ショック・ドクトリン
2011年5月16日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・バラ
花言葉は・・・・・・・・・愛
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれた。、
『万葉集』
「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ
豆のからまる君をはかれか行かむ」
『常陸国風土記』の茨城郡条には、
「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。
常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城の県名の由来ー。
江戸初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰った。
そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、
同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれる。
バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』
バラの棘について触れた箇所がある。
古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはウェヌス=ヴィーナスと関係づけられた。
香りを愛好され、香油。
プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、
ユリウス・カエサルを歓待したときも用いられた。
ローマ、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。
暴君第5代ローマ皇帝ネロもバラを愛した.
イスラム世界では、白バラはムハンマド、赤バラが唯一神アッラー。
『千夜一夜物語』にもバラの記述。
十字軍以降、中近東のバラがヨーロッパに紹介
ルネサンスのころ愛好の対象。
イタリアのボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」
ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上の薔薇」として登場する。
またカトリック教会は聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶ。
ナポレオン・ボナパルトの皇后ジョゼフィーヌはバラを愛好
敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集をした。
世界中からマルメゾン城に植栽、
ルドゥーテに「バラ図譜」を描かせた。
アンドレ・デュポンによる人為交配(人工授粉)による育種の技術
19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、
これが観賞植物としての現在のバラの基礎となった
津田清子 (1920-)奈良の人
奈良女子師範を経て昭和23年橋本多佳子の句会にでて俳句没頭
山口誓子を師事
砂山に遊ぶ三日月ほどの恋
枇杷五つ盛られて最後まで五つ
いなびかり海の花道誰か来る
ばつた跳ね島の端なること知らず
学校が好き朝顔に水をやる
砂漠の木自らの影省略す
千里飛び来て白鳥の争へる
早乙女の手足忘るるまで疲れ
唾すれば唾を甘しと吸ふ砂漠
虹二重神も恋愛したまへり
氷菓舐めては唇の紅補ふ
氷原に鷲来て吾の生身欲る
無方無時無距離砂漠の夜が明けて
余り苗いつまで待つも出番なし
狡休みせし吾をげんげ田に許す
どこまでもバラの花で
もどれなくなりそうだ
NHKラジオ深夜便アンカー徳田アキラ教えるきょうの一句
薔薇の園 引返さねば 出口なし
津田清子
5月21日地方選挙結果を受けて
民主党全国幹事長会議が開催さる
5月16日佐賀民主党県連原口会長元総務大臣、大串博志副会長衆院議員が辞任した.
大阪府連の樽床伸二会長、愛知県連の牧義夫両代表らがすでに辞意表明。
執行部が選挙戦の敗戦責任を取らないことへの当て付けの側面と新聞は書いている
21日に選挙戦の総括を行う全国幹事長会議は波乱含み。
5月20日~21日ASEAN国防省会議
5月21日~22日 日中韓主脳会議
5月26日~27日仏国サミット
16日早朝ニュース。
フクシマ原発1号機
3・11以降16時間後にメルトダウンしてたー
復旧作業に支障はなかった
1号機は津波襲来後冷却装置が失われ以降
4時間半後に冷却水を失い2800度になってたー
16時間後午前6時には、燃料棒は炉の底に落ちた
地震発生後のデーター
冷却が最大の任務、今ようやく原因究明が出来た
復旧作業を急ぎたい
わかったは1号機のみ
解析遅れてる2号機3号機
水位計が正しい値を示してない.
想定されるのは、
安定して冷却できてる
正確な水位を急ぎたい
NHK教育ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」。
専門家が現地に行くこと、やはり凄い。
別ににアップしたい。
5月15日30km圏外の飯館村も正式に村を挙げて避難を始めた。
までいにくらせよ
合併もせず自立し村営本屋さんも持った.
こうなるとムクムクと持ち前の反骨のひねくれの虫が湧いてくる。
3・11事故に驚いた。
その日は卒業式をしていたー
深酒を終え2時過ぎ帰宅、徹夜で情報収集事態把握、不眠でアップした。
スポークスマン枝野に自問して
ウソではないだろうな!と詰問。
ただ翌日にはこれは、かねてから「北朝鮮」からの侵略があるとするなら
固定化された核兵器たる原発狙いと軸を一つにするものー
核との戦争に備えよ
と必死でブログアップしている。
逃げろっ!
