座り悪ぃキリスト文化
2011年8月2日 お仕事今日の誕生日の花は・・・・サギソウ
花言葉は・・・・・・・心の強さ
鷺草は、ラン科ミズトンボ属
湿地性の多年草。
サギと言う鳥は田畑を耕すと随分後をついてくる.
幼きに遠く三財原の畑を牛だったか馬だったかカリチベーター、鋤なりを曳かせて耕す。
すると、なんとあとから黒ボクの後をついてくる。
調子が出てくると明日の分まで済まそうと月光を頼りに夕夜もすすむ。
ほのかに薄暗闇に白き影は今思い返すと美しき一遍の名画のシルエット。
よくなずけたものである.
唇弁が幅広く、その周辺が細かい糸状に裂ける様子がシラサギが翼を広げた様に似ている
それゆえにこの名前で呼ばれる。
観察深めるとこの花には3~4cmにもなる長い距があり、この末端に蜜が溜まる。
花は、特に夜になると芳香を発する。
花はガによる花粉媒介の送粉シンドロームの特徴を示しており、
距の長さに見合った長さの口吻を持つセスジスズメなどのスズメガ科昆虫が飛来して吸蜜する。
この時に花粉塊が複眼に粘着し、他の花に運ばれる。
スズメガ科のガは飛翔力に富み、かなりの長距離を移動する
山間に点在する湿地の個体群間でも遺伝子の交流が頻繁に起きていることが示唆されている。
宮崎は初代天皇神武船出の美々津の海軍発祥の地の碑ガアル。
連合艦隊初代長官伊東、最後の連合艦隊長官は小沢治三郎
ともに日向の人であるのはなんかの縁だろうか。
小沢は高鍋のひと、その北隣町が川南町。
こうてい疫病でご迷惑をおかけした本当の発祥地第一号で創価企業安寓楽牧場。
栃木に本社がアル投資黒毛和牛グループ。
小林にレストランふれあい動物観光牧場がアル。
ココが施設拡大で近くにある売却予定牧場企業資料情報を届けた.
そのとき本社に電話で社長三ヶ尻久美子とのビジネス話をした.
こっちたら不動産話ではない.それはサービス。
屋根に太陽光施設が乗ればいいこと.
鳶がアゲ、さんざんの無駄骨。
安寓楽牧場の破産が1日ノニュースにアル。
県国より幾らこうてい疫利用でせしめたことか。
そのまんま知事は信濃町で上級客であろうヨ。
この川南は落下傘部隊発祥の地
国立病院の裏あたりが訓練場で広大なる湿地帯
高鍋町の南に新田原基地から飛び立ち川南に落下傘の傘を開かせた.
そこはサギソウ群落地であった。昭和46年ごろ。
実に見事なものを目に留めた記憶に残ってる
今は人口の高鍋防災ダムが土砂で埋め尽くされ湿原状態の高鍋町黒谷がサギソウの名所地。
宇都木水晶花(うつぎ・すいしょうか)(1923(大12)-2010(平成22)・6・30)は茨城のひと。
〔本名、春男〕
鳥帰る遠流の島の空高く
佐渡までは届かぬ出雲崎の虹
みじろがぬ鯉を俎始めかな
彼の世から生まれかはりし蛍かも
純白のギザギザ花びらが目立ち、鳥が翼を開いた状態そのもの。
開花のその瞬間に、飛び立とうとしている
構えでなく構へなんだー
NHKラジオ深夜便アンカー遠藤ふきこ教える今日の一句
開くより はや鷺草の 飛ぶ構へ
宇都木水晶花
2日4:00~5:00
インタビュースペシャル
第一回目「ヒロシマを描き続けて」
イラストレーター…黒田征太郎
迎康子アンカーの寄り添い語りがいい引出しー。
絵本「昭和20年8歳の日記」が好評らしい
佐木隆三vs 黒田征太郎共作
驚いた、ニューヨークにいたはずの絵描きは2年前から北九州のどくにいる。
佐木隆三を頼ってきて2009年から17年住んでたニューヨークから家出老人。 共通友人野坂昭如は終始、話の話題は暗く、
戦争食糧犠牲者の弱きものの子供ら、原子力と。
其れがわかりだした.
17年ニューヨーク生活。
外から見るとよく見える。
絵本を作りましょう
沖縄は描けないと野坂。
あそこは横から玉が飛んできて
上から降ってくるしか体験がない。
3日分と同じにしてまとめアップしたイー
1日NHK参議院のテレビ放送の3条件の一つの審議中継。
菅総理続投意向:1日読売;総理「9月以降も続投」…特例公債法不成立なら。
退陣3条件のうち、2011年度第2次補正予算は成立したが、特例公債法案と再生可能エネルギー特別措置法案は、自民党など野党の抵抗で成立の見通しが立っていない。
4カ月半経って出てきた震災復興基本方針のお粗末、エネルギー政策の迷走、セシウム汚染牛へのデタラメ対応、子ども手当撤回、ジッと注視するだけの円高対策。
中国のことをバカにして笑っている場合じゃない。
日本人の多くと大マスコミは、中国政府による新幹線の事故隠しに批判的洪水的報道だが、温家宝首相が出てきてサッサと強引に問題を処理してしまったのを見ていると、マイったと言うしかない。
初動ミスをカバーする手際よさ。
国家の危機対応とはこういうもの。
翻って、わが国では、総理にリーダーシップがゼロだから、イヤになるほど物事が前に進まない。
たとえば、先日、政府がまとめた「復興基本方針」。
復興財源の確保策を書き込めなかった。
ア然だ。
大震災から4カ月半も経つのにである。
震災直後から20兆円程度の復興財源が必要なことは分かっていた。
それなのに、この4カ月間、財務省任せで、何の準備も党内根回しもしてこなかったのだ。
ムダ飯食いとはこのことだ。
エネルギー政策だって同じ。
空き菅総理が勝手に「原発依存からの脱却」「あれは個人の考え」と迷走だから、方針が固まらない。
1日午前午後のNHKテレビを見てても
どうにも震災法案は議論が稀薄ー。
それもそうだ原発になると
菅総理のみが目立ち後はみな原子力村構成員。
原発と政党癒着:
電力会社(幹部経由)・電事連(原発推進)→自民党、
電力総連(原発推進支持)→民主党。
金で自民・民主双方買う。
1日共同「電力労組、民主に1億円超 07~09年収支報告、
電力総連や電力各社の労働組合など3年間で、献金等で計1億1108万円を民主党側に提供。
党本部に加え、岡田幹事長、川端氏ら33人の国会議員にも。
自民党側には電力会社役員ら個人献金。
会社側は自民党に、労組側は民主党に資金を集中させて労使一体で政界に影響力を強め、原発を推進した構図が浮き彫りになった、
菅総理の居座り、混迷の副産物。
米国が安全保障・TPPで強引に日本を引きずり込むこと不可能への流れ。
なら菅直人を米国に招待し、ご機嫌とる努力馬鹿馬鹿しい経済性にマッチしたユダヤ理論。
従って仏サミットでオバマの菅総理への9月招待消滅へっ!
