月よりの使者

2010年9月23日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・・・ヒガンバナ
花ことばは・・・・・・・再開

曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する
複雑繊細華麗な"天上の花"
爺目世代は不吉であると忌み嫌う。
何故か
田畑の周辺や堤防はなんてぇことはない。
実は昔は土葬で村の人々は墓地に棺桶ごと葬った。
仮の木製の墓標を立てた。
3~6ヶ月もすると棺桶仏様が朽ちてドス~ンと落ち込む。
それから墓石を建立する。
農薬ない頃ゆえ土に穴を掘るモグラネズミなど小動物を避けるためにヒガンハナの有毒な鱗茎をあえて持ち込み植えた。
死人花(シビトハナ)、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花の名で呼んだ。
WIKIが教えてくれる。
北海道から琉球列島まで見られる。
自生ではなく、日本には中国から帰化したもの。
その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったという。、
土に穴を掘る小動物を避けるために、あぜや土手に植えたとも考えられる。
また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。
そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。

、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体。
故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。
中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。

全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン)を多く含む有毒植物。
誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる。
鱗茎は澱粉に富み、有毒成分であるリコリンは水溶性であるため長時間水に晒せば無害化する
救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた
『所さんの目がテン』では当時のレシピを使用しての食用実験をした
野草ブームで注意がいる。
花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため
、誤食したニュースを聞いたことがある。
鱗茎は石蒜(せきさん)という生薬名であり利尿や去痰作用がある
暑きゆえこの時期満開のハズなにに開花が遅れているらしい。
この時期の里の棚田の風景に欠かせない風情がある花。

曼珠沙華 散るや赤きに 耐へかねて

暑さ寒さも彼岸までと言うが異変である。
22日宮崎は34,7度。
22~23日日向の夜空にはまん丸の月。
夜半2時頃西の空は1時間程度ピカピカ稲光の連続で実に美しい。
田舎の山村には子供同士にのみ一夜限りの不思議なお遊びがあった。
幼き頃のこと。
今みたいにサッシの家は何処もない。
農家作りの縁側は桂離宮状態。
一帯が総てお見通し。
縁側は喫茶店であり応接室でありウインドショッピングの田舎の社交場。
その農家から縁側が消えた。
出会いの場がなくなれば
嫁も来ないワナー。

縁側から夜空を見ればま~るいお月様。
板えんのそこに机、リンゴ箱をもちだし、一升瓶ナゾにススキ、枝ごとの栗、コスモスの花ナゾを飾る。
そばにはお団子、ふかし芋、柿、なし、ミカン、・・・・
お金持ちのお家は御菓子、パン、包んである現金・・
それをコソッーと盗む・・
おおきな袋に入れ悠々と引き上げ。
公然ドロボーなんである。
奇習があったもんだ。

縁側飾ってあるお供え物狙って大きな袋は満タン。
一年間の内この日お供え物のみ公然と子供にのみドロボーが認められる風習。
田舎の夜は真っ暗。
幼き頃の暗闇の恐怖心は想像できないほどデカイ物。
想像が創造を呼びあちこちにお化けがいる。
怖いモノ見たさとどれだけお供え物を集めたかで競争に負けないミエがある。
お米があの頃貴重で珍しかったビニール袋に入れて置いてある。
こいつはどうにも嫌だったがこれを狙ってた奴もいた。
爺目は米農家ゆえコレは避けた。
貧乏にもまだ階層があったんだろうか。
十五夜の夜はコレを思い出す。

文明の進歩とはナンなんであろう。
現代の子は可哀想でもある。
餅は杵で臼を使いついていた。
瑞穂の民ゆえ、お祝い事に餅をついた。
「ペッタン、パッタン」
「餅つきな~」
「あ~い東京んとこに孫ができたごたってな~」
「そりゃ~よかったな~めでたい目出度い。」
「まぁ~喰ぅてぇくんない」
お祝いのお裾分け、振る舞い餅である。
納屋の中でも杵と臼の稼働率は案外高いゆえ動かし安いところに鎮座してた。

そこで夜空のまん丸のなかの姿をしみじみ見る。
ウサギさんはまだどうにか解ろうが
右側の臼の創造は現代っ子には誰一人ムリであろう
生活の日々のあち事であった餅つき風景を知らないからである。やってても機械で出来たモノ。
臼と杵で突き上げた餅ではない。
風景事消えている。
こころの奥底が大和人の爺目ら世代と全く違う異邦人のこの国。
現代っ子はだれもお月様さえ見上げないんだろうか。

