投票日が大相撲初日。
2010年7月6日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・イワタバコ
花言葉は・・・・・・・涼しげ
6日から8日まで入谷鬼子母神様では朝顔市
あさがおいち よあけしこえの みずみずし
東京地検特捜部長にサカイ部長が就任した
これまで防衛庁汚職を担当した
「政官財がらみの大型案件に取り組みたい」と気負いも伺える。
小沢一郎元幹事長の弁護士は検察庁に弁明書を提出したという。
この二つの出来事の前の部分はNHKラジオ深夜便6日朝4時のこと。
後段は6日深夜2時。
流石に早耳ネットでもまだあちこちみるもどこも見えない報道である。
日刊ゲンダイしか報道してないこと。
2日の記事である。
あちこちのブログで拡散として取り上げられている。
小沢事件 検察審査異常事態 補助弁護士が決まらない前代未聞
「起訴相当」が一転「不起訴相当」か
小沢事件を審査している「検察審査会(検審)」が“異常事態”に陥っている。一般有権者から選ばれた審査員に事実関係や法律解釈を説明する「補助弁護士」が決まっていないというのだ。補助弁護士の「不在」が本当ならば、今後の審査は一体、どうなるのか。
●審議が開けない!?
「検審の補助弁護士は、1回目はつけてもつけなくてもいい任意だが、2回目は義務で必ずつけなればいけない。
各検審が地元弁護士会を通じて選任する仕組みですが、小沢事件のように1回目に補助弁護士がついた複雑な事件の場合、2回目も同じ弁護士が選任されるケースが多い。
事件の概要や法律解釈について、一から把握するよりも早いからです。明石市の花火大会事故を担当し、当時の県警副署長を『起訴相当』と議決した神戸の検審も、1回目、2回目ともに補助弁護士は同一人物でした
小沢事件でも「慣例」に従えば、1回目に補助弁護士についた米澤敏雄弁護士が“再登板”するのが自然だ。
ところが、米澤氏所属の事務所は「(米澤氏は補助弁護士を)降りたので、一切関係ありません」
小沢事件を審査している東京第5検審事務局も「(状況は)答えられない」という。
この時期に補助弁護士が決まっていないとすると、検審の2回目の議決が出るのは、早くても9月以降。議決内容も大きく変わってくる可能性がある。
「東京第5検審は、1回目に『起訴相当』議決をした審査員11人のうち、4月末に6人が交代し、残り5人は7月末に交代するため、再議決は7月中にも出るとみられていた。
しかし、いまだに補助弁護士が決まっていないとすれば、7月はとてもムリ。となると、『起訴相当』と判断した1回目の議決に関わった11人すべての審査員が交代し、あらためて審査することになる。
1回目の議決の審査員が5人残っていれば、2回目も『起訴相当』になる可能性が高かったが、新メンバーが白紙から審査するとなれば、議決も変わってくる。
検察の処分通り、常識的な『不起訴相当』になるかもしれません」(司法ジャーナリスト)
検審が「起訴相当」と判断すれば、小沢は離党するとみられているが、逆に「不起訴相当」になれば一転、9月の代表選に打って出る可能性がある。
ところが特捜部と国税庁が複雑な動きをしている。
今日は・・・吉報のみにとどめよう。・・・
国民世論ということを左右する世論作りのマスメディアのことに触れる。
ここでもあいかわらずの相撲記者の無反省振りを見れる。
メディアは「角界汚染」の共犯者ではないのか
今さら「ウミを出せ」とは笑わせる
100年前から力士にベッタリ
テレビ・新聞が連日、大相撲の賭博問題を取り上げている。
「ウミを出せ」「反社会的勢力との関係を断ち切れ」――などと鬼の首を取ったような報道
、ちょっと待ってほしい。
場所開催中はもちろん、力士と協会の「御用記者」になり、賭博問題を見て見ぬフリをしてきたのは
メディアだったのではないか。
相撲界に詳しいジャーナリストの武田より政氏。
「昔は地方巡業の期間が長く、ヒマを持て余していた。例えば、長崎・五島列島の巡業は、一島ずつ回るため、やることもないフェリーの中に長時間いなければならない。
