今日の誕生日の花は・・・・アロエ
花言葉は・・・・・復活
ユリ科の多肉植物のアロエほど爺が重宝しているものはない。
漢方で言うところの医者要らずは爺のためにあるのかもしれない。
成長してゆくアロエゆえの花言葉なんであろうか。
キダチとか多くの種類があり観賞用としては赤い花を楽しむ。
はやいものである.
残り11日間
街角にはいろいろと慈善募金活動もある
そのひとつの浅草の歳末のキリスト救世主軍を偲んでの鍋さえ参加しての風景がある。
人も風も 足早にすむ 社会なべ
ワインと電気ブランで混濁にある気持ちよき宵を遊びぬく静かなるありがたき週末の時間。
ナンだったんだろう。
風神の祟りか
昼間の日向路の19日は二日目の晴天下の激しき風の一日であった。20日は穏便なる日になりそうである。
富士をはさんでの伊豆は伊東の地震と遭難の惨事。
同行の二人に対面した命知らずF1から冒険家登山家にある人の心情を察する。
井上靖の氷壁であったか転落した友人のザイルは切れたのか切られたのか。
佐賀県教組事件にさえ爺の記憶は片山右京の顔が心根がダブル。
電気ブランの成せるワザなのか。
バッカスの神のいたずらなのか。
ビデオでのNHKプラタモリが初めて都内を出て横浜散策。
横浜の象の公園のネーミングは遠景からみた様からのことのようである。
小学校の敷地内のマンホールを空けると下が醸造所の水の貯蔵倉庫跡である
爺はここで一行の文章を膨らませ推察した
・・・横浜にあったフランス人の経営するフレッレ商会酒類醸造場・・
ここで働いていたヒトのことである。
そこにもうひとつことが重なる。
何時間か前のテレビ番組JNNニュースの大寒波を伝えてた
この日のJNNニュースで「牛久」れん根収穫にレポーターが挑戦してた映像を流した
外気気温は4度なのに水面の中は汲み上げてる地下水を圧をかけ流してるゆえ14度と外気温より暖ったかい。
そしてこの市が先駆してた改正農地法以前にイオンに農地貸し出しの市制にあったことである。
池邉勝幸市長は自公推薦で選挙を勝ち抜いタル人。
画期的なことであるとある。
農家育ちの爺には農業の情況知らずに驚いている。
農地法改正が施行される
地主と耕作者違いが公然と認められ株式会社参入でも認められる。
資本の論理で農業が運用されるという。
無理である。
集落的に運用されるべき農業がいいとことりの弱肉強食経済でどうしようというのだろう。
水路の維持補修があってこその農業である。
本来農機具でありその牛馬の糞を肥料とする購入する金肥でない有機農業が食に関することゆえ基本である。
農業とは何か。誤解を覚悟で言う
作物を作るのでない。土作りである。
どれだけ土壌内に微生物を閉じ込めきれるか。
科学肥料の金肥では土壌は死ぬ。
明治の親父ナゾ恐ろしかった。
「ペッッペッ!」とやっている。
「バカカッ!?}
実は幼き頃の爺はみたんである。
作業の場の田んぼ、畑が変わるたびに
ミミズの如く親父は土を食っていた。・・・
今になってわかるが親父は土を食って農業改良普及員や指導員のやってるPHなぞを口で確認しながらやっていたんである。
健常人の体内にどれだけの健康を助けてくれてる微生物があろうことか。
土も同じである。
今それらまでやってる農家は絶滅であろう。
能力以上の拡大農地。
農協より借りた借金にあった農業をやってるからである
必要なるのは農業でなく百姓の存在である。
企業の農業はサラリーマンではないか。
サラリーマンが安全なる農産物が作れるのか。
そんなものは食えない。
農薬の薬漬け農業産物であるゆえだ
さらに課題がある。
収穫前、収穫の祝いを日々の生活実態そのものの共同体たる集落の神ともどもにある産業である。
植木等流のタイムカードを「ポンッ!」の勤労時間のみが農業ではないのだ。
これらのことをどこまで知っているのであろうか。
金カネかね・・金の膨大なる取得ッ!
