夢幻の如き・・おひなさまの日
2011年3月3日 お仕事いつのことだったかブログで
一人3月3日のお雛さまを祝ったー。
一人娘に捧げたつもりでー。
旧姓黒田アナ=渡部アナの津田梅子の検索がアル。
2日放送のヒストリアを観てたがブログアップはしていないのに.
なにかに期待され、また、みすかされて・・そうー
お雛様の前祝の番組であったのかー。.
ひな祭りの日は荒んだ気持が優しくなれる不思議さを兼ね備えてる日。
それも日本人なればこその宗教的秘められた雛壇があるからだろうか。
思えば雛祭りとは不思議な風習である。
上座に鎮座するあの2人はいったい誰なのか。
3月の節句は平安朝以前に中国から渡来したが、人形を飾るのは日本だけ。
古来の厄払いや遊び文化と融合し、七段飾りなど華やかな様式美を育んだのは江戸300年の太平があったればこそ。
男女一対の雛は天皇家とは直接の関係はない。
少子化で次女、三女の三姉妹が消えても雛人形は「長女の市場」ゆえ将来も明るいらしい。
良かった浅草界隈の江戸情緒を楽しんでる者は上京の喜びが残れそうである。
「ことごとしき人形」とは、おおげさな人形の事。
「源氏物語」の須磨の巻で光源氏が3月巳(み)の日の祓えに舟にのせて海へ流した人形と教えてくれる
政治偏向報道著しき今日にその点にのみ新聞は実にありがたい。
人の罪やけがれを人形にうつして川や海に流す風習は、ひな祭りの起源という
紙を人の形に切り抜き、体をなでた後に流すといった風習は、もっと後の時代ー。
光源氏の身代わりは、かなり大きい人形のようだ。
平安時代には天皇の災いを負わせた人形を7カ所の水辺から流す「七瀬の祓え」もあった
、紫式部の発想はそれがヒントだったやもしれない。
罪やけがれも人形に託して水に流せば、はるかかなたの異界へと消え去ってゆく
日本人の古くからの感覚だったようだ。
日南飫肥は小京都、その小村寿太郎生家は
「さげもん」を含めた雛壇が展示されている。
「さげもん」は福岡柳川地方にもあるそうだが来年の課題としようーとしてるがなかなか実現してない。
金魚やモモハトウサギなどの細工50個ぐらいを雛壇の前に長さ1.3Mで下げられる
15本もあり豪華の上に豪華さが増す。
宮崎・綾町はナンテェタッテ!雛山。これは必見!
盆栽風にコケや流れ木を配して、苔むした岩石、水を流して奥山の風景を醸し出してる中に雛壇がある。
屋内にこれほどして大丈夫?とビックリする。
期間中どこに寝るの?
全国唯一の造園科を持つ大学生さえ協力して作ってるので芸術の域。
まちまちの家々がそうなんだが18ヶ所は豪華すぎる
もっとアピ−ルすべきで県内でさえ知らない人がいる。
新聞では奈良県五條市や、鳥取市の用瀬町(もちがせちょう)などが紹介されている。、
月遅れや旧暦で行うところもふくめ、流しびなは今も各地に残っている
「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」。
TBSラジオの長寿番組「全国こども電話相談室」
いじらしいほどの素直さ。
解答者・無着成恭
「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」
同じ解答者だった谷中霊園に眠る映画評論家の荻昌弘
「勇敢な、非常に正鵠を得た断定」
政治をもてあそんでる平和ボケの世界は暢気で良い。
フランス料理の世界でも、男性優位は同じらしい。
星の数でレストランを評価することで知られるガイドブック「ミシュラン」
40年ぶりに女性シェフが最高位の3つ星を獲得し、話題を呼んでるそうだ。
先週発表された最新版で、
フランス国内に10万軒以上あるレストランから、南仏バランスにある「ピケの家」が、わずか26店のひとつに選ばれた。
シェフを務めるアンヌソフィ・ピケさんは祖父、父がともに3つ星シェフだった。
父の死後格下げになったが、失った3つ星を実力で取り戻し、史上4人目の女性3つ星シェフとなった。
いずれにせよ女のお祭りゆえの祓い清めの日でもある。
オ−・ヘンリ−はアメリカの作家。
義務教育の国語の時間「最後の一葉」を教わった。
日本人の感情さえ理解した内容の短編小説のオ−・ヘンリ−の作品群は人間の普遍性の共通性を感ずる。
もともとグロ−バル経済とか市場原理主義などの人間社会破壊の経済論はアングロサクソンにはなく
助け合いに満ちた開拓魂が横たわっていたのでホット思い出している。
