御祓いも効き目なしッならば・・仏難ッ?
2010年1月7日 お仕事今日の誕生日の花は・・ハコベ
花言葉は・・・・・・・・追想
ナデシコ科の繁縷はハコベラとも呼ぶ越年草。
春の七草のひとつが今日の花というのも願望からか。
6日もお日様の下の日向路だったが寒ッ!
リンクの方で愛読させていただいてるブログ。
雪降る中でのご友人の方々との新年会とある。
人の結びつきとかイロイロ考えさせられ教えていただいた。
道端や田畑、荒れ地に普通に生え雑草として果樹園の下などに、一面に茂る。
日本全土、およびアジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯を中心に100種以上が広く分布する・・とアル。
幼き頃十四マツとか飼ってたが小鳥に食べさせる野菜代わりとしても重宝してたモンである。
全草は繁縷(はんろう)という生薬で、利尿作用、浄血作用があるとされる
ただ田舎に伝わる民間薬的なもので漢方ではまず使わない。
5弁の白い花は一見では10弁に見え集散花序につき、まばらに散らばる。
春の七草ゆえおひたしなど食用にしていた。
植物の関する多くの著作がアル碩学湯浅浩史が教えてくれれる。
平安時代から食用の記録が残り、「倭名類聚抄」には当時は文字どおりの野の菜の野菜
の一つとして、波久倍良(はくべら)の名が載る。
鎌倉後期の「年中行事秘抄」には、宮中で用いる七種菜(ななくさのな)に
はこべの名があがるらという。
ハコベは異名や方言が多いが、ハコベの名は1444年「下学集(かがくしゅう)」に初見するとアル。
江戸時代には種子を播いて育てたことが「百姓伝記」にみえ、
はこべ汁「料理物語」などにして食べられた。
また、干して粉にしたのを塩と混ぜたハコベ塩を歯みがきに使う習俗もあり、
現在も歯茎の出血を防ぐ目的で使われることがある。
ハコベの語源には諸説ある
、 はびこる→はこびる→はこべら→はこべの変化。
はいずる→へえずるからの派出とみられる
奇怪なる日向弁「ナニヘズッタツカ。」
へずる、ひずる系の方言が西日本には確かに多い
この時期土水路の土手にセリとかの若菜を取りに行った。
調味料を味噌に豆腐とか混ぜ和え物で食した。
大和の民は無病息災を祈っての七草粥の日。
ひのひかり つまむごとくに 若菜摘み
2010年は国際読書年とのコトをブログで教えていただいた
田舎では東販ナゾの旧配給システムの改善がないゆえ本屋さんに新刊書が並ばない事さえ生じる。
人件費切り詰めでそのまま返送の事例さえ知っている。
岩波出版物みたいに買い切り制度ナゾになれば小出版店も公平に書店の棚を埋めるだろう
大小関わらずどこも出版不況は長年続いている。
新書版で言うなら09年ゴマ書房が倒産した。
護摩を焚いて大祓は神道でなく仏教と言うから宗教は解らない。
京都が本部だが港区三田に施設を持つ新興宗教である。
創立当時に近い頃から熱心なる阿含宗の行事に参加している若かりし頃の名バスケマンさえ早や50歳代にある。
お釈迦さまの本当の教えが残されている唯一の経典「阿含経」を奉じ、真正仏舎利尊=釈尊の御聖骨を本尊としているらしい。
大ポスターでお見掛けになられたかもしれない。
「炎の祭典・阿含の星まつり」という修験道の祭典は全国から大勢集まるらしい。
日々の勤行で読経する聖典には阿含経、観音経、そして般若心経、
護摩儀式や実際には大乗経典からも参照していることから上座仏教系新宗教ではなく密教系新宗教なんであろう。
爺が踏み込めなかったのは開祖桐山靖雄著作「変身の原理―密教の神秘」が平河出版社カラ刊てるので先入観があった点も否めない。平河出版社には裏事情がいろいろある。
この世代はまず自分で調べてから入る。
グーグルがアップル・アイホーンにライバル機種スマートホーン・ネクサス1を打ち出した様でこちらは音声認識ゆえ爺ら世代は飛びついても大丈夫とマズ考える。
厄がつくというのもわかる。
こちらは神社で分校出身者で創る会が上手くやってくれた。
大祓いではなく心静めの写経では葬儀参加がとくに目立つ今日この頃般若心経は若かりし頃から唱える爺である。
憑き物大祓いをやらないと腐臭漂う不貞の輩には効き目がないようである。
まぁ~国家を食い物にする小泉竹中を神の如く仰ぐ程度のオムツゆえ知れている
けいざい論文ごとき真似事ナゾをアップしているがこれが噴飯物。
実名さえ名乗れない程度の代物
ブログと同じで他人をまず下敷きにすすめる調子の姿勢は同じ手法。
総てが引用々の連続で自らが叫んでる天に唾する作法で
丸写しジャァねえか。
唾が三本足りない猿顔を覆い腐れてて実に醜い
猿だの骨ナゾの輩には除霊程度には効き目もないようだ。
6日は爺のブログに深夜から早朝昼間夕方とひがの一日でアル。
実にご苦労なるコッタ。
仕事の合間だろうがタマッタァ~もんじゃぁ~ない。
いい加減なる腐りきった態度で神聖なる仕事中に誠心誠意なぞ微塵もない所業。
釈迦の唱える修業人の辿りツイたる悩み煩悩の解決策、解脱の道。
般若心経に結実した人生の珠玉「空」。
武芸の神たる存在の宮本武蔵「無」
華道、茶道の侘びさびの世界を超越したる「無」
皮下血管の退化の老齢人は老廃物を溜めてしまう事が原因。
若き人は青春の匂いの若者の匂いはかってより減っているらしい。
脂肪酸の日常が少なくなっている事から来ているのであろうか。
根が腐ってる猿だの骨ナゾにはまったく関係ない。
「神道名目類聚抄」にのっとって祭事とすべきなんだろうか。
