今日の誕生日の花は・・・ヤクシソウ
花言葉は・・・・にぎやか
キク科の薬師草は越年する草丈:30~120cmぐらいである。
繁茂域は広いようである。
北海道・本州・四国・九州の日当たりのよい乾いた山野に生えるとある。
色は黄色ゆえまるで違うがカワラナデシコみたいな花びらを想起すればいい。
花がなくなる頃にまとめて咲くゆえの花言葉。
花の名の由来は腫れ物の治療薬に効くからとか
薬師様の後ろにある似た植物ゆえとアンカーが言っている。
11日午後から日向の地は晴れ。だれだっ!三日連続雨ナゾと・・12日も晴れている。
この簡単なる季節にまったく当てにならない予報である。
12日は一の酉で酉の市は、11月の「酉」の日の祭日
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=s_13005934&ODEKAKE_ID=
、商売繁盛や開運を祈願する、江戸時代から続く祭事の日。
全国の「鷲神社」で開催され、中でも浅草の賑わいは有名。
午前0時になると同時に、大勢の人が詰めかけ、それはものすごい賑わいなのだが・・・。
・人・人・人・・・
ものすごい賑わい!の記憶が甦る
チューナー映像にないがやればいいのに。
一の酉 夜空は紺の 華やぎて
爺はもはや全国紙の共同記事はそう信じていない。
テレビで垂れ流されるどうでいい程度のノリッピー報道垂れ流しその後の完全にl1ヶ月前わかってたのに引っ張ってたウンザリの賢明なるブログ氏の方々とおなじ心境にある。
本命たる殺人の絡んでる押尾事件を避けるためのカムフラージュ隠蔽にあるからだ。
リソナ国有化に始まる小泉竹中の電通世耕議員を使った懐柔策はNHKさえに圧力をかける。
民放が国家の未来に関わることをほおかぶりして偏向状態にある
この状態の放置は戦略なき民主党の重大なる政治仮死、法的に言うなら瑕疵状態にある。
CIAさえ睨んだ目配りの亀・異静香か一人に出来うるものではない。
能天気なる政権与党でスキだらけでどうしようもない。
11日手元に「新聞改造」が着いた。
新聞業界紙である。
これが実に爺の早とちり大誤解である。
創立が1932年(昭和7年)本社が中央区銀座8-15-10・・・
「ヤッタ!」とおもい先日申し込んでたら早速ついた。
○田さんのご好意によりついたというわけである。
その手の情報は今やその筋の業界紙にしかない。
改造ビルは今も銀座5丁目に残ってるが書店で書籍出版部はない。
「エエッ!新聞改造・・」
「ナァ~ンダ俺ってなんたるバカッ!ナンをしていた・・・」
さっそく申し込みをしたモンである。
「改造」これほど輝いているものはない。
樋口一葉を有名にした博文館の大橋乙羽
「中央公論」の瀧田樗陰
、岩波書店を創った岩波茂雄。
[改造]山本実彦
その中でも山本実彦の型破り、編集者としての円本ブームを作りえた時代性,社会を見据えた出版物のすばらしさ[改造]山本実彦
鹿児島川内市出身で、明治37年に上京。
当時は人脈やコネが非常に重要な時代背景がある。
山本は同郷人大浦兼武を頼る
無一文から出版社を立ち上げ政党さえ立ち上げ党首にもなる。
三木武雄に連なる国民協同党である。
海部俊樹に引き継がれた政党思想である
「改造」でいえば志賀直哉の「暗夜行路」を長い間連載した、志賀直哉が書けば他の白樺派の人も書き、同郷のよしみで有島三兄弟も協力した。
この国が総ての分野にわたり一番輝いてたのは大大正デモクラシーにしかない。
今日の総体的堕落振りは見ていられない。
雑誌は次々に廃刊新聞は読者が暫時減っている
テレビはドタバタものばかり。NHKさえ共同に踊らされつつある。
政権交代の最大の場面の11日の「仕分け」をネット報道でしか触れ得ない惨状。
怒りを込めてそのあたりを爺は連ねたい。
少し長くなるが爺も辛い情況ゆえの挑戦である。
どうぞお付き合いください。
仕分け作業は午後7時過ぎまで三班ともがんばってて
ネットはズッ~ツとがんばってました。
革命的出来事をどの放送局もやってません!
