「日本の原発耐震基準は時代遅れ」=IAEAが08年に警告か―ウィキリークス
時事通信 3月17日
【ベルリン時事】英紙デーリー・テレグラフは17日までに、内部告発サイト「ウィキリークス」が入手した米外交公電の内容として、国際原子力機関(IAEA)が2008年12月、日本の原発の耐震基準は時代遅れで、大規模な地震が発生した場合、「深刻な問題」が生じる恐れがあると警告していたと伝えた。
 同紙が引用した公電によると、東京で開かれた原子力安全保障に関する主要8カ国(G8)会合で、
IAEA当局者は日本の原発耐震指針は過去35年間で3回しか更新されておらず、IAEAが指針を再調査していると説明したという。
 IAEAの天野之弥事務局長は16日の記者会見で、
「ウィキリークスで伝えられたことにはコメントしない。原発の耐震基準は常に更新するよう取り組んできた」と述べた。
 渦中の人天野之弥事務局長は18日間直人総理と会談した。

広瀬隆(1943年1月24日 - )は、東京のひと。
早稲田理工応用化学をからメーカーの技術者を経て、執筆活動を開始、父は建築家の広瀬三郎。
この人の初版本は読破して蔵書にアル。
1986年講談社刊の『億万長者はハリウッドを殺す』上下
稲門会の結束だったんだろうか。
お役所当時の早稲田出のお方からの紹介で拝借して肝銘を受け
出版社に急遽TELして東販取次店番号などを告げたら書店と勘違いされたのか
無理を聞いていただき社内の初版本を送っていただいた記憶がアル。

実はこの方の講演会に早稲田を経てNHK在職のご案内で参加させていただいた記憶が蘇る
久々検索にかけたらナント宮崎の地層を一夜で記録してたものが消されて無残。
ただ書き出しの部分は残っている.
この頃のブログをこの日付近を前後して読んでみると(18日も日々何度もの来てる暇人のストーカーはなかったようで)
太陽光発電工事の仕事振りも含めていい記録のブログである。
自由に縦横無尽に書かれてる。
稲門会からの連絡だったんだろうか
この講演会には件のご本の紹介者や他にも人事課の幹部もおられた・・・
もう時効開陳しても良かろう
鬼籍にある人事課の方、秘密の職員ファイルの存在を爺目に丸秘で明かされた.
そこにはナント思想別調書で見事なもの。
「みちょれ!ゼネストで公然と破棄してみせる」
「そりゃお楽しみ・・何年かかろうか・・・」
「東京美濃部、京都蜷川、大阪黒田・・いずれひっくり返るが時の流れ・・」
深夜の墓場まで持っていくお話。
何故うら若き爺目に恐ろしきお話が為されたのか謎。
一歩黄泉の域に足を突っ込んでるが彼岸についたら・・
いくつかアルなぞで一番最初に聞きたいものの一つ。

