4・1・・だよ〜〜ん
2008年4月2日東京新聞は4月1日を心待ちさせてくれる
心広きユーモアセンスを持ち合わせている
日本人の落語文化等を庶民階級でさえ持ちえてる事を天下に活字で示す。
これまでのヒットは
「東京湾で油田見つかる。」
3日入学式の公立大にはこの都会の地方新聞が即日で読める。
急報をそこで受けての急なスケジュールをこなしている。
東スポは九スポと名を変えて楽しめるがどうにもパンチ力に欠ける表題。
東スポ記事とはかけないゆえでの事。
今年は「課長・島耕作社長へ!」であった。
麻生を広告塔とする世界戦略までになった
日本の漫画文化をも披瀝してのことの含蓄さえ感じさせる。
「ブログを閉じる」は本音でもあるが4月1日を結語ともしている。
波紋の面白いことを楽しむのはジャズ、落語の真髄が好きな経験豊富なる爺の特権。
そこにジャイアンツの5連敗が加わった。
最下位チームから最多勝グライジンガー、打点王ラミネス
を引き抜いて、そのヤクルトとの開幕戦が三連敗。
高田繫のv9のなしとげたる意地を見た。
160キロ・クルーンを上原換わりに据えた磐石の最強スタッフ。
ゴンザレス、パーンサイト、羊ジュン建銘
4人の出場ワクしかないのにひしめく助っ人選手。
外国人選手の三分の一の20人は巨人軍経験者。
小笠原・谷を補強した選手はそのままにプラスアルファー。
負ける材料は見当たらない
有り余る戦力でダントツだろう。
球界を面白くなくした。・・ハズ・・
それが・・・
勝って当然のプレッシャーの伏兵が潜んでいた。
坂本勇人・ポスト二岡。
坂本のみの話題性が残る。
兵庫県伊丹市の出身
少年野球では、あの田中将大(楽天)とバッテリーを組んだ。
エースは坂本の方で、田中がキャッチャー。
楽天のエースを女房役に回し、小学生とは思えない伸びのある真っすぐを投げた。
青森の光星学院に野球留学
鋭くリストの強いバットスイングは、雪深いこの青森で磨かれた。
ペタジーニ二岡松井高橋安倍。
あの自前で育てたクリーンアップ時代が組まれるしかない。
いたずらをお許しいただきたい。
ご愛読させていただいてるかたのブログに靖国の桜が
見事に写真が搭載されている。
桜と靖国に無性に知が騒ぐ。
シャットアウトされた靖国の映画のことも気がかりゆえだ。
不夜城・西新宿ではバッで数人が韓国籍の人を撲殺。
韓国籍金満家である。
親の代よりこの地にビルをも持ち多角的経営者S。
中国聖火リレーみたい成る北京オリンピックボイコット劇の拡大を懸念する。
男の甲斐性、とりわけ、芸の肥やしたる
公娼制度廃止後の50年の4月1日どこではない。
渡辺恒夫の陰に隠れて黒子役の氏家斎一郎日テレ社長。
キューバ・カストと指しで話せる唯一の日本人であろう。
さしもの小沢一郎もシャッポを抜くことであろう。
世界的スクープのことを書いたが、それに準ずるこの人の新聞記者時代の
「ホチミン死去!」の読売紙69年スクープは若き頃の記者時代の武勇伝。
ニュース・ソースはカストロからの極秘の連絡による。
天下一の刑事被告人中の佐藤優との対談は興味尽きない。
カストロを含むキューバ人の日本贔屓。
映画はクロサワ
チャンバラのクライマックスには拍手が沸き起こる。
「唯一亜米利加国本土領土を攻撃した国」故でもある。
靖国・刀日本人の霊力さえ認めえる。
永久の革命家ゲバラが大臣の頃、訪日してもいる。
この四月から働く職場の法的意識が変わる。
正社員を望むパート労働者に対して、転換しやすい正社員採用処置の義務づけがなされた。
パートの自給は全国平均993円で正社員の1813円の半額程度。
相変わらずのザル法で実際に成れるかは経営者次第。
努力義務である。
改正道交法が6月から施行される。
自転車のことである。
きっかけは従来も違反であった「3人乗り」取り締まりに苦情が殺到したため。
法的には車両である自転車については道路事情もあり、取り締まりは鷹揚であった。
運転マナーにおまかせで、見てみぬふりが自転車に対する警備の警察の日常。
今後は法に則り交通の方法に関する教則の改正で自転車に対して厳しく取り締まられよう。
取り締まり当局に言わせれば、自転車の運転は違反ばかりで事故も多い
傘さし運転無灯火飲酒・・自転車で闊歩しているゆえ反省点多々。
