三重知事候補で落選の元官僚村尾キャスターの相変わらず酷い26日のニュース。
小沢一郎幹事長の高速道路に関する発言と鳩山総理への検察審査会結論に対する発言を
それぞれ断片的にきりとりでの変更編集発言としての垂れ流し。
さらには聞き捨てならぬ団塊の世代を揶揄されるコメント。
05年3,3人で支えた年金は25年には二人でひとり。
村尾キャスターにすれば年金制度存続のために団塊世代は早く死ぬしかないようである。
短期間的の単なる国家経営的指針さえも示しては居ない。

団塊の世代の加治 将一(1948年9月11日 - )は、北海道札幌市出身の作家。
経歴をウィキペディアで見ると凄い。
1978年渡米。
以後15年間ロサンゼルスで不動産関係の仕事に従事。
1993年に帰国後、ビジネスの傍ら、海外での豊富な体験をもとにした活発な執筆活動を展開。

「買ってはいけない住宅」
「買ってはいけないマンション」
日本建築の脆弱さと建築基準法のいいかげんさを暴露。
続いて多重債務者救済のベストセラー本
、「借りた金は返すな」で、消費者金融の、優先的地位を乱用した高金利設定と過酷な違法取り立ての現状を暴露
その対策を公開した。
それだけではない。
爺目の思考形態になかったことを教えていただいた。

北の大兄様も同じである。
日々ブログを楽しませていただいている。

「ポスト鳩山」に、田中真紀子氏が急浮上
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1271917010/
よくよく話題がないのか?
ほんとにやったらウルトラD
(d=ダメ。)
かつての旋風に肖る何てやれやれです

ウルトラD
(d=ダメ。)の語彙のもつものの含蓄には凄いの一言。・・笑った。

なら南の爺目も好奇心旺盛をがんばらねば。
上海万博の中国はテーマ曲さえパクッテた恐ろしい国。
それでも世界経済の牽引車にあるらしい。
12億人口パワーに地球消費財食いつぶしの観点はない。
何故に一人っ子政策なのかは吹っ飛んでいった。
ドル経済圏参入で免罪符

ドル基軸経済体制の資本主義経済は資源無視の拡大経済のみにしかない。
さらには新自由主義経済ナゾは広がる格差には無為無策。
国家体制は不安定さを抱えたまま無限に膨らんでいく宿命を内包している。
イビツな政治体制にある中国国家の今後は二重三重に不安定さを持っている。
とんでもない隣国を持ってる列島の国である。
ゆえに靖国参拝で逆なでして喧嘩を売ってたこの国。
小泉純一郎政権5年5ヶ月のアジア隣国との国交拒絶の罪は大きい。
乗り遅れてはいけない。
新政権の必死のアジア経済圏構想を掲げて失われた5年5ヶ月の挽回にある。
つくづく失政のツケの小泉純一郎政権5年5ヶ月中国との国交拒絶の大きさを感じ入る。
ところで日本でさえ発売体制にない新兵器。
もう中国ではパクリである。
発売3週間の「iPad」、中国では海賊版が出回る
4月26日配信 ロイター
記事はコチラ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100426-00000027-reu-bus_all
 4月26日、米アップルのタブレット型パソコン「iPad」が米国で発売されて3週間経ったが、
中国ではすでに「海賊版iPad」が売られている。

 米国で発売されて3週間経ったが、中国ではすでに、ネット上や店頭で「海賊版iPad」が売られている。
予想を上回る需要で品薄になっているiPadの米国以外での発売を1カ月延期すると発表
香港と隣接する深センの電気街などでは「海賊版iPad」が売られている。
 USBポートを3個搭載し、OSはウィンドウズで動く。価格は2800元(約3万8000円)。
 中国のネット販売大手「淘宝網(タオバオ)」のサイトでも、中国製を謳った「海賊版iPad」が2800元前後
この対応が面白い
巨大人口需要ゆえ許されるのである。
 こうした動きについて、北京を拠点とする調査会社アナリシス・インターナショナルの最高経営責任者(CEO)、
エドワード・ユー氏は
「中国の巨大な人口を考えれば、iPadにとって海賊版は悪いことだとは思わない」と指摘。
「クローンiPadは、より多くの潜在的なユーザーに外観や雰囲気を伝える役割を果たすだろう」としている。

