今日の誕生日の花は・・・・キンギョソウ
花ことばは・・・・・・・・清純な心
金魚草ゴマノハグサ科キンギョソウ属。
南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部を産地とする。
花を飾る楽しみに凛とした花とか見て楽しいとかがある。
金魚のような花を穂状に数多く咲かせるは楽しさ。
花の色は赤・桃 ・白 ・橙 ・黄 ・複色。
種は微細だが性質は強健で、こぼれ種で翌年もよく殖える。
本来は多年草だが、年月が経つにつれて茎が木質化する。
金魚の養殖盛んな愛知弥富市の市の花らしー
高田風人子 (1926-)は高濱虚子最後の高弟。
俳句結社「惜春」主宰。
鰯雲人生長しとも思ふ
兄と読む一つ絵本や端午の日
十人の一人が気付き枇杷の花
NHKラジオ深夜便アンカー教えるきょうの一句
いろいろな 色に雨ふる 金魚草
高田風人子
朝5時すぎに携帯
「菅直人がずっ~~っと居座る」
「馬鹿をいえっ!26日せきやんブログの
何処を読んでいいる」
会話をしてると・・
確かに24日公判アップを落としている
高田風人子 と格闘してたのに
緊急に差し替えである。
菅直人は6月22日までの国会が・お・わ・り・
ーごくろうさまでしたー
そいでないと国家が持たない.
確かに新たな政治課題で混迷にアル。
自民公明の復活は国家の本質が見事に表面化してきた.
反原発VS原発容認
爺目も困ってしまう
ただ
いまは国家崩壊を止めるしかない.
菅ではもたない。
例えばご挨拶代わりに司法の動きをアップするが
創造して欲しい
何故この時期かー
メッセージ制を感じないで
政治を論ずつには幼すぎる
24日布川事件で
44年かかりましたが再審無罪。
検察も壊れているけど、警察も同じ。
品川美容外科が、患者死亡事件で警視庁捜査一課でしか手に入らない捜査資料を入手していたことがわかりました。
この病院に警視庁出身者が天下っています。
ウイニーのせいにできません。
さてどこから切り口を求めるか
三姉妹お話の来年のNHK大河ドラマは平清盛ー
落語の披露されない一席に『源平盛衰記』『源氏物語』がある。
林家の血筋の三平の次女泰葉を妻にした八代目正蔵のち改名彦六の総領弟子春風亭小朝が
正蔵を継げず泰葉の兄のこぶ平が正蔵を継いだ落語会の悲劇
力なきこぶ平では正蔵芸復活は無理である.
菅直人が器に会わぬポスト固守と同じゆえ悲劇が
国家崩壊にまで拡大して放射能列島になりつつあると同じこと。
脈々と伝われきた、
芸が途絶えるやも知れない.
上野の小山を北に降りると根岸
子規庵に行くすぐ手前に三平堂がある。
サトゥハチロー記念館の閉鎖が10月30日
その翌日が11月1日が新館開館日。
長い行列の先頭一番にいたのは、何社ものテレビカメラに映る
九州からきた、爺目の若き姿である。
入館第一号者なんである。
あの頃にあって今はないが・・
二階に上がるところにナントっ!
前日お別れしたサトハチローの等身大の写真のある・・・縁に驚いた.
林家 三平(1925年11月30日 - 1980年9月20日)の記念館
「よし子さん」「どうもすいません」
時代の寵児の歌笑以来の爆笑王。
400人を超える落語家の中で一番あわぬ噺家であった。
まさかネタをあんなに大事にしたテレビ番組、
歌って踊って歌合戦とは知らなかった.
笑い何処ではない
泣きながらの涙止まらぬ中の開館めぐりであった
努力の人であったんでアル。
芸風とまるで違うー
意識朦朧の死に際、担当の医者が聞く
お名前は・・・
「加山雄三です」
死に際までギャグで通した自分風の芸人魂
涙ナシには笑えない逸話は談志の言う落語の芯の「業」につうづる。
先代父親のネタの『源平盛衰記』『源氏物語』がある。
1979年正月、脳溢血で倒れ東京逓信病院に入院。
一週間の昏睡の後、右半身が麻痺し、言語障害が生じたがリハビリを重ね、
箱根のなぞ湯治つみ上げ努力を重ね半身不随さえ直していた
両手もシッカリ上がってる、10月の奇跡の復帰。
NHKがテレビで実況した、
『源平盛衰記』は・・・
三平らしきひどいもので・・
話を全く進ませようとせず・・
いつものたわいのない小噺で時間を埋め尽くす
期待した正蔵のネタの源平盛衰記の落語が聴けずファンを失望させた.
・・・
ただ最初の何分緊張した
・・・・・
・・・・
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
立て板に水、サラリッとやって・・
「三平も古典がやれるんです」
会場の熱気がテレビ画面を通じて伝わる
青年期の生真面目すぎる爺目、面白いとか楽しむドコロではない
そのころ映像ビデオ無いゆえ音声テープカセット90分を気にしながら
次の言葉をまった。
このクスグリまでは初めてゆえに驚き。
面白落語から古典への三平の芸風のコペルニクス的大転換
いよいよ正蔵を名乗るぞっ!期待に持った
ただそこまでー
オジャン~
の出来事ー
途中に入って来たお客さんに噺をフリ、
いよいよ脱線芸の三平芸本領発揮っ!
「まってたんですっいつお見えになるか・・」
『源氏物語』もひどい三平らしいもので、話を全く進ませようとせず
、いつものたわいのない小噺で時間を埋め尽くすのであった。
それでも観客は爆笑していた
DVDが残されて見聴きできてありがたい
平家物語の一説
「容顔誠に美麗なりければいずくに刀をたつべしとも覚えず」
源氏方の武将熊谷直実が平家の公達、敦盛を捕らえたものの、
あまりにもの美少年ゆえ首をかこうとして、ひるむ場面.
