3日の参議院でも総理への母からの献金の美談に食い下がる自民、町村派の西田昌司議員の下劣きわまる発言。
では問わん。
日本の歴代総理大臣の金の出所はどうであったのか。
日本独立のための序章の新政権。
言い方見方はいろいろあろうが現在の経済大国日本の豊かさは、米国の政策によって形成された。
第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。
日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に配置。
日本を暗黙の監視下 に置いた。
それはいまも継続されている。
この国は独立国家ではない。
アメリカの51番目の州にしか過ぎない。
歴史的に常にアメリカの支配の目が光っている
その任務を担ったのは、初代CIA日本支局長ポール・ブルーム。
ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持った。
その近所には麻生太郎前総理の生家があった。
当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父。
麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田総理の幾度とない会談。
、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合ったと言う。。
やがてブルームは麻生を自宅に引き取り、自分の後継者として、CIA日本エージェント=工作員に育てる。
麻生一族は、九州で麻生炭鉱を経営。
第二次大戦中、朝鮮人と中国人を奴隷の如く酷使し富を築く。
中国、朝鮮から誘拐、拉致され日本に「連行」されて来た朝鮮人、中国人達。
麻生の炭鉱で鎖につながれ、しょっちゅう殴られ、不十分な食事で激しい労働の末、麻生一族に殺害されたようなるもの。
その数の中国人、朝鮮人は3000人に登るデーターもある。
。これが麻生太郎の「金の出所」。
麻生炭鉱で生産される石炭は良質で、そのまま香港に運ばれ日本を攻撃する米軍の燃料として高額で買い取られた。
石炭の代金は、中国で生産されるアヘン=麻薬で支払われた。
当時、日本軍に兵器を売っていた武器密輸商ブルーム。
兵器の代金として日本軍が中国で生産するアヘンを渡されていた。
麻生とブルームのアヘンは、イスラエルのアイゼンベルグとその部下である右翼の大物・児玉誉士夫によって金塊に替えられた。
ここに麻生とブルーム、イスラエルのアイゼンベルグの接点=原点がある。
アヘン代金の金塊を用意していたのは、中国のアヘン銀行デューク・ベレラ。
その経営者ニコラス・デュークの部下=マフィア達は、戦後CIAの実働部隊でCIAの活動を担う。
デュークは、米国で黒人を人種差別しリンチにする組織、悪名高いKKK=クー・クラックス・クランを創立。
デュークは、第二次大戦中の中国での麻薬売買により手に入れた莫大な利益で
KFCケンタッキー・フライド・チキンの経営にも乗り出す。
昨年道頓堀で引き上げられタルあのおじいさんの像で好々爺の感じの姿が偲べる。
ブルームに育てられた麻生太郎の経営する麻生セメント
戦後イスラエルのセメント会社ラファルジュと合併しその傘下に入る。
ラファルジュの経営者はアイゼンベルグである。
第二次世界大戦中の中国でのアヘン売買組織、麻生=ブルーム=アイゼンベルグが、戦後そのまま日本=イスラエルの
セメント業界ネットワーク。
この合併契約書を作成したのが、ラファルジュ顧問弁護士ヒラリー・クリントンである。
ヒラリー・クリントン、麻生太郎
二人は日米アイゼンベルグ使用人コンビ。
リンクいただいてる方の海外放送同時邦訳は実に有難い。
オバマの体調不良をニ三日前のブログで教えいただいている。
さもありなん。
オバマの役割は起死回生のアメリカのカムフラージュ政権。
リーマンショックを乗り切るためにのみお膳立てられた政権
すでにその役割は終えている。
自民党はCIAの代理人
保守合同から安保条約をへて沖縄返還に至るまで、何億円もの資金を自民党がCIAから提供されていたという事実は、
岸個人の問題にはとどまらない。
岸・佐藤兄弟というCIAのエージェントが日本のトップだったのは
何故か。
それは元CIAのフェルドマンの証言がある。
「日本がCIAに「間接統治」されていたようなもの。」
それは普遍の真実である
ナント新政権が誕生して日々如実に示されている。
その萌芽は昨年3・2の小沢一郎代表辞任から解っていた事。
余りにも露骨なる日々で露呈されている。
竹下登が危険人物p沢一郎攻撃の対策で設立された三宝会の存在さえ表に晒されてきている。
共同通信の責任的立場の後藤謙二の名もある。
冒頭のことが晴天白日の下に晒された。
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」、
その結果中曽根はCIAに完全に弱みを握られ、操り人形となる。
CIA日本支局長ブルームは麻生を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。
小泉純一郎元総理は、40年前からCIA工作員であった。
岸信介はCIAの助けを借りて日本の総理となり、与党の総裁となった。
佐藤栄作も1957年と58年にCIAから同様の資金提供を受けたという。
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
http://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110364.html
ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長から米政府に