価値を生み出す神聖なる労働現場に拝金思想の導入。
進化したマネー資本主義はアメリカ経済を滅ぼした。
それでも農業に対して国家が大きく舵を切ったのである。
民主党・自公党の賛成、
反対したのが社民党国民新党共産党である。
どこが連立内閣であろう。
これらのことにひとくくりの共通事項「牛久市」
このブログでは確かNHK日曜美術館で画家小川芋銭で何年か前に牛久に触れた記憶がある。
坂之上の雲の正岡子規の発行した1911年、俳誌「ホトトギス」の表紙画・挿絵を描いてもいる。
1887年、尾崎行雄の推挙を得て「朝野新聞」入社。
1888年、磐梯山噴火の惨状をスケッチし新聞に掲載
1893年、父親の命により牛久に戻り農業に従事する。
横山大観に認められ日本美術院同人に推挙され後に帝国美術院参与となる
ただ自宅牛久を離れなかった。
牛久の地名の由来には諸説あるが、古語に由来し面白い。
龍ケ崎市の金龍寺に伝わる。
「怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをした。そこから『牛を沼が食った』『牛食う沼』と変わり、
その沼が牛久沼と呼ばれるようになった」
沼の名の由来・地名の由来ともに、この伝説がまるで真説のように流布している。
門前町信濃の名刹の牛に引かれて善光寺見たいナル物。
なお、牛久沼は現在の龍ケ崎市に位置する。
共通人を上げるとこうある。
次の横綱候補の稀勢の里寛 の国である。
歌手湯原昌幸 もここのヒト
橋のない川の住井すゑは本来奈良の人だが60年以上牛久に居住している。
茨城県牛久市にワイン醸造所のシャトーカミヤがある。
その創設者神谷伝兵衛(安政3年2月11日(1856年3月17日) - 大正11年(1922年)4月24日)は三河国松木島村=愛知県幡豆郡一色町のヒト。
幼名は松太郎。
後に婿養子の神谷=旧姓:小林が神谷伝蔵が2世神谷伝兵衛を名乗る。
ウエキペデアにその一生がある。
名主の六男として生まれ父は兵助、母は石
神谷家の先祖は武士であったが、江戸時代初めには農民として代々名主をつとめた家柄。
しかし父・兵助は多趣味で家業を顧みることがなかったため、家は貧困に苦んだため幼くして働きに出た。
8歳にして酒樽造りの弟子として働き、次いで姉の嫁ぎ先で商業の見習をし11歳のとき商人として独立した。
綿の仲買人や雑貨の行商などを行っていたが、16歳の時に失敗して全財産を失う。
明治6年(1873年)4月、兄の勧めもあり横浜にあったフランス人の経営するフレッレ商会酒類醸造場で働いた。
ある時、病気で衰弱して命に関わるまでになった折り主人の勧めた葡萄酒により体調を回復させてその滋養を知る。
明治7年(1874年)4月9日に父・兵助が亡くなると家督を相続、幼名の松太郎から伝兵衛と改名。
19歳で横浜の会社を辞めて東京麻布の天野酒店に入り、酒の引き売りを始める。
寸暇を惜しんで蓄えた財産を元手に明治13年(1880年)4月、東京浅草に酒の一杯売り家「みかはや銘酒店」=後の神谷バーを開く。
輸入葡萄酒を原料として日本人好みの甘口の再製葡萄酒は評判を呼び、明治18年(1885年)に「蜂印葡萄酒」
、明治19年(1886年)に「蜂印香竄葡萄酒」 (はちじるしこうざんぶどうしゅ)の名で売り出し海外でも高い評価を受けた。
明治31年(1898年)に念願の葡萄酒づくりに着手すべく茨城の原野を開墾して神谷葡萄園を開園、明治36年(1903年)9月
には醸造場の神谷シャトー(牛久シャトー、現・シャトーカミヤ)を竣工させる。
明治45年(1912年)4月10日に浅草の店を改装して神谷バーを開業。
同年5月30日の三河鉄道の創立に取締役として参加、
大正5年(1916年)4月5日に同社社長に就任する。
大正11年(1922年)4月24日に66歳で亡くなる。遺体は希望通りに神谷葡萄園内の墓地に埋葬されたが、
