今日の誕生日の花は・・・ロウバイ
花言葉は・・・・・慈愛心・思いやり

ロウバイ科の蝋梅は江戸初期鑑賞用として中国から伝わった。
大阪城公園の梅林の中にロウバイとカタカナで書いてあったと解説者のお話。
花のない梅林の中に鮮やかな黄色ロウバイの花があった
高さ3メートルぐらいで八重に散らばるように枝に咲いていた。
枝に葉はなく花の後に葉が出てくる。
仕事で失敗してうろたえ騒ぐときに言葉遊びで周章狼狽と使ってた。
今の人はヤバッ!とかヤバイとかで喩えにさえならぬであろうと嘆いてる
解説者も仕事を終えホッとしててか深夜を遣りぬき、どうにもラフでくだけてたが少々はお酒が・・
時節柄味のない話であろう。
お酒厳禁とは味がない時代である。
御用納めの風景も古(いにしえ)のお話のようである。

酔い少し まわりてからが 年忘れ


27日日曜日に鳩山総理はインド・ムンバイにある。
東アジア経済圏構想に動きをはじめている。

テレビの27日放送の情熱大陸 は岡林信康であった。
“フォークの神様”と呼ばれた男あの「友よ!」の、岡林信康である。
12・8真珠湾の日に奇しくもダブル日に逝ったベトナム戦争反対と平和を希求したジョン・レノンのごとき存在感。
今の人はご存じだろうか?
1960年代後半、日雇い労働者をテーマにした「谷ブルース」には鮮烈なイメージがある。
人気絶頂期に忽然と姿を消した。
テレビ出始めて知った。
農村生活へ入るなどでその存在は伝説的なものになったと解説していた。
 長い沈黙の末、近年再び本格的なライブ活動を始めた“フォークの神様”
時の過ぎるは実に早い。
そしてある意味残酷である。
還暦を過ぎた“神様”は今、何を想い、再び表舞台に姿を現したのか?
あの美空ひばりともかなり濃い交流があったのは知らなかった。
それが生前、岡林に託したまま未発表となっていたひばりより「幻の詞」の存在が明らかにされた
作詞・美空ひばり/作曲・岡林信康という手紙である。
夢の新曲の中身が披瀝され番組は終えた。
この人の声を聞くと青春期が髣髴される
「安保・・・ハンタ~イ」
「沖縄をかえせ~~」
「ベトナム戦争・・ヤメロッ~~」
「アメリカは出て行け!」
今丁度あのころの隠されてた闇の数々が政権交代で表面化し問題が惹起しつつある。

27日ニュースには米軍ががパキスタン北西部にミサイルを撃ち込み負傷者多数と報じられている。

小沢一郎の攻撃がとまらない。
さらに銃弾のクリスマスプレゼントと陰湿である。
体でなく頭で動く今の人たちの様が爺目らには奇異に写る。

先週には小沢一郎邸で抗議集会をしようとネットで呼びかけてた。
テレビニュースで警戒する警備風景があって参加者は三名。
あの麻生邸でのトラブルが学習効果でこのていたらく。

アチコチにアル呼びかけがある。

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 抗議街宣
 千葉景子法務大臣の罷免を求めて職員は立ち上がれ!
 売国・極左の大臣から国家の治安を守れ
 【日時】平成21年12月28日(月)集合12:00
 ※雨天決行 プラカードの持参歓迎
 【場所】法務省前(日比谷公園側)
 ※仕事納めの法務省職員へ檄を飛ばそう
 【主催】主権回復を目指す会/NPO外国人犯罪追放運動/
 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』/在日特権を許さない市民の会/
 外国人参政権に反対する会・東京