爺は怒りの極地です。
このあり方を見る限り国会議員は少なくていい
半減どこではない改革を感じる活躍ぶりである。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091112k0000m010095000c.html
事業仕分けは国会議員と民間人の「仕分け人」60人以上が3班に分かれ、27日までに計9日間実施する。
210~220項目、計447事業を対象
(1)廃止
(2)地方自治体や民間へ移管
(3)来年度見送り
(4)縮減--などの判定を行っている。
行政刷新会議で正式決定後、来年度予算の査定作業に反映させる。
僅か一日ですばらしき成果を挙げた。
国土交通省、200億円など9事業。
厚生労働省、215億円は、来年度の予算計上を見送るよう求めた。
ほかにも地方や民間へ移管と判定されたのは、下水道事業国交省、5188億円など。
独立行政法人の雇用・能力開発機構に対する運営費交付金については見直しを求め、
国立青少年教育振興機構や教員研修センターなども「地方や民間移管」とした。
農業農村整備(農水省、1985億円)や港湾・漁港・海岸・河川環境整備(国交省、203億円)は予算縮減と判定され、今後の査定作業で縮減幅が検討される見通しとなった。
・・・・
ここまでくるには多くの労苦があった。
明治維新・敗戦・・・
そして政権交代の歴史が日々生じて訳である。
爺の感激は収まらない。
スケジュールはチョットきついが先人の憂国の士の思いはそれどこれではなかろう。
爺は惰眠時間を割いても精神は凛としている。
どうしても触れたいことがある。
この国の出版史の出版会社として敢然と輝く改造社は大正八年(1919年)四月創業。
昭和十九年(1944年)に軍部の圧力により解散させられ戦後文庫を除き復活。
しかしアメリカ式経営を強行して社内が大混乱、あの隆盛した社も敗退した。
薩摩人の潔さである。
この経緯は山本書店ベンダサンの山本七平がいい。
世田谷区三軒茶屋で生まれ、クリスチャンの両親の元に育った。
師団砲兵隊で少尉としてルソン島における戦闘にあたった。
この爺の叔父はここで戦死した。
あの中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」の第一部会専門委員を務める 。
1991年 逝去。遺骨の一部は反ユダヤの象徴たるイスラエルにも散骨
爺の世代人は生き抜いた時代はみなそう出あったが経済体制は資本主義と社会主義のどちらが優れているかの時代を背負っていた。
ただの思想家ではない。
『洪思翊中将の処刑』は、朝鮮人でありながら、帝国陸軍幹部に上り詰めた賛辞がある。
父親の親族に大逆事件で処刑された大石誠之助がいたゆえの屈折が見て取れる。
他には地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を主唱する森まゆみ女史の著作活動に触れるといい
松原一枝著「改造社と山本実彦」南方新社刊は詳しい。
雑誌改造を時代背景を含め体系的に説明してる著作がある。
水島治男著「改造社の時代」上・下図書出版社刊がある。
元改造社にいた人である。1938年年退社、
軍属として中国事情を探る。
軍部に直接協力したわけではなく、アジア情勢を見つめようとしたのだ
、その横暴を前に自らの節操を問い、出版界に戻る。
1944年「共産党再建会議」をデッチ上げた横浜事件で逮捕、
その汚名は2005年まで待つしかなかったこの国の不可思議さ。
どうやって「改造」に触れえるか。
国会図書館でなく出身地に生の原稿がある。
鹿児島県薩摩川内市・川内まごころ文学館に原本が所蔵されている
所蔵の作家ら90人の直筆原稿7000枚が執筆当時の息遣いを伝える
単行本では「現代日本文学全集」全63巻。
「研究論文集」1冊とDVD版ディスク1枚セット
定価315,000円
ヒェ~値段たかいっ!