政府がどうにも情報隠蔽・・、
隠している以上は逃げろっ!
あれから二ヶ月を経ている
なんにも進んでない.
日々騙しのみが横行
ウソツキ政府も含め
みんなトッ捕まえろ!
チエリノブイリは事故後10日で放射性物質の大気放出は英雄的行動で阻止した.
この国では65日もしてもいまだ放出しっぱなしー
3・11時点と比べてなんら放射性物質阻止に向けて進展していない.
ようやく危機の全容が表面化し出しただけ
政府を持ってシテも
東電の体質から
隠蔽ゆえ無理であるー
いま誰れしもが恐怖の或いは諦めのPTSD状態にアル。
何故こうも怯え国家の将来不安を待たされるのか.
副島教授のブログに解決のヒントをみた
ーこうあるー
カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの新著
『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』
ーなぁんだー
ヒトラーの恐怖政治支配の現代版か
これに金まみれのユダヤ戦略がくっついている
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 1
http://democracynow.jp/video/20070917-1
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 2
http://democracynow.jp/video/20070917-8
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 3
http://democracynow.jp/video/20070917-9
※三つのアドレスにはそれぞれ別の動画が掲載されていて視聴可能です。
『ショック・ドクトリン』
の文章での紹介は全て同じもの。
・1973年のピノチェト将軍によるチリのクーデター、
・天安門事件、
・ソ連崩壊、
・米国同時多発テロ事件、
・イラク戦争、
・アジアの津波被害、
・ハリケーン・カトリーナ。
暴力的な衝撃で世の中を変えたこれらの事件
一すじの糸を通し、従来にない視点から過去35年の歴史を語りなおす
、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの
話題の新著The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism
『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』
ケインズ主義に反対して徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマン、
「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」
この主張をクラインは
「ショック・ドクトリン」
と呼び、現代の最も危険な思想とみなします。
近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちですが、
・実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために
・綿密に計画されたものであり、
・急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきたのだ、
とクラインは著書で主張します。
投資家の利益を代弁するシカゴ大学経済学部は、
「大きな政府」や「福祉国家」
をさかんに攻撃し、
国家の役割は警察と契約強制以外はすべて民営化し、市場の決定に委ねよと説きました。
でもそのような政策は有権者の大多数から拒絶され、アメリカ国内で推進することはできませんでした。
民主主義の下では実現できない大胆な自由市場改革を断行したのが、ピノチェト独裁下のチリでした。
無実の一般市民の処刑や拷問を行ったことは悪名高いですが、
それと同時にシカゴ学派による経済改革が推進されたのは、クラインによれば偶然ではありません。
これがショック・ドクトリンの、最初の応用例だったのです。
ショックの効用を研究したもう一つの機関は、カナダのマッギル大学でした。
同大学の精神医学科はCIAの資金で拷問手法としてマインドコントロールや洗脳の実験を行っていたようです。
囚人に幻覚剤を投与し、近く刺激を奪って長期の孤立状態に置くことにより、精神を幼児まで退行させ、
人の言いなりにさせる手法は、
現在グアンタナモやアブグレイブで使われている拷問マニュアルに酷似しています。
戦後イラクで連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長する一方で、
急激な民営化を進めましたが、
これを個人に対するショック療法のパラレルとしての国民レベルのショック療法とみることもできます。
人類最古の文明におけるゼロからの再出発、
既存体制の完全な抹消という発想には、
個人の精神を幼児に戻して言いなりにさせるCIAの拷問手法が重なります。
これはさらに、ハリケーン被害においても踏襲され、長年の放置により劣化したインフラが必然的に災害を招くと、
それを口実に、まるごと民間に売り飛ばせという主張に拍車がかかります。
