今日の誕生日の花は・・・・・ワレモコウ
花言葉は・・・・・・・・・愛慕、変化

吾亦紅は、バラ科・ワレモコウ属。
英語ではGreat Burnet、Garden Burnet、
日本列島、朝鮮半島、中国大陸、シベリアなどに分布、アラスカでは帰化植物として自生。
写真は↓コチラ
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AF%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%82%B3%E3%82%A6

根はは地楡(ちゆ)という生薬でタンニンやサポニン多くを含み、
天日乾燥すれば収斂薬になり止血や火傷、湿疹の治療に用いられる。
漢方では清肺湯(せいはいとう)、槐角丸(かいかくがん)などに配合されている

菊地一雄(1930(昭5)・9・14-)
石田波郷に師事
往還主宰、
雀がくれ佛がくれの草の丈
句 集 /「方壺以前」 私家版 にこうある。
青春時代は肺結核を病み、生死の境をさまよっていた。
失望と哀感のうちに偶然出会ったのが、石田波郷先生の『惜命』時代の作品であった。
入門を決意し、承諾を得たときの感激はいまに忘れ得ぬ喜びである。
その波郷先生の「鶴」誌時代の若書きの作品を、今日まで埋もれたまま放置してきた慙愧の念と、
また亡妻への一縷の手向けの憶い、さらに「往還」発足二十五周年を祝す意を重ねて、この句集の刊行にふみきった。

NHKラジオ深夜便 遠藤ふき子アンカー教える今日の一句

遠くきて みじかき旅や 吾亦紅
           菊地一雄

食欲の秋は嬉しいが長年の暴飲暴食気味に飲みすぎに自覚まで来ると欝に成る
お陰様でいまだ
胃カメラの経験がない
あいっぁぁ恐ろしい
大体白い白衣がダメだー
注射なぞトンでもないー

1950年10月28日のこと
東京大学の宇治達郎とオリンパスの杉浦睦夫、深海正治が、
きわめて小さなカメラ本体及び光源、超小型電球を軟性管の先端に取り付けた
「ガストロカメラGT-I」を完成させた。
3人を発明者として「腹腔内臓器撮影用写真機(ガストロカメラ)」の名で特許が出願されている。
この開発の経緯は、1981年に吉村昭が小説「光る壁画」として発表。
 曽根菊男も、実在する深海正冶をモデルにしたらしー
3日宮崎ではこの日にテレビ放送された

小説の中では、この開発の主なメンバーはオリオン(オリンパス)の杉浦睦夫、曽根菊男、
それに東大医学部附属病院分院の副手の宇治達郎という若い外科医。
 主人公の曽根菊男の経歴が面白い。

戦前は海軍航空技術廠支廠にいて、あの零戦搭載の13ミリ機銃の同調発射装置を開発した人物だというー回転するプロペラの間から機銃の弾丸を発射する装置で、海軍ご自慢の技術の1つ。
曽根菊男の経歴が、深海正冶の経歴そのものとすると、特別である。
あとがきで、主人公の私生活を創作したが、胃カメラと氏の関係は事実と述べている
この略歴もおそらく事実ではなかろうか。
 同僚の杉浦も面白い。

オリンパスで、日本で2番目に位相差顕微鏡の開発の成功した人物らしー。
 曽根は、戦後一時期精密機械工業の別の会社に勤めるが、その後オンカメラに転職。
技術者として従事するが、とくに担当の開発テーマもなくいた頃、
オリオンカメラが諏訪に疎開していた先が、宇治達郎のいわば実家だったという関係から、
胃カメラ開発への協力の依頼が舞い込み、その開発に没頭することとなる。

 曽根は、胃カメラ開発の担当となってからも、杉浦がしばらく位相差顕微鏡の開発に専従していた、
本格的な開発に取り掛かられずに、宇治などの指導で胃カメラ以前の検診具の下調査や関連する医学的な知識の吸収など行う。
カメラを取り付ける管の素材選び、フイルム、レンズ、豆電球の開発にあたって、
失敗を何度も重ね、社内からも批判を受けつつも地道に我慢強く開発を続ける。
試行錯誤しながら少しづつ改良し、成功ににつなげていくー

主人公が箱根湯元の温泉宿の長男ながらそこを継がず、技術者であることを希望し、東京に残る。
実家の旅館は、妻と母に任せていた。
母が亡くなっても、家を継ぐことはせず、まだ若い妻が宿を切り回すことになる。
開発に追われ、実家に帰ることがほとんどなくなる。
別居生活が長く続き、夫婦の間に不和が生じ始め・・・・
こういうった苦労を乗り越え、世界で初めて胃の中の患部をはっきり撮影することに成功、

