ヒロシマ

2009年8月6日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・コウホネ
花言葉は・・・・・・・・崇高

スイレン科水生植物のコウホネはなかなか縁が薄い。

原爆ゆるすまじ カニガクガクと 瓦礫を歩む

睡蓮科の水生植物は園芸ファン泣かせで庶民ゆえ叶わぬ願いの自宅の庭に池がほしくなる。
水生鉢などを利用して満足するほかない。
それにしても芸術家・モネは来日の経験もないのに
ジヤポニズムをフランスの地でよくもあそこまで開花させたモノだ。
一連の静寂なる絵画は溢れんばかりの日本の魂をキャンバスに描ききっている。
芸術家科学者の創造力、行動力にはただ驚きばかりで敬服する

爺の日々の楽しみの一つにリンクの皆様のブログを愛読させていただいてるコトがある。
その一つに科学者の書かれるブログがある。
文盲ゆえこれが知識取得欲を大いに満足させていただいている。

核廃絶の願いの実践者にあらたに二人の著名な芸術家科学者、三宅一生、益川ノーベル賞受賞者が加わった
  やすらかに眠ってください
  過ちは繰り返しませんから。

社会改革運動で訪れ、ぬかずいたモノである。
粗暴でやんちゃな生き様が矜持のハズの爺も
流石に敬虔なる日本人の魂を蘇りさせられる。

あの日以来生涯をかけ核廃絶に向け流された情熱の人々は数限りない。
オバマの登場で劇的に核廃絶が世界に影響を与えた。
米露の超大国はオバマのプラハ演説以来早速会談実行、核兵器の縮小を具体的に数を上げて宣言調印した。

わすれるな!日本の原点。
8月は日本人の特別な月であり現在を未来を考える鎮魂の月である。
沖縄忌、8/6、8/9、8/15昭和天皇も祈願した特別な日である。

1945/8/6午前8時15分ヒロシマ300メートル上空。
100万度の熱射って~あるんだろうか。
60度ぐらいのお湯でさえヒトは皮膚の痛みに耐えきれず応急処置で数十分の冷たき水に晒し続ける。
この低温度でさえ外皮は火傷症状で痛くてたまらない。

今年になり新たに5635人の方々が慰霊碑の名簿に付け加えられ、
ヒロシマ原爆被害者は263945人。

ノーモア・ヒロシマ
ノーモア・ヒバクシャ
ノーモア・ウォー

なりやまぬ街中が崩壊していく
地獄の主聞いたこともない擬音
メラメラ、グワシャ、グワシャ
恐怖でおののくヒロシマの総民
爺も64年前に思いをはせ鎮魂の
気持ちをこめ未来を見つめ思索
を試みる。
お付き合い下さい。


太陽がようやく輝きだした頃
軍都ヒロシマがすべて消えた

ミンミン蝉鳴き声
ヒト々の絞り出す
まったく同じ言葉
同じ低いうめき声

 水 水 水
 水を下さい
誰一人漏れな
く一様の言葉

背中の皮はただれおち
衝きだした両手の先の
五本の指は解けて棒状
衣類は焼けてなくなり黒こげの裸が歩いている
辺り一面が両手が解け全身に解けてる部分々の
幽霊の数々歩いている様
軍都ヒロシマの地獄図絵

南京の
北京の
タイ洞窟へのガソリンタンクを投げ込んだ
我が軍のやってきたことを神は見逃さない
一身の総てを背負い込んだ如きのヒロシマ

全身火傷の若き女の裸に見かね
耐えかねて手持着物を着せるが
それが痛くて歩いて遠ざかる女
水 水 水
水を下さい

あたいよ
こわいよ
ほんとにおえちゃんなの
いつも仲良し兄弟の会話

ヒロシマの街中の7本の川には黒こげの焼け焦がれた炭の山
ほんの数分前まではペチャクチャ喋ってていた二人は黒こげ
いかに世界中の天才芸術家文芸家作家でも創造も出来得まい

ヒバクシャで溢れる避難所の地下壕
ローソクもマッチ一本なき真っ暗闇
そこに、少し違う希望の叫びが響く

ヒェッーイタイー
・・生まれる・・
この地獄図の惨状
産気づく若き妊婦

私が産ましてやる
わたしは産婆です

先程まで呻いてた全身火傷
ヒバクシャのご婦人の声が
地下壕いっぱい気高く響く

うめき声で充満する真っ暗闇の地下壕
総のヒトが言葉をマリアの声で聞いた

オギヤァー
オギヤァー
オギヤァー

産めんかな
産めんかな

どうしたの
大丈夫なの
元気出して

産婆は息を引き取っていた。

ノーモア・ヒロシマ
ノーモア・ヒバクシャ
ノーモア・ウォー

やすらかにお眠り下さい。

爺でさえ戦後世代で実際の戦争体験者ではない。
戦後64年、
戦争体験者はモウ会えなく、聞けなくなる。
風化させてはならない。
今聞かねば聞けなくなる。

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