「祓とは、つつしみの義なり。 邪念発れば是を除、あやまりては即改、
不浄なれば是を去。(中略)風、梢の塵を拂、水、物の垢を洗ふが如し。」
創価と合体してしまった政治は実にネチッこい
毎日々ご苦労様である、日々4年以上続いている。。
一人一殺ナンであろうか。
これでは小泉竹中経である。
爺は小沢一郎教徒ではない。
新進気鋭の自民幹事長当時は全霊を賭け対決していた。
国家の現状から今は小沢一郎しかないと時局を分析している。
今後小泉安倍幹事長が強行した10年も経ている憲法調査会が動き出すと反民主党反小沢一郎となろう。
国家の自立タル自主独立で宗主国アメリカに独立を訴え必死で立ち向かう信念に打たれてるだけである。
国家の未来に棹させば爺はすぐに立ち位置を変える。
政治に関わるということは狂信的が一番危うい
爺は政治家である。
国際的流れと隣国の動きに注視する必要が一番大事である。
藤井財務大臣の功罪をアップしたいが前門の虎に対処しないと後に控える狼から咬まれる
仏教にもとずく祓い、厄介なる毛も道徳律も足りない猿ナゾ骨ナゾの憑き物の厄祓い
財務省政務三役は、
野田佳彦副大臣が予算、峰崎直樹副大臣(参)が税制
大串博史政務官が予算、古本伸一郎政務官が税制を担当している。。
菅直人は財政健全化論者で財務官僚とはウマが合おう。
適切指導にあたれば埋蔵金なりも是正されよう。
いずれアップするが忘れぬうちの備忘録
小泉・竹中改革で異能ぶりを発揮した人が高橋洋一元財務官僚である。
小泉創価から切捨てられ風呂場での不可思議なるドロで嵌められた。
貴重なる指摘をしておられる。
それを文筆のご専門家の方が説明している。
新年のテレビで日本の借金800兆円について語っていた。
「800兆がどうやって使われているかというと、本当の借金は300兆ぐらいで、
200兆ぐらいは、実は道路とかそういうふうなものになってます。
あとの残りの300とか400兆は独立行政法人とか特殊法人のためにお金を借りてるだけなんです」
「さもありなん」とうなずかれる方も多いのではないか。
実は一般会計から毎年度、6割ていどが特別会計に繰り入れられている。
そこから独法、公益法人などにカネが流れていることにもこれまでのブログでも繰り返しふれた。
昨年8月に財務省が発表したデータによると、
この国の借金は860兆円。
そのうち、独法支援の色彩が強い財投債が127兆円。
あとは、 普通国債545兆円、
借入金56兆円、
政府短期証券108兆円などである。
藤井大臣はこのカラクリ財務状況を10兆円しか一般財源に回していない。
それも亀井大臣の恫喝気味に一部答えただけ。
いずれ藤井財政の功罪に触れたい。
国家の品格とは何か。
自立した平和な国民の集まりにある。
NHKが正月三ヶ日一日4時間半、累計13時間半ぶっ通しで隣国との歴史を時代を区切り詳細に放映した。
歴史は支配者向けに書かれている。
真実は覆い隠される
勝利者のみが歴史に残る。
そこに光を当てねば真実は現れてこない。
朝鮮半島と日本背後に控える中国パワー
2010年と645年当時がなんら変わらないに日中韓の状況である。
同時代で日韓それぞれが検証しあっては初めて真実に行き着く。
素晴しき番組である。、
ETV特集 日本と朝鮮半島2000年①~⑨
1950年今日7日は聖徳太子の千円札が発行された日
裏側には夢殿
2年前に100円の札が出ている。
645年皇極天皇は軽皇子へ譲位した。この方が孝徳天皇で 654年まで在位した。
645年皇極朝廷のときの大化の改新の藤原鎌足・中大兄王子は三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来日した
まさに朝鮮からの派遣史を立会いさせ皇極天皇の前での蘇我入鹿殺戮。
これは朝鮮半島の百済派VS新羅派の国家存亡の対立の沸騰点の結果である。
テレビは蘇我入鹿の飛鳥甘樫丘邸宅の2005年から始まった発掘の結果をコンピューターグラッフィク図のイメージ図解で
教えてくれた。
あわせて韓国における発掘現場との照らし合わせ。
。
蘇我蝦夷の邸宅の位置や蘇我氏が建立した飛鳥寺の位置
蘇我邸・谷の宮門の兵舎と武器庫の存在が確認された
、蘇我氏は飛鳥板蓋宮の周り砦を置き外敵から都を守ろうとしたのではないかとの説。
何故か。
618年に成立した唐が朝鮮半島に影響力を及ぼし、
倭国も唐の脅威にさらされている
という危機感を蘇我氏は持っていた。
そのため従来の百済一辺倒の外交を改め各国と協調外交を考えていた。
それに対し、従来の「百済重視」の外交路線をとる中臣鎌足や中大兄皇子らが
「開明派」の蘇我氏を倒したと言うのが大化の改新。
蘇我氏打倒後、百済重視外交を推し進め、この国は初めて国軍を朝鮮半島に送る
白村江の戦いである。
ただそれは破綻する。
ところで番組ではこれを大化の改新とは言わない。
乙巳の変という。
読み名は=いっしのへん・おっしの変である。
乙巳の変の後に行われた一連の政治改革が「大化の改新」である。
義務教育で受けてきた大化の改新の解釈は大きく変わってくる。
とりわけ爺が残念におもうことがある。
この国の歴史的証拠物が廃絶断絶されたことである。
テレビは右翼ナゾからを予測したのか限界がありそこにまったく触れなかった。
蘇我氏を滅ぼしたはガマンする。
ただ聖徳太子と蘇我馬子が蘇我氏の職責であり保持してた
「天皇記」「国記」が焚書で永久に消えた。
この罪はとてつもなく大きい藤原鎌足・中大兄王子は国辱モンである。