1日読売:日米“新共同宣言”断念、政局混迷で白紙に、
9月上旬の訪米中止となることが濃厚、
米側が重視する環太平洋経済連携協定=TPPへの参加について日本側が検討を先送りし、経済分野での連携強化を打ち出しにくくなったことなどが理由。
新宣言は、日米同盟のさらなる強化の象徴となるはずだったが、日本側の政治の機能不全によって、白紙に戻る事態」よかった、よかった
米国債務上限問題:
仏ルモンド紙・HALIMI「ワシントンでの恐喝」論評:
ワシントンにおける共和党・民主党の喧嘩は最重要論点を曖昧に。
それは今後10年間の支出削減の予算削減の4分の3,総額3兆ドルは社会保障費削減で実施されることにオバマ大統領が圧力の下合意したこと。
共和党の圧力で、オバマ大統領は2010年12月ブッシュ大統領によって導入された
富裕層に対する減税措置を延期した。
米国の富裕層に対する税率は過去50年で最も低い。
米国の債務上昇の原因は何か。
第一に金融規制緩和からくる経済危機、
第二に2001年の富裕層に対する減税措置の延長(二千億ドルの損失)、
イラク・アフガニスタン戦争の一兆三千ドル。
しかし、共和党は超富裕層を職の創造者として、かつ軍事費(過去10年間に実質67%増加)を守ることを志向してきた。
ライアン下院予算委員会委員長は4月5日共和党の長期計画を示した。
GDP比24%を占める公的支出を2050年に14.75%に、
最高税率を35%から25%に、
これは費用増大(インフレ)にもかかわらず老人、貧困層への保険支払いを現状維持にすることにより実施。
この図は将来の日本。
対富裕層所得税軽減、インフレ(どこかで円高一気に解除)下の年金、医療支出据え置き。
日本を守る右も左もないと言うブログで教えいただいた.
チョット長く時間が有ればご検討を
爺目と感覚的に合う宗教文化論の根拠を見出した思い。
民族派的に思考回路の方はナルホドである。
・・・・・・
~近代科学の源流はキリスト教=現実否定にある~
今回の原発事故の要因を辿っていくと、原発そのものだけでなく
我々に内在する“近代科学に対する誤った認識”の危険性が以前の記事で見えてきました。
近代科学に対する認識を改める必要が明らかになりました
実は、近代科学の源流はキリスト教にあります。
現代では、宗教と科学というと、対極に位置するような印象を持つ人が多いと思いますが、
歴史を遡るとキリスト教と近代科学の関係が見えてきます。
キリスト教が自然=地上を否定対象として措定し、
その否定意識を土台に近代科学も自然を否定=支配対象として捉えていることの問題性を指摘している
考えてみれば近代思想と同じく、近代科学も源流はキリスト教である。
従って、近代科学の歪みの源流もキリスト教にあるはずである。
、『キリスト教封印の世界史』ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊。
>キリスト教は人間を自然から遠ざけた。
唯一至高神は地上のはるか彼方にいるという考えが広まると、人々は自然を敬おうとはしなくなった。
キリスト教徒に言わせれば、
地上は悪魔の領土でしかなかったのだ。
>聖書で「地上」という言葉を使う場合は、たいてい「罪」を意味する。
たとえば、『コロサイ人への手紙』
「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪欲、貧欲といった偶像崇拝のごときものを捨て去りなさい。そうしたものゆえに、神の怒りが下りるのです。」
ヤコブの手紙にも、同じようなことが書かれている。
地上は汚れている、と。
>今や自然は悪魔の領土となった。(中略)自然界に神はいないという考え方は、動物の扱いに影響を与えた。
聖人の仲間入りをした13世紀の学者トマス・アクィナスは、言った。
動物には、永遠の命も生まれながらの権利もなく、「創造主のまことに正しき定めによって、その生死は我らの手にゆだねられている」。
動物が悪魔の手先と見なされることもよくあった。
ルイス・レーゲンシュタインは、1991年に著した『地に満ちよ』。
「今から10世紀前には、おびただしい数の動物が、裁判にかけられ、拷問され、処刑された
動物は悪魔の手先になりやすいから、というのがその理由だった。」
つまり、「天上」が「神の住まう至高の世界」と措定され、それに対して、地上と自然は「悪魔の世界」として否定された。
つまり「神」や「悪魔」という正当化観念(架空観念)によって、現実(自然)は否定されたのだ。
自然という現実が単に否定されただけではない。
キリスト教においては最早「自然」は現実そのものではない。
「悪魔の世界」という妄想世界に摩り替えられている。
原始以来人類が対象化し続けてきた自然の摂理という現実は、頭から消え去ってしまっている。
次に、近代科学ではどうなったのか?