「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。
裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると
「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。
当時の三木武夫総理は事件の真相解明を言明していたが、
裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。
中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使から国務省に届いた公電の写し。
米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。
ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露された
ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。
与野党いずれも政府に真相解明を要求。
三木総理
「高官名を含むあらゆる資料の提供」
を米政府に要請すると決めた。
文書によると、中曽根幹事長はその日の晩、米国大使館の関係者に接触
国家を代表してのメッセージを米政府に伝えるよう依頼。
中曽根は三木総理の方針を「苦しい政策」と評す。
、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」
「できるだけ公表を遅らせるのが最良」
さらに中曽根幹事長は翌19日の朝、要請内容を
「もみ消すことを希望する」
に変更したとされる。
文書には、中曽根の言葉としてローマ字で
「MOMIKESU」
と書いてある。
中曽根はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、
「三木総理の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、
場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」
と指摘したとされる。
文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明。
結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。
奥山俊宏、村山治記事はこう分析記述されている。
東京地検特捜部検事時代にロッキード事件を捜査した堀田力弁護士の話
米国への要請が事件発覚直後で、しかも「日本の政府がひっくり返るかもしれない」
とブラフ(脅し)みたいな言い方なのに驚いた。
私は法務省刑事局の渉外担当参事官として2月26日に渡米し、資料入手の交渉をしたが、
それを阻止するような動きがあるとは察してもいなかった。
3月2日夜の丸の内、帝国ホテル。
鳳楽会長率いる円楽一門に「六代目」が誕生した。
その晴れの舞台である。
新聞が伝える。
その場には協会会長馬風、入院中の芸協会長歌丸と二つの
落語界のトップがお祝いの挨拶。
もう一人入院中の立川談志師さえ挨拶した。
ソックリさん瀬古俊彦マラソン界の神様は記念写真要因。
そしてSPにかこまれ会場騒然。
小沢一郎が登場挨拶。
「円楽は友人です。」
「う~~~ん」これには参った。
来月宮崎でも円楽襲名お祝いの高座を持つ。
林家正蔵みたいにならぬよう芸風が違い悩もうが芸論をしっかり持ち「六代目」を支えたい。
小沢一郎はこの点での仲間でありライバルである。
自民党幹事長時代から小沢一郎的政治の自民党と生きる時間の総てをかけてたたかってきた。・・・・
新政権誕生はどう認めがたくとも小沢一郎が総て成しえたもの。
誕生した新政権は前政権の置き土産であえぎながらも
この国の悪しき政治を順次改善しつつあり高校までの国家資金投入予算を衆議院通過させた。
参議院の議論もあるが法制上は30日たてばほぼ成立する。
この革新的予算成立する政治姿勢である。
他にも地方政治予算や医療費の改善も含まれている。
亀井大臣の中小企業救済の実施。
社民党の沖縄問題の問題提起ナゾ連立政権の強みが出ている。
これらを束ねてるのは小沢一郎である。
政治姿勢は一貫しており唯一の国庫論を持った政治家である。
「国連中心主義」「対中姿勢」は時流を見据えこの国を未来あるものに導こう。
小沢一郎という政治家を、検察の国家的暴力や検察の走狗と化したマスコミの批判・罵倒・バッシングから護らなければならないと考える所以である。
あらゆる総攻撃を受けても山場を越した。
政治家では初めてのことである。
その後の国家護持に身を挺した政治家小沢一郎のすさまじさ。
メディアにより刷り込まれた小沢一郎に対する先入観は爺目さえもどうにもいけない。
もちろん選挙マシーン集団を維持保持するゆえダーティーの資金が入るゆえ灰色政治資金を言われる政治家であることは承知の上である。。
こんなブログがある。
2010年03月04日
小沢一郎氏は老人に対して気配りをする人物であるとの証言
村橋哲矢(高輪で会社経営)
http://twitter.com/tetsumura/status/9916522150
数年前の事。新幹線を降りる時に小沢氏の前に立っていた私の母を警備のSPが退かそうとすると、小沢氏はSPをたしなめ母の後から降りてきた。そして、別れ際に母に軽く頭を下げ「たいへん失礼致しました」と心配りの一言。その時から小沢氏への見方が変わった
ここにももう一人の爺目に似た人がいた。