なんと劇的な情景、美しい文章かー
これに節をつけ琵琶の演奏で語るのが「平曲」
「那須与一」を一番に好む.
「先帝御入水」もいい
実に御恥ずかしい告白がアル
70年のこと、赴任地の下関ー
実は正直に言うとこうである。
往きが下関ボート開催日で山陽バス賃は「ただ」
タダでバスに乗車出来るナゾ田舎ものの知識にはない.
お金ないゆえの休日の歴史散歩とシャレこんだ。
・・・
ではなく・・その頃未熟ゆえ知らなかった.
=日清戦争講和の地である事さえも=
子供程度ゆえに、水族館を訪ねようとしたダケ。
中国代表李コウショウVS伊藤博文の日清戦争終結の会談の地
赤間神宮のところ。
この赤間神宮が皇室安徳帝が祀ってあることも御恥ずかしい「知らない」
安徳帝のことさえも。
その家来が生き延び日向の山奥、椎葉に逃げ落ちる逸話も
追討仕・那須与一の弟.宗高が鶴富姫と恋仲に落ちる
全国民謡で有名な稗つき節に結実、
歌い継がれてきたこともー
ましてや荘園時代が終わりチャンバラ時代の武士の台頭
中世日向を治めた島津より権勢アリ伊東家ー。
宮廷まで上がれる三位までになった、田舎大名になき大出世。
その始祖伊東家が三大敵討ちの曽我兄弟五郎十郎に討たれし工藤祐経が
領地伊東に名をとり工藤から改名伊東として日向下向となった由来も無知。
必死で古文書に当たった.
するとビックリした.
那須与一の弟.宗高の幕府お目付け人が
ナント!鎌倉幕府高官・工藤祐経ではないかー
ウッムムムムーー
あの記述を目にしたときの知的好奇心。
未熟な知識と、覚えた祖先の繰り為した積みあがれた歴史の深さに驚いた.
下関・壇ノ浦の底に沈んだ一番の頼朝軍総大将義経の
一番の狙いとシナケレバ鳴らなかった三種の神器。
その・・
天皇の御身体三種の神器存在さえも
あのころ不名誉・・知らなかった無知。
加えて耳なし法一の逸話含めこの地であるところナゾとてもではない、知らない。
芯の底まで知的水準なきを打ちのめされるー
一番の教育低さに自分を知り、知的地位確保に奮闘した
笛尺八日本一が宮崎におられてお会いし伺う.
月に名を残す流派である
赤間神宮より今はその奉られてる巌島神社
鎌倉時代から語り継がれた平曲語り手は二流派
一方流と八坂流
ナント江戸初期に八坂流は断絶。
明治期は一方流も衰えた
太平洋戦争時、この大災害の仙台の人
館山甲午
ただ一人。
絶滅寸前戦災にこの人は生き延びた
平曲を救ったのは誰有ろう.
金田一晴彦
国語学者一家でご存知の方ー
「古い日本語のアクセントは平曲にある。」
金田一は館山甲午に着眼して教えを請い、平曲を伝授される
その金田一から古い形のままに伝えられたのが須田誠舟平曲奏者ー
その須田誠舟の教える
「竹生島詣」
平曲は琵琶より声が主体
一曲平均40分
長ければ3時間
低い声高い声を使い分ける
情景描写は「三重甲」の最高音域
鍛錬修練が入る
さてー
2002年の台風で巌島神社が壊れる被害
復興演奏で琵琶法師の披露
平曲「平家物語」
平家物語はこの国の持つ驥尾の財産
日本人にアル無常観
自然にこの国の民族ならみな涙が流れる
リトマス紙は神に置き換えられる.
日本人の琴線に触れてる
三菱重工が太陽光発電パネルを岐阜中津川工場製品三菱太陽光発電パネルとは別に作っている。、
荒尾務さんは三菱重工の方で
人間国宝級で琵琶法師で平家物語なぞ500回を越える奏者である.
平曲「竹生島詣」
神の住む島竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。国定公園、国の名勝および史跡
滋賀長浜市竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつ
かって近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、
長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。
近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張
日本の学生歌のひとつ。琵琶湖周航の歌を聴くと凛となる
三高の寮歌、学生歌吉田は名前のみが知られ、素性は長年不明であった
1993年に新潟県出身の人物で、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学者吉田東伍の次男と判明
作詞小口太郎、
作曲は吉田千秋。
われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心
事故は4番に込められてる鎮魂歌ー
琵琶湖遭難事故は、1941年(昭和16年)4月6日に発生した遭難海難事故。
金沢大学の漕艇部員8名、京都大学の学生ら3名を加えた合計11名
11名全員の遺体が発見されるまで更に2ヶ月を要した。
事故の原因は、あの頃でさえ想定外とは言わない.
春に起こる琵琶湖地方特有の突風比良八荒であると言われている。
四高の生徒らを悼む「琵琶湖哀歌」
東海林太郎と小笠原美都子が全国に訴えた.
カバー曲加藤登紀子で聴いてる世代が多い
能 地歌・箏曲、一中節 、常磐津節、長唄、平家琵琶(平曲)
無学ゆえ常磐津、長唄の区別つかぬゆえ爺目の及ぶところではない.
平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」
で始まる平曲は、
怨霊思想の災いをもたらさないための平家を魂を慰める歌
福島相馬の平将門に通ずる.