クラインを驚かせたのは、このようなことを公然と認める経済学者たちの発言が、
たくさんの文献に残されていたことでした。
自由市場経済を提唱する高名な経済学者たちが、急進的な市場経済改革を実現させるには、
大災害が不可欠であると書いているのです。
民主主義と資本主義が矛盾することなく、手を携えて進んでいくというのは、現代社会における最大の神話ですが、
それを唱導してきたまさにその当人達が、それは嘘だと告白しているのです。
この事実をふまえて、この数十年の歴史を振り返ってみることは、
私たちがいま、どうしてここまできてしまったのかを理解する大きな手がかりとなるでしょう。
==========
The Shock Doctrine の本のウェブサイト
http://www.naomiklein.org/shock-doctrine
○要約(Summary)のページ
http://www.naomiklein.org/shock-doctrine/the-book
翻訳者:古村治彦 2011年5月4日
『ショック・ドクトリン:危機・惨事利用型資本主義の出現と勃興』
著書『ショック・ドクトリン』の中で、ナオミ・クラインは、
「世界を席巻する自由市場は民主的な大勝利を収めた」という神話に対して厳しい批判を加えている。
クラインは、過去40年間に起こった世界を根底から変えてしまう危機や戦争の裏には、お金が動き、操り人形を操る人々が存在するという考えを出発点にしている。
そして、『ショック・ドクトリン』の中で、クラインは、アメリカが、様々な自然災害、危機や惨事を利用して世界中の人々や世界各国にショックを与えることで、「自由市場」志向政策をどのように世界に拡大させて、支配的な政策にしていったかを赤裸々に書いている。
イラクの内戦において最も混沌とし先行き不透明な時期に、イラク国内で一つの新しい法律が通った。
その法律は、石油会社のシェルとBPに、イラクの豊富な石油資源にアクセスすることを認めるという内容だった。
911同時多発テロ事件の発生直後、ブッシュ政権は「テロとの戦い」の遂行をハリバートン社とブラックウォーター社に丸投げした。
2004年に東南アジアを大津波が襲った。
津波が全てを流してしまった後、何もなくなったビーチは観光リゾート用に切り売りされオークションにかけられた。
ニューオーリンズ市民はハリケーン・カトリーナに襲われ、散り散りになった。彼らはニューオーリンズに戻りつつあるが、ニューオーリンズでは市営住宅、公立病院、公立学校がいまだに再開されていないし、再開される見込みもなくなりつつある。
こうした事例は「ショック・ドクトリン」の具体例である。
「ショック・ドクトリン」とは次のようなものだ。
多くの人々は戦争、テロリストによる攻撃、自然災害といった集団で受ける大きなショックの後に、
物理的にも精神的にも方向性を失う。
その状態を利用して、経済的なショック療法を用いて、人々をコントロールするというものだ。
1回や2回のショックでは完全なコントロールが達成できずに抵抗されることもある。
その場合は3回目のショックを与える。
刑務所で看守が持っている電気ショック棒や多くの人々が携帯しているスタンガンを想像してみたら分かりやすいだろう。
ナオミ・クラインはこれまで行われてこなかった切り口での歴史研究と災害や危機に見舞われた地域での4年間のジャーナリスト活動の成果を基にして、『ショック・ドクトリン』を書きあげた。
『ショック・ドクトリン』で明らかにしているように、危機・惨事利用型資本主義は
2001年9月11日に始まったものではない。
ちなみに危機・惨事利用型資本主義では、目端の利く企業は社会を自分たちに有利になるように再設計がショックな出来事を利用する。
この本では、危機・惨事利用型資本主義の起源を50年前に求めている。
その時代、シカゴ大学ではミルトン・フリードマンが大きな力をふるっていた。
フリードマンの影響下のシカゴ大学からは数多くのネオコン、ネオリベラルの思想家たちが巣立っていった。
彼らは現在でもアメリカ政治に大きな影響力を持っている。
経済政策、「衝撃と恐怖」をもたらす戦争、1950年代にCIAが資金提供をした、電気ショックと感覚遮断に関する実験の間には、驚くべきつながりがあることがこの本で明らかになった。
ちなみにこうした実験で得られた結果を利用して拷問のマニュアルが作成された。
このマニュアルは今日でもキューバのグアンタナモ基地で収容されているテロリスト容疑者たちの拷問に利用されている。
『ショック・ドクトリン』で展開されている主張は現代史を見ればその正しさは明らかだ。
現代史において私たちが良く知っている事件や出来事を詳細に見ていくと、
そこにはショック・ドクトリンが使われていることが明らかである。
そうした出来事や事件としては、
1973年のチリで発生したピノチェト将軍によるクーデター、
1982年のフォークランド紛争、
1989年の天安門事件、
1991年のソビエト連邦の崩壊、
1997年のアジア通貨危機
、1998年に発生し、ホンジュラスに大きな被害をもたらしたハリケーン・ミッチが挙げられる。
小池総理の可能性は絶対になかったのだが,
田中真紀子には多少の可能性が残っていた。
理由は菅政権の復旧処理が遅い自堕落。