さて団塊の世代の人加治 将一の歴史観には改めて教えていただいた
大河ドラマ龍馬伝の歴史的評価の視点が大きく変わろう。
秘密結社、フリーメーソンのだれも書けなかった深部に迫った「石の扉」
、坂本龍馬の暗殺犯を特定した「あやつられた龍馬」=文庫改訂版「龍馬の黒幕」
、明治天皇にまつわる驚愕すべき事実を記した「幕末維新の暗号」、
天皇のルーツに迫った「舞い降りた天皇」、
武家社会の崩壊をフリーメーソンを通して見た「討幕の紋章」など
まさに・・、既存の歴史感を一新する加治史観を矢継ぎ早に発表、物議を醸し、かつ幅広い関心を集めている。・・

宇宙の根源は愛である、という信念
のもと、都内のホテルで自己啓発セラピストを勤め、
2008年に発表したカウンセリング小説「アルトリ岬」は
、人生とは何か? 愛とはなにかを説いている。

加治将一が世の中から一掃したい「10の大罪」

1、貧困を作る罪

2、不公平の罪

3、人を憎む罪

4、環境汚染の罪

5、非公開の罪

6、差別する罪

7、過剰な富を持つ罪

8、優先的地位の乱用の罪

9、監視する罪

10、言論を妨害する罪

実に思い当たるところもあり反省多々。
ところで創価放送局化したTBSのまだ自主自立であった頃
宮崎の人で 毎日新聞社 毎日放送坂田勝郎代表取締役社長のころはいい番組を制作していた。
後に続く宮崎市出身樫元照幸の活躍が聞こえてこない。

2006年2月26日 日曜日14:00からTBSが画期的視点の放送をした。
「歴史ミステリー 龍馬の黒幕」
TBSのホームページに記録を残している。

原案:加治将一著作の『石の扉 フリーメーソンで読み解く歴史』新潮社刊
プロデューサー・脚本:確か愛媛の人1963年生まれ。‘87年HBC入社。河野啓のハズ。
長崎の観光名所でベルツ丸の博士と同じ程度でこの人の名は知ったるモノだ。
  トーマス・ブレイク・グラバー
グラバーは天保9年(1838)スコットランドに生まれた。
学業優秀で、父親からは船の操縦技術を学んだ。
安政6年(1859)9月に上海経由で長崎へ来航。
2年後、文久元年(1861)「グラバー商会」を設立。
上海時代は19歳で商社に勤務。開港直後の長崎へ来たときは21歳。
時代の流れを見抜いたグラバーは坂本龍馬をはじめとする長州・薩摩の藩士たちと交流を深める。
、幕府や各藩に武器や船舶を売り、莫大な利益を得た。
明治3年(1870)政情が落ち着き始めた頃軍需品貿易で巨富を築くも、諸藩への貸し付けを回収できずに
グラバー商会は倒産。

その後、グラバーは三菱の顧問となり、明治30年(1897)東京へ転居、
高島炭鉱や三菱造船所の経営に参画裕福な生活を送った。

日本におけるグラバーの功績は大きい
長崎の大浦海岸で日本で初めて蒸気機関車を走らせた
近代的ドック「そろばんドック」を建設
さまざまな最新技術を日本にもたらした。

明治44年(1911)東京の自宅で73歳の生涯を閉じた。
今は、長崎市坂本町の坂本外人墓地に、妻ツル、息子の倉場富三郎と共に眠る。
明治政府は外国人としては初めての勲二等旭日重光章を贈り功績をたたえた
 
