今日の誕生日の花は・・・シラタマホシクサ
花言葉は・・・・・純粋な心

ホシクサ科の白玉星草は伊勢湾岸地域と宮崎県の一部と三浦半島の一部にしか自生していない珍しい植物
と記述してる植物図鑑がある。
ブログには静岡、愛知、三重県の湿地に群生分布とある。
とくに愛知県の葦毛(いもう)湿原をあげている
園芸店でも販売されており、タキイの花の種にもある。
ブログに栽培が難しく次の年には芽が出ないとあるがそうでもなく市販のプランターの水抜きを閉めて管理すといい。
そう根腐されも起こさない。
今頃小さきながらも豪華な白きコンペイトウみたいな花をつける。
時期は少し違うがサギ草との混植もいい。
モチロン南蛮キセルも。
小品盆栽の添えには無理でも野草展には評判よかろう。

立冬の 太陽の位置 確かむる

今日は二十四節気の、立冬.
商魂たくましつゆなどのメーカーのヤマキ株が提唱してる鍋の日 。
まぁ~それを楽しむ文化のこの国
民族とは文化とは実に不可解である。
人は、どこまで適応力あるのだろうか
1月の平均気温は氷点下50度。
エエッ!いまなんツゥ~た
 どこ?
6日午後10:45~午後11:30NHKテレビ世界一番気候
世界で一番寒い村「オイミャコン」はロシア・シベリアのサハ共和国
ヤクツークからさえ車で3日。
ヤクツークの寒さは半端ではない。
1万一千年前のマンモスの死骸がまるで生きてるがごときが 氷河の下から掘り出され 愛知博の目玉になった寒さ。
そこのひとがいう。
「エエッ!オイミャコンにいくんですかやめたがいいですよ。」
「なぜ?」
「あそこは寒いですよ」
途中川は氷の道路で車が行きかう。
普通のタイヤでである。

レポの方が到着した2月の朝10時のこの日は現地の人いわく比較的あったかな昼間のー46度である。
5日滞在したレポーターの俳優の大高洋夫記録の寒暖計の朝はー56度
1926年チリ人の記録はー71,2度。
モチロン人が住むとこのギネスもんである。

そこに生きる人々は大自然が原始時代のママ変わらずあり薪は森にある
8ヶ月そう厳しくあるだけで、草も伸びる4ヶ月で飼ってる牛に与えるために飼料を作る。
夜は外気温ー50度の日々だが毎やバレーボールに興じる
・・・・豊かに生きてる人々の姿がそこにある。
過疎で消え行く年々の廃村が生じる温暖なるこの列島に住む人々は何であろうか。
そういわれても雪がある生活さえ一日たりともまったく知らぬ爺にはとても・・・である。
川の氷に穴を開け仕掛けの網を上げると魚である。
素手で取り上げると瞬間で冷凍魚一丁あり!
現地に着いたとき手袋二枚でさえ冷たく何枚か重ねたレポーターなのに素手!
人ってどうなってるのだろうか。

水道施設は存在できず6人家族でドラム缶満杯を二つ分、給水車で配送される
水源地は川の水そのもの。
家庭に配給され貯められた水をコップにすくわれ勧めらる・・が躊躇する。
インデリルガ川で取水するところを見ていての文化国家の水常識ゆえの警戒感。
「おいしぃ~ですよ~ドぅゾぅ~」
ところがどうだ!
 「うまい!」
バーニヤ=風呂はサウナ。途中外気温ー56度にまっ裸。
この部分のみ北欧での記憶がある。男女混浴でのまっ裸。
洗濯ものは日本と同じように外に干す。
すると水分は外に出凍る。
これを振り放してハイッ!乾きました。
6日25度にアル宮崎となんら変わらない洗濯物、
温度差75度ぐらいもある。
「ひえぇ~~~~」
人口900人の村。学校は小学生から高校生までいる。
ホムス=口琴はセンス見たなものを口にくわえて鳴らす。
馬頭琴にチョッピリ似たる音色
サハ語を日本語で直し歌う交流
ホソハイは祝い歌での舞踊。
ためしてガッテン!や鶴瓶の家族に乾杯の小野文恵アナのおちゃまな感じの番組に流れる説明が適役である。
19時30分からのネットワーク現代の国谷弘子アナではとても出せない雰囲気がある。

