今日の誕生日の花は・・・・ダンギク
花ことばは・・・・忘れ得ぬ思い
幼き頃の農家の夜半の土間は大作業。
翌日ナリいずれかの準備ナリで多忙であった。
電気もったいないゆえ囲炉裏ナリかまどなりで明かりを採る。
作業といえば毎夜いろいろ。
藁を叩いての稲刈り時の稲手つくり、ゴム製品無いゆえの藁製品合羽、たばこ収納の枕作りなり実に多忙。
お風呂はそれから。
多くの兄たちは寝入っている。
眠れなく薄目あけて作業を見ている。
「寝らんと明日、よー起けんどー」
ムニャムニャ~~
しっかり抱きついて寝入っていた・・・
あはれ子の 夜寒の床の 引けば寄る
お隣の国では、反日デモが反政府デモに成りつつあり監視が厳しいらしい。
それでもデモは計画されている。
まぁ~あるいみ自由であることの裏返し。
この国よりある意味限定的に言うなら政治的自由がある。
中国では4億人のネット利用者らしい。。
300マンものサイト。
デモ参加呼びかけを削除しているという。
凄いモンだ
この国でも何ら変わらない。
10月1日からブログは公式に監視されている。
何が生じてるか。
ブログの機能アクセキ解析で9月は457~838。
大雑把、日ごと500チョイのアクセスカウンターが動いてた。
それが・・・・
10月1日急に262になり300台を推移、ようやく400アクセス。
その因を追求してたが不明。
ようやくご教示いただけるブログがでてきた。
このページにアクセスすることはできません
ウイルスバスター2009によりWebサイトをブロックしました
有害サイト規制により、アダルト/成人向けのカテゴリのWebサイトはブロックされています。
だって社外取締役の人、元オリックスだしw
http://www.netstar-inc.com/company/data.html
なるほど。
ほかに強制削除がアチコチで見られる。
爺目ブログでもそー
政治家の死に至る不思議な運命。
清和会と宏池会を集約例示してのトップの政治的粛正。
清和会無傷で宏池会のみ抹殺
それが・・・
すべて強制的に削除されている。
10月になりあち事でブログ閉鎖が目立つ。
お世話になってきたゲンダイ的日記もその一つ。
タダ不思議ではあった。
上京の折の楽しみ。
フジとゲンダイが午後に入手できること。
午後2時頃には宮崎での二日早い記事が読める。
ところでゲンダイ的日記に疑問があった。
どうして本誌とおなじ記事が即日ブログにあるのか。
閉鎖後に疑問に答えれておられる。
さすがブロガー魂と改めて敬服。
この気概にはうたれる。
商業的利用アフリエイトとかいって悪口を言うは簡単。
偉い根性である。
魂を引き継ぎたい。
夜はテレビ三昧。
「龍馬伝」は封建社会から一躍西欧主義への革命の平和的道筋の
「船中八策。」
①大政奉還
②上下院の議会開催
③有材の人物登用
④治外法権撤廃
⑤憲法発布
⑥海軍拡張
⑦近衛師団設置
⑧関税自主権の確立
薩摩土佐が協力して武力で徳川打倒を唱える中岡慎太郎に言う
「八策①~⑧にいろんな人の教えを順次ココに込めた。」
木戸、横井小楠、吉田東洋、高杉晋作、武市半平太、勝海舟、久坂玄瑞、小田ショウリョウ・・
平和的に大政奉還がいい。
24日午後11:45~25日午前0:30(45分)
蒼穹の昴(5)「宮廷へ」
清朝末期の西太后を描いた浅田次郎原作の日中共同制作
富貴寺の人々の大きな期待を背に、春児=チュンルは、いよいよ宮廷に入ることになる。
そこには宦官の教育係がおり、新人宦官たちに、宮廷の作法を厳しく教え込む。
言われたとおりにできないと容赦なくムチが飛ぶ
春児は、これまでの訓練のおかげで、非の打ちどころがない。
教育係は、何とかボロを出させようと配置換えをするが、春児の評価は高まるばかり。
教育係が“最後の手段”として取った策は劇団への配属。
観劇メニュー一覧の最後は練習を積んでない演目。
それをあえて西太后は希望する。
剣舞使いが上手く出来ない劇団員。
手首を曲げれば剣がが落ちないと指導すると代役で一躍舞台に。
