流行もの

2012年3月24日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・・ムスカリ
花言葉は・・・・・・・・・・・・・夢にかける思い

ムスカリはユリ科ムスカリ属
地中海沿岸には50~60種ある。


ムスクはじゃ香。
青紫の花がスズランの如くのムスカリ
園芸種のムスカリには香はほぼない

本井英(1945~埼玉のひと
高校時代より清崎敏郎に師事
その後星野立子、高木晴子に師事

弦月の弦とけてゐる寒の晴
妻知らぬセーターを着て町歩く
竹林が攻めこんでゐる夏木立
摘んで煮て土筆が好きな人なんしょ
電球のやうにぷつくら茶の蕾

出会うことのなかった大虚子に憧れて、ひたすら虚子を求め、さらに虚子の求めた彼方を探る。
これが私の俳句への姿勢、『夏潮』の立場です。 」
ツイッターもある 
「俳句は決して『競う』ための器ではありません。
一人一人が与えられた『生』をより充実して生きていくための器、いや伴侶という方がふさわしいでしょう。」

「山笑う」とかだった確か
この時期を言う
列島は南に北に実に長いが、桜前線情報が出るこの頃は春近しー
「オラガクニサ」お国自慢にしてた日本一早い春吹聴も3・11を経て封じてるこの頃。
他方楽しみを得た
日々みちのくの方の綴られるを楽しみの一つ
「山笑う」が句の中心にあり、「連山」と始めと下の句「笑うなり」に織り込まれてる技法の見事さー
地域風景を遠く山が囲む風景を
肩組み合って笑うというスケールおおきな俳人の研ぎ澄まされた17文字
春は大笑いでなく微笑みあのモナリザの如し
ただ日向路の24日深夜中の強風は
春一番の大嵐ー
早朝もまだその余韻がのこってぇいる

NHKラジオ深夜便鳥取発若林のりやすアンカー教える今日の一句

連山の 肩組み合って 笑うなり
               本井英




小沢一郎など政治記事,政界、権力の闇、暗闘。
東電放射能漏洩はアクセスが落ち、
放射能ゴミは増えるアクセスと
極端に出るー

検索ヒット機能に操作があるんだろう

ブログ界隈の老舗の意地を見る思いー
愛国の立ち位置のブログの受難の時代
記事削除から閉鎖と
政治ブログは酷い
政権批判と東電批判はマルクス筆資本論序にあるイソップ物語の如く表現しないと現代版発禁が横行してる
ネットゲリラ

居所を変え参戦、その粋や由ー
まぁ~感じてることが多いんだが・・・
「戦いは同じレベルの者同士でないと発生しない」という名言通りで笑えてること。
まぁ、
専門域の人種があることで
解ったこと
今の日本は、1000万人くらいニートがいても人手不足にならずに世の中回っていく筈なんで、そんなに働きたくないヤツを無理して働かせる必要もないーんだけどね。
つうか、
江戸時代にも50過ぎれば仕事から身を引いて隠居していたもんだし、穀潰しの居候なんぞもたくさんいたんだからー。
人を侮辱する言葉が『ニート』。
働けるのに言い訳をして働かない奴は本当にコリャァゲンダイの世相だろう
素晴らしき能力を生かしテェいないー