伝えれてるほど聖徳太子と蘇我馬子の遺産の継承者の蘇我氏は国賊ではない。
仏教に基づく国家整備で遣隋使など国際的視点の政治であった。
その後より一層新興宗教「仏教」を国家宗教とした。
国家統治の根底に仏教がおかれた。
それは明治維新の廃仏毀釈まで国会意思として貫徹された。
中大兄皇子の「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号
「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。
諱=実名は葛城皇子(かづらきのみこ/かつらぎのみこ)である。
漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船によって撰進され、
「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けられたと言うのらしい。
すこしいきさつを明らかにするためさかのぼる。
622年4月8日=推古天皇30年2月22日、朝廷の政を執っていた厩戸皇子=聖徳太子が死去した。
聖徳太子の死により大豪族蘇我氏を抑える者がいなくなる。
その権勢は天皇家を凌ぐほどになった。
蘇我馬子が死に、子の蝦夷の代である
628年4月15日=推古天皇36年3月7日推古天皇が後嗣を指名することなく崩御。
有力な皇位継承権者には田村皇子と山背大兄王=聖徳太子の子
入鹿は皇極天皇の次期天皇に蘇我氏の血をひく古人大兄皇子を天皇に為さんと欲した。
古人大兄皇子は舒明天皇の第一皇子。母は蘇我馬子の娘
古人大兄皇子の娘は天智天皇の皇后。
そのため、有力な皇位継承資格者・山背大兄王の存在が邪魔になり、
643年11月、入鹿は斑鳩宮を襲い山背大兄王とその一族を滅ぼした。
古人大兄皇子は乙巳の変後出家して吉野へ隠退。
645年9月12日中大兄皇子が攻め殺した。
天智天皇は舒明天皇の第二皇子。母は宝女王(のちの皇極天皇)。
皇后は異母兄・古人大兄皇子の娘
中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を殺害
叔父・孝徳天皇を即位させ、自身は皇太子となった。
そして大化という元号を制定し、様々な改革を行なった
また、有間皇子などのちのちクーデターを起こしそうな勢力を罠に嵌めて死刑とした。
百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、
百済復興を図った。
百済救援を指揮するために筑紫に滞在した
661年、斉明天皇が崩御した。
その後、長い間皇位に即かず称制した
663年、白村江の戦いで大敗を喫した
667年、大津へ遷都してそこで即位した
白村江の戦以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置した。
また、冠位もそれまでの十九階から二十六階へ拡大するなど、行政機構の整備も行っている。
即位後の670年には、我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成
公地公民制が導入されるための土台を築いていった。
天智天皇は、第一皇子・大友皇子に皇位を継がせたかったと日本書紀は伝える。
大海人皇子から額田王を奪ったという話も有名
、天智の死後に起きた壬申の乱において弟・大海人皇子(天武天皇)が大友皇子に勝利して即位した。
以降、天武系統の天皇が称徳天皇まで続く。
称徳の死後、天智の孫・白壁王(志貴皇子の子)が光仁天皇として即位し
、それ以降は天智系統となる。
系図を見れば解りやすい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%AC%99%E5%A4%A9%E7%9A%87
なおNHKの4月放送の奈良1300年記念番組は
孝謙天皇・吉備真備を描く
女帝孝謙天皇を好々爺連は弓削の道鏡の一物で酒の肴にする。
歴史講談好きは769年大宰府の主神(かんづかさ)中臣習宜阿曾麻呂の御宣託
「道鏡が皇位に就くべし」
との宇佐八幡の託宣を興じるハズ。
調査のため和気清麻呂が勅使として大分・宇佐八幡に来る。
この託宣は虚偽であると復命。
これに怒った道鏡は清麻呂を因幡員外介として左遷
、さらに称徳天皇は清麻呂を除名し鹿児島の大隅国へ配流した宇佐八幡宮神託事件まで及ぶ。
その後、道鏡の故郷である河内国・由義宮造営にまで及べば相当の歴史通。
称徳天皇は河内の由義宮に行幸し同地を西京とする旨を宣したのち、病臥、100日余で崩御した。
このとき、看病の為に近づけたのは宮人(女官)の吉備由利(吉備真備の姉妹または娘)だけで
道鏡は崩御まで会うことはなかった。
NHKが4月上手くドラマとはいいとこに目を付けた。
重祚(ちょうそ)とは退位したのにまた天皇になること。
この国では重祚した天皇は二人、
皇極天皇が斉明天皇として、孝謙天皇が称徳天皇の二例
皇極天皇の場合は子の中大兄皇子の政治的思わくによる時間稼ぎ。
孝謙天皇の場合は自身の政治的な思わくから一度皇位を譲った相手の淳仁天皇に無理矢理譲位させている。
天地天皇の三代後が聖武天皇その子が孝謙天皇・称徳天皇である。
今年は奈良遷都1300年
奈良市西ノ京町には近鉄橿原線の駅として西ノ京駅がある。
この駅は土・休日に一部の特急と急行が臨時停車する。
京都奈良を30数分で結んでるのも運行技術がここいらにある。三回ほどこの京都なら30数分を利用して遊んだ
