今日の誕生日の花は・・・・モヨウビユ
花ことばは・・・・・・・・燃え上がった情熱

 模様ひゆ、学名:Alternanthera ficoidea
 別名アキランサス,アルターナンテラ 
メキシコからブラジル南アメリカが原産。
明治時代に渡来ー
 寒さに弱いが,葉の色が黄色~赤と変化に富んでいるため
花壇の彩りとして植えられる。
花びらがないので花は目立ちませんが夏から秋に白い花。
写真は↓コチラ
http://www.botanic.jp/plants-ma/mobiyu.htm

一番知られた俳句、多くの人の口に愛唱されてるー。
エピソードがブログで教えいただける。

       正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていた
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿してる

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして
           感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白い


坪内稔典著作『俳人漱石』岩波新書,2003年にこうある

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」

 正岡子規自身,「くだもの」明治34年に次のように記す。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」

 坪内稔典は外にも記す。
「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。
それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」とー

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まい。
子規は,ここに50日余り暮らしてた。
つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいた。

 かの有名な句には
「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
この奈良行きが,子規にとっては最後の旅この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなる
この旅の費用を貸したのが漱石。
つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

途中須磨・大阪に寄って奈良に。
大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いた。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるもの。
「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠む。
奈良という古都と柿との配合の新鮮さ。
この句の改案が「柿くへば」
この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したー。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではない
子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作
単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,
それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしい
坪内稔典著『柿喰ふ子規の俳句作法』岩波書店刊,2005年

「柿」は日本原産、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
世界中「KAKI」で通用する。
学名もDiospyros Kaki ー。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
ただ氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。
その頃は干し柿として保存していたらしー。

、柿を詠んだ句。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ


NHKラジオ深夜便アンカー石澤典夫 教える今日の一句
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
        正岡子規

TPPの中味が少し漏れ出したー
25日付日経が始めてTPPの日本への影響として3面に記事を載せた。
分野、予想されるメリット、議論になりそうな点と一覧にしてある
ところが・・
可笑しな話だがメリット欄があるなら対比としてはデメリット欄があるべきだが其れはないと言う仕掛けー
また分野10種区分の中には一番問題になりそうな関税障壁欄がない。

こんな記事ありかー

関東軍参謀、石原莞爾の東京裁判での証人で言い放った言葉。
日本の戦争責任は日清・日露までさかのぼる――と迫る検事石原「それならペリーを呼べ」。
幕末の開国こそすべての始まりだというわけだ。

平和にやっていた島国に黒船で押しかけ、侵略主義に走らせたのは米国じゃないか。
昭和陸軍の鬼才らしい反撃ー
外からの圧力を陰謀のごとく受け止め、被害者意識にとらわれるのは幕末以来の日本人の習い性ー。

TPP環太平洋経済連携協定TPPへの警戒ー

農協「TPPに入ったら日本の農業は壊滅し、地域社会も崩壊する」
尊皇攘夷ならぬ尊農攘夷の様相。
ここにきて「医療も危ない」「外国人労働者が殺到する」
民主党は医療団体とも会議を持った

幕末の開国も、すったもんだの末に通商が始まった。がー
関税自主権を奪わてたー、
宮崎の人小村寿太郎が条約改正にこぎ着けたのは明治の末。
小村「やっと本当の攘夷を果たした」

かくも苦心の関税自主権を手放すのか。
ペリーのもたらした呪縛。

TPPにとりわけ注意警告するは先哲のDNAか?

TPPの真の問題は非関税障壁の撤廃ー。

非関税障壁とは国家全体の利益あるいは国内の産業やその従事者を保護するために法的な措置を通じて外国の参入を制約すること。
例えば輸入に対する数量制限、外国企業の参入禁止、参入への高い障壁、国内産業への助成など。

狂牛病の月齢制限撤廃
郵政資金の国内運用禁止
遺伝子組み換え作物
ポストハーベスト
日本で禁止されている添加物や医薬品の使用認可
労働力の自由化
言語障壁の撤廃
混合診療の解禁
国民皆保険制度の撤廃

日本がTPP加盟後、非関税障壁を撤廃できない場合は、外国企業や投資家から訴えられる可能性あり。

その調停機関が国際投資紛争解決センター。
世界銀行の本部に事務局を持つ国際機関で、外資系の投資企業が投資相手国の政府を訴えて損害を弁済させることが可能。⇒ISD条項

なんと、言語、すなわち日本語も「非関税障壁」とみなされれば、
流れに従って、撤廃されてしまう時が来るかもしれないー。

ということは、公式な場や書類など、公用の場で日本語を使うことが禁止?されてしまう日が来る?
、ということもありえる。
労働力の自由化もはかられるので、米国から弁護士が多く流入してくることもあるでしょう?。
利益の邪魔になる、とみなされれば法律だって変えられてしまいます?。
当然、彼らにわからない日本語など邪魔でしかありません。

「日本語の使用は非関税障壁だ!」となれば、撤廃されてしまいます。
「国語は日本語、けれど公用語は英語」になる日がやってくる可能性があるー。

そんなことまさか、と思われるかもしれません。
たとえばフィリピンでは、島や地域ごとに母国語が異なるものの、
国の言葉として決められている言語、すなわち国語はタガログ語。
けれど、フィリピンの公用語は「英語」。

公用語として英語の利用が義務付けられている。

公用語ですから、公の場で使われる言語はすべて英語。
フィリピンに行った方はわかると思います、

街で見かける標識や看板、表記、掲示など、すべて英語。
ある地域ではビサヤ語という地域語が母国語、でもやはり街でどこを見回しても、母国語のビサヤ語で書かれた表記や看板はひとつもないし、国語のタガログ語で書かれたものも一切ありません。

