今日の誕生日の花は・・・・レンゲショウマ
花言葉は・・・・・・・・・伝統美
金鳳花科。
・学名 Anemonopsis macrophylla
Anemonopsis : レンゲショウマ属
macrophylla : 大きな葉の
Anemonopsis(アネモノプシス)は、
「アネモネ(Anemone)属に似た」の意味。
御恥ずかしい
ショウマはしってるが・・・
雨音のかむさりにけり虫の宿
松本たかし
日々応援いただいてるブログの方から教えいただいた
9月4日はクラッシク音楽に日といわれる
急遽差し替えー
気持ちが悪いー
メデイアの総賛辞橋本徹オンパレード
メヂイアが狂っている
国家とは営々と積み上げられてきたシステムである
第3の権力メデイアは権力をチェックするために
所在の場所の土地さえ優先的に国有地をタダみたいな値段で国家が渡してるのもソレ
象徴的言葉デ語られるは「社会の木鐸であるー」
テレビ新人々さえ現れてる
「NHKが必要無いっ!」
とこの10日ばかりの居候客人が平然と言い放つ
国家機能の公共放送を認めないー
クーデターのとき何故放送局を押えるか解かってぇないー
これもまた危険である
よくも3人も子を御育てだー
国家民族がまるでお解かりでないー
両手ない日本人銀メダリストに
喜びと口惜しさで涙する爺目を嗤う
金と銅の異邦民族は両手両足がある
ロンドン発テレビに民族性を覚醒されている爺目ー
NHK否定っ!
これもまた危険である
真のメデイアの役割に回帰させるべき運動が必要なようだー
アップが漏れていた
日曜日の楽しみ教育12チャンネルETV特集
2日
午後10時00分から午後11時00分
「吉田隆子を知っていますか~戦争・音楽・女性~」
アカのひとを
NHKがよくぞ取り上げてくれた!
プロレタリア文学運動には
傾注して小論としたいため、秋田土崎
石油生産で栄た地まで訪ねた若き頃ー
種播く人顕著会の会長さんはいきなりの無礼な訪問の小生を受け入れ戴き
墓参とかアチコチご案内いただけた
後でビックリしたが県会議員で画家のお方
後日画集製本さえ戴いたー
ほかに岩波書店社ゴロに取り入れたれる思いにも触れたく
岩波茂雄を鎌倉の墓石で偲んだー
近江屋小牧がフランスのクラルテ運動から持ち込んだもの
雑誌「種播く人」に結実し第一次三冊を発行
権力の弾圧資金難から一時避難として今野賢三、金子洋文らと現地で作成発行された
その後の東京版ではこれに、青野季吉・平林初之輔らも参加
・・・
小牧がフランス滞在中に参加したアンリ・バルビュスの提唱した反戦運動=クラルテ運動の種を日本で蒔くと言う趣旨に基づく。スローガンに「行動と批判」を掲げ、
ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に様々な特集を組んだ。
wikiの記述はこうある
1923年、関東大震災により廃刊(第二次通巻21冊)したが、終刊号と別冊『種蒔き雑記』で
震災時の亀戸事件での朝鮮人・社会主義者への虐殺に強く抗議した。
『文芸戦線』はこれに後続するものとされる。
日向の地では白樺派高貴な地位の武者小路実篤があたらしき村の興隆期
もちろんこの純粋文学共同体運動も
アカ扱いで官憲が付き纏った
以前は贈呈の定番であったゆえお見かけ記憶のもありましょうーこれらの絵
武者小路実篤の新しき村思想は、実篤の著作や記事などを通して世界中で理想社会を建設しようと考える思想家や政治家たちにも影響していった。