未曽有の原発事故を国家が総力をあげてやってるのが見えない.ー。いまだ被災者の多くが非難所集団暮らしー
フクシマ現場といえば何も進まない
.それはそうだ原発事故の専門企業でもない
民間企業の東電が日雇い労働者を雇ってやっているのは
収拾のメドが立つどころか再度の爆発でもあれば国家社会の崩壊にもなりかねないー
国家社会の崩壊にもなりかねない危機は続いてるー
これは中国政府の中枢に話が通っていて,
何でも三峡ダムを築造した土木と水泥(コンクリート)と
原子炉事故の専門部隊が東電福島を数十万トンの鉛で包み液体窒素で冷却しながら水泥(セメント)を流し込むという水泥鉛棺桶作戦があるー,
もちろん米露仏の協力を得ながら進めれば
5年強で収拾の運びとなり,
この作戦を進めるには田中真紀子が総理となり副総理の小沢一郎と共に
腹をくくれば中国政府も日本救国!の大義に馳せ参じる旨の説明会が
次週の大安吉日に小沢私邸で執り行なわれる情報が永田町を漂流している
「大安吉日81名」
だけは確定事項だという
○旅の日、芭蕉が出立した日.
○1929年アカデミー賞第一回
○1966年中国共産党反ブルジョア文化大革命
○1968年青森十勝沖地震震度7.9、52名逝く、673個倒壊
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嬉しいな
花言葉は・・・・・・・・・愛
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれた。、
『万葉集』
「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ
豆のからまる君をはかれか行かむ」
『常陸国風土記』の茨城郡条には、
「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。
常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城の県名の由来ー。
江戸初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰った。
そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、
同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれる。
バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』
バラの棘について触れた箇所がある。
古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはウェヌス=ヴィーナスと関係づけられた。
香りを愛好され、香油。
プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、
ユリウス・カエサルを歓待したときも用いられた。
ローマ、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。
暴君第5代ローマ皇帝ネロもバラを愛した.
イスラム世界では、白バラはムハンマド、赤バラが唯一神アッラー。
『千夜一夜物語』にもバラの記述。
十字軍以降、中近東のバラがヨーロッパに紹介
ルネサンスのころ愛好の対象。
イタリアのボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」
ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上の薔薇」として登場する。
またカトリック教会は聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶ。
ナポレオン・ボナパルトの皇后ジョゼフィーヌはバラを愛好
敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集をした。
世界中からマルメゾン城に植栽、
ルドゥーテに「バラ図譜」を描かせた。
アンドレ・デュポンによる人為交配(人工授粉)による育種の技術
19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、
これが観賞植物としての現在のバラの基礎となった
津田清子 (1920-)奈良の人
奈良女子師範を経て昭和23年橋本多佳子の句会にでて俳句没頭
山口誓子を師事
砂山に遊ぶ三日月ほどの恋
枇杷五つ盛られて最後まで五つ
いなびかり海の花道誰か来る
ばつた跳ね島の端なること知らず
学校が好き朝顔に水をやる
砂漠の木自らの影省略す
千里飛び来て白鳥の争へる
早乙女の手足忘るるまで疲れ
唾すれば唾を甘しと吸ふ砂漠
虹二重神も恋愛したまへり
氷菓舐めては唇の紅補ふ
氷原に鷲来て吾の生身欲る
無方無時無距離砂漠の夜が明けて
余り苗いつまで待つも出番なし
狡休みせし吾をげんげ田に許す
どこまでもバラの花で
もどれなくなりそうだ
NHKラジオ深夜便アンカー徳田アキラ教えるきょうの一句
薔薇の園 引返さねば 出口なし
津田清子
5月21日地方選挙結果を受けて
民主党全国幹事長会議が開催さる
5月16日佐賀民主党県連原口会長元総務大臣、大串博志副会長衆院議員が辞任した.