帰納法という「科学的思考法」を提起した、16世紀末~17世紀初頭のイギリス経験論の祖フランシス・ベーコンの理想は「宇宙を支配下におく人類国家の建設」であった。
『キリスト教封印の世界史』(ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊。
>フランシス・ベーコンは当時の魔女裁判の尋問と拷問の手口を隠喩に使って自然をこう表現した。
「自然は手つかずで残すよりも、人為的に(機械装置で)苦痛を与えた方が本来の性質がはっきりと現れる」
「真実を追求するうちに、自然の見えない秘密が見えてくるのだ」
「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」
「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう」
これはもう、魔女狩り、もしくは悪魔退治の世界である。
自然を弄り回すことは、人間が神から与えられた崇高な使命であるとでも言わんばかりである。
「神」という正当化観念によって自然の摂理という現実を捨象し、自然を「悪魔の世界」と妄想する(キリスト教)。
その上で、悪魔である自然を退治するために発達したのが近代科学。
だとすれば、それが環境破壊を引き起こしたのも何ら不思議ではないと思う。
◇キリスト教⇒近代科学における自然は「悪魔の世界」
キリスト教も、近代科学も、己の頭の中にある妄想のみに依拠した自然観が形成されている。
次に、近代科学の出発点は、現象事実の探求ではなく、キリスト教的世界観(天地創造)にあることを示している記事。
『新しい科学論』村上陽一郎著 講談社 1979年刊
近代科学の原点を知る上で重要な視点を与えてくれる著
第一節「文化史的観点から」。
>なぜ、近代科学は近代ヨーロッパにだけ生まれたのか?
キリスト教的な「偏見」や「先入観」があったからこそ、近代科学はヨーロッパに誕生した。
>地動説を唱えたコペルニクスはカトリックを信仰していただけでなく、カトリック教会の組織に属していた人物である。
彼の地動説はキリスト教的迷妄を打破することで生まれたものではない。
その著書『天球の回転について』は所属教会から出版の後押しされている。
この世界を神が造ったこと、そのとき神は整然とした秩序をこの世界に与えたこと、
そうした神の秩序は、自然の中の至るところに読み取ることができること、
こうした基本図式こそ、コペルニクスの「先入観」であり「偏見」であった。
この基本図式から外れたことを何一つコペルニクスは考えたことがない。
>ガリレオの有名な言葉がある。
「神は二つの書物を書いた。
その一つは聖書、もう一つは自然そのものだ」。
自然は神の書いた書物だ、自然の中には神の計画を書き録した言葉が満ち溢れている。
それを一語一語読み取っていくことこそ、神の意志(神が自然を造る上での設計計画)を知ることであり、それが人間に与えられた最も大切な仕事の一つだという信念。
それがなかったら、ガリレオもあれほど熱心に自然に取り組むことはできなかっただろう。
>ケプラーも絶対的な信念をもっていた。
神がこの世界を造ったときに数学的秩序こそ神自らの合理性を人間に示す例証になると考えて、この世界を「合理的秩序」の中に置いたという信念である。
だからこそケプラーは、惑星運動の第三法則を見つけるために何年もの間(気の遠くなるような)面倒な計算を繰り返すことができたのだ。
実際、惑星の運動の第三法則を見つけたとき、ケプラーは躍り上って喜んだと言われている。
彼の信念(偏見)が裏切られずに報われたからであろう。
>ニュートンも然り。
物理学的な仕事をした期間は、ケンブリッジの大学生であった頃から十年間くらいで、その後の関心は専ら錬金術と神学に向けられた。
ちなみにニュートンは、神の存在論的証明に心血を注いだデカルトを、神への不信心に連なる可能性があるとして厳しく批判している。
>彼ら自然科学者は、キリスト教的偏見や宗教的迷妄を捨てて在りのままに自然を見たから科学的真理を見つけたのではない。
神がこの世界を合理的につくりあげたというキリスト教的偏見をもっていたからこそ、近代科学を生み出すことができたのである。
>このキリスト教的偏見には、大きく二つの立場がある。
一つは、神の力は「創造」のときに全面的に働いただけで、あとは自然界は神の最初の計画通りに動いているという立場(静的創造論)。
もう一つは、神の力は「創造」の時だけでなく、今も働きつづけいてるというもの。
この世界には常時神の手の介入があり、「創造」という神の行為も最初に創造された時だけに限定する必要はないという立場(動的創造論)。
>両説はお互いを、「神への冒涜」であるとして攻撃する。
静的創造論から見れば動的創造論は、神が最初に行った創造の手直しをしなければならないと主張し、神の全能性を冒涜しているように見える。
動的創造論からすれば静的創造論は、神の働きを最初の創造の一点に限定することになり、神の遍在性(いついかなるときにも神はその力を示ししつつ存在すること)を冒涜しているように見える。
>デカルトは静的創造論に立ち、それに対してニュートンやパスカルらは、「デカルトはできることなら神なしですませたかったに違いない」としてデカルトを攻撃している。
一方でニュートンはライプニッツから、「お前の言い分を聞いていると、まるで神は最初の創造の時に、計画違いをし、そのため繰り返し創造をやり直さなければならないと言っているようだ。
それは神の全知全能に対する侵害である」と非難されている。
◇キリスト教的妄想から生まれた近代科学1
コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン、パスカル、ライプニッツ・・・
近代科学の発展に寄与した人たちとして、教科書にも出てくる名前ー
彼らを追究に向かわせたのは、“神が創りしたもう合理的世界の証明”だった。
そして、この根拠なき前提を疑うことなく追究に向かう姿勢が、近代科学の構造的欠陥の元凶となっている。
近代科学の祖たちの探求原動力は、キリスト教的妄想であったという事実。