中華人民共和国の父と言われた毛沢東は、学生時代、魯迅の弟、周作人が中国に紹介した「新しき村」に出会い、長沙西岸の湘江をへだてる岳麓山のふもとに新しき村の建設をもくろみ、そこでどのように生活するか計画をたてていた。
大正7(1918)年、武者小路実篤は人間が人間らしく生きるための理想郷を追い求め、宮崎県木城町石河内に新しき村を作った。昭和13(1938)年、ダム建設のため農地が水没することになり、埼玉県毛呂山町へ移転し、残った農地を日向新しき村として存続した。
日向新しき村の中にある武者小路実篤記念館に展示されていた昭和10(1935)年の新しき村の写真。
前を流れる川がダム建設によってダム湖になり、手前の田んぼのあたりが水没した。右手の小高い所と正面奥の所が今も残っている
大正7(1918)年、武者小路実篤は人間が人間らしく生きるための理想郷を追い求め、宮崎県木城町石河内に新しき村を作った。昭和13(1938)年、ダム建設のため農地が水没することになり、埼玉県毛呂山町へ移転し、残った農地を日向新しき村として
コチラ http://www.miya-shoko.or.jp/kijo/chiiki/kankou/meisyo/atarashikimura.htm
おかしな話しだが
働く側のあらゆる組織は共産党とそれ以外と二つに分かれる
戦後勃興の原水爆禁止運動も含め
そうだが
プロレタリア文学運動も二派に分かれる
今野賢三、金子洋文らと土崎港で第一次三冊を発行した雑誌。
翌年、東京版を発行し、青野季吉・平林初之輔らも参加した。
小牧がフランス滞在中に参加したアンリ・バルビュスの提唱した反戦運動=クラルテ運動の種を日本で蒔くと言う趣旨に基づく。
スローガンに「行動と批判」を掲げ、ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に様々な特集を組んだ。
1923年、関東大震災により廃刊(第二次通巻21冊)したが、終刊号と別冊『種蒔き雑記』で震災時の亀戸事件での朝鮮人・社会主義者への虐殺に強く抗議した。 『文芸戦線』はこれに後続するもの
長くなるので白樺運動はこれまでも本家ブログ時代何度もアップしてるのでいづれー
ーもどすー
あの戦前の軍国主義の時代を、ひたすら平和音楽家・反戦音楽家として生涯を貫いた吉田隆子さんの存在を初めて知った。
父親は陸軍の校長、母は津田の出ー
ピアノ奏者で作曲家。
神がかり的な音楽を排除して、ベートーベンに近づこうとしていた。
吉田隆子作曲『カノーネ』は独特の高揚感のある美しいピアノ曲。
彼女自身が音になっているような。
『ヴァイオリン・ソナタ ニ調』も同様、
例えるなら和のショスタコーヴィチ。
その精神に共通点を感じる。
自身を励まし、黒く巨大なものに立ち向かう、音楽を通じた信念の声、根底に流るるリリシズム
彼女は前後4回も特高警察に検挙
それでも、信念を曲げなかった、ために体を壊して病弱になり、これからというときに口惜しくも絶命した悲劇の音楽家。
知らなかったー
彼女のようなプロレタリア運動家がいたことに知らなかった恥と日本人として誇り
ただただうれしい。
政権復帰が見えてきた自民総理メンバー
戦争屋ばかりー
政治が悪化すると、反対に良い人間が抵抗するものがこの国
▲吉田隆子「君死にたもうことなかれ」(新宿書房)と「君死にたもうことなかれ」の楽譜
●吉田隆子をモデルに「黄服少女」「少女の首」などを描き、彼女と一緒に行ったコンサートから着想して「オーケストラ」を描いている三岸好太郎。