雑誌「改造」は、1919年大正八年創刊、92年を迎えた「中央公論」さらに「日本評論」「文藝春秋」と並ぶ総合雑誌。
1944年に停刊されるが常に最左翼の位置にあった。
「民本主義」の吉野作造を擁した『中央公論』と対抗した「改造」
鎌倉に眠る岩波茂雄の岩波書籍群はすでに形を整えていた。、
実はこれには雑誌の宿命たる三号誌の宿命が幸運にも両者に時代が差し伸べた偶然性にあると爺は見る。
創刊号表紙は左右対称の森に浮かぶベルサイユ宮殿の絵を石井柏亭が描いてる格調高きもの。
与謝野晶子も創刊号に「婦人改造の基礎的考察」と寄稿した。
それでも三号誌をも含め20000部刷って13000部ほど返品。
ここで経営者そして編集者山本実彦は賭けに出る
彼自身の思想とは異なって4号目で「社会主義号」を刊す。
これが時世とマッチして、2日で3万部を売り切る。
その頃は、1917年のロシア革命の頃大正デモクラシーの頃である。
改造が「より急進的な社会主義を基調とした編集傾向」をとらせたのは、ロシア革命と国内における労働運動、
普選運動の発展という「時代の影響」があった。
この国の経済的分析で見る国家分析は労農派と講座派が激しく学問的に論争しあった。
明治維新は資本が自立しての変革or封建的制度の崩壊か
これにより改革の相手の対象が変わってくる。対立は精鋭化二つの社会主義的政党というこの国の被抑圧者側の悲劇でもあった。
講座派とは岩波の講座全集に学者論者が集ったゆえそう呼ばれる。
他方労農派の論陣は雑誌太陽などに依拠、体系的発表の場がなくあちこちに論文を発表した
労農派で比較的まとまってるのが「改造」である
爺は科学経済書物を収集して田舎では一番の気概がある。
県立図書館や二つの大学にも所蔵ざれていないものが結構ある。
類書としてヒットラーのわが闘争は日本語版初版本を新聞古書通信で求めた
同じ類書に大川周明、佐渡の天才北一輝も当然ある。
国家を揺るがし青年将校に国家改造の決起を促した故である。
講座派は収集が比較的簡単である
岩波で今でも収集できるゆえである。
労農派は難儀する単行本は後のことで雑誌などにバラバラに発表されているからである。
食えないゆえの時代背景を見る
向坂逸郎の両派の論争をリードその解説書的主著たる日本資本主義諸問題の著作で論争の多くの両派の書物が出てくる
土地が収益をあげえるやの土屋喬雄の地代論もここから知った。コツコツと事例を収集して解いている資本の集積集中情況。
、堺利彦や山川均櫛田民蔵猪俣津南夫大森義太郎・・それは舞出長五郎矢内原忠雄らにまでにも及んだ。
事業仕分け会場の反対方向の市ヶ谷駅を旧日テレに向かい右側の恩地ビルの社会主義協会で復刻版がでて古書価はグ~ンと落ちた。
日本資本主義諸問題ナゾ12000円もしたもの。
資本論初版本まであった鷺宮の書物は法政の書庫に受け継がれている。
二・二六事件は昭和七年の上海事変、満州国建国、血盟団事件、五・一五事件のあった年以降の歴史の到達点となり
、「人々の心と離反した形」ではひとつの分岐点である。
味噌汁のCMをやってた人間国宝の五代目小さんもいつの間にか反乱軍のその中にあった。
軍部は二つの派閥にあったがひとつに収斂された
統制派は国家改造のため直接行動も辞さなかった皇道派と異なり強引に権力を手中にした。軍部の暴走が始まる。
帝大たる京大河上肇事件は強烈であった。
近衛内閣発足と1937年蘆溝橋事件によって出現した戦時体制は出版事情を一変させた。
軍部の動向への言論統制はさらに強まり細々とアジア民族主義を持ち上げる形での論評が勢一杯となる。
昭和に入ると、時代は大恐慌、三・一五の共産党弾圧事件大本、創価牧口の宗教組織、二・二六事件と「暗黒時代」に突入、
言論統制で「改造」も度々削除や発禁の処分を受ける
山本実彦は薩摩武士・改造社の「編集傾向」は不動だった。
社会科学では労農派の山川均を中心に、猪俣津南夫、荒畑寒村
文学では小林多喜二、徳永直、葉山嘉樹らを執筆陣に揃え、
1927年には『資本論』高畠素之訳をだす。