しかも、お互いを「不信心者」として非難し合うに至ってはイデオロギー対立そのものである。
これが近代科学の祖と呼ばれる、デカルト・ニューロンらの実相だったのだ。
この事実を知れば、誰もがそこに倒錯性or邪さを感じるはずだ。
「神が創造した合理的な秩序があるはず」という不動の妄想を出発点として、それを証明するために自然を観察する。
このスタンスは、現実の自然を直視してその背後にある自然の摂理に同化しようとする姿勢とは追求ベクトルが180度異なる。
要するに、妄想発の結論ありきで、それに都合の良い自然現象を探すというのが近代自然科学の認識論的原点なのではないか。
しかも、そのことは現代に至るまでの近代科学全体を貫く支配的パラダイムである疑いが濃厚である。
というのは、都合のよい結論を導くために都合の良い実験データを収集する。
この現代の科学者に見られる態度は、近代科学の祖たちの思考スタンス(神という妄想の証明のために頭を使う)と本質的には同じだからである。
現実とは切り離された妄想の正当化。
そういうベクトルが近代科学には刻印されているのではないだろうか。
◇キリスト教的妄想から生まれた近代科学2
事実に基づかない妄想や願望を説明(正当化)することを目的としているのであれば、都合のよい事象にのみ着目し、都合の悪い現象は捨象or否定することになるのは必然。
この構造は3月に起きた原発事故で、妄想であることが露呈した原発の「安全神話」にも当てはまる。
結局“神”が“近代科学”に代わっただけで、現実の中に立脚点を持っていない点は、現代に至っても、何ら改善されていないのです。
・・・・・・・
近代市場が豊かさをもたらしたように見えて、実際は単に富の偏在を促進しただけで、
先進国の一部の人間のみが快美性を享受し、多くの後進国の人々が苛烈な搾取労働などのしわ寄せを受けて苦しめられているのと同様。
原発事故も単なる“原発”の問題でなく、現実否定を出発点としている近代科学のパラダイム自体が破綻していることの現れ。
現代が大転換期であることを認識し、歴史事実に目を向けて自然の摂理に学んでいくことで、
改めてみんなの役に立つ叡智を積み重ねていくスタートにつける。
縄文より先祖代代伝わる自然を畏怖し村の鎮守様に集い、春と秋に祈りを奉げる.
昭和30年代からこの国を覆っていくバランスなき不均等発展の工業製品
その製品横行なき稲作の国の原始社会的生産形態は昭和30年代の日本の姿。
新宿にも池袋にもオリンピック以前まだ田んぼが存在した
プラタモリ特集でも神田池袋、近々未編集特別版が放送されるがその映像が出ることだろう.
近代工業発祥の英国のあちこち、ロンドンでさえそうだが
ヒースローからロンドンに向かう車窓からの風景.
一歩外れると手つかずぎみの自然のままー
パリにしても農業国フランス国の単なる富の一極集中。
自然は生きる営みに恵みをもたらすもの.
この世こそがパラダイスにある。
ならば地上のこの自然との共生。
キリスト的にない文化論を対置してる大和民族的思考。
この国に伝えれてきたDNAこそが地球永続にある。
原発との神の持つエネルギーは人には制御が出来ぬ
動き出した核燃料休止は20数万年後にしか止まらないエネルギー。
ネアンデルタール人が誕生した頃の悠久の時間後のこと
危険すぎないか.
原発で使用後の燃えカスは放射能を出すが保管先は地球上にどこもない.
途中も危険で完全征服防御技術は確立されてない。
なぜ単純な津波事故電源喪失が→正しくは津波でなく地震で電源喪失っ!
死の土地フクシマを今後強要されねばならぬのか。
自然環境を無視した豪雨少なき米国製ゆえ
地下に施設があるからだけということ。
小学生でさえ笑う近代科学の粋の夢の技術で謳われたのにこの単純な欠陥設計。
だれもなぜ異を唱えなかったのか。
地下構造と言う不思議.
台風襲来国で先進国唯一の豪雨の地形と地下との検証が為されてない初歩的ミス。
裸でパレードする王様を笑う子供と同じではないか.
地上はどこも同じのユダヤの経典にしたがってるゆえナンダロウー。
=東海村に夢の原子の火、灯る=・・と記憶は鮮明ー
学校で教わる教科書にあの頃珍しき空中写真での原子力施設全貌があった.
国家を挙げて検証なしに大本営の賛美。
表面化してる保安院ヤラセとか言うが
国家事業ゆえ当たり前だろう。
爺目世代から言えばそうであった.
検証せねばならぬは主導した政治にアル。
何故小泉純一郎時代に
監視と推進の組織が同じ役所に吸収合併共存されたのかの検証.
加えて福島もそうだが最後の砦の緊急事故を想定した安全弁が同じ頃何故外されてるのか.
これらミステリーの解明こそが
未来アル国家の礎となろう.
振り返ることは未来の傷を減らす。
総括なる言葉は団塊の世代で使い切ったゆえ為されないんだろうか.
無能無策といえば、今は円高対策。
なぜ政府は介入しないのか。
なぜ日銀と連携して動かないのか。
単独介入は効果がないといわれるが、
今回の超円高は構造的なもので、放置しておいても改善しないから大問題。
震災・原発事故で衰弱した日本経済にとって、超円高の長期化は致命傷になる。
その危機感があるのか。
“注視したい”としか言わない菅総理や野田財務相を見ていると、頭は正常なのかと腹が立って仕方ない。
8・1に上限借金ワクをオバマは乗り切った.
8/2問題はカムフラージュでしかなかった円高問題.
欧州米国の危機を円で穴埋めし様としてる構図にアル。
大和民族はたまったものではない。
国家の危機っ!
政治家は何をしてるのか.
1年半前、藤井裕久の後を継いで財務相になった菅は何と言っていたか。
「経済界には90円台半ばの為替水準が適切という見方が多い」――。
それが20円近い異常な円高進行なのに
、「打つ手なし」
しか策はないのか。
1日東電発表10シーベルト=10000ミリシーベルトのハズ。
ベントから5カ月が経つというのにー
JCOの事故では7シーベルトの外部被ばくで作業員が死亡した
放射線に関わる従事者年間被曝量は20ミリシーベルトが限度
10000ミリシーベルトってのが、どんな数値かっ!
、「打つ手なし」
しか策はないのか。
この国は四重苦なのに、
無政府状態そのもの。
九州ブログ 宮崎参加!