所詮、金に目のくらんだシカゴ学派・フリ−ドマンの倫理無き守銭奴の戯言に過ぎない一過性のもの。
ただ、世界経済を覆い尽くしているので人類社会システムが壊れないうちに全世界的な相対的政治主導が発動されねば
南北経済格差、先進国の格差社会も教育破壊も留まる事を知らないであろう。
人間のうえに立ってしまった拝金主義の悪霊を払い清めるときである
悲しきカナこの民族の文化の土台たる絶対正義のクリスチャンには懺悔以外に無いので祓い清めは日本の役割である。
旧約聖書の「バベルの塔」のお話がピッタリなのか。
かつて人間は同じ言葉を話していた。
天に届く塔を建てようとするのを見た人間の傲慢に怒った神は、互いの言葉を通じなくさせて世界各地に散らばらせた−−バベルの塔の物語だ。
かって日本人菊地凛子が映画「バベル」でオスカ−を逃がしたから言うのではない。
「人間はどんな国に住んでいても同じだ。
人を幸せにするものは違うが、惨めにするものは同じ。
痛みこそが人間を似通わせ、お互いつながろうとする理由となる」。
「バベル」のA・G・イニャリトゥ監督の言葉
日本人ならこうだ。
「ひきがへる バベルバブルと 鳴き合へり」
沢木欣一の俳人としての句
哲学者の様相さえ感じるさすがに殿様カエル。
映画は異邦人たる人々が世界同時に一つに向き合うので文化交流に丁度良い。
『バベットの晩餐会』は1987年製作の デンマークの映画
監督:スティーヴ・オーデカークは「親指タイタニック 」「親指ウォーズ 」なども撮っている。
"O・ヘンリーを髣髴させる映画だ。
デンマークの小さな漁村に住む伝道師老姉妹のもとに、パリから来たバベットがメイドとして住み込んだ。
趣味で買い続けていたフランスの宝くじを当てた彼女は村人たちに得意の腕をふるう。
フルコ−スの豪華なフランス料理をご馳走する。
実は、このバベット、パリの五つ星レストランの元シェフ
生まれて初めて食べる本格的なフランス料理
、食事をするうちに自然と心が満たされ幸福感で一杯になってしまう村人。
宴の後、その姉妹がバベットに言う。
「もうお金がたくさんできたんだから、こんなお手伝いなんか止めてあなたはフランスに帰ってしまうんでしょう?」。
そう聞かれたバベットが答える。
「いえ、私は全財産を今夜一晩の料理に使い果たしてしまったので、また元の無一文です」。
それを聞いた姉妹が改めてバベットに聞く。
「そんなことをして、何でまた貧乏になってしまったの?」。
それに対してバベットがきっぱりと答える。
「世の中に、貧しい芸術家はいませんから」。
使えばなくなってしまうお金とは違って人に喜びを、幸せを与えることができるんだから、けっして貧しくはない」
どんなものでも、本当に感動を人に与えることができる人こそが本当の意味での芸術家。
「宵越しの銭は持たねぇ~」
の江戸っ子の生き様に共通する粋。
雛祭りのうたにも感ずるところがある。
山野三郎はサトハチロ−のこと
昭和11年の作品、あの2・26のあった年にこんな曲が変名で作る凄さ。
12年発表の「もしも月給があがったら」
作詞 山野 三郎 でせきやんの持ち歌。
「イヨマンテの夜」で復活する林 伊佐緒と新橋みどり
のこの時期珍しきヂュット曲
せきやんは裏声を使い一人でこなす。
河村光陽は福岡県田川郡赤池町の人
童謡の町として町おこし
平成筑豊鉄道の伊田線田川駅
この鉄路の先に仕事で関ったが自分自身が忘れてしまっている。
娘をさがしてることとおなじなんであろうや。
安寿、恋しや〜ホ〜ヤレホ〜♪
人を恨んでいては見えるものも見えなくなる。
自戒と自省ー
とかく女とは不思議な生き物である。
山野三郎 作詞
河村光陽 作曲
昭和11年(1936)
1.あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
2.お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔
3.金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
4.着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
テ−プレコ−ダ−の音量いっぱい
一日中流したあの頃はナンであったんであろう。
夢幻の如き・・おひなさま
老いてこそ なお懐かしき 雛飾り
九州地区ネットランキング参加!