関西で一杯やるには加茂川沿いの先斗町が爺には至福の時間。
薬師寺で平山郁夫の壁画が公開された2001年がきっかけらしい。
西の京駅で降りる。
駅前に薬師寺がある。
歩いて北上すること約15分=約800mで唐招提寺に着く。
唐招提寺は奈良時代唐から来日した鑑真(688-763年)が創建した
御影堂には国宝「鑑真和上像」が鎮座する。
唐招提寺は大和古寺の雰囲気を残す数すくない寺である。
しかも奈良時代に作られた金堂は、全国でもここだけで、1250年の風格が漂う。
2000年より金堂の保存修理事業が始まり、2009年秋11月に「金堂平成大修理落慶法要」が行われた。
岩波新書の新版『鑑真』著者・東野治之が出た。
本書はその落慶記念のために著わされたようだ。
仏教伝来は井上靖の名作「天平の甍」に詳しい。
映画では萬屋欽之助の弟賀津夫が演じた。
創価の動員で興行成績は素晴しかったハズ。
鑑真像が祀られている御影堂は東山魁夷ワールド。
宸殿の間に青緑の大海原の「濤声」
、鑑真像のある間には水墨画「中国の風景 揚州、桂林、黄山」
、上段の間には焼き群青色の美しい「日本の風景 山雲」の障壁画がある。
この作品群については東山魁夷自身の著書である東山魁夷小画集「唐招提寺全障壁画」 新潮文庫に詳しい。
今年は奈良遷都1300年
小学4年生の頃平城京とか平安京とか教えていただいた。
唐招提寺の本尊は盧舎那仏であることから、東大寺の配置を習って建立したものと考えられる。
東大寺にあって唐招提寺にないものは、西塔、南中門だけであり、唐招提寺は省略し小さくした東大寺といってもよい。
昨年11月、唐招提寺・金堂の保存修理事業が終了したコトはブログにアップした。
10年がかりでふたたびその雄渾な姿をテレビ画面にあらわしてたが落慶後の、お目にはかかってない。
新しく生まれ変わった金堂の屋根にのっている鴟尾(しび)からかき始められてる新書版の文庫本が出た
これまでに岩波新書では『木簡が語る日本の古代』 『正倉院』 『遣唐使』等が出ている。
著者・東野治之『鑑真』
爺には恥ずかしき記憶がある。
鴟尾工業が読めなかった。
意を決してご年配の社長さんに機会を見て伺って驚いた。
実はお若りし頃お役人さんであったのだ。
この会社は他にも理解できないところがあった。
建設業は受注をどうしてもお役所頼みで食っている。
全国規模事業者は大臣登録、同一県内は知事登録との区別がある。
西都にあるのにただ一つのみの大臣登録である
ここにも大いなる希望を見た。
多くのことをお教えいただいた爺の師である。
とりわけ社名のくだりには哲学的深さを感じ深く頭をたれた。
本書の著者・東野治之によると唐招提寺・金堂の遠くに拝める鴟尾には次のような銘文が刻まれているとある。
はじめに―唐招提寺金堂の鴟尾
以往古鴟尾裂損金堂解体修理之間拠旧
規造替之願大和上過海之鴻図与此鴟尾
不朽 平成十五年歳次癸未四月八日
漢字の羅列で解説がいる。
往古の鴟尾、裂損せるを以て、金堂解体修理の間、旧規に拠りて之を造替す。
願わくは、大和上過海の鴻図、此の鴟尾とともに不朽ならんことを。
ここでいう「鑑真大和上」、つまり唐招提寺を創建した鑑真についてご記憶ない人はないハズ。
時は奈良時代ゆえ渡海も容易でない時代に、五度も失敗を重ね、ついには失明しながら、不屈の意志で来日を果たした鑑真の偉業。
―しかし彼は、なぜそこまでして、日本をめざしたのでしょうか?ー
苦心談の有名さに比して、その目的や成し遂げた成果は、これまであまり語られてこなかった
ゆえにそこのところの理解は少ないのが実情のハズ。
本書は、鑑真が中国でどのような学問を修めていたか、
何を実現するために日本へ来たのか、
また結果として日本の仏教に何をもたらしたかということを見きわめ、
日本の仏教受容の大きな流れの中に鑑真の存在を位置づけるという、画期的な試み。
当時の日本仏教は、正式に僧になるために不可欠な「授戒」さえも満足におこなえないような状況にあった.
そのなかで文字通り死力を尽くした
日本の仏教を救おうとした壮大な企図を知ってこそ
、鑑真の本当の偉大さも見えてくるのでは、という著者の問いかけに、共感。
本尊の宗派たる大石寺から破門された創価は仏教ではない。
たんなる池田大作の宗教に過ぎない。
CIAの片棒であったり統一教会のお旦さんや暴力団のスポンサーで「北」つながりで麻薬汚染の狂気繋がりにある。
豪州やフランスではカルト教団扱いで禁教にあるのは至極当然のことである。
○1947年の7日の今日佐藤栄作ニクソン会談で沖縄返還は47年5月17日と決まった日
有難うございます。
4年ぶりに50番復帰できてます。
ただ順位に関するINが正確に動いていません。
街のホテルのPCでやって確認済みです。
正規に作動してればinとoutの総数で3位以内にあります。
何故こだわるのか。
妨害に屈するでナイのを晒してるだけです。
ひらさわ代議士関連記事は強制削除されてます。
植草ブログは一日3万のINがズッ~トカウントされてないことが判明抗議で是正されてます。
自民創価批判ブログには厳しい状況があります。
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花言葉は・・・・・・・・追想
ナデシコ科の繁縷はハコベラとも呼ぶ越年草。
春の七草のひとつが今日の花というのも願望からか。
6日もお日様の下の日向路だったが寒ッ!
