紀には、聖徳太子が仏教の経典を
「悉(ことごと)に達(さと)りたまひぬ」
訳意はこうなるのか(すべて悟得された)。
漢字の表記などから国文学者の中西進教授は対談のなかで、
太子が釈迦(悉達太(シッダール)子(タ))の生まれ変わりだという考えがあったのだろう、と推測している
インドは紙幣に17もの異なった言語で額面などを記載しているように、多言語、多民族の国家で知られる。
「共生」の教えともいうべき胸にしみ入る条文の遠い淵源をふと、お釈迦様の国に求めてみたい心持ちになる
人の違うを怒らざれ。人みな心あり、命あり…。
最高裁が21日和歌山カレー事件に「死刑!」
1審2審ををそのまま踏襲した。
動機不明、自白なし、事件の真実は全く明らかにされていない。、
ヒ素の入手経路も明らかにされてない。
ヒ素を素人は簡単に入手できるのであろうか。
少なくとも爺はどこに行けば手にいるのかしらない。
たとい爺の部屋から出てこようともとにかく爺のモノではなく
使用しようにも熱に強いか弱いか使用方法も致死量も解らない。
市井の人はその程度で普通生きている。
鍵もしてない自宅の車庫からは知らぬ間に他人が置けば確かに出てこよう。
真須美死刑囚の自宅から事件と同じに近いヒ素が出たのみが唯一の証拠としか思えない。
お祭りの時にカレー鍋に混入できる状況が数十秒あったのみ。
だれでも疑われた者を追求していけばその時間があったはずだ。
その目撃証人も裁判では着てた服の色が違っている証言をしているお粗末さ。
本人は無罪を主張している。
爺の乏しき幼き知識では「疑わしきは罰せず!」が法の精神、さらに三審制にあると聞いていた
判決文をニュースで聞いてても下りと結論が急で整合性に?がつく。
無罪を主張してるので反省がないとなるのは当たり前。
不審な動き
状況のみといえど
認めること
判決を左右することではない。
卑劣さ残忍さに反省がない。
新宿駅以前の松本サリンのオーム事件の時、
誰もが自宅にいっぱい一般人が持ち得ない薬品を
持ち得るなどの報道で誰もが犯人と決めていたフシがあった。
もし、新宿駅事件がなされなければ恐らく状況証拠から誤認逮捕となっていたろう。
今日の判決を見ると状況証拠から当然死刑である。
和歌山カレー事件の唯一救われるのはプロ集団が判決を出したことにある。
素人は加わっていない。
ところが5月21日以降はそうは成らない。
素人がこのようなる裁きをするのである。
一般市民が裁判官が選んだ証拠を見せられるまま
裁判官が主張する法律解釈に従うままに
傍聴人が見守る中黒い法衣で出廷し、残虐な殺人事件の証拠を無理矢理見せられ
死刑や重刑の決定に強制的に参加させられるのである。
裁判員には証拠選びや法律解釈の権利は認められていない。
それでも他人の生命にカンすることを決めなければならない。
検死官医師や鑑識員刑事事件弁護士、ならともかく
死体や殺害現場をほとんど知らない素人が無理矢理みせられる。
これは心的外傷を被る恐ろしき体験となろう。
関わった案件で死刑判決になれば凶悪犯でも殺すことに手を染めるわけだから
後々までの後悔は残らないものか。
心的外傷後ストレス障害=PTSDほど厄介なるモノはない。
爺の傷は未だ癒えてない。
裁判員には生涯にわたって守秘義務が課せられる。
口外したことが知られたら逮捕され刑事罰になる。
検死官医師や鑑識員刑事事件弁護士、にも当然守秘義務があるが
プロの専門家である。
自ら選んでついた職種で長年の教育訓練を受けふさわしき報酬や名誉もあり、同業者の権益擁護もある。
素人の裁判員とはまるで事情が違う。
監視社会密告の弾圧社会が到来してないか。
旧革新勢力は戦時下ファシズムの再来を恐れ改憲政治勢力自民党右翼と戦い
また
旧保守勢力は共産化を恐れ左翼政治勢力と対峙した。
その双方が恐れていたのは
国民ソウ動員型の密告社会。
軍隊に酷似した上意下達の司法機関の暴走
それを黙認した法曹界の怠慢。
お上のみ目の向いたマスコミの批判精神を忘れた腐敗で
いつの間にか5月21日を迎えてしまう。
ファシズムと言う言葉の解釈は学者の数だけあるが
イタリア語のfascio=東・結束にある。
国家が危機を乗り切るには軍産官民互いに反目を乗り越え一致団結して勇猛果敢に立ち向かい乗り切るべきだ
独裁制の体制下にあらゆる勢力を引き入れコレに逆らう勢力を容赦なく弾圧していく
命令一下全体が一つになって動く体制が作られる。それがファシズムだ。
この国には厄介なことに死刑制度が残っている。
裁判員制度は素人国民を死刑を含む重罪判決の重責矢心理的ストレスを
無理矢理加担させる国民総動員制度に他ならない死刑司法ファショだ。
司法界がそうなるなら公務員制度の
警察や軍隊もみな素人国民にやらせればいい。
公務員総てソウダ。
素人には無理である。
発想が馬鹿げている。
大学という教育制度が欧州に発足して千年近いが
尤も古い学問が法学である。
専門的知識と訓練が必要ということだ。
訓練を受けてない素人が人を裁く危険性。
国民に開かれた裁判制度という。
ならばカメラを持ち込めるや現在の密室法廷を改めることだ。
裁判の傍聴は国民の権利だ。
ところが人数制限で実務上傍聴制限がある。
人権がこの国には全く理解されていない。
正しい訴訟手続きで罪が立証され有罪判決が出て
