平成版2・26クーデター(8)
2010年1月23日 お仕事 コメント (1)今日の誕生日の花は・・・・・・フクジュソウ
花言葉は・・・・・・・・・幸福を招く・長寿
キンポウゲ科の福寿草
3-4cmの黄色い花を咲かせる。
当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつく
次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。
この花は太陽光に応じて開閉=日光が当たると開き、日が陰ると閉じる。
23日は小沢VS検察決着の日
根には強心作用、利尿作用があり民間薬
しかし毒性が強く素人の利用は死に至る危険な行為
アドニンという毒成分を含む。
春を告げる花の代表である
福寿草の花と南天の実とセットで
「難を転じて福となす」
千金の ひをさずかりて 福寿草
1月23日は何の日?
午後に小沢一郎が4時間の徴集に応じる日。
徴集が上手く変換せず長州となってしまう。
長州は山口・下関。大内・毛利の国である。
下関に白石正一郎という豪商勤皇家がいた。
22日~23日NHKラジオ深夜便は地方山口からの放送。
下関は爺目社会人として仲間入りしたところ。
下関は大人になった竜馬の平安に過ごした国。
「龍馬とお龍の下関―海峡に遺した夢のあと」
1月23日・慶応2年=1866年3月8日は寺田屋事件。
宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした
龍馬は同宿の養女・お龍の伝えられる裸姿でお風呂から2階へ階段を駆け上がり危険を知らせる機転
龍馬は高杉晋作よりもらってた拳銃で応戦。
左手の親指を負傷し弾が込められず投げつける
護衛の三吉慎蔵と寺田屋の家屋を飛び出し街中の材木のところに隠れる。
市中見回りが厳しく覚悟を決める。
武士の美学で切腹を三吉慎蔵が話すのを止める龍馬は最後まで生き抜く事で諭す。
その下関の人の三吉慎蔵の薩摩屋敷に伝えこみ危うく回避。
しばらくの間は西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に潜伏する。
大河ドラマ竜馬伝には爺目に新しき知識を吹き込んでくれる。
「薩長連合、大政奉還、あれはぜんぶ龍馬一人がやったことさ」
と勝海舟に言わせた
、龍馬は維新の立役者。
その龍馬も十代の頃まではうだつの上がらぬ弱虫の幼少時が描かれた。
桂浜には龍馬像がある。
そこには劣等児龍馬の自虐的な歌がひっそりとある。
世の人はわれを
何とも云はばいへ
わがなすことは
我のみぞ知る
龍 馬
長州藩が幕府軍を打ち破った第2次長州征伐から半年足らずの慶応3(1867)年2月、
龍馬はお龍とともに下関で暮らし始めた。2人が身を寄せ合ったのは、龍馬がたびたび止宿していた
下関の豪商、伊藤家の当主、助太夫に提供された邸内の一室。
龍馬はその住まいを「自然堂」と名付けた。
関門海峡を間近に望む伊藤家。
鎌倉時代の文献にすでにその名が見え、加藤清正やシーボルト、西郷隆盛らとも接点を持つ。
建物は昭和の戦災で焼失し、跡地には案内板や明治天皇行幸時の手洗い鉢などがわずかに残るだけ
--------------------------
古城さんが教えていただける。
「自然堂を拠点とした暮らしぶりには、ほほえましい
龍馬の肖像写真は6種類だが、うち3種類は下関の関係者に手渡されていた。
また、龍馬がしたためた手紙約130通のうち2割以上は下関の人にあてたものだという
「命を狙われていた龍馬が家庭人の姿を見せるほど心を許した地。
下関の人々も一風変わったよそ者を受け入れる度量があった。