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雪降る中でのご友人の方々との新年会とある。
人の結びつきとかイロイロ考えさせられ教えていただいた。
道端や田畑、荒れ地に普通に生え雑草として果樹園の下などに、一面に茂る。
日本全土、およびアジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯を中心に100種以上が広く分布する・・とアル。
幼き頃十四マツとか飼ってたが小鳥に食べさせる野菜代わりとしても重宝してたモンである。
全草は繁縷(はんろう)という生薬で、利尿作用、浄血作用があるとされる
ただ田舎に伝わる民間薬的なもので漢方ではまず使わない。
5弁の白い花は一見では10弁に見え集散花序につき、まばらに散らばる。
春の七草ゆえおひたしなど食用にしていた。
植物の関する多くの著作がアル碩学湯浅浩史が教えてくれれる。
平安時代から食用の記録が残り、「倭名類聚抄」には当時は文字どおりの野の菜の野菜
の一つとして、波久倍良(はくべら)の名が載る。
鎌倉後期の「年中行事秘抄」には、宮中で用いる七種菜(ななくさのな)に
はこべの名があがるらという。
ハコベは異名や方言が多いが、ハコベの名は1444年「下学集(かがくしゅう)」に初見するとアル。
江戸時代には種子を播いて育てたことが「百姓伝記」にみえ、
はこべ汁「料理物語」などにして食べられた。
また、干して粉にしたのを塩と混ぜたハコベ塩を歯みがきに使う習俗もあり、
現在も歯茎の出血を防ぐ目的で使われることがある。
ハコベの語源には諸説ある
、 はびこる→はこびる→はこべら→はこべの変化。
はいずる→へえずるからの派出とみられる
奇怪なる日向弁「ナニヘズッタツカ。」
へずる、ひずる系の方言が西日本には確かに多い
この時期土水路の土手にセリとかの若菜を取りに行った。
調味料を味噌に豆腐とか混ぜ和え物で食した。
大和の民は無病息災を祈っての七草粥の日。
ひのひかり つまむごとくに 若菜摘み
2010年は国際読書年とのコトをブログで教えていただいた
田舎では東販ナゾの旧配給システムの改善がないゆえ本屋さんに新刊書が並ばない事さえ生じる。
人件費切り詰めでそのまま返送の事例さえ知っている。
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大小関わらずどこも出版不況は長年続いている。
新書版で言うなら09年ゴマ書房が倒産した。
護摩を焚いて大祓は神道でなく仏教と言うから宗教は解らない。
京都が本部だが港区三田に施設を持つ新興宗教である。
創立当時に近い頃から熱心なる阿含宗の行事に参加している若かりし頃の名バスケマンさえ早や50歳代にある。
お釈迦さまの本当の教えが残されている唯一の経典「阿含経」を奉じ、真正仏舎利尊=釈尊の御聖骨を本尊としているらしい。
大ポスターでお見掛けになられたかもしれない。
「炎の祭典・阿含の星まつり」という修験道の祭典は全国から大勢集まるらしい。
日々の勤行で読経する聖典には阿含経、観音経、そして般若心経、
護摩儀式や実際には大乗経典からも参照していることから上座仏教系新宗教ではなく密教系新宗教なんであろう。
爺が踏み込めなかったのは開祖桐山靖雄著作「変身の原理―密教の神秘」が平河出版社カラ刊てるので先入観があった点も否めない。平河出版社には裏事情がいろいろある。
この世代はまず自分で調べてから入る。
グーグルがアップル・アイホーンにライバル機種スマートホーン・ネクサス1を打ち出した様でこちらは音声認識ゆえ爺ら世代は飛びついても大丈夫とマズ考える。
厄がつくというのもわかる。
こちらは神社で分校出身者で創る会が上手くやってくれた。
大祓いではなく心静めの写経では葬儀参加がとくに目立つ今日この頃般若心経は若かりし頃から唱える爺である。
憑き物大祓いをやらないと腐臭漂う不貞の輩には効き目がないようである。
まぁ~国家を食い物にする小泉竹中を神の如く仰ぐ程度のオムツゆえ知れている
けいざい論文ごとき真似事ナゾをアップしているがこれが噴飯物。
実名さえ名乗れない程度の代物
ブログと同じで他人をまず下敷きにすすめる調子の姿勢は同じ手法。
総てが引用々の連続で自らが叫んでる天に唾する作法で
丸写しジャァねえか。
唾が三本足りない猿顔を覆い腐れてて実に醜い
猿だの骨ナゾの輩には除霊程度には効き目もないようだ。
6日は爺のブログに深夜から早朝昼間夕方とひがの一日でアル。
実にご苦労なるコッタ。
仕事の合間だろうがタマッタァ~もんじゃぁ~ない。
いい加減なる腐りきった態度で神聖なる仕事中に誠心誠意なぞ微塵もない所業。
釈迦の唱える修業人の辿りツイたる悩み煩悩の解決策、解脱の道。
般若心経に結実した人生の珠玉「空」。
武芸の神たる存在の宮本武蔵「無」
華道、茶道の侘びさびの世界を超越したる「無」
皮下血管の退化の老齢人は老廃物を溜めてしまう事が原因。
若き人は青春の匂いの若者の匂いはかってより減っているらしい。
脂肪酸の日常が少なくなっている事から来ているのであろうか。
根が腐ってる猿だの骨ナゾにはまったく関係ない。
「神道名目類聚抄」にのっとって祭事とすべきなんだろうか。
「祓とは、つつしみの義なり。 邪念発れば是を除、あやまりては即改、
不浄なれば是を去。(中略)風、梢の塵を拂、水、物の垢を洗ふが如し。」