それでいて、巡業先では大金が懐に入ってくる。
やることは決まってるでしょう」
ゲゲゲの水木しげるせんせーじゃぁなかった・・
ちばてつや先生の相撲マンガ「のたり松太郎」
力士と記者が博打に興じる場面が出てくる。
マンガと言ってしまえばそれまでだが、相撲取りの賭博はネタにされるほど“日常的”な風景だったのだ。
力士を四六時中、取材している相撲記者クラブの連中がこうした状況を知らないはずがないだろう。
「メディアは『角界汚染』と大騒ぎだが、あまりに白々しい。
力士らを取材している相撲記者クラブは、日本の記者クラブの中で最も歴史が古い。旧両国国技館が開館した1909年発足というから、記者たちは100年間も大相撲を取材してきた。メディアが“本来”の役目を果たしていれば、これほど角界がダメになることもなかったのです」
メディアの相撲取材も改革が必要だ
てめぇ~らのゴルフを記事にしてみろ。
賭け事なしと天地天命に誓い言えるのか。。
25歳の競走馬オグリキャップに弔意を寄せる列島の民。
この国は狭き国土の列島に四季を生かした寄り添って生きる瑞穂の民である。
すべてに神々が宿りその後の曼荼羅の仏を生きる正義とした敬虔な宗教心に生きる民である。
時折その列島の民の魂が揺さぶられこの国の民族のDNAが揺る動かされる。
女性を競馬に目を向けさせオグリギャルを生み出した。
観客レコード8万人の人気の馬
何よりもの出世ストリーーの地方から勝ち抜いての中央を制した。
最終戦前レース11位から有終の美を飾る。
武豊が花を添えた。
爺目は常に今のペットの如く馬とともに幼児期を過ごした。
農家育ちの団塊の世代はみなそうで会ったハズ。
この国の時代の産物。
生産工程の石化燃料導入が一番遅れていた産業の農業
ゆえに動力たるガソリンエンジンは皆無で変わりに農家にはどこも牛馬が役割を果たした。
山間の民謡に残る駄賃付け木挽き歌に運搬の主役の馬とともにアル生活が偲べる。
宮崎は武士階級の最後の滅びの美学の西南戦争最終地
熊本の田原坂が天下分け目とするなら後の夏冬の陣の合戦場
県央から北に敗戦で追いやられ県北延岡から山中に逃げ込む。
この山中には縦横無尽に馬の通った生活道があったわけで鹿児島まで逃げ帰った西郷軍。
研究テーマの決まらぬ学位欲しき人に授けよう。
駄賃づけの山間部の駄賃道を体系化するがいい。
まだ誰れも学問の域にしていない。
著作が見当たらない。
爺目の幼少期の農家には当然牛馬がいた。
馬は動作が速いゆえ農耕では牛より有りがたれた。
ただ作業を終えた後が時間がかかる。
水道管みたいに水圧をかける施設は社会的に皆無
宅内は井戸から汲み上げるゆえ水ほど貴重なるもはない。
ザブザブト水を使うことは贅沢である。
小川でひたすらバケツで流しながら洗うしかない。
幼きゆえ背丈低いゆえ農作業を終えた後の小溝で洗うのは大変であった
兄たちがいるときのみ馬の背に乗り手綱を取った。
馬具がない裸馬のときは大変で随分の高さに恐怖心さえあった。
村中をエバッテ人に見せびらかして
「エッヘンエッヘン」
「軍人さんダ~イ」
「大将さんだ~い」
帰ったものである。
血を分けた親子さえ断絶の人情紙風船の如き薄き中で大相撲界の生活仕来たりは
国際化した情況にあろうとも寸分の狂いもない社会である。
ゼニゲバ朝青龍の親方との銭をめぐる配分争闘はその社会仕来たりを変質させた。
法治国家ゆえ裁きは冷徹になる。
一般社会はソレで成り立っている。
では大東京のど真ん中の皇室はまるで別世界ではないか。
大相撲界もそうである。
皇室と大相撲は密接なるものにアル。
島津のDNAを受け継ぐ学者山崎学問は市井のためにもあり教えていただける。
メディアに最近よく顔出す正義?の人がある。
伊藤滋の一連の立ち居振る舞いや言動は正しく善なるものであるかもしれない
そりゃぁそうだ
本職は教育に携わる教授さま
生徒らの前でどういう顔で教えられよう。
では問わん!
伊藤滋よ、
日本の国技・相撲を、何だと心得ておるのだ?