いまは株取引のFXナゾ修羅場で日本橋将門神社に平癒されている
まぁ弁理士菅直人の脳裏にないこの国の
裏の言葉で語られ奉られてきた、怨念の霊を押し込める歴史でアル。
小沢一郎裁判に先行する陸山会事件公判ー
『週間ポスト』5/20元運転手「社長を送った記憶ない」…陸山会事件
元運転手「社長を送った記憶ない」…陸山会事件
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110524-OYT1T00457.htm
2011年5月24日読売新聞
小沢一郎民主党元代表(69)の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記入)に問われた同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(37)ら元秘書3人の第13回公判が24日、東京地裁であった。
中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の川村尚元社長(54)が2004年10月、東京・赤坂のホテルで石川被告に5000万円の裏金を渡す際、元社長をホテルに送ったとされる元運転手の男性が、弁護側の証人尋問に「社長をホテルに送った記憶はない」と述べた。
川村元社長は4月27日の公判で、04年10月15日、胆沢(いさわ)ダム(岩手県)建設関連工事の受注で便宜を受けた見返りとして、ホテルで石川被告に現金5000万円を手渡したと証言していた。
しかし、元運転手の手帳には、同日正午過ぎに元社長を東京駅に迎えに行った以後の行動が記載されておらず、元運転手は弁護側の質問に
「04年に社長をホテルに送ったことはないと思う」
と説明。
元社長をこのホテルに送ったのは、同社の水谷功元会長(66)が脱税事件で逮捕された06年7月以降のことだったとした。
5月24日の水谷功元会長証言は、新たに重大な疑念を産み出す「爆弾証言」である。
元会長証言にある以下の部分は、非常に重要な意味を持つ。
記事にアル。
「裏金を渡す際には1人では行かず、帳簿を作って厳格に管理するのが会社のルールだった」
200億円近い経理経験があるので「裏金」というものの特質を良く知っている。
裏金を管理するには、責任共有で、そのポジションの人達間で裏金会計の「説明責任」を負う。
西松建設のような民間法人の場合の手法推定
・定例の取締役会では、裏金担当の役員が裏帳簿を開示し、
・当期使途については「受け取り(領収書等)」を添え、
・プールされている裏金残金があれば、 現金および個人名義の通帳残高証明書を示して、
・帳簿と合致することを、他の役員に確認してもらうハズ。
だから元会長の上記証言は、いわば「常識的」な裏金管理の実際を説明したもの。
水谷建設ほどの規模の会社であれば、また合計1億円という大金であれば、
なおさら厳格な管理が成されていただろうことに、疑問の余地はない。
しかるに、川村元社長証言や裏金管理役員の証言では、
・使途を記憶していなかったり、
・現金の残高があれば支出を帳簿に記載しなかったりと、
・実にチャランポランな管理をしていたことになっているのだ。
定例役員会で必ず会計報告をしなければならないのに、
そんな管理の仕方では毎回、役員会が大紛糾になっていて当然だろう。
だが、多数居るはずの水谷建設の役員のうち誰も、裏金管理について管理役員の責任を追及した形跡がない。
ということは、
水谷建設の裏金は、元会長の証言にある通り厳格に管理され、
ルールに従って適正に運用報告されていたことになる。
(裏金だから「適正」というのも変な話だが…)
弁護側は裏金帳簿に「陸山会宛支出」の記載がないことを問題にしている
推測が正しければ、そんな矮小な問題ではなくなる。
ズバリ!
・裏金帳簿は完璧な体裁を持って存在し、
・そこには支出の正確な日付や金額、支出先が漏れなく記載されていたはずである
・法廷に出て来た裏帳簿(おそらく一部コピー、もしくは概略転記)は「抜け」だらけだという、
・摩訶不思議な問題に変質する。
・そう、これは検察が「証拠隠し」をしているのではないか?…
という疑念なのだ。
川村元社長は元会長に対し
「小沢事務所に持って行く金を準備して欲しい」
と言って、 元会長の了解を取り付けたのだから、献金後、裏帳簿には
「○年○月○日:支出5千万円、支払先:陸山会(大久保秘書)」
と記載されていないと、
元会長および他役員から「着服の疑い」をかけられることとなる。
そうした紛糾が無かったという事実は、裏帳簿に上記項目がキチンと記載されていたはずだ…
と考えられるのである。
そして次が重要なのだが、その記載が事実であれば、検察にとってこれほど有力な証拠はないのだ。
弁護側はグーの音も出ないだろう。
だが、検察はこの「証拠」を隠蔽した(…と考えられる)。
理由は、裏帳簿の記載が「事実ではない」ことを検察が突き止めたからだと思うのだ。
どこかのブログにある。
そう、大阪地検特捜部の前田元主任検事が改ざんしたフロッピーディスクの現物も
同じように証拠採用されていなかった。
大久保秘書が裏献金を受け取ったことを示す有力証拠は、それが捏造されたものであった事がバレた時、
客観的な事実との相違が明らかになった時、決定的な「無罪の証拠」に変わる。
そこで弁護側に提案したい。
検察が保管している「残証拠」と「押収品目録」の提出を要求しろ…と。
もし検察側が
・「裏帳簿現物は返却した(そう、フロッピーみたいに)」
・「帳簿は処分した(…そう、郵便不正事件の取り調べメモみたいに)」
・「紛失した(…そう、DNA再鑑定が必要と判断されたタバコの吸い殻みたいに)」
などと言い出せば、裁判官も公訴棄却せざるを得ないだろう。
証拠の不備を証言で補うのなら話は分る。
だが、不備ではない「無罪の証拠」の存在が強く推認される、
元会長証言を受けてもなお、その提出を拒否し「証言は信用できる」などと嘯くなら、
検察の信用は「地に堕ちる」どころではない。
大久保秘書が裏献金を受け取ったことを示す有力証拠は、それが捏造されたものであった事がバレた時、
客観的な事実との相違が明らかになった時、
決定的な「無罪の証拠」に変わる。
これ!
お気づきでしょう、村木事件の日付の改ざんと同じ理屈。
検察の思考回路がまったく同じだということ。
以前の検察ならばこれだけで十分裁判は勝てただろうが
今は大阪の事件がトラウマになってきてるから
すべて疑ってみるだろうから、
根っこの部分で辻褄が合わなくなる。
運転手も元会長も正直に証言している
もちろん元社長も正直に証言(検察のシナリオどおりに)している。
役者はそれぞれ役割を演じているが作家が肝心なところで
見落としたのか?