ロースマリーさん
日本社会は、時代遅れの教育制度を根本から変える必要があります。
子供達一人一人に高い能力を授けなければ、急激な工業発展に取り組む途上国と知識産業の発展に取り組む先進国のはざまに取り残され、国家破綻することは明かです。
学校現場から、文科省の愚民化政策を詳細に暴露したのが「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)です。文科省官僚は、この知識時代に、子供達に愚民化教育を行い、不登校、退学者、引きこもり、ニートを作り、若者を失業者、生活困窮者にしたのです。
知識産業国家を作るには、時代逆行の政治行政システムを、根底から改革する必要があります。
鳩山内閣への批判は、国民に何の利益もありません。必要なことは、改革を後押しして実現させることです。内閣批判を繰り返し、改革を遅らせ、国家破滅を作り出そうとする陰謀や謀略工作に、日本人は荷担すべきではありません。
【東京都千代田区】外国人参政権阻止!上海万博粉砕!アジアの海と大地に自由と平和を!]

【東京都千代田区】外国人参政権阻止!
           上海万博粉砕! 
  アジアの海と大地に自由と平和を!
年末年始靖国10日間街頭活動(12/27~1/5)
・日時 
平成21年12月27日(日曜日)~平成22年1月5日(火曜日) 毎日 10時~1600分  
但し平成21年12月31日~平成22年1月1日は徹夜で年越し街頭活動の予定です。

※ 開始時間や終了時間は多少、変更になる可能性があります。
※ 雨天決行!但し、雨天・降雪時にご参加の際は場所の移動などありますので要 確認です
・場所
靖国神社 九段参道 東京理科大前 九段下より大鳥居に向かう銀杏の木の下
・内容
 不敬・不遜なる中国と小沢民主党は上海万博を機に天皇陛下あるいは皇太子殿下の訪中を強行することで、我が国を中国に従属させ、チベット・東トルキスタ(中国の言う新疆ウイグル)・南モンゴル(中国のいう内モンゴル)への侵略と弾圧を正当化しようと企んでおります。
上海万博は日本政府館や日本の民間パビリオン出展の禁止を通じて粉砕されねばなりません。

また、小沢民主党の進める中国人や韓国人への外国人参政権付与は、天皇陛下の地位を主権の存する日本国民の総意
に基くとしたGHQ憲法の罠を発動させ、天皇陛下を貶め皇統の廃絶につながります。

このような中国と売国勢力の跳躍に対して、我が国は中国による台湾併呑に対抗する台湾基本法を制定し、
台湾と連携し、日台分断・日米分断の策動を退けていかなければなりません。
当会は台湾基本法制定のための国会請願にむけて署名活動を展開しております。

 当会では、今回の街頭活動などを通じ、台湾の方々の自決権を重視し日台関係の正常化を求めるとともに、
中華人民共和国に侵略され占領下にあるチベット・東トルキスタン(中国の言う新疆ウイグル)・南モンゴル(中国のいう内モンゴル)の自由と人権を求める方々と連携を深めていきます。
皆様のご参加をお待ち致します。

※ 開始時間や終了時間は多少、変更になる可能性があります。
飛び込み参加を歓迎します
拡声器・旗・プラカード・チラシなどを持ち込まれる方は主催者の確認をとってください。

※ 戦闘服などいわゆる街宣右翼風服装・軍服あるいはそれに準じる扮装・良俗を乱す服装などの方はご参加になれません。
小沢民主党・長妻厚労大臣の失政による混乱のため新型インフルエンザの流行が加速しております。暖かい服装でご参加ください。
※ 当会は中国内部や周辺国家内部の民主活動家・信仰の自由を求める方々とも連帯しております。
差別用語・差別発言あるいはそれと誤解される言動は排除いたします。
また、当会は日本有事・台湾有事とその抑止における在日米軍の存在を重視しており、日米離間につながる言動も排除致します。
主催
日台関係正常化を求める会 090-5013-0397

31日は渋谷で桜の街宣もあります。
そのまま靖国で初詣なされるのはいかがでしょうか?
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さぁ~て何人集まるやら。また三人。警察見て知らぬ不利?。
体でなく頭で動くバーチャル時代に青春の多感なる人々。
爺目らの世代は警備を見て体ごとぶち当たっていったものだが。
さすがにスマートなる時代の人々である。
行動には敬意を表するが世界の時代の流れに沿ってないと歴史的行動ではない。
世界を見極め時代の流れに掉さすことは決してできない。
歴史の大河は止められない。
二つの眼(まなこ)は何故あるのか。
自分の肩の上には自分の頭脳を乗せおけっ!
何のための情報化社会であろうや