埋もれたままにしておいてはいけない歴史の一コマです」
ゆく春も心やすげに見ゆるかな 花なき里の夕暮の空・・龍馬
龍馬が生き延びられたのは三吉慎蔵ら長州藩士や豪商、白石正一郎らの支援があったからこそ。
長府藩士の中で最初に交流を持ったのが、印藤聿。
龍馬は下関を離れる際、愛用の飯碗と湯のみを印藤 に贈っている。
印藤の紹介で知り合ったのが三吉慎蔵。
薩長同盟締結直後、ともに寺田屋事件に遭遇し、固い友情で結ばれた。
龍馬は慎三に遺言を書き、慎三は龍馬の死後、それに従ってお龍を引き取った。
また、住まいを提供した伊藤助太夫は、龍馬から改名を勧められ「九三」と名乗った。
下関市立長府博物館学芸員…古城 春樹
-------------------------------
下関は交流の拠点。
独特の都市の風が吹いている。
1970年には関釜フェリーが就航しあの歴史に生身で現場で立ち会った。
22日宮崎では児湯・木城ヒキ神社から氏子が高鍋日向灘蚊口浜で禊の祭礼
それから程遠き日向市手前門川から奥に行った百済の里を目指す。
ともの親子の百済王である
そこの神社との祭礼が始まる
あの奈良遷都1300年の宝物の正倉院
ここにはまったく同じの西の正倉院が建っている。
正倉院宝物の鏡と同じものがある。
下関は大陸の取っ掛かり朝鮮通信使の通過点
赤間関は有力守護大内氏の拠点で室町幕府との政治的な交渉の場となった。
赤間関において、室町幕府の通行を証明する御教書
領主大内氏が赤間関で出迎え、護衛をおこなった。
一般に江戸時代以降のことが中心で、中世の状況についてはあまり知られていない。
1413年=応永20、室町将軍足利義持によって日朝交流がはじめられた。
ラジオでは著書もアル古城 春樹下関市立長府博物館学芸員がお話をされた。
この人はDNAは薩摩人である。
祖父が鹿児島から移り住んできた。
22日自民党が活気付いている。
21日党首討論谷垣総裁が鬼の首でもとったように喜んだ
党首討論で言質を取った
鳩山総理
「天地神明に誓って母から資金は知らなかった。議員バッジを外す。」
総理の弟・白いハト鳩山邦夫元総務相も脱税額に当たる6億円相当を納税している
sらに自民党の要職を辞任している。
谷垣総裁としては何らかの形で事情聴取したいという。
ところが会議が開かれない。
何故?
これがお粗末・・
「自民党政治倫理審査会<会長>は空席のまま。」
実に笑ってしまう。
22日国会井上義久公明党委員
原口一博総務相に対する質問で、情報源を「関係者によると」とした記事について閣僚が記事の書き方にまで踏み込んで批判するのは極めて異例で適切さを欠いている、
発言を撤回する意志はないか、と迫った。
この意見は同日付け毎日新聞の社説と全く符合する。
この質問に対し総務相は記者会見での質問の内容と、問題にした発言の前後を復元させ説明。
、発言の撤回を拒否。
その内容は極めて良識的、前向き
毎日社説のいいわけがましい主張より見栄えのするもの。井上委員は重ねて同趣旨の質問をしたが反論にならず、あっさり質問を打ち切ってしまった
爺目がいつも言ってる創価=毎日の共同歩調の証左でアル
早朝5時30分からのミノモンタTBS朝ズバッ!でもよく見受ける創価=TBSと構図は同じである。
23日午後である。
入てもたってもいられず非常識なる時間に無礼覚悟で小沢事務所にTELをした。
22日深夜23時である。
電話応対の素晴しさ。
衆議院議員 小沢一郎事務所
> 秘書 馬場 慶次郎
> 〒107-0052 港区赤坂2-17-12チュリス赤坂701号室
> TEL 03-3586-7171
> FAX 03-3586-6161
励ましのFAXを寄せよう。
23日頑張ってください。
