異常に陽気な一夜の日向路ー
TBS朝6時時事放談仙石×滋賀の人
TBS朝8時間佐高信寺島実郎が出てる
ブログアップがおくれるばかりー
定時お越しの皆様には
すみませんでしたー

今日の誕生日の花は・・・・・イワレンゲ
花ことばは・・・・・・・・・よき家庭を築く

岩蓮華はベンケイソウ科
関東以西,北九州の海岸の岩地 などに野生し,観葉植物として古くから栽培される
岩の上に生えていて,重なった多肉質の葉が蓮華の花、ハスの花に似ていることからも名。
花が咲くと枯れる一果性の多年草。..
写真は↓コチラ
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B2

安住 敦(1907年 - 1988年)は、東京市芝区の人
立教池袋中、逓信官吏練習所を経て逓信省に。
富安風生に師事。
1935年日野草城の『旗艦』に参加、戦後久保田万太郎を擁して『春燈』を創刊。
万太郎の没後主宰。

NHKラジオ深夜便栗田敦子アンカー教えるきょうの一句

しぐるるや 駅に西口 東口
          安住敦

19日福岡、中日エース吉見は背水の陣の役割を理解して2-1守り抜いて、最終戦第7戦に持ち込んだ
おかしなもので通説のホーム有利を覆す結果で
ホームグラウンドでないチームのみが勝利者という初めての現象。
象徴される北朝鮮でのサッカーの衝撃ゆえかー
12球団一貧打の中日の思う壺の6試合ー
さすれば落合采配の見事さ。
さぁどうなるんだろう

水戸黄門ラストラン間じかで
民放から時代劇テレビ番組が消える
NHKは大河ドラマの枠を時代劇で守り抜いてる

この国のモラルは治世の期間からしても武士の国
武士道は葉隠れに代表されるサムライの治めてきた300年、鎌倉から675年、
この国はサムライが統治してきた
新渡戸稲造は武士道を国際的に紹介した

19日午後9:00~午後10:15土曜ドラマスペシャル 蝶々さん~最後の武士の娘~(前編)
脚本は市川森一
ヒロイン蝶々宮崎あおい、祖母・みわ藤村志保、貿易商の西田敏行,よりも
長崎丸山の老舗・水月楼の養子になるが養母マツ戸田恵子
ウーーン戸田恵子がいい。
後編が楽しみ

ハドソン号は修理のため航路変更長崎を目指す
ウィリアムフランクリン少尉も乗船してる
友人は「お菊さん」の本を読めという
そこで学ぶ
上陸時のみの結婚なら邦人女性との付き合いが許される

ロシアの皇太子時代のニコライ2世や、ドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、
長崎駐留中には日本人妻がいた。
下級の軍人が揚屋などの売春宿などに通った
一方、金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。
この際の婚姻届は、鎖国から開国にいたる混乱期の日本で、
長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認しており、あくまでも一時的なもの

蝶々夫人、Madama Butterfly または Madame Butterfly, マダム・バタフライとは
1、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの1898年にアメリカのセンチュリー・マガジン1月号に発表した短編小説
2、1.をもとに制作されたアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコの同名の戯曲。
3、1.2.をもとに制作されたジャコモ・プッチーニ作曲の同名のオペラ。

長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。
1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演されたそれは大失敗だったが、
同年5月28日ブレシアで上演された改訂版の成功以来、標準的なレパートリー作品に。

色彩的な管弦楽と旋律豊かな声楽部が調和した名作
日本が舞台ということもありプッチーニの作品の中では日本人に最もなじみの深い作品。

特に第2幕の詠唱「ある晴れた日に」
蝶々役の歌手にとっては終始出ずっぱり・歌のパートも長く多いため、
また若く愛らしい娘の役であるにも拘らず、プッチーニのソプラノ諸役の中でも特にテッシトゥーラが低く、中低音域に重点を置いた歌唱が求められるため『ソプラノ殺し』の作品とも言われる。

「ある晴れた日に」
「蝶々夫人」の中でも特に代表されるアリア、単独で歌われることの多い。
伝説のソプラノ歌手、マリア・カラスもこのアリアを十八番としており、
現在出回っている彼女のベスト盤の多くにこのアリアが収められている。