平成の無血革命の国会質疑を聞いてるとジワッ~と日々解りワクワクしている。
マスコミの雑音ニュース解説がなければ誰でも即ヨ~ク解るハズだ。
まず各閣僚が生の声で語っている。
国会の質疑情況がトンデモナイ変化として映像としてそこにある。
世を終えてる爺は生きていてよかった。
6日の参院予算委員会
新旧厚労相が初対決で、思わず「舛添大臣」と長妻大臣の緊張振りがうかがわれる。
自民党は舛添要一前厚生労働相がトップバッター。
本性が出てて醜いこんなに暴力的なる粗暴なる人であったのか。
長妻大臣への年金新型インフルエンザ対策などへの取り組みを追及。
思わず「野党長妻」が「舛添大臣」とやっている
国産ワクチンの年度内生産量を1800万人分から2700万人分に上方修正したことを取り上げ、
「安全性の確信はあるのか」
、答弁する長妻厚労相
「舛添大臣にお答えする」
実にまじめを絵に描いた威張る出なし謙虚なる今までない大臣である。
自分の質疑はまだ許容範囲でいいが関連質問のかっっての大臣川口順子のときのや西田昌司のヤジはいただけない。
順子はヨリコとNHKが中継の合間に行ってたが麻生流読み方ではないんだろうな。
これが元大臣たる知性の一つも感じられない。
鳩山由紀夫総理の環境改善の国外での公表は
 川口「外交は駆け引きカードの切る時期が悪い!」
 鳩山「無条件で切ったのでなく各国の情況を見てカードを切った」
 川口「経済が悪化する時期が悪い」
 鳩山「日本の技術ゆえ経済は成長するバスに乗り遅れのこれまでの政権と違い最適であった。」
 川口「質問できません」
 舛添「議事中止メモ止めろ!」
  中断である。
中断の場面でもなんでもない。
情報操作をしているのではないかと思えるほど。といいたい放題。
輪をかけて西田昌司週刊誌評論家
 西田「雑誌WILLに投稿しているそのときの原稿でのとうりで申し上げる」
鳩山事務所の経理処理や小沢一郎の処理を口汚くののしる西田昌司質疑。
B層にあわせての質疑挙句の果てにはテレビに写ってる・・
お前だけだろうと突っ込みたくなるほど。
公共の電波ゆえと原口総務相からたしなめる始末。
指名された総務庁官僚の参考人の政府委員も答えにくそうであった。
疑惑解明で国会参考人というが名誉毀損でてめぇ~が招致されよう。
そりゃぁ~騒然となるわな~。
その後の郵政で自民を追われての国会議員としてマトモナ議論の
自民共同会派の荒井広幸議員のときはヤジひとつない。

民主平野建男議員の質問を聞く限り民主の質疑はいる。
国家のおかれてるさまざま問題の解決策を迫る。
ひな壇の大臣連もタジタジで答える。
与党議員のちょうちん質問でない。
議会の理想化にまい進する小沢一郎の与党質問はいらないはダメである。
いまの野党自民の質疑内容からは国家建設の議論内容に程遠い。
TBS視聴率で二桁がないというし経営も大幅な始めての赤字という。
再度の大編成を余儀なくされている。
どうだろう
国会質疑を土日或いは再放送で夜流したらどうだろう。
制作費いらづで視聴率はどうであろう。
やってみるべし。
爺が政策部長なり経営陣ならすぐ実験的にやるなぁ~。
要するにCM効果があればいいわけだ。
スポンサーはまずイオンあたりからやればいい。
落語三方一両損の大岡裁きの逆転思考である。
勤労国民は昼間の国会実況誰が見ていよう。
視聴料で成り立ってるNHKにも一考を要すると愚言を申しておく。

さて8日日曜日は広島知事選である。
現職知事はオリンピック開催で広島市長に聞いてないと不遜なる態度であったが多選で辞める。
参議院議長を務めた藤田正明の長男
現知事の母方の祖父は第2代公選広島県知事、大原博夫。
大伯父はゼネコン藤田組(現・フジタ)創業者、藤田一郎。