公の場、すなわち公用語ということで、すべて英語。

個人商店などはともかく、チェーンや大企業の窓口などでも同じ。
たとえ現地人とわかっても、スタッフは最初は英語で話す。
そしてお客が英語が流暢ならそのまま続行し、できなければそこで現地語に。

よって、専門職と呼ばれる仕事に就いている人や、大卒程度の教養がある人などの英語は例外なく、
アメリカ人と変わらないネイティブレベル。
フィリピンでは格安で、寮付きのマンツーマン授業の英語留学が可能。

アメリカ統治時代の名残が残っていて、当時制定された教育制度により二重言語政策が取り入れられており、学校においては、ほとんどの授業が英語でされているとも。

日本でも同じ流れになることは、以上の例からして十分にありえること。
フィリピンがアメリカに統治されたように、日本はTPPに加入してしまうことで、
事実上アメリカに統治されてしまう形となるため。

まずは「すべての公式書類に英語を併記することを義務付ける」などなのでしょう。

言語障壁の例について、他にも「非関税障壁」とみなされたものはすべて撤廃される恐れがあります。

日本の国民皆保険制度も、撤廃されてしまう恐れが十分にあります。
高いお金を払わなければ医療儲けられなければ、手術もできない-そんな時が来てしまうかもしれない。

日本語という言語まで侵されてしまう可能性のあるTPPであることも合わせて知っておくべきー
、いろいろ知って、調べて、本当に驚きの限りー

さて報道なき、隠されてるISD条項・・
コレを教えてくれるブログがある

TPPの、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、
自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。

米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか
 10月24日  中野剛志

TPPは、日本が参加した場合、交渉参加国の経済規模のシェアが日米で9割を占めるから、
多国間協定とは名ばかりで、実質的には“日米FTA”とみなすことができる。

また、米韓FTAもTPPと同じように、関税の完全撤廃という急進的な貿易自由化を目指していたし、
取り扱われる分野の範囲が物品だけでなく、金融、投資、政府調達、労働、環境など、広くカバーしている点も同じ。

 そして何より、TPP推進論者は
「ライバルの韓国が米韓FTAに合意したのだから、日本も乗り遅れるな」
と煽ってきた。

その米韓FTAを見れば、TPPへの参加が日本に何をもたらすかが、分かるはずだ。

 だが政府もTPP推進論者も、米韓FTAの具体的な内容について、一向に触れようとはしない。
何故か
その理由は簡単ー

米韓FTAは、韓国にとって極めて不利な結果に終わったからである。 

 では、米韓FTAの無残な結末を、日本の置かれた状況と対比しながら見てみよう。(中略)

 このISD条項は、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)において導入された。
その結果、国家主権が犯される事態がつぎつぎと引き起こされている。

 たとえばカナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していた。
同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。

ところが、米国のある燃料企業が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。
そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この規制を撤廃せざるを得なくなった。

 また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、
カナダ政府は環境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。
これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、
カナダ政府は823万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。

 メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。
すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、
     1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。

 要するに、ISD条項とは、
 各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。
 
 気の毒に、韓国はこの条項を受け入れさせられたのだ。

 このISD条項に基づく紛争の件数は、1990年代以降激増し、その累積件数は200を越えている。
このため、ヨーク大学のスティーブン・ギルやロンドン大学のガス・ヴァン・ハーテンなど多くの識者が、このISD条項は、グローバル企業が各国の主権そして民主主義を侵害することを認めるものだ、と問題視している。

ISD条項は毒まんじゅうと知らず
進んで入れようとする日本政府の愚

 米国はTPP交渉に参加した際に、新たに投資の作業部会を設けさせた。
米国の狙いは、このISD条項をねじ込み、自国企業がその投資と訴訟のテクニックを駆使して儲けることなのだ。
日本はISD条項を断固として拒否しなければならない。

 ところが信じがたいことに、
 政府は「我が国が確保したい主なルール」の中に
 このISD条項を入れているのである
(民主党経済連携プロジェクトチームの資料)。

 その理由は、日本企業がTPP参加国に進出した場合に、進出先の国の政策によって不利益を被った際の問題解決として使えるからだという。
しかし、グローバル企業の利益のために、他国の主権(民主国家なら国民主権)を侵害するなどということは、許されるべきではない。

 それ以上に、愚かしいのは、
 日本政府の方がグローバル企業、特にアメリカ企業に訴えられて、
 国民主権を侵害されるリスクを軽視していることだ。

 政府やTPP推進論者は、
「交渉に参加して、ルールを有利にすればよい」
「不利になる事項については、譲らなければよい」
などと言い募り、
「まずは交渉のテーブルに着くべきだ」
などと言ってきた。

 しかし、TPPの交渉で日本が得られるものなど、たかが知れているのに対し、守らなければならないものは数多くある。
そのような防戦一方の交渉がどんな結末になるかは、
TPP推進論者が羨望する米韓FTAの結果をみれば明らかだ。

 それどころか、政府は、日本の国益を著しく損なうISD条項の導入をむしろ望んでいるのである。
こうなると、もはや、情報を入手するとか交渉を有利にするといったレベルの問題ではない。
日本政府は、自国の国益とは何かを判断する能力すら欠いているのだ。(後略)

英会話を読んでてたら
スミマセン寝入ってしまってて・・
アップ遅れましたー
とんだ災難TPP・・

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