今日の誕生日の花は・・・・ウツボクサ
花言葉は・・・・・・・・協調性

シソ科の別称夏枯草は日当たりのよい路傍にアル紫色の花。
花穂が弓矢を入れる壷に似ているのでこの名になったとラジオで説明していた。
夏に枯れたものは利尿作用に役たてた。
高野山にみたてれば村々ごと村総意の鎮守様は昭和30年代まではどこも祭られていた。
村々の団結総意は鎮守様ごとのおまつりの威勢の良さでも示されていた。
入梅いらい3日間の曇り空の日向路。
4~5日連続お天道様なきに日向人は耐えられない。
天の恵みたる唯一の資源の雨の量は殆どない。

こうやみち あるくもえにし うつぼくさ

16日で国会が閉じる。150日も費やして無である。
郵政・派遣法、公務員法改正等々の総ての重要法案は流れた。
法治国家において何のための国会開催であったのかの無念さ。

政権党民主党は幹事長・党首と党の鼎を交代。
三党連立パートナーの社民党が閣内に去った。

亀井党首さえも閣内から去った。
連立三党党首は閣内から去った。

何故か

アメリカ支配との植民地にあるからである
アメリカという宗主国の従属国ゆえである。
アメリカの51番目の州にあるからである。

直接的には
参議院選挙の勝利の為である。
民主主義とは実に厄介である。

属国というのは、政治機構の隅々までエージェントを送り込まれている国
国家予算や政策をコントロールされる国家の自立なき恥ずべき国のこと
イギリスに対するインド、、あるいは、中世までの日本と中国朝鮮の関係、
そして、今のところ、中国の属国になりつつあるのはアフリカ諸国である。
年次改革要望書の新規項目の郵政国富を渡せとの日本と米国の関係である。

日米同盟50年にある年。
新安保1960年を基準としての言い方である。
安保協定の最初は1951年の講和の年である。。

日本を現場で開放したのはマッカーサー。.
その政策を立案し推し進めたのはダレス。

「好きなところに好きなだけ作れる。」
講和条約の基礎は米軍基地建設のこと。
その土台に厳しき条件を強いたダレス。

軍事的合理性など何の意味がない。
普天間移転先を決めたのは辺野古。
属国総理の首なぞ簡単に飛ばせる。

W杯勝利に熱狂するファン的に若い人たちの列島の国。
1960年6月15日の三宅坂界隈に同じ光景があった。

ただし、情況が随分と違う。

このくにでの今、これに熱狂している人びとのエネルギー
その数倍、数十倍のエネルギーが50年前に国家に注がれた
この国の行く末に,W杯勝利以上の若者の熱気が奉げられた
東大生樺美智子さんがぶつかりあう三宅坂で命を落とした
週刊現代最新号にさえ東大生樺美智子さん鎮魂記事がある
中央大教授の父君もアメリカ軍国内駐留に反対していた人

菅新総理は所信表明演説で、日米安保体制を当然の前提と言う。
そして老朽化した普天間は辺野古に新しい基地をつくると表明。

ジャーナリスト岩上安身師VS孫崎享元外務官僚のインタビューがある。
http://www.youtube.com/watch?v=cmzpMGhExz4&feature=player_embedded
  6月15日に想起すべき言葉はこれしかない
「われわれは好きなところに好きなだけ軍隊を置く、それが日米安保だ」
僅か数分の映像である。ぜひ確認してもらいたい。

孫崎「1951年、旧安保条約を締結した時、『われわれは好きなところに好きなだけ軍隊を置く、それを日米安保で達成する』というのが、(後に国務長官になった)ダレスの方針だった」

岩上「今回も、(日米合意を)とにかくぜったい守らせる、辺野古に基地をつくることに軍事的合理性があろうがなかろうが、おれたちの言うことを聞けと、立ち上がって頭を殴りつけるように、やった。ダレスによってうち立てられた日本隷従構想を現代日本にたたき込み、思い知らせた。そのためには、ひとつの政権をふっ飛ばし、ひとりの首相の首を飛ばし、民主主義的政権交代を流してしまってもかまわないという印象だ」

孫崎「森本毅がとあるテレビ番組で、『今回すばらしかったのは、アメリカが1インチも動かなかったことだ』と言った。
外国基地政策は、相手国の国民の意向と自分たちの戦略にどう折り合いをつけるかが基本なのに、
1インチも動かなかったことがほめ言葉になるような感覚の、日米の安全保障関係者たちのメンタリティに驚いた」