これまで自民党の小沢一郎と戦っての人生でしたが諸般の事情の愛国の情況から
どうしても小沢一郎からこの国を守り抜いて欲しい。
このままの対米従属ではこの国は世界の流れに乗り遅れる。
田中角栄のやった中国との第二の開国で深化した日中国交回復である。
江戸っ子は話しっぷりが言い。
何故だったか22日アップがない。
こうであった。
ブラタモリが浅草編を放映した。
http://www.nhk.or.jp/buratamori/
いやぁ~裏番組の山崎豊子不毛地帯も曇ってしまう。
昨年末に、テレビドラマ「JIN・仁」が終了した、
中村敦夫の演じた新門辰五郎。
浅草十番組「を組」の頭、伝説の江戸火消し
幕府より伝法院の門番を拝命した人。
あの仲見世通りの左側の伝法院。
伝法院通りを経て木馬館に向う時の右側が伝法院
ナント!りっぱなる公園があったのだ。
それが実に五重塔の借景ナゾと実に立派。
山道アリと麻布編のときの大使館内の非公開公園と同じである。
現在でも非公開、
、東京のど真ん中に在る秘園
ところがここは海の底であったのだ。
浅草寺・子院「正智院」の守山住職
池を改修してたら怪が出てきたと標本をお示しなさる。
伝法院の古井戸を掘りますと多くの開いてない貝さえ採取できた。
鑑定すると4300年前という、
浅草寺について以前アップしている通り。
それから江戸期の歌舞伎の中心地の旧「猿若町」
浅草6丁目旧町名猿若町
画面は歌舞伎の藤浪小道具屋
演目「暫く」で鎌倉権五郎景政が担ぐ大太刀2m20cmも登場しました。
観客無く苦労の末浅草寺境内の平成中村座が帰って来ている。
ようやく爺の悩みが解消した。
凌雲閣とあの噴水なり池の正確なる所である。
階位12階は絵葉書でしか見れない。日本初の高層12Fビル
大震災で崩壊消失した。
あの大池は「瓢箪池」
1959(昭和34)年の五重塔再建のため埋め立てられ、公園六区は様変わり。
レビューで楽しんだ国際劇場となり時代は1982(昭和57)新たなる人寄せをビューホテルとした。
屋上風呂のヒノキ風呂を楽しんだものだ。
木馬館まえのおでんやさん「君塚食堂」には笑った
う~~んお元気そうである。
22日台湾宮崎便がそれぞれ飛び交いだした。
台湾からのお客さんは自転車を取り出し20度の日向路を颯爽と走り出した。
バスの到着地は八紘台である。
若き宮崎人・・ハッコウダイ・・・平和台の事でしょう。
ボケたのせきやん爺ぃ~
あの威容堂々の戦意高揚の象徴の異物・八紘一宇の塔
浅草の凌雲閣の素晴しさをここで見ればいい。
知らなかったが「ライバルが手を結ぶ日」と言うのがあるらしい。
慶応2年1月21日(旧暦。新暦では1866年3月7日)
、坂本竜馬らの仲介により長州藩と薩摩藩が薩長同盟を結んだ日を言うのらしい。。
丁度宮崎から台湾に飛んだ日である。
英米の高級紙の海外特派員には、CIA、SISの諜報員が多数投入されているのは今や欧米では常識。
戦後、あの岸信介を正式なCIAエージェントとしてアメリカ政界に紹介したのも、
当時「ニューズウイーク」誌の東京支局長だったCIA上級諜報員、ハリー・カーン。
ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー記者のピュリッツアー賞受賞作となったベストセラー
Legacy of Ashes: The History of the CIA, by Tim Weiner
に詳細が暴露されていて邦訳版も上下で出ている。
東京地検の暴走にアメリカ・イギリスが何らかの形で関わっている事実が、いよいよあぶり出されてきた
23日午後に一つの方向が出る。
郷原教授による見解
「検察はこの『不記載(虚偽記載)』だけで小沢さんの逮捕まで突っ走る可能性がある。」