前述したこの頃のブログとは
「四万十層が危ない!」
2005年5月9日
http://sekiyann.diarynote.jp/200505100253220000/
講演会前であったと記憶する.
広瀬隆師とお話できたー
ブログにしるしている・・・
・・・「億万長者がハリウッドをつぶす」を読んだ話をすると
即座に「よく古い著書をおぼえてますね〜」のご返事をいただいた気さくな人であった。
爺目の生き様はまずその道の第一人者を選び出し師匠とすること.
実はミナマタも含めこの当時の社会背景にあった分野の公害関係は
反骨の人宇井純先生を師匠とし著作を持ち前の収集癖で棚に収めてた.
この方は組織的にも交誼に政治的同じグループでもあり
宮崎に何度かお見え頂き東京も含め何度か講演会で聞き入った.
黒板に化学式なりを良く多様されてたー。
それ以前の籍の国鉄建設の頃ー.
公共用地取得の反面の鏡ともされた出来事。
「公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない 」
室原翁を描いた、なにかの・・著作作品での言葉だったと思う 
安保と三池が社会的関心事ゆえの頃ゆえ派生的に九州各地に烽火が上がった。
喜入原油基地、豊前訴訟・・
国鉄でもお偉い人専用のグリーンパスを職権乱用、公私混同で多様
走り回った・・ものだ。
移動中の無理して日々一冊以上課せてた読書のみが今の宝。
自民・社会の政治グループが覇を競っていた
その後に希望あるゆえ宮崎に里返りしてのこと。
シッカリしてた宮崎の各地域の運動体の政治的構成。
ゆえに運動的に本心、魂のところの異端運動体の各種の色分け。
現地闘争的の心情からは水俣の「怨」のムシロ旗石牟礼道子
下筌ダム反対の(あとで名をはせるサッカーの中津江村)舞台の室原翁蜂の巣城 。
これはたしか豆腐屋の四季の中津の人松下竜一が本にした
建設省所長との交流に涙した読後感がアル。
NHKが昨年末緒形拳の息子が大分だったと思うが父を偲んで訪ねる番組を放映した
ただあれは、緒形拳が演じた豆腐屋の四季の話ではなかったー
デレクターの好事家知識欲不足ゆえなんだろう神社を訪ねてた.
太陽光発電の販売で福岡から日田を経て小国。
ビックリした
松原、下筌どちらだったか公道をダム堰堤が供用していたんであるダム上部は国道兼用。
助手席にあってだが急いで止めていただいた.
感動して震えてた・・青春期の地。
下筌ダムの銘板にある「下筌ダム」の文字は室原が書いたもの
ただそれは「下筌ダム反対」看板を建設省が勝手に写したもの
通過しながら銘板に思わず手を合わせた.
日テレがまだシッカリしてた頃のノンフィクション劇場「反骨の砦」
あのころのテレビは凄かった.
そうだ
懐かしき名作は松下竜一全集にアル。
「砦に拠る」
たしか夜行の列車で読破した
一日必ず一冊以上の頃。
潮風の町・・
随分あとに・・
関東大震災による混乱に乗じた陸軍憲兵隊によって、虐殺された大杉栄と辻潤に婚家から強行に同棲の青鞜の伊藤野枝の娘である
陸軍憲兵とは後の満映の甘粕。
最高指令者はナベツネを呼び込んだ正力松太郎。
伊藤野枝は与謝野晶子・岡本かの子・神近市子らと親交を深めて青鞜常連執筆者となる
平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に、
野枝は「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と、
足尾鉱毒事件に関心を深めてもいる。
大杉栄38歳、伊藤野枝28歳、宗一6歳。
 3人の墓は、伊藤野枝の故郷に近い福岡市今宿の山中にある。
野枝は3度結婚して、7人の子供を生んだ。
そのうち大杉の遺児として、魔子、幸子、エマ(エマ・ゴールドマンからの命名、のちに九州エマと呼ばれた)、
ルイズ(ルイズ・ミッシェルからの命名)、ネストルの5人の子が遺された。
大杉の元に走りこのときDNAが残ったー、
伊藤ルイの半生をたどる『ルイズ - 父に貰いし名は』・・
フムフム・・確かに狂ったような時間の間に
よく本を日々手放さなかったものだ
大山町はダム建設を機に特産品の育成を図るべくウメ栽培を始め、
これが後の「一村一品運動」の嚆矢となり堂々と九州点在の天領領地の総本山の日田にお嫁入りの対等合併。
WIKIが教える
日テレがまだシッカリしてた頃のノンフィクション劇場「反骨の砦」
監督:大島渚、語り手:徳川夢声。
1964年7月放送ー
お彼岸入りは怖い
次々に蘇ってきて思うが侭についつい記した