あの不思議なおつきさまの真ん中のシルエットを。
そういえば爺目世代さえ68年のあの夢を壊す人類月に立つ
あれ以来ロマンは確かに消えてはいる。
いまではあれもアメリカのヤラセであったようで
途中の強力な放射能ナゾもありムリらしい。
人類は月にはとてもいけないようである。
デタラメな国家があったモンだ。

長崎には月の美術館があるわけだが
そこにお客さんのお話のご紹介がある。

月には「陸」と呼ばれる明るい部分と「海」と呼ばれる暗い部分があります。
この明暗の模様が
日本や韓国では餅をつくウサギ。
中国ではウサギは薬を突ている。
中国の有名なお話では、月の異名でもある女神の嫦娥(じょうが)が、夫の不老不死の薬を盗み出し月に逃げ去る。
その報いから蟾蜍(せんじょ)というヒキガエルに変身したそうです。
ほかにも桂の木とうさぎ、
大きなハサミを持つカニ、
さびしい天女にも見えるそうです。

モンゴルでは尊敬される犬で、うそをつくと月の犬が吠えるといわれるそうです。

アメリカでは女性の横顔。

ドイツ人の月の見え方。
月の中には砂をまく男が住んでいる
ほかでも月の模様についてオランダ・デンマークでは悪行の報いとして月に閉じ込められた男の姿に見えるそうです。

ヨーロッパでは木につながれたロバ、キャベツ畑の泥棒。
ローマ神話では本を読む人。
オーストリアでは灯をつけたり消したりしている男の人。

そのほかにもたくさんの見え方があります。

インドのウサギ、サル、キツネのお話。
日本もこれと同じでWIKIにもある。

昔ウサギとキツネとサルの三匹がとても仲良く暮らしていました。
ある時三匹は、
自分たちが何故獣の姿をしているのかを、真剣に話し合いました。
 「きっと前世の行いが、悪かったからだろう」
 「それならばこれからは、人の役立つような行いをしよう」と話し合いました。

しばらくして、
三匹の前に、ひとりのみすぼらしい老人がひどくお腹を空かして、
何か食べ物をくれないか?っと言ってきました。

サルは木に登り木の実を集めてきました。
キツネは川へ行き魚を採ってきました。
しかし、ウサギも一生懸命探しましたが、何も採る事ができませんでした。

ウサギはもう一度採りに行ってくるから火を焚いて待っていて欲しいと頼んだ。

特技もないのでやっぱり何も採れずに帰ってきたウサギは、
「私には食べ物を採る力はありません。
ですからどうぞ私を食べて下さい」と言って
燃えさかる炎の中に身を投じてしまいました。

これを見た老人はびっくりしてしまいました。
実は、その老人は帝釈天という神様で、
3匹の行いを試そうとしたのです。
帝釈天は、そんなウサギを哀れみ、黒焦げになった心優しいウサギを抱いて天にのぼり月の宮に祀りました。
月の中にうさぎを甦らせて、皆の手本にしたそうです。

月の黒い模様は、ウサギが喜んではねている姿で、
お餅をついているのはお腹が減らない様に…。
なんだか月の模様から人の心の醜さや優しさが見えてきました。
月を見つめてはいけないともいわれます。
北シベリアのヤクート族の伝説では、水くみの途中でじっと月を見てしまったために連れ去られた二人の兄と妹の姿が見えるそうです。
日本でも「竹取物語」には「月の顔見ることは忌むこと」とあります。
月にはそれだけ不思議な力があるだそうです。

 「月見」は夏の厳しさを超え、秋の訪れを告げる日本で古くから愛された年中行事です。
昔から、月見の時には、団子や里芋を供えて、秋の夜空を愛でます。
なぜ、お供えするのでしょうか?

いくつか諸説があります
、中国の風習が起源であるという二つの説が有力です。

 ひとつは、古代、満月のことを「望月」といっていました
「望」を「モチ」にひっかけて餅を供えるようになったというもの。

もうひとつは、今も中華料理店に行くとお土産で売っている「月餅」を供えるという風習が日本に伝わったというもの。
どちらも「餅」を供えていたのですが、何故「団子」に変わったのか定かではありません。
 ちなみに「うさぎの餅つき」の話も、「望月」が「もちつき」に転じたという説と、中国に伝わる「月兎」という兎の伝説を起源とする2つががあります。

月と兎?・・・どんな関係があるのでしょう???

