今日の誕生日の花は・・・・アマドコロ
花ことばは・・・・・・・・心の痛みのわかる人

甘野老 Polygonatum odoratumは、ユリ科の植物の一種で多年草。
地下茎が「野老(ところ。ヤマイモの一種)」に似て
かつ、野老は苦いのにこちらは甘いので「甘い野老」
から「甘野老」になった。
若芽はゆでて食べられる

北海道から九州まで日本各地の山地などに自生する花期は春。
花は鐘形で色は白く、先の方は緑がかっている。
葉は普通の緑のものと斑入りのものがある。

写真はコチラ↓
http://www.yasashi.info/a_00051.htm
・百合科。
・学名 Polygonatum odoratum var. pluriflorum
Polygonatum : アマドコロ属
odoratum : 芳香のある、香りのいい
pluriflorum : 多くの花をもつ
Polygonatum(ポリゴナツム)は、ギリシャ語の
「polys(多い)+ gonu(節)」が語源。
根茎に多くの節があることから。

茎や根茎には甘みがあり、山菜として食用にされる。
根茎を乾燥させたものは玉竹またはいずいという生薬であり滋養強壮に効果があるとされる。

同属のナルコユリ (P. falcatum) とよく似ている。
ナルコユリは、花と花柄のつなぎ目が緑色の突起状になるのに対して、
アマドコロは茎滑らかな柱で突起状にならない。
また、ナルコユリの茎は丸いが、アマドコロの茎には6本の稜があり触ると少し角張った感じがする。
 アマドコロは日当たり良くても育つ。
  日陰を好むナルコユリ
緑の行列の花姿からちょうちんと呼ばれる花は白
全体からシテ薄緑の花色に見える.

阿部みどり女(1886-1980=93歳)は北海道札幌生まれ
本名光子
父永山武四郎は、二代目道長官として知られる。
明治43年結婚。
結核で転地療養中に俳句をはじめ,、
鎌倉で「ホトトギス」に投句し大正四年に初入選高浜虚子に師事
虚子は女性への俳句の普及も志し、ホトトギスに
「台所雑詠」と名づけた女性専用の投稿欄を設けた。
長谷川かな女(1887~1969)、
阿部みどり女(1886~1980)
すぐれた女性作家が俳壇に登場。
中でもとりわけ優れた才能を発揮、
俳句に新しい可能性をもたらした杉田久女。

昭和六年長女の多美子は、河北新報社三代社長一力五郎(俳号・杜野光)と結婚。
昭和七年、河北俳壇投句者を核として主宰誌「駒草」、東北、関東を中心にを創刊。
昭和二十二年五郎が急逝、多美子一家は東京へ移り、
みどり女は一人仙台に残った。
仙台放送小公園に句碑がある。

茂庭の大梅寺を詠んだ句も収録されている。
六軒の檀家持つ寺柿を干す 
山清水落葉の上を流れけり
 蕃山へ登る口あり冬の寺

太白区茂ヶ崎/坂を上り、曲がり角の小公園 昭和五十六年に建立
重陽の 夕焼けに逢ふ 幾たりか
           みどり女
雑用の中に梅酒を作りけり
紫苑ゆらす風青空になかりけり
秋の日や姉妹異なる髪の影
春水を押しくぼまして風が吹く
大空の一枚白く凍てにけり
北上の空に必死の冬の蝶
臘梅と幾度も答へ淋しき日

東京へ移った多美子は五十八歳で亡くなり、
仙台には昭和五十三年まで暮らた。
後、東京にいる多美子の長男一力健のもとに身を寄せ、亡くなるまで俳句を詠み続けた。
句集「笹鳴」「微風」が発行。

蝶の愛好飼育家の楽しみは巣立つときの放つ放蝶が最高の幸せらしー
大型のアゲハなどは取り分け高く飛ぶ。
取り分け水辺を好む黒き糸トンボなぞが時期的に早く舞い飛び出す.
NHKラジオ深夜便アンカーは先週地球の裏側か報じてくれた明石勇アンカー教えるきょうの一句