幕末の佐賀の藩校弘道館に学んだ人で佐賀の七賢人という。
その一人が外務卿・参議・副島種臣である。
早くから尊王攘夷思想に目覚める。
弘道館で学び、この間江藤新平や大木喬任と交わる。
父は藩校・弘道館の教授
1892年には内務大臣に就任している。
新政権の総務大臣原口一博の私淑、矜持しているものとしてあるハズ。
佐賀の乱西南戦争時には大陸にあり加われず結果この国は人物を残し効をそうした。
宮崎の人・小村寿太郎も米国留学中で殉じえず残った。。
小村より優秀で兄持してた小倉処平は西南戦争に殉じた。
他の宮崎の人で初代連合艦隊長伊東祐亮や陸軍大将財部彪のみが参加できずに生き延びた。
28日放映の坂の上の雲で秋山が米国、広瀬がロシヤ、英国が財部彪。
次回になろう大分の人・広瀬は旅順港で殉死軍神となる。
前回小村は清国公使今回秋山真之と米国公使として登場していた。
坂之上の雲の視聴率も評判も悪いらしい。
とりわけ若者の間で。
爺はこれほど楽しきものはない。
活字で知りえている人々があっちこっち登場する。
ゲーム世代塾通いの世代は国民常識の司馬遼太郎に触れてないようである。
そうなればこの国の民族性分析のベネジェクトの菊と刀も同じなんであろう。
大学高校はおろか中学義務課程さえ満足に学んでない爺は坂之上に登場する人は活字で触れてる人々ばかりであちこちのかなりの墓標にも触れている。手間隙かかるが活字慣れが足りない受験勉強のみの偏差値教育の生み出しタルものゆえだろう。

日本が国際裁判の当事者となった初めての事例を指揮した副島種臣。
優秀なる実務者があったからである。
和歌山の人陸奥宗光であり、陸奥が引き上げた土佐の人・大江 卓と解決の当たった。
ことはこうである。
明治5年(1872年)に横浜港に停泊中のペルー船籍のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件を言う。
また日本が国際裁判の当事者となった初めての事例である。
第三国のロシア帝国による国際仲裁裁判(当時は常設の国際司法裁判所がなかったための措置)が開催されることになった。ロシア皇帝・アレクサンドル2世による国際裁判は1875年(明治18年)6月に「日本側の措置は一般国際法にも条約にも違反せず妥当なものである」とする判決を出し、ペルー側の訴えを退けた。背後の英国を含めて退けた
和歌山の人陸奥宗光が引き上げた土佐の人大江 卓と解決の当たった。

、大江 卓は立憲自由党に属し予算委員長に就任。
「民力休養(減税)、政費節減(予算削減)」を掲げる民党の意見を尊重し、軍艦建造費など八百万円以上を削減する大幅な軍縮予算案を査定し、これを可決させた。
次の選挙で落選した後は1892年に政界から実業界入りし、東京株式取引所会頭に就任。
1899年、朝鮮京釜鉄道建設に関わる。
1912年、帝国公道会を設立し日本の人権運動の礎を築く。
1914年、出家して天也と名を改め、家と妻子を捨て黒染めの衣ひとつで全国を行脚し部落解放運動に専念した。

副島種臣は明治6年10月征韓論に破れ下野
板垣退助らと共に民撰議院設立建白書を提出。
明治11年(1878年)、宮内省に出仕
明治6年(1873年)2月には、前々年に台湾で起きた宮古島民殺害事件の台湾出兵の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として清の首都北京へ派遣され、
日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈、および交渉にあたった。
この間に清朝高官と詩文の交換を行い、高い評価を得る。