ついに西太后の前で京舞牡丹亭を披瀝する。
師匠クロボタンを経ての春児の舞台ゆえ
鑑賞眼たくましき西太后が言う。
「くろぼたんをみるおもいじゃのー」
第5回は終了した。
ところでわが歌舞伎界の梨園の花
玉三郎の活躍が以前ほど聞こえないのではないのか。
歌舞伎で女形と言ったらなってぁ~たって「板東玉三郎」、
その歌舞伎とも、また京劇とも違う「中国百戯の母」と言われる昆劇。
06年より現地入り・世界三大劇「昆劇」に挑戦
その代表作「牡丹亭」を舞台で披露
真髄である仕草や足の運びをさらに発音までマスター自分のものとトして新たに芸域とした。
玉三郎の好みの熊本八千代座に蘇ろう。
テレビの瞬間の芸。
本当に花の精でも入っているかのように、
優雅で綺麗。
かって将棋界の雄・大山名人は将棋界のルーツを求め中国を手始めに
世界を飛び回った。
玉三郎のこの4年がそうであった。
日本から演劇のルーツをたどると、中国へ。
中国で今まで男性が演じてきた「京劇」へ。
中国の「百戯の母」と言われる「昆劇」へたどり着いた
それはある意味歌舞伎のルーツの旅の局地までたどり着いたこと。
公演で描かれたドキュメンタリーのテレビ放映
玉三郎の、中国南京大学での講演、
その時に「~さらば我が愛~覇王別記」の映画を
玉三郎が観賞、レスリー・チャンとの交流があった。
蒼穹の昴の再放送が決まる。
26日~29日
いずれも4:05分から
「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」
24日午後10:00~11:30NHK教育
オスカー・シンドラー(1908年4月28日 - 1974年10月9日)はチェコに実在したドイツ人の実業家
有名なホロコーストの「義人」。
第二次世界大戦下にナチス・ドイツから迫害を受けていたユダヤ人、1,100人以上を救った人物。
日本人版で言うところの杉原千畝 であり、
満州で実行したユダヤ人保護の河豚計画実行者の樋口季一郎さらに安江仙弘大佐や河村愛三少佐である。
収容所に収容されていたユダヤ人を、自分の経営するモラヴィアのブリュンリッツ/ブルニェネツの軍需工場
で働かせたことから始まり、最終的にはその工場で労働をしていたものをすべてホロコーストから救った。
ブルニェネツはスヴィタヴィの郊外にある。
1974年、ドイツのヒルデスハイムで死去。
オスカー・シンドラーの墓 はエルサレムにある。
スティーブン・スピルバーグはトーマス・キニーリーの小説をもとに『Schindler’s List(邦題:シンドラーのリスト)』
という題の映画化。
ユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラー。新資料をもとにユダヤ人救出劇の知られざる舞台裏、
そして虐殺の記憶と向き合い乗り越えようとする人々の絆
ユダヤ人を救ったことで知られる実業家、オスカー・シンドラーが残したトランクが見つかった。
中には、戦争中の書類、戦後シンドラーが救ったユダヤ人と交わした手紙や写真が詰まっていた。
発見された資料や新証言をもとに、シンドラーのユダヤ人救出劇の知られざる舞台裏と、
戦後のシンドラーとユダヤ人たちの交流。
激動の人生の軌跡、今も消えない戦争と虐殺の記憶、そしてそれを越えようとする、人々のきずな。
国難にあるこの国。
宗主国の命令の下
日中戦争ををけしかける前原誠司。
今この国にいちばんかけてること。
中国を笑える国であるのか。
少しでも国家を
未来のためによくしたい。
歴史の流れからは困難であろうとも必然であるハズ。
24日政治の現状に危機感を持つ有志は
権力とマスコミの横暴に抵抗する国民の会として
おおよそ1000人集合してデモを実行したようである
デモ動画(to_be_realさんより)
http://twitcasting.tv/to_be_real/movie/630587
井出よ!
このような小さきとも,義人ッ!