鳩山総理の最終決断の日米声明
菅新総理の所信表明の日米関係
なんら変わらない日米安保問題
世論調査からではそうではない

内閣支持率が鳩山政権発足時に近いV字回復
日本の多くの人々の心境はこうではないのか

「何もしなければややこしくならなかった。」

鳩山前総理は,余計なことに寝た子を起こした
普天間基地移転先は「国外」「最低でも県外」

その声は沖縄県民以外の総ての本音。
ウのこ竹の子と生れた第三極の政党
外務・防衛各省霞ヶ関事務方の本音

メディアは足並みをそろえ鳩山一人に焦点を当て悪いと
沖縄県民の70パーセントを越える民意汲み上げは悪い
自立してる民主国家に於いて唯々諾々従うおかしな理屈

外国にある基地に敏感なるアメリカの本国
自分たちとの戦略との照合・監視の日常化
日米関係者安保マフィア意向は何であるか

「基地政策を守ることが素晴しい」との日本国全体を見渡している米国。
日本の国益・日本国民の国民益に日本民族の意見集約はどこにあるのか。
W杯熱狂させとけば,日本国民なんてチョロイモンすべてを見抜いている。

ここんとこなんかテレビが故障したのかと疑う。
何故かって・・・
ブラウン菅向こうからなんか異常音らしきもの。
「ぶ~~~~・・・・ぶ~~~~~~~・・・」
「子供でもわかるでしょう」
電気屋さん呼ぶ必要はありません
耳ふさぐ必要は決してありません。
あれはブルゼラで~~~~~~す。

アフリカらしさ。・・・・
う~~んと唸ってしまう。

愚息はプロの職業人であって欲しい。
ゆえにプロ職業人集団の組織たる日教組に加入してもらいたい。
それがどうにも話が上手く伝らず齟齬をキタシ縁をたっている。
幼少にシテ草原のチンギスカンのくにに使わした親の希望の欲。
せかいの五分の一の人口の国につかえさしたのを治めていない。
爺目の主催施行の平成の遣唐使・遣隋使は徒労に帰してる情況。
国家の雁字搦めの刷り込みにプロ職業人の独立性なき情けなさ。

中部大学 武田邦彦教授に世論操作と国家予算との文がある。
 副題に怒りのシリーズ 世論操作と国家予算とある

 私が名古屋市の経営アドバイザーになって自治体の役人とつきあうようになる
 それまでの私の人生では経験しことがないことに遭遇した。

その一つが「市民のためではなく、国家の命令を聞く」ということであり、
二つ目が「どんなときでも自分の身を守る方法を選択する」ということだった。

 先生はいわれる。
「国家の言うまま」に児童に教える。
それは自分が洗脳されているからもあるが、教科書や学習指導要領に書かれたものを
そのまま教えるのが楽でもあるし、出世のためでもある。

 先生も人の子だ。
先生を聖職から人の子に降ろしたのは日教組だが、今の先生が人の子であることは確かだが、
人の子には同じ人である児童や生徒の人格を教育することはできない。

日本の大人は惨めになったものだ。
日本人の誇りも矜持もない。
ただ、家畜となって子どもにウソ(事実を確認せず,間違っていても自分の責任でなければ良いと言うこと)をつく。

日本の江戸時代までは、「しきたり」によって日本人の魂が守られてきた
「しきたりから合理性」になった現代では日本人一人一人の誠実さが問われるのだ。
しかし、
 誇りある役人が増えるまで待つ暇はもうない。
私は役人が家畜のままであり続けても結果を出す責を自らに課した。
逃げ場は無い、必ずやり遂げる。修羅の如く
かなりの含蓄アルプロ職業人の言葉である。

15日初代天皇神武様を祭る宮崎神宮にこうてい疫平癒祈願祭が行われ参列した。
県内650の神社にも神社庁宮崎本庁杉田秀清宮司として祈願祭をするように指示が出た
爺目の日常は特定宗教行為にない無宗教であるが
この国の民族の仕来たりに従い心の平静を保つ行為が古今を偲び祖先と対話にアルはず。
こうてい疫震源地川南にある白髭神社の本来の祭神は馬頭観音ゆえ奉る風習の農家のこころの平静にこそアルハズ。
川原神社の周辺を見るとヤクサン馬場という小字がアル
耕地整理で現況は失われたが伊東の殿様時代の農家周辺一体の賑わいが束の間の休息
天の恵み農地のイヤジとも相まって一切の急速安息でケガレを癒しハレを待つ地域人。
大地に対する優しさである
鳩山総理の唱えた友愛に通じるものは列島どこにもあったろう。
命を大事にするとの所信表明演説に通じるもの。
やさしさのなかでの知性理性がそだつ草食人種の頭を働かす源泉である。
教育機関中にある厳しくするは暴力ではない。
知性理性を兼ね備えさすためのプロ職業人の真実誠意たる宗教行事に似足るようなるもの。
実利主義の菅新総理の所信表明演説、インタビューを何度となく紐解いている。
なかなか真実を読み解いていない。
霞ヶ関の文章には言霊がないゆえだ。