その達筆ぶりは現在の、佐賀新聞の題字は本人によるもので偲ばれる。
その副島種臣を曽祖父とする硬骨の学者が副島隆彦教授と爺は思っている。

驚いた「三国志」曹操の墓と遺骨が発見された という。
安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」が、三国時代に活躍した曹操
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
の墓と断定された。
「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。
河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091227-00000019-scn-cn
最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻まれた石牌が発見されたこと

魏・呉・蜀漢が並立した「三国時代」は、語り物や劇などでさまざまなエピソードが広く親しまれている。
それらを集大成したのが「三国志演義」。
民間伝承や三国志演義で曹操は、漢の皇室を脅かし天下をねらう
「冷酷無慈悲な敵役」として描かれている。
しかし実際には「すばらしい能力の持ち主で、新しい時代の到来を目指した人物」などの評価が定着している。

私淑している碩学副島隆彦教授にかって教えを受けていたことがある。
「三国志の「義」の思想から考える、日本人の思想。
中国人の「『義』の思想」についての論文である。

儒教・孔子の思想は、支配者=天子、皇帝や官僚=君子たちの思想。
 日本の神道は、実は、中国の道教そのもの。
道教が、神道(かんながら<惟神>のみち)に日本で変化しただけ。

差別問題や、差別用語を使うな、という規制。
憲法21条で、言論の自由が定められている。
「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
だから、「一切の表現の自由」が、私たちには保障されている。

上品な言葉(雅語、がご)と、下品な言葉(卑語、ひご)はある。
下品な言葉はなるべく使わないようにしましょう、という。
言葉の使用は無制限に自由であるべき。

インドなんていまだ一夫多妻。
、奥さんは買ってくる。昔はヤギ二十頭とかだった。
中国の奥地では、今でも少女たちが売買されて、ベトナムとかの男性の奥さんとして売られてゆく。
それが、現在でも続いている真実の世界。
 こういう人身売買の汚い、人権無視のことを書いてはいけない、ということはない。
真実である
インドでは、奥さんが持参金を持って来ることになっている。
その持参金が足りないと、奥さんが暴力を受けて殺されたり酷い目にあう。
こういう事件が今でも年間何千件もある。

 日本でも嫁入り道具という言葉が残っている
女性は売り買いされていた時代があった。
今の一夫一婦制は、近代ヨーロッパで女性が勝ち取った勝利だ。
「共産党宣言」を書いたカール・マルクスの同志のフリードリヒ・エンゲルス
、「一夫一婦制は、女性の何千年にもわたる男性との戦いにおける勝利である」
と言っている。
戦い続けて女性の人権を勝ち取ってくれた昔の女性たちの歴史がある。

仁義礼智信(じんぎれいちしん)、五常(ごじょう)の思想。
 このなかの、「義」の意味がずっと、わからなかった。

「仁」は、思いやり、忠恕(ちゅうじょ)のことだ。
「礼」は祭礼、祭りごと(政治)や祭礼、そこから生まれる体制の秩序の作り方を定めている。
「礼」は秩序の維持のことだ。
「智」はたぶん知識や知恵のことで、
「信」は信頼関係だ。 
そして、残った、「義」だけがわからなかった。

 日本人は、義というと、それは、正義のことだ、と考える。
では「正義」が「義」だと言う。
それでは、「正義」とは何かというと、
それは、「法律を守ること」だ、と答える。
ここが大間違いだ。

 ここに大きな虚偽というか、作為的に日本人を長年、飼いならしてきた元凶がある。
中国で生まれた「義」という思想は、そんなものではない。

「正義とは法律を守ること」だと、すると、人間は法律の奴隷にされてしまう。
法律というのは、古来、官僚たちが勝手に作って民衆に押し付けたもの。
その中心は、
税金を取り立てるか、
戦争をするので子供を徴兵(徴用、ドラフト)する、
決まりや命令のことだ。 

『裁判の秘密』(洋泉社刊)
という日本の大学の法学の中身や、裁判所がやっていることの裏の真実を暴露した本
山口宏弁護士・副島隆彦共著

日本人が本当に信じている法律、ルール、決まりは一体何だろうか、
日本の本当の法は、それは「冠婚葬祭のやり方だ」
塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』(光文社)。