 インドの古い昔話にこんなものがあります。ジャータカという釈尊前世の物語です。因みに日本で使う「ウサギ」という発音は、インドサンスクリット語で「飛び跳ねる」を起源から来ているといわれています。

最近月をご覧になったことがありますか?
満ちている時も、欠けた時も、そこにはクレータという黒い部分があります。
へこんでいる場所・・・。
輝いている月はわけ隔てなく、全てのものを照らしだしていますが、見えない裏側もあるということ・・・。

 相手が望んていることを、照らしだしていけるように、全力で向き合っていく満ち満ちた思い。
それど同時にクレータも見えない部分も・・・。
受け入れていけるまわるい心を・・・。
持つことが大切であるという表れが、表れているように思います。

 相手にに対して何も出来ないけれど、まわるい心で・・・。
思いが伝わらなかったとしても・・・。まわるい心で、風情を感じるとと共に、そんなことを・・・。

仙石官房長官に聞かせてあげたいことである。

22日のイチロー劇的である。
一試合「4安打。」
これで200安打へはあと3本

爺目も草野球の早朝野球の選手。
背番号「3」
「凄いジャンサードで4番?」
「ウーン、9番ライト」
いつも補欠要員。
連絡してても誰か寝坊する
その時の要員。
ただし、アノ小高い丘のマウンドも務めたことがあります。
もっぱらお茶弁当係。
スコアブックを付けてたので偉大さが解る
イチローの記録一試合4安打は知らない。

22日の一試合「4安打。」の
イチローの紹介記事がある。

シアトルからトロントに移動して、ブルージェイズとのシリーズ初戦。
そこでイチローはいきなり4安打。
先日爺目ブログで祈ってたことが起きた。
“今季初”が、一番欲しいところで出た。

 最初の3本は格の違い。
4打席目は四球。
3安打を打たれていたマーク・ゼプチンスキーは明らかに勝負を嫌っていた。

 イチロー自身は、「分からない。推測でしかない」と話したが、そろそろ疲れもあったのだろう。
1球もストライクを取れなかった。

 結果として、4本目は無理かと思われたが、この日のイチローにはツキもあった。
9回の5打席目は、マット・トゥイアソソポの高く上がったフライを、
ブルージェイズのレフト、ショート、センターがお見合いしなければ、回ってこなかった打席である。

 そうして得た打席でも運が味方。
投手左に転がったボテボテの打球は、メジャーならピッチャーゴロのはずだが、
ケビン・グレッグが緩慢な動きで、これをヒットにした。

 なるほど、このシーンを仮にメジャーの最多安打記録を持つピート・ローズが見ていたなら、
「これがおれの話していたことだ!」
と胸を張ったに違いない。

、先日、ローズは
「イチローは世界で一番ラッキーな選手だ」
などと話した。

 それは、内野安打が多いことを指摘したものだが、ローズの考えでは、内野安打はすべてとは言わないまでも
「偶然の産物」。
つまり、“ラッキーによるもの”ということのよう。

 これにはもちろん、そのコメントが出たときから反発があったが、昨年まで、相手チームでサードを守っていたショーン・フィギンズもローズのコメントを否定的にとらえていた。
そしてイチローの内野安打が多い理由については、「フライを打たないからだよ」と言った。

 フライを打たない → ゴロを転がす → 転がせば野手の間に転がることもある。
緩い打球になることもある。
イチローの足に慌て、悪送球になることもある。
そして内野安打。
 「風が吹けば桶屋がもうかる」という話ほど複雑でないが、フィギンズが言いたいのは、可能性。

 ゴロと比べて、フライがヒットになる可能性など、比べるまでもなく低いということ。
この日のトゥイアソソポの例など、例外中の例外。

<意識的にヒットの可能性を増やす >
 ではいったい、イチローはどれだけ“フライを打たない”のか? 
という点だが、メジャーでは、その打者がゴロを多く打つ打者であるか、フライボールの多い打者であるか示す指標がある。
ゴロの数をフライの数で割った数値を「GB/FB」と簡略化して表す
20日までの時点でイチローは、2.24となり、両リーグ通じて第6位だった。
(米サイト『FANGRAPHS』参照)