澤地久枝の「好太郎と節子~宿縁のふたり」を読んだ記憶が鮮明のうちにと、その吉田隆子の「君死にたもうことなかれ」(新宿書房、2005)をワクワクして、一気に読んだ。
与謝野晶子を主人公にした3幕7場のオペラで1950年に発表されたが上演される機会がなく、半世紀以上経った2005年に単行本化されたもの。台本を読むだけで、舞台の様子を思い描くことができる、感動的な展開が続く。
http://blogs.yahoo.co.jp/galleryimozuru/58263678.html
●晶子は兄鳳秀太郎から「絶縁」され、父の葬儀にさえも「世間の手前、すぐ帰れ」と。葬儀のその時、役場の者が弟籌三郎(ちゅうざぶろう)に出征(旅順・日露戦争)の赤紙を持ってきた。
晶子は『君死にたもふこと勿れ』とうたった(「明星」に発表)。
文芸評論家の大町桂月(けいげつ)が晶子の詩をもってして「乱臣なり、賊子なり、国家の刑罰を加うべき罪人なり」と非難したという。台本からそれらの場面が次つぎリアリティに展開する。
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
●吉田隆子が作曲した「君死にたもうことなかれ」の楽譜が同書に掲載されている。
「ゆっくりと荘重に感情をこめて」とある。
激動の昭和、太平洋戦争のさなか、新しい音楽を目指し、信念を貫いた女性作曲家。
吉田隆子(1910~56年)。
戦前、男性中心の音楽界にあってみずから演奏家を組織し、聴衆との接点をつくりだそうとした女性の音楽家で、戦後、世界に通じる音楽を作りだすことにも挑んだ。
隆子は、独学で作曲を学び、
「楽団創生」をみずから結成。
築地小劇場を中心に民衆のための音楽運動を展開し、人気を集めた。
楽団では、断髪、タキシード姿の隆子自身が指揮棒を取る。
りりしい隆子の姿は話題を呼び満員札止めの盛況となる。
昭和13、4年ごろのことだ。
しかし、
軍部ににらまれ、思想犯として4度の勾留生活をおくることになる。
4回目の勾留は5か月におよんだ。そのため重病になり釈放されたものの、昭和15年から終戦の翌年21年までの6年間、結核を病み闘病することになる。
その間、周りにはいつも特高警察の監視があり、伴侶は獄中にあるという過酷な境遇となった。
昭和20年に入ると東京空襲で戦火が間近に迫ってくる。
この苦難の中にあっても、隆子は音楽への愛、戦争反対の思いを諦めることはなく、
「病床日記」にひそかにつづった。
今回、新たに見つかった「病床日記」「自筆メモ」、関係者の証言などから、隆子の作曲家としての音楽への強烈な思いが浮かび上がってくる。
そして、戦争に蹂躙されたクラッシック音楽と女性作曲家の運命が明らかになってくる。
戦前、芸術家の多くが戦争協力した中で、特高警察に勾留されながらも、音楽への情熱を失わず主張を貫き通した吉田隆子。
彼女はどのようにして特高と闘い、音楽活動を戦後再開させたのだろうか?
番組では、隆子が残した膨大なメモ、伴侶の劇作家、久保栄、養女の久保マサらの残した証言などから、吉田隆子の音楽へのあくなき情熱、戦争反対の志をクッキリ浮き彫りしてくれた
戦争屋その日本代弁者慎太郎らが竹島尖閣を企画、宣伝屋の尻馬に乗るメデイアが煽る
戦争賛成賛美の皆さんに是非見ていただき、考え直していただきたい。
きれいごとで済まされない暗闇の戦中今の世に生きてワイワイ言ってるだけの人には耐えられまい、今のうちに転換したらまだ救われる
久しぶりに
奈良岡朋子の声ー
宇野重吉×滝沢修
ええっ!宇野重吉知らない
長男が寺尾聰
ええっ!?
AKB48は知ってるが寺尾知らない!?