創価と合体してしまった政治は実にネチッこい
毎日々ご苦労様である、日々4年以上続いている。。
一人一殺ナンであろうか。
これでは小泉竹中経である。
爺は小沢一郎教徒ではない。
新進気鋭の自民幹事長当時は全霊を賭け対決していた。
国家の現状から今は小沢一郎しかないと時局を分析している。
今後小泉安倍幹事長が強行した10年も経ている憲法調査会が動き出すと反民主党反小沢一郎となろう。
国家の自立タル自主独立で宗主国アメリカに独立を訴え必死で立ち向かう信念に打たれてるだけである。
国家の未来に棹させば爺はすぐに立ち位置を変える。
政治に関わるということは狂信的が一番危うい
爺は政治家である。
国際的流れと隣国の動きに注視する必要が一番大事である。
藤井財務大臣の功罪をアップしたいが前門の虎に対処しないと後に控える狼から咬まれる
仏教にもとずく祓い、厄介なる毛も道徳律も足りない猿ナゾ骨ナゾの憑き物の厄祓い
財務省政務三役は、
野田佳彦副大臣が予算、峰崎直樹副大臣(参)が税制
大串博史政務官が予算、古本伸一郎政務官が税制を担当している。。
菅直人は財政健全化論者で財務官僚とはウマが合おう。
適切指導にあたれば埋蔵金なりも是正されよう。
いずれアップするが忘れぬうちの備忘録
小泉・竹中改革で異能ぶりを発揮した人が高橋洋一元財務官僚である。
小泉創価から切捨てられ風呂場での不可思議なるドロで嵌められた。
貴重なる指摘をしておられる。
それを文筆のご専門家の方が説明している。
新年のテレビで日本の借金800兆円について語っていた。
「800兆がどうやって使われているかというと、本当の借金は300兆ぐらいで、
200兆ぐらいは、実は道路とかそういうふうなものになってます。
あとの残りの300とか400兆は独立行政法人とか特殊法人のためにお金を借りてるだけなんです」
「さもありなん」とうなずかれる方も多いのではないか。
実は一般会計から毎年度、6割ていどが特別会計に繰り入れられている。
そこから独法、公益法人などにカネが流れていることにもこれまでのブログでも繰り返しふれた。
昨年8月に財務省が発表したデータによると、
この国の借金は860兆円。
そのうち、独法支援の色彩が強い財投債が127兆円。
あとは、 普通国債545兆円、
借入金56兆円、
政府短期証券108兆円などである。
藤井大臣はこのカラクリ財務状況を10兆円しか一般財源に回していない。
それも亀井大臣の恫喝気味に一部答えただけ。
いずれ藤井財政の功罪に触れたい。
国家の品格とは何か。
自立した平和な国民の集まりにある。
NHKが正月三ヶ日一日4時間半、累計13時間半ぶっ通しで隣国との歴史を時代を区切り詳細に放映した。
歴史は支配者向けに書かれている。
真実は覆い隠される
勝利者のみが歴史に残る。
そこに光を当てねば真実は現れてこない。
朝鮮半島と日本背後に控える中国パワー
2010年と645年当時がなんら変わらないに日中韓の状況である。
同時代で日韓それぞれが検証しあっては初めて真実に行き着く。
素晴しき番組である。、
ETV特集 日本と朝鮮半島2000年①~⑨
1950年今日7日は聖徳太子の千円札が発行された日
裏側には夢殿
2年前に100円の札が出ている。
645年皇極天皇は軽皇子へ譲位した。この方が孝徳天皇で 654年まで在位した。
645年皇極朝廷のときの大化の改新の藤原鎌足・中大兄王子は三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来日した
まさに朝鮮からの派遣史を立会いさせ皇極天皇の前での蘇我入鹿殺戮。
これは朝鮮半島の百済派VS新羅派の国家存亡の対立の沸騰点の結果である。
テレビは蘇我入鹿の飛鳥甘樫丘邸宅の2005年から始まった発掘の結果をコンピューターグラッフィク図のイメージ図解で
教えてくれた。
あわせて韓国における発掘現場との照らし合わせ。
。
蘇我蝦夷の邸宅の位置や蘇我氏が建立した飛鳥寺の位置
蘇我邸・谷の宮門の兵舎と武器庫の存在が確認された
、蘇我氏は飛鳥板蓋宮の周り砦を置き外敵から都を守ろうとしたのではないかとの説。
何故か。
618年に成立した唐が朝鮮半島に影響力を及ぼし、
倭国も唐の脅威にさらされている
という危機感を蘇我氏は持っていた。
そのため従来の百済一辺倒の外交を改め各国と協調外交を考えていた。
それに対し、従来の「百済重視」の外交路線をとる中臣鎌足や中大兄皇子らが
「開明派」の蘇我氏を倒したと言うのが大化の改新。
蘇我氏打倒後、百済重視外交を推し進め、この国は初めて国軍を朝鮮半島に送る
白村江の戦いである。
ただそれは破綻する。
ところで番組ではこれを大化の改新とは言わない。
乙巳の変という。
読み名は=いっしのへん・おっしの変である。
乙巳の変の後に行われた一連の政治改革が「大化の改新」である。
義務教育で受けてきた大化の改新の解釈は大きく変わってくる。
とりわけ爺が残念におもうことがある。
この国の歴史的証拠物が廃絶断絶されたことである。
テレビは右翼ナゾからを予測したのか限界がありそこにまったく触れなかった。
蘇我氏を滅ぼしたはガマンする。
ただ聖徳太子と蘇我馬子が蘇我氏の職責であり保持してた
「天皇記」「国記」が焚書で永久に消えた。
この罪はとてつもなく大きい藤原鎌足・中大兄王子は国辱モンである。