・サミー・フェインは、この曲を参考に映画「慕情」の主題曲を作曲した。 なるほど。
・映像関係者の隠語として晴天を意味する「ピーカン」(ピンカートンの略)という言葉は、この曲のタイトルに由来すると
言われている。
・冒頭部分のフレーズは、1970年代から1980年代にかけて長らく
「桃屋のいかの塩辛」のCMソングとして使用された。
・ソウルオリンピックでのシンクロで小谷実可子がソロの演技
・長野オリンピックの開会式での聖火の点火の場面、
・トリノオリンピックのフィギュアで安藤美姫がフリーの演技で
それぞれこの曲をフィーチャーしたものを使用している。
・JR九州の特急「かもめ」のうち、
885系で運行される長崎行の列車では、浦上駅到着直前から車内で流れている。
・「長崎県スポーツ行進曲」にも、この曲が引用されている

蝶々夫人にまつわる国家
これらが現状の国家間にも大きく影響してる
つまり
TPPなりニ国間のFTA

国家間のありようの現状
東アジアサミット参加18カ国にも。

米、ロは初参加ー
中国・米国は予定にない首脳会談さえ開催された
初参加隣国ロシアのニュースを報じない
大メデイアのいい加減さー

ハワイでの日露首脳会談、当然行われてる
北方領土の行方は?!!
12日午後日露首脳会談、
首相、領土問題に意欲。
静かな環境のもとで.......
問題再確認に終始。
大統領は野田総理のロシア訪問を招聘し、
「感謝する、検討したい」と答えた
 ・ロ大統領は11日、北方領土「いますぐにでも日本との共同開発する準備はできている」
北方領土軍備の増強について
「南クリル(北方領土含)はロシアの領土であり、理性的に.......おこなわれるべきだ」と朝日記事
 
その後の東アジアサミットで記事が見つからない
 ソ連vsアメリカ
二極が支配した時代
ソ連が滅んでアメリカ覇権国の20年
そのアメリカの勢いがない
基軸通貨のハズのドル・デフォルトさえ伝わる
世界支配国の再編過程に入ってる。

国家の未来が関る重要な歴史の分岐点にある
対応を誤ると
国家の未来は開けない

海洋国家「米英日」3国
vs
大陸国家「中独仏ロ」4国

の対立が激化、
再び「世界大戦」という奈落の底へ陥っていく。
地勢学的には、「海洋国家」と「大陸国家」が手を結ぶのは、難しい。
だから、間違って手を結んだ場合、
根源的な不協和音により、最終的に行き詰まってくる。
これは、歴史的経験則が証明している

咸臨丸を建造した覇者オランダが英国にシーパワーを取られたのは
フランスからの軍事的脅威がありイギリスに助けを求めたから。
自国の防衛を外国に頼るようでは
やがてはその外国に美味い汁をすすられる様になってしまう。

英国もドイツからの脅威にアメリカの助けを借りた

アメリカに世界の覇権を奪われる結果にー。
自国の防衛を外国に頼る事はいかに危険なことであるかは
歴史が教えてくれる。

英国やアメリカが長期にわたって覇権を維持できたのは
本土の安全が維持できた事が大きな原因ー。
大陸国家は絶えず隣国からの脅威に晒されるから安定している時は
強大な国家が出来ても内乱などが起きれば急速に弱体化してしまう。

日本は島国だから治安も保ちやすく国土の安全も維持しやすい。
だから英国やアメリカのような
強大な海軍力を持つことが出来た。

ロシアや中国やインドやヨーロッパ大陸国は強大な国が出来ても
 長期にわたる治安と安全を保つ事は難しい。

政治が乱れれば内乱の原因にもなり
ロシアや中国やインドは絶えずテロ事件が起きている。
ソ連のように一度崩壊してしまうと
海軍力が元に戻る事は長期の時間がかかり覇権を維持する事は難しい。

中国にしても絶えず内乱の脅威に晒されて経済発展は砂上の楼閣ー。

このようにして見れば英国、アメリカが衰退して行けば残るのは日本しかない。

欧米の戦略家には英米の一極支配と多極支配体制の二つの見方がある、
英国は巧みに大陸国家同士を対立させて覇権を維持してきた。

このような外交的な戦略のノウハウは英国が持っていたものー。
バランス・オブ・パワーと言う考え方は英国の発明ではないが、
英国の戦略家は歴史に学んでそれを運用してきた。

「英国とオランダの違いは、sea powerとthe balance of powerをキチっと結びつけ、
実に巧妙に組み合せその支配力を強化し、統治力を固めていったところにある