昭和53年(1978年)に東京都台東区谷中の天王寺墓地に移された。
茨城県牛久市のシャトーカミヤの中には神谷傳兵衛記念館があり、また神谷公園墓地跡には伝兵衛を讃える記念碑が残っている。
日本の、のん兵衛の基本たるキャバレー通い。
スタンドやスナックであろうとキャバレーであろうといわゆる飲み屋の元祖は
浅草にある。
洋酒バーの神谷バーである。
明治以来連綿と続く、
ここで出された電気ブランが第一号である
隅田川くだりを楽しんで降りた浅草桟橋。
あるいは浅草駅
そこの道路を挟んでの浅草寺よりの角地にある二階までの店舗の店
ここが爺のおのぼりさんのときの昼間の聖地。
その後は陽気にさせてくれる
夜は銀座白いバラがいい。
事前に反対側ライオンでビールを引っ掛けるがコツ。
この国には望郷の歌ブームがあった
ひばりも春日八郎三橋美智也が故郷の山や川だけでなく柿木や生活の身近にあった馬などとの共存の田舎の生活風景の讃歌である。
昭和35年の60年安保改定の岸内閣を受け登場した池田隼人の所得倍増計画。
日本が大きく変わっていくのはこれを期にである。
「米」はこの国の立国の頃からの総ての価値判断の基本であった。
生きるすべの食料だけでなく貨幣そのもので富の象徴であった。
360余州の国の表現を為政者の貧富なり国力を何万石という
その地域で取れる米の取れ高である。
実はその経済は昭和35年ごろはあった。
田舎のよろずやで砂糖や塩昆布夏場のアイスキャンディーなどを購入するとき方法は三つあった。
お金
購入通帳=お通い
物=米、卵
爺なんぞは卵が多かった。一個を10円で換算、実に物価の優等生。
お米はキラキラ光りながらブリキ製の缶状態の容器に納められた。
「何等米ねぇ~」
「1等米じゃっとじゃが~」
農家の自飯米は3等にも5等米でない、当外にもならぬ砕け米。
学校に白米弁当もって行けるは分限者ドン。
芋飯麦飯が圧倒多数。
授業中にはどうにもいけない。
「プッ~~^」
どうにもこの弁当連中の比率が多かったゆえ。
ある日の自宅での朝のことである。
「今日は米ん飯の弁当ジャァ~ヨッ~」
幼子は心の中で大喜び。
「やったァ~コメンメシ弁当ッ~」
ところが待ちに待った弁当の時間。
弁当を堂々とあけ隣の弁当を見るとどこか違う
真っ白なんである。
自分のはどうにもその白さが微妙に違う。
同じ弁当に縦長の粒状の米粒を入れた弁当。
他方ひとつの粒を数個に砕けた米粒を入れてる弁当
表面積は同じだが当然砕けた米の方は数倍の米が在るわけである。
そうすると弁当を空けたときの白さは随分と違う。
砕け米は普通はニワトリの餌、
牛馬に蒸かした芋に少し混ぜて与えたものである。
また普通の農家でも砕け米は余り食してなかったと思う。
魚釣りの餌にミミズなどいろいろと準備するわけだが
蒸かした米を少々準備したが砕け米はどうにもいけない。
友の蒸かし米は確かにマトモナル米の形をしていたのでわかった。
「集落内でわが家だけが砕け米を食っチョル。」
それは公然の事実であったフシがある。
物々交換的な買い物で米を持参する。
布製の袋状で紐の開閉できる入れ物は一升入った
まず店の人が米の入った袋状の紐を開けて調べる。
一等米~三等米内にあることを確認して
ザッ~と件の貯蔵用のブリキ製の缶の中に消えた。
あるとき物々交換での買い物に来てる人に出くわした。
ところがチェックなしにザッァ~と消えた。
幼子は社会機構の総てを察知した。
貨幣経済より物々交換経済の方が人を鍛える。
早熟なる異常な人を一人社会は醸成させた。
農家それぞれ個人の家の中の変遷でもある。
燃料は薪
米炊きにモミ殻を使った総鋳物製のカマドがあった。
薪と共存する形でガスが参入。
田舎の何個もあるかまどの隅に入り込むガス器具。
化石燃料が各家庭に入りこんでくる国家のエネルギー転換である。
永田町基準ニュース歴史でいうなら三池安保闘争の頃。