気づかなかったのか?
長年の慣習が身についてしまっていたのだろう。
村木事件で石井一のゴルフのアリバイの確認など素人でも考えることが
プロが見落としていたのと同じか?
大阪地裁特捜部は、公判前に石井一のアリバイを確認している。
確認し、本部長以下了解していながら、
それを隠して、石井一の関与を示す「冒頭陳述」を行った。
ウ~ン!うん!怒り!
だから、特別公務員職権濫用の告発を受けているー。
このことは、大阪地検高官OBでもある三井環氏が暴露した。
その暴露講演会の映像記録はYouTubeにアル。
大阪地裁特捜部は、公判前に石井氏のアリバイを確認している。
確認し、本部長以下了解していながら、
それを隠して、石井氏の関与を示す「冒頭陳述」を行った。
結局検察は今までと同じ手法でやろうとしたことから
墓穴にはまった?
旧態依然で進歩が無いと言うか、
今までいかに検察と裁判所がズルズルだったか
それを問題視しないマスコミもだけど。
村木事件の学習効果がまったく生かされていない?
期待する方がむりだろうが・・・
確かに一億の裏金についてホントに渡したかどうかも分からないなど会社組織として有り得ない話。
帳簿が存在しないわけがなく、何らかの表に出せない理由があるハズ。
例えば日付、
検察は小沢事務所の書類を押収しており、帳簿の日付に誤魔化しようのないアリバイがある事を知り、
日付を操作する必要があったという事が考えられるー
そしてもう一つ、小沢氏以外の裏金供給先に検察にとって都合の悪い名前が記載されていた可能性があります。
水谷幹部が小沢氏以外の裏金供給先について
「忘れた」
などとふざけた供述をすることとも符合します。
帳簿の存在を明かせば弁護側は提出を求めるでしょうから、
ないと言うしかなかったのではないか。
自民党の谷垣総裁が民主党から連立を申し込まれた頃、
谷垣総裁はさっそく総理経験者に意見を聞いてまわった。
そのとき海部元総理は
「管を本当に信用できるのか?」
と、語っていたそうだ。
「管さんではダメだ」と
誰しも強く思うのは、
多くの同僚議員や官僚、また特に地方の人々からの
「信頼」がないと言うこと
政治家として、
訴え続けたことを
総理になって実行しない。
むしろ、その流れを完全に断ち切って
官僚にすり寄ってしまった。
そして脱官僚、政治主導を行うには
官僚の守護神である検察と戦わなくては
ならない。
今まで、どれだけ
有能な政治家が検察によって
葬られたことか。
鈴木宗男さは
今刑務所の中。
さらに福島原発の危険性を訴え続けた
佐藤栄佐久前知事。
今回の陸山会事件のように
水谷建設の協力により、
検察に葬られた。
彼がもし知事であり続けたら、
かなりいい加減な原発管理は
改善されていたであろう。
しっかりと司法にまで、
切り込まなくては、
日本の改革などあり得ない。
総理大臣になれば、
暴走している検察を
止めることができたはず。
それなのに実行もせず、
逆に検察と一緒になって、
宗主国の命令とうり総力をあげて小沢一郎を
葬ろうとする。
そのことはインターネットを中心に
多くの国民に知れ渡ってしまった。
さらにその検察のしくみについても
熟知している永田町や霞ヶ関の住人たち
にも、知れ渡っている。
彼らはどう思うのか、
既得権益側であるが、
「脱官僚と口では言うが
やってることはまったく違う薄汚い奴」
と、思うのではなかろうか。
官僚も同僚政治家も
「しがらみ」や「慣習」から解放してやる。
そして、しっかりと
国民の為に働ける環境を
整えてやる。
それにはリーダーが信念をもち、
「俺が責任をとる」
という覚悟が必要だ。
中には、復興のために
懸命に働きたがっている議員も官僚も
いるはずだ。
政治家として
信念も覚悟もなければ、
ついていきようがない。
「財源がないから不可能だ」と、
よく閣僚や岡田幹事長から
聞く言葉だ。
財源なしでも、実行可能な政策など
いくらでもある。
それすらやろうとしない。
「政治を国民の手に取り戻す」
と言って戦った2009年夏の総選挙。
管岡田も
顔を真っ黒に日焼けして
全国を回られた。
=それがである=
民主党政権の存在意義そのものを
否定するようなことを
ことごとくなさる。
長い間一党による支配が続いた
自民党政権に対抗するために
あらゆる勢力を結集したのに、
その民主党も壊滅状態。
さらに今回の震災、原発事故、
西岡参議院議長が言われるように
「まったくなっとらん、見ちゃおれん」
というモノだ。
もう、目くらましは通用しない。
いくら、すばらしい政策を並べても
「信頼」できないリーダーのもとでは、
確実に「絵に描いた餅」となることが
明らかだ。
管とさきがけ時代から
親交のある元首相補佐官の
田中秀征も、
管が総理大臣になった当初から
こんなことを言っていた
「管さんの人間的な素質では
首相は無理。早くやめたほうがいい」
と、、。
欧州で大ボラ吹きまくっている
まさしく「チャイナ・シンドローム」、
地球の裏側まで突抜け、
この国は暗黒の宇宙をさまようこととなるだろう。
自民党谷垣と総裁選挙を争った自民NO2与謝野馨
菅が大臣に据えた
こんなことがあろうか
民主党を罵ってたのだ
与謝野馨
祖父の歌は爺目の持ち歌
♪妻を娶らば才たけて、みめうるわしく情けある。
友をえらばば書を読みて、六分の侠気四分の熱。
恋の命をたずぬれば、名を惜しむかな
男ゆえ、友のなさけをたずぬれば、義のあるところ火をも踏む。♪
菅一派は政権をサル
与謝野大臣、そろそろ引退だな。
○1969年東名完成西宮まで高速完成
○1983年秋田沖地震=7・7=104人逝く
マウス・クリック
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↓ ↓
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嬉しいな
花ことばは・・・・・・・・清純な心
金魚草ゴマノハグサ科キンギョソウ属。
南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部を産地とする。
花を飾る楽しみに凛とした花とか見て楽しいとかがある。
金魚のような花を穂状に数多く咲かせるは楽しさ。
花の色は赤・桃 ・白 ・橙 ・黄 ・複色。
種は微細だが性質は強健で、こぼれ種で翌年もよく殖える。
本来は多年草だが、年月が経つにつれて茎が木質化する。
金魚の養殖盛んな愛知弥富市の市の花らしー
高田風人子 (1926-)は高濱虚子最後の高弟。
俳句結社「惜春」主宰。
鰯雲人生長しとも思ふ
兄と読む一つ絵本や端午の日
十人の一人が気付き枇杷の花
NHKラジオ深夜便アンカー教えるきょうの一句
いろいろな 色に雨ふる 金魚草
高田風人子
朝5時すぎに携帯
「菅直人がずっ~~っと居座る」
「馬鹿をいえっ!26日せきやんブログの
何処を読んでいいる」
会話をしてると・・
確かに24日公判アップを落としている
高田風人子 と格闘してたのに
緊急に差し替えである。
菅直人は6月22日までの国会が・お・わ・り・
ーごくろうさまでしたー
そいでないと国家が持たない.