。六法全書が、日本のルールブックだと言っても、そのルールを作って知っているのは、大神官(官僚)たちと、法律屋の裁判官、弁護士たちだけ。

「義」とは何か
義兄弟 という言葉がある。 

あの、血が繋がっていなくとも、兄弟の義理と立てる、という古臭い言葉。
今の日本人には、義兄弟というと、ヤクザ者(暴力団、任侠の人たち)の世界にしかないもの、という

 例の中国の古典作品の「三国志」の中に、この義兄弟がある。 
紀元2世紀ごろの中国で、劉備玄徳と、のちに関帝廟(かんていびょう)に祀られることになった関羽、
それから張飛の三人が死ぬまで兄弟として一緒に生きていこうと誓った、
「桃園(とうえん)の義盟(ぎめい)」の話。

 ここに、義の思想が出現した。
即ち、のちの中国の、秘密結社である、
幇(パン)の思想。

 この「義」というのを私が調べていったら分かったことがある。
それは、今の暴力団の人間たちが使っているであろう
「義理」、これが古代(2世紀)の中国から日本に伝わった義の思想。 

本当に「義」には秘められた恐ろしさがある。
 司馬遷(紀元前一世紀ごろの人)の『史記』の中に「刺客列伝」の巻がある。

刺客になってよその国の王様の命を狙う、歴史上の男たちのことを書いている。

 ここに現れるのは、自分はつまらない人間だけれども、このつまらない人間である自分を、きちんとした立派な人物として扱ってくれたあなた様に、自分は、死ぬほどの恩義がある、と考えた人々。

だから、自分は、あなたからの恩義に報いるために、たとえ、自分はどんな酷い殺され方をしてもかまわないから、
隣の国の総理大臣や王様を殺しに行きます。
これが、「義」

今でいえば暴力団員が、親分のために人殺しにいく思想。
このことを中国人は、今でもわかっている。
あんな共産主義思想に騙された国の恐ろしい中国人たち、と私たち日本人は思っている。

しかし、中国人というのはそういう国民ではない。
彼らは、極めて古臭い、義の思想で今も生きている人達。

 このことを日本人のほうが分かっていない。
日本人の方が「義の思想」をわからなくなってしまっている。

沖縄とか、東北の田舎に行けば、まだ、義の思想が、生き残っているかもしれない。
義の思想というのは、それは、「恩義に報いる」という思想。

 実は、私たち日本人の魂の土台のところに、義の思想ははっきりと残っている。 
それは、大阪人(関西人)が、今も使う、「おおきに」という言葉。 
「おおきに」というのは、感謝する、ありがとう、という意味だ。

 しかし、本当は、もとのコトバは、「おおいに恩義に着る」とい意味だ。
それが短縮されて「おおきに」になった。
「あなた様からこれほどの恩義を受けてしまいました。
この恩義に報いて、恩返しすることはとても私には出来ないことです」
という意味だ。
 だから、私たち日本人は、「済みません、済みません」と使っている。
朝から晩まで、すみません、すみません、申し訳ありません、の国民だ。 

 何が、「済まない」のかといえば、それは、やはり、あなた様(眼の前の相手)から受けた恩義にたいして、
十分お返しすることが、自分には出来ない、だから、済みません、であり、申し訳ありません、なのだ

 ここまで来ると、日本人も、実は、中国人と共通の土台に立って「義の思想」を理解できて、かつ、それは、私たちの体の中を太く貫いている中心の思考、行動の原理である。
これが、義の思想。

中国の南宋(紀元1127年~1279年)時代の宰相(総理大臣クラス)に、文天祥(ぶんてんしょう、1236~1282)
 この人は、科挙の試験を一番で受かった人で、文人官僚の最高位にあった人。