その後の胃カメラやファイバースコープなどの進歩発展の基礎となり
世界の医学に大きく貢献する。

その成果を学会で発表した時は、同じ東大の旧式の検診具を使う医者などに酷評され
東大に従事していた時代はあまり評価はされなかったー。

そういった教授クラスの人たちとの折り合いが悪かったのだろうか、
その後、東大病院を辞め、実家の病院を継ぐ。

NHK人気番組であったプロジェクトXの方で語られていたー、
宇治達郎は、死ぬまで自分が胃カメラの開発にたずさわったことを周囲の者に語ることはなかったという。
謙虚な慎み深い人物だったのだろう。

著作は絶版らしー

なお内橋克人の「匠の時代」には日本の繁栄を支えた知られざる技術者たちを描いているー

上部消化管内視鏡を総称して俗に「胃カメラ」。
宇治は大学を去り研究を中断、東大に残った崎田隆夫たちにより胃カメラの「改良・普及」が行われた。
崎田は内視鏡学界を発足し今日の「内視鏡医療」の基礎を開拓した。
内視鏡の開発において最大の貢献者は宇治か崎田か?
今でも議論になる。

しかし当人達はいずれも故人でお互いを尊敬しあっており、
このような偉大な開発は複数の医師の努力の結晶ー

その後めまぐるしき進展
光ファイバー、スチルカメラ付きファイバースコープ超音波内視鏡
カプセル内視鏡を用いた画像診断システム・・・
進化を遂げている

万能細胞「iPS細胞」山中伸弥京都大教授ノーベル医学生理学賞受賞を逸した
4日は物理学賞の候補、青色発光ダイオードLEDの中村修二教授が残ってる

文学賞も候補者がいる。コレは政治が絡む
ユダヤに胡麻すり成功ゆえほぼ受賞しよう

ウォール街デモに「ノーベル賞の受賞者」が参加し規模拡大 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111003/k10015996261000.html
http://blogs.yahoo.co.jp/smkss434/6375628.html
今週で3週目に突入した、
「ウォールストリートを占拠せよ」デモは
「シカゴを占拠せよ」
さらにロサンゼルス・・
ボストンでは労働組合や市民団体など34組織でつくる活動団体が結成・・・
全米に広がる動きを見せている。

企業の私利私欲追求やガソリン価格高騰、医療保険制度の不備など批判の矛先はさまざまだが、
参加者同士の結束は強まっているー
ウェブサイトには
「革命が起きつつある。
ただニュースにならないだけだ」
とのスローガンが掲載されている。

2001年にノーベル経済学賞を受賞し、
3年前の金融危機の際、金融市場を十分に監視していなかったとして、アメリカ政府の対応を批判した
コロンビア大学のジョゼフ・スティグリッツ教授も参加。
スティグリッツ教授
「2500万人が正規の雇用に就けない現状を考えれば、こうした運動が起きるのは自然で、むしろ、遅すぎたくらいだ。現状を変えようという大きな運動の始まりなのだと思う」

ハッと驚かす開発に関リ成功するとワサビ抜きなら社会的栄誉を一気に受け社会の位置も様変わりー
ゆえに厳しきところでもアル。

胃カメラに優るとも劣らない開発品カーボンナノチューブ。
あの戦争の置物企業昭和電工が製品化してる

開発者・遠藤 守信(1946年9月28日 - )は、長野県須坂市の人。
信州大学工学部教授。
カーボンナノチューブ、新炭素体の科学を応用。
化学気相成長法によるカーボンナノチューブの大量生産技術を開発した。

「遠藤ファイバー」と呼ばれるこのカーボンナノチューブは
リチウム電池などに使用されているほか、電子デバイス等多くの分野で注目を集めている。
この実績により、2002年からノーベル賞候補にノミネートされ、
毎年ノーベル賞発表時期になるとマスコミで大々的に取り上げられる

カーボンナノチューブは医料品医薬品化粧品にふんだんに使われ、世界に輸出されてるー

週間金曜日9・30記事

信州大教授小山省三がカーボンナノチューブは
発癌物質である事を突き止めた

画期的医学品素材としては危うくなる

現実的にもカーボンナノチューブは産労共同で利益をあげてる

さぁどうするか
賢明なこのブログ読者は
 もう紐解いておられよう

そうです!
冤罪による・・「口封じ」が正解っ!
国立大学がである

どうしたか、

7年前の小山教授のセクハラを持ち出すー冤罪事件である

大學の処置は
=解雇処分=

ー地位保全仮処分申請ー6月脚下
山根次郎弁護士は雇用関係存続確認新訴訟で対抗
さらに9月21日松本支部に公正な裁判は出来ない
田代雅彦裁判長伊藤吾郎裁判官に自ら職務執行を避ける回避要求っ!

裁判官訴追委員会で二人の罷免
誹謗中傷X代理人裁判の行くへが
この国の未来を示唆してる

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