う~ん・・
番組は見たいー
ええっ!終わったではないかお怒リー
再放送ー
9月9日(日) 午前0時50分~<60分>
お口汚し・・
尖閣「政府購入で合意」NHK報道正しいのか 地権者側は「東京都に売却」変えず
「政府 尖閣購入で地権者と大筋合意」
などと報じたのは、NHKだ。
NHK 「20億5000万円で大筋合意」 2012年9月3日のニュース、
政府は、地権者と交渉を続けた結果、20億5000万円で購入することで大筋合意。
9月中の国有化を目指して詰めの調整をしているという。
石原慎太郎都知事は、8月19日に行った野田佳彦首相との極秘会談で、漁船待避のための船だまり施設整備などを国有化の条件としていたが、これには応じない方針だとしている。
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花言葉は・・・・・・・・・伝統美
金鳳花科。
・学名 Anemonopsis macrophylla
Anemonopsis : レンゲショウマ属
macrophylla : 大きな葉の
Anemonopsis(アネモノプシス)は、
「アネモネ(Anemone)属に似た」の意味。
御恥ずかしい
ショウマはしってるが・・・
雨音のかむさりにけり虫の宿
松本たかし
日々応援いただいてるブログの方から教えいただいた
9月4日はクラッシク音楽に日といわれる
急遽差し替えー
気持ちが悪いー
メデイアの総賛辞橋本徹オンパレード
メヂイアが狂っている
国家とは営々と積み上げられてきたシステムである
第3の権力メデイアは権力をチェックするために
所在の場所の土地さえ優先的に国有地をタダみたいな値段で国家が渡してるのもソレ
象徴的言葉デ語られるは「社会の木鐸であるー」
テレビ新人々さえ現れてる
「NHKが必要無いっ!」
とこの10日ばかりの居候客人が平然と言い放つ
国家機能の公共放送を認めないー
クーデターのとき何故放送局を押えるか解かってぇないー
これもまた危険である
よくも3人も子を御育てだー
国家民族がまるでお解かりでないー
両手ない日本人銀メダリストに
喜びと口惜しさで涙する爺目を嗤う
金と銅の異邦民族は両手両足がある
ロンドン発テレビに民族性を覚醒されている爺目ー
NHK否定っ!
これもまた危険である
真のメデイアの役割に回帰させるべき運動が必要なようだー
アップが漏れていた
日曜日の楽しみ教育12チャンネルETV特集
2日
午後10時00分から午後11時00分
「吉田隆子を知っていますか~戦争・音楽・女性~」
アカのひとを
NHKがよくぞ取り上げてくれた!
プロレタリア文学運動には
傾注して小論としたいため、秋田土崎
石油生産で栄た地まで訪ねた若き頃ー
種播く人顕著会の会長さんはいきなりの無礼な訪問の小生を受け入れ戴き
墓参とかアチコチご案内いただけた
後でビックリしたが県会議員で画家のお方
後日画集製本さえ戴いたー
ほかに岩波書店社ゴロに取り入れたれる思いにも触れたく
岩波茂雄を鎌倉の墓石で偲んだー
近江屋小牧がフランスのクラルテ運動から持ち込んだもの
雑誌「種播く人」に結実し第一次三冊を発行
権力の弾圧資金難から一時避難として今野賢三、金子洋文らと現地で作成発行された
その後の東京版ではこれに、青野季吉・平林初之輔らも参加
・・・
小牧がフランス滞在中に参加したアンリ・バルビュスの提唱した反戦運動=クラルテ運動の種を日本で蒔くと言う趣旨に基づく。スローガンに「行動と批判」を掲げ、
ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に様々な特集を組んだ。
wikiの記述はこうある
1923年、関東大震災により廃刊(第二次通巻21冊)したが、終刊号と別冊『種蒔き雑記』で
震災時の亀戸事件での朝鮮人・社会主義者への虐殺に強く抗議した。
『文芸戦線』はこれに後続するものとされる。
日向の地では白樺派高貴な地位の武者小路実篤があたらしき村の興隆期
もちろんこの純粋文学共同体運動も
アカ扱いで官憲が付き纏った
以前は贈呈の定番であったゆえお見かけ記憶のもありましょうーこれらの絵