先行した岩波は全集が完成できなかった。中心人物山川均向坂逸郎の力が得られなかったからと爺の判断である。
翌27年「マル・エン全集」全三十一冊を刊行、
世界一のマルクス主義の研究普及国家に貢献した。その水準の高さは国家ごとの研究機関の旧ソ連の頃の科学アカデミーを驚かせた。
この国の体系だった国家弾圧に横浜事件がある。
そのすさまじさは新聞記者ら約60人が逮捕され敗戦から治安維持法廃止ま
での期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した
神奈川県警特別高等警察=特高は被疑者を革や竹刀で殴打失神すると気付けにバケツの水
激しい拷問をやった。
横浜事件は細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」の改造に掲載されたのをきっかけとする。
この人は富山の人。
神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。
横浜地裁は著者の郷里・富山県泊町=現・下新川郡朝日町沼保の料亭旅館「紋左」で
日本共産党再結成の謀議をおこなっていたとされた後の「泊事件」と呼ばれる。
この横浜事件は
反東條英機の有力な重臣の近衛文麿の失脚を期したものではないかと推測されるフシがある。
被疑者の1人が近衛文麿の側近・後藤隆之助の主宰した昭和塾の人がいるからである。
いまでもこの神奈川県警の体質は変わっていない。
小泉純一郎はリソナ国有化から始まる事件にこの神奈川県警を利用しているフシがある。
稲川会とツーカーの関係が今でも伺われるフシがあると爺は見る。
横浜事件は何年かかったろう。
再審裁判は2005年。
最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定
マスメデアは小さき報道。
まったく取り上げない。
横浜事件の本質からは新聞紙法違反の容疑で関係者を逮捕しろ!といいたい。
裁いた人も関係者もほおっかぶり。JHQさえ伏せた。
今でもそれはあちこちにある。
ブログの方からアメリカのJFK映画のお話を教えていただいた。
日本はそんなモンじゃぁ~ないとも。
島根の猟奇事件の陰にアル鳥取事件
鳥取署員もこの事件で一人死んでいる。
1、山の中の自裁を警察署内として公務災害死とデタラメ隠匿
2、川での殴られて死んでるのに被害者家族には自殺という隠蔽ぶり
解剖してるのにこの警察の乱暴デタラメさ。
3、少なくとも最低二人の事件はおきてない警察の手落ち。
この事件で亡くなってる朝日新聞記者もそうである。
それにしても指名手配凶悪事件は1600件もあるらしい。
泳がせておいて政治の節目節目にチラリチラリ報道機関の飯の種でツーカーの中にあるマスコミ
それでもチューナーは複数、時間がもったいなく無声で写し出している。
まったく無意味なる映像である。
NHKラジオ4時からの連載放送は実にいい。
聞き逃していない。12日は第五回目。
12月6日から第6回が再放送される。
爺はこれまで生きてきた総てをかけて断言する。
これを見ざるして日本人ではない。!
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html
お昼休みナゾ利用すれば見れるハズである。
蓮舫参院議員が「女性教育会館の稼働率は?」「一般の人の宿泊者はおられますか」
同館の女性理事長は「44%…」と小さな声で答える
やいなや反撃に転じ高貴なる女性理事長が牙をむく、
「私の話も聞いてください!。一方的にただ質問に答えろというのは心外です!」・・・
迫力アル事業仕分け!
この時期・・予算確保に陳情に行ったものである。
この国が140数年かけて初めて・・・
国民目線で国家予算が組まれようとしている。
これほど感動することに接しようとは・・・
憂国の士は涙が止まらない。
○即位20年の日。祭日にはならなかったぁ~
○岡田大臣はシンガポールにある
ウ~ン・・クリントン長官の術中にある?