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では問わん。
日本の歴代総理大臣の金の出所はどうであったのか。
日本独立のための序章の新政権。
言い方見方はいろいろあろうが現在の経済大国日本の豊かさは、米国の政策によって形成された。
第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。
日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に配置。
日本を暗黙の監視下 に置いた。
それはいまも継続されている。
この国は独立国家ではない。
アメリカの51番目の州にしか過ぎない。
歴史的に常にアメリカの支配の目が光っている
その任務を担ったのは、初代CIA日本支局長ポール・ブルーム。
ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持った。
その近所には麻生太郎前総理の生家があった。
当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父。
麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田総理の幾度とない会談。
、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合ったと言う。。
やがてブルームは麻生を自宅に引き取り、自分の後継者として、CIA日本エージェント=工作員に育てる。
麻生一族は、九州で麻生炭鉱を経営。
第二次大戦中、朝鮮人と中国人を奴隷の如く酷使し富を築く。
中国、朝鮮から誘拐、拉致され日本に「連行」されて来た朝鮮人、中国人達。
麻生の炭鉱で鎖につながれ、しょっちゅう殴られ、不十分な食事で激しい労働の末、麻生一族に殺害されたようなるもの。
その数の中国人、朝鮮人は3000人に登るデーターもある。
。これが麻生太郎の「金の出所」。
麻生炭鉱で生産される石炭は良質で、そのまま香港に運ばれ日本を攻撃する米軍の燃料として高額で買い取られた。
石炭の代金は、中国で生産されるアヘン=麻薬で支払われた。
当時、日本軍に兵器を売っていた武器密輸商ブルーム。
兵器の代金として日本軍が中国で生産するアヘンを渡されていた。
麻生とブルームのアヘンは、イスラエルのアイゼンベルグとその部下である右翼の大物・児玉誉士夫によって金塊に替えられた。
ここに麻生とブルーム、イスラエルのアイゼンベルグの接点=原点がある。
アヘン代金の金塊を用意していたのは、中国のアヘン銀行デューク・ベレラ。
その経営者ニコラス・デュークの部下=マフィア達は、戦後CIAの実働部隊でCIAの活動を担う。
デュークは、米国で黒人を人種差別しリンチにする組織、悪名高いKKK=クー・クラックス・クランを創立。
デュークは、第二次大戦中の中国での麻薬売買により手に入れた莫大な利益で
KFCケンタッキー・フライド・チキンの経営にも乗り出す。
昨年道頓堀で引き上げられタルあのおじいさんの像で好々爺の感じの姿が偲べる。
ブルームに育てられた麻生太郎の経営する麻生セメント
戦後イスラエルのセメント会社ラファルジュと合併しその傘下に入る。
ラファルジュの経営者はアイゼンベルグである。
第二次世界大戦中の中国でのアヘン売買組織、麻生=ブルーム=アイゼンベルグが、戦後そのまま日本=イスラエルの
セメント業界ネットワーク。
この合併契約書を作成したのが、ラファルジュ顧問弁護士ヒラリー・クリントンである。
ヒラリー・クリントン、麻生太郎
二人は日米アイゼンベルグ使用人コンビ。
リンクいただいてる方の海外放送同時邦訳は実に有難い。
オバマの体調不良をニ三日前のブログで教えいただいている。
さもありなん。
オバマの役割は起死回生のアメリカのカムフラージュ政権。
リーマンショックを乗り切るためにのみお膳立てられた政権
すでにその役割は終えている。
自民党はCIAの代理人
保守合同から安保条約をへて沖縄返還に至るまで、何億円もの資金を自民党がCIAから提供されていたという事実は、
岸個人の問題にはとどまらない。
岸・佐藤兄弟というCIAのエージェントが日本のトップだったのは
何故か。
それは元CIAのフェルドマンの証言がある。
「日本がCIAに「間接統治」されていたようなもの。」
それは普遍の真実である
ナント新政権が誕生して日々如実に示されている。
その萌芽は昨年3・2の小沢一郎代表辞任から解っていた事。
余りにも露骨なる日々で露呈されている。
竹下登が危険人物p沢一郎攻撃の対策で設立された三宝会の存在さえ表に晒されてきている。
共同通信の責任的立場の後藤謙二の名もある。
冒頭のことが晴天白日の下に晒された。
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」、
その結果中曽根はCIAに完全に弱みを握られ、操り人形となる。
CIA日本支局長ブルームは麻生を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。
小泉純一郎元総理は、40年前からCIA工作員であった。
岸信介はCIAの助けを借りて日本の総理となり、与党の総裁となった。
佐藤栄作も1957年と58年にCIAから同様の資金提供を受けたという。
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
http://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110364.html
ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長から米政府に