こう書くとまた論評されようでやめるが生きてる生身のたまぁ〜に生じている。
改正後の6月からは大変だ。
歩道を通行できるのは、道路標識で指定された場合のみ。
幼児や自動車道や交通の状況からやぬ場合のみ。
と規定、
自転車は車道の左を走ると明記。
ヘルメットの着用も13歳未満は義務化。。
傘さし、携帯が目立つ現状から取り締まり当局は早速注意を促している。
今年このことについては書いているが再度認識を新たにすることである。
自転車は車両であるとの認識。
取締りを強化危険な運転を見逃さないと取り締まり当局。
道路最左側には駐車車両もあり危険。
自転車の交通事故の割合は17万件で2割。
10年前4、8倍が取り締まり当局の理由付け。
人は見た目が何割との新書を立ち読みした。
記憶から記すと・・
「・・・話の中身は1〜2割しか影響を与えず、8〜9割は服装や立ち振る舞い・・」
新鋭学者の指摘は的を得て鋭い。
そんな気持ちを持たされてるので思い出したる事。
一日ズレての曜日を認識していた。
朝途中お話をしていると木曜日といわれる。
何故一日ずれたかは、わからない。
疾風の如きとか脱兎の如きというがそんなもんじゃぁ〜ない。、
いやはや大変なる狂想曲。
ジャズピアノ板橋文夫
日南市平野カラオケボックス・エスト
3日18時30分
アルトサックス林栄一
ドラム小山彰太ベース持月英明
心広きユーモアセンスを持ち合わせている
日本人の落語文化等を庶民階級でさえ持ちえてる事を天下に活字で示す。
これまでのヒットは
「東京湾で油田見つかる。」
3日入学式の公立大にはこの都会の地方新聞が即日で読める。
急報をそこで受けての急なスケジュールをこなしている。
東スポは九スポと名を変えて楽しめるがどうにもパンチ力に欠ける表題。
東スポ記事とはかけないゆえでの事。
今年は「課長・島耕作社長へ!」であった。
麻生を広告塔とする世界戦略までになった
日本の漫画文化をも披瀝してのことの含蓄さえ感じさせる。
「ブログを閉じる」は本音でもあるが4月1日を結語ともしている。
波紋の面白いことを楽しむのはジャズ、落語の真髄が好きな経験豊富なる爺の特権。
そこにジャイアンツの5連敗が加わった。
最下位チームから最多勝グライジンガー、打点王ラミネス
を引き抜いて、そのヤクルトとの開幕戦が三連敗。
高田繫のv9のなしとげたる意地を見た。
160キロ・クルーンを上原換わりに据えた磐石の最強スタッフ。
ゴンザレス、パーンサイト、羊ジュン建銘
4人の出場ワクしかないのにひしめく助っ人選手。
外国人選手の三分の一の20人は巨人軍経験者。
小笠原・谷を補強した選手はそのままにプラスアルファー。
負ける材料は見当たらない
有り余る戦力でダントツだろう。
球界を面白くなくした。・・ハズ・・
それが・・・
勝って当然のプレッシャーの伏兵が潜んでいた。
坂本勇人・ポスト二岡。
坂本のみの話題性が残る。
兵庫県伊丹市の出身
少年野球では、あの田中将大(楽天)とバッテリーを組んだ。
エースは坂本の方で、田中がキャッチャー。
楽天のエースを女房役に回し、小学生とは思えない伸びのある真っすぐを投げた。
青森の光星学院に野球留学
鋭くリストの強いバットスイングは、雪深いこの青森で磨かれた。
ペタジーニ二岡松井高橋安倍。
あの自前で育てたクリーンアップ時代が組まれるしかない。
いたずらをお許しいただきたい。
ご愛読させていただいてるかたのブログに靖国の桜が
見事に写真が搭載されている。
桜と靖国に無性に知が騒ぐ。
シャットアウトされた靖国の映画のことも気がかりゆえだ。
不夜城・西新宿ではバッで数人が韓国籍の人を撲殺。
韓国籍金満家である。
親の代よりこの地にビルをも持ち多角的経営者S。
中国聖火リレーみたい成る北京オリンピックボイコット劇の拡大を懸念する。
男の甲斐性、とりわけ、芸の肥やしたる
公娼制度廃止後の50年の4月1日どこではない。
渡辺恒夫の陰に隠れて黒子役の氏家斎一郎日テレ社長。
キューバ・カストと指しで話せる唯一の日本人であろう。
さしもの小沢一郎もシャッポを抜くことであろう。
世界的スクープのことを書いたが、それに準ずるこの人の新聞記者時代の
「ホチミン死去!」の読売紙69年スクープは若き頃の記者時代の武勇伝。