よろしくお願いいたします。
↓ ↓
http://localkyushu.blogmura.com/miyazaki_town/
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花言葉は・・・・・・・心の強さ
鷺草は、ラン科ミズトンボ属
湿地性の多年草。
サギと言う鳥は田畑を耕すと随分後をついてくる.
幼きに遠く三財原の畑を牛だったか馬だったかカリチベーター、鋤なりを曳かせて耕す。
すると、なんとあとから黒ボクの後をついてくる。
調子が出てくると明日の分まで済まそうと月光を頼りに夕夜もすすむ。
ほのかに薄暗闇に白き影は今思い返すと美しき一遍の名画のシルエット。
よくなずけたものである.
唇弁が幅広く、その周辺が細かい糸状に裂ける様子がシラサギが翼を広げた様に似ている
それゆえにこの名前で呼ばれる。
観察深めるとこの花には3~4cmにもなる長い距があり、この末端に蜜が溜まる。
花は、特に夜になると芳香を発する。
花はガによる花粉媒介の送粉シンドロームの特徴を示しており、
距の長さに見合った長さの口吻を持つセスジスズメなどのスズメガ科昆虫が飛来して吸蜜する。
この時に花粉塊が複眼に粘着し、他の花に運ばれる。
スズメガ科のガは飛翔力に富み、かなりの長距離を移動する
山間に点在する湿地の個体群間でも遺伝子の交流が頻繁に起きていることが示唆されている。
宮崎は初代天皇神武船出の美々津の海軍発祥の地の碑ガアル。
連合艦隊初代長官伊東、最後の連合艦隊長官は小沢治三郎
ともに日向の人であるのはなんかの縁だろうか。
小沢は高鍋のひと、その北隣町が川南町。
こうてい疫病でご迷惑をおかけした本当の発祥地第一号で創価企業安寓楽牧場。
栃木に本社がアル投資黒毛和牛グループ。
小林にレストランふれあい動物観光牧場がアル。
ココが施設拡大で近くにある売却予定牧場企業資料情報を届けた.
そのとき本社に電話で社長三ヶ尻久美子とのビジネス話をした.
こっちたら不動産話ではない.それはサービス。
屋根に太陽光施設が乗ればいいこと.
鳶がアゲ、さんざんの無駄骨。
安寓楽牧場の破産が1日ノニュースにアル。
県国より幾らこうてい疫利用でせしめたことか。
そのまんま知事は信濃町で上級客であろうヨ。
この川南は落下傘部隊発祥の地
国立病院の裏あたりが訓練場で広大なる湿地帯
高鍋町の南に新田原基地から飛び立ち川南に落下傘の傘を開かせた.
そこはサギソウ群落地であった。昭和46年ごろ。
実に見事なものを目に留めた記憶に残ってる
今は人口の高鍋防災ダムが土砂で埋め尽くされ湿原状態の高鍋町黒谷がサギソウの名所地。
宇都木水晶花(うつぎ・すいしょうか)(1923(大12)-2010(平成22)・6・30)は茨城のひと。
〔本名、春男〕
鳥帰る遠流の島の空高く
佐渡までは届かぬ出雲崎の虹
みじろがぬ鯉を俎始めかな
彼の世から生まれかはりし蛍かも
純白のギザギザ花びらが目立ち、鳥が翼を開いた状態そのもの。
開花のその瞬間に、飛び立とうとしている
構えでなく構へなんだー
NHKラジオ深夜便アンカー遠藤ふきこ教える今日の一句
開くより はや鷺草の 飛ぶ構へ
宇都木水晶花
2日4:00~5:00
インタビュースペシャル
第一回目「ヒロシマを描き続けて」
イラストレーター…黒田征太郎
迎康子アンカーの寄り添い語りがいい引出しー。
絵本「昭和20年8歳の日記」が好評らしい
佐木隆三vs 黒田征太郎共作
驚いた、ニューヨークにいたはずの絵描きは2年前から北九州のどくにいる。
佐木隆三を頼ってきて2009年から17年住んでたニューヨークから家出老人。 共通友人野坂昭如は終始、話の話題は暗く、
戦争食糧犠牲者の弱きものの子供ら、原子力と。
其れがわかりだした.
17年ニューヨーク生活。
外から見るとよく見える。
絵本を作りましょう
沖縄は描けないと野坂。
あそこは横から玉が飛んできて
上から降ってくるしか体験がない。
3日分と同じにしてまとめアップしたイー
1日NHK参議院のテレビ放送の3条件の一つの審議中継。
菅総理続投意向:1日読売;総理「9月以降も続投」…特例公債法不成立なら。
退陣3条件のうち、2011年度第2次補正予算は成立したが、特例公債法案と再生可能エネルギー特別措置法案は、自民党など野党の抵抗で成立の見通しが立っていない。
4カ月半経って出てきた震災復興基本方針のお粗末、エネルギー政策の迷走、セシウム汚染牛へのデタラメ対応、子ども手当撤回、ジッと注視するだけの円高対策。
中国のことをバカにして笑っている場合じゃない。
日本人の多くと大マスコミは、中国政府による新幹線の事故隠しに批判的洪水的報道だが、温家宝首相が出てきてサッサと強引に問題を処理してしまったのを見ていると、マイったと言うしかない。
初動ミスをカバーする手際よさ。
国家の危機対応とはこういうもの。
翻って、わが国では、総理にリーダーシップがゼロだから、イヤになるほど物事が前に進まない。
たとえば、先日、政府がまとめた「復興基本方針」。
復興財源の確保策を書き込めなかった。
ア然だ。
大震災から4カ月半も経つのにである。
震災直後から20兆円程度の復興財源が必要なことは分かっていた。
それなのに、この4カ月間、財務省任せで、何の準備も党内根回しもしてこなかったのだ。
ムダ飯食いとはこのことだ。
エネルギー政策だって同じ。
空き菅総理が勝手に「原発依存からの脱却」「あれは個人の考え」と迷走だから、方針が固まらない。
1日午前午後のNHKテレビを見てても
どうにも震災法案は議論が稀薄ー。
それもそうだ原発になると
菅総理のみが目立ち後はみな原子力村構成員。
原発と政党癒着:
電力会社(幹部経由)・電事連(原発推進)→自民党、
電力総連(原発推進支持)→民主党。
金で自民・民主双方買う。
1日共同「電力労組、民主に1億円超 07~09年収支報告、
電力総連や電力各社の労働組合など3年間で、献金等で計1億1108万円を民主党側に提供。
党本部に加え、岡田幹事長、川端氏ら33人の国会議員にも。
自民党側には電力会社役員ら個人献金。
会社側は自民党に、労組側は民主党に資金を集中させて労使一体で政界に影響力を強め、原発を推進した構図が浮き彫りになった、
菅総理の居座り、混迷の副産物。
米国が安全保障・TPPで強引に日本を引きずり込むこと不可能への流れ。
なら菅直人を米国に招待し、ご機嫌とる努力馬鹿馬鹿しい経済性にマッチしたユダヤ理論。
従って仏サミットでオバマの菅総理への9月招待消滅へっ!