国会開会中に、通常如何やっても罰金刑の事案で、現職の与党幹事長を、逮捕する。
如何考えても狂気の沙汰
、いかに検察共犯者のマスコミと言えども、かばいきれまい
権力闘争の観点から見ると、何とかマスコミの世論操作で国民多数と民主党の一部をを味方につける。
その上で、民主党の要石の小沢幹事長を、逮捕無力化し、民主党の分裂を図るというのが、勝利のための定石。
どうだろう。
、世論調査を見てもマスコミ懸命のキャンペーンにも拘らず、内閣、政党支持率とも、さほど下がっていない。
必死に仕掛けている、民主党議員への分裂工作も、あまり効果を上げているとはいえない。
此処で突っ込むのは、検察の自殺行為ではないか
超エリートの特捜検察官達は国体を護持する
、小沢一郎のような危険な政治家を罰する
「官僚主導から国民主導への政治へ」
、「中央集権から地方主権へ」
小沢一郎の政治理念である
、日本の国体を転覆する思想である
こうなると特捜部は一種の信仰集団
損得の勘定無しに、突っ込んでくる。
歴史は繰り返す。
まさに、あの無謀な戦争に、「欧米列強植民地主義帝国からのアジアの解放」という大義を掲げて
、報道機関と一緒に国民を煽り、突っ込んでいった、官僚たちと、同じ精神構造が残っているDNAのなせる業。
その基本思想は宮崎に現物が残る
八紘一宇の塔である。
23日は八甲田山の遭難の日でもある。
ただしもう一隊の弘前隊は全員無事帰還している明暗の差。
特捜部には粋な江戸っ子はいない。
無粋なる田舎モノ集団に過ぎない。
マウス・クリック!よろしく
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
↑ ↑
花言葉は・・・・・・・・・幸福を招く・長寿
キンポウゲ科の福寿草
3-4cmの黄色い花を咲かせる。
当初は茎が伸びず、包に包まれた短い茎の上に花だけがつく
次第に茎や葉が伸び、いくつかの花を咲かせる。
この花は太陽光に応じて開閉=日光が当たると開き、日が陰ると閉じる。
23日は小沢VS検察決着の日
根には強心作用、利尿作用があり民間薬
しかし毒性が強く素人の利用は死に至る危険な行為
アドニンという毒成分を含む。
春を告げる花の代表である
福寿草の花と南天の実とセットで
「難を転じて福となす」
千金の ひをさずかりて 福寿草
1月23日は何の日?
午後に小沢一郎が4時間の徴集に応じる日。
徴集が上手く変換せず長州となってしまう。
長州は山口・下関。大内・毛利の国である。
下関に白石正一郎という豪商勤皇家がいた。
22日~23日NHKラジオ深夜便は地方山口からの放送。
下関は爺目社会人として仲間入りしたところ。
下関は大人になった竜馬の平安に過ごした国。
「龍馬とお龍の下関―海峡に遺した夢のあと」
1月23日・慶応2年=1866年3月8日は寺田屋事件。
宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした
龍馬は同宿の養女・お龍の伝えられる裸姿でお風呂から2階へ階段を駆け上がり危険を知らせる機転
龍馬は高杉晋作よりもらってた拳銃で応戦。
左手の親指を負傷し弾が込められず投げつける
護衛の三吉慎蔵と寺田屋の家屋を飛び出し街中の材木のところに隠れる。
市中見回りが厳しく覚悟を決める。
武士の美学で切腹を三吉慎蔵が話すのを止める龍馬は最後まで生き抜く事で諭す。
その下関の人の三吉慎蔵の薩摩屋敷に伝えこみ危うく回避。
しばらくの間は西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に潜伏する。
大河ドラマ竜馬伝には爺目に新しき知識を吹き込んでくれる。