天候、地域と共存にあるのが農業である。
新規産業となった畜産業さえも天候地域と共存しなければ農畜産業は成立しない。
地域崩壊情況がこうてい疫蔓延化にある
地域共生、社会崩壊から無責任農業地域社会になってるが一番にある。
地域をまとめるにはどうしても無宗教者にも祈願ナゾの形式がないと
存在しないのが農畜産業田舎地域である。
騒々しすぎるメディア乱入のこうてい疫とたたかっている国。
「宮崎製品はあつかっていません」との風評被害をひろげる
守銭奴丸出しには笑ってしまう。
ウツボクサはあちこちに雑草扱いである。
ただ花言葉の協調性を脳理解でなく生活が一番で静かに暮らしている
団塊の世代は60年安保を果敢に生活の一こまですごしたものである。
この国が草食民族の生活形態を色濃く持ってた時代でもあった。
国民みながポジションごとプロの職業人にで配置されてた時代でもある。。

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コメント

せきやん
2010年6月16日5:58

植草ブログ6月14日
日本振興銀行をめぐる黒い霧
日本振興銀行が検査忌避をはじめとする法令違反により金融庁から刑事告発され、犯罪捜査が始まった。刑事捜査の最大の焦点は日本振興銀行を実質支配してきた木村剛氏の関与である。「木村銀行」と呼ばれてきた日本振興銀行であるから、経営上の重大な方針決定に木村氏が深く関わったと推察するのが順当であろう。

今回俎上に載せられているのは検査忌避や出資法違反などの七つの法令違反であるが、そもそもこの銀行の設立自体が黒い霧に包まれていた。

2002年10月、小泉政権は内閣改造を実施した。小泉政権発足後、日本経済は景気崩壊-株価暴落-金融不安拡大の一途をたどった。経済財政政策担当相として民間人から起用されたのが竹中平蔵氏だった。風評では内閣改造で竹中氏が更迭されると予想されていたが、実際には竹中氏が経財相に加えて金融相を兼務することになった。

この人事は米国の指令によるものだと見られている。この後に日本株価が暴落し、りそな銀行が自己資本不足と認定され、2兆円もの公的資金投入で救済されたのが、いわゆる「りそな疑惑」である。「疑惑」と称する理由は多岐にわたるが、


①自己資本算定における繰延税金資産の取り扱い問題が急浮上したこと、


②りそな銀行だけが繰延税金資産5年計上を認められなかったこと、


③この問題を強く誘導した木村剛氏は2003年5月14日段階で、なおゼロないし1年を強硬に主張したが、結果が3年計上になったこと、


④その木村剛氏がゼロないし1年以外の決定を示す監査法人は破たんさせるべきとの強硬論を訴えていたのに、3年計上が決定されたのち、木村氏が一切の批判を示さなかったこと、


⑤竹中平蔵金融相が2003年2月7日の閣議後懇談会で株価連動投信ETFについて、「絶対もうかる」と発言したこと、


⑥朝日監査法人で自己資本不足認定によるりそな銀行監査委嘱辞退決定に強く反対したと見られるりそな銀行担当会計士平田聡氏が2003年4月24日に、自宅マンションから転落死したこと、


⑦政府がりそな銀行を救済したのち、りそな銀行幹部が一掃され、新たに政府近親者がりそな銀行幹部に送り込まれ、自民党に対する融資を激増させたこと、


⑧2006年12月18日の朝日新聞朝刊にりそなの対自民党融資激増のニュースをスクープで報じたと言われる朝日新聞記者鈴木啓一氏が東京湾で水死体になって発見されたと言われていること、


⑨りそな銀行が標的にされた理由が、りそな銀行最高幹部が小泉竹中経済政策を厳しく批判していたことにあるとの疑惑が存在すること、


⑩りそな銀行処理の基本スキームが米国から竹中氏に伝授された疑いが濃いこと、


など、疑惑の総合商社状態になっている。


2002年10月に発足した小泉改造内閣の下で、竹中平蔵金融相は直ちに金融再生プロジェクトチーム(PT)を編成し、10月末に「金融再生プログラム」をまとめた。


このプロジェクトのなかで、木村剛氏は銀行の自己資本算定時の繰延税金資産計上を米国並みのゼロないし1年に圧縮するとの提案を示した。PTはその制度変更を2003年3月期決算から適用する考えまで示唆した。