大阪府連の樽床伸二会長、愛知県連の牧義夫両代表らがすでに辞意表明。
執行部が選挙戦の敗戦責任を取らないことへの当て付けの側面と新聞は書いている
21日に選挙戦の総括を行う全国幹事長会議は波乱含み。
5月20日~21日ASEAN国防省会議
5月21日~22日 日中韓主脳会議
5月26日~27日仏国サミット
16日早朝ニュース。
フクシマ原発1号機
3・11以降16時間後にメルトダウンしてたー
復旧作業に支障はなかった
1号機は津波襲来後冷却装置が失われ以降
4時間半後に冷却水を失い2800度になってたー
16時間後午前6時には、燃料棒は炉の底に落ちた
地震発生後のデーター
冷却が最大の任務、今ようやく原因究明が出来た
復旧作業を急ぎたい
わかったは1号機のみ
解析遅れてる2号機3号機
水位計が正しい値を示してない.
想定されるのは、
安定して冷却できてる
正確な水位を急ぎたい
NHK教育ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」。
専門家が現地に行くこと、やはり凄い。
別ににアップしたい。
5月15日30km圏外の飯館村も正式に村を挙げて避難を始めた。
までいにくらせよ
合併もせず自立し村営本屋さんも持った.
こうなるとムクムクと持ち前の反骨のひねくれの虫が湧いてくる。
3・11事故に驚いた。
その日は卒業式をしていたー
深酒を終え2時過ぎ帰宅、徹夜で情報収集事態把握、不眠でアップした。
スポークスマン枝野に自問して
ウソではないだろうな!と詰問。
ただ翌日にはこれは、かねてから「北朝鮮」からの侵略があるとするなら
固定化された核兵器たる原発狙いと軸を一つにするものー
核との戦争に備えよ
と必死でブログアップしている。
逃げろっ!
政府がどうにも情報隠蔽・・、
隠している以上は逃げろっ!
あれから二ヶ月を経ている
なんにも進んでない.
日々騙しのみが横行
ウソツキ政府も含め
みんなトッ捕まえろ!
チエリノブイリは事故後10日で放射性物質の大気放出は英雄的行動で阻止した.
この国では65日もしてもいまだ放出しっぱなしー
3・11時点と比べてなんら放射性物質阻止に向けて進展していない.
ようやく危機の全容が表面化し出しただけ
政府を持ってシテも
東電の体質から
隠蔽ゆえ無理であるー
いま誰れしもが恐怖の或いは諦めのPTSD状態にアル。
何故こうも怯え国家の将来不安を待たされるのか.