確かに新たな政治課題で混迷にアル。
自民公明の復活は国家の本質が見事に表面化してきた.
反原発VS原発容認
爺目も困ってしまう
ただ
いまは国家崩壊を止めるしかない.
菅ではもたない。
例えばご挨拶代わりに司法の動きをアップするが
創造して欲しい
何故この時期かー
メッセージ制を感じないで
政治を論ずつには幼すぎる
24日布川事件で
44年かかりましたが再審無罪。
検察も壊れているけど、警察も同じ。
品川美容外科が、患者死亡事件で警視庁捜査一課でしか手に入らない捜査資料を入手していたことがわかりました。
この病院に警視庁出身者が天下っています。
ウイニーのせいにできません。
さてどこから切り口を求めるか
三姉妹お話の来年のNHK大河ドラマは平清盛ー
落語の披露されない一席に『源平盛衰記』『源氏物語』がある。
林家の血筋の三平の次女泰葉を妻にした八代目正蔵のち改名彦六の総領弟子春風亭小朝が
正蔵を継げず泰葉の兄のこぶ平が正蔵を継いだ落語会の悲劇
力なきこぶ平では正蔵芸復活は無理である.
菅直人が器に会わぬポスト固守と同じゆえ悲劇が
国家崩壊にまで拡大して放射能列島になりつつあると同じこと。
脈々と伝われきた、
芸が途絶えるやも知れない.
上野の小山を北に降りると根岸
子規庵に行くすぐ手前に三平堂がある。
サトゥハチロー記念館の閉鎖が10月30日
その翌日が11月1日が新館開館日。
長い行列の先頭一番にいたのは、何社ものテレビカメラに映る
九州からきた、爺目の若き姿である。
入館第一号者なんである。
あの頃にあって今はないが・・
二階に上がるところにナントっ!
前日お別れしたサトハチローの等身大の写真のある・・・縁に驚いた.
林家 三平(1925年11月30日 - 1980年9月20日)の記念館
「よし子さん」「どうもすいません」
時代の寵児の歌笑以来の爆笑王。
400人を超える落語家の中で一番あわぬ噺家であった。
まさかネタをあんなに大事にしたテレビ番組、
歌って踊って歌合戦とは知らなかった.
笑い何処ではない
泣きながらの涙止まらぬ中の開館めぐりであった
努力の人であったんでアル。
芸風とまるで違うー
意識朦朧の死に際、担当の医者が聞く
お名前は・・・
「加山雄三です」
死に際までギャグで通した自分風の芸人魂
涙ナシには笑えない逸話は談志の言う落語の芯の「業」につうづる。
先代父親のネタの『源平盛衰記』『源氏物語』がある。
1979年正月、脳溢血で倒れ東京逓信病院に入院。
一週間の昏睡の後、右半身が麻痺し、言語障害が生じたがリハビリを重ね、
箱根のなぞ湯治つみ上げ努力を重ね半身不随さえ直していた
両手もシッカリ上がってる、10月の奇跡の復帰。
NHKがテレビで実況した、
『源平盛衰記』は・・・
三平らしきひどいもので・・
話を全く進ませようとせず・・
いつものたわいのない小噺で時間を埋め尽くす
期待した正蔵のネタの源平盛衰記の落語が聴けずファンを失望させた.
・・・
ただ最初の何分緊張した
・・・・・
・・・・
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
立て板に水、サラリッとやって・・
「三平も古典がやれるんです」
会場の熱気がテレビ画面を通じて伝わる
青年期の生真面目すぎる爺目、面白いとか楽しむドコロではない
そのころ映像ビデオ無いゆえ音声テープカセット90分を気にしながら
次の言葉をまった。
このクスグリまでは初めてゆえに驚き。
面白落語から古典への三平の芸風のコペルニクス的大転換
いよいよ正蔵を名乗るぞっ!期待に持った
ただそこまでー
オジャン~
の出来事ー
途中に入って来たお客さんに噺をフリ、
いよいよ脱線芸の三平芸本領発揮っ!
「まってたんですっいつお見えになるか・・」
『源氏物語』もひどい三平らしいもので、話を全く進ませようとせず
、いつものたわいのない小噺で時間を埋め尽くすのであった。
それでも観客は爆笑していた
DVDが残されて見聴きできてありがたい
平家物語の一説
「容顔誠に美麗なりければいずくに刀をたつべしとも覚えず」
源氏方の武将熊谷直実が平家の公達、敦盛を捕らえたものの、
あまりにもの美少年ゆえ首をかこうとして、ひるむ場面.