○オバマが明日やってくる
○12日は極東裁判の結審の日。今騒がれてる事業仕分けしているところであったあの場所でデある。不可解なる歴史の偶然性。ナンなんだろう。
お祭り騒ぎのごとく霞ヶ関が移動してるごときガそこで起きている。
朝ズバッ!ではみのもんたがバカぶりの解説をしている。
この番組はこれでも未だ程度がいい方である。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
花言葉は・・・・にぎやか
キク科の薬師草は越年する草丈:30~120cmぐらいである。
繁茂域は広いようである。
北海道・本州・四国・九州の日当たりのよい乾いた山野に生えるとある。
色は黄色ゆえまるで違うがカワラナデシコみたいな花びらを想起すればいい。
花がなくなる頃にまとめて咲くゆえの花言葉。
花の名の由来は腫れ物の治療薬に効くからとか
薬師様の後ろにある似た植物ゆえとアンカーが言っている。
11日午後から日向の地は晴れ。だれだっ!三日連続雨ナゾと・・12日も晴れている。
この簡単なる季節にまったく当てにならない予報である。
12日は一の酉で酉の市は、11月の「酉」の日の祭日
http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=s_13005934&ODEKAKE_ID=
、商売繁盛や開運を祈願する、江戸時代から続く祭事の日。
全国の「鷲神社」で開催され、中でも浅草の賑わいは有名。
午前0時になると同時に、大勢の人が詰めかけ、それはものすごい賑わいなのだが・・・。
・人・人・人・・・
ものすごい賑わい!の記憶が甦る
チューナー映像にないがやればいいのに。
一の酉 夜空は紺の 華やぎて
爺はもはや全国紙の共同記事はそう信じていない。
テレビで垂れ流されるどうでいい程度のノリッピー報道垂れ流しその後の完全にl1ヶ月前わかってたのに引っ張ってたウンザリの賢明なるブログ氏の方々とおなじ心境にある。
本命たる殺人の絡んでる押尾事件を避けるためのカムフラージュ隠蔽にあるからだ。
リソナ国有化に始まる小泉竹中の電通世耕議員を使った懐柔策はNHKさえに圧力をかける。
民放が国家の未来に関わることをほおかぶりして偏向状態にある
この状態の放置は戦略なき民主党の重大なる政治仮死、法的に言うなら瑕疵状態にある。
CIAさえ睨んだ目配りの亀・異静香か一人に出来うるものではない。
能天気なる政権与党でスキだらけでどうしようもない。
11日手元に「新聞改造」が着いた。
新聞業界紙である。
これが実に爺の早とちり大誤解である。
創立が1932年(昭和7年)本社が中央区銀座8-15-10・・・
「ヤッタ!」とおもい先日申し込んでたら早速ついた。
○田さんのご好意によりついたというわけである。
その手の情報は今やその筋の業界紙にしかない。
改造ビルは今も銀座5丁目に残ってるが書店で書籍出版部はない。
「エエッ!新聞改造・・」
「ナァ~ンダ俺ってなんたるバカッ!ナンをしていた・・・」
さっそく申し込みをしたモンである。
「改造」これほど輝いているものはない。
樋口一葉を有名にした博文館の大橋乙羽
「中央公論」の瀧田樗陰
、岩波書店を創った岩波茂雄。
[改造]山本実彦
その中でも山本実彦の型破り、編集者としての円本ブームを作りえた時代性,社会を見据えた出版物のすばらしさ[改造]山本実彦
鹿児島川内市出身で、明治37年に上京。
当時は人脈やコネが非常に重要な時代背景がある。
山本は同郷人大浦兼武を頼る
無一文から出版社を立ち上げ政党さえ立ち上げ党首にもなる。
三木武雄に連なる国民協同党である。
海部俊樹に引き継がれた政党思想である
「改造」でいえば志賀直哉の「暗夜行路」を長い間連載した、志賀直哉が書けば他の白樺派の人も書き、同郷のよしみで有島三兄弟も協力した。
この国が総ての分野にわたり一番輝いてたのは大大正デモクラシーにしかない。
今日の総体的堕落振りは見ていられない。
雑誌は次々に廃刊新聞は読者が暫時減っている
テレビはドタバタものばかり。NHKさえ共同に踊らされつつある。
政権交代の最大の場面の11日の「仕分け」をネット報道でしか触れ得ない惨状。
怒りを込めてそのあたりを爺は連ねたい。
少し長くなるが爺も辛い情況ゆえの挑戦である。
どうぞお付き合いください。
仕分け作業は午後7時過ぎまで三班ともがんばってて
ネットはズッ~ツとがんばってました。
革命的出来事をどの放送局もやってません!