激動の幕末期、無名の下級武士に過ぎなかった龍馬
突如、歴史の表舞台に飛び出した。
彼はそれまで誰も夢想だにしなかった薩長同盟を実現させ、
倒幕、明治維新へと大きく歴史の歯車を回した。
その日本人離れした発想・行動力はいったいどこから生まれたのか?
身分厳しき下級武士の階級、しかも脱藩して後ろ盾のない一介の素浪人、根無し草のような青二才。
その短くも激しい人生は、これまで多くの本や映像に描かれてきた。
しかし、龍馬の年譜を追ってみると、謎めいた空白の半年に行き当たる。
   1864年、10月~1865年4月。
それ以後の龍馬の活躍ぶりから逆に推理していくと、その半年間に、膨大な"力"が蓄えられたであろうことがわかる。
その"ブラックボックス"にひとりの外国人を置いてみると、その驚くべき"飛躍"も理解し易いものになる。
 龍馬をめぐる壮大なミステリーを追って、レポーター初挑戦の及川光博
、はるか地球の裏側・スコットランドまで飛ぶことになった!
そこで彼が見たものは…?
 また、番組の随所に幕末当時を再現したドラマを挿入。
これまでのワイルドなイメージとは一味も二味も違う龍馬を及川が演じ、
激動する時代の中で不安を抱き、怯えさえする「人間」龍馬を描いていく。

 日本で初めての商社・亀山社中カンパニーを作った
 その跡を訪ねた及川光博は、驚くべき事実を知る。
 「龍馬が亀山社中を設立したのは1865年5月。
 このできたばかりの商社が、わずか3ヶ月後の8月には大量の武器を諸外国から輸入している

 当時の龍馬にどうしてそんな離れ業が可能だったのか?
 価格の交渉から在庫確認、輸送、通関、納品、決済に至るまで、細部にわたる商談を、
電話もメールもない時代に、どんな方法でまとめたのか?
莫大な資金と、人脈、情報を持った何者かが、龍馬のバックにいたのではないか?
いったいその人物とは…?
 長崎の丘の上に残る「グラバー邸」
、その主トーマス・グラバーこそ、龍馬の黒幕だった!
 1864年、龍馬は師・勝海舟に同行して長崎を訪れ、豪商・小曽根英四郎の紹介でイギリス人グラバーと会見した。
 そのとき、グラバーは滞日4年目、
幕末期随一の武器商人で、志士たちとも深い交流があった。
しかし、外国人排斥を唱える攘夷派と、倒幕派に武器が渡らないよう眼を光らせる幕府によって、
グラバーは身動きが取れずにいた。
そこに現れたのが、土佐藩を脱藩した根無し草、龍馬だった。
 そのとき、龍馬28歳、グラバー25歳。
二人は、お互いのうちに、よき後ろ盾を、よきビジネスパートナーを見出す。
あるいは、それ以上の何か??同時代の激動を生きる世代的共感というべきものを。
二人の間には、国籍をこえ言葉をこえて共有できるものがあったに違いない。
グラバーは龍馬に囁く。
「サカモトサン ニッポンヲ センタク(洗濯)シマショウ」

その後??グラバーから物心両面の後押しを受け、龍馬はめきめきと頭角を現す。
亀山社中が輸入した武器を船に積んで諸藩をめぐり、倒幕へのうねりを確かなものにしていく。
しかし、薩摩藩と長州藩が対立し続けるかぎり、倒幕はできない。
龍馬は、両藩の指導者、西郷隆盛・桂小五郎に働きかけ、自らは保証人となって薩長同盟の実現にこぎつける。
グラバーもまた、母国イギリスを動かし幕府に揺さぶりをかける……。

 番組では、龍馬とグラバー、二人に関わる謎をさらに探っていく。
 龍馬の空白の半年、その足取りは…?
 明治維新をなしとげた伊藤博文らに、グラバーはどう働きかけていたのか…?
 グラバーの資金力・広い人脈・情報量は、独力で築き上げたものばかりではなかった。
その影には"秘密結社"の存在が…
 スコットランド、オランダ、上海、長崎……グラバーの足跡をたどりながら、維新の謎に迫る
斬新且つ大胆な歴史ミステリー。
坂本龍馬とグラバー。
彼らの謎めいた生涯が伝えてくる夢と情熱。
その構図はなんら変わっていない。
もう一ニほかのブログから俯瞰してみる。