1日読売:日米“新共同宣言”断念、政局混迷で白紙に、
9月上旬の訪米中止となることが濃厚、
米側が重視する環太平洋経済連携協定=TPPへの参加について日本側が検討を先送りし、経済分野での連携強化を打ち出しにくくなったことなどが理由。
新宣言は、日米同盟のさらなる強化の象徴となるはずだったが、日本側の政治の機能不全によって、白紙に戻る事態」よかった、よかった
米国債務上限問題:
仏ルモンド紙・HALIMI「ワシントンでの恐喝」論評:
ワシントンにおける共和党・民主党の喧嘩は最重要論点を曖昧に。
それは今後10年間の支出削減の予算削減の4分の3,総額3兆ドルは社会保障費削減で実施されることにオバマ大統領が圧力の下合意したこと。
共和党の圧力で、オバマ大統領は2010年12月ブッシュ大統領によって導入された
富裕層に対する減税措置を延期した。
米国の富裕層に対する税率は過去50年で最も低い。
米国の債務上昇の原因は何か。
第一に金融規制緩和からくる経済危機、
第二に2001年の富裕層に対する減税措置の延長(二千億ドルの損失)、
イラク・アフガニスタン戦争の一兆三千ドル。
しかし、共和党は超富裕層を職の創造者として、かつ軍事費(過去10年間に実質67%増加)を守ることを志向してきた。
ライアン下院予算委員会委員長は4月5日共和党の長期計画を示した。
GDP比24%を占める公的支出を2050年に14.75%に、
最高税率を35%から25%に、
これは費用増大(インフレ)にもかかわらず老人、貧困層への保険支払いを現状維持にすることにより実施。
この図は将来の日本。
対富裕層所得税軽減、インフレ(どこかで円高一気に解除)下の年金、医療支出据え置き。
日本を守る右も左もないと言うブログで教えいただいた.
チョット長く時間が有ればご検討を
爺目と感覚的に合う宗教文化論の根拠を見出した思い。
民族派的に思考回路の方はナルホドである。
・・・・・・
~近代科学の源流はキリスト教=現実否定にある~
今回の原発事故の要因を辿っていくと、原発そのものだけでなく
我々に内在する“近代科学に対する誤った認識”の危険性が以前の記事で見えてきました。
近代科学に対する認識を改める必要が明らかになりました
実は、近代科学の源流はキリスト教にあります。
現代では、宗教と科学というと、対極に位置するような印象を持つ人が多いと思いますが、
歴史を遡るとキリスト教と近代科学の関係が見えてきます。
キリスト教が自然=地上を否定対象として措定し、
その否定意識を土台に近代科学も自然を否定=支配対象として捉えていることの問題性を指摘している
考えてみれば近代思想と同じく、近代科学も源流はキリスト教である。
従って、近代科学の歪みの源流もキリスト教にあるはずである。
、『キリスト教封印の世界史』ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊。
>キリスト教は人間を自然から遠ざけた。
唯一至高神は地上のはるか彼方にいるという考えが広まると、人々は自然を敬おうとはしなくなった。
キリスト教徒に言わせれば、
地上は悪魔の領土でしかなかったのだ。
>聖書で「地上」という言葉を使う場合は、たいてい「罪」を意味する。
たとえば、『コロサイ人への手紙』
「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪欲、貧欲といった偶像崇拝のごときものを捨て去りなさい。そうしたものゆえに、神の怒りが下りるのです。」
ヤコブの手紙にも、同じようなことが書かれている。
地上は汚れている、と。
>今や自然は悪魔の領土となった。(中略)自然界に神はいないという考え方は、動物の扱いに影響を与えた。
聖人の仲間入りをした13世紀の学者トマス・アクィナスは、言った。
動物には、永遠の命も生まれながらの権利もなく、「創造主のまことに正しき定めによって、その生死は我らの手にゆだねられている」。
動物が悪魔の手先と見なされることもよくあった。
ルイス・レーゲンシュタインは、1991年に著した『地に満ちよ』。
「今から10世紀前には、おびただしい数の動物が、裁判にかけられ、拷問され、処刑された
動物は悪魔の手先になりやすいから、というのがその理由だった。」
つまり、「天上」が「神の住まう至高の世界」と措定され、それに対して、地上と自然は「悪魔の世界」として否定された。
つまり「神」や「悪魔」という正当化観念(架空観念)によって、現実(自然)は否定されたのだ。
自然という現実が単に否定されただけではない。
キリスト教においては最早「自然」は現実そのものではない。
「悪魔の世界」という妄想世界に摩り替えられている。
原始以来人類が対象化し続けてきた自然の摂理という現実は、頭から消え去ってしまっている。
次に、近代科学ではどうなったのか?