猛反発したのが銀行界である。ゲームの最中にルールが変更されたのではゲームを行えないというのが銀行界の主張であった。正当な主張である。


米国の場合には貸し倒れのリスクに備えて引当金を積み立てることが無税で認められていた。その代わり、繰延税金資産の計上が制限されていたのだ。日本の場合、貸倒引当金の無税償却は認められておらず、その見合いで繰延税金資産計上が相対的に多く認められていたのだ。木村氏はこのような基本事項さえ理解していなかったものと考えられる。


せきやん
2010年6月16日6:01

銀行界で最も強烈な反発を示したのが三井住友銀行の西川善文頭取だった。しかし、西川氏の姿勢は2002年12月を境に急変した。西川氏は同年12月11日に竹中氏、ゴールドマン・サックス証券のCEOポールソン、同COOセイン氏と密会し、ゴールドマンからの資金調達と竹中氏からの2003年3月決算クリアの保証を確保したのだと見られる。


金融庁は2002年10月30日に「金融再生プログラム」を発表した。


このなかに、ひとつの条文が潜り込まされていた。


1.新しい金融システムの枠組み


(2)中小企業貸出に対する十分な配慮


 主要行の不良債権処理によって、日本企業の大宗を占める中小企業の金融環境が著しく悪化することのないよう、以下のセーフティネットを講じる。


(ア)中小企業貸出に関する担い手の拡充


 中小企業の資金ニーズに応えられるだけの経営能力と行動力を具備した新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化や中小企業貸出信託会社(Jローン)の設置推進などを積極的に検討する。

 注目される部分は、


「新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化・・などを積極的に検討する」という表現だ。

 木村氏は中小企業金融銀行設立の意向を有していたと見られる。金融再生PTのメンバーになった地位を利用して、金融再生プログラムのなかにこの文言を潜り込ませたのだと思われる。


また、木村剛氏はりそな銀行を自己資本不足に追い込むために、りそな銀行の監査法人である朝日監査法人への働きかけを行ったと見られる。そのひとつの表れが、2003年3月17日の木村剛氏と朝日監査法人亀岡義一副理事長とによる会食である。


会食の直接的な理由は、亀岡氏が木村氏に株式会社オレガの代表取締役落合伸治氏を紹介するためだったという(「月刊現代」2009年1月号佐々木実氏論文)。


木村氏は将来利益の計上が困難視される状況の下では、繰延税金資産の計上を認めるべきでないことを、りそな銀行を念頭に置いて説得したと考えられる。


上記論文執筆者の佐々木実氏は、4月16日に朝日監査法人が速報ベースのりそな銀行決算見通しを受け取って以降に朝日監査法人最高幹部が示した見解が、木村氏の主張と瓜二つであることを指摘している。


朝日監査法人は2002年3月にKPMGと提携契約を締結している。木村氏はKPMG関連の日本法人の代表を務めていたのであり、木村氏は竹中平蔵氏との強い関係とKPMG関連法人代表の立場を利用して、朝日監査法人にりそな銀行を自己資本不足に追い込むことを強く要請したのだと考えられる。


日本振興銀行問題に戻すと、同銀行の設立までの経緯は以下の通りである。


2003年 4月    落合伸治が準備企画会社「中小新興企業融資企画株式会社」を設立し社長に就任


2003年 8月20日 銀行免許の予備申請


2003年10月31日 予備申請認可


2004年 3月15日 本免許申請


2004年 4月13日 金融庁より銀行免許交付


2004年 4月21日 開業


2005年 1月 1日 取締役の辞任が相次ぐ中、創業メンバーで、取締   役会議長(社外取締役)の木村剛が自ら社長に就任


 

せきやん
2010年6月16日6:01

最大の特徴は、金融庁が異例のスピードで新銀行設立の審査、認可を行ったことである。上記の通り、2003年8月に銀行免許の予備申請を行って、翌年4月には銀行を開業している。


 創業者である落合伸治氏は木村氏を含む役員に銀行役員を解任され、木村氏が社長に就任したのだが、結果からみると木村氏は落合氏などに銀行を設立させて、設立させた銀行そのものを乗っ取ってしまった形になる。
 金融再生プログラムに私的な営利活動のための条文を忍び込ませ、銀行設立を申請し、金融庁が異例の迅速さで審査および認可するとの行動は、行政の私物化以外の何者でもない。法令違反の有無を詳細に検証する必要がある。


 政権交代が実現し、金融担当相に亀井静香氏が就任して、初めて日本振興銀行の黒い霧にメスが入れられることになった。さらにりそな銀行疑惑に対しても真相究明の力が波及することになるだろう。


 「天網恢恢疎にして漏らさず」


 真相の徹底解明が求められる


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