爺は怒りの極地です。
このあり方を見る限り国会議員は少なくていい
半減どこではない改革を感じる活躍ぶりである。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091112k0000m010095000c.html
事業仕分けは国会議員と民間人の「仕分け人」60人以上が3班に分かれ、27日までに計9日間実施する。
210~220項目、計447事業を対象
(1)廃止
(2)地方自治体や民間へ移管
(3)来年度見送り
(4)縮減--などの判定を行っている。
行政刷新会議で正式決定後、来年度予算の査定作業に反映させる。
僅か一日ですばらしき成果を挙げた。
国土交通省、200億円など9事業。
厚生労働省、215億円は、来年度の予算計上を見送るよう求めた。
ほかにも地方や民間へ移管と判定されたのは、下水道事業国交省、5188億円など。
独立行政法人の雇用・能力開発機構に対する運営費交付金については見直しを求め、
国立青少年教育振興機構や教員研修センターなども「地方や民間移管」とした。
農業農村整備(農水省、1985億円)や港湾・漁港・海岸・河川環境整備(国交省、203億円)は予算縮減と判定され、今後の査定作業で縮減幅が検討される見通しとなった。
・・・・
ここまでくるには多くの労苦があった。
明治維新・敗戦・・・
そして政権交代の歴史が日々生じて訳である。
爺の感激は収まらない。
スケジュールはチョットきついが先人の憂国の士の思いはそれどこれではなかろう。
爺は惰眠時間を割いても精神は凛としている。
どうしても触れたいことがある。
この国の出版史の出版会社として敢然と輝く改造社は大正八年(1919年)四月創業。
昭和十九年(1944年)に軍部の圧力により解散させられ戦後文庫を除き復活。
しかしアメリカ式経営を強行して社内が大混乱、あの隆盛した社も敗退した。
薩摩人の潔さである。
この経緯は山本書店ベンダサンの山本七平がいい。
世田谷区三軒茶屋で生まれ、クリスチャンの両親の元に育った。
師団砲兵隊で少尉としてルソン島における戦闘にあたった。
この爺の叔父はここで戦死した。
あの中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」の第一部会専門委員を務める 。
1991年 逝去。遺骨の一部は反ユダヤの象徴たるイスラエルにも散骨
爺の世代人は生き抜いた時代はみなそう出あったが経済体制は資本主義と社会主義のどちらが優れているかの時代を背負っていた。
ただの思想家ではない。
『洪思翊中将の処刑』は、朝鮮人でありながら、帝国陸軍幹部に上り詰めた賛辞がある。
父親の親族に大逆事件で処刑された大石誠之助がいたゆえの屈折が見て取れる。
他には地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を主唱する森まゆみ女史の著作活動に触れるといい
松原一枝著「改造社と山本実彦」南方新社刊は詳しい。
雑誌改造を時代背景を含め体系的に説明してる著作がある。
水島治男著「改造社の時代」上・下図書出版社刊がある。
元改造社にいた人である。1938年年退社、
軍属として中国事情を探る。
軍部に直接協力したわけではなく、アジア情勢を見つめようとしたのだ
、その横暴を前に自らの節操を問い、出版界に戻る。
1944年「共産党再建会議」をデッチ上げた横浜事件で逮捕、
その汚名は2005年まで待つしかなかったこの国の不可思議さ。
どうやって「改造」に触れえるか。
国会図書館でなく出身地に生の原稿がある。
鹿児島県薩摩川内市・川内まごころ文学館に原本が所蔵されている
所蔵の作家ら90人の直筆原稿7000枚が執筆当時の息遣いを伝える
単行本では「現代日本文学全集」全63巻。
「研究論文集」1冊とDVD版ディスク1枚セット
定価315,000円
ヒェ~値段たかいっ!