伝えれてるほど聖徳太子と蘇我馬子の遺産の継承者の蘇我氏は国賊ではない。
仏教に基づく国家整備で遣隋使など国際的視点の政治であった。
その後より一層新興宗教「仏教」を国家宗教とした。
国家統治の根底に仏教がおかれた。
それは明治維新の廃仏毀釈まで国会意思として貫徹された。
中大兄皇子の「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号
「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。
諱=実名は葛城皇子(かづらきのみこ/かつらぎのみこ)である。
漢風諡号である「天智天皇」は、代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船によって撰進され、
「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から名付けられたと言うのらしい。
すこしいきさつを明らかにするためさかのぼる。
622年4月8日=推古天皇30年2月22日、朝廷の政を執っていた厩戸皇子=聖徳太子が死去した。
聖徳太子の死により大豪族蘇我氏を抑える者がいなくなる。
その権勢は天皇家を凌ぐほどになった。
蘇我馬子が死に、子の蝦夷の代である
628年4月15日=推古天皇36年3月7日推古天皇が後嗣を指名することなく崩御。
有力な皇位継承権者には田村皇子と山背大兄王=聖徳太子の子
入鹿は皇極天皇の次期天皇に蘇我氏の血をひく古人大兄皇子を天皇に為さんと欲した。
古人大兄皇子は舒明天皇の第一皇子。母は蘇我馬子の娘
古人大兄皇子の娘は天智天皇の皇后。
そのため、有力な皇位継承資格者・山背大兄王の存在が邪魔になり、
643年11月、入鹿は斑鳩宮を襲い山背大兄王とその一族を滅ぼした。
古人大兄皇子は乙巳の変後出家して吉野へ隠退。
645年9月12日中大兄皇子が攻め殺した。
天智天皇は舒明天皇の第二皇子。母は宝女王(のちの皇極天皇)。
皇后は異母兄・古人大兄皇子の娘
中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を殺害
叔父・孝徳天皇を即位させ、自身は皇太子となった。
そして大化という元号を制定し、様々な改革を行なった
また、有間皇子などのちのちクーデターを起こしそうな勢力を罠に嵌めて死刑とした。
百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、
百済復興を図った。
百済救援を指揮するために筑紫に滞在した
661年、斉明天皇が崩御した。
その後、長い間皇位に即かず称制した
663年、白村江の戦いで大敗を喫した
667年、大津へ遷都してそこで即位した
白村江の戦以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置した。
また、冠位もそれまでの十九階から二十六階へ拡大するなど、行政機構の整備も行っている。
即位後の670年には、我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成
公地公民制が導入されるための土台を築いていった。
天智天皇は、第一皇子・大友皇子に皇位を継がせたかったと日本書紀は伝える。
大海人皇子から額田王を奪ったという話も有名
、天智の死後に起きた壬申の乱において弟・大海人皇子(天武天皇)が大友皇子に勝利して即位した。
以降、天武系統の天皇が称徳天皇まで続く。
称徳の死後、天智の孫・白壁王(志貴皇子の子)が光仁天皇として即位し
、それ以降は天智系統となる。
系図を見れば解りやすい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%AC%99%E5%A4%A9%E7%9A%87
なおNHKの4月放送の奈良1300年記念番組は
孝謙天皇・吉備真備を描く
女帝孝謙天皇を好々爺連は弓削の道鏡の一物で酒の肴にする。
歴史講談好きは769年大宰府の主神(かんづかさ)中臣習宜阿曾麻呂の御宣託
「道鏡が皇位に就くべし」
との宇佐八幡の託宣を興じるハズ。
調査のため和気清麻呂が勅使として大分・宇佐八幡に来る。
この託宣は虚偽であると復命。
これに怒った道鏡は清麻呂を因幡員外介として左遷
、さらに称徳天皇は清麻呂を除名し鹿児島の大隅国へ配流した宇佐八幡宮神託事件まで及ぶ。
その後、道鏡の故郷である河内国・由義宮造営にまで及べば相当の歴史通。
称徳天皇は河内の由義宮に行幸し同地を西京とする旨を宣したのち、病臥、100日余で崩御した。
このとき、看病の為に近づけたのは宮人(女官)の吉備由利(吉備真備の姉妹または娘)だけで
道鏡は崩御まで会うことはなかった。
NHKが4月上手くドラマとはいいとこに目を付けた。
重祚(ちょうそ)とは退位したのにまた天皇になること。
この国では重祚した天皇は二人、
皇極天皇が斉明天皇として、孝謙天皇が称徳天皇の二例
皇極天皇の場合は子の中大兄皇子の政治的思わくによる時間稼ぎ。
孝謙天皇の場合は自身の政治的な思わくから一度皇位を譲った相手の淳仁天皇に無理矢理譲位させている。
天地天皇の三代後が聖武天皇その子が孝謙天皇・称徳天皇である。
今年は奈良遷都1300年
奈良市西ノ京町には近鉄橿原線の駅として西ノ京駅がある。