なんと劇的な情景、美しい文章かー
これに節をつけ琵琶の演奏で語るのが「平曲」
「那須与一」を一番に好む.
「先帝御入水」もいい
実に御恥ずかしい告白がアル
70年のこと、赴任地の下関ー
実は正直に言うとこうである。
往きが下関ボート開催日で山陽バス賃は「ただ」
タダでバスに乗車出来るナゾ田舎ものの知識にはない.
お金ないゆえの休日の歴史散歩とシャレこんだ。
・・・
ではなく・・その頃未熟ゆえ知らなかった.
=日清戦争講和の地である事さえも=
子供程度ゆえに、水族館を訪ねようとしたダケ。
中国代表李コウショウVS伊藤博文の日清戦争終結の会談の地
赤間神宮のところ。
この赤間神宮が皇室安徳帝が祀ってあることも御恥ずかしい「知らない」
安徳帝のことさえも。
その家来が生き延び日向の山奥、椎葉に逃げ落ちる逸話も
追討仕・那須与一の弟.宗高が鶴富姫と恋仲に落ちる
全国民謡で有名な稗つき節に結実、
歌い継がれてきたこともー
ましてや荘園時代が終わりチャンバラ時代の武士の台頭
中世日向を治めた島津より権勢アリ伊東家ー。
宮廷まで上がれる三位までになった、田舎大名になき大出世。
その始祖伊東家が三大敵討ちの曽我兄弟五郎十郎に討たれし工藤祐経が
領地伊東に名をとり工藤から改名伊東として日向下向となった由来も無知。
必死で古文書に当たった.
するとビックリした.
那須与一の弟.宗高の幕府お目付け人が
ナント!鎌倉幕府高官・工藤祐経ではないかー
ウッムムムムーー
あの記述を目にしたときの知的好奇心。
未熟な知識と、覚えた祖先の繰り為した積みあがれた歴史の深さに驚いた.
下関・壇ノ浦の底に沈んだ一番の頼朝軍総大将義経の
一番の狙いとシナケレバ鳴らなかった三種の神器。
その・・
天皇の御身体三種の神器存在さえも
あのころ不名誉・・知らなかった無知。
加えて耳なし法一の逸話含めこの地であるところナゾとてもではない、知らない。
芯の底まで知的水準なきを打ちのめされるー
一番の教育低さに自分を知り、知的地位確保に奮闘した
笛尺八日本一が宮崎におられてお会いし伺う.
月に名を残す流派である
赤間神宮より今はその奉られてる巌島神社
鎌倉時代から語り継がれた平曲語り手は二流派
一方流と八坂流
ナント江戸初期に八坂流は断絶。
明治期は一方流も衰えた
太平洋戦争時、この大災害の仙台の人
館山甲午
ただ一人。
絶滅寸前戦災にこの人は生き延びた
平曲を救ったのは誰有ろう.
金田一晴彦
国語学者一家でご存知の方ー
「古い日本語のアクセントは平曲にある。」
金田一は館山甲午に着眼して教えを請い、平曲を伝授される
その金田一から古い形のままに伝えられたのが須田誠舟平曲奏者ー
その須田誠舟の教える
「竹生島詣」
平曲は琵琶より声が主体
一曲平均40分
長ければ3時間
低い声高い声を使い分ける
情景描写は「三重甲」の最高音域
鍛錬修練が入る
さてー
2002年の台風で巌島神社が壊れる被害
復興演奏で琵琶法師の披露
平曲「平家物語」
平家物語はこの国の持つ驥尾の財産
日本人にアル無常観
自然にこの国の民族ならみな涙が流れる
リトマス紙は神に置き換えられる.
日本人の琴線に触れてる
三菱重工が太陽光発電パネルを岐阜中津川工場製品三菱太陽光発電パネルとは別に作っている。、
荒尾務さんは三菱重工の方で
人間国宝級で琵琶法師で平家物語なぞ500回を越える奏者である.
平曲「竹生島詣」
神の住む島竹生島は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。国定公園、国の名勝および史跡
滋賀長浜市竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつ
かって近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、
長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。
近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張
日本の学生歌のひとつ。琵琶湖周航の歌を聴くと凛となる
三高の寮歌、学生歌吉田は名前のみが知られ、素性は長年不明であった
1993年に新潟県出身の人物で、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学者吉田東伍の次男と判明
作詞小口太郎、
作曲は吉田千秋。
われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心
事故は4番に込められてる鎮魂歌ー
琵琶湖遭難事故は、1941年(昭和16年)4月6日に発生した遭難海難事故。
金沢大学の漕艇部員8名、京都大学の学生ら3名を加えた合計11名
11名全員の遺体が発見されるまで更に2ヶ月を要した。
事故の原因は、あの頃でさえ想定外とは言わない.
春に起こる琵琶湖地方特有の突風比良八荒であると言われている。
四高の生徒らを悼む「琵琶湖哀歌」
東海林太郎と小笠原美都子が全国に訴えた.
カバー曲加藤登紀子で聴いてる世代が多い
能 地歌・箏曲、一中節 、常磐津節、長唄、平家琵琶(平曲)
無学ゆえ常磐津、長唄の区別つかぬゆえ爺目の及ぶところではない.
平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」
で始まる平曲は、
怨霊思想の災いをもたらさないための平家を魂を慰める歌
福島相馬の平将門に通ずる.