石炭から石油転換への国家政策のエネルギー革命期である。
明治中期たる坂之上の雲の時代考証は案外簡単なんである。
あの生活は昭和35年ごろまでどこにもあった。
麹町3番町佐久間家の下宿先である。
真之が東大予科をやめ海軍兵学校に入ることの相談を兄・好古にする場面があった
薪を斧を振りかぶり割ってる好古。
「その理由を短く言ってみろッ!」
あの風景は実は生活の基本なんで大切なことを訴えている。
薪がないと生活は成り立たない。
薪は日本人の生活エネルギーの基本。
薪の確保競争は華々しき米集散地の米倉に隠れた裏面史。
爺は戦後っ子だが戦前の兄たちの言うには車は薪で走っていた。
焼き玉エンジンの記憶はかすかにある。
蒸気機関車の車版で技術的にも理解はできる。
ただ映画の記憶か実際見たのかの記憶がダブッテてしっかりしないんである。
これらにデンマークCOPの地球に存する政治指導者が総て集ってることが重なる。
地球を征服したごときの拝金思想のグローバル経済。
その急激なる利益本意の進展は金融工学にまでなりリーマンショックを生み出し、自由主義経済陣営の盟主国の経済さえ滅ぼした。
20年前のベルリンの壁に象徴される社会主義経済に勝利したハズであったのに自由主義経済陣営は20年長かっただけ。
冷戦の二つの大国・ソ連もアメリカも滅んだ。
世界は混沌としている。
歴史に裏打ちされた政治にある国がいずれ勝利しよう
自民党独裁化64年にあったこの国に民主党が初めて登場した。
新政権発足まだ百日にもない。
今急ぎせねばならぬことは緊縮経済にあるのではない。
おもいきったる経済策にある
管副総理の経済音痴ぶりには笑ってしまう。
あの竹中平蔵との議論を戦略会議でやってるムダな時間をすごしている。
対立をハッキリするための大儀なゾで遊んでる場合でない。
橋本竜太郎小泉純一郎とデフレ期の緊縮財政の過ち政治は実証があるではないか。
デンマークでの議論を考慮した政治判断にある。
財政見通し6兆円もの収入減の緊急事態。
ガソリン税なくすのマニュフェストの棚上げも小沢一郎が泥をかぶるメッセージを受け取れば言い。
後で述べてきた爺の世代が経験したことを考慮してもらいたい。
当然何歳か上の世代の鳩山小沢管仙石らには気付かねばならぬこと。
この国の未来を見据えての政治決断が急がれる。
平野長官のインパクトがどうにもその国家代表のメッセージ性が圧倒的に不足している。
国連も似たる情況
法的拘束力ないコペンハーゲン政治合意
採択でなく政治合意で何とか途上国と先進国が折り合いをつけた。
この国の政治方向もよく似ている。
メデアの総攻撃もあったりで支持率を気にしてなかなか定まらない。
47,8パーセントに支持率急落!
日々の攻撃の成果を報道してさらに飯の種。
「ハネムーン期間の100日」
新政権は攻撃しないとの世界のメデア常識の禁さえ犯してるマナー違反の説明をしてみよ。
米CIAの手先で前政権の残滓勢力が御旦さんのスポンサーの意のままの売国一味のメデア総体。
1952年の今日はアフリカ・コモロ諸島で幻のシーラカンスがあがった日らしい。
3億年前にいて数千万年前絶滅とされていたのに復活した。政治の権力の源泉の動きも似たるもの。
酔っ払い状態の朦朧状態。
神谷バーのがの職人の味が乗り移ったか
農業を根本的に変えるやも知れない牛久市の先駆。
ワインは牛久の貯蔵所の香りさえする。
ボトルに醸造所の名を確認できる。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
花言葉は・・・・・復活
ユリ科の多肉植物のアロエほど爺が重宝しているものはない。
漢方で言うところの医者要らずは爺のためにあるのかもしれない。
成長してゆくアロエゆえの花言葉なんであろうか。
キダチとか多くの種類があり観賞用としては赤い花を楽しむ。
はやいものである.
