お彼岸の中日

2012年8月15日 お仕事
今日の誕生日の花は・・・・・ヒオウギ
花言葉は・・・・・・・・・・・・・誠意





   別称ぬまたば、夜、髪のまくらことば
檜扇(ヒオウギ)の名前の由来は葉っぱが平安時代の貴族が持っていた檜扇に似てるのでー。 及川 貞(てい、1899年(明32年) - 1993年(昭61年))は東京市麹町区(現千代田区)のひと幼い頃は麻布にて育つ旧姓は野並
東京府立第三高女=現在の都立駒場高を卒業後、海軍将校、及川鉄五郎の元へ嫁ぐ。夫に随って、佐世保、呉、舞鶴などの軍港都市に転居を繰り返した NHKラジオ深夜便、石澤典男アンカー教えてくれる今日の一句。 堪ふる事いまは暑のみや終戦日
  及川貞
14日21:00NHKニュース9;大越の直接取材の
米海兵隊トップ のエイモス総司令を報じた8月14日 22時5分

記事はコチラhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20120814/k10014283161000.html
                                 ロンドン・オリンピック開会式での日本人退場事件の意味するものは何か
われら日本人は再考を要す        とブログで教えいただきました                                                         =8月は鎮魂の月=
 毎年8月に訪れる三つの追憶に共通するもの
(1)広島・長崎原爆犠牲者命日、
 (2)日航123便墜落犠牲者命日、
、(3)日米太平洋戦争犠牲者命日

 これまでの疑問、
それは、上記三つの出来事に関連性はないのか、という点でした。

日航123便御巣鷹山墜落事件
   と
オスプレイ=鷹をつなぐ糸:
1985年、濡れ衣を着たボーイングへのご褒美は
  おいしいオスプレイ開発受注=2兆円だった?垂直離着陸機オスプレイの配備は、依然として大きな問題となっていますが、
最近では、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故との関連が指摘されています。その論拠 1.墜落した日本航空123便は米ボーイング社製で、
ボーイング社はベル社と組んで
事故のあった1985年にオスプレイを受注している 2.機体の名称が "V-22 Osprey"(オスプレイ)と決定された    のが、同じ1985年だった。
米海兵隊向けをMV-22、米空軍向けをCV-22とした 3.オスプレイ(Osprey、オスプリー、オスプレィ)は猛禽類の    タカの一種である
    「ミサゴ」のことであり、
    これが「御巣鷹山=オスタカヤマ」という言葉に通じる。 4.オスプレイの飛行訓練ルートに御巣鷹山は含まれていないが、
  自衛隊の空域でも訓練が行われる予定で、
  御巣鷹山はそのエリアに含まれている。 単なる偶然だろうと考える人もいるでしょう
      が、
開発が始まったのが墜落事故と同じ1985年だったという点は 些か引っかかります。
123便の墜落が米軍の仕業と言われているだけに、尚更です。
 日本航空123便墜落事故は不可解な事件で、墜落事故現場は米空軍横田管制空域内にあり、
自衛隊が救助に向かったのは墜落後                  14時間も経ってからのことでした。
この間に生存者の救出をそっちのけにして、
何かを探していたという話もあります。 ネットには(新)日本の黒い霧というブログがあって、本事件の真相に迫っています。
墜落現場周辺には、自衛隊や米軍、ソ連軍の航空機、戦闘車両、ミサイル等の破片が相当量見つかっているそうです。
サイトには、その写真が掲載されています。http://blog.goo.ne.jp/adoi/
このブログの著者は、何者かに常時、監視されて命を狙われているようです。
にもかかわらず、それにくじけず地道に本事件を追及しています。

 もうひとつ、JALの元エリート社員・佐宗邦皇(故人)(75年東大法卒)
の本事件追及にも頭が下がります。
本事件は、米軍機の核ミサイル被弾による撃墜事件とのこと。
同氏はJALの経営企画部出身であり、本事件に深く係わってきた人物でしたが、
JALを退社した後、米軍機による中性子爆弾ミサイル使用説を唱えている時期2009年8月9日、59歳にて急逝=不審死されています。

 日本政府もJALもこれを妄言として無視していますが、同氏はJALの東大法卒エリート社員だっただけに、本事件の関係者は佐宗氏の証言を無視できないことは容易に想像できます。  御巣鷹山の墜落現場は、戦場のようになっていたわけです。そして奇怪なことに、事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されており、
機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていたそうです。=「ウィキペディア」
 このため、自衛隊の出動が遅れたとも言われています。
中性子爆弾搭載のミサイルによって破壊されたという説も、ここから来ています。              底知れぬ恐ろしさを秘めた事件で、日本国民の安全など蔑ろにされていることが判ります。
福島第一原発事故と通底するものがあり、今のままでは同様な事件が繰り返されることになります。                             日本航空123便が墜落した1985年は、日本経済を狙い撃ちしたプラザ合意が成立した年
事故後1カ月経った9月22日に発表されています。
ニューヨークのプラザホテルで開かれた歴史的な会議ですが、わずか20分で終了したと言われています。
会議とは言いながら、事前に話は決まっていたわけです。                            当時の内閣総理大臣は中曽根康弘で、大蔵大臣は竹下登、日銀総裁は澄田智です。
錚々たる売国奴で占められており、
これを契機に日本経済は坂道を転げ落ちてゆくことになります。
   この後バブルが起きますが、
   これは日本を突き落とすための布石でした。 
日本を標的としたプラザ合意を呑ませるために、脅しの材料として123便は撃墜されたとも言われています。