雑誌「改造」は、1919年大正八年創刊、92年を迎えた「中央公論」さらに「日本評論」「文藝春秋」と並ぶ総合雑誌。
1944年に停刊されるが常に最左翼の位置にあった。
「民本主義」の吉野作造を擁した『中央公論』と対抗した「改造」
鎌倉に眠る岩波茂雄の岩波書籍群はすでに形を整えていた。、
実はこれには雑誌の宿命たる三号誌の宿命が幸運にも両者に時代が差し伸べた偶然性にあると爺は見る。
創刊号表紙は左右対称の森に浮かぶベルサイユ宮殿の絵を石井柏亭が描いてる格調高きもの。
与謝野晶子も創刊号に「婦人改造の基礎的考察」と寄稿した。
それでも三号誌をも含め20000部刷って13000部ほど返品。
ここで経営者そして編集者山本実彦は賭けに出る
彼自身の思想とは異なって4号目で「社会主義号」を刊す。
これが時世とマッチして、2日で3万部を売り切る。
その頃は、1917年のロシア革命の頃大正デモクラシーの頃である。
改造が「より急進的な社会主義を基調とした編集傾向」をとらせたのは、ロシア革命と国内における労働運動、
普選運動の発展という「時代の影響」があった。
この国の経済的分析で見る国家分析は労農派と講座派が激しく学問的に論争しあった。
明治維新は資本が自立しての変革or封建的制度の崩壊か
これにより改革の相手の対象が変わってくる。対立は精鋭化二つの社会主義的政党というこの国の被抑圧者側の悲劇でもあった。
講座派とは岩波の講座全集に学者論者が集ったゆえそう呼ばれる。
他方労農派の論陣は雑誌太陽などに依拠、体系的発表の場がなくあちこちに論文を発表した
労農派で比較的まとまってるのが「改造」である
爺は科学経済書物を収集して田舎では一番の気概がある。
県立図書館や二つの大学にも所蔵ざれていないものが結構ある。
類書としてヒットラーのわが闘争は日本語版初版本を新聞古書通信で求めた
同じ類書に大川周明、佐渡の天才北一輝も当然ある。
国家を揺るがし青年将校に国家改造の決起を促した故である。
講座派は収集が比較的簡単である
岩波で今でも収集できるゆえである。
労農派は難儀する単行本は後のことで雑誌などにバラバラに発表されているからである。
食えないゆえの時代背景を見る
向坂逸郎の両派の論争をリードその解説書的主著たる日本資本主義諸問題の著作で論争の多くの両派の書物が出てくる
土地が収益をあげえるやの土屋喬雄の地代論もここから知った。コツコツと事例を収集して解いている資本の集積集中情況。
、堺利彦や山川均櫛田民蔵猪俣津南夫大森義太郎・・それは舞出長五郎矢内原忠雄らにまでにも及んだ。
事業仕分け会場の反対方向の市ヶ谷駅を旧日テレに向かい右側の恩地ビルの社会主義協会で復刻版がでて古書価はグ~ンと落ちた。
日本資本主義諸問題ナゾ12000円もしたもの。
資本論初版本まであった鷺宮の書物は法政の書庫に受け継がれている。
二・二六事件は昭和七年の上海事変、満州国建国、血盟団事件、五・一五事件のあった年以降の歴史の到達点となり
、「人々の心と離反した形」ではひとつの分岐点である。
味噌汁のCMをやってた人間国宝の五代目小さんもいつの間にか反乱軍のその中にあった。
軍部は二つの派閥にあったがひとつに収斂された
統制派は国家改造のため直接行動も辞さなかった皇道派と異なり強引に権力を手中にした。軍部の暴走が始まる。
帝大たる京大河上肇事件は強烈であった。
近衛内閣発足と1937年蘆溝橋事件によって出現した戦時体制は出版事情を一変させた。
軍部の動向への言論統制はさらに強まり細々とアジア民族主義を持ち上げる形での論評が勢一杯となる。
昭和に入ると、時代は大恐慌、三・一五の共産党弾圧事件大本、創価牧口の宗教組織、二・二六事件と「暗黒時代」に突入、
言論統制で「改造」も度々削除や発禁の処分を受ける
山本実彦は薩摩武士・改造社の「編集傾向」は不動だった。
社会科学では労農派の山川均を中心に、猪俣津南夫、荒畑寒村
文学では小林多喜二、徳永直、葉山嘉樹らを執筆陣に揃え、
1927年には『資本論』高畠素之訳をだす。
先行した岩波は全集が完成できなかった。中心人物山川均向坂逸郎の力が得られなかったからと爺の判断である。
翌27年「マル・エン全集」全三十一冊を刊行、
世界一のマルクス主義の研究普及国家に貢献した。その水準の高さは国家ごとの研究機関の旧ソ連の頃の科学アカデミーを驚かせた。