大相撲賭博事件の「特別調査委員会」座長として脚光を浴びている
ただどうなんだろうこの男
伊藤滋は、その裏でパチンコ業界関連組織の理事長を勤めていた
パチンコ換金は違法ではないのか。
清濁併せ飲む爺目ゆえそこのみにとどめよう。
もう一つ忘れてはならないことは
、実は伊藤は、・・・・
今日の自殺者3万人を作り出した売国政治家の陣mッ約に名をつ慣れている売国人物。
「小泉構造改革」の走狗として「都市開発」関係のプロジェクトチームの代表(「都市再生戦略チーム」座長)
、小泉政権下で、それなりの役割を担っていた人物でもあった
何故に・・・、今・・・売国奴の亡霊が出るのか。
解りきっタルこと。
政権を寝取ったダマシうちの菅直人は小泉路線を突っ走っている。
このくにの生きる基準にキレイキタナイがある。
ハレ、ケガレの祓い穢れである。
国家の成り立ちに始まる国づくりのおはなし。
この国に伝わる人間の見分け方から見ればどうだろうということ。。
キレイかキタナイか
で照らして言えば、わかること。
明らかにキタナイと言うべきだろう。
しばし言われることが欠落している。
相撲はスポーツでなく神事であること。
神々の国にのみ伝わるものである。
薩摩の気風質実剛健は
支藩の元伊東本城があった宮崎西都都於群地域の隅々に慣習とシテ残っていた。
村の中心のコンモリ森の鎮守様、農家の庭の隅には土俵があった。
子らの中での英雄は相撲に強いが尊敬を集めた。
伊藤滋よ
相撲を、善悪や真偽を基準に裁断することは出来ない
幼児期になにをしていたという。
学校の子供の世界の遊びはもっぱら相撲で勝ち抜きのショッチュウのミニ大会。
はたして相撲をとったことがあるのか、
幼き頃から知っていた。
恐れ多きこと。
子らの癖に
行司の古典的荘重さをもった声のひびきがちゃんとやり、
お相撲さんタル二人は塩撒きの仕草からしたものである。
「どうですか玉の海さんこの一番・・」
「どうですかねェ~・・・」
「さかなやの・・・・おっさんが・・・・屁をこい た・・・ブリッ!」
「そうですか・・・臭い勝負・・となりそうです。」
何故か大相撲の奥域を薄っすらと知っていた。
先生も神代のことを教えた。
神代の最初の相撲
タイマノケハヤVS野見宿禰
寺田寅彦は大相撲盛んな高知の人
残された名随筆はいつものこと。
教えていただける。
「夏目漱石先生の紹介で東京朝日新聞に「相撲の力学」という記事を書いて、掲載されたことがある寺田寅彦いわく・・」
「相撲四十八手の裏表が・・・・力学の応用問題として解説の対象となりうること」こう書いた。
ほかにも残している・・・
旧約聖書にたしかヤコブが天使と相撲を取った話がある。
その相手の天使からイスラエルという名前をもらって、そうしてびっこを引きながら歩いて行ったというくだり
があったようである。
その「相撲」がいったいどんなふうの相撲であったかさっぱりわからない。
しかし、ヘブライ語の相撲という言葉の根幹を成す「アバク」という語は本来「塵埃(じんあい)」
の意味があるからやはり地べたにころがしっこをするのであったかもしれない。
そうして相撲の結果として足をくじいてびっこを引くこともあったらしい。
それから、これは全く偶然ではあろうが、この同じヘブライ語が「撲」の漢音「ボク」に通ずるのが妙である。
一方で和音「すまふ」はこれは相撲の音から転じたものであるに相違ない。
bはmに、kはhに変わりやすいからである。ついでにもう一歩脱線すると、
相撲の元祖と言われる野見(のみの)宿禰(すくね)の「スクネ」とよく似たヘブライ語の「ズケヌ」は「長老」の意味があるのである。
このヤコブと天使との相撲の話は、私にはまた子供の時分に郷里の高知でよく聞かされた怪談を思い出させる。
昔の土佐には田野の間に「シバテン」と称する怪物がいた。たぶん「柴天狗」
すなわち木の葉天狗の意味かと想像される。夜中に田んぼ道を歩いているとどこからともなく小さな子供がやって来て
、「おじさん、相撲取ろう」といどむ。
これに応じてうっかり相手になると、
それが子供に似合わず非常な怪力があって結局ひどい目にのされてしまう、というのである。
これと並行してまたエンコウ(河童(かっぱ)の類)と相撲を取ってのされたという話もある。
上記のシバテンはまた夜釣りの人の魚籠(びく)の中味を盗むこともあるので、
とにかく天使とはだいぶ格式が違うが、しかし山野の間に人間の形をした非人間がいて、
それが人間に相撲をいどむという考えだけは一致している。
自分たちの少年時代にはもう文明の光にけおされてこのシバテンどもは人里から姿を隠してしまっていたが
、しかし小学校生徒の仲間にはどこかこのシバテンの風格を備えた自然児の悪太郎はたくさんにいて、
校庭や道ばたの草原などでよく相撲をとっていた。
そうして着物をほころばせたり向こう脛(ずね)をすりむいては
家へ帰ってオナン(おふくろの方言)にしかられていたようである。
自分なども一度学校の玄関の土間のたたきに投げ倒されて後頭部を打って
危うく脳震盪を起こしかけたことがあった。
高校時代熊本の白川の川原で東京大相撲を見た。常陸山(ひたちやま)、梅ケ谷、大砲などもいたような気がする。
同郷の学生たち一同とともに同郷の力士国見山のためにひそかに力こぶを入れて見物したものである。
ひいきということがあって始めて相撲見物の興味が高潮するものだということをこの時に始めて悟ったのであった。
夜熊本の町を散歩して旅館研屋(とぎや)支店の前を通ったとき、ふと玄関をのぞき込むと、