 さらに、同サイトのジャック・モア記者によれば、イチローによる左サイドのゴロの数は、フライよりも多いとのことである。

 これは、まぎれもなくイチローがよりヒットになる可能性を、意識的に作り出そうとしていることの一つの証拠といえる。

 メジャー記録となる年間262安打を記録した2004年の数値は、なんと3.55。
イチローの狙いはこの年、さらに徹底していたのかもしれない。

 ちなみに今季のトップはデレック・ジーター(ヤンキース)で、他を大きく引き離し3.53という数字を残している。彼もまた、常に可能性を求めた打撃をしているであろうことが、ここから分かる。

 ローズはあくまでも「ラッキーだ」と言うかもしれない
、この日の4本目のヒットなど、まさに可能性をつなぐ典型的な打球。
 追い込まれた。最後は外の球。
振り切らず、バットに当てて転がす。
そこに可能性を求める。

 “ラッキー”で毎年毎年、年間50本前後の内野安打(※)など打てまい。

 それを嫌う人もいるだろう。
 しかし、セーフかアウトか、イチローが内野ゴロを放つたびに、緊張感が球場を支配する。
その一瞬を楽しみにやってくるファンもいるのである。
それは誰にも否定できない。
 さて、200安打まではあと3本。
テキサスへ持ち越す可能性は、イチローが消した。


※イチローの内野安打数
(米サイト『BASEBALL-REFERENCE.com』参照)
2001年 : 56本
2002年 : 53本
2003年 : 45本
2004年 : 57本
2005年 : 34本
2006年 : 40本
2007年 : 57本
2008年 : 56本
2009年 : 63本
2010年 : 55本(9月22日現在)

「ハッケヨ~~イ」2010年9月6日 に書いた。
もちろん神業で出来ないことを承知でのこと。
それをやってのけるイチロー。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:-aQCMX3OC-AJ:36488.diarynote.jp/%3Fday%3D20100906+site:http://diarynote.jp/+%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%9B%E3%81%8D%E3%82%84%E3%82%93&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
5日 イチロー174本
偉大な大リーグ史上初のレコードの10年連続200安打まで一歩づつ。
一試合一本で丁度200安打。
固め打ち3~4本といかないものか。
日々実にニュースを見るのが辛い。
「達成感はアルが満足感はない」」
早く聞きたいモノだ。


22日のイチロー劇的である。
一試合「4安打。」
これで200安打へはあと3本
イチローは人間ではない。
月光仮面のオジサン・・・
月からきたひとなんだろう。
そうだッ!
月光仮面のオジサンなんだッ!

♪ ♪♪♪ ♪
  注文のカラオケ曲が流れる。
「♪げっこうかめんの♪おじさんわ・・」
   すると途中から
驚きと異様な一瞬の後の・・・爆笑。

年中白き長き下着をズボンの下に付けてる爺目。
  コレが急変。
夜の宴会芸で頭に全身に見事にトイレットペーパーを巻いて
白きマントの布きれ、自然体の下半身。
額は
もちろん三日月なんだがこの日のみは黄色のまんまる。


<大宅壮一筑紫哲也鳥越俊太郎>・・真のジャーナリストたち。
大宅壮一の前の戦前の事。
長野の人・清沢 洌( きよし、1890年(明治23年)2月8日 - 1945年(昭和20年)5月21日)がいた。
では鳥越俊太郎の後は・・
、みの、辛坊、橋本、三宅、古舘、星浩、岩見、岸井、大澤、河上、
頼む、頼むからTV画面から消えてくれ
では鳥越俊太郎の後は・・いないのか?
では鳥越俊太郎の後は・・<朝日・板橋洋佳>である。
検察庁とあまりものグッドタイミングゆえ疑った恥じ入る
唯一の弁解は朝日のココントコの偏向記事があったゆえ。
4年前下野新聞所属の頃から出来すぎで詳細を調べた
定稿は出来たが長くなる
いずれ触れたい。