いつも楽しませて戴いてる
GHjimakuさんのブログにあった記事
女運の悪い男『ピアニストを撃て』
トリュフォー
生きてりゃぁ80歳とアル


「夜がくるのは止められないわ、だんだん暗くなるのだけ」
「もうそこから出られないのよ」

『ピアニストを撃て』(1960)
TIREZ SUR LE PIANISTE

フランソワ・トリュフォーの長編第二作は、彼が愛してやまないアメリカ映画、
ヒッチコックやニコラス・レイ、ハワード・ホークスを意識して企画した
セリ・ノワール(暗黒叢書)を下敷きにした犯罪映画だったが、トリュフォー自身は
二度とこんな題材は扱いたくないと後で述べている。
彼はギャング映画というジャンルが好きではなかった。
だがゴダールが発表してヌーヴェルバーグの代表的な作品となった
『勝手にしやがれ』(1959)の原案を書いてゴダールに譲ったのはトリュフォー自身だ。
舞台はパリだが、トリュフォーの脳裏にはアメリカがあったはずだ。
そもそも『ピアニストを撃て』というタイトルは、開拓時代のアメリカ西部での
酒場に「店のピアノ弾きを撃つな」と注意書きがあったらしい。
カウボーイや雑貨屋は誰でもなれるが、ピアノ弾きはピアノが弾けないと出来ない職業で
それは重宝されていたからだ。
トリュフォーはそれをもじって
この作品のタイトルをつけた。
原作はディビッド・グーディスの「Down There」。
主演の
シャルル・アズナブールはシャンソン歌手としても有名だが、
彼はジョルジュ・フランジュ監督の「La tête contre les murs 」(1958)で
映画俳優としてデビューしたが、それに目をつけたのが
トリュフォーだった。
またヒロインのマリー・デュボアはエリック・ロメールの『獅子座』(1958)に
チョイ役で出て、この映画の役に応募した。DVDの特典映像には
まだ本名のクロディーヌ・ユゼと呼ばれてカメラ・テストを受ける彼女の映像が
あるが、マリー・デュボアという芸名の名付親は
トリュフォーだった。
彼女はトリュフォーに恋をしたらしいが、当時は彼は既婚で彼女に一方的な片想いに終わった。
その後にジャン=リュック・ゴダールやロジェ・ヴァディムたちの作品や
トリュフォーの『突然炎のごとく』にも出演して芸歴を磨いていった。
脚本はトリュフォーとマルセル・ムーシーが書き、撮影は前作のアンリ・ドカエから
以降にトリュフォー組の重鎮となるラウラ・クタールが初めて起用された。
また音楽もトリュフォーと初めて組んだジョルジュ・ドルリューが参加した。
撮影は1959年11月からパリから始まり、1960年1月にグルノーブル近辺の山中でクランク・アップした。
製作は前作と同じくトリュフォーの製作会社フィルム・ド・ラプレイヤードが担い
1960年の11月にパリで公開された。

1960 (C) Cocinor

この映画もほとんどセット撮影は行われず、ロケーションで製作され
自動車の車内の場面も、スクリーン・プロセスを使わずに
自動車に手持ちカメラを持ち込んでパリ市内に自動車を走らせて撮影された。
またアズナブールとミシェール・メルシェのベッドシーンは
彼女の乳房をシーツで隠さず、大胆な描写ゆえ、フランス映画では
この後は女優が乳房を出すようになったとい言われる。
当時としては三つだがスプリットスクリーンも採用され実験的な作品だったと言える。
長編デビュー作『大人は判ってくれない』
と名作と言われる『突然炎のごとく』の
間に製作された第二作は、評価はそれほどは高くはないが、監督の腕を磨くには
練習のような作品で、その後のトリュフォー作品の地盤固めに役立ったと言えよう。
長回しやジャンプカットや鏡を使った構図やナレーションのよりダイアローグなど
大胆に採用されていた。

トリュフォー、シャルル・アズナブール、マリー・デュボア

人生に諦めを抱いているシャルリーはパリの場末のカフェでピアノ弾きを
しながら幼い弟フィードを養っている。彼にはあと二人身持の悪い弟がいた。
或る冬の夜、その弟シコが助けを求めて来たことから、またしても不幸は襲った。
ギャングをまいて逃げてきたシコにかかわりあうのが腹立たしかったシャルリーも、
店に現れたギャングを見てやむを得ず協力した。支配人プリーヌは大いに興味を抱いた。
店の給仕女レナはそんなシャルリーに思いを寄せ、彼の心の扉を開かせたいと願っていた。
ある日、壁の古いピアノ・リサイタルのポスターを見た彼は、レナに過去を語り始めた。
彼は本名をエドゥアル・サロヤンといい、国際的に有名なアルメニア出身のピアニストだった。
(1963年7月23日公開 東和=新外映配給)

なぜ女運が悪いのか?
それはかって愛した妻は主人公に
浮気を告白して建物の六階から
自ら身を投げて自殺・・・・
そして今もって愛した女もギャングの流れ弾が
当たって雪の中で死ぬ。

フィルム・ド・ラプレイヤード製作

監督: フランソワ・トリュフォー
製作: ピエール・ブラウンベルジェ
原作: デヴィッド・グーディス
脚本: フランソワ・トリュフォー
   マルセル・ムーシー
撮影: ラウール・クタール
音楽: ジョルジュ・ドルリュー

シャルル・アズナヴール
マリー・デュボワ
ニコール・ベルジェ
ミシェール・メルシェ
アルベール・レミー

モノクロ
ディアリスコープ(1:2.35)
88分
フランス語


\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/   
        ↓ ↓ 
   http://localkyushu.blogmura.com/miyazaki_town    
 ヨロシク ↑ ↑です
\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)