ハリウッド映画は観てない方を挙げ他方が早いほど寸暇を惜しんでみた.
日曜日NHK教育の岩波映画高野悦子の解説が良かった.
始まる前と確かあとにもやってくれ教科書代わり.川島多喜子かしこにも近づけた。
写真集の文庫本の近映はありがたかった
綺羅星の如くのスターが5~6冊になってた
西部劇は総て語れる
そのさなかに放射能でバタバタとその地で撮影したらお釈迦になる数々を挙げられて驚いた.
1986年の『億万長者はハリウッドを殺す』は原爆の跡地の恐怖を綴ったもの.
下巻では、ロックフェラー財閥、モルガン財閥を軸にして近現代史を読み解く内容
その後1991年の『赤い盾』の下地が見て取れるもの。
ハリウッドスターの死因と、ネバダ州で行われていた大気圏内核実験の因果関係を示唆した『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』
スリーマイル島原子力発電所事故を機に、『原子力発電とはなにか……そのわかりやすい説明』
1980年代初期の著作として「安全というならば、長大な送電線建設コストのかかる地方ではなく、電力の大消費地である首都圏に原子力発電所を建設してはどうか」と指摘した『東京に原発を!』

さてそこでであるーようやくここまできた
18日レベル「5」でスリーマイルと同じにした.
ただ爺目は驚かず素直に受け取った.
何故か
先日3月13日 に三度目の原爆投下とブログをアップしてる。
http://sekiyann.diarynote.jp/201103140104435193/

原子力事故としては、1979年の米スリーマイル島事故の水準を超えた。
スリーマイル島原発では、炉心が溶融して放射能が漏れたが、爆発までは至らなかった。
1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故に次ぐ非常に深刻な原子力事故だ。
みな逃げろっ!
政府はウソつきだ。
生命と財産を守ろうとはしないー
原子力資料情報室の記者会見。
格納容器の設計圧力は4気圧、
どういう意味かと言えば、通常運転では1気圧だがなにかのアクシデントで水蒸気圧力が掛かって気圧が4まで達しても大丈夫との設計。
であるのに壊れてもおかしくない4気圧を超えて、8気圧になっている理由をどの解説者も説明しないのはおかしい。

ほかに3号機を同一に論じるテレビ出演者の軽さを警告した
あれは燃料が違う.
3号機は怖すぎる.
18日深夜さえ放水したハズである.
また18日NHKに関村直人教授が根拠なき楽観論ー

安全なら何故キンキュウニュースが流れるのか.
厚生省は入院者を30キロ外に患者を総て
異動させると発表してるのにである.

これは今回の事故を俯瞰するに十二分である
昨年発行された著作とうりになっている恐ろしさ

破局は避けられるか――福島原発事故の真相
ジャーナリスト 広瀬隆

 大地震による原発災害の危険性を指摘した
『原子炉時限爆弾~大地震におびえる日本列島』
広瀬隆著/2010年8月/ダイヤモンド社刊

2011年3月11日、東北地方三陸沖地震が起こって、福島第一原発1号機で格納容器内の圧力が異常に上昇し、そのあと建屋が爆発。
続いて3号機も同じく爆発。
さらに2号機は、格納容器内にあるサプレッションプール(圧力抑制室)が破損した。
破損が進めば絶望的な破局に向かう。
これと並行して、日本人の頭の上に大量の放射能放出を始めた。
一体、何が起こったのか。

「想定外」の言葉を濫用する
電力会社とマスメディアの異常
 津波そのものによる天災は、避けることができない。
これは日本の宿命である。
しかしこの悲惨な原発事故は人災である。
それを起こした責任者は、電力会社だけではなく、これまで何もこの事態を警告をしなかったテレビと、テレビに出てデタラメを解説している専門家と呼ばれる大学教授たちである。

 2011年3月11日14時46分頃、北緯38.0度、東経142.9度の三陸沖、牡鹿半島東南東130km付近、震源深さ24kmで、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。
マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。
原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。
これは四川大地震の時に中国政府のとった態度と同じである。

 地震による揺れは、宮城県栗原市築館(つきだて)で2933ガルを観測し、重力加速度の3倍である。
しかし2008年の岩手・宮城内陸地震では、マグニチュード7.2で、岩手県一関市内の観測地点で上下動3866ガルを記録している。
今回より大きい。