ニュース・ソースはカストロからの極秘の連絡による。
天下一の刑事被告人中の佐藤優との対談は興味尽きない。
カストロを含むキューバ人の日本贔屓。
映画はクロサワ
チャンバラのクライマックスには拍手が沸き起こる。
「唯一亜米利加国本土領土を攻撃した国」故でもある。
靖国・刀日本人の霊力さえ認めえる。
永久の革命家ゲバラが大臣の頃、訪日してもいる。
この四月から働く職場の法的意識が変わる。
正社員を望むパート労働者に対して、転換しやすい正社員採用処置の義務づけがなされた。
パートの自給は全国平均993円で正社員の1813円の半額程度。
相変わらずのザル法で実際に成れるかは経営者次第。
努力義務である。
改正道交法が6月から施行される。
自転車のことである。
きっかけは従来も違反であった「3人乗り」取り締まりに苦情が殺到したため。
法的には車両である自転車については道路事情もあり、取り締まりは鷹揚であった。
運転マナーにおまかせで、見てみぬふりが自転車に対する警備の警察の日常。
今後は法に則り交通の方法に関する教則の改正で自転車に対して厳しく取り締まられよう。
取り締まり当局に言わせれば、自転車の運転は違反ばかりで事故も多い
傘さし運転無灯火飲酒・・自転車で闊歩しているゆえ反省点多々。
こう書くとまた論評されようでやめるが生きてる生身のたまぁ〜に生じている。
改正後の6月からは大変だ。
歩道を通行できるのは、道路標識で指定された場合のみ。
幼児や自動車道や交通の状況からやぬ場合のみ。
と規定、
自転車は車道の左を走ると明記。
ヘルメットの着用も13歳未満は義務化。。
傘さし、携帯が目立つ現状から取り締まり当局は早速注意を促している。
今年このことについては書いているが再度認識を新たにすることである。
自転車は車両であるとの認識。
取締りを強化危険な運転を見逃さないと取り締まり当局。
道路最左側には駐車車両もあり危険。
自転車の交通事故の割合は17万件で2割。
10年前4、8倍が取り締まり当局の理由付け。
人は見た目が何割との新書を立ち読みした。
記憶から記すと・・
「・・・話の中身は1〜2割しか影響を与えず、8〜9割は服装や立ち振る舞い・・」
新鋭学者の指摘は的を得て鋭い。
そんな気持ちを持たされてるので思い出したる事。
一日ズレての曜日を認識していた。
朝途中お話をしていると木曜日といわれる。
何故一日ずれたかは、わからない。
疾風の如きとか脱兎の如きというがそんなもんじゃぁ〜ない。、
いやはや大変なる狂想曲。
ジャズピアノ板橋文夫
日南市平野カラオケボックス・エスト
3日18時30分
アルトサックス林栄一
ドラム小山彰太ベース持月英明
花のお江戸
2008年4月3日江戸学は日常生活言葉の江戸人の「粋」にある。
歌舞伎座の形なりは何も古風ぶってるからいいのではない。
それなら「主」不在の日銀本店でもいいではないか。
レンガの東京駅の本来の三階建てへの改築の必要はない。
御家人の片岡直次郎がそば屋の暖簾をくぐって言う。
「天で一本つけてくんねえ」。
もちろん抜けた形容詞の「苦み走ったいい男」である。
なにも弁当幕と揶揄され三段目の「淀九郎」に凄みを持たした演出は入らない。
河竹黙阿弥作
「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の一場面が丁度頃よく掛るかかるがいい。
「天ぷらそばに燗酒を一本くれ」だと13文字。
どちらが粋で耳に心地よいか。
「天で一本つけてくんねえ」(11文字)
日本橋を含め界隈のその昔、歌舞伎座に
直次郎の芝居が掛かる日のそば屋は仕込みを増やしたという。
言葉とは不思議なものであることを新聞が教えてくれるので、有難く記憶にとどめる。
ブロガーは心に留め置くべし戒めでもあろう。
木曜日が一日ずれての行動のすり合わせが体に馴染まぬ不思議な経験である。
ゆえにチグハグの傷口がなおさら拡大してしまう。
何度あおうとも病的は変わらぬこと。
魑魅魍魎の世界で不思議が跋扈する巨大なるところに住みつづけると人間的感覚が麻痺しよう。
疎外なる単純なる言葉では説明もつかぬ。
この吊がわに手を結び立ち尽くす隣人一人知らぬ大都会はナンダ!