AIJ年金消失とオリンパス

事件の奇妙な接点
AIJ 「運用まねされる」 詳細説明を拒否
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120321-00000090-san-soci

AIJは野村OB、
ITM証券は元山一。
社長経歴みると、国際業務畑の山一の海外飛ばしの実行部隊じゃね?
こりゃぁ
ペーパー会社設立とか、資産評価の隠ぺいとかのプロだわ

ファンド設立のときから、騙しとる意図ミエミエ
こりゃぁ詐偽ー
だとすれば、単なる運用失敗じゃなく、どこかへ資金流出
23日早朝の強制<調査> に笑うー

今頃やって、当局と談合し捏造した証拠しか残ってないだろー。
何故か
政界とヤクザに流れてるゆえ

オバマ演説の
世界経済界からのヤクザ追放と基軸を一つにすることが連続して起きている

野放しの結果破綻したのに証券取引等監視委員会は何を監視していたんだ?

すみませんね、へへっ
みたいな下卑た顔で他人事のように逃げ回るんだろうなぁ 関係者。

郵政民営化
郵政マネーの末路が詐欺前提のAIJ
マスコミはAIJを運用失敗と出してこれを詐欺前提の事件と報道しない
郵政マネーはケイマンに流れてわざと運用失敗損失出しましたって同じオチになる
投資立国の末路

>強制捜査の予定
ってな、予告するバカいると思う?

これ、運用の失敗じゃなくて絶対に詐欺だから
マネロンタリングされた金はそっくりどこかへ流れている

霞ヶ関界隈に古くからある怪情報

、「竹中平蔵金融担当相と財務省の榊原英資元財務官が、ケイマン諸島を通じて巨万の資産を築いている」

AIJの取引に関与した管理会社『エイム・インベストメント・アドバイザーズ』の役員はAIJの浅川社長が兼ね、
販売元のITMも資本提携関係があり事実上一体化。
監査法人による監査報告も3者のみで確認し、顧客に開示を拒否。

捜査が遅れた理由は明らか

検察は
耐震偽装を姉歯の単独犯にしたり、
郵政民営化での過程のかんぽ宿、ゆうちょ銀行のカード事業の委託先などの郵政利権の
オリックス、
出身母体への西川善文の利益誘導の不起訴
厚生労働省元局長村木厚子氏犯罪でっち上げ、
虚偽報告書で小沢被告を検察審査会において起訴への誘導
検察に任せていいものなのかという不信感
AIJ委託基金に49人天下り
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120323-921550.html


>>1 アイティーエム証券て未だ存在していたのか?
 とっくの昔に仕手戦「鉄砲」注文で調査突入されたろ・・・・
       ↑
ライブドアの株ブーム時に新興市場で仕手戦で暗躍したエイムグループ
AIJ=エイム・インベストメント・ジャパン投資顧問
浅川和彦・・・ 野村證券出身
エイム・インベストメント・ジャパン ← ※新興市場株ブームに登場した、有名な仕手筋エイムグループ
グループ企業
・株式会社アイティーエム証券 ← 仕手戦 「鉄砲」注文
・株式会社ミレニアム・アソシエイツ ← (新興市場へ新規公開コンサルティング)
・株式会社エイ・アイ・エム(インターネットソリュ-ション)
キナ臭い仕手集団、新興市場の仕手戦や不動産ファンド、ケイマン、香港に んなもん、大規模な粉飾してた上場企業がなんの罰則もなしだもん‥
もうモラルハザードでなんでもありだろ
新興市場で仕手戦で暗躍したエイムグループ
新興市場不動産株も派手に仕手戦やっていたから、リーマンショックでステンテンだろ。
シンガポールから先物のやっていた連中だから、リーマンショックでほぼ全滅だろ。


資産運用で金巻き上げるシステム作ったはいいが先の事は全く考えてなかったんだろうな
そもそも本当に資産運用していたのか?
という疑問は残るがそれも取引記録調べたらわかる話か
日本振興銀行の時みたいに
ホンモノの悪には絶対に辿り着けないようになってるからねえ
アメリカ マードフ事件のパクリ
ナスダック創設者の一人ユダのマードックが数兆円の資金集めて破産
投資家死亡
マードフは禁固100年以上
80くらいの爺になw
運用損は1092億円 監視委、AIJを強制調査

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