いまは株取引のFXナゾ修羅場で日本橋将門神社に平癒されている
まぁ弁理士菅直人の脳裏にないこの国の
裏の言葉で語られ奉られてきた、怨念の霊を押し込める歴史でアル。
小沢一郎裁判に先行する陸山会事件公判ー
『週間ポスト』5/20元運転手「社長を送った記憶ない」…陸山会事件
元運転手「社長を送った記憶ない」…陸山会事件
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110524-OYT1T00457.htm
2011年5月24日読売新聞
小沢一郎民主党元代表(69)の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、同法違反(虚偽記入)に問われた同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(37)ら元秘書3人の第13回公判が24日、東京地裁であった。
中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の川村尚元社長(54)が2004年10月、東京・赤坂のホテルで石川被告に5000万円の裏金を渡す際、元社長をホテルに送ったとされる元運転手の男性が、弁護側の証人尋問に「社長をホテルに送った記憶はない」と述べた。
川村元社長は4月27日の公判で、04年10月15日、胆沢(いさわ)ダム(岩手県)建設関連工事の受注で便宜を受けた見返りとして、ホテルで石川被告に現金5000万円を手渡したと証言していた。
しかし、元運転手の手帳には、同日正午過ぎに元社長を東京駅に迎えに行った以後の行動が記載されておらず、元運転手は弁護側の質問に
「04年に社長をホテルに送ったことはないと思う」
と説明。
元社長をこのホテルに送ったのは、同社の水谷功元会長(66)が脱税事件で逮捕された06年7月以降のことだったとした。
5月24日の水谷功元会長証言は、新たに重大な疑念を産み出す「爆弾証言」である。
元会長証言にある以下の部分は、非常に重要な意味を持つ。
記事にアル。
「裏金を渡す際には1人では行かず、帳簿を作って厳格に管理するのが会社のルールだった」
200億円近い経理経験があるので「裏金」というものの特質を良く知っている。
裏金を管理するには、責任共有で、そのポジションの人達間で裏金会計の「説明責任」を負う。
西松建設のような民間法人の場合の手法推定
・定例の取締役会では、裏金担当の役員が裏帳簿を開示し、
・当期使途については「受け取り(領収書等)」を添え、
・プールされている裏金残金があれば、 現金および個人名義の通帳残高証明書を示して、
・帳簿と合致することを、他の役員に確認してもらうハズ。
だから元会長の上記証言は、いわば「常識的」な裏金管理の実際を説明したもの。
水谷建設ほどの規模の会社であれば、また合計1億円という大金であれば、
なおさら厳格な管理が成されていただろうことに、疑問の余地はない。
しかるに、川村元社長証言や裏金管理役員の証言では、
・使途を記憶していなかったり、
・現金の残高があれば支出を帳簿に記載しなかったりと、
・実にチャランポランな管理をしていたことになっているのだ。
定例役員会で必ず会計報告をしなければならないのに、
そんな管理の仕方では毎回、役員会が大紛糾になっていて当然だろう。
だが、多数居るはずの水谷建設の役員のうち誰も、裏金管理について管理役員の責任を追及した形跡がない。
ということは、
水谷建設の裏金は、元会長の証言にある通り厳格に管理され、
ルールに従って適正に運用報告されていたことになる。
(裏金だから「適正」というのも変な話だが…)
弁護側は裏金帳簿に「陸山会宛支出」の記載がないことを問題にしている
推測が正しければ、そんな矮小な問題ではなくなる。
ズバリ!
・裏金帳簿は完璧な体裁を持って存在し、
・そこには支出の正確な日付や金額、支出先が漏れなく記載されていたはずである
・法廷に出て来た裏帳簿(おそらく一部コピー、もしくは概略転記)は「抜け」だらけだという、
・摩訶不思議な問題に変質する。
・そう、これは検察が「証拠隠し」をしているのではないか?…
という疑念なのだ。
川村元社長は元会長に対し
「小沢事務所に持って行く金を準備して欲しい」
と言って、 元会長の了解を取り付けたのだから、献金後、裏帳簿には
「○年○月○日:支出5千万円、支払先:陸山会(大久保秘書)」
と記載されていないと、
元会長および他役員から「着服の疑い」をかけられることとなる。
そうした紛糾が無かったという事実は、裏帳簿に上記項目がキチンと記載されていたはずだ…
と考えられるのである。
そして次が重要なのだが、その記載が事実であれば、検察にとってこれほど有力な証拠はないのだ。
弁護側はグーの音も出ないだろう。
だが、検察はこの「証拠」を隠蔽した(…と考えられる)。
理由は、裏帳簿の記載が「事実ではない」ことを検察が突き止めたからだと思うのだ。
どこかのブログにある。
そう、大阪地検特捜部の前田元主任検事が改ざんしたフロッピーディスクの現物も
同じように証拠採用されていなかった。
大久保秘書が裏献金を受け取ったことを示す有力証拠は、それが捏造されたものであった事がバレた時、
客観的な事実との相違が明らかになった時、決定的な「無罪の証拠」に変わる。
そこで弁護側に提案したい。
検察が保管している「残証拠」と「押収品目録」の提出を要求しろ…と。
もし検察側が
・「裏帳簿現物は返却した(そう、フロッピーみたいに)」
・「帳簿は処分した(…そう、郵便不正事件の取り調べメモみたいに)」
・「紛失した(…そう、DNA再鑑定が必要と判断されたタバコの吸い殻みたいに)」
などと言い出せば、裁判官も公訴棄却せざるを得ないだろう。
証拠の不備を証言で補うのなら話は分る。
だが、不備ではない「無罪の証拠」の存在が強く推認される、
元会長証言を受けてもなお、その提出を拒否し「証言は信用できる」などと嘯くなら、
検察の信用は「地に堕ちる」どころではない。
大久保秘書が裏献金を受け取ったことを示す有力証拠は、それが捏造されたものであった事がバレた時、
客観的な事実との相違が明らかになった時、
決定的な「無罪の証拠」に変わる。
これ!
お気づきでしょう、村木事件の日付の改ざんと同じ理屈。
検察の思考回路がまったく同じだということ。
以前の検察ならばこれだけで十分裁判は勝てただろうが
今は大阪の事件がトラウマになってきてるから
すべて疑ってみるだろうから、
根っこの部分で辻褄が合わなくなる。
運転手も元会長も正直に証言している
もちろん元社長も正直に証言(検察のシナリオどおりに)している。
役者はそれぞれ役割を演じているが作家が肝心なところで
見落としたのか?