この状況に無縁なるスローライフ、シンプルライフ、清貧などの言葉がある。
シャルル・ヴァグネルは百年余り前、フランスの宗教家「簡素な生活」(講談社学術文庫)を書いた。
監修者祖田修・福井県立大学長。
「私たちは土から離れ、土の素朴な温もりや、匂いを忘れた」
昔に戻ることはできないから、自覚的に土と接する「着土」が大切だとヴァグネルにそって説く
「人との関係において善良な笑いを取り戻すことを、ヴァグネルとともに願わずにはいられない」、とも
茨城県土浦市で通行人らを次々と刃物で襲った24歳の男は、
ほとんど外出をせず、自室にこもってゲームに熱中していた。
父は外務省ノンキャリアまでマスコミは教えてくれる。
「青年に楽しみの機会を」という一項がある。
若者の健全な笑いは、未来に期待を抱かせてくれる
スローやシンプルは若者には似合わない。
爺の役割がそこに出てくる。
休載宣言は4/1日のジャズ・落語人シャレ遊びでもある。
これで検閲の恐怖が終わればよいのであるが。
図書館で煩悶手がかりもあった。
小説新潮4月号日記を書くについて著名人の日記の一部を呼んだ。
遠藤周作、吉行淳之介
新田二郎
五味康祐
立原正秋
山口瞳
坪田譲治
檀一雄
星新一
・・¥・・・・
嵐山光三郎
長谷部日出男
椎名誠
角田光代
・・・日記を論じて励ましとした。。
「週刊日本の歳時記」の創刊号に俳人宇多喜代子は
花見で疲れることを、「花疲れ」と解説した。
新聞記事にある。
先月から見られるようになった「季語と歳時記の会」のネット
「花疲れ」は検索で約700項目の季語で始め、
現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
「人出が多く、どことなく埃っぽいなかを歩きまわり
わが家に帰り着いたころにはすっかりくたびれてしまう」
故郷を持っての散策、異国の地の楽しきを実感する蕪村の心ね。
花に暮れて 我家遠き 野道かな。
何線であったか荻窪は終点でもある。
不覚にも酔いがカタコトの心地よき、慣れぬ環境で新宿を通過。
不信なる視線の乗員に目をくれず折り返しで慌てずに、一人すましていた。
田舎モン爺の開き直りの心臓は並ではない。
東京・荻窪の自宅に50年前、子供のための図書室「かつら文庫」をつくった石井桃子。
一番乗りは文芸春秋の巻頭言コラムを飾る父阿川弘之に連れられた6歳の尚ぼっちゃん。
檀フミと交誼の佐和子のことはない。
それから毎週日曜日、弁当を持って5年通い続けた慶応大教授の阿川尚之。
桃子のおばちゃんの方針は一貫して「どれでも好きな本を読みなさい」だったという
101歳までにはまだ少しの時間もあるが老いの足跡は実に怖い。
先月から見られるようになった
「季語と歳時記の会」のネット上の歳時記サイトで「花疲れ」。
約700項目の季語で始め、現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
実にしんどき疲れたる状態。
旅にやみ 夢はかれのを かけめぐり
歌舞伎座の形なりは何も古風ぶってるからいいのではない。
それなら「主」不在の日銀本店でもいいではないか。
レンガの東京駅の本来の三階建てへの改築の必要はない。
御家人の片岡直次郎がそば屋の暖簾をくぐって言う。
「天で一本つけてくんねえ」。
もちろん抜けた形容詞の「苦み走ったいい男」である。
なにも弁当幕と揶揄され三段目の「淀九郎」に凄みを持たした演出は入らない。
河竹黙阿弥作
「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」の一場面が丁度頃よく掛るかかるがいい。
「天ぷらそばに燗酒を一本くれ」だと13文字。
どちらが粋で耳に心地よいか。
「天で一本つけてくんねえ」(11文字)
日本橋を含め界隈のその昔、歌舞伎座に
直次郎の芝居が掛かる日のそば屋は仕込みを増やしたという。
言葉とは不思議なものであることを新聞が教えてくれるので、有難く記憶にとどめる。
ブロガーは心に留め置くべし戒めでもあろう。
木曜日が一日ずれての行動のすり合わせが体に馴染まぬ不思議な経験である。
ゆえにチグハグの傷口がなおさら拡大してしまう。
何度あおうとも病的は変わらぬこと。
魑魅魍魎の世界で不思議が跋扈する巨大なるところに住みつづけると人間的感覚が麻痺しよう。
疎外なる単純なる言葉では説明もつかぬ。
この吊がわに手を結び立ち尽くす隣人一人知らぬ大都会はナンダ!