中国人の友人を持つ日本人・自由主義者の憂鬱(昭和8年)
昭和八年の清沢洌(自由主義者の知識人)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%A2%E6%B4%8C
「こちらからワンといって、先方がただ黙って引込むなら現実主義は一番実益主義だ。
    しかしこちらがワンというと、先方がそのまま引きさがる保証があるかね
           ↓
『非常日本への直言』(山本義彦編『清沢洌評論集』岩波文庫、177~183頁)

序に代えて わが児に与う

お前はまだ何にもわからない。が、お前の今朝の質問がお父さんを驚かした。

この書の校正が出来あがって、序文を書こうとしている朝である。お前は「お父さん、あれは支那人じゃないの?」と、壁にかけてある写真を指して聞いた。「ウン、支那人ですよ」と答えると、「じゃ、あの人と戦争するんですね」というのだ。

「お父さんのお友達ですから戦争するんでなくて、仲よくするんです」

「だって支那人でしょう。あすこの道からタンクを持って来て、このお家を打ってしまいますよ」

お前のいうことを聞いていて、お父さんは思わず憂鬱になったんだ。お前は晩生れの七歳で、まだ学校に行ってはおらぬ。母親か女中かに教わって、片仮名でどうやら苗字だけは書くが、ワとアが混線して、行衛が不明になっている程度だ。不便なところに住んでいる関係で、お友達のないことが気の毒なほどだから、外部からの影響のあるわけはない。

それだのにお前は、いつの間に、そしてどうして支那人は日本人と戦争をする人間であることを知り、そうした恐ろしい人をお友達に持っているお父さんを不思議に思うようになったのだろう。

「どこから支那人は日本人をタンクで打つと教わったの?」と、お父さんが聞くと、お前は得意そうに肱を張って「教わらなくたって知っていらア、ちゃんと雑誌で読むんですもの」と答えたのだった。

なるほど読めた。雑誌社の好意で寄贈してくる少年雑誌などの絵を見て、お前は自然に時代の空気を感受してしまったのであるらしい。

        ×

親父がジャーナリストだから、この子も時代の空気を嗅ぐことは早い、と笑ってしまうのには、お前の疑問はあまりにお父さんの神経を刺激したんだ。

「この空気と教育の中に、真白なお前の頭脳を突き出さねばならんのか」

お父さんは、お前の教育について始めて真剣に考えたよ。それと同時に、思わずバートランド・ラッセルのことを想い出したんだ。かれの教育に関する著書の中に、かれの息子が教育期に達して、その教育問題に直面するようになってから、始めて真剣に教育のことを考え、その思索の結果がその著だという意味のことを書いてあった。そしてその後、かれは夫人と共に少年のための学校を経営するようになったはずだ。

ラッセルとお前のお父さんに、天分の相違がどれだけあったところが、子供に対する責任を感ずる点において相違があるものじゃない。お父さんも、今朝、今更ながら人間を偏えに敵と味方に分ける現代の教育に、お前を托さねばならぬことにいい知れぬ不安を覚えたのだ。壁にかかっている写真は、みんなお父さんの先輩や友達なんだ。比較的に世界を旅行したから、欧洲の人の写真もあれば、アメリカ人の写真もあり、またお前が見つけ出したように、支那人の写真もある。しかしこれは皆なお父さんのお友達なんだよ。お父さんのお友達が、たまたま支那人であったり、アメリカ人であるが故に、お前の家をタンクで撃つということがあるもんですか。

      ×

お前はまだ子供だから分からないけれども、お前が大きくなっても、一つのお願いは人種が異ったり、国家が違うからといって、それで善悪可否の絶対標準を決めないようにしてくれ。お前のお父さんはアメリカに行っておった時に、人種の相違で虐められたこともあった。その時には

「なに、こいつらが……」

と燃えるような憤怒を感じたものだが、しかし年齢をとって静かに考えるようになってからは、地球の上から、一人でもそういう狭い考えを持つものが少なくなることを念ずるようになったんだ。

前にもいったようにお前のお父さんは、世界を旅しない方ではない。それから感じたことは、文明というものは国を縦にした国境で決るものであるよりは、世界を横にした文化層で決るということだった。つまり一国の智識階級は、その国内の不智識階級よりも、むしろ外国の同じ層と、かえってよく手が握られ、世界文化の発達のためにつくせる場合がある。世界を縦に区切ることは、決して悪いことじゃない。けれども、これから広い世界に育たねばならぬお前に対して、お父さんは囚えられぬ心構えを望むんだ。