マウス・クリック!よろしく
お願いいたします。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?1135184
↑ ↑
一人3月3日のお雛さまを祝ったー。
一人娘に捧げたつもりでー。
旧姓黒田アナ=渡部アナの津田梅子の検索がアル。
2日放送のヒストリアを観てたがブログアップはしていないのに.
なにかに期待され、また、みすかされて・・そうー
お雛様の前祝の番組であったのかー。.
ひな祭りの日は荒んだ気持が優しくなれる不思議さを兼ね備えてる日。
それも日本人なればこその宗教的秘められた雛壇があるからだろうか。
思えば雛祭りとは不思議な風習である。
上座に鎮座するあの2人はいったい誰なのか。
3月の節句は平安朝以前に中国から渡来したが、人形を飾るのは日本だけ。
古来の厄払いや遊び文化と融合し、七段飾りなど華やかな様式美を育んだのは江戸300年の太平があったればこそ。
男女一対の雛は天皇家とは直接の関係はない。
少子化で次女、三女の三姉妹が消えても雛人形は「長女の市場」ゆえ将来も明るいらしい。
良かった浅草界隈の江戸情緒を楽しんでる者は上京の喜びが残れそうである。
「ことごとしき人形」とは、おおげさな人形の事。
「源氏物語」の須磨の巻で光源氏が3月巳(み)の日の祓えに舟にのせて海へ流した人形と教えてくれる
政治偏向報道著しき今日にその点にのみ新聞は実にありがたい。
人の罪やけがれを人形にうつして川や海に流す風習は、ひな祭りの起源という
紙を人の形に切り抜き、体をなでた後に流すといった風習は、もっと後の時代ー。
光源氏の身代わりは、かなり大きい人形のようだ。
平安時代には天皇の災いを負わせた人形を7カ所の水辺から流す「七瀬の祓え」もあった
、紫式部の発想はそれがヒントだったやもしれない。
罪やけがれも人形に託して水に流せば、はるかかなたの異界へと消え去ってゆく
日本人の古くからの感覚だったようだ。
日南飫肥は小京都、その小村寿太郎生家は
「さげもん」を含めた雛壇が展示されている。
「さげもん」は福岡柳川地方にもあるそうだが来年の課題としようーとしてるがなかなか実現してない。
金魚やモモハトウサギなどの細工50個ぐらいを雛壇の前に長さ1.3Mで下げられる
15本もあり豪華の上に豪華さが増す。
宮崎・綾町はナンテェタッテ!雛山。これは必見!
盆栽風にコケや流れ木を配して、苔むした岩石、水を流して奥山の風景を醸し出してる中に雛壇がある。
屋内にこれほどして大丈夫?とビックリする。
期間中どこに寝るの?
全国唯一の造園科を持つ大学生さえ協力して作ってるので芸術の域。
まちまちの家々がそうなんだが18ヶ所は豪華すぎる
もっとアピ−ルすべきで県内でさえ知らない人がいる。
新聞では奈良県五條市や、鳥取市の用瀬町(もちがせちょう)などが紹介されている。、
月遅れや旧暦で行うところもふくめ、流しびなは今も各地に残っている
「なぜ、女のひとはおすしが握れないのですか」。
TBSラジオの長寿番組「全国こども電話相談室」
いじらしいほどの素直さ。
解答者・無着成恭
「それは、にィ。女の握ったすすなんか、ウマくないからだよ」
同じ解答者だった谷中霊園に眠る映画評論家の荻昌弘
「勇敢な、非常に正鵠を得た断定」
政治をもてあそんでる平和ボケの世界は暢気で良い。
フランス料理の世界でも、男性優位は同じらしい。
星の数でレストランを評価することで知られるガイドブック「ミシュラン」
40年ぶりに女性シェフが最高位の3つ星を獲得し、話題を呼んでるそうだ。
先週発表された最新版で、
フランス国内に10万軒以上あるレストランから、南仏バランスにある「ピケの家」が、わずか26店のひとつに選ばれた。
シェフを務めるアンヌソフィ・ピケさんは祖父、父がともに3つ星シェフだった。
父の死後格下げになったが、失った3つ星を実力で取り戻し、史上4人目の女性3つ星シェフとなった。
いずれにせよ女のお祭りゆえの祓い清めの日でもある。
オ−・ヘンリ−はアメリカの作家。
義務教育の国語の時間「最後の一葉」を教わった。
日本人の感情さえ理解した内容の短編小説のオ−・ヘンリ−の作品群は人間の普遍性の共通性を感ずる。
もともとグロ−バル経済とか市場原理主義などの人間社会破壊の経済論はアングロサクソンにはなく
助け合いに満ちた開拓魂が横たわっていたのでホット思い出している。
所詮、金に目のくらんだシカゴ学派・フリ−ドマンの倫理無き守銭奴の戯言に過ぎない一過性のもの。