この状況に無縁なるスローライフ、シンプルライフ、清貧などの言葉がある。
シャルル・ヴァグネルは百年余り前、フランスの宗教家「簡素な生活」(講談社学術文庫)を書いた。
監修者祖田修・福井県立大学長。
「私たちは土から離れ、土の素朴な温もりや、匂いを忘れた」
昔に戻ることはできないから、自覚的に土と接する「着土」が大切だとヴァグネルにそって説く
「人との関係において善良な笑いを取り戻すことを、ヴァグネルとともに願わずにはいられない」、とも
茨城県土浦市で通行人らを次々と刃物で襲った24歳の男は、
ほとんど外出をせず、自室にこもってゲームに熱中していた。
父は外務省ノンキャリアまでマスコミは教えてくれる。
「青年に楽しみの機会を」という一項がある。
若者の健全な笑いは、未来に期待を抱かせてくれる
スローやシンプルは若者には似合わない。
爺の役割がそこに出てくる。
休載宣言は4/1日のジャズ・落語人シャレ遊びでもある。
これで検閲の恐怖が終わればよいのであるが。
図書館で煩悶手がかりもあった。
小説新潮4月号日記を書くについて著名人の日記の一部を呼んだ。
遠藤周作、吉行淳之介
新田二郎
五味康祐
立原正秋
山口瞳
坪田譲治
檀一雄
星新一
・・¥・・・・
嵐山光三郎
長谷部日出男
椎名誠
角田光代
・・・日記を論じて励ましとした。。
「週刊日本の歳時記」の創刊号に俳人宇多喜代子は
花見で疲れることを、「花疲れ」と解説した。
新聞記事にある。
先月から見られるようになった「季語と歳時記の会」のネット
「花疲れ」は検索で約700項目の季語で始め、
現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
「人出が多く、どことなく埃っぽいなかを歩きまわり
わが家に帰り着いたころにはすっかりくたびれてしまう」
故郷を持っての散策、異国の地の楽しきを実感する蕪村の心ね。
花に暮れて 我家遠き 野道かな。
何線であったか荻窪は終点でもある。
不覚にも酔いがカタコトの心地よき、慣れぬ環境で新宿を通過。
不信なる視線の乗員に目をくれず折り返しで慌てずに、一人すましていた。
田舎モン爺の開き直りの心臓は並ではない。
東京・荻窪の自宅に50年前、子供のための図書室「かつら文庫」をつくった石井桃子。
一番乗りは文芸春秋の巻頭言コラムを飾る父阿川弘之に連れられた6歳の尚ぼっちゃん。
檀フミと交誼の佐和子のことはない。
それから毎週日曜日、弁当を持って5年通い続けた慶応大教授の阿川尚之。
桃子のおばちゃんの方針は一貫して「どれでも好きな本を読みなさい」だったという
101歳までにはまだ少しの時間もあるが老いの足跡は実に怖い。
先月から見られるようになった
「季語と歳時記の会」のネット上の歳時記サイトで「花疲れ」。
約700項目の季語で始め、現在目標の5000項目に遠い1160なので、まだ載っていない。
実にしんどき疲れたる状態。
旅にやみ 夢はかれのを かけめぐり
解語
2008年4月4日桜前線との言葉があった。
宮崎から東京までの満開具合からほとんど同時で季節の変化を感じる。
聖火というぐらいである。
聖火リレーで各国が開催国と同じ思いをとりわけ平和を共にする。
その聖火が消えずにうまくリレーされるか疑問である。
24日ギリシャの発火の式典に「国境なき記者団」が乱入。
聖火リレー三日目のトルコでの妨害が起きた。
国境なき記者団のメンバーの国のパリ入りを前にこれだ。
いずれ日本も28日だったか聖火が来る。
開会式ボイコット5ヶ国にはドイツも名を連れる。
「よりより世界を」なる人権侵害の抗議バッジをつけるフランス選手団。
IOCに正式着用を申請した。
80年アフガン軍事侵攻に端を発したモスクワ五輪は資本主義国は不参加。