爺の師匠は実に多い。われ以外みな師。
ブログの方々にも数多く私淑している
知らなかったサッカーの世界も少しわかってきた。
研究の厳しさにも刺激を受けている。
最近はスポーツ紙の競馬欄をみる。
60の手習いである。
その師匠は博識ゆえご存知であろう。
 名馬トウショウボーイ
北海道に牧場がある。
現知事の実弟の藤田衛成がトウショウ牧場オーナー
ここの厩舎の馬は見分けが楽である。
冠にトウショウがつく。
その馬主牧場経営者は藤田組の藤田正明に繋がるわけである。
藤○正○ゆえトウショウである。
画家がどこかに自分を描く
その国なら国宝たるレンブラントの夜警に自画像を描いてるごとくである

景観論争となっている福山市の鞆の浦の埋立て架橋計画問題
当然知事は裁判に敗訴しようと一貫して計画推進の立場。
後継者は大変である。
鞆港のすぐ前に見える仙酔島、弁天島を含め島全体が瀬戸内海国立公園
鞆の浦は古代から潮待ちの港、万葉に歌われた名勝・鞆の浦なぞ屁のカッパ。

広島の二つの世界遺産ナゾ目にないわけだ。
これなら原爆ドームを近代建築の博物館にしようといいかねない。
ブログの方は賢明であるゆえ説明の要をしないだろう。

最近はどうしたことかピンボケの日向の民は眠りから覚めて
大津、三重伊勢商人を上回り知の民越中富山、教育の信州長野の人々に負けえぬそれも守銭奴有名人狙い。

その藤田知事の後継者狙いがナント!宮崎の人なんである。
そッそれも二人もである。

広島県知事選挙  2009年10月22日告示  2009年11月08日投票
http://www.senkyo.janjan.jp/election/2009/34/00010500.html
川元 康裕 42 学習塾経営、kaaJAPAN代表
柴崎 美智子54 前広島県議会議員お茶の水学習塾塾長
村上 昭二 62 党広島県委員長
湯崎 英彦 44 元通信会社経営、会社役員
河井 案里 36 前広島県議会議員

湯崎 英彦(44)は東大から通産官僚。民主党が支援する。
自民党は河井 案里 旧姓前田・夫は河井克行自民党衆院議員・比例代表中国ブロック

河井案里候補は宮崎大宮高から慶応大大学院を経て科学技術振興事業団などに勤務。
県議を6年半務めた。
所属していた県議会自民系会派などの後押しを受けており、当選すれば女性では全国最年少知事となる。

川元候補は両親の離婚後、日南市飫肥に住む祖父母方で小学校低学年から高校まで過ごした。
九州大教育学部を経て、大ファンだったプロ野球・広島カープの本拠地である広島市に転居。
現在は同県内に学習塾17校を展開する

ところがである。
これっが奇怪である。
尾道は亀井大臣のお膝元ゆえ?

柴崎 美智子54 前広島県議会議員、の経歴である。
ホームページを見ると出てきてない。
政治活動はナント!民主党の県議である。
保育所を立ち上げ立身伝の人
県議時代の汚職疑惑追及が厳しくての民主公認なしのようである。

陣営の松田さんと会話したが爺の言う世渡りヘタは言われるとうりですね。
  屈託がない。
草の根でやり抜けばどうでしょう。
投票率がどうもあがりませんデェ~

ニュースでは島根の19歳の女子大生が広島で頭だけ発見とある。こちらはB層世論全国が注目しよう。
こんな国にしてるマスメデアの罪は深い。

爺の目線はここで見る
「棚田の数では日本で群を抜いて日本一」唯一の産業であったころの英知あふれる国安芸備後の国。
選挙の神様田中の弟子小沢一郎の選挙戦術はまず川上からにある。
川の流れの源の田舎で人に会う、徹底したドブ板選挙。

乱立は過熱すかと思えば大違いで
日本の47都道府県の中で12番目に人口が多く、鳥取県・島根県・山口県の3県併せたものに匹敵する。
県庁所在地の広島市は中国・四国地方最大の都市
その最大都市の広島にしてこうである。