この国の体系だった国家弾圧に横浜事件がある。
そのすさまじさは新聞記者ら約60人が逮捕され敗戦から治安維持法廃止ま
での期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した
神奈川県警特別高等警察=特高は被疑者を革や竹刀で殴打失神すると気付けにバケツの水
激しい拷問をやった。
横浜事件は細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」の改造に掲載されたのをきっかけとする。
この人は富山の人。
神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。
横浜地裁は著者の郷里・富山県泊町=現・下新川郡朝日町沼保の料亭旅館「紋左」で
日本共産党再結成の謀議をおこなっていたとされた後の「泊事件」と呼ばれる。
この横浜事件は
反東條英機の有力な重臣の近衛文麿の失脚を期したものではないかと推測されるフシがある。
被疑者の1人が近衛文麿の側近・後藤隆之助の主宰した昭和塾の人がいるからである。
いまでもこの神奈川県警の体質は変わっていない。
小泉純一郎はリソナ国有化から始まる事件にこの神奈川県警を利用しているフシがある。
稲川会とツーカーの関係が今でも伺われるフシがあると爺は見る。
横浜事件は何年かかったろう。
再審裁判は2005年。
最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定
マスメデアは小さき報道。
まったく取り上げない。
横浜事件の本質からは新聞紙法違反の容疑で関係者を逮捕しろ!といいたい。
裁いた人も関係者もほおっかぶり。JHQさえ伏せた。
今でもそれはあちこちにある。
ブログの方からアメリカのJFK映画のお話を教えていただいた。
日本はそんなモンじゃぁ~ないとも。
島根の猟奇事件の陰にアル鳥取事件
鳥取署員もこの事件で一人死んでいる。
1、山の中の自裁を警察署内として公務災害死とデタラメ隠匿
2、川での殴られて死んでるのに被害者家族には自殺という隠蔽ぶり
解剖してるのにこの警察の乱暴デタラメさ。
3、少なくとも最低二人の事件はおきてない警察の手落ち。
この事件で亡くなってる朝日新聞記者もそうである。
それにしても指名手配凶悪事件は1600件もあるらしい。
泳がせておいて政治の節目節目にチラリチラリ報道機関の飯の種でツーカーの中にあるマスコミ
それでもチューナーは複数、時間がもったいなく無声で写し出している。
まったく無意味なる映像である。
NHKラジオ4時からの連載放送は実にいい。
聞き逃していない。12日は第五回目。
12月6日から第6回が再放送される。
爺はこれまで生きてきた総てをかけて断言する。
これを見ざるして日本人ではない。!
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html
お昼休みナゾ利用すれば見れるハズである。
蓮舫参院議員が「女性教育会館の稼働率は?」「一般の人の宿泊者はおられますか」
同館の女性理事長は「44%…」と小さな声で答える
やいなや反撃に転じ高貴なる女性理事長が牙をむく、
「私の話も聞いてください!。一方的にただ質問に答えろというのは心外です!」・・・
迫力アル事業仕分け!
この時期・・予算確保に陳情に行ったものである。
この国が140数年かけて初めて・・・
国民目線で国家予算が組まれようとしている。
これほど感動することに接しようとは・・・
憂国の士は涙が止まらない。
○即位20年の日。祭日にはならなかったぁ~
○岡田大臣はシンガポールにある
ウ~ン・・クリントン長官の術中にある?
○オバマが明日やってくる
○12日は極東裁判の結審の日。今騒がれてる事業仕分けしているところであったあの場所でデある。不可解なる歴史の偶然性。ナンなんだろう。
お祭り騒ぎのごとく霞ヶ関が移動してるごときガそこで起きている。
朝ズバッ!ではみのもんたがバカぶりの解説をしている。
この番組はこれでも未だ程度がいい方である。
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