マスコット・ミシャーの涙には絶頂期のマラソンの瀬古などの苦難の涙もあったことだろう。
宇野総理は天安門事件が起きたとき89年ころだったが
「銃口を国民にむけるな!」
隣国の態度表明をした。
今福田内閣のなすべきこと。
隣国としての五輪成功に向けての行動である。
チベット問題に断固とした抗議声明。
五輪開催の惜しみなき諸行動である。
切り離せば単純なること。
同じ儒教国家ではないか。
常に文化を伝えてくれた国。
いまは生命の基本の「食」を届けてくれる。
「喧嘩はすみましたか」
72年、田中角栄VS周恩来、日中国交回復が暗礁に乗り上げスタッフは困惑、諦め気味。
隠居的立場の毛沢東を訪ねて、暗礁に乗り上げてたことが一転進み始めたときの教えである。
「不打不相織」
けんかしないとわかりあえない。
口角泡ゐ飛ばし思う存分本音を語り合う。
政界に大人らしき大人がいない。
古賀や二階とアレだけの顔相と評判を持ってしても腕っ節の強さ振りが見えてこない。
やむえぬトップ福田のクデター特定財源の一般税化である。
宮崎よりリニア鉄道を略奪し山梨に実用線路とい印象を持たないが金丸信の
「足して二で割る」
程度さえ持ちえてない憂国の人物の枯渇状況。
カブスの衝撃的デビュー三打数三安打の福留に熱狂するアメリカ人のオープン気質が
まぶしい。
桑田に見切りをつける合理主義にも。
その桑田にしてTBSで会見し、日テレはその後。
二軍のジャイアンツ球場で引退試合をした桑田の今後を見る思いである。
墨田の堤、おやまの古木・・
ハラハラとチリ行くものあり。
♪おそまきながらの♪・・
♪もうすぐ・・は〜〜るデスネ〜〜ちょっと気取ってみませんか。
♪キャンディーズの「春一番」はテンポもこの爺にして丁度よい。
後楽園球場に5万5千人のファンを集めた最後のステージで、惜しまれつつ解散
人気絶頂の1978年4月4日。
早いもんだ。
丁度30年前のことになる。
「あなたに夢中」で1973年9月1日レコードデビュー。
それが復活した。
2008年後楽園跡の会館。
宮崎川南DNAの阿久悠がその曲の多くを担当した。
曲の明るさ気質は青空の国、宮崎人の特権。
それに江戸の気質が合致した。
すー、ラン、ミキ
「3人揃って、キャンディーズです。」
伊藤蘭(53)(水谷 蘭)おおざっぱなO型 1955年1月13日午前3時、
東京都武蔵野市吉祥寺生まれ
藤村美樹(51)(尾身美樹) おしとやかなO型 1956年1月15日午後6時半、
福島県福島市生まれ
田中好子(52)(小達好子)几帳面なA型 1956年4月8日午後8時、
東京都足立区千住生まれ
「本当に、私たちは、幸せでした」
高く手を振り、抱き合って泣き、肩を組んだままのビデオが
当時のバックの生演奏で流されるタイムスリップ「大同窓会」。
家庭にいるミキ。
伊藤蘭 田中好子は芸能界にいるがステージにはいない。
解散宣言の
「普通の女の子に戻りたい」
は流行語大賞受賞がない頃に流行語になった。
異国の地で愛でる花
桜の花びらを眺めて連想するものは何だろう。
みんなが心に握つてゐる桃色の三等切符を/
神様はしづかにお切りになる/
ごらん はらはらと花びらが散る
杉山平一「桜」
奇怪なリ事件が相次ぐ季節でもある。
土井晩翠が生まれた仙台市。
「晩翠わかば賞」昨秋の第48回で佳作作品。
「おかあさん」
おかあさんは/
どこでもふわふわ/
ほっぺは ぷにょぷにょ/
ふくらはぎは ぽよぽよ/
ふとももは ぼよん/
うでは もちもち/
おなかは小人さんが/
トランポリンをしたら/
とおくへとんでいくくらい/
はずんでいる/
おかあさんは/
とってもやわらかい/
ぼくがさわったら/
あたたかい気もちいい/
ベッドになってくれる/