帰納法という「科学的思考法」を提起した、16世紀末~17世紀初頭のイギリス経験論の祖フランシス・ベーコンの理想は「宇宙を支配下におく人類国家の建設」であった。
『キリスト教封印の世界史』(ヘレン・エラーブ著 徳間書店刊。
>フランシス・ベーコンは当時の魔女裁判の尋問と拷問の手口を隠喩に使って自然をこう表現した。
「自然は手つかずで残すよりも、人為的に(機械装置で)苦痛を与えた方が本来の性質がはっきりと現れる」
「真実を追求するうちに、自然の見えない秘密が見えてくるのだ」
「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」
「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう」
これはもう、魔女狩り、もしくは悪魔退治の世界である。
自然を弄り回すことは、人間が神から与えられた崇高な使命であるとでも言わんばかりである。
「神」という正当化観念によって自然の摂理という現実を捨象し、自然を「悪魔の世界」と妄想する(キリスト教)。
その上で、悪魔である自然を退治するために発達したのが近代科学。
だとすれば、それが環境破壊を引き起こしたのも何ら不思議ではないと思う。
◇キリスト教⇒近代科学における自然は「悪魔の世界」
キリスト教も、近代科学も、己の頭の中にある妄想のみに依拠した自然観が形成されている。
次に、近代科学の出発点は、現象事実の探求ではなく、キリスト教的世界観(天地創造)にあることを示している記事。
『新しい科学論』村上陽一郎著 講談社 1979年刊
近代科学の原点を知る上で重要な視点を与えてくれる著
第一節「文化史的観点から」。
>なぜ、近代科学は近代ヨーロッパにだけ生まれたのか?
キリスト教的な「偏見」や「先入観」があったからこそ、近代科学はヨーロッパに誕生した。
>地動説を唱えたコペルニクスはカトリックを信仰していただけでなく、カトリック教会の組織に属していた人物である。
彼の地動説はキリスト教的迷妄を打破することで生まれたものではない。
その著書『天球の回転について』は所属教会から出版の後押しされている。
この世界を神が造ったこと、そのとき神は整然とした秩序をこの世界に与えたこと、
そうした神の秩序は、自然の中の至るところに読み取ることができること、
こうした基本図式こそ、コペルニクスの「先入観」であり「偏見」であった。
この基本図式から外れたことを何一つコペルニクスは考えたことがない。
>ガリレオの有名な言葉がある。
「神は二つの書物を書いた。
その一つは聖書、もう一つは自然そのものだ」。
自然は神の書いた書物だ、自然の中には神の計画を書き録した言葉が満ち溢れている。
それを一語一語読み取っていくことこそ、神の意志(神が自然を造る上での設計計画)を知ることであり、それが人間に与えられた最も大切な仕事の一つだという信念。
それがなかったら、ガリレオもあれほど熱心に自然に取り組むことはできなかっただろう。
>ケプラーも絶対的な信念をもっていた。
神がこの世界を造ったときに数学的秩序こそ神自らの合理性を人間に示す例証になると考えて、この世界を「合理的秩序」の中に置いたという信念である。
だからこそケプラーは、惑星運動の第三法則を見つけるために何年もの間(気の遠くなるような)面倒な計算を繰り返すことができたのだ。
実際、惑星の運動の第三法則を見つけたとき、ケプラーは躍り上って喜んだと言われている。
彼の信念(偏見)が裏切られずに報われたからであろう。
>ニュートンも然り。
物理学的な仕事をした期間は、ケンブリッジの大学生であった頃から十年間くらいで、その後の関心は専ら錬金術と神学に向けられた。
ちなみにニュートンは、神の存在論的証明に心血を注いだデカルトを、神への不信心に連なる可能性があるとして厳しく批判している。
>彼ら自然科学者は、キリスト教的偏見や宗教的迷妄を捨てて在りのままに自然を見たから科学的真理を見つけたのではない。
神がこの世界を合理的につくりあげたというキリスト教的偏見をもっていたからこそ、近代科学を生み出すことができたのである。
>このキリスト教的偏見には、大きく二つの立場がある。
一つは、神の力は「創造」のときに全面的に働いただけで、あとは自然界は神の最初の計画通りに動いているという立場(静的創造論)。
もう一つは、神の力は「創造」の時だけでなく、今も働きつづけいてるというもの。
この世界には常時神の手の介入があり、「創造」という神の行為も最初に創造された時だけに限定する必要はないという立場(動的創造論)。
>両説はお互いを、「神への冒涜」であるとして攻撃する。
静的創造論から見れば動的創造論は、神が最初に行った創造の手直しをしなければならないと主張し、神の全能性を冒涜しているように見える。
動的創造論からすれば静的創造論は、神の働きを最初の創造の一点に限定することになり、神の遍在性(いついかなるときにも神はその力を示ししつつ存在すること)を冒涜しているように見える。
>デカルトは静的創造論に立ち、それに対してニュートンやパスカルらは、「デカルトはできることなら神なしですませたかったに違いない」としてデカルトを攻撃している。
一方でニュートンはライプニッツから、「お前の言い分を聞いていると、まるで神は最初の創造の時に、計画違いをし、そのため繰り返し創造をやり直さなければならないと言っているようだ。
それは神の全知全能に対する侵害である」と非難されている。
◇キリスト教的妄想から生まれた近代科学1
コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートン、パスカル、ライプニッツ・・・
近代科学の発展に寄与した人たちとして、教科書にも出てくる名前ー
彼らを追究に向かわせたのは、“神が創りしたもう合理的世界の証明”だった。
そして、この根拠なき前提を疑うことなく追究に向かう姿勢が、近代科学の構造的欠陥の元凶となっている。
近代科学の祖たちの探求原動力は、キリスト教的妄想であったという事実。
しかも、お互いを「不信心者」として非難し合うに至ってはイデオロギー対立そのものである。