ただ、世界経済を覆い尽くしているので人類社会システムが壊れないうちに全世界的な相対的政治主導が発動されねば
南北経済格差、先進国の格差社会も教育破壊も留まる事を知らないであろう。
人間のうえに立ってしまった拝金主義の悪霊を払い清めるときである
悲しきカナこの民族の文化の土台たる絶対正義のクリスチャンには懺悔以外に無いので祓い清めは日本の役割である。
旧約聖書の「バベルの塔」のお話がピッタリなのか。
かつて人間は同じ言葉を話していた。
天に届く塔を建てようとするのを見た人間の傲慢に怒った神は、互いの言葉を通じなくさせて世界各地に散らばらせた−−バベルの塔の物語だ。
かって日本人菊地凛子が映画「バベル」でオスカ−を逃がしたから言うのではない。
「人間はどんな国に住んでいても同じだ。
人を幸せにするものは違うが、惨めにするものは同じ。
痛みこそが人間を似通わせ、お互いつながろうとする理由となる」。
「バベル」のA・G・イニャリトゥ監督の言葉
日本人ならこうだ。
「ひきがへる バベルバブルと 鳴き合へり」
沢木欣一の俳人としての句
哲学者の様相さえ感じるさすがに殿様カエル。
映画は異邦人たる人々が世界同時に一つに向き合うので文化交流に丁度良い。
『バベットの晩餐会』は1987年製作の デンマークの映画
監督:スティーヴ・オーデカークは「親指タイタニック 」「親指ウォーズ 」なども撮っている。
"O・ヘンリーを髣髴させる映画だ。
デンマークの小さな漁村に住む伝道師老姉妹のもとに、パリから来たバベットがメイドとして住み込んだ。
趣味で買い続けていたフランスの宝くじを当てた彼女は村人たちに得意の腕をふるう。
フルコ−スの豪華なフランス料理をご馳走する。
実は、このバベット、パリの五つ星レストランの元シェフ
生まれて初めて食べる本格的なフランス料理
、食事をするうちに自然と心が満たされ幸福感で一杯になってしまう村人。
宴の後、その姉妹がバベットに言う。
「もうお金がたくさんできたんだから、こんなお手伝いなんか止めてあなたはフランスに帰ってしまうんでしょう?」。
そう聞かれたバベットが答える。
「いえ、私は全財産を今夜一晩の料理に使い果たしてしまったので、また元の無一文です」。
それを聞いた姉妹が改めてバベットに聞く。
「そんなことをして、何でまた貧乏になってしまったの?」。
それに対してバベットがきっぱりと答える。
「世の中に、貧しい芸術家はいませんから」。
使えばなくなってしまうお金とは違って人に喜びを、幸せを与えることができるんだから、けっして貧しくはない」
どんなものでも、本当に感動を人に与えることができる人こそが本当の意味での芸術家。
「宵越しの銭は持たねぇ~」
の江戸っ子の生き様に共通する粋。
雛祭りのうたにも感ずるところがある。
山野三郎はサトハチロ−のこと
昭和11年の作品、あの2・26のあった年にこんな曲が変名で作る凄さ。
12年発表の「もしも月給があがったら」
作詞 山野 三郎 でせきやんの持ち歌。
「イヨマンテの夜」で復活する林 伊佐緒と新橋みどり
のこの時期珍しきヂュット曲
せきやんは裏声を使い一人でこなす。
河村光陽は福岡県田川郡赤池町の人
童謡の町として町おこし
平成筑豊鉄道の伊田線田川駅
この鉄路の先に仕事で関ったが自分自身が忘れてしまっている。
娘をさがしてることとおなじなんであろうや。
安寿、恋しや〜ホ〜ヤレホ〜♪
人を恨んでいては見えるものも見えなくなる。
自戒と自省ー
とかく女とは不思議な生き物である。
山野三郎 作詞
河村光陽 作曲
昭和11年(1936)
1.あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
2.お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔
3.金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
4.着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
テ−プレコ−ダ−の音量いっぱい
一日中流したあの頃はナンであったんであろう。
夢幻の如き・・おひなさま
老いてこそ なお懐かしき 雛飾り
九州地区ネットランキング参加!
マウス・クリック!よろしく
お願いいたします。
↓ ↓
http://blog.with2.net/link.php?1135184
↑ ↑
コメント