残り11日間
街角にはいろいろと慈善募金活動もある
そのひとつの浅草の歳末のキリスト救世主軍を偲んでの鍋さえ参加しての風景がある。
人も風も 足早にすむ 社会なべ
ワインと電気ブランで混濁にある気持ちよき宵を遊びぬく静かなるありがたき週末の時間。
ナンだったんだろう。
風神の祟りか
昼間の日向路の19日は二日目の晴天下の激しき風の一日であった。20日は穏便なる日になりそうである。
富士をはさんでの伊豆は伊東の地震と遭難の惨事。
同行の二人に対面した命知らずF1から冒険家登山家にある人の心情を察する。
井上靖の氷壁であったか転落した友人のザイルは切れたのか切られたのか。
佐賀県教組事件にさえ爺の記憶は片山右京の顔が心根がダブル。
電気ブランの成せるワザなのか。
バッカスの神のいたずらなのか。
ビデオでのNHKプラタモリが初めて都内を出て横浜散策。
横浜の象の公園のネーミングは遠景からみた様からのことのようである。
小学校の敷地内のマンホールを空けると下が醸造所の水の貯蔵倉庫跡である
爺はここで一行の文章を膨らませ推察した
・・・横浜にあったフランス人の経営するフレッレ商会酒類醸造場・・
ここで働いていたヒトのことである。
そこにもうひとつことが重なる。
何時間か前のテレビ番組JNNニュースの大寒波を伝えてた
この日のJNNニュースで「牛久」れん根収穫にレポーターが挑戦してた映像を流した
外気気温は4度なのに水面の中は汲み上げてる地下水を圧をかけ流してるゆえ14度と外気温より暖ったかい。
そしてこの市が先駆してた改正農地法以前にイオンに農地貸し出しの市制にあったことである。
池邉勝幸市長は自公推薦で選挙を勝ち抜いタル人。
画期的なことであるとある。
農家育ちの爺には農業の情況知らずに驚いている。
農地法改正が施行される
地主と耕作者違いが公然と認められ株式会社参入でも認められる。
資本の論理で農業が運用されるという。
無理である。
集落的に運用されるべき農業がいいとことりの弱肉強食経済でどうしようというのだろう。
水路の維持補修があってこその農業である。
本来農機具でありその牛馬の糞を肥料とする購入する金肥でない有機農業が食に関することゆえ基本である。
農業とは何か。誤解を覚悟で言う
作物を作るのでない。土作りである。
どれだけ土壌内に微生物を閉じ込めきれるか。
科学肥料の金肥では土壌は死ぬ。
明治の親父ナゾ恐ろしかった。
「ペッッペッ!」とやっている。
「バカカッ!?}
実は幼き頃の爺はみたんである。
作業の場の田んぼ、畑が変わるたびに
ミミズの如く親父は土を食っていた。・・・
今になってわかるが親父は土を食って農業改良普及員や指導員のやってるPHなぞを口で確認しながらやっていたんである。
健常人の体内にどれだけの健康を助けてくれてる微生物があろうことか。
土も同じである。
今それらまでやってる農家は絶滅であろう。
能力以上の拡大農地。
農協より借りた借金にあった農業をやってるからである
必要なるのは農業でなく百姓の存在である。
企業の農業はサラリーマンではないか。
サラリーマンが安全なる農産物が作れるのか。
そんなものは食えない。
農薬の薬漬け農業産物であるゆえだ
さらに課題がある。
収穫前、収穫の祝いを日々の生活実態そのものの共同体たる集落の神ともどもにある産業である。
植木等流のタイムカードを「ポンッ!」の勤労時間のみが農業ではないのだ。
これらのことをどこまで知っているのであろうか。
金カネかね・・金の膨大なる取得ッ!