夏蝶の 放ちしごとく 高くとぶ


団塊の世代も大きな歴史的断絶がアル。
学童疎開世代の戦争の惨状を直接知る世代と戦後の生まれがいる。
その殺戮の惨状を知る名のある人々の訃報が相次ぐ。
かって人様の上に立つ芸能人に品があった.
もともと選ばれた人たちでもあった.
戦争で国家が貧弱したこともあり誰しもが大学に行かなかった
総てに選ばれたもののみ。
いまはネコも杓子も平等の名のもと最高学府に行く。
ただ体を使う職人の世界は如何なものか.
たとえば・・
お相撲さんも野球選手。
甲子園の対決者の4年後の田中と斎藤をみればいいこと。
志しで言うなら若貴兄弟の改革情熱の立ち位置で解ること

児玉清77長門裕之77が逝った
ちょっと上の世代の最後の軍国少年世代だから、どこかで鬼畜米英感覚が残っていた年上のあんちゃんたち。
石原裕次郎もそうだった。
裕次郎が格好良かったのは、上背があり喧嘩上手だったので、米兵に喧嘩売っても互角に勝負した逸話を残す。
そんな弟の伝説を小説映画原作者が東京都知事石原慎太郎作の太陽の季節。
水之江滝子プロヂュースした裕次郎は主役でなくそのときの主演は長門裕之、相方は大スターで妻になる南田洋子。

気がついたら戦争は始まっていた。
気がついたら負けていた。
気がついてみたら焼け野原に立っていた。
気がついたら引き揚者寮に押し込められていた。
あの混乱時に、そこまでたどり着くのが精一杯ゆえ、弱い老人や子供ご婦人らばたばたと死んだ。
国家は崩壊寸前で力なきゆえ救えない
敗戦の光景である.
爺目ら団塊の世代はそのとき生まれた.
それから65年ー
その光景が地震津波に重なる。
戦後の混乱期だから食うものはない。
ボランテイアも支援もサポートも義捐金も
ACジャパンの嘘っぽい親切もない。

仮設住宅の抽選もない。
なにもない中でどうやって生きたのだろう。
兎に角いきのびた世代。

あのときも国はなにもしなかった。
忠君愛国を洗脳し、戦争だけはして呉れた、敗戦後は違った。
これからは民主主義の世の中です。
日本は変わります。
なんかACジャパンに似ている。

「大丈夫です。」「健康に何ら問題ありません。」
いまの東電や官房長官みたい。

引き揚者寮からは三週間ぐらいで追い出された、
仕方なく防空壕後や、焼け残った土管に移り住んだ。

国の言うことはいつも似ている。
   いい加減でその場しのぎ。
今次はどうか
不思議なことに、
新幹線や空港だけはべらぼうに早く回復。
たぶん金持ちや権力者家族の、緊急避難のためだろう。
現代社会の奇怪さ.
幸福は何となくあるが不幸は劇的にやってくる。
しかもまとめてやってくる。
富と同じで偏在する。
しかも伝染性がある。
そうさせないために行政も法律もある。
しかしそれが機能していない。

相変わらず地方は国が指針をきめてからといい、国は自分たちの問題だー。
もっと自覚的にやれ、という。

やり方とか手順の話ばかりで肝心の動きは鈍い。
福祉あって救済なし。
救済するのが福祉なのに。
大災害で茫然自失している人々に手を差し伸べるが遅い

救済の予算が国会で遅れて進みが悪い
起債か何かと議論のみ.
何故か。
政府の担当者に責任があった
テレビで露呈した.
22日NHK朝9時与謝野ナゾ何を言ってるか解らない。
収入予定がないと補正は組まないらしい

義捐金さえ一行に配られない.

日本にはもう金がない!
ならとわん!
アメリカにはもっとない!
ヨーロッパだって破綻国家を幾つも抱えている。
世界中がおかしくなりつつある。
何がいけなかったか。
アメリカ発無限的な投機バクチ経済までに陥った国家関与を否定した市場任せの金融資本主義がいけなかったのである。
欲望という名の電車に途中下車はない。
墓場まで一直線。
アメリア経済の世界の基軸ドルが紙切れになろうとしている.

話をもどす。

品格のあった児玉と豪放磊落の芸能界のエリート一族長門はほとんどの国民影響を与えた.
国家が貧しいゆえ映画は学校映画といって
みんなんで午後を利用して学校を閉校して映画館に足を運んだ.