副島教授のブログに解決のヒントをみた
ーこうあるー
カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの新著
『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』
ーなぁんだー
ヒトラーの恐怖政治支配の現代版か
これに金まみれのユダヤ戦略がくっついている
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 1
http://democracynow.jp/video/20070917-1
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 2
http://democracynow.jp/video/20070917-8
○「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」
ナオミ・クライン新著を語る 3
http://democracynow.jp/video/20070917-9
※三つのアドレスにはそれぞれ別の動画が掲載されていて視聴可能です。
『ショック・ドクトリン』
の文章での紹介は全て同じもの。
・1973年のピノチェト将軍によるチリのクーデター、
・天安門事件、
・ソ連崩壊、
・米国同時多発テロ事件、
・イラク戦争、
・アジアの津波被害、
・ハリケーン・カトリーナ。
暴力的な衝撃で世の中を変えたこれらの事件
一すじの糸を通し、従来にない視点から過去35年の歴史を語りなおす
、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの
話題の新著The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism
『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』
ケインズ主義に反対して徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマン、
「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」
この主張をクラインは
「ショック・ドクトリン」
と呼び、現代の最も危険な思想とみなします。
近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちですが、
・実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために
・綿密に計画されたものであり、
・急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきたのだ、
とクラインは著書で主張します。
投資家の利益を代弁するシカゴ大学経済学部は、
「大きな政府」や「福祉国家」
をさかんに攻撃し、
国家の役割は警察と契約強制以外はすべて民営化し、市場の決定に委ねよと説きました。
でもそのような政策は有権者の大多数から拒絶され、アメリカ国内で推進することはできませんでした。
民主主義の下では実現できない大胆な自由市場改革を断行したのが、ピノチェト独裁下のチリでした。
無実の一般市民の処刑や拷問を行ったことは悪名高いですが、
それと同時にシカゴ学派による経済改革が推進されたのは、クラインによれば偶然ではありません。
これがショック・ドクトリンの、最初の応用例だったのです。
ショックの効用を研究したもう一つの機関は、カナダのマッギル大学でした。
同大学の精神医学科はCIAの資金で拷問手法としてマインドコントロールや洗脳の実験を行っていたようです。
囚人に幻覚剤を投与し、近く刺激を奪って長期の孤立状態に置くことにより、精神を幼児まで退行させ、
人の言いなりにさせる手法は、
現在グアンタナモやアブグレイブで使われている拷問マニュアルに酷似しています。
戦後イラクで連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長する一方で、
急激な民営化を進めましたが、
これを個人に対するショック療法のパラレルとしての国民レベルのショック療法とみることもできます。
人類最古の文明におけるゼロからの再出発、
既存体制の完全な抹消という発想には、
個人の精神を幼児に戻して言いなりにさせるCIAの拷問手法が重なります。
これはさらに、ハリケーン被害においても踏襲され、長年の放置により劣化したインフラが必然的に災害を招くと、
それを口実に、まるごと民間に売り飛ばせという主張に拍車がかかります。
クラインを驚かせたのは、このようなことを公然と認める経済学者たちの発言が、
たくさんの文献に残されていたことでした。
自由市場経済を提唱する高名な経済学者たちが、急進的な市場経済改革を実現させるには、
大災害が不可欠であると書いているのです。
民主主義と資本主義が矛盾することなく、手を携えて進んでいくというのは、現代社会における最大の神話ですが、
それを唱導してきたまさにその当人達が、それは嘘だと告白しているのです。
この事実をふまえて、この数十年の歴史を振り返ってみることは、
私たちがいま、どうしてここまできてしまったのかを理解する大きな手がかりとなるでしょう。
==========
The Shock Doctrine の本のウェブサイト
http://www.naomiklein.org/shock-doctrine
○要約(Summary)のページ
http://www.naomiklein.org/shock-doctrine/the-book