日本はそのような事を考えるエリートがいない。

ギリシャ、イタリア、スペイン、と次々と国債の危機が発生している。
EU帝国化が始まってきた。
正に
「ドイツの欧州統一三度目の正直」
である。

確かTBS日曜朝の関口宏の番組の三菱総研寺島実郎のお話だったと思う

1960年西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がヒットしていた。そのひとは関口の妻である

海洋国家のこの国が政治的言動で一番熱気あった頃
1960年6月15日
「安保改定阻止第二次実力行使」には全国で580万人がデモ行進に参加
三宅坂、国会前ではデモの最中に東大生樺美智子さんが死亡。

その1960年は咸臨丸サンフランシスコ渡航100年の年ー
合田一道著作「咸臨丸 栄光と悲劇の5〇〇〇日」道新選書に詳述ー

それから51年を経て2011年11月ー
  TPP
騒然となってる

1860年万延元年、幕府の遣米使節団が太平洋を渡った。
政府の初めての正式な訪米使節
何故か
1858年井伊直弼が結んだ「日米修好通商条約」の批准書交換が目的ー
ただ誰も理解してなかった国富流出構図。
  関税自主権ない不平等条約
  輸出税は一律5%、
  輸入税は1類(金銀、居留民の生活必需品)は無税
      2類(船舶用品・食料・石炭)は5%
      3類(酒類)20%
      4類(その他)20%

1907年に締結された日露新通商航海条約
 これで関税自主権を回復、日露戦に勝利したゆえのこと。
1911年にアメリカを始めとする他の列強は日本と平等条約、日米通商航海条約などを締結し、関税自主権を回復
   宮崎の人小村寿太郎の功績である
53年も不平等貿易は過ぎていた

今新たな不平等貿易になる
TPP問題が惹起、
 歴史の再来
国難にある

米国のフリゲート艦ポウハタン号(2415トン)に送り届けられて太平洋を渡った
一行を「護衛・随行する」目的で派遣されたのが威臨丸ー
勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎・・勝37歳、福沢27歳、
日本近代史を彩る人物を乗せた625トン

1853年ペリー浦賀来航
1854年オランダにスクリュー式のコルベット軍艦二隻をオランダに発注
三本マストを残しながら蒸気エンジンでも動くスクリュー式で、帆走・汽走併用型

1857年3月、オランダ領だったインドネシアのバタビア(現ジャカルタ)を経て長崎に回航。
1855年にオランダ国王から贈られた「観光丸」に次ぐ、二隻目の洋式軍艦咸臨丸。

咸臨丸とは何だったのか
咸臨丸の船体の大きさは、長さ36,6m、幅8,6m、
こんな小さな船に
武士19人、水夫65人、大工鍛冶2人の日本人86人
 と、
事情あって乗船することになったロイテナント・ブルーク大尉他米海軍の軍人10人の合計96人
事情とは日本近海に測量目的で来ていた米海軍の船が座礁・沈没、生き延びた米海軍軍人が帰国の機会を待っていたという。
瀬戸内の塩飽諸島の水夫達を調達して乗船してたが
福沢の『福翁自伝』に「牢屋に大地震の如し」と表現されているような北太平洋の荒れ狂う波風に苦しめられ、
「日本人だけで太平洋を渡った」という通説は虚構ー
10人の米海軍の軍人が活躍して苦難を乗り切ったー
ただし、帰途の復路については、日本人だけの操舵で太平洋を渡ったー

2011年11月ハワイに向かうNODA総理に国防トップにあったペリーが会談。

「民主主義の国アメリカ」の衝撃。
勝海舟も『氷川清話』でこの時の体験に触れ、
「おれがアメリカに行って帰朝した時、御老中から『異国にわたりて、何か眼を付けたことがあろう』
と再三聞かれ、
『アメリカでは、政府でも民間でも、人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧でございます』
と答え、『無礼者』と叱られた」という話を語っている。

岸内閣に代わって登場した池田勇人内閣は
「低姿勢」で登場
「所得倍増計画」を打ち出すー
米国でも、11月にJ・F・ケネディが新大統領に当選、
日米関係も新しい局面に。

1951年のサンフランシスコ講話条約で国際社会に復帰した日本は、
日米安保条約によって米国との二国間同盟に踏み込み、
西側陣営の一翼を占める形で冷戦の時代を生きるという路線を歩んだ。