        ×

お前はお父さんが理想主義だと笑うかも知れない。しかしお前が、ものを考える時代になったら、その笑われた理想主義が果して遠道であったかどうかを見てくれ。

こちらからワンといって、先方がただ黙って引込むなら現実主義は一番実益主義だ。しかしこちらがワンというと、先方がそのまま引きさがる保証があるかね。こちらが関税の保障を高くして、先方だけに負わせる仕組が出来れば結構だが、先方も自己防衛から円の下落と、こちらの関税に対抗しないという保証がどこかにあるかネ。先方も困るということは、こちらが困らないということではないよ。近頃の日本のインフレ経済学者の中にも、時代の影響を受けて、こうした一本道の人が多いのは喜ぶべきことだろうか。

お前を対手にして、こんな小難しい理屈でもあるまいが、永遠から永遠に生きねばならぬわれらの国家にとって、いうところの理想主義者は結果において現実主義者であることをいおうがためなのだ。お前がこの文章が分る頃になったら、昭和七、八年の頃のことを歴史的立場から顧みてくれ。

        ×

お前が大きくなって、どういう思想を持とうとも、お前のお父さんは決して干渉もせねば、悔いもせぬ。赤でも白でも、それは全然お前の智的傾向の行くままだ。

しかしお前にただ一つの希望がある。それはお前が対手の立場に対して寛大であろうことだ。そして一つの学理なり、思想なりを入れる場合に、決して頭から断定してしまわない心構えを持つことだ。

お前のお父さんは、一部から非愛国者のようにいわれたことがある。しかし一家に育ったお前として、これほど滑稽な批難はないことが大きくなったら分るはずだ。「九千万という多い国民の中で、自分だけが国家の前途を憂えなければならぬような義務を誰に負わされたか」お前のお父さんは、時々、こんな自問を胸に画いて自嘲したい気持になるほど、真剣にこの国の前途を憂えているんだ。

お前もこの国に生れた以上は、国家を愛するに決っている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ。お前のお父さんも、全然反対な立場に立つ人に対しても、真剣でさえあれば、常に敬意を払って来たんだ。

        ×

お前はお前だ、お父さんはお父さんだ。お前を教育するのに、お父さんの型に入れようというような気持は微塵もない。お前はお前のもっているものを、煩わされることなく発揮すればそれでいい。

お前は一生の事業として真理と道理の味方になってくれ。道理と感情が衝突した場合には、躊躇なく道理につくことの気持を養ってくれ。これは個人の場合にもそうだし、国家の場合でもそうだ。日本が国を立って以来道理の国として、立って来ている以上は、道理に服することが日本に忠実でないというようなことがあるものか。

西洋の誰かは「私は自分が生れた時より、自分の死ぬ時の方が、少し世の中をよくしたと信ずることが願いだ」といった。お前は世の中を救うの何のという夢のような考えを持たないでいい。一生道理のあるところに従った ― そういう確信を持ったようになれば、それでお前のお父さんの願いはたりるのだ。

ただ始めに書いたように現代の教育にお前を托するには、お父さんには相当に不安がある。それが少し心配だが、しかしさらばとてラッセルを真似て学校をたてるだけの甲斐性はあるまい。この現在の空気の下で、出来るだけお前を、道理を把持して動かない人間に導いて行くの外はない。

折も折、今朝の食卓でお前の頑是ない質問があったばかりに、お前に与える手紙がこの著の序文の代りになった。これも何かの想出になろう。
昭和八年三月十四日


日本のトップはニューヨークにいる。
中国トップ温家宝もニューヨークにいる。

相手が悪い
相手に悪い

法治国家
  と
政治国家

ちゃんと何故
   話をしない。

「プレッシャーを楽しみたい」
トロントの23日8時、残り試合「12」

ニューヨークにも満月の月は出ている。

○1846年海王星発見リベリエの予測でガレ発見
○1943年男子就労禁制。理髪ナゾの職種17の禁止。
  25才未満女子勤労隊結成就労
○1954年ビキニ環礁福竜丸船長・久保山愛吉死す。
○1964年(昭和39)王貞治55本ホームラン

九州地区ブログランキング参加!
よろしくお願いいたします。        
        ↓ ↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?62076
         ↑ ↑ ↑

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索