この駅は土・休日に一部の特急と急行が臨時停車する。
京都奈良を30数分で結んでるのも運行技術がここいらにある。三回ほどこの京都なら30数分を利用して遊んだ
関西で一杯やるには加茂川沿いの先斗町が爺には至福の時間。
薬師寺で平山郁夫の壁画が公開された2001年がきっかけらしい。
西の京駅で降りる。
駅前に薬師寺がある。
歩いて北上すること約15分=約800mで唐招提寺に着く。
唐招提寺は奈良時代唐から来日した鑑真(688-763年)が創建した
御影堂には国宝「鑑真和上像」が鎮座する。
唐招提寺は大和古寺の雰囲気を残す数すくない寺である。
しかも奈良時代に作られた金堂は、全国でもここだけで、1250年の風格が漂う。
2000年より金堂の保存修理事業が始まり、2009年秋11月に「金堂平成大修理落慶法要」が行われた。
岩波新書の新版『鑑真』著者・東野治之が出た。
本書はその落慶記念のために著わされたようだ。
仏教伝来は井上靖の名作「天平の甍」に詳しい。
映画では萬屋欽之助の弟賀津夫が演じた。
創価の動員で興行成績は素晴しかったハズ。
鑑真像が祀られている御影堂は東山魁夷ワールド。
宸殿の間に青緑の大海原の「濤声」
、鑑真像のある間には水墨画「中国の風景 揚州、桂林、黄山」
、上段の間には焼き群青色の美しい「日本の風景 山雲」の障壁画がある。
この作品群については東山魁夷自身の著書である東山魁夷小画集「唐招提寺全障壁画」 新潮文庫に詳しい。
今年は奈良遷都1300年
小学4年生の頃平城京とか平安京とか教えていただいた。
唐招提寺の本尊は盧舎那仏であることから、東大寺の配置を習って建立したものと考えられる。
東大寺にあって唐招提寺にないものは、西塔、南中門だけであり、唐招提寺は省略し小さくした東大寺といってもよい。
昨年11月、唐招提寺・金堂の保存修理事業が終了したコトはブログにアップした。
10年がかりでふたたびその雄渾な姿をテレビ画面にあらわしてたが落慶後の、お目にはかかってない。
新しく生まれ変わった金堂の屋根にのっている鴟尾(しび)からかき始められてる新書版の文庫本が出た
これまでに岩波新書では『木簡が語る日本の古代』 『正倉院』 『遣唐使』等が出ている。
著者・東野治之『鑑真』
爺には恥ずかしき記憶がある。
鴟尾工業が読めなかった。
意を決してご年配の社長さんに機会を見て伺って驚いた。
実はお若りし頃お役人さんであったのだ。
この会社は他にも理解できないところがあった。
建設業は受注をどうしてもお役所頼みで食っている。
全国規模事業者は大臣登録、同一県内は知事登録との区別がある。
西都にあるのにただ一つのみの大臣登録である
ここにも大いなる希望を見た。
多くのことをお教えいただいた爺の師である。
とりわけ社名のくだりには哲学的深さを感じ深く頭をたれた。
本書の著者・東野治之によると唐招提寺・金堂の遠くに拝める鴟尾には次のような銘文が刻まれているとある。
はじめに―唐招提寺金堂の鴟尾
以往古鴟尾裂損金堂解体修理之間拠旧
規造替之願大和上過海之鴻図与此鴟尾
不朽 平成十五年歳次癸未四月八日
漢字の羅列で解説がいる。
往古の鴟尾、裂損せるを以て、金堂解体修理の間、旧規に拠りて之を造替す。
願わくは、大和上過海の鴻図、此の鴟尾とともに不朽ならんことを。
ここでいう「鑑真大和上」、つまり唐招提寺を創建した鑑真についてご記憶ない人はないハズ。
時は奈良時代ゆえ渡海も容易でない時代に、五度も失敗を重ね、ついには失明しながら、不屈の意志で来日を果たした鑑真の偉業。
―しかし彼は、なぜそこまでして、日本をめざしたのでしょうか?ー
苦心談の有名さに比して、その目的や成し遂げた成果は、これまであまり語られてこなかった
ゆえにそこのところの理解は少ないのが実情のハズ。
本書は、鑑真が中国でどのような学問を修めていたか、
何を実現するために日本へ来たのか、
また結果として日本の仏教に何をもたらしたかということを見きわめ、
日本の仏教受容の大きな流れの中に鑑真の存在を位置づけるという、画期的な試み。
当時の日本仏教は、正式に僧になるために不可欠な「授戒」さえも満足におこなえないような状況にあった.
そのなかで文字通り死力を尽くした
日本の仏教を救おうとした壮大な企図を知ってこそ
、鑑真の本当の偉大さも見えてくるのでは、という著者の問いかけに、共感。
本尊の宗派たる大石寺から破門された創価は仏教ではない。
たんなる池田大作の宗教に過ぎない。
CIAの片棒であったり統一教会のお旦さんや暴力団のスポンサーで「北」つながりで麻薬汚染の狂気繋がりにある。
豪州やフランスではカルト教団扱いで禁教にあるのは至極当然のことである。
○1947年の7日の今日佐藤栄作ニクソン会談で沖縄返還は47年5月17日と決まった日
有難うございます。
4年ぶりに50番復帰できてます。
ただ順位に関するINが正確に動いていません。
街のホテルのPCでやって確認済みです。
正規に作動してればinとoutの総数で3位以内にあります。
何故こだわるのか。
妨害に屈するでナイのを晒してるだけです。
ひらさわ代議士関連記事は強制削除されてます。
植草ブログは一日3万のINがズッ~トカウントされてないことが判明抗議で是正されてます。
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