サンフランシスコの太平洋を見渡すリンカーンヒルに「咸臨丸入港一〇〇年記念碑」
咸臨丸が縁で姉妹都市となった大阪市が建立したものー

日米安保を巡る政治的熱狂の中でも、
咸臨丸100年を想う気持ちが
太平洋を挟む日米双方に存在していたとも言えよう。

きしくもここに登場する事柄地名は事象は大阪も含め
急激に時代のながれに巻き込まれてる再登場という奇異さにアル

NODA総理の低姿勢の登場振りといい
ただ言ってることがまるでダメー

「大震災復興税、消費税10パーセント増税」
加えてTPPでアメリカに
インドネシアでの東アジアサミツト

アメリカの生き残りをかけた必死が目立つー

1960年日本の輸入の39%は米国から輸入、
   日本の輸出の30%は米国への輸出。
つまり、日本の貿易の三分の一以上が対米国で成り立っていた。

外交・安全保障の関係のみならず経済においても、日米関係の密度が重い時代。
1971年のニクソンショックまで、日本円の対ドルレートは一ドル360円に固定。
この10年で米国への渡航者は年間200〇万人近く減少、
とくにハワイを除く米本土への渡航者は半減。
貿易の関係でも、
2009年の日本の輸出における
    対米輸出の比重は16%、
    輸入における米国からの輸入は11%
1960年時点と比べて約三分の一の比重にまで落ち込んだ。

西海岸における日系企業の支店は撤退・閉鎖を続けている。経済の関係、つまり
下部構造において日米関係は大きく変化しているのである。

米国の中国からの輸入額は2002年11月までに1135億ドル。
日本からの輸入額1103 億ドルを上回り、カナダ、メキシコに次いで3位
1960年安保改定とは「日米間の事前協議制の導入」など対米従属性を和らげる方向への条約改定という
建前を確保したものの、
実体は、米国側にとって「平時・有事にわたる在日米軍基地の長期・安定的確保」という戦略体制の
確立であった。

それでも多くの日本人は「東側の脅威に対して冷戦の時代に生きるためには」という思いで日米安保体制を容認し、
64年の東京オリンピック、70年の大阪万国博覧会を経るうちに、「豊かさへの願望」に傾斜した。
最後の「政治の季節」ともいうべき
「70年安保闘争」「全共闘運動」

日米関係は手品みたいなもの
円ドルレートも、気がつけば今や90円水準から70円
この50年で円の価値は四倍以上に。
咸臨丸151年
日本人に未来はあるのか。

咸臨丸の時代を生きた日本人は誰一人として、外国の軍隊を頼りに自国の安全を図るという事態を考えてもいなかった、
いわんや敗戦後66年が経過し、周辺状況がまるで変わっても
「自立自尊」を志向しない
脳力の虚弱さは悲劇的。
国家経営の政治家ほとんどが対米従属派。
自立自尊の国家経営者がいないー
唯一いても座敷牢で来春4月まで動けない
井伊直弼治世5年間の安政の大獄状態

咸臨丸の時代、そしてそれから101年後の「60年安保」の時代と比べ、
日本人が失っていることは自分の身辺的利害を超えて、
国や社会の在り方のために立ち向かう気迫。
日本の存在感の低下の本質はここにある。

咸臨丸も通過滞在したインドネシアのバリ。
NODA総理オーストラリアのギラード首相と会談、
東日本大震災で中断している経済連携協定EPA交渉を
12月に再開することで合意。
 また、
野田総理はTPP交渉への参加方針を伝達。
ギラード首相は歓迎する意向を表明。

 アジア太平洋地域の安全保障に関し、
ギラード首相は米海兵隊の豪州駐留計画を説明。
野田総理「米国がこの地域に関心と関与を深める中で良いニュースだ」
と支持する考えを伝えた。

両首脳は日豪安保協力進展に向け、昨年5月以来となる外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)の早期開催も確認した。 

20日深夜は夏が戻ってきた不思議な一夜
勿体無いので徘徊。
上空は結構な風があり、ダンロップ最終日にはハプニングが生じよう。
アマで三井を制した愛媛松山の人松山英樹も
おそらく・・

その勢いでブログ綴ってたら
 大風呂敷で途中。

柄になくオペラを聴いている
♪あるはれたひにおきのかなた♪
 胸騒ぎにアル

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