帳場の前に国見山が立っていて何かしら番頭と話をしていた。
そのときのこの若くて眉目秀麗な力士の姿態にどこか女らしくなまめかしい
ところのあるのを発見して驚いたことであった。
大学生時代に回向院(えこういん)の相撲を一二度見に行ったようであるがその記憶はもうほとんど消えかかっている。ただ、常陸山、梅ケ谷、大砲、朝潮、逆鉾(さかほこ)とこの五力士のそれぞれの濃厚な独自な個性の対立がいかにも当時の大相撲を多彩なものにしていたことだけは間違いない事実であった。
東海道の汽車に乗ったら偶然梅ケ谷と向かい合いの座席を占めた。からだの割合にかわいい手が目についた。みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、それ以来みかんの食い方だけはこの梅ケ谷のまねをすることにきめてしまった。
話を戻す。
横綱は神の依り代、
土俵は社稷、大地に潜在する暴力を東西に分けて鏡像化し、勝ち負けという世俗に中和させる神事。
つまり聖域と世俗がガチンコも注射も織り込んで表出する曼荼羅のような世界。
そこに官僚というもっとも介入してはいけない
「裁きの原則」
が持ち込まれたので
「キタナイ」姿をさらしている。
ただし、キタナイものは穢れですから、
穢れは禊ぎで落とせます。
イザナミから逃れイザナギが黄泉の国から逃げ帰っる。
筑紫の日向の立花の小戸の阿波岐原池で禊ぎを済ます。
九州一高きシーガイヤの前にその池が残る。
穢れた左目を洗って落ちたキタナイものがアマテラスという神様になる。
右目を禊いでツクヨミノミコト、
鼻を禊いでスサノオウが生まれる。
キタナイものは神様になる前の幼虫のようなもの。
キレイな蝶になるために先行して
キタナイものとして現れる必然。
伊藤が、検察・警察の意を代弁するかのように、参院選の渦中で、突然、野球賭博事件をネタに、
大相撲改革なる日本社会の「構造改革」の顔としてマスコミの表舞台に乗り出してきた
伊藤本人は世間知らずの幼児的な政治音痴だろうから分かるまい
パソコンを多様化する多くのネット人の日本国民にはその理由と仕掛けがわかるはずだ。
大相撲は日本の伝統的な社会構造の大きな構造的一部である。
敗戦で問われた国体の本義の天皇制と言う問題とも深くかかわっている
その一環に相撲がある
そこへ手を突っ込んできたと言うことは、この相撲改革なるものが
、実はきわめて日本的な社会システムの破壊・解体を目指すグローバリズムの視点に立つ勢力によるもの、
つまり「小泉構造改革」一派かその残党によるものだということがわかる。
「大相撲改革」は大相撲だけの問題ではない。
文化の問題で民族の生き様が絡んでいる。。
国家の成り立ちに始まる国づくりのおはなしにからんでること。
山崎論考は善悪判断や真偽を問う表層の議論ではなく、世俗の穢れを禊ぎ、祓い、清める言葉。神々の誕生を
お手伝いしてる言葉。
ソクラテスの弁証法、産婆術、皮肉っぽいアイロニーが神々を生む。
存在の二相をつなぎ合わせる視点の反転が魅力のブログとアル
小泉純一郎は憲政史上、最強の強運の持ち主。
そして憲政史上、もっとも騙し術の喧嘩が上手い総理大臣。
おそらく憲政史上、最強の太公望である小泉純一郎が
どんな幸運に恵まれてきたか、
・・・ 掛けまくも畏き イザナギの大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に なりませる祓へ戸の大神たち
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば
祓へ給ひ清め給へと まをすことを聞こし召せと恐み恐みもまをす・・・
小泉純一郎は薩摩のDNAを持つ人でもある。
ただし古代史の日向薩摩の本家争いで
小泉DNAの出身地加世田の兵は日向本家の本城伊東家の崩壊の限りを尽くしている歴史を残している。
国体の本義とはなにか
選挙では語らえるはずもないこの国の国体の理念。
○1912年(明治45)ストックホルムオリンピック初参加。
団長講道館嘉納治五郎
○1939年0戦試作飛行時速500キロ航続距離3500キロ
○1949年(24年)常磐線下山事件24年
○1990年20年)神奈川でオンブズマン制度発足
○1992年(4年)ミュンヘンでロシア崩壊後初サミット
ロシアへ北方領土問題に触れる
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花言葉は・・・・・・・涼しげ
6日から8日まで入谷鬼子母神様では朝顔市
あさがおいち よあけしこえの みずみずし
東京地検特捜部長にサカイ部長が就任した
これまで防衛庁汚職を担当した
「政官財がらみの大型案件に取り組みたい」と気負いも伺える。
小沢一郎元幹事長の弁護士は検察庁に弁明書を提出したという。
この二つの出来事の前の部分はNHKラジオ深夜便6日朝4時のこと。
後段は6日深夜2時。
流石に早耳ネットでもまだあちこちみるもどこも見えない報道である。
日刊ゲンダイしか報道してないこと。
2日の記事である。
あちこちのブログで拡散として取り上げられている。
小沢事件 検察審査異常事態 補助弁護士が決まらない前代未聞
「起訴相当」が一転「不起訴相当」か
小沢事件を審査している「検察審査会(検審)」が“異常事態”に陥っている。一般有権者から選ばれた審査員に事実関係や法律解釈を説明する「補助弁護士」が決まっていないというのだ。補助弁護士の「不在」が本当ならば、今後の審査は一体、どうなるのか。
●審議が開けない!?