翻訳者:古村治彦 2011年5月4日
『ショック・ドクトリン:危機・惨事利用型資本主義の出現と勃興』
著書『ショック・ドクトリン』の中で、ナオミ・クラインは、
「世界を席巻する自由市場は民主的な大勝利を収めた」という神話に対して厳しい批判を加えている。
クラインは、過去40年間に起こった世界を根底から変えてしまう危機や戦争の裏には、お金が動き、操り人形を操る人々が存在するという考えを出発点にしている。
そして、『ショック・ドクトリン』の中で、クラインは、アメリカが、様々な自然災害、危機や惨事を利用して世界中の人々や世界各国にショックを与えることで、「自由市場」志向政策をどのように世界に拡大させて、支配的な政策にしていったかを赤裸々に書いている。
イラクの内戦において最も混沌とし先行き不透明な時期に、イラク国内で一つの新しい法律が通った。
その法律は、石油会社のシェルとBPに、イラクの豊富な石油資源にアクセスすることを認めるという内容だった。
911同時多発テロ事件の発生直後、ブッシュ政権は「テロとの戦い」の遂行をハリバートン社とブラックウォーター社に丸投げした。
2004年に東南アジアを大津波が襲った。
津波が全てを流してしまった後、何もなくなったビーチは観光リゾート用に切り売りされオークションにかけられた。
ニューオーリンズ市民はハリケーン・カトリーナに襲われ、散り散りになった。彼らはニューオーリンズに戻りつつあるが、ニューオーリンズでは市営住宅、公立病院、公立学校がいまだに再開されていないし、再開される見込みもなくなりつつある。
こうした事例は「ショック・ドクトリン」の具体例である。
「ショック・ドクトリン」とは次のようなものだ。
多くの人々は戦争、テロリストによる攻撃、自然災害といった集団で受ける大きなショックの後に、
物理的にも精神的にも方向性を失う。
その状態を利用して、経済的なショック療法を用いて、人々をコントロールするというものだ。
1回や2回のショックでは完全なコントロールが達成できずに抵抗されることもある。
その場合は3回目のショックを与える。
刑務所で看守が持っている電気ショック棒や多くの人々が携帯しているスタンガンを想像してみたら分かりやすいだろう。
ナオミ・クラインはこれまで行われてこなかった切り口での歴史研究と災害や危機に見舞われた地域での4年間のジャーナリスト活動の成果を基にして、『ショック・ドクトリン』を書きあげた。
『ショック・ドクトリン』で明らかにしているように、危機・惨事利用型資本主義は
2001年9月11日に始まったものではない。
ちなみに危機・惨事利用型資本主義では、目端の利く企業は社会を自分たちに有利になるように再設計がショックな出来事を利用する。
この本では、危機・惨事利用型資本主義の起源を50年前に求めている。
その時代、シカゴ大学ではミルトン・フリードマンが大きな力をふるっていた。
フリードマンの影響下のシカゴ大学からは数多くのネオコン、ネオリベラルの思想家たちが巣立っていった。
彼らは現在でもアメリカ政治に大きな影響力を持っている。
経済政策、「衝撃と恐怖」をもたらす戦争、1950年代にCIAが資金提供をした、電気ショックと感覚遮断に関する実験の間には、驚くべきつながりがあることがこの本で明らかになった。
ちなみにこうした実験で得られた結果を利用して拷問のマニュアルが作成された。
このマニュアルは今日でもキューバのグアンタナモ基地で収容されているテロリスト容疑者たちの拷問に利用されている。
『ショック・ドクトリン』で展開されている主張は現代史を見ればその正しさは明らかだ。
現代史において私たちが良く知っている事件や出来事を詳細に見ていくと、
そこにはショック・ドクトリンが使われていることが明らかである。
そうした出来事や事件としては、
1973年のチリで発生したピノチェト将軍によるクーデター、
1982年のフォークランド紛争、
1989年の天安門事件、
1991年のソビエト連邦の崩壊、
1997年のアジア通貨危機
、1998年に発生し、ホンジュラスに大きな被害をもたらしたハリケーン・ミッチが挙げられる。
小池総理の可能性は絶対になかったのだが,
田中真紀子には多少の可能性が残っていた。
理由は菅政権の復旧処理が遅い自堕落。
未曽有の原発事故を国家が総力をあげてやってるのが見えない.ー。いまだ被災者の多くが非難所集団暮らしー
フクシマ現場といえば何も進まない
.それはそうだ原発事故の専門企業でもない
民間企業の東電が日雇い労働者を雇ってやっているのは
収拾のメドが立つどころか再度の爆発でもあれば国家社会の崩壊にもなりかねないー
国家社会の崩壊にもなりかねない危機は続いてるー
これは中国政府の中枢に話が通っていて,
何でも三峡ダムを築造した土木と水泥(コンクリート)と
原子炉事故の専門部隊が東電福島を数十万トンの鉛で包み液体窒素で冷却しながら水泥(セメント)を流し込むという水泥鉛棺桶作戦があるー,
もちろん米露仏の協力を得ながら進めれば
5年強で収拾の運びとなり,
この作戦を進めるには田中真紀子が総理となり副総理の小沢一郎と共に
腹をくくれば中国政府も日本救国!の大義に馳せ参じる旨の説明会が
次週の大安吉日に小沢私邸で執り行なわれる情報が永田町を漂流している
「大安吉日81名」
だけは確定事項だという
○旅の日、芭蕉が出立した日.
○1929年アカデミー賞第一回
○1966年中国共産党反ブルジョア文化大革命
○1968年青森十勝沖地震震度7.9、52名逝く、673個倒壊
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嬉しいな
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