チャンバラ映画の風小僧、白馬剣士、
社会映画のキューポラの街は無理で、
綴り方教室、にあんちゃん

十歳の少女・安本末子が綴った日記「にあんちゃん」
今村昌平監督が映画にした.
記憶にハッキリしてるんだが

似たものの昭和33年東宝作品「つづり方兄妹」
ほかの「綴りかた教室」「次郎物語」とダブッテしまう。

WIKIでないとストリーが正確でない.
こうだ。

背景は昭和二十八年の春。佐賀鶴ノ鼻炭鉱ー
ストライキが行われていた。
そのさなかに、安本一家の大黒柱である炭鉱夫の父親が死んだ。
残された喜一、良子、高一、末子の四人の子供たち。
喜一は二十歳になったばかり。
安本一家が住んでいる山の中腹の長屋の人たちも、皆その日暮しの苦しい生活をしていた。
長屋の子供たちは学校へ弁当も満足には持っていけない。
喜一が失業した。
一家共倒れを防ぐため、高一と末子を辺見家にあずけ、喜一は良子と長崎に働きに出かけた。
しかし、辺見家でも生活は苦しく末子は栄養失調になった。
赤痢が発生・・・
もういいー
戦後世代の爺目らも同じ環境であった.
東京オリンピックまでそうであった.

DVDで観れるがありがたい.

長門裕之は京都府出身で、祖父が映画監督
両親が俳優という芸能一家、6歳のころから子役として映画に出演。

昭和31(1956)年に石原裕次郎と共演した『太陽の季節』で一躍注目を集め、
昭和34(1959)年に映画『にあんちゃん』の演技で、ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞。
抜き出してみる記憶で知っている人々
長門裕之 (安本喜一)
松尾嘉代 (安本良子)
沖村武 (安本高一)
前田暁子 (安本末子)
北林谷栄 (坂田の婆)
西村晃 (北村五郎)
小沢昭一 (金山春夫)
殿山泰司 (辺見源五郎)
浜村純 (西脇)
山岡久乃 (妻せい)
大滝秀治 (いりこ屋主人西河)
芦田伸介 (鉱業所長)
河上信夫 (総務部長)
吉行和子 (堀かな子)
二谷英明 (松岡亮一)

ダンディで、且つ英書・独書は原文でも読みこなす知性派俳優の児玉清ー
病に倒れ、だからこそ真実を見据える真摯な慧眼でこの震災と愚かな政権を憂いたのであろう
憂国の士として、お二方の霊に謹んでお悔やみ申し上げたい

児玉清遺稿「われらは何をなすべきか」(日刊スポーツ/朝日新聞2011年5月21日)
「文芸春秋」5月特別号。
東日本大震災を受け、同誌が特集した「われらは何をなすべきか」に緊急寄稿した。

2月下旬に体調不良を訴え都内の病院で検査、胃がんと診断された。
3月下旬に入院した闘病生活から推測すると、
原稿は3月11日の大震災後の、入院直前に書かれたものー。
原稿の締め切りは3月24日前後に設定されており、手書きの、ファクスで送信されてきたという。
直後に本人から電話があり「内容に満足できないので、ボツ(不掲載)でも構いません。ご判断をお任せします。必要とあれば書き直します」と伝えてきたという。
しかし、その後病状が悪化したのか、再び原稿が送られることはなかったという。

 書き出しは「この国の危機管理のお粗末さに日々唖然としている」と怒りの心境が込められていた。
菅総理の震災対応についても「“決死で頑張る”とか精神論を披歴するだけ、まるで昔の旧軍人総理となんら変わらない幼稚さだ」と厳しく批判。
原発問題についても東京電力の対応を後手後手とし、「日本は完全に幼稚化した人間たちがリーダーシップを握っていることを露呈した」と続けた。
震災への具体的な対応、危機を乗り越えるために何をなすべきかを訴えていた。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110521-778904.html
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201105210052.html

<緊急寄稿>われわれは何をなすべきか
【大人のリーダーを求む】児玉清(俳優)

この国の危機管理のお粗末さに日々唖然としている。

予測不能な自然災害は当然起こり得ることだ。
たしかに今回は国内史上最高のマグニチュードであった。
未曾有の地震であることはわかるが、問題はその後の対応だ。

政府並びに関係各省庁の対応の至らなさは歯がゆいばかりだ。
総理大臣も”決死で頑張る”とか精神論を披露するだけ、まるで昔の旧軍人総理となんら変わらない幼稚さだ。
そんなことは当たり前ことで、それは当人が、そう決心してことに当たることで、具体的にどのような手段で、今、そこにあるこの国家的な危機を乗り越えるために何をするか、またできるかが急務なのだ。