価値を生み出す神聖なる労働現場に拝金思想の導入。
進化したマネー資本主義はアメリカ経済を滅ぼした。
それでも農業に対して国家が大きく舵を切ったのである。
民主党・自公党の賛成、
反対したのが社民党国民新党共産党である。
どこが連立内閣であろう。
これらのことにひとくくりの共通事項「牛久市」
このブログでは確かNHK日曜美術館で画家小川芋銭で何年か前に牛久に触れた記憶がある。
坂之上の雲の正岡子規の発行した1911年、俳誌「ホトトギス」の表紙画・挿絵を描いてもいる。
1887年、尾崎行雄の推挙を得て「朝野新聞」入社。
1888年、磐梯山噴火の惨状をスケッチし新聞に掲載
1893年、父親の命により牛久に戻り農業に従事する。
横山大観に認められ日本美術院同人に推挙され後に帝国美術院参与となる
ただ自宅牛久を離れなかった。
牛久の地名の由来には諸説あるが、古語に由来し面白い。
龍ケ崎市の金龍寺に伝わる。
「怠け者の小僧が牛になってしまい、沼に身投げをした。そこから『牛を沼が食った』『牛食う沼』と変わり、
その沼が牛久沼と呼ばれるようになった」
沼の名の由来・地名の由来ともに、この伝説がまるで真説のように流布している。
門前町信濃の名刹の牛に引かれて善光寺見たいナル物。
なお、牛久沼は現在の龍ケ崎市に位置する。
共通人を上げるとこうある。
次の横綱候補の稀勢の里寛 の国である。
歌手湯原昌幸 もここのヒト
橋のない川の住井すゑは本来奈良の人だが60年以上牛久に居住している。
茨城県牛久市にワイン醸造所のシャトーカミヤがある。
その創設者神谷伝兵衛(安政3年2月11日(1856年3月17日) - 大正11年(1922年)4月24日)は三河国松木島村=愛知県幡豆郡一色町のヒト。
幼名は松太郎。
後に婿養子の神谷=旧姓:小林が神谷伝蔵が2世神谷伝兵衛を名乗る。
ウエキペデアにその一生がある。
名主の六男として生まれ父は兵助、母は石
神谷家の先祖は武士であったが、江戸時代初めには農民として代々名主をつとめた家柄。
しかし父・兵助は多趣味で家業を顧みることがなかったため、家は貧困に苦んだため幼くして働きに出た。
8歳にして酒樽造りの弟子として働き、次いで姉の嫁ぎ先で商業の見習をし11歳のとき商人として独立した。
綿の仲買人や雑貨の行商などを行っていたが、16歳の時に失敗して全財産を失う。
明治6年(1873年)4月、兄の勧めもあり横浜にあったフランス人の経営するフレッレ商会酒類醸造場で働いた。
ある時、病気で衰弱して命に関わるまでになった折り主人の勧めた葡萄酒により体調を回復させてその滋養を知る。
明治7年(1874年)4月9日に父・兵助が亡くなると家督を相続、幼名の松太郎から伝兵衛と改名。
19歳で横浜の会社を辞めて東京麻布の天野酒店に入り、酒の引き売りを始める。
寸暇を惜しんで蓄えた財産を元手に明治13年(1880年)4月、東京浅草に酒の一杯売り家「みかはや銘酒店」=後の神谷バーを開く。
輸入葡萄酒を原料として日本人好みの甘口の再製葡萄酒は評判を呼び、明治18年(1885年)に「蜂印葡萄酒」
、明治19年(1886年)に「蜂印香竄葡萄酒」 (はちじるしこうざんぶどうしゅ)の名で売り出し海外でも高い評価を受けた。
明治31年(1898年)に念願の葡萄酒づくりに着手すべく茨城の原野を開墾して神谷葡萄園を開園、明治36年(1903年)9月
には醸造場の神谷シャトー(牛久シャトー、現・シャトーカミヤ)を竣工させる。
明治45年(1912年)4月10日に浅草の店を改装して神谷バーを開業。
同年5月30日の三河鉄道の創立に取締役として参加、
大正5年(1916年)4月5日に同社社長に就任する。
大正11年(1922年)4月24日に66歳で亡くなる。遺体は希望通りに神谷葡萄園内の墓地に埋葬されたが、