「薩長連合、大政奉還、あれはぜんぶ龍馬一人がやったことさ」
と勝海舟に言わせた
、龍馬は維新の立役者。
その龍馬も十代の頃まではうだつの上がらぬ弱虫の幼少時が描かれた。
桂浜には龍馬像がある。
そこには劣等児龍馬の自虐的な歌がひっそりとある。
世の人はわれを
何とも云はばいへ
わがなすことは
我のみぞ知る
龍 馬
長州藩が幕府軍を打ち破った第2次長州征伐から半年足らずの慶応3(1867)年2月、
龍馬はお龍とともに下関で暮らし始めた。2人が身を寄せ合ったのは、龍馬がたびたび止宿していた
下関の豪商、伊藤家の当主、助太夫に提供された邸内の一室。
龍馬はその住まいを「自然堂」と名付けた。
関門海峡を間近に望む伊藤家。
鎌倉時代の文献にすでにその名が見え、加藤清正やシーボルト、西郷隆盛らとも接点を持つ。
建物は昭和の戦災で焼失し、跡地には案内板や明治天皇行幸時の手洗い鉢などがわずかに残るだけ
--------------------------
古城さんが教えていただける。
「自然堂を拠点とした暮らしぶりには、ほほえましい
龍馬の肖像写真は6種類だが、うち3種類は下関の関係者に手渡されていた。
また、龍馬がしたためた手紙約130通のうち2割以上は下関の人にあてたものだという
「命を狙われていた龍馬が家庭人の姿を見せるほど心を許した地。
下関の人々も一風変わったよそ者を受け入れる度量があった。
埋もれたままにしておいてはいけない歴史の一コマです」
ゆく春も心やすげに見ゆるかな 花なき里の夕暮の空・・龍馬
龍馬が生き延びられたのは三吉慎蔵ら長州藩士や豪商、白石正一郎らの支援があったからこそ。
長府藩士の中で最初に交流を持ったのが、印藤聿。
龍馬は下関を離れる際、愛用の飯碗と湯のみを印藤 に贈っている。
印藤の紹介で知り合ったのが三吉慎蔵。
薩長同盟締結直後、ともに寺田屋事件に遭遇し、固い友情で結ばれた。
龍馬は慎三に遺言を書き、慎三は龍馬の死後、それに従ってお龍を引き取った。
また、住まいを提供した伊藤助太夫は、龍馬から改名を勧められ「九三」と名乗った。
下関市立長府博物館学芸員…古城 春樹
-------------------------------
下関は交流の拠点。
独特の都市の風が吹いている。
1970年には関釜フェリーが就航しあの歴史に生身で現場で立ち会った。
22日宮崎では児湯・木城ヒキ神社から氏子が高鍋日向灘蚊口浜で禊の祭礼
それから程遠き日向市手前門川から奥に行った百済の里を目指す。
ともの親子の百済王である
そこの神社との祭礼が始まる
あの奈良遷都1300年の宝物の正倉院
ここにはまったく同じの西の正倉院が建っている。
正倉院宝物の鏡と同じものがある。
下関は大陸の取っ掛かり朝鮮通信使の通過点
赤間関は有力守護大内氏の拠点で室町幕府との政治的な交渉の場となった。
赤間関において、室町幕府の通行を証明する御教書
領主大内氏が赤間関で出迎え、護衛をおこなった。
一般に江戸時代以降のことが中心で、中世の状況についてはあまり知られていない。
1413年=応永20、室町将軍足利義持によって日朝交流がはじめられた。
ラジオでは著書もアル古城 春樹下関市立長府博物館学芸員がお話をされた。
この人はDNAは薩摩人である。
祖父が鹿児島から移り住んできた。
22日自民党が活気付いている。
21日党首討論谷垣総裁が鬼の首でもとったように喜んだ
党首討論で言質を取った
鳩山総理
「天地神明に誓って母から資金は知らなかった。議員バッジを外す。」
総理の弟・白いハト鳩山邦夫元総務相も脱税額に当たる6億円相当を納税している
sらに自民党の要職を辞任している。
谷垣総裁としては何らかの形で事情聴取したいという。
ところが会議が開かれない。
何故?