フリーメイソン=グラバーと関係したことは間違いない。
当時のイギリス、アメリカでは、政財界の主要メンバーがフリーメイソン
アメリカ大統領は歴代で13人がフリーメイソンのメンバーであったことが確認されている。

1865年慶応元年グラバーと知り合い、そのわずか数ヶ月後に,銃7300挺を買い長州藩に納めている。
土佐藩脱藩の素浪人にこれほどの商いができるとは考えられない。
銃7300挺というとその金額は、莫大である。

この貿易の実務担当は、実業家・小曾根英四郎(26才)
数回しか会っていない龍馬(31才)に、資金、商売のノウハウ、人材、事務所をすべて提供している。
つまり、貿易の手回しがあまりにもよすぎるということ
、坂本龍馬と小曾根英四郎を「大物」の政商グラバーが仲介したのではないか、という推理が生まれてくる。

グラバー邸にあるフリーメイソンのマーク
グラバーが長崎に訪れたのは1859年9月で4年後の25才のときに、豪邸「グラバー邸」を完成させた
グラバーは終始一貫して、
徳川幕府打倒を唱えていた。
バックについていたのは、アヘン戦争の仕掛け人でも知られる
ジャーディン・マセソン商会。

グラバーは龍馬と会って彼の思想・行動力にほれ込み自分の分身として
坂本龍馬をつかったと推測される。

この時期に武器を輸入することは、ジャーディン・マセソン商会でなければ
出来ないことである。

坂本龍馬は、幕府勝海舟の配下であり、長州藩桂小五郎、高杉晋作、薩摩藩西郷隆盛、
土佐藩後藤象二郎など藩を動かす主要人部ともパイプをもっていたことは、この時代
稀有の人材であった。
この2人が結びつきお互いの利点を生かしたのである。

すなわち、フリーメイソンとして動いたわけでなく、偶然利害が一致した
グラバーは武器の売り先を考えていた
ところへ日本中の先鋭的な改革藩に太いパイプを持つ活きのいい坂本龍馬が飛び込んできたわけであった。
龍馬自身がフリーメイソンになる必要もないわけである。

記述に残る日本人フリーメイソンメンバーの第1号は「西周(にしあまね)」である。
学術院会組織の西周その立役者その構造はいづれおいたい。

徳川宗英氏の著書「徳川家が見た幕末維新」文春新
著者は、現在、田安徳川家十一代当主。 
ロスチャイルドなどの幕末、日本の政情変化に影響を及ぼした事などは触れてない。
徳川家から見た当時の様子が描かれている。
ペリー来航からわずか15年で将軍が4人も代わり、政権交代が行われた激動の時代。 
現在の日本においても政権交代前に国民が体験したように総理大臣が小泉、安倍、福田、麻生とコロコロ代わっていった状況
にも似ているところも面白い。

慶喜が大政奉還してから江戸城の無血開城まではたったの6カ月
、ペリー来航から15年後に幕府は倒れた
賊軍の藩主らは一人も殺されずに慶喜は公爵に叙せられている。
「英雄」龍馬は殺され「敗者」慶喜が生き残った。

歴史は繰り返される。

宗主国を代表してキャンベル次官補が来日
27日火曜日からあちこちの米びつを探しだし、恥も外聞もなきお金の無心。
   国外で決着のハズである。
22日のニュースと23日のニュース池田香代子師ブログ
「普天間移設先は北マリアナが最適地と上院が可決」(世田谷通信)
サイパン島、ロタ島、テニアン島など14の島からなる北マリアナ連邦の上院議会は、16日、北マリアナを普天間飛行場の移設先の最適地として検討するように求める誘致決議を全会一致で可決した。