昭和53年(1978年)に東京都台東区谷中の天王寺墓地に移された。
茨城県牛久市のシャトーカミヤの中には神谷傳兵衛記念館があり、また神谷公園墓地跡には伝兵衛を讃える記念碑が残っている。
日本の、のん兵衛の基本たるキャバレー通い。
スタンドやスナックであろうとキャバレーであろうといわゆる飲み屋の元祖は
浅草にある。
洋酒バーの神谷バーである。
明治以来連綿と続く、
ここで出された電気ブランが第一号である
隅田川くだりを楽しんで降りた浅草桟橋。
あるいは浅草駅
そこの道路を挟んでの浅草寺よりの角地にある二階までの店舗の店
ここが爺のおのぼりさんのときの昼間の聖地。
その後は陽気にさせてくれる
夜は銀座白いバラがいい。
事前に反対側ライオンでビールを引っ掛けるがコツ。
この国には望郷の歌ブームがあった
ひばりも春日八郎三橋美智也が故郷の山や川だけでなく柿木や生活の身近にあった馬などとの共存の田舎の生活風景の讃歌である。
昭和35年の60年安保改定の岸内閣を受け登場した池田隼人の所得倍増計画。
日本が大きく変わっていくのはこれを期にである。
「米」はこの国の立国の頃からの総ての価値判断の基本であった。
生きるすべの食料だけでなく貨幣そのもので富の象徴であった。
360余州の国の表現を為政者の貧富なり国力を何万石という
その地域で取れる米の取れ高である。
実はその経済は昭和35年ごろはあった。
田舎のよろずやで砂糖や塩昆布夏場のアイスキャンディーなどを購入するとき方法は三つあった。
お金
購入通帳=お通い
物=米、卵
爺なんぞは卵が多かった。一個を10円で換算、実に物価の優等生。
お米はキラキラ光りながらブリキ製の缶状態の容器に納められた。
「何等米ねぇ~」
「1等米じゃっとじゃが~」
農家の自飯米は3等にも5等米でない、当外にもならぬ砕け米。
学校に白米弁当もって行けるは分限者ドン。
芋飯麦飯が圧倒多数。
授業中にはどうにもいけない。
「プッ~~^」
どうにもこの弁当連中の比率が多かったゆえ。
ある日の自宅での朝のことである。
「今日は米ん飯の弁当ジャァ~ヨッ~」
幼子は心の中で大喜び。
「やったァ~コメンメシ弁当ッ~」
ところが待ちに待った弁当の時間。
弁当を堂々とあけ隣の弁当を見るとどこか違う
真っ白なんである。
自分のはどうにもその白さが微妙に違う。
同じ弁当に縦長の粒状の米粒を入れた弁当。
他方ひとつの粒を数個に砕けた米粒を入れてる弁当
表面積は同じだが当然砕けた米の方は数倍の米が在るわけである。
そうすると弁当を空けたときの白さは随分と違う。
砕け米は普通はニワトリの餌、
牛馬に蒸かした芋に少し混ぜて与えたものである。
また普通の農家でも砕け米は余り食してなかったと思う。
魚釣りの餌にミミズなどいろいろと準備するわけだが
蒸かした米を少々準備したが砕け米はどうにもいけない。
友の蒸かし米は確かにマトモナル米の形をしていたのでわかった。
「集落内でわが家だけが砕け米を食っチョル。」
それは公然の事実であったフシがある。
物々交換的な買い物で米を持参する。
布製の袋状で紐の開閉できる入れ物は一升入った
まず店の人が米の入った袋状の紐を開けて調べる。
一等米~三等米内にあることを確認して
ザッ~と件の貯蔵用のブリキ製の缶の中に消えた。
あるとき物々交換での買い物に来てる人に出くわした。
ところがチェックなしにザッァ~と消えた。
幼子は社会機構の総てを察知した。
貨幣経済より物々交換経済の方が人を鍛える。
早熟なる異常な人を一人社会は醸成させた。
農家それぞれ個人の家の中の変遷でもある。
燃料は薪
米炊きにモミ殻を使った総鋳物製のカマドがあった。
薪と共存する形でガスが参入。