その宣告がなされるまでは
どんなに怪しき人でも無罪であるルールは
近代法の大前提である。
国民の大部分はコレを実感で知らない。
マスコミもしかり。
三浦和義事件にみられる人権侵害報道がそれだ。
容疑者を罪人と信じる。
マスコミに欺された国民はコロリと欺され信じる。
小沢民主党主秘書は今のところ無罪である。被疑者である。
推定無罪の認識が無く容疑者を罪人と信じる。
そう言う構造がある限り素人裁判員を加えれば冤罪の危険は増すばかりだ。
国会で行政の長たる総理が
「小沢の秘書は明らかに違法であったがゆえに逮捕ということになった。」
裁判官もビックリの有罪判決をしている。
その三日後笹川総務会長。
民主党小沢一郎の団体献金禁止発言に対して
「泥棒が私は今日限りで止めるから皆さんもやめようと言う方が
もっと説得力がある。と公言した。
推定無罪どころか小沢一郎さえドロボー以下と決めつける法の無知、横暴ぶりだ。
こういう法の無知、アホウの輩が法治国家の行政を司ってる現実にある。
最高学府を出て留学までして勉強した二人にしてこの程度だ。
しかもこの程度の認識者が政治権力者となり法制度を腐らせてきた。
事例は省略する。
素人の人権意識法理解なぞ推して知るべし。
一度マスコミの新聞テレビで報じられた時点でこの国は既に犯罪者扱いになっている。
PTSDに今だ苦しんでる爺である。
爺なんぞは今日時点でさえ一分一秒も新聞のインタビューを受けていない。
それが地元紙の紙面を毎日賑わした。
地元新聞が本人取材を一秒一分もせず一方的に書きまくる。
もうその時点で爺は犯罪者扱いである。
これに全く取材無しのテレビが加わるとどうなるか。
警察検察が動き出す社会情勢が醸し出される。
新聞に書かれて1ヶ月近く再度の新聞記事の乱暴なる催促を経て司法が動き出す。
その時点でも一切の取材無し。片手落ちの新聞社。
されど対抗処置をとらぬ爺の暢気さ。
書いてあることチャンチャラおかし。
総て誤解から来てることナンテェ事はない。
開き直りでなく事実に反した誤解に過ぎないから屁とも思わない。
普通はソウであろう。
抗弁処置の手法さえ知らない。
一般人はその程度で生きている。
司法機関が動かなければ怠慢であるとの常識的ものがある。。
社会全体に平等意識が全く欠けてる魔女裁判の雰囲気がある。
社会存在を最初の一報の時に、逆告訴ぶ告罪なぞで訴えないと犯罪は簡単に作られる。
冤罪が生じる要素がこの国にはゴマンとある。。
三審制最高裁なぞ全くあって無きが如き者。
弁護士の説明一つが総てを左右してしまう状況下にある。
「総てをお任せします」となる状況にあるのだ。
本人の恣意は入らない。
後はベルトコンベアーで処理され進んでいき一丁上がり!
その社会現象がある事を証明してるのが一国の総理の発言からにして
その程度の軽い社会人認識に過ぎないことが証左である。
裁判員制度に素人が加わる恐ろしさはこの国ではこのよう満ち溢れている。
誰が裁判員制度を作ったのか
政治は別に譲るとして実務者のことだ。
サンデー毎日3/22に記事がある。
検察のトップは樋渡利秋(63)検事総長。
リクルート事件では半蔵門病院にある江副浩正会頭に病室での異常なる事情聴取
総長に上り詰めたのは裁判員制度創設導入の功労人事である。
兵庫県出身と言えばこのブログでも書いてきた小泉竹中に連なるオリックスをはじめとする一連の兵庫人脈。
99年に始まった政府の司法制度改革審議会の事務局長。
素人たる国民の司法参加に激しく対立する法曹三者や有識者の反対の猛攻をとりまとめた。
法務事務次官などを歴任。
その樋渡利秋の秘蔵っ子が佐久間達也特捜部長(52)で
特捜部100人の司令塔。
在米日本大使館書記官や法務官僚のエリート街道を歩くのを
将来の特捜部長として樋渡の横やりで特捜副部長に呼び戻した。
昨年7月部長就任の時の弁に小沢事件への政治性を感じる。
「放っておけば政治経済のシステムを腐らせる事件を暴きたい。」
副部長の時は福島県知事事件、防衛施設庁談合事件を手がけた。
今回の小沢事件の指揮者。
最高検大鶴基成(54)は今年1月の人事で地検次席検事就任が有力視されてたが
マスコミ評判が悪く報道対応に適さないと直前に谷川に変えられた。
特捜部長時代はライブドア事件や村上事件を指揮
気に入らない社は出入り禁止を連発
福島知事事件も現場がのる気分でないのを
これが出来るかどうかで自分が刑事正や次席になるか決まると息巻き怒鳴り続けた。
あの原発に監視し続け電力会社からきらわれた福島県知事の事件である。
出世のために事件を手がけるとは恐れ入ったモノである。
取り調べの際のビデオカメラや録音機を設置する取り調べ可視化法案を民主党が提出している。
政権を執れば実施するとの小沢民主を嫌がってる検察当局。
小沢狙いの体制は作られてきていたのである。
それらを含めて裁判員制度は5月21ニチからスタートする。
さぁ~素人が裁判できるのか。
御白州にしょっぴけ!
遠山の金さん如くに入れ墨でも入れてはしないか心配である・
この御白州をなんと心得る。
このサクラ吹雪が目にはいらネェ~か。
クワバラクワバラ。
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