 NHKなどは「1000年に1度の巨大地震」と強調するが、この東北地方三陸沖地震の実害と、原発震災を起こした原因は、津波であった。では、津波の脅威は、誰にも予測できなかったものなのか。
日本の沿岸地震では、ほんの100年前ほどの1896年(明治29年)の明治三陸地震津波で、
岩手県沿岸の綾里(りょうり)では38.2m
     、吉浜(よしはま)24.4m、
      田老(たろう)14.6m
の津波高さが記録されている。
「想定外」の言葉を安っぽく濫用するなとマスメディアに言いたい。
被害が出たあとに、被害を解析してくれても困る。
事故後に、「想定できなかった」ということは、専門家ではない、ということだ。
すべて私のごとき人間に想定でき、昨年8月に発刊した『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社刊)に書いたことばかりが起こったのである。電力会社が「故意に想定しなかった」だけであり、想定しなかったその責任は、被曝者に対してきわめて重大である。

冷温停止に至っているのは
原子炉11基のうち3基だけ
 昨年のことから理解しておくべきである。
昨年3月25日に、1971年3月26日に運転を開始した福島第一原発1号機について、東京電力は、この原発が40年を迎えるというのに、
超老朽化原発の運転続行という暴挙を発表し、60年運転も可能だと暴言を吐いて、原子力安全・保安院がそれを認めた。
これは福井県の敦賀原発・美浜原発に続く、きわめて危険な判断であった。
さらに昨年10月26日、営業運転開始から34年が経過した老朽化原発・福島第一原発3号機でプルトニウム燃料を使った危険なプルサーマル営業運転に入った。

 福島第一原発は設計用限界地震が、日本の原発で最も低い270ガルで建設された、最も耐震性のない原発である。
そこで今、炉心熔融が起こったのだ。
福島県内には、70キロを超える双葉断層が横たわり、マグニチュード7.9が予測される。

 地震発生時の運転状況は、
○福島第一1・2・3号機は運転中→スクラム(緊急自動停止)。
4・5・6号機は定検停止中
○福島第二1・2・3・4号機はすべて運転中→スクラム。
制御棒が挿入され、核分裂反応は、全機が停止した。
しかし……

 地震発生後、原発は「止める」「冷やす」「閉じ込める」機能があるので大丈夫だと宣伝してきたが
、ほかの原発も含めて、自動停止した11基の原子炉のうち、原子炉内の温度が100℃以下で、
圧力も大気圧に近い状態で安定した「冷温停止」に至っているのは、地震4
日目の14日現在、福島第二原発3号機と女川原発1・3号機の3基だけであり、
残り8基が迷走運転中である。

炉心溶融(メルトダウン)は
2800℃どころか、わずか600℃で起こる
 電気出力100万kW原子炉では、熱出力がその3倍の330万kWある。
この原子炉では、原子炉自動停止しても、その後に核分裂生成物が出し続ける崩壊熱は、1日後にも、1万5560kWもある。
またその発熱量がどれほど小さくなっても、永遠に熱を出し続けるので、燃料棒が原子炉にある限り、それを除去し続けなければならない。なぜなら、原子炉という閉じ込められた容器内では、熱がどんどんたまってゆくからである。

 それを除去できなければ、水は100℃で沸騰するから、水がなくなり、燃料棒がむき出しになる。
そうなれば、超危険な放射性物質が溶け出し、燃料棒の集合体が溶け落ちる。
それが炉心熔融であり、メルトダウンと呼ばれる。
燃料棒の集合体が次々に溶け落ちると、炉の底にたまって、ますます高温になり、灼熱状態になる。
やがて原子炉圧力容器の鋼鉄を溶かし、お釜の底が抜けると、すべての放射性物質が、外に出て行く。
これが「チャイナ・シンドローム」と呼ばれる現象である。