武者小路実篤の新しき村思想は、実篤の著作や記事などを通して世界中で理想社会を建設しようと考える思想家や政治家たちにも影響していった。
中華人民共和国の父と言われた毛沢東は、学生時代、魯迅の弟、周作人が中国に紹介した「新しき村」に出会い、長沙西岸の湘江をへだてる岳麓山のふもとに新しき村の建設をもくろみ、そこでどのように生活するか計画をたてていた。
大正7(1918)年、武者小路実篤は人間が人間らしく生きるための理想郷を追い求め、宮崎県木城町石河内に新しき村を作った。昭和13(1938)年、ダム建設のため農地が水没することになり、埼玉県毛呂山町へ移転し、残った農地を日向新しき村として存続した。
日向新しき村の中にある武者小路実篤記念館に展示されていた昭和10(1935)年の新しき村の写真。
前を流れる川がダム建設によってダム湖になり、手前の田んぼのあたりが水没した。右手の小高い所と正面奥の所が今も残っている
大正7(1918)年、武者小路実篤は人間が人間らしく生きるための理想郷を追い求め、宮崎県木城町石河内に新しき村を作った。昭和13(1938)年、ダム建設のため農地が水没することになり、埼玉県毛呂山町へ移転し、残った農地を日向新しき村として
コチラ http://www.miya-shoko.or.jp/kijo/chiiki/kankou/meisyo/atarashikimura.htm
おかしな話しだが
働く側のあらゆる組織は共産党とそれ以外と二つに分かれる
戦後勃興の原水爆禁止運動も含め
そうだが
プロレタリア文学運動も二派に分かれる
今野賢三、金子洋文らと土崎港で第一次三冊を発行した雑誌。
翌年、東京版を発行し、青野季吉・平林初之輔らも参加した。
小牧がフランス滞在中に参加したアンリ・バルビュスの提唱した反戦運動=クラルテ運動の種を日本で蒔くと言う趣旨に基づく。
スローガンに「行動と批判」を掲げ、ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に様々な特集を組んだ。
1923年、関東大震災により廃刊(第二次通巻21冊)したが、終刊号と別冊『種蒔き雑記』で震災時の亀戸事件での朝鮮人・社会主義者への虐殺に強く抗議した。 『文芸戦線』はこれに後続するもの
長くなるので白樺運動はこれまでも本家ブログ時代何度もアップしてるのでいづれー
ーもどすー
あの戦前の軍国主義の時代を、ひたすら平和音楽家・反戦音楽家として生涯を貫いた吉田隆子さんの存在を初めて知った。
父親は陸軍の校長、母は津田の出ー
ピアノ奏者で作曲家。
神がかり的な音楽を排除して、ベートーベンに近づこうとしていた。
吉田隆子作曲『カノーネ』は独特の高揚感のある美しいピアノ曲。
彼女自身が音になっているような。
『ヴァイオリン・ソナタ ニ調』も同様、
例えるなら和のショスタコーヴィチ。
その精神に共通点を感じる。
自身を励まし、黒く巨大なものに立ち向かう、音楽を通じた信念の声、根底に流るるリリシズム
彼女は前後4回も特高警察に検挙
それでも、信念を曲げなかった、ために体を壊して病弱になり、これからというときに口惜しくも絶命した悲劇の音楽家。
知らなかったー
彼女のようなプロレタリア運動家がいたことに知らなかった恥と日本人として誇り
ただただうれしい。
政権復帰が見えてきた自民総理メンバー
戦争屋ばかりー
政治が悪化すると、反対に良い人間が抵抗するものがこの国
▲吉田隆子「君死にたもうことなかれ」(新宿書房)と「君死にたもうことなかれ」の楽譜
●吉田隆子をモデルに「黄服少女」「少女の首」などを描き、彼女と一緒に行ったコンサートから着想して「オーケストラ」を描いている三岸好太郎。
澤地久枝の「好太郎と節子~宿縁のふたり」を読んだ記憶が鮮明のうちにと、その吉田隆子の「君死にたもうことなかれ」(新宿書房、2005)をワクワクして、一気に読んだ。
与謝野晶子を主人公にした3幕7場のオペラで1950年に発表されたが上演される機会がなく、半世紀以上経った2005年に単行本化されたもの。台本を読むだけで、舞台の様子を思い描くことができる、感動的な展開が続く。