また、垂直尾翼が破損した123便は米軍横田基地に不時着しようとしましたが、
着陸直前に拒否され、
中曽根が自分の地元である群馬県山間部上空で撃墜するよう米軍に依頼したという話もあります。 これらは日本航空の元エリート社員・佐宗邦皇氏の説ですが、
当の日航社員よる追及ですから、影響の大きさを案じた日米の権力者たちが口封じのために殺したのでしょう。 
中曽根は未だ生きていますから、逮捕して真相を究明する必要がありますが、そんな展開は期待できません。
政権交代三代目野田住彦は就任早々の中曽根に睥睨、ひれ伏すー指南役ー
 中曽根はロッキード事件で田中角栄を生贄にして生き延びており、
小泉純一郎を遥かに超える悪党。
本事件に米軍が関与していることが事実なら、日米安保条約がひっくり返るような国家的一大事です。

 なお、プラザ合意がその後の日本の転落の重大なトリガーであったことは、
衝撃作・孫崎享著『戦後史の正体』2012、創元社刊行の298頁に詳しく書かれています。

 本事件に米軍の関与があったのなら、相模湾上空にて123便の機長が聞いた最初の爆発音は、
米軍もしくは自衛隊の軍事演習用の無人標的機(爆弾搭載せず)が尾翼に突き刺さった衝撃音という説の信ぴょう性が増大します。
ところが、
123便はこれでは墜落せず、米軍横田基地に不時着しようとしたが着陸直前に拒否されたのです、
なぜか、
それは、民間機が軍事演習の標的にされたと知った日本国民の
 反自衛隊化、反米軍化、そして、日米安保反対運動激化を恐れたと思われる
  親米・中曽根が、
自分の地元である群馬県山間部上空での123便撃墜を米軍に依頼したというのが、故・佐宗氏の証言です。

 なお、本証言に関し、当の中曽根からは何の反応もありません。
中曽根は沈黙したままあの世に逝くのは許されません。

ボーイング社はなぜ、濡れ衣を着ることに同意したのか
123便墜落事故後のボーイング社の対応に着目してきました
サマーバケーション中、ボーイングの専門分野の異なる技術者が10人もそろって、
事故2日後の8月14日に早くも日本に到着した事実に非常に強い疑惑を抱いています、
なぜなら、
あまりに手回しが良過ぎるからです、
そして、翌15日に現場に入り、16日に、記者会見
、事故原因は123便が以前にしりもち事故を起こして破損した後部圧力隔壁の修理不良と断定したのです、
   おのれのミスをこんなにも簡単に認めるとは・・・。
これは事前にシナリオができていたとしか考えられません、
すなわち、
彼らは事故前からスタンバイしていたのではないかという強い疑惑が生じます。

 上記、佐宗氏の推論が当たっていれば、123便のしりもち事故を修理したボーイング社にまったく非はないわけです。
ところが、
事故現場調査の翌日に早くも、事故原因をボーイング社の修理ミスとボーイング社自身が断定したのです。
しかしこれはいかにも不自然です。
なぜなら、
521人も死んだ巨大事故の原因が、自社の修理ミスであることを素直に認めれば、ボーイング社にとって巨額賠償金を払わされるわけですから、
簡単に、ボーイングのミスを認めるのは自殺行為となります。
あのしたたかな米国企業がおのれの非をあっさり認めるのは非常におかしいのです。

 ボーイング社があっさり修理ミスを認めたのは、事前に、当事者と何らかのウラ取引きができていたからとみなすのが自然です。
そういえば、その後、JALがボーイング社を相手取って、損害賠償訴訟を起こしたという話はあまり聞いていません、
実に不思議です。
一方、JALはこの事件が発端で、その後、経営がおかしくなり、
2010年、遂に会社更生法の適用を申請して倒産してしまいました。

 しかしながら、その後、ボーイング社は自社の修理ミスを認めても、日本側から何ら目立った訴訟も起こされず、
今日に至っています、
おそらく、ボーイング社はみずから濡れ衣を着ても余りある“おいしい見返り”を受け取ったのではないでしょうか。

 ボーイング社がベルと組んで、例のオスプレイ開発提案を競争入札で落札したのが、
132便墜落の1985年です
、これは偶然でしょうか。

 そういえば、米国サイドからもオスプレイの技術的欠陥を指摘する声がありますが、
ボーイング社のライバルは、1985年のGive &Takeのウラ話を知っているのではないでしょうか。
なお、オスプレイ開発費は2兆円だそうです。

123便事故当時のボーイング社の動きがコスカライ米国企業にしてはあまりに不自然だったので、
何かあるとは睨んでいましたが、
ボーイング社のオスプレイ開発の受注が1985年とは絶句、あまりに出来過ぎています。

 これが事実なら、オスプレイ(鷹)の実験を群馬県御巣鷹山上空でやるのもなんかの因縁です。
そういえば、7月のオスプレイ騒動時のTVニュースにて、群馬県の住民が、米軍機の群馬県上空の訓練飛行日をカレンダーに記していましたが、驚くほど頻繁に行われています。
御巣鷹山に眠る521人の御霊は安らかに眠ることもできません。

8・15

            敗戦国

             ただ
           日本列島は 

        いつまで 属国なのか?!




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