「検審の補助弁護士は、1回目はつけてもつけなくてもいい任意だが、2回目は義務で必ずつけなればいけない。
各検審が地元弁護士会を通じて選任する仕組みですが、小沢事件のように1回目に補助弁護士がついた複雑な事件の場合、2回目も同じ弁護士が選任されるケースが多い。
事件の概要や法律解釈について、一から把握するよりも早いからです。明石市の花火大会事故を担当し、当時の県警副署長を『起訴相当』と議決した神戸の検審も、1回目、2回目ともに補助弁護士は同一人物でした
小沢事件でも「慣例」に従えば、1回目に補助弁護士についた米澤敏雄弁護士が“再登板”するのが自然だ。
ところが、米澤氏所属の事務所は「(米澤氏は補助弁護士を)降りたので、一切関係ありません」
小沢事件を審査している東京第5検審事務局も「(状況は)答えられない」という。
この時期に補助弁護士が決まっていないとすると、検審の2回目の議決が出るのは、早くても9月以降。議決内容も大きく変わってくる可能性がある。
「東京第5検審は、1回目に『起訴相当』議決をした審査員11人のうち、4月末に6人が交代し、残り5人は7月末に交代するため、再議決は7月中にも出るとみられていた。
しかし、いまだに補助弁護士が決まっていないとすれば、7月はとてもムリ。となると、『起訴相当』と判断した1回目の議決に関わった11人すべての審査員が交代し、あらためて審査することになる。
1回目の議決の審査員が5人残っていれば、2回目も『起訴相当』になる可能性が高かったが、新メンバーが白紙から審査するとなれば、議決も変わってくる。
検察の処分通り、常識的な『不起訴相当』になるかもしれません」(司法ジャーナリスト)
検審が「起訴相当」と判断すれば、小沢は離党するとみられているが、逆に「不起訴相当」になれば一転、9月の代表選に打って出る可能性がある。
ところが特捜部と国税庁が複雑な動きをしている。
今日は・・・吉報のみにとどめよう。・・・
国民世論ということを左右する世論作りのマスメディアのことに触れる。
ここでもあいかわらずの相撲記者の無反省振りを見れる。
メディアは「角界汚染」の共犯者ではないのか
今さら「ウミを出せ」とは笑わせる
100年前から力士にベッタリ
テレビ・新聞が連日、大相撲の賭博問題を取り上げている。
「ウミを出せ」「反社会的勢力との関係を断ち切れ」――などと鬼の首を取ったような報道
、ちょっと待ってほしい。
場所開催中はもちろん、力士と協会の「御用記者」になり、賭博問題を見て見ぬフリをしてきたのは
メディアだったのではないか。
相撲界に詳しいジャーナリストの武田より政氏。
「昔は地方巡業の期間が長く、ヒマを持て余していた。例えば、長崎・五島列島の巡業は、一島ずつ回るため、やることもないフェリーの中に長時間いなければならない。
それでいて、巡業先では大金が懐に入ってくる。
やることは決まってるでしょう」
ゲゲゲの水木しげるせんせーじゃぁなかった・・
ちばてつや先生の相撲マンガ「のたり松太郎」
力士と記者が博打に興じる場面が出てくる。
マンガと言ってしまえばそれまでだが、相撲取りの賭博はネタにされるほど“日常的”な風景だったのだ。
力士を四六時中、取材している相撲記者クラブの連中がこうした状況を知らないはずがないだろう。
「メディアは『角界汚染』と大騒ぎだが、あまりに白々しい。
