休息はいつでも必要である
名画の風とともに去りぬの結末も故郷タラへ帰る結論をだすが
スカーレット・オハラの最後のセリフが忘れられない。
「明日考えよう」
日々の休まぬ攻撃に実にこの年齢ゆえ疲れる。
若さはいい。
攻撃するほど楽しいらしい。
  ・・・
宮崎における歌舞伎、能、落語会・・・
英気を頂き充電できた。
連休で考えをめぐらすことが出来た。
新政権には休みがないが大丈夫であろうか。
明治維新・敗戦・政権交代を近世史の三大出来事と爺は思うが
社会的認知が遅れ遅々として進まぬ部分を輪をかけて報道される。
これはつらい。
発足したばかりゆえ64年も政権にあったものとの灯では未熟さは多々ある。。
あまりにもフラストレーションがたまると
政権の規律の弛緩も出来つつある。
道路特定財源は先送りとなった新政権。
鳩山事務所の資金帳簿の問題を自公政権の残滓が虎視眈々と地検動かしつけ狙う。
この政権の要たる小沢一郎も秘書裁判が始まる。
政権交代を三大大事件の認識を失ってはオジャンである。
この国を紐解くとき歴史事件で写りの悪いことは
どうも政権交代に類する類にある。
人間模様が複雑にあり決めてない形で成就した部分があるゆえであろう。
それらの歴史的区切りは爺が見るかごり次のように歴史上は散見される。

大化の改新、建武の中興、明治維新

大化の改新は新興宗教の仏教による国づくり。
来年は奈良京1400年である。
明治維新は支配体系を根本から変革する大革命
国民目線から日本の歴史の最大変革のものであろう。
武家から公家の建武中興など名ばかりの鎌倉武士腐敗政権の延長と対比できる。
ただこのことほど鳩山由紀夫新政権にとって学ぶべきことは一番にある。

爺も18名内閣の中で元自民党員はわずか4名とは認識を新たにされる。
民主党内にあるだろうはじき出された元気もの実力者たちのマグマを処理できてるのか。
小さな亀裂が大きくならないか。
内閣が危機にさらされたときのあり方である。
それは閣内の旧社会党旧民社党旧自民党いずれの陣営からも見方が分かれていよう。
それが連立といえばそれまでだが
母体となる巨大政党民主党事態にある。
つまり現政権は連立の連立である。
中身は恐ろしきほどの未熟な政治家群
小沢チルドレン145名
爺のほうがよっぽど政治が国家の未来が見据えられると思う。
なぜ馬鹿を言うか。
そのようなる人々が取り巻いてるということの忠告である。
スミス都に行くのDVD鑑賞をまづお勧めする。
小泉チルドレン83名生き残りは9名のみ
建武の中興によく似ている。、
これは学ぶべきである。
それは今後の政治の混乱に役立つ。

新田家は源義家の四男を祖とし、その初代が鎌倉幕府の頼朝に非協力的で群馬60郷のわずかしかなかった領地と無位無官
新田義貞はそれから八代目にあたる。
徳川家康も家の祖先を新田家をその嫡流と崇めた。

隠岐に流された後醍醐天皇の皇子護良親王の綸旨の命を受ける。
北条の鎌倉幕府倒幕に腰を上げ他時は僅か150騎といわれる
利根川を越えるころには数十万に膨らむ。
稲村ヶ崎に名刀を投げ潮が引き鎌倉になだれ込む。
唱歌に歌ったものである。
♪七里ヶ浜の磯伝い・・♪
新田義貞は後醍醐天皇の息子の護良親王を担ぎ鎌倉を攻める。
隠岐にあった後醍醐天皇は貴船山に地元の名和が寄陣し帝は京に帰り後醍醐政治が実現する。

建武中興で一時武士政権が公家政権になりそれを経て
九州まで落ち延びた足利尊氏が捲土重来、鎌倉で武士社会再建。
後醍醐天皇に翻弄されながらも成し遂げられた鎌倉幕府打倒