TVの現地報告で刻々と訴えてくる窮状に対して何故即刻手を打てないのか。
灯油、ガソリン、食料に水。ピンポイントで一刻の猶予を許さぬ地域へヘリコプターで落下傘投下するとか、方法はいくらもあるはずだ。

世界を震撼させた原発問題も同じ。
東電のエリート集団の後手後手にまわった慌てぶりを含め、まさに日本は完全に幼稚化した人間たちがリーダーシップを握っていることを露呈した。
その命令下で働く人人間達こそ最悪だ。
そして国民も。

知恵と想像力と決断力のアル大人のリーダーを今こそ日本は求めている。

そういえば児玉清は昨年もNHKの『龍馬伝』に出ていた。
NHK-BSの『週刊ブックレビュー』にも出ているが、
この番組を通じて、児玉清は結構な右翼思想の持ち主であるらしいことを知った。
読書家で右翼思想の持ち主というと谷沢永一だが、その谷沢も昨年世を去った。
右翼の訃報というと、直近では産経新聞の花岡信昭が急死したが、まだ65歳の若さだった。

 この憂国の叫びを
 聴けっ!菅直人一派

①華やかな中国韓国日本の首脳会談が終えた。
ただ、その裏にある、哀しいニュースが目につく。

②「厚生労働省が、生茶葉を乾燥させた「荒茶」の放射能検査を東日本の14都県に求めた問題で、
神奈川、埼玉、栃木の3県は、検査をしない方針を決めた。
静岡県の川勝平太知事も18日、検査要請に応じないと表明、産地自治体の反発が広がっている。」

③笹木竜三文科副大臣は5/18会見
「校庭汚染土撤去等を各市町村が実施する場合、予算を含めて支援の在り方を政務三役会議で検討している」と表明。
5/23福島の父母代表団が文科省にやってくる。
政務三役は面会し対話・説明すべきだ。
それが政府の原災対策本部の責務。
面会拒否は到底あり得ない。


④20日、訪米中の前原誠司は米軍普天間の移設問題でワシントン市内の駐米大使公邸、
「面会した米政府関係者から、(キャンプ・シュワブ沿岸部に移設するとした)日米合意を変えることはないとの意向が示された」
と述べた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110521-00000020-maip-pol
 米上院のレビン軍事委員長らが先に、普天間)への統合を提案したことに関連した発言。

米政府の予算編成で大きな権限を持つ上院のイノウエ歳出委員長とも同日、会談、
イノウエ氏からは「日米合意を順守することが望ましい」
と計画変更に反対する意向が示されたという。

ホワイトハウスのラッセル国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長や国務省、国防総省の幹部らと相次いで会談。
また、レビン氏らとも会い、嘉手納統合案について直接、説明を受けた。

⑤日米「普天間現行計画進める」=国務次官補 来日した
キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は来日している。
22日、都内のホテルで記者会見
米軍普天間飛行場移設問題について、
「日本の外務省、防衛省および首相官邸との協議で、(名護市辺野古に移設する)現行計画を日米両国政府が進めていくことを明確にした」と言明した。 時事通信23日

さてそこでである

本澤二郎の「日本の風景」と解説してくれてるブログがある。
政治的立ち位置は憂国護憲の点で爺目と同じであるとみている.

今この国は右翼も左翼もない
 将来を見据えた愛国の旗でのみ政治結集が必要である.
   暫時政治休戦
 愛国の永田町雰囲気を醸成しなければこの国は溶解していく。
   何故か
3・11は狙われてたこと。
それが適切処置を誤った.
コノブログデハ3・12以来
主張しつづけてきた
核との戦争に備え勝利しよう
ところが・・
核との戦争に敗北した.

敗戦後は占領軍が常駐する
官邸4階にナゾのアメリカ人が常駐している
どうしても細野補佐官も名前も所属も明かさない.
フクシマの水棺まで進言する内政干渉ー
この国に今政治的自主性はない.
敗戦処理。ハゲタカが勝利品の品さだめー
フクシマ原発を冷やすための海水は汚染するばかり.
これが錬金術の宝物ー
数兆円がアメリカ・フランスの請負企業に垂れ流される.
水遊びが請求放題の踏んだくりばかりの水ビジネスー
 ズッー
と青森原発で為されてきたことが表面化した.