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花ことばは・・・・忘れ得ぬ思い
幼き頃の農家の夜半の土間は大作業。
翌日ナリいずれかの準備ナリで多忙であった。
電気もったいないゆえ囲炉裏ナリかまどなりで明かりを採る。
作業といえば毎夜いろいろ。
藁を叩いての稲刈り時の稲手つくり、ゴム製品無いゆえの藁製品合羽、たばこ収納の枕作りなり実に多忙。
お風呂はそれから。
多くの兄たちは寝入っている。
眠れなく薄目あけて作業を見ている。
「寝らんと明日、よー起けんどー」
ムニャムニャ~~
しっかり抱きついて寝入っていた・・・
あはれ子の 夜寒の床の 引けば寄る
お隣の国では、反日デモが反政府デモに成りつつあり監視が厳しいらしい。
それでもデモは計画されている。
まぁ~あるいみ自由であることの裏返し。
この国よりある意味限定的に言うなら政治的自由がある。
中国では4億人のネット利用者らしい。。
300マンものサイト。
デモ参加呼びかけを削除しているという。
凄いモンだ
この国でも何ら変わらない。
10月1日からブログは公式に監視されている。
何が生じてるか。
ブログの機能アクセキ解析で9月は457~838。
大雑把、日ごと500チョイのアクセスカウンターが動いてた。
それが・・・・
10月1日急に262になり300台を推移、ようやく400アクセス。
その因を追求してたが不明。
ようやくご教示いただけるブログがでてきた。
このページにアクセスすることはできません
ウイルスバスター2009によりWebサイトをブロックしました
有害サイト規制により、アダルト/成人向けのカテゴリのWebサイトはブロックされています。
だって社外取締役の人、元オリックスだしw
http://www.netstar-inc.com/company/data.html
私はトレンドマクロの役員級の人が、アメリカの入国検査で、長時間足止めくらっている現場をみてから、
トレンドマクロは怪しいさが確定して不買はもちろんのこと避けております。
ちょうど2004年6月ころですね。
その人物の名前の資料がどこかにあるはずですが、さがしてみようかな。。
マイクロソフト関連の催しでマイクロソフト本社へ視察旅行に行った時のことです。
他は、すんなりゲートパスするけど、その人物だけ念入りチェック。
名刺には日本名がかかれていだが、通名だったのかな。態度も格下にはひとを小馬鹿にする横柄なところがあったので、いや人物であったのをはっきり覚えてます.
なるほど。
ほかに強制削除がアチコチで見られる。
爺目ブログでもそー
政治家の死に至る不思議な運命。
清和会と宏池会を集約例示してのトップの政治的粛正。
清和会無傷で宏池会のみ抹殺
それが・・・
すべて強制的に削除されている。
10月になりあち事でブログ閉鎖が目立つ。
お世話になってきたゲンダイ的日記もその一つ。
タダ不思議ではあった。
上京の折の楽しみ。
フジとゲンダイが午後に入手できること。
午後2時頃には宮崎での二日早い記事が読める。
ところでゲンダイ的日記に疑問があった。
どうして本誌とおなじ記事が即日ブログにあるのか。
閉鎖後に疑問に答えれておられる。
さすがブロガー魂と改めて敬服。
この気概にはうたれる。
要は「ベタ打ち」です。
ゲンダイ記事をそのまま、ワードで打って、貼り付けをしていました。
「よくそんなことをしていたものだ」とお笑いください。
ただ、私は入力が早いわけではありませんが、慣れてくると一面トップの長文でも、30分強くらいで打っていました。
それには、やたらと単語登録をしていました。
例えば、「お」を変換すると「小沢一郎」や「小沢幹事長」、
「せんごく」を変換すると「仙谷官房長官」、
「じ」を変換すると「自民党」や「ジャーナリスト」、その他、評論家や教授の名前など、ゲンダイ記事で頻繁に出てくる単語や語句のほとんどを一文字か二文字で登録していました。
入力ミス、変換ミスも減ります。
しかし、やはり、そのやり方でも1日に一つか2つの記事作成が限度でした。
誰かに手伝ってもらうことができるのであれば、もっと多くの記事を紹介できたのですが…、それじゃあ、ね(笑)
※ただし、すべての記事が電子化されていたときがありましたが、今はなくなりました。
PDFを文字化する方法やソフト―、あるの?。
あるサイトでも、「どこで(記事を)拾っているのか?」と書いていましたが、そういうことです。
それより大変だったのは、わずか2、3行のピンク色のコメントです。
「今日は何て書こう?」―と、悩む時間のほうが長かったです(笑)
と、まあ、大したことではありませんが、報告まで。
商業的利用アフリエイトとかいって悪口を言うは簡単。
偉い根性である。
魂を引き継ぎたい。
夜はテレビ三昧。
「龍馬伝」は封建社会から一躍西欧主義への革命の平和的道筋の
「船中八策。」
①大政奉還
②上下院の議会開催
③有材の人物登用
④治外法権撤廃
⑤憲法発布
⑥海軍拡張
⑦近衛師団設置
⑧関税自主権の確立