この二転三転があるゆえ詰め込み授業では時間がなく楽しくない。
もちろんそこには太平記をあわせ読むホローもなく話されなかった。
桜井の別れなぞ講談浪曲でしか話されない。
それ以前の平家物語に沿った授業ももちろんなかった
・・・諸行無常の響きありのくだりを暗記してるだけでのストリー制、人間味で修めないゆえだ。

北条執権の鎌倉幕府を倒した武士団の
、もっぱらの関心事は、滅亡した北条の残した巨大な得宗領の取り分争い。
ところが北条の持っていた領地は公家のものにされた。
それが建武の親政の中身で、それですべて。
北条を滅ぼし上洛した新田義貞に後醍醐天皇による倒幕の恩賞の発表。
 「従四位、越後守、播磨大介、上野大介。」
すでに得宗領の多くは千種忠顕はじめ戦功のあった公家や正中の変で失脚していた者たちへの恩賞として処理されていた。
千種忠顕の3国と56領地の恩賞などといった公家に対する派手な恩賞
それはひとり新田義貞だけの事ではなく、全ての勲功のあった武士が同様に低く抑えられている。
なにしろ足利高氏はじめ朝敵だったはずの多くの武家が寝返って朝廷側にある。
ただ武家勢力に対する後醍醐天皇の挑戦的恩賞である。
  武家の恩賞
新田義貞     「従四位、越後守、播磨大介、上野大介。」
脇家義助(義貞弟)=正五位、駿河守
足利高氏 尊  =従三位、伊豆・武蔵・相模守天皇の名前の尊治より一字をうけ
足利直義(高氏弟)=従四位、遠江守
楠木正成     =正五位、河内・摂津守
名和長年     =正五位、因幡・伯耆守
赤松則村     =なし
菊池一族     =なし

①尊氏
執権北条高時より一字頂いて授かった高氏の名を捨て
後醍醐天皇への忠誠を示すという尊氏への改名
しかし巷で「尊氏なし」と噂されるほど親政の要職につけなかった。
②護良親王
倒幕劇の始まりは護良親王の挙兵
父後醍醐の意志をついで幕府を倒し、天皇親政を築くことであった。く
計画が成就するより早く後醍醐天皇が隠岐を脱出したため主役の座から降ろされた格好となった。
実際に護良親王派に近い赤松則村や菊池一族へのないに等しい恩賞の沙汰にあるとおりである。
③新田義貞は二人の確執の仲中立
足利家の風下には絶対に立てないし、源氏再興の夢に護良親王の存在は邪魔である。
義貞は、護良親王の、征夷大将軍任命に賛同をする。

護良親王は建武親政に参加せず、赤松則村(赤松円心)らとともに大和の志貴山にこもったのでした。
征夷大将軍となった護良親王は京へ凱旋。
足利尊氏にとっては脅威
足利尊氏と護良親王の京での確執。

不穏な中、突然護良親王は父後醍醐天皇により捕らえられ、足利尊氏へ引き渡さる。
この奇妙な大事件はなぜ生じたか。
尊氏討伐の密書の発覚とその裏にある宮廷内の内紛
護良親王は実力ナンバワンの皇太子ゆえである。
後醍醐天皇の寵愛を受け政治にまで影響力をもった准后の阿野廉子(あののれんし)
実の子(恒良、義良、成良)の最大のライバルが護良親王

護良親王は、今は足利尊氏の弟の直義の治める鎌倉へと護送
不安定だった親政が一気に崩れだす
以下(下)に続く

小泉純一郎元首相:“シュワッチ”声優デビュー(毎日
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20091013spn00m200016000c.html
ウルトラマンら戦士たちの王「キング」
日本をぶっ壊した張本人が、「正義の味方」とは
子供達の未来を奪った奴が、子供に夢を売るそぶり…
流石!「ペテン師純一郎」の愚骨頂!
決定版 全ウルトラマンパーフェクト超百科 講談社 刊

なぜこの担ぎ出しがあったのか。
残党が生き残っている事にも驚きですけど国民舐めすぎ!

日中韓会談での鳩山党首発言で見えてくるもの。
拉致奪還に小沢一郎幹事長の「北」へ行くサプライズが見えてきだ
これに対する先制攻撃である。
小沢一郎VS小泉純一郎の争闘である。

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