力士らを取材している相撲記者クラブは、日本の記者クラブの中で最も歴史が古い。旧両国国技館が開館した1909年発足というから、記者たちは100年間も大相撲を取材してきた。メディアが“本来”の役目を果たしていれば、これほど角界がダメになることもなかったのです」
メディアの相撲取材も改革が必要だ
てめぇ~らのゴルフを記事にしてみろ。
賭け事なしと天地天命に誓い言えるのか。。
25歳の競走馬オグリキャップに弔意を寄せる列島の民。
この国は狭き国土の列島に四季を生かした寄り添って生きる瑞穂の民である。
すべてに神々が宿りその後の曼荼羅の仏を生きる正義とした敬虔な宗教心に生きる民である。
時折その列島の民の魂が揺さぶられこの国の民族のDNAが揺る動かされる。
女性を競馬に目を向けさせオグリギャルを生み出した。
観客レコード8万人の人気の馬
何よりもの出世ストリーーの地方から勝ち抜いての中央を制した。
最終戦前レース11位から有終の美を飾る。
武豊が花を添えた。
爺目は常に今のペットの如く馬とともに幼児期を過ごした。
農家育ちの団塊の世代はみなそうで会ったハズ。
この国の時代の産物。
生産工程の石化燃料導入が一番遅れていた産業の農業
ゆえに動力たるガソリンエンジンは皆無で変わりに農家にはどこも牛馬が役割を果たした。
山間の民謡に残る駄賃付け木挽き歌に運搬の主役の馬とともにアル生活が偲べる。
宮崎は武士階級の最後の滅びの美学の西南戦争最終地
熊本の田原坂が天下分け目とするなら後の夏冬の陣の合戦場
県央から北に敗戦で追いやられ県北延岡から山中に逃げ込む。
この山中には縦横無尽に馬の通った生活道があったわけで鹿児島まで逃げ帰った西郷軍。
研究テーマの決まらぬ学位欲しき人に授けよう。
駄賃づけの山間部の駄賃道を体系化するがいい。
まだ誰れも学問の域にしていない。
著作が見当たらない。
爺目の幼少期の農家には当然牛馬がいた。
馬は動作が速いゆえ農耕では牛より有りがたれた。
ただ作業を終えた後が時間がかかる。
水道管みたいに水圧をかける施設は社会的に皆無
宅内は井戸から汲み上げるゆえ水ほど貴重なるもはない。
ザブザブト水を使うことは贅沢である。
小川でひたすらバケツで流しながら洗うしかない。
幼きゆえ背丈低いゆえ農作業を終えた後の小溝で洗うのは大変であった
兄たちがいるときのみ馬の背に乗り手綱を取った。
馬具がない裸馬のときは大変で随分の高さに恐怖心さえあった。
村中をエバッテ人に見せびらかして
「エッヘンエッヘン」
「軍人さんダ~イ」
「大将さんだ~い」
帰ったものである。
血を分けた親子さえ断絶の人情紙風船の如き薄き中で大相撲界の生活仕来たりは
国際化した情況にあろうとも寸分の狂いもない社会である。
ゼニゲバ朝青龍の親方との銭をめぐる配分争闘はその社会仕来たりを変質させた。
法治国家ゆえ裁きは冷徹になる。
一般社会はソレで成り立っている。
では大東京のど真ん中の皇室はまるで別世界ではないか。
大相撲界もそうである。
皇室と大相撲は密接なるものにアル。
島津のDNAを受け継ぐ学者山崎学問は市井のためにもあり教えていただける。
メディアに最近よく顔出す正義?の人がある。
伊藤滋の一連の立ち居振る舞いや言動は正しく善なるものであるかもしれない
そりゃぁそうだ
本職は教育に携わる教授さま
生徒らの前でどういう顔で教えられよう。
では問わん!
伊藤滋よ、
日本の国技・相撲を、何だと心得ておるのだ?