ちなみに民主候補は自民の一部県議も取り込んで有利のようである。
やはりここでも田舎人宮崎人は健在のようである。

広島県はこうである。
奈良時代初期に編纂された備後国の風土記が記録として残る古き国
平家であらぜば人にあらずの権勢を誇った平清盛の宮島建立。
戦国時代は大内氏の勢力下にあり、鞆の浦は天文13年(1544年)に海賊村上水軍の村上吉充に与えられた。
鞆には弟の村上亮康が派遣され本拠は大可島城に置かれた。
このため亮康は「鞆殿」と呼ばれた。
元亀4年(1573年)に織田信長によって京都を追われていた室町幕府最後の将軍足利義昭が毛利を頼った。
天正4年(1576年)から鞆に滞在、後に鞆城となる鞆要害が築かれ義昭の居館があったとされている。
義昭の警護は大可島城の村上亮康があたっていたという

備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩には備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた
薩長芸3藩の討幕同盟の扱いはなぜか小さい。
廃藩置県で広島県と福山県となる.

広島は大内を滅ぼした毛利家の国
毛利氏の祖は大江広元。
元就は完全に臣従した吉川元春、天野元貞、出羽元祐などには、「元」を一字書出として与えた
そうでない国人衆の平賀広相、阿曽沼広秀などには、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、
「広」の字を与えたとされる。

この慣習は毛利輝元にも引き継がれ吉川広家、山内広通、益田広兼など
、毛利氏の特に輝元の与える「広」は重要な意味合いを持った。
従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」
に由来する。
1843年: 福山藩藩主の阿部正弘が老中首座に就任、日米和親条約を結ぶ
1800年: 頼山陽が広島藩を脱藩している。
呉は軍都て現人神の天皇さえいただいた。
大和を再現しミュージアムのテーマパークはこの種では珍しくも黒字。唯一はこもの行政に勝利しているお国。

広大教育学部は教育者を生み出す最高の難関入り口。爺の師はここを出られて初赴任で光栄にも担任となっていただいた関先生、英語なぞをご教示いただけた。但し義務教育で勉学を捨てついでで生きてたゆえその魂を残念ながら消化できないでいた無知ゆえのそのときの爺目。
悲しい敗戦の貧乏は不幸なる人一人確実に生み出した。
人生を終えうるにあたって無我無知を恥じる
神よ!出来うるならあのときの教室に連れ戻してくれ!

広島人気質は先日の訃報のカープ三村敏之元監督を語ればいい。
  それを教えてくれる
「君に3割はいらない」。
ルーツ監督に言われ、三村敏之選手は戸惑った。
セ・リーグ2位の3割8厘をマークしたこともあるのになぜ…。
葛藤の末、身を捨ててもランナーを進める2番打者に徹した
カープが初優勝した1975年のことだ
あの川上哲治も絶賛したほどのあり余る才能。
脇役では満たされない。やはり一流になりたい。
翌年、自分の思い通りのバッティングを目指した。
本塁打は増えたが、それ以外の打撃成績は軒並みダウン。チームも低迷した
そんな経験から悟ったのが、同名の著書もある
「超二流のススメ。」。
一流でなくても、組織の中の工夫でそれを超えることができると。
カープの監督時代には、一人一人の選手の特性を見極め、任せたい役割を本人が納得するまで説明した
一流選手ばかりのチームを「一見、高くて立派でも、ちょっとの振動ですぐ崩れるすき間だらけの石垣
」に例えた。自らもチームメートも生かせるような超二流選手の石垣を、いかにすき間なく組み上げるか。
知将と呼ばれたこの人三村敏之元監督のテーマ
組織論にも通じる野球哲学を買われ、楽天のフロントに。
後輩のブラウン氏を監督に迎え入れ爺の歳にある61歳で逝った。
その足跡はいぶし銀のような輝きを放つ。
これぞ備後国安芸国の成り立ちたるDNAを受け継ぐ広島人の人々を象徴して余りある。
叙勲さえ断った文豪漱石にしてサルと人が同居しているボヤッ~とした日向ボケのKY田舎人の宮崎の人々がでしゃばるお人がらのお国にではない。賢人の人々には勝てるわけがない。

↓ ↓ ↓ 
http://blog.with2.net/link.php?62076
   ↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く!。

コメント

yasai
2009年11月7日8:22

わざわざ広島までありがとうございます

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索