 一方、燃料棒被覆管のジルコニウムが水と反応して酸化されるので、水素ガスを発生する。
水素ガスの爆発限界は、最小値が4.2%であるから、この濃度になれば爆発する。

 原子炉の正常な運転条件は、福島原発のような沸騰水型では、280~290℃、70気圧である。
従来は燃料棒の過熱温度が2800℃で炉心溶融が起こるとされていたが、スリーマイル島原発事故などの解析によって、実際には600℃で起こることが明らかになった
(2009年7月6日~7日にNHK・BS1で放映されたフランス製ドキュメント「核の警鐘~問われる原発の安全性」)。
NHKなどは、御用学者を動員して「史上空前のマグニチュード9.0」を強調しているが、建物の崩壊状況を見て分る通り、実際の揺れは、兵庫県南部地震(阪神大震災)のほうがはるかに強烈だった。
この地震被害の原因は、揺れではなく、ほとんどが津波であった。

地球の動きがもらたす「原発震災」が日本で現実化した
 福島第一原発では、地震から1時間後、15時42分に全交流電源が喪失して、外部からの電気がまったく来なくなった。
あとは、所内の電源が動かなければ、何もできない状態である。
ところがそこに津波が襲って、15時45分にオイルタンクが流失して、さらに配電盤などの配線系統が水びたしになって、内部はどうにもならなくなった。
初めは炉心に水を注入するためのECCS(緊急炉心冷却装置)を作動したが、すぐに注水不能となった。
非常用ディーゼル発電機はまったく作動しない。
電気回路が大量の水を浴びて、配線系統がどうにもならない。
コンピューターも何もかも、電気がなければ何もできない。

 このような所内電源と非常用ディーゼル発電機による電力のすべてが失われた事態に備えて、原子炉隔離時冷却系と呼ばれるECCSの一種がある。
これは、炉心の崩壊熱による蒸気を利用してタービンを起動させ、ポンプを駆動して注水する装置である。
しかし、これも制御機能が失われれば、駄目になる。

 そもそも、地震発生当初から、非常用ディーゼル発電機がまったく働かないというのだから、電源車が到着したかどうかに鍵があるのに、その最も重要なことについてさえ、報道されなかった。
テレビの報道陣が、いかに原発事故について無知であるかをさらけ出した。

 そして1号機の原子炉内の水位がぐんぐん下がり始めた。
非常用復水器と原子炉隔離時冷却系によって、何とか水位の復帰につとめたが、格納容器(ドライウェル)内の圧力が、設計上の使用最高圧力4気圧をはるかに上回る8気圧に達している可能性が高く、加えて、除熱ができていないので、水位が下がってゆき、4メートルの燃料棒の頭は、1メートル以上が水の上に顔を出した。

私の推測が間違ってくれるよう祈っている

格納容器の圧力が高まると破壊されるので、バルブを開いて、高圧になった気体を放射性物質と共に外部に放出する作業に入ったが、事故の経過を見ると、悲観的にならざるを得ない。
しかしもうすでに、事故解析の原稿を書いている段階は過ぎたようだ。
15日昼頃には、敷地内での放射能が通常の350万倍に達した。
テレビでは、コメンテーターも政府もみな、微量、微量と言い続けた。
ここまでくれば、みな、おそるべき犯罪者たちである。
さらに
2号機では、格納容器の破損が起こり、
4号機では建屋内の使用済み核燃料のプールが沸騰を始めたという。
ここには、原子炉より多くの放射性物質が入っている。
作業者が近づけない場所であるから処理はおそらく不能であろうと、15日の午後5時時点で、私は推測するが、この推測が間違ってくれるよう祈っている。
福島第一原発の6基のうち、1基がメルトダウンすれば、そこには職員がいられなくなる。
すべてを放棄して逃げ出すだろう。
あとは連鎖的に事故が起こる。

 この発電所には、全部合わせて、事故を起こしたチェルノブイリ原発の10倍を超える放射能があると思われる。
あとは、この放射能が無害であると、政府と原子力安全・保安院と電力会社とテレビの御用学者たちは言い続けるはずだ。
もし日本の国民が愚かであればそれを信じて、汚染野菜を食べることだろう。
明日、すぐには死なないからだ。
しかしかなりの高い確率で発癌することが分っている。
子供たちを守れるのは、事実を知っているあなただけである。