薩摩土佐が協力して武力で徳川打倒を唱える中岡慎太郎に言う
「八策①~⑧にいろんな人の教えを順次ココに込めた。」
木戸、横井小楠、吉田東洋、高杉晋作、武市半平太、勝海舟、久坂玄瑞、小田ショウリョウ・・
平和的に大政奉還がいい。
24日午後11:45~25日午前0:30(45分)
蒼穹の昴(5)「宮廷へ」
清朝末期の西太后を描いた浅田次郎原作の日中共同制作
富貴寺の人々の大きな期待を背に、春児=チュンルは、いよいよ宮廷に入ることになる。
そこには宦官の教育係がおり、新人宦官たちに、宮廷の作法を厳しく教え込む。
言われたとおりにできないと容赦なくムチが飛ぶ
春児は、これまでの訓練のおかげで、非の打ちどころがない。
教育係は、何とかボロを出させようと配置換えをするが、春児の評価は高まるばかり。
教育係が“最後の手段”として取った策は劇団への配属。
観劇メニュー一覧の最後は練習を積んでない演目。
それをあえて西太后は希望する。
剣舞使いが上手く出来ない劇団員。
手首を曲げれば剣がが落ちないと指導すると代役で一躍舞台に。
ついに西太后の前で京舞牡丹亭を披瀝する。
師匠クロボタンを経ての春児の舞台ゆえ
鑑賞眼たくましき西太后が言う。
「くろぼたんをみるおもいじゃのー」
第5回は終了した。
ところでわが歌舞伎界の梨園の花
玉三郎の活躍が以前ほど聞こえないのではないのか。
歌舞伎で女形と言ったらなってぁ~たって「板東玉三郎」、
その歌舞伎とも、また京劇とも違う「中国百戯の母」と言われる昆劇。
06年より現地入り・世界三大劇「昆劇」に挑戦
その代表作「牡丹亭」を舞台で披露
真髄である仕草や足の運びをさらに発音までマスター自分のものとトして新たに芸域とした。
玉三郎の好みの熊本八千代座に蘇ろう。
テレビの瞬間の芸。
本当に花の精でも入っているかのように、
優雅で綺麗。
かって将棋界の雄・大山名人は将棋界のルーツを求め中国を手始めに
世界を飛び回った。
玉三郎のこの4年がそうであった。
日本から演劇のルーツをたどると、中国へ。
中国で今まで男性が演じてきた「京劇」へ。
中国の「百戯の母」と言われる「昆劇」へたどり着いた
それはある意味歌舞伎のルーツの旅の局地までたどり着いたこと。
公演で描かれたドキュメンタリーのテレビ放映
玉三郎の、中国南京大学での講演、
その時に「~さらば我が愛~覇王別記」の映画を
玉三郎が観賞、レスリー・チャンとの交流があった。
蒼穹の昴の再放送が決まる。
26日~29日
いずれも4:05分から
「シンドラーとユダヤ人~ホロコーストの時代とその後~」
24日午後10:00~11:30NHK教育
オスカー・シンドラー(1908年4月28日 - 1974年10月9日)はチェコに実在したドイツ人の実業家
有名なホロコーストの「義人」。
第二次世界大戦下にナチス・ドイツから迫害を受けていたユダヤ人、1,100人以上を救った人物。
日本人版で言うところの杉原千畝 であり、
満州で実行したユダヤ人保護の河豚計画実行者の樋口季一郎さらに安江仙弘大佐や河村愛三少佐である。
収容所に収容されていたユダヤ人を、自分の経営するモラヴィアのブリュンリッツ/ブルニェネツの軍需工場
で働かせたことから始まり、最終的にはその工場で労働をしていたものをすべてホロコーストから救った。
ブルニェネツはスヴィタヴィの郊外にある。
1974年、ドイツのヒルデスハイムで死去。
オスカー・シンドラーの墓 はエルサレムにある。
スティーブン・スピルバーグはトーマス・キニーリーの小説をもとに『Schindler’s List(邦題:シンドラーのリスト)』
という題の映画化。
ユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラー。新資料をもとにユダヤ人救出劇の知られざる舞台裏、
そして虐殺の記憶と向き合い乗り越えようとする人々の絆
ユダヤ人を救ったことで知られる実業家、オスカー・シンドラーが残したトランクが見つかった。
中には、戦争中の書類、戦後シンドラーが救ったユダヤ人と交わした手紙や写真が詰まっていた。
発見された資料や新証言をもとに、シンドラーのユダヤ人救出劇の知られざる舞台裏と、
戦後のシンドラーとユダヤ人たちの交流。
激動の人生の軌跡、今も消えない戦争と虐殺の記憶、そしてそれを越えようとする、人々のきずな。
国難にあるこの国。
宗主国の命令の下
日中戦争ををけしかける前原誠司。
今この国にいちばんかけてること。
中国を笑える国であるのか。
少しでも国家を
未来のためによくしたい。
歴史の流れからは困難であろうとも必然であるハズ。
24日政治の現状に危機感を持つ有志は
権力とマスコミの横暴に抵抗する国民の会として
おおよそ1000人集合してデモを実行したようである
デモ動画(to_be_realさんより)
http://twitcasting.tv/to_be_real/movie/630587
井出よ!
このような小さきとも,義人ッ!
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