上院議会の決議の内容は、普天間飛行場と在沖米海兵隊の移転先について北マリアナを「最適地」とし、「移設を心から歓迎している」と強調している。「最適地」とする理由については、

(1)東南アジアにおける防衛戦略上、地理的に優位

(2)自然環境が豊かで近代施設、娯楽施設も提供でき、在沖米海兵隊員や家族の生活に適している

(3)テニアンは1999年、土地の3分の2を米国防総省と賃貸契約を結んでいる

(4)志願兵の割合が高いなど米軍に対する協力体制ができている、

などを挙げている。当初は上院と下院が同時に決議する予定であったが、下院議会の決議が27日に変更になったため、当初から北マリアナ移転案を主張して来た社民党の照屋寛徳議員(沖縄基地問題対策プロジェクトチーム座長)は、下院議会の決議後、官邸に対して北マリアナへの移設を本格的に検討するように重ねて求める方針。

照屋氏は「北マリアナの皆さんがテニアンへの移設を強く望んでいることの表明です。より現実的で実効性のある案として真摯に受け止め、政府は移設先として本格的に検討してほしい」と話した。(2010年4月22日)

次の日のこと。

米軍の準機関紙がテニアン移設案を好意的に報道」(世田谷通信)
米軍の準機関紙である「スター・アンド・ストライプス紙」が、21日付で、普天間飛行場のテニアン移設に好意的な内容の記事を掲載した。

記事では、初めに「日本ではすべての場所が海兵隊普天間飛行場の移設を受け入れられないと言っているが、テニアン島では議員らが誘致のための推進運動をしている」と書かれ、北マリアナ諸島の上院議会で「沖縄の米国海兵隊航空部隊の移転先としてテニアンが最善の場所である」という決議を全会一致で可決したことを報じている。

そして、テニアンの3分の2の土地がすでに米国防総省に賃貸されていることや、第二次世界大戦の時にテニアンがB29爆撃機の主要飛行場として利用されていたこと、海兵隊の司令部が置かれるグアムからわずか80マイルの距離であること、北マリアナ諸島の人々にとって海兵隊の誘致が大きな経済的利益につながることなどをあげている。

一方、日本国内に関しては、当初の案であった辺野古が住民の反対によって実現不可能になったことや、水面下での政府案とされていた徳之島も住民の反対によって実現不可能になったことなどから、日本国内で移設先を探すことは極めて難しくなったと書かれている。(4月23日)

グワムからテニアンまで80マイルとありますが、これは130キロメートル弱です。
アメリカ側が主張する、人員と輸送機は120キロ以内に位置しなければならない、という条件にぎりぎりで合致します。
米海兵隊基地国外移設の、アメリカ側のお膳立てはもう整っている、ということです。

米軍に近い筋が、テニアンにすくなくとも拒否反応をしていないということを、私たちは知る必要があります
。なにもあくせくして国内だ、県内だと、「移設先」を捜すことはないのかも知れないのですから。

基地受け入れ先探しより、地元の合意があり、人員と輸送機を近くに置ける基地の用地など、県内にも国内にもないのに、
なぜアメリカはそういうことをこの期に及んで言ってくるのかを考えたほうが、実りあるかも知れません。
なぜ無理を承知でそのような条件を出すのか、と。
私は、アメリカは海兵隊基地を日本に置くことをとっくに諦めて、かわりにお金をせしめるつもりなのではないかと、勘ぐっています。

週末、国会議員のみなさんは、選挙区に帰って、国会報告会などを開くのですよね。
その席で支持者に、米海兵隊基地を受け入れる可能性はあるかどうか、訊いてみてはいかがでしょう。
そして週明け、その答を鳩山さんのところに集約するのです。結論は、「受け入れを容認するところはひとつもありません」でしょう。
鳩山さんは、これを対米交渉を後押しする材料として、民主主義国の首相として、自信をもってオバマさんに伝えればいいと思います。
「鋭意捜しましたが、わが国のどこにも、貴国が出した条件にみあう場所はありませんでした」と。

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