当時、フビライ・ハンが率いる元軍(モンゴル)が南宋に攻めてきた。
南宋は何年も激しく戦って抵抗したが、負ける。
南宋の王朝は滅んでしまう。

 文天祥は、最後の皇帝の呼びかけに応えて、義勇軍を組織して元軍と戦った。
それでも元軍に捕まり、元朝のフビライ
皇帝に、「お前は一番の秀才で、総理大臣の能力のある男だと知っている。私に力を貸せば、元の総理大臣にしてやる」
と言われた。しかし文天祥は、フビライの言うことを聞かないで、2年間牢屋にいたが殺されてしまう。

 この人の作った有名な詩
「正気(せいき)の歌」。

これがかつて江戸時代の日本人に、爆発的に読まれた。
室町時代から翻訳されて日本に来ていた。
幕末のインテリお姫様だった篤姫も、正気の歌のことを読んで知っていた。
 
 「正気(せいき)の歌(うた)」

 天地有正気   天地に正気有り
 雑然賦流形   雑然として流形を賦(ふ)す
 下即為河獄   下(くだ)っては即ち河獄(かごく)と為り
 上即為日星   上っては即ち日星(にっせい)と為る
 於人日浩然   人に於いては浩然(こうぜん)と日(い)う
 沛乎塞蒼冥   沛乎(はいこ)として蒼冥(そうめい)に塞(み)つ
 皇路当清夷   皇路(こうろ)、清夷(せいい)に当れば
 含和吐明庭   和を含んで明庭(めいてい)に吐く
 時窮節乃見   時、窮(きわ)まれば、節(せつ)即ち、見(あら)われ
 一一垂丹青   一つ一つ丹青(たんせい)に垂る

 このような感じで漢詩がずっと続きます。
この「正気の歌」が、その後の中国人、その後の800年間の日本人の思想に
大きな影響を与えた。
「正気の歌」とは何かについては、
『小室直樹の中国原論』(1996年徳間書店刊、小室直樹著)に詳しい。
確かあの小泉純一郎の所属事務所の主唱の人。

 この「正気の歌」の真髄を簡単に言うと
たとえ、どんなひどい死に方をすることになったとしても、自分の名前を歴史に残せばいいのだ、という思想。
それが、上記の「一一垂丹青(一つ一つ丹青(たんせい)に垂る)」

 この意味は、まさしく、「自分の名前が歴史書に残ること」という意味。

 これが中国人の思想。

そして、私たち日本人を含めた東アジア人の思想の根幹。

 中国人の間には、今も、幇(パン)という秘密結社がある
欧米のフリーメーソンのような組織。

今では、大きく復活しているようで、
中国共産党の中の一番上の幹部たちも入っている。 

 幇(パン)の思想も、実は、「義の思想」で出来ていて、
「正気の歌」を大切にする。
そういう気概の人間たちの集まり。
この「正気の歌」の思想が、ずっと日本に伝わり、戦国時代の川中島の合戦の様子を
、頼山陽がのちに全く同じ精神で描いている。

 さらには、幕末の橋本左内、西郷隆盛、吉田松陰、そして昭和の戦前の、いきり立つ青年将校たちの
思想へと繋がっていった。
そして、アメリカに、原爆を落とされて以来、日本人はこの「義の思想」や「正気の歌」を忘れてしまった。

 アメリカに計画的に攻め滅ぼされたのである。

、この東アジア(歴代中華帝国とその周辺属国群)に連綿と繋がる「義の思想」

これを大きく、復活させたい。
記憶の奥深い所に眠っている深い真実を発掘して再生したい。・・・・・・

27日坂之上の雲をみて、かっての教えをアップした。
途中であり(上)としたい。
○サントリーとペプシが中国で共販との28日のニュースにある。
日本の13倍の人口の国を敵にまわす途中にアップした東京での街頭行動が・・・
果たして歴史の流れに沿っているのか。
NHK大河ドラマ坂之上の雲から学ぶものはないのであろうか。
この国が生き延びる成長戦略の東アジア経済圏構想をお話できる相手ではない。
爺にはそこまでのエネルギーは残っていない。

♪友よ・・夜明け前の闇の中で・・♪
♪友よ・・たたかいの炎を燃やせ・♪

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