「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。
裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると
「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。
当時の三木武夫総理は事件の真相解明を言明していたが、
裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。
中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使から国務省に届いた公電の写し。
米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。
ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露された
ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。
与野党いずれも政府に真相解明を要求。
三木総理
「高官名を含むあらゆる資料の提供」
を米政府に要請すると決めた。
文書によると、中曽根幹事長はその日の晩、米国大使館の関係者に接触
国家を代表してのメッセージを米政府に伝えるよう依頼。
中曽根は三木総理の方針を「苦しい政策」と評す。
、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」
「できるだけ公表を遅らせるのが最良」
さらに中曽根幹事長は翌19日の朝、要請内容を
「もみ消すことを希望する」
に変更したとされる。
文書には、中曽根の言葉としてローマ字で
「MOMIKESU」
と書いてある。
中曽根はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、
「三木総理の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、
場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」
と指摘したとされる。
文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明。
結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。
奥山俊宏、村山治記事はこう分析記述されている。
東京地検特捜部検事時代にロッキード事件を捜査した堀田力弁護士の話
米国への要請が事件発覚直後で、しかも「日本の政府がひっくり返るかもしれない」
とブラフ(脅し)みたいな言い方なのに驚いた。
私は法務省刑事局の渉外担当参事官として2月26日に渡米し、資料入手の交渉をしたが、
それを阻止するような動きがあるとは察してもいなかった。
3月2日夜の丸の内、帝国ホテル。
鳳楽会長率いる円楽一門に「六代目」が誕生した。
その晴れの舞台である。
新聞が伝える。
その場には協会会長馬風、入院中の芸協会長歌丸と二つの
落語界のトップがお祝いの挨拶。
もう一人入院中の立川談志師さえ挨拶した。
ソックリさん瀬古俊彦マラソン界の神様は記念写真要因。
そしてSPにかこまれ会場騒然。
小沢一郎が登場挨拶。
「円楽は友人です。」
「う~~~ん」これには参った。
来月宮崎でも円楽襲名お祝いの高座を持つ。
林家正蔵みたいにならぬよう芸風が違い悩もうが芸論をしっかり持ち「六代目」を支えたい。
小沢一郎はこの点での仲間でありライバルである。
自民党幹事長時代から小沢一郎的政治の自民党と生きる時間の総てをかけてたたかってきた。・・・・
新政権誕生はどう認めがたくとも小沢一郎が総て成しえたもの。
誕生した新政権は前政権の置き土産であえぎながらも
この国の悪しき政治を順次改善しつつあり高校までの国家資金投入予算を衆議院通過させた。
参議院の議論もあるが法制上は30日たてばほぼ成立する。
この革新的予算成立する政治姿勢である。
他にも地方政治予算や医療費の改善も含まれている。
亀井大臣の中小企業救済の実施。
社民党の沖縄問題の問題提起ナゾ連立政権の強みが出ている。
これらを束ねてるのは小沢一郎である。
政治姿勢は一貫しており唯一の国庫論を持った政治家である。
「国連中心主義」「対中姿勢」は時流を見据えこの国を未来あるものに導こう。
小沢一郎という政治家を、検察の国家的暴力や検察の走狗と化したマスコミの批判・罵倒・バッシングから護らなければならないと考える所以である。
あらゆる総攻撃を受けても山場を越した。
政治家では初めてのことである。
その後の国家護持に身を挺した政治家小沢一郎のすさまじさ。
メディアにより刷り込まれた小沢一郎に対する先入観は爺目さえもどうにもいけない。
もちろん選挙マシーン集団を維持保持するゆえダーティーの資金が入るゆえ灰色政治資金を言われる政治家であることは承知の上である。。
こんなブログがある。
2010年03月04日
小沢一郎氏は老人に対して気配りをする人物であるとの証言
村橋哲矢(高輪で会社経営)
http://twitter.com/tetsumura/status/9916522150
数年前の事。新幹線を降りる時に小沢氏の前に立っていた私の母を警備のSPが退かそうとすると、小沢氏はSPをたしなめ母の後から降りてきた。そして、別れ際に母に軽く頭を下げ「たいへん失礼致しました」と心配りの一言。その時から小沢氏への見方が変わった
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