作者の西山拓海(たく・み)は、青森県八戸市の家で一昨日9年の生を閉じた
母親に電気コードで首を絞められ、パジャマ姿で息絶え殺れた。
動機はまだ分からない。
我が子を喰らう母は罪を改め、改心して鬼子母神なる神になった。
宮崎砂土原に鎮座される神でもある。
その砂土原の国に生まれしDNAの人にヒョンな出会いがあった。
神の会わせた偶然としか思えない。
あのヤマダ電機の社長もこの地で辛惨をなめ、飛ぶ鳥を落とす勢いを得ている。
砂に落としたダイヤモンドを拾う以上の瞬間的確立の天文学的数字の出会い。
古事記・日本書紀の生きる宮崎ゆえに起こりし、出来事やとしか思えない。
「海」なる名だけではない。
克己で逆境を乗り切り、英語で夢が見れるのはロンドンでの苦難の2年間が磨かせたんであろう。
煩悶の柔道王・井上康生と学舎をともにしたバンカラさとナイーブさ。
凄い若者である。
この人がトップでいい。総てが治まる。
東国原を使いし神はあちこちに配置されてるようだ。
さくらの舞い散る例えようもない美しさは命を奪い去る
狂喜の季節でもあるのか。
読売紙が明るく人生の生死を教える。
8歳の女の子が雲の上で白いひげのおじいさんに会う。
どうやら神様らしい。
お兄ちゃんが悪さをしても、お父さんはぶたない。
女の子の話におじいさんは微笑した
「それはな、子供は人間の掟だけで決めつけられないと、お父さんが知っているからじゃよ。」
「子どもには生まれてくる前の国、神様のお国の規則をあてはめてみなくちゃならんところが、たくさんあるのでな…」
創作童話「ノンちゃん雲に乗る」を戦争の末期、心沈む友人を慰めるために書いた石井桃子。
「クマのプーさん」などの名訳はこの人の手になる。
読者は数人
、暗い電灯の下でわら半紙に綴られた物語である。
祖父のあぐらの中で昔話を聴きながら物語の愉しさを覚えたという。
三つ子の魂、101歳まで。
亡くなった4月2日はアンデルセンの誕生日であり、「国際子どもの本の日」といういわくの日。
幻想の花の上にはどこまでも青い空
白き春の雲ひとつ。
白いひげをしたおじいさんの声がする。
おやまの会場にわざわざ奈良からお出かけの背中さえ見せる日光、月光の全身からの有難き
平静なる心のありようでもある。
仏教の国に神が同居するに不可解さはない。
ひたすら自然に両手を合わせるご利益。。
宮崎から東京までの満開具合からほとんど同時で季節の変化を感じる。
聖火というぐらいである。
聖火リレーで各国が開催国と同じ思いをとりわけ平和を共にする。
その聖火が消えずにうまくリレーされるか疑問である。
24日ギリシャの発火の式典に「国境なき記者団」が乱入。
聖火リレー三日目のトルコでの妨害が起きた。
国境なき記者団のメンバーの国のパリ入りを前にこれだ。
いずれ日本も28日だったか聖火が来る。
開会式ボイコット5ヶ国にはドイツも名を連れる。
「よりより世界を」なる人権侵害の抗議バッジをつけるフランス選手団。
IOCに正式着用を申請した。
80年アフガン軍事侵攻に端を発したモスクワ五輪は資本主義国は不参加。
マスコット・ミシャーの涙には絶頂期のマラソンの瀬古などの苦難の涙もあったことだろう。
宇野総理は天安門事件が起きたとき89年ころだったが
「銃口を国民にむけるな!」
隣国の態度表明をした。
今福田内閣のなすべきこと。
隣国としての五輪成功に向けての行動である。
チベット問題に断固とした抗議声明。
五輪開催の惜しみなき諸行動である。
切り離せば単純なること。
同じ儒教国家ではないか。
常に文化を伝えてくれた国。
いまは生命の基本の「食」を届けてくれる。
「喧嘩はすみましたか」
72年、田中角栄VS周恩来、日中国交回復が暗礁に乗り上げスタッフは困惑、諦め気味。
隠居的立場の毛沢東を訪ねて、暗礁に乗り上げてたことが一転進み始めたときの教えである。