『原子炉時限爆弾』で、私はこう書いた。
--「10年後に、日本という国があるのだろうか」
と尋ねられれば、
「かなり確率の高い話として、日本はないかも知れない」と、悪い予感を覚える。…(中略)…この先には、まったく報じられない、とてつもなく巨大な暗黒時代が待ち受けているのだ。その正体は、想像したくもないが、人知のおよばない地球の動きがもたらす「原発震災」の恐怖である。--と。
その通りになってしまったのだとすれば、悔やんでも悔やみきれない。

九州地区ネットランキング参加!
  マウス・クリック!よろしく
    お願いいたします。
          ↓ ↓ 
     http://blog.with2.net/link.php?1135184
        ↑ ↑




コメント

せきやん
2011年3月19日13:57

東電が14日夜撤退を政府に打診、菅直人首相は打診を拒否。「撤退は許さぬ」と追い詰める。

福島原発事故の処理が危機的な局面を迎えつつあるが、東電が14日夜の時点で、東電側が東電技術陣では対処不可能と判断し、全面撤退を政府に打診したが、菅直人首相はこの打診を拒否し、東電側に無理矢理、被曝覚悟の特攻隊的作業を無理強いしていたということが明らかになった。よし、ここは国家・政府、つまり原子力発電の研究者や専門技術者、あるいは実行部隊としての自衛隊化学部隊に任せろ、と言うべきだった。覚悟のない、やる気のない民間の人間に特攻隊的作業を任せても、うまくいくはずがない。菅直人が東電本社に乗り込んだことや、枝野官房長官の無責任な「安全宣言」的のらりくらりの記者会見、テレビに出演した東大教授たちの楽観論的コメント、仙谷由人官房副長官への登用、あるいはその後の「天皇メッセージ」の登場…等が、何を意味していたかは明らかである。つまり、菅政権内部が、かなり追い詰められていたことを意味する。おそらく東電側は、技術的に「お手上げ」だったが、菅直人に怒鳴られて、仕方なく現場に残ることになったものと思われる。東電側のシドロモドロの会見や枝野官房長官の無責任な、つまり専門的知識もないのに、付け刃の、いい加減なことを適当に語る「おしゃべり会見」は、時間稼ぎでしかなかったのではないか。早い段階で、米軍や自衛隊が、登場するべきだったと思われるが、いずれにしろ、東電の責任は免れないが、原子力発電の専門技術者と、国家レベルの使命感に燃えた自衛隊部隊、および米軍に現場を任せるべきだった。しかし、過ぎてしまったことを話していても無駄である。今からでも遅くない。「折木良一統幕議長」をはじめて見たが、彼の記者会見を見て、この人は信用できると思った。あまりにもいい加減な政治家やリーダーばかり見てきたので、彼の存在が新鮮に見える。東電の技術者たちは、生死を賭けた現場作業に不慣れであり、おそらく怯えているだろうと思われる。ここは、こういう場面を想定して訓練を重ねてきたであろう自衛隊の特別編成部隊に登場してもらうしかあるまい。たぶん、成否はどうであれ、これを契機に日本国民が自衛隊を見る目が大きく転換する。そして、憲法改正の上で、自衛隊は正式の「軍隊」となるのではないか。いずれにしろ、今さら、言っても無駄だろうが、菅直人は引き際を誤ったと言うほかはない。やはり国民の支持を失った時点で、国民のためにも官邸を去るべきだった。「国難」や「国家的危機」に立ち向かうべき器ではないことが世界中に暴露され、逆に権力に固執する権力亡者の哀れな姿が暴露されたということだろう。自業自得である。今こそ、菅直人に、「逃げるな」「逃げるなら地獄を見てからにしろ」と言いたい。すでに欧米のメディアは、菅直人の政治力と人間性を問うことを始めている。気の毒というほかはない。繰り返すが、菅直人は、民間人である東電社員に「死ね」と命令したことになる。これは、菅直人が、特攻攻撃作戦を立案したと言われる大西瀧治郎海軍中将だということだ。大西中将 は、「死を命じた責任者」として、敗戦直後に自決したが、大西は戦争に勝っていたとしても自決しただろうと言われている

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索