厄介なのはどのように政治姿勢をとればいいのか
  政治サーウィン状態に置かされること.

売国奴一味の元社会党社会運動家菅直人が裏切って
官邸4Fに居座る
ナゾのアメリカ人達に従ってるからだ.

元三分の一の野党政治勢力化にあった菅直人一派が
  売国の政治家に寝返り
政権運営しているややっこしい政治状況にアル。

 アメリカ・CIAの手口は、なかなか巧妙で素人にはついていけない。
9・11にしても多くの謎がある
韓国・哨戒艦沈没事故にしてもそうだ。
3・11予行演習情報隠蔽の中国漁船のビデオ国家機密扱いの仙石官房長官辞任事件。

先のオサマ・ビンラディン殺害にしても、そのやり方は国際・国内法に沿ったものではない。
目下のフランス大統領有力候補IMF専務理事の不思議なレイプ事件の扱いにしても、である。
この国の節目節目の過去の疑惑たとえば造船疑獄事件。
ワシントンの改憲・再軍備論に従わない吉田内閣打倒に、検察を動かしたと見るとわかりやすい。
次の鳩山―岸体制は、ワシントンの指令に従って改憲を公約して総選挙に臨んだほどである。
CIA・ワシントン主導政局であったー
ただあの頃は今より明快であった.
 自民党に抗する三分の一の反対政治勢力社会党を中心に野党もマスコミも健全だった。
平和憲法を守るとの護憲で戦い、平和憲法は守られた。
その後のこの改憲軍拡の流れは、今も前原ら松下政経塾の民主党によって推進、動きを止めない。
自衛隊を米軍の先頭に立たせようとの野望であろう。
民主党は5月2日、参院議運委に「憲法審査会規定」策定を提案前原誠司がトップについた。

65年ぶりに自民党を野党に追い込んだ本格的
  政権交代

その政権交代の鳩山・小沢の二人の民主党指導者を宗主国は検察とマスコミを使って倒した。
ワシントンに服従しない面々へのやり方で。
ロッキード事件の田中角栄逮捕も検察とマスコミを使った手法と似た手口。
 あのとき同じ罪の中曽根は逃げとうし、その代わりにワシントンの従僕に徹した。
そのときであるー
バブル経済政策は、そこで表面化ー。
ことは同じである.
ビンラディンは丸腰のまま銃弾を浴びせられ、海中に放棄ー。
宗主国の敵対人物への制裁は、まちまちー、
日本では検察・マスコミ連携で不服従者を葬り去ろうとする。
 鳩山は総理退陣を強要、小沢の方は今も獄を狙い執拗にあきらめていない。
普通の日本人感覚なら歩いてきた政治家の経歴からして
普通の日本人のこれが判官びいきになる理由。
ホワイトハウスにはこの国の要人の個人リストがCIAによって保管されているということは明確。
宗主国に逆らうと、必ず弱点を突いてくる。
従って腐敗のある人物は、政治家のみならず、学者・言論人も要職についてはならない。
清廉の士でないと、指導者にはなってはならない。

<はめられたIMF専務理事> 滑稽なのは、フランス人のIMF専務理事のストロスカン。
自業自得とも言えるのであろうが、彼の性癖はつとに知られていたらしい。
 サルコジ大統領を凌ぐ人気政治家のこの人はアメリカの従僕になることを嫌っていたのだろう。
  不都合な人物として、要注意の対象者ー。
CIA・FBIは、以前から敵が尻尾を出すのを、しかと狙いを定めていたのではないか。
偶然とは思えない。
要するに、ストロスカン専務理事は、うまくはめられたのであろう。
男として、社会的地位の人間としてもっとも恥ずべき行為で、その筋は見越しての逮捕。
 次期フランス大統領がここで消された。

 誇り高いフランス人は、ロンドンやワシントンのアングロサクソンのやり口に対して、
モノ言う存在として国際政治の舞台で一目置かれてきた。
ベルリンーロンドン枢軸の背景でもある。
しかし、親米派のサルコジは違った。
ワシントンにとって、ストロスカン失脚とサルコジ再選は正に一石二鳥。
どうだろうか。
多くのこの国の専門家は、ワシントン・CIAに気兼ねして沈黙している
テレビ新聞でも記事にせぬ.