大相撲賭博事件の「特別調査委員会」座長として脚光を浴びている
ただどうなんだろうこの男
伊藤滋は、その裏でパチンコ業界関連組織の理事長を勤めていた
パチンコ換金は違法ではないのか。
清濁併せ飲む爺目ゆえそこのみにとどめよう。
もう一つ忘れてはならないことは
、実は伊藤は、・・・・
今日の自殺者3万人を作り出した売国政治家の陣mッ約に名をつ慣れている売国人物。
「小泉構造改革」の走狗として「都市開発」関係のプロジェクトチームの代表(「都市再生戦略チーム」座長)
、小泉政権下で、それなりの役割を担っていた人物でもあった
何故に・・・、今・・・売国奴の亡霊が出るのか。
解りきっタルこと。
政権を寝取ったダマシうちの菅直人は小泉路線を突っ走っている。
このくにの生きる基準にキレイキタナイがある。
ハレ、ケガレの祓い穢れである。
国家の成り立ちに始まる国づくりのおはなし。
この国に伝わる人間の見分け方から見ればどうだろうということ。。
キレイかキタナイか
で照らして言えば、わかること。
明らかにキタナイと言うべきだろう。
しばし言われることが欠落している。
相撲はスポーツでなく神事であること。
神々の国にのみ伝わるものである。
薩摩の気風質実剛健は
支藩の元伊東本城があった宮崎西都都於群地域の隅々に慣習とシテ残っていた。
村の中心のコンモリ森の鎮守様、農家の庭の隅には土俵があった。
子らの中での英雄は相撲に強いが尊敬を集めた。
伊藤滋よ
相撲を、善悪や真偽を基準に裁断することは出来ない
幼児期になにをしていたという。
学校の子供の世界の遊びはもっぱら相撲で勝ち抜きのショッチュウのミニ大会。
はたして相撲をとったことがあるのか、
幼き頃から知っていた。
恐れ多きこと。
子らの癖に
行司の古典的荘重さをもった声のひびきがちゃんとやり、
お相撲さんタル二人は塩撒きの仕草からしたものである。
「どうですか玉の海さんこの一番・・」
「どうですかねェ~・・・」
「さかなやの・・・・おっさんが・・・・屁をこい た・・・ブリッ!」
「そうですか・・・臭い勝負・・となりそうです。」
何故か大相撲の奥域を薄っすらと知っていた。
先生も神代のことを教えた。
神代の最初の相撲
タイマノケハヤVS野見宿禰
寺田寅彦は大相撲盛んな高知の人
残された名随筆はいつものこと。
教えていただける。
「夏目漱石先生の紹介で東京朝日新聞に「相撲の力学」という記事を書いて、掲載されたことがある寺田寅彦いわく・・」
「相撲四十八手の裏表が・・・・力学の応用問題として解説の対象となりうること」こう書いた。
ほかにも残している・・・
旧約聖書にたしかヤコブが天使と相撲を取った話がある。
その相手の天使からイスラエルという名前をもらって、そうしてびっこを引きながら歩いて行ったというくだり
があったようである。
その「相撲」がいったいどんなふうの相撲であったかさっぱりわからない。
しかし、ヘブライ語の相撲という言葉の根幹を成す「アバク」という語は本来「塵埃(じんあい)」
の意味があるからやはり地べたにころがしっこをするのであったかもしれない。
そうして相撲の結果として足をくじいてびっこを引くこともあったらしい。
それから、これは全く偶然ではあろうが、この同じヘブライ語が「撲」の漢音「ボク」に通ずるのが妙である。
一方で和音「すまふ」はこれは相撲の音から転じたものであるに相違ない。
bはmに、kはhに変わりやすいからである。ついでにもう一歩脱線すると、
相撲の元祖と言われる野見(のみの)宿禰(すくね)の「スクネ」とよく似たヘブライ語の「ズケヌ」は「長老」の意味があるのである。
このヤコブと天使との相撲の話は、私にはまた子供の時分に郷里の高知でよく聞かされた怪談を思い出させる。
昔の土佐には田野の間に「シバテン」と称する怪物がいた。たぶん「柴天狗」
すなわち木の葉天狗の意味かと想像される。夜中に田んぼ道を歩いているとどこからともなく小さな子供がやって来て
、「おじさん、相撲取ろう」といどむ。
これに応じてうっかり相手になると、
それが子供に似合わず非常な怪力があって結局ひどい目にのされてしまう、というのである。
これと並行してまたエンコウ(河童(かっぱ)の類)と相撲を取ってのされたという話もある。
上記のシバテンはまた夜釣りの人の魚籠(びく)の中味を盗むこともあるので、
とにかく天使とはだいぶ格式が違うが、しかし山野の間に人間の形をした非人間がいて、
それが人間に相撲をいどむという考えだけは一致している。
自分たちの少年時代にはもう文明の光にけおされてこのシバテンどもは人里から姿を隠してしまっていたが
、しかし小学校生徒の仲間にはどこかこのシバテンの風格を備えた自然児の悪太郎はたくさんにいて、
校庭や道ばたの草原などでよく相撲をとっていた。
そうして着物をほころばせたり向こう脛(ずね)をすりむいては
家へ帰ってオナン(おふくろの方言)にしかられていたようである。