田舎の何個もあるかまどの隅に入り込むガス器具。
化石燃料が各家庭に入りこんでくる国家のエネルギー転換である。
永田町基準ニュース歴史でいうなら三池安保闘争の頃。
石炭から石油転換への国家政策のエネルギー革命期である。
明治中期たる坂之上の雲の時代考証は案外簡単なんである。
あの生活は昭和35年ごろまでどこにもあった。
麹町3番町佐久間家の下宿先である。
真之が東大予科をやめ海軍兵学校に入ることの相談を兄・好古にする場面があった
薪を斧を振りかぶり割ってる好古。
「その理由を短く言ってみろッ!」
あの風景は実は生活の基本なんで大切なことを訴えている。
薪がないと生活は成り立たない。
薪は日本人の生活エネルギーの基本。
薪の確保競争は華々しき米集散地の米倉に隠れた裏面史。
爺は戦後っ子だが戦前の兄たちの言うには車は薪で走っていた。
焼き玉エンジンの記憶はかすかにある。
蒸気機関車の車版で技術的にも理解はできる。
ただ映画の記憶か実際見たのかの記憶がダブッテてしっかりしないんである。
これらにデンマークCOPの地球に存する政治指導者が総て集ってることが重なる。
地球を征服したごときの拝金思想のグローバル経済。
その急激なる利益本意の進展は金融工学にまでなりリーマンショックを生み出し、自由主義経済陣営の盟主国の経済さえ滅ぼした。
20年前のベルリンの壁に象徴される社会主義経済に勝利したハズであったのに自由主義経済陣営は20年長かっただけ。
冷戦の二つの大国・ソ連もアメリカも滅んだ。
世界は混沌としている。
歴史に裏打ちされた政治にある国がいずれ勝利しよう
自民党独裁化64年にあったこの国に民主党が初めて登場した。
新政権発足まだ百日にもない。
今急ぎせねばならぬことは緊縮経済にあるのではない。
おもいきったる経済策にある
管副総理の経済音痴ぶりには笑ってしまう。
あの竹中平蔵との議論を戦略会議でやってるムダな時間をすごしている。
対立をハッキリするための大儀なゾで遊んでる場合でない。
橋本竜太郎小泉純一郎とデフレ期の緊縮財政の過ち政治は実証があるではないか。
デンマークでの議論を考慮した政治判断にある。
財政見通し6兆円もの収入減の緊急事態。
ガソリン税なくすのマニュフェストの棚上げも小沢一郎が泥をかぶるメッセージを受け取れば言い。
後で述べてきた爺の世代が経験したことを考慮してもらいたい。
当然何歳か上の世代の鳩山小沢管仙石らには気付かねばならぬこと。
この国の未来を見据えての政治決断が急がれる。
平野長官のインパクトがどうにもその国家代表のメッセージ性が圧倒的に不足している。
国連も似たる情況
法的拘束力ないコペンハーゲン政治合意
採択でなく政治合意で何とか途上国と先進国が折り合いをつけた。
この国の政治方向もよく似ている。
メデアの総攻撃もあったりで支持率を気にしてなかなか定まらない。
47,8パーセントに支持率急落!
日々の攻撃の成果を報道してさらに飯の種。
「ハネムーン期間の100日」
新政権は攻撃しないとの世界のメデア常識の禁さえ犯してるマナー違反の説明をしてみよ。
米CIAの手先で前政権の残滓勢力が御旦さんのスポンサーの意のままの売国一味のメデア総体。
1952年の今日はアフリカ・コモロ諸島で幻のシーラカンスがあがった日らしい。
3億年前にいて数千万年前絶滅とされていたのに復活した。政治の権力の源泉の動きも似たるもの。
酔っ払い状態の朦朧状態。
神谷バーのがの職人の味が乗り移ったか
農業を根本的に変えるやも知れない牛久市の先駆。
ワインは牛久の貯蔵所の香りさえする。
ボトルに醸造所の名を確認できる。
↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑ ↑
・よ・ろ・し・く
コメント