これがお粗末・・
「自民党政治倫理審査会<会長>は空席のまま。」
実に笑ってしまう。
22日国会井上義久公明党委員
原口一博総務相に対する質問で、情報源を「関係者によると」とした記事について閣僚が記事の書き方にまで踏み込んで批判するのは極めて異例で適切さを欠いている、
発言を撤回する意志はないか、と迫った。
この意見は同日付け毎日新聞の社説と全く符合する。
この質問に対し総務相は記者会見での質問の内容と、問題にした発言の前後を復元させ説明。
、発言の撤回を拒否。
その内容は極めて良識的、前向き
毎日社説のいいわけがましい主張より見栄えのするもの。井上委員は重ねて同趣旨の質問をしたが反論にならず、あっさり質問を打ち切ってしまった
爺目がいつも言ってる創価=毎日の共同歩調の証左でアル
早朝5時30分からのミノモンタTBS朝ズバッ!でもよく見受ける創価=TBSと構図は同じである。
23日午後である。
入てもたってもいられず非常識なる時間に無礼覚悟で小沢事務所にTELをした。
22日深夜23時である。
電話応対の素晴しさ。
衆議院議員 小沢一郎事務所
> 秘書 馬場 慶次郎
> 〒107-0052 港区赤坂2-17-12チュリス赤坂701号室
> TEL 03-3586-7171
> FAX 03-3586-6161
励ましのFAXを寄せよう。
23日頑張ってください。
これまで自民党の小沢一郎と戦っての人生でしたが諸般の事情の愛国の情況から
どうしても小沢一郎からこの国を守り抜いて欲しい。
このままの対米従属ではこの国は世界の流れに乗り遅れる。
田中角栄のやった中国との第二の開国で深化した日中国交回復である。
江戸っ子は話しっぷりが言い。
何故だったか22日アップがない。
こうであった。
ブラタモリが浅草編を放映した。
http://www.nhk.or.jp/buratamori/
いやぁ~裏番組の山崎豊子不毛地帯も曇ってしまう。
昨年末に、テレビドラマ「JIN・仁」が終了した、
中村敦夫の演じた新門辰五郎。
浅草十番組「を組」の頭、伝説の江戸火消し
幕府より伝法院の門番を拝命した人。
あの仲見世通りの左側の伝法院。
伝法院通りを経て木馬館に向う時の右側が伝法院
ナント!りっぱなる公園があったのだ。
それが実に五重塔の借景ナゾと実に立派。
山道アリと麻布編のときの大使館内の非公開公園と同じである。
現在でも非公開、
、東京のど真ん中に在る秘園
ところがここは海の底であったのだ。
浅草寺・子院「正智院」の守山住職
池を改修してたら怪が出てきたと標本をお示しなさる。
伝法院の古井戸を掘りますと多くの開いてない貝さえ採取できた。
鑑定すると4300年前という、
浅草寺について以前アップしている通り。
それから江戸期の歌舞伎の中心地の旧「猿若町」
浅草6丁目旧町名猿若町
画面は歌舞伎の藤浪小道具屋
演目「暫く」で鎌倉権五郎景政が担ぐ大太刀2m20cmも登場しました。
観客無く苦労の末浅草寺境内の平成中村座が帰って来ている。
ようやく爺の悩みが解消した。
凌雲閣とあの噴水なり池の正確なる所である。
階位12階は絵葉書でしか見れない。日本初の高層12Fビル
大震災で崩壊消失した。
あの大池は「瓢箪池」
1959(昭和34)年の五重塔再建のため埋め立てられ、公園六区は様変わり。
レビューで楽しんだ国際劇場となり時代は1982(昭和57)新たなる人寄せをビューホテルとした。
屋上風呂のヒノキ風呂を楽しんだものだ。
木馬館まえのおでんやさん「君塚食堂」には笑った
う~~んお元気そうである。
22日台湾宮崎便がそれぞれ飛び交いだした。
台湾からのお客さんは自転車を取り出し20度の日向路を颯爽と走り出した。
バスの到着地は八紘台である。
若き宮崎人・・ハッコウダイ・・・平和台の事でしょう。
ボケたのせきやん爺ぃ~
あの威容堂々の戦意高揚の象徴の異物・八紘一宇の塔
浅草の凌雲閣の素晴しさをここで見ればいい。
知らなかったが「ライバルが手を結ぶ日」と言うのがあるらしい。
慶応2年1月21日(旧暦。新暦では1866年3月7日)
、坂本竜馬らの仲介により長州藩と薩摩藩が薩長同盟を結んだ日を言うのらしい。。
丁度宮崎から台湾に飛んだ日である。
英米の高級紙の海外特派員には、CIA、SISの諜報員が多数投入されているのは今や欧米では常識。
戦後、あの岸信介を正式なCIAエージェントとしてアメリカ政界に紹介したのも、
当時「ニューズウイーク」誌の東京支局長だったCIA上級諜報員、ハリー・カーン。
ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー記者のピュリッツアー賞受賞作となったベストセラー
Legacy of Ashes: The History of the CIA, by Tim Weiner
に詳細が暴露されていて邦訳版も上下で出ている。
東京地検の暴走にアメリカ・イギリスが何らかの形で関わっている事実が、いよいよあぶり出されてきた
23日午後に一つの方向が出る。
郷原教授による見解
「検察はこの『不記載(虚偽記載)』だけで小沢さんの逮捕まで突っ走る可能性がある。」
国会開会中に、通常如何やっても罰金刑の事案で、現職の与党幹事長を、逮捕する。
如何考えても狂気の沙汰
、いかに検察共犯者のマスコミと言えども、かばいきれまい
権力闘争の観点から見ると、何とかマスコミの世論操作で国民多数と民主党の一部をを味方につける。
その上で、民主党の要石の小沢幹事長を、逮捕無力化し、民主党の分裂を図るというのが、勝利のための定石。
どうだろう。
、世論調査を見てもマスコミ懸命のキャンペーンにも拘らず、内閣、政党支持率とも、さほど下がっていない。
必死に仕掛けている、民主党議員への分裂工作も、あまり効果を上げているとはいえない。
此処で突っ込むのは、検察の自殺行為ではないか
超エリートの特捜検察官達は国体を護持する
、小沢一郎のような危険な政治家を罰する
「官僚主導から国民主導への政治へ」
、「中央集権から地方主権へ」
小沢一郎の政治理念である
、日本の国体を転覆する思想である
こうなると特捜部は一種の信仰集団
損得の勘定無しに、突っ込んでくる。
歴史は繰り返す。
まさに、あの無謀な戦争に、「欧米列強植民地主義帝国からのアジアの解放」という大義を掲げて
、報道機関と一緒に国民を煽り、突っ込んでいった、官僚たちと、同じ精神構造が残っているDNAのなせる業。
その基本思想は宮崎に現物が残る
八紘一宇の塔である。
23日は八甲田山の遭難の日でもある。
ただしもう一隊の弘前隊は全員無事帰還している明暗の差。
特捜部には粋な江戸っ子はいない。
無粋なる田舎モノ集団に過ぎない。
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コメント
全体の司令官は、ジョゼフ・ナイ・ハーバード大学教授。昨年、6月に、駐日本アメリカ大使として、赴任する予定だったのに、オバマ大統領のまわりにいるアメリカ民主党の立派な人々に阻止されて、オバマの友人の弁護士・ジョン・ルースが、アメリカ大使としてやってきました。
イギリスも、フランスも、オバマの個人的な親友が選ばれて大使になりました。
これに怒っているのが、政治謀略でもなんでもやって、属国群を管理してきたきたない 米国務省官僚たちです。彼らは、オバマ大統領と、ミシェル夫人という立派な人間たちを、ホワイトハウスから追い落として、そして、性悪女のヒラリーを、早ければ、今年の年末に、遅くても、来春には、大統領にするでしょう。
そうしないと、共和党は、あやつられているサラ・ぺイリン候補で決まりつつあるので、2012年の大統領選挙運動の開始に間に合わなくなる。
そして、さらに次の4年もヒラリー大統領で行き、アメリカだけでなく、世界中に、金融統制体制、国民統制体制を敷く予定が、狂うからです。
どうせ、今年の年末から、アメリカの景気(経済)は、大きく崩れます。
それに対応して、緊急で、たくさん国民統制の法律を作って、それで、「世界恐慌ではない」ということにする気でしょう。そのために、各国の検察庁、警察、税務署(国税庁)、地方公務員までを動員して、統制経済体制(コントロールド・エコノミー)に世界を持ち込もうとしています。
日本の民主党の若い清新な政治家(国会議員)たちは、国民と団結して、どうか、襲い来る、この厳しい事態と闘ってください。
いよいよ始まった、日本の国家転覆、政権転覆の、アメリカが仕組み、日本の手先たち(検察、法務省、警察、そのほかオール官僚 と、 日本の大手テレビ・新聞そして、文春、新潮の出版社 など) の幹部たちが、この クーデター計画に、深く関わっています。
私たちは、用心して、もっと注意深くなって、日本国民の団結を推し進めなければならない。 そして、清廉潔白な鳩山政権を支えて、小沢一郎幹事長を守って、日本国のために、本気で戦わなければならなくなりつつあります。
副島教授のブログから。