アメリカというと、かのブッシュでも自由と民主を声高らかに謳い上げ、それを戦いの正義にしていた。
今のオバマもそうである。
多くのアメリカ人は、どこの国にもいる平和を欲する民衆と理解している。
人類の精神は同じである。
 しかし、ワシントンの戦略家は異質である。
彼らには産軍複合体の息がかかっている。
地球の利権に関与することに汲々としている。
彼らの中に日本の軍事利権で生活している面々も少なくない。
日本通と称する学者もそうで、テレビで自己宣伝している。
 彼らから一端敵と認定されると、自由と民主主義を自ら否定して襲いかかってくる

日ごろ人権を叫ぶ者たちが、すっかりそのことを忘れて硬軟織り交ぜて攻撃してくる。
アメリカ政府との付き合い方の難しいところ。
不幸にして日本の政財官の指導層は、戦後60年を経て未だ、この恥ずべきしがらみから脱却できないでいる。
 自民党大物政治家の田中龍夫「、日本は独立していないのだ」
との一言が、今も重くのしかかっている。
元自民党の政治家を承知で小沢と鳩山に
「ワシントンに屈するな」
と支援の言論を展開する理由。

 衰退するアメリカと日本である。
時代は大きく動いている。
原発事故が止めを刺す日本である。
脱原発は人類からのメッセージ。

それは本当の独立を手にする警鐘でもある。
そう自覚をする政治指導者の決起が求められているのだが、正直なところ、数は少ない。

 しかし、小沢と鳩山が目覚め自民を離れッ民主党を立ち上げ決起したことは明るい材料である。
いま売国勢力に乗っ取られてはいる。
ただ、自立する日本へと舵を切る東日本大震災にしなければならぬー。

<CIA網は官僚・政治家・学者・ジャーナリストなど多彩> 言及するまでもないだろう。
支配者アメリカその手先組織員CIAの網は、まるで蜘蛛の巣のように張られているこのくに。
彼らと関係する者たちが社会の指導層を占めるこの国。
政治家はいうまでもない。
霞が関の官僚が全てそうである。
大学のポストもアメリアカの意向が反映されたりしている。
 抗する原子力工学の専門家が一人京都大学にいることが判明した。
全てを絡め取ることは不可能なのだ。
ジャーナリストの世界にもいる。
大手の新聞・テレビ界に潜んで、ワシントン向けの情報発信に貢献している。
 国民に奉仕する人間でありたい。
そうしてこそ宗主国アメリカと対等に渡り合えるだろう。
それをアメリカ国民も願望していることを理解すべきだろう。

 売国奴は人間としてもっとも恥ずべきことである。
自立する人間こそが、自由で民主主義を口にする資格者なのである。

菅直人の退陣なくして
その後も苦難ではあるが
一歩踏み出せない.


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         嬉しいな


コメント

せきやん
2011年5月24日3:11

 「無法松の一生」
「昭和18年(1943年)、大映京都の作品
 稲垣浩監督、阪東妻三郎主演
 沢村アキオ(本名加藤晃夫)6歳で子役デビュー

  家系図をたどればそのまま日本映画史を語ることができるほどの映画一族に生まれ育った長門裕之。

父沢村国太郎、母マキノ智子、弟に津川雅彦、
祖父牧野省三、叔母沢村貞子、
叔父加東大介。
妻南田洋子は09年10月に亡くなる

同い年“昭和九年会”
  昭和9年生まれ、実に微妙な年である。
 10年早く生まれていたら、特攻志願もありえた。
  10年遅く生まれたら、全共闘世代。
  戦前、戦後の狭間で、二つの時代の長短をこの目で見て育つ。
戦前戦後両世代のバランサーの役割を担った
という自負もある。

児玉清には右翼の片鱗も見えなかった.
学習院の品のよさ.

  戦前のよさ、それは人間のあり方、規範があったこと。 今はそれが失われている。
李登輝のいう日本精神。
その中身は武士道に近いものかもしれない。
日本精神の再興こそ、震災の復興と同時に成し遂げなければならないこと。
どうしても右翼的になろうが、世情の乱れからシテ、それが中庸になるのかもしれない.





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