気づかなかったのか?
長年の慣習が身についてしまっていたのだろう。
村木事件で石井一のゴルフのアリバイの確認など素人でも考えることが
プロが見落としていたのと同じか?
大阪地裁特捜部は、公判前に石井一のアリバイを確認している。
確認し、本部長以下了解していながら、
それを隠して、石井一の関与を示す「冒頭陳述」を行った。
ウ~ン!うん!怒り!
だから、特別公務員職権濫用の告発を受けているー。
このことは、大阪地検高官OBでもある三井環氏が暴露した。
その暴露講演会の映像記録はYouTubeにアル。
大阪地裁特捜部は、公判前に石井氏のアリバイを確認している。
確認し、本部長以下了解していながら、
それを隠して、石井氏の関与を示す「冒頭陳述」を行った。
結局検察は今までと同じ手法でやろうとしたことから
墓穴にはまった?
旧態依然で進歩が無いと言うか、
今までいかに検察と裁判所がズルズルだったか
それを問題視しないマスコミもだけど。
村木事件の学習効果がまったく生かされていない?
期待する方がむりだろうが・・・
確かに一億の裏金についてホントに渡したかどうかも分からないなど会社組織として有り得ない話。
帳簿が存在しないわけがなく、何らかの表に出せない理由があるハズ。
例えば日付、
検察は小沢事務所の書類を押収しており、帳簿の日付に誤魔化しようのないアリバイがある事を知り、
日付を操作する必要があったという事が考えられるー
そしてもう一つ、小沢氏以外の裏金供給先に検察にとって都合の悪い名前が記載されていた可能性があります。
水谷幹部が小沢氏以外の裏金供給先について
「忘れた」
などとふざけた供述をすることとも符合します。
帳簿の存在を明かせば弁護側は提出を求めるでしょうから、
ないと言うしかなかったのではないか。
自民党の谷垣総裁が民主党から連立を申し込まれた頃、
谷垣総裁はさっそく総理経験者に意見を聞いてまわった。
そのとき海部元総理は
「管を本当に信用できるのか?」
と、語っていたそうだ。
「管さんではダメだ」と
誰しも強く思うのは、
多くの同僚議員や官僚、また特に地方の人々からの
「信頼」がないと言うこと
政治家として、
訴え続けたことを
総理になって実行しない。
むしろ、その流れを完全に断ち切って
官僚にすり寄ってしまった。
そして脱官僚、政治主導を行うには
官僚の守護神である検察と戦わなくては
ならない。
今まで、どれだけ
有能な政治家が検察によって
葬られたことか。
鈴木宗男さは
今刑務所の中。
さらに福島原発の危険性を訴え続けた
佐藤栄佐久前知事。
今回の陸山会事件のように
水谷建設の協力により、
検察に葬られた。
彼がもし知事であり続けたら、
かなりいい加減な原発管理は
改善されていたであろう。
しっかりと司法にまで、
切り込まなくては、
日本の改革などあり得ない。
総理大臣になれば、
暴走している検察を
止めることができたはず。
それなのに実行もせず、
逆に検察と一緒になって、
宗主国の命令とうり総力をあげて小沢一郎を
葬ろうとする。
そのことはインターネットを中心に
多くの国民に知れ渡ってしまった。
さらにその検察のしくみについても
熟知している永田町や霞ヶ関の住人たち
にも、知れ渡っている。
彼らはどう思うのか、
既得権益側であるが、
「脱官僚と口では言うが
やってることはまったく違う薄汚い奴」
と、思うのではなかろうか。
官僚も同僚政治家も
「しがらみ」や「慣習」から解放してやる。
そして、しっかりと
国民の為に働ける環境を
整えてやる。
それにはリーダーが信念をもち、
「俺が責任をとる」
という覚悟が必要だ。
中には、復興のために
懸命に働きたがっている議員も官僚も
いるはずだ。
政治家として
信念も覚悟もなければ、
ついていきようがない。
「財源がないから不可能だ」と、
よく閣僚や岡田幹事長から
聞く言葉だ。
財源なしでも、実行可能な政策など
いくらでもある。
それすらやろうとしない。
「政治を国民の手に取り戻す」
と言って戦った2009年夏の総選挙。
管岡田も
顔を真っ黒に日焼けして
全国を回られた。
=それがである=
民主党政権の存在意義そのものを
否定するようなことを
ことごとくなさる。
長い間一党による支配が続いた
自民党政権に対抗するために
あらゆる勢力を結集したのに、
その民主党も壊滅状態。
さらに今回の震災、原発事故、
西岡参議院議長が言われるように
「まったくなっとらん、見ちゃおれん」
というモノだ。
もう、目くらましは通用しない。
いくら、すばらしい政策を並べても
「信頼」できないリーダーのもとでは、
確実に「絵に描いた餅」となることが
明らかだ。
管とさきがけ時代から
親交のある元首相補佐官の
田中秀征も、
管が総理大臣になった当初から
こんなことを言っていた
「管さんの人間的な素質では
首相は無理。早くやめたほうがいい」
と、、。
欧州で大ボラ吹きまくっている
まさしく「チャイナ・シンドローム」、
地球の裏側まで突抜け、
この国は暗黒の宇宙をさまようこととなるだろう。
自民党谷垣と総裁選挙を争った自民NO2与謝野馨
菅が大臣に据えた
こんなことがあろうか
民主党を罵ってたのだ
与謝野馨
祖父の歌は爺目の持ち歌
♪妻を娶らば才たけて、みめうるわしく情けある。
友をえらばば書を読みて、六分の侠気四分の熱。
恋の命をたずぬれば、名を惜しむかな
男ゆえ、友のなさけをたずぬれば、義のあるところ火をも踏む。♪
菅一派は政権をサル
与謝野大臣、そろそろ引退だな。
○1969年東名完成西宮まで高速完成
○1983年秋田沖地震=7・7=104人逝く
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