自分なども一度学校の玄関の土間のたたきに投げ倒されて後頭部を打って
危うく脳震盪を起こしかけたことがあった。
高校時代熊本の白川の川原で東京大相撲を見た。常陸山(ひたちやま)、梅ケ谷、大砲などもいたような気がする。
同郷の学生たち一同とともに同郷の力士国見山のためにひそかに力こぶを入れて見物したものである。
ひいきということがあって始めて相撲見物の興味が高潮するものだということをこの時に始めて悟ったのであった。
夜熊本の町を散歩して旅館研屋(とぎや)支店の前を通ったとき、ふと玄関をのぞき込むと、
帳場の前に国見山が立っていて何かしら番頭と話をしていた。
そのときのこの若くて眉目秀麗な力士の姿態にどこか女らしくなまめかしい
ところのあるのを発見して驚いたことであった。
大学生時代に回向院(えこういん)の相撲を一二度見に行ったようであるがその記憶はもうほとんど消えかかっている。ただ、常陸山、梅ケ谷、大砲、朝潮、逆鉾(さかほこ)とこの五力士のそれぞれの濃厚な独自な個性の対立がいかにも当時の大相撲を多彩なものにしていたことだけは間違いない事実であった。
東海道の汽車に乗ったら偶然梅ケ谷と向かい合いの座席を占めた。からだの割合にかわいい手が目についた。みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、それ以来みかんの食い方だけはこの梅ケ谷のまねをすることにきめてしまった。
話を戻す。
横綱は神の依り代、
土俵は社稷、大地に潜在する暴力を東西に分けて鏡像化し、勝ち負けという世俗に中和させる神事。
つまり聖域と世俗がガチンコも注射も織り込んで表出する曼荼羅のような世界。
そこに官僚というもっとも介入してはいけない
「裁きの原則」
が持ち込まれたので
「キタナイ」姿をさらしている。
ただし、キタナイものは穢れですから、
穢れは禊ぎで落とせます。
イザナミから逃れイザナギが黄泉の国から逃げ帰っる。
筑紫の日向の立花の小戸の阿波岐原池で禊ぎを済ます。
九州一高きシーガイヤの前にその池が残る。
穢れた左目を洗って落ちたキタナイものがアマテラスという神様になる。
右目を禊いでツクヨミノミコト、
鼻を禊いでスサノオウが生まれる。
キタナイものは神様になる前の幼虫のようなもの。
キレイな蝶になるために先行して
キタナイものとして現れる必然。
伊藤が、検察・警察の意を代弁するかのように、参院選の渦中で、突然、野球賭博事件をネタに、
大相撲改革なる日本社会の「構造改革」の顔としてマスコミの表舞台に乗り出してきた
伊藤本人は世間知らずの幼児的な政治音痴だろうから分かるまい
パソコンを多様化する多くのネット人の日本国民にはその理由と仕掛けがわかるはずだ。
大相撲は日本の伝統的な社会構造の大きな構造的一部である。
敗戦で問われた国体の本義の天皇制と言う問題とも深くかかわっている
その一環に相撲がある
そこへ手を突っ込んできたと言うことは、この相撲改革なるものが
、実はきわめて日本的な社会システムの破壊・解体を目指すグローバリズムの視点に立つ勢力によるもの、
つまり「小泉構造改革」一派かその残党によるものだということがわかる。
「大相撲改革」は大相撲だけの問題ではない。
文化の問題で民族の生き様が絡んでいる。。
国家の成り立ちに始まる国づくりのおはなしにからんでること。
山崎論考は善悪判断や真偽を問う表層の議論ではなく、世俗の穢れを禊ぎ、祓い、清める言葉。神々の誕生を
お手伝いしてる言葉。
ソクラテスの弁証法、産婆術、皮肉っぽいアイロニーが神々を生む。
存在の二相をつなぎ合わせる視点の反転が魅力のブログとアル
小泉純一郎は憲政史上、最強の強運の持ち主。
そして憲政史上、もっとも騙し術の喧嘩が上手い総理大臣。
おそらく憲政史上、最強の太公望である小泉純一郎が
どんな幸運に恵まれてきたか、
・・・ 掛けまくも畏き イザナギの大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に なりませる祓へ戸の大神たち
諸々の禍事・罪・穢れあらむをば
祓へ給ひ清め給へと まをすことを聞こし召せと恐み恐みもまをす・・・
小泉純一郎は薩摩のDNAを持つ人でもある。
ただし古代史の日向薩摩の本家争いで
小泉DNAの出身地加世田の兵は日向本家の本城伊東家の崩壊の限りを尽くしている歴史を残している。
国体の本義とはなにか
選挙では語らえるはずもないこの国の国体の理念。
○1912年(明治45)ストックホルムオリンピック初参加。
団長講道館嘉納治五郎
○1939年0戦試作飛行時速500キロ航続距離3500キロ
○1949年(24年)常磐線下山事件24年
○1990年20年)神奈川でオンブズマン制度発足
○1992年(4年)ミュンヘンでロシア崩壊後初サミット
ロシアへ北方領土問題に触れる
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