http://blogs.yahoo.co.jp/galleryimozuru/58263678.html
●晶子は兄鳳秀太郎から「絶縁」され、父の葬儀にさえも「世間の手前、すぐ帰れ」と。葬儀のその時、役場の者が弟籌三郎(ちゅうざぶろう)に出征(旅順・日露戦争)の赤紙を持ってきた。
晶子は『君死にたもふこと勿れ』とうたった(「明星」に発表)。
文芸評論家の大町桂月(けいげつ)が晶子の詩をもってして「乱臣なり、賊子なり、国家の刑罰を加うべき罪人なり」と非難したという。台本からそれらの場面が次つぎリアリティに展開する。
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
●吉田隆子が作曲した「君死にたもうことなかれ」の楽譜が同書に掲載されている。
「ゆっくりと荘重に感情をこめて」とある。
激動の昭和、太平洋戦争のさなか、新しい音楽を目指し、信念を貫いた女性作曲家。
吉田隆子(1910~56年)。
戦前、男性中心の音楽界にあってみずから演奏家を組織し、聴衆との接点をつくりだそうとした女性の音楽家で、戦後、世界に通じる音楽を作りだすことにも挑んだ。
隆子は、独学で作曲を学び、
「楽団創生」をみずから結成。
築地小劇場を中心に民衆のための音楽運動を展開し、人気を集めた。
楽団では、断髪、タキシード姿の隆子自身が指揮棒を取る。
りりしい隆子の姿は話題を呼び満員札止めの盛況となる。
昭和13、4年ごろのことだ。
しかし、
軍部ににらまれ、思想犯として4度の勾留生活をおくることになる。
4回目の勾留は5か月におよんだ。そのため重病になり釈放されたものの、昭和15年から終戦の翌年21年までの6年間、結核を病み闘病することになる。
その間、周りにはいつも特高警察の監視があり、伴侶は獄中にあるという過酷な境遇となった。
昭和20年に入ると東京空襲で戦火が間近に迫ってくる。
この苦難の中にあっても、隆子は音楽への愛、戦争反対の思いを諦めることはなく、
「病床日記」にひそかにつづった。
今回、新たに見つかった「病床日記」「自筆メモ」、関係者の証言などから、隆子の作曲家としての音楽への強烈な思いが浮かび上がってくる。
そして、戦争に蹂躙されたクラッシック音楽と女性作曲家の運命が明らかになってくる。
戦前、芸術家の多くが戦争協力した中で、特高警察に勾留されながらも、音楽への情熱を失わず主張を貫き通した吉田隆子。
彼女はどのようにして特高と闘い、音楽活動を戦後再開させたのだろうか?
番組では、隆子が残した膨大なメモ、伴侶の劇作家、久保栄、養女の久保マサらの残した証言などから、吉田隆子の音楽へのあくなき情熱、戦争反対の志をクッキリ浮き彫りしてくれた
戦争屋その日本代弁者慎太郎らが竹島尖閣を企画、宣伝屋の尻馬に乗るメデイアが煽る
戦争賛成賛美の皆さんに是非見ていただき、考え直していただきたい。
きれいごとで済まされない暗闇の戦中今の世に生きてワイワイ言ってるだけの人には耐えられまい、今のうちに転換したらまだ救われる
久しぶりに
奈良岡朋子の声ー
宇野重吉×滝沢修
ええっ!宇野重吉知らない
長男が寺尾聰
ええっ!?
AKB48は知ってるが寺尾知らない!?
う~ん・・
番組は見たいー
ええっ!終わったではないかお怒リー
再放送ー
9月9日(日) 午前0時50分~<60分>
お口汚し・・
尖閣「政府購入で合意」NHK報道正しいのか 地権者側は「東京都に売却」変えず
「政府 尖閣購入で地権者と大筋合意」
などと報じたのは、NHKだ。
NHK 「20億5000万円で大筋合意」 2012年9月3日のニュース、
政府は、地権者と交渉を続けた結果、20億5000万円で購入することで大筋合意。
9月中の国有化を目指して詰めの調整をしているという。
石原慎太郎都知事は、8月19日に行った野田佳彦首相との極秘会談で、漁船待避のための船だまり施設整備などを国有化の条件としていたが、これには応じない方針だとしている。
大丈夫?CIA創りしアメリカポチ放送局!
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