これが近代科学の祖と呼ばれる、デカルト・ニューロンらの実相だったのだ。
この事実を知れば、誰もがそこに倒錯性or邪さを感じるはずだ。
「神が創造した合理的な秩序があるはず」という不動の妄想を出発点として、それを証明するために自然を観察する。
このスタンスは、現実の自然を直視してその背後にある自然の摂理に同化しようとする姿勢とは追求ベクトルが180度異なる。
要するに、妄想発の結論ありきで、それに都合の良い自然現象を探すというのが近代自然科学の認識論的原点なのではないか。
しかも、そのことは現代に至るまでの近代科学全体を貫く支配的パラダイムである疑いが濃厚である。
というのは、都合のよい結論を導くために都合の良い実験データを収集する。
この現代の科学者に見られる態度は、近代科学の祖たちの思考スタンス(神という妄想の証明のために頭を使う)と本質的には同じだからである。
現実とは切り離された妄想の正当化。
そういうベクトルが近代科学には刻印されているのではないだろうか。
◇キリスト教的妄想から生まれた近代科学2
事実に基づかない妄想や願望を説明(正当化)することを目的としているのであれば、都合のよい事象にのみ着目し、都合の悪い現象は捨象or否定することになるのは必然。
この構造は3月に起きた原発事故で、妄想であることが露呈した原発の「安全神話」にも当てはまる。
結局“神”が“近代科学”に代わっただけで、現実の中に立脚点を持っていない点は、現代に至っても、何ら改善されていないのです。
・・・・・・・
近代市場が豊かさをもたらしたように見えて、実際は単に富の偏在を促進しただけで、
先進国の一部の人間のみが快美性を享受し、多くの後進国の人々が苛烈な搾取労働などのしわ寄せを受けて苦しめられているのと同様。
原発事故も単なる“原発”の問題でなく、現実否定を出発点としている近代科学のパラダイム自体が破綻していることの現れ。
現代が大転換期であることを認識し、歴史事実に目を向けて自然の摂理に学んでいくことで、
改めてみんなの役に立つ叡智を積み重ねていくスタートにつける。
縄文より先祖代代伝わる自然を畏怖し村の鎮守様に集い、春と秋に祈りを奉げる.
昭和30年代からこの国を覆っていくバランスなき不均等発展の工業製品
その製品横行なき稲作の国の原始社会的生産形態は昭和30年代の日本の姿。
新宿にも池袋にもオリンピック以前まだ田んぼが存在した
プラタモリ特集でも神田池袋、近々未編集特別版が放送されるがその映像が出ることだろう.
近代工業発祥の英国のあちこち、ロンドンでさえそうだが
ヒースローからロンドンに向かう車窓からの風景.
一歩外れると手つかずぎみの自然のままー
パリにしても農業国フランス国の単なる富の一極集中。
自然は生きる営みに恵みをもたらすもの.
この世こそがパラダイスにある。
ならば地上のこの自然との共生。
キリスト的にない文化論を対置してる大和民族的思考。
この国に伝えれてきたDNAこそが地球永続にある。
原発との神の持つエネルギーは人には制御が出来ぬ
動き出した核燃料休止は20数万年後にしか止まらないエネルギー。
ネアンデルタール人が誕生した頃の悠久の時間後のこと
危険すぎないか.
原発で使用後の燃えカスは放射能を出すが保管先は地球上にどこもない.
途中も危険で完全征服防御技術は確立されてない。
なぜ単純な津波事故電源喪失が→正しくは津波でなく地震で電源喪失っ!
死の土地フクシマを今後強要されねばならぬのか。
自然環境を無視した豪雨少なき米国製ゆえ
地下に施設があるからだけということ。
小学生でさえ笑う近代科学の粋の夢の技術で謳われたのにこの単純な欠陥設計。
だれもなぜ異を唱えなかったのか。
地下構造と言う不思議.
台風襲来国で先進国唯一の豪雨の地形と地下との検証が為されてない初歩的ミス。
裸でパレードする王様を笑う子供と同じではないか.
地上はどこも同じのユダヤの経典にしたがってるゆえナンダロウー。
=東海村に夢の原子の火、灯る=・・と記憶は鮮明ー
学校で教わる教科書にあの頃珍しき空中写真での原子力施設全貌があった.
国家を挙げて検証なしに大本営の賛美。
表面化してる保安院ヤラセとか言うが
国家事業ゆえ当たり前だろう。
爺目世代から言えばそうであった.
検証せねばならぬは主導した政治にアル。
何故小泉純一郎時代に
監視と推進の組織が同じ役所に吸収合併共存されたのかの検証.
加えて福島もそうだが最後の砦の緊急事故を想定した安全弁が同じ頃何故外されてるのか.
これらミステリーの解明こそが
未来アル国家の礎となろう.
振り返ることは未来の傷を減らす。
総括なる言葉は団塊の世代で使い切ったゆえ為されないんだろうか.
無能無策といえば、今は円高対策。
なぜ政府は介入しないのか。
なぜ日銀と連携して動かないのか。
単独介入は効果がないといわれるが、
今回の超円高は構造的なもので、放置しておいても改善しないから大問題。
震災・原発事故で衰弱した日本経済にとって、超円高の長期化は致命傷になる。
その危機感があるのか。
“注視したい”としか言わない菅総理や野田財務相を見ていると、頭は正常なのかと腹が立って仕方ない。
8・1に上限借金ワクをオバマは乗り切った.
8/2問題はカムフラージュでしかなかった円高問題.
欧州米国の危機を円で穴埋めし様としてる構図にアル。
大和民族はたまったものではない。
国家の危機っ!
政治家は何をしてるのか.
1年半前、藤井裕久の後を継いで財務相になった菅は何と言っていたか。
「経済界には90円台半ばの為替水準が適切という見方が多い」――。
それが20円近い異常な円高進行なのに
、「打つ手なし」
しか策はないのか。
1日東電発表10シーベルト=10000ミリシーベルトのハズ。
ベントから5カ月が経つというのにー
JCOの事故では7シーベルトの外部被ばくで作業員が死亡した
放射線に関わる従事者年間被曝量は20ミリシーベルトが限度
10000ミリシーベルトってのが、どんな数値かっ!
、「打つ手なし」
しか策はないのか。
この国は四重苦なのに、
無政府状態そのもの。
九州ブログ 宮崎参加!
よろしくお願いいたします。
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