「不打不相織」
けんかしないとわかりあえない。
口角泡ゐ飛ばし思う存分本音を語り合う。
政界に大人らしき大人がいない。
古賀や二階とアレだけの顔相と評判を持ってしても腕っ節の強さ振りが見えてこない。
やむえぬトップ福田のクデター特定財源の一般税化である。
宮崎よりリニア鉄道を略奪し山梨に実用線路とい印象を持たないが金丸信の
「足して二で割る」
程度さえ持ちえてない憂国の人物の枯渇状況。
カブスの衝撃的デビュー三打数三安打の福留に熱狂するアメリカ人のオープン気質が
まぶしい。
桑田に見切りをつける合理主義にも。
その桑田にしてTBSで会見し、日テレはその後。
二軍のジャイアンツ球場で引退試合をした桑田の今後を見る思いである。
墨田の堤、おやまの古木・・
ハラハラとチリ行くものあり。
♪おそまきながらの♪・・
♪もうすぐ・・は〜〜るデスネ〜〜ちょっと気取ってみませんか。
♪キャンディーズの「春一番」はテンポもこの爺にして丁度よい。
後楽園球場に5万5千人のファンを集めた最後のステージで、惜しまれつつ解散
人気絶頂の1978年4月4日。
早いもんだ。
丁度30年前のことになる。
「あなたに夢中」で1973年9月1日レコードデビュー。
それが復活した。
2008年後楽園跡の会館。
宮崎川南DNAの阿久悠がその曲の多くを担当した。
曲の明るさ気質は青空の国、宮崎人の特権。
それに江戸の気質が合致した。
すー、ラン、ミキ
「3人揃って、キャンディーズです。」
伊藤蘭(53)(水谷 蘭)おおざっぱなO型 1955年1月13日午前3時、
東京都武蔵野市吉祥寺生まれ
藤村美樹(51)(尾身美樹) おしとやかなO型 1956年1月15日午後6時半、
福島県福島市生まれ
田中好子(52)(小達好子)几帳面なA型 1956年4月8日午後8時、
東京都足立区千住生まれ
「本当に、私たちは、幸せでした」
高く手を振り、抱き合って泣き、肩を組んだままのビデオが
当時のバックの生演奏で流されるタイムスリップ「大同窓会」。
家庭にいるミキ。
伊藤蘭 田中好子は芸能界にいるがステージにはいない。
解散宣言の
「普通の女の子に戻りたい」
は流行語大賞受賞がない頃に流行語になった。
異国の地で愛でる花
桜の花びらを眺めて連想するものは何だろう。
みんなが心に握つてゐる桃色の三等切符を/
神様はしづかにお切りになる/
ごらん はらはらと花びらが散る
杉山平一「桜」
奇怪なリ事件が相次ぐ季節でもある。
土井晩翠が生まれた仙台市。
「晩翠わかば賞」昨秋の第48回で佳作作品。
「おかあさん」
おかあさんは/
どこでもふわふわ/
ほっぺは ぷにょぷにょ/
ふくらはぎは ぽよぽよ/
ふとももは ぼよん/
うでは もちもち/
おなかは小人さんが/
トランポリンをしたら/
とおくへとんでいくくらい/
はずんでいる/
おかあさんは/
とってもやわらかい/
ぼくがさわったら/
あたたかい気もちいい/
ベッドになってくれる/
作者の西山拓海(たく・み)は、青森県八戸市の家で一昨日9年の生を閉じた
母親に電気コードで首を絞められ、パジャマ姿で息絶え殺れた。
動機はまだ分からない。
我が子を喰らう母は罪を改め、改心して鬼子母神なる神になった。
宮崎砂土原に鎮座される神でもある。
その砂土原の国に生まれしDNAの人にヒョンな出会いがあった。
神の会わせた偶然としか思えない。
あのヤマダ電機の社長もこの地で辛惨をなめ、飛ぶ鳥を落とす勢いを得ている。
砂に落としたダイヤモンドを拾う以上の瞬間的確立の天文学的数字の出会い。
古事記・日本書紀の生きる宮崎ゆえに起こりし、出来事やとしか思えない。
「海」なる名だけではない。
克己で逆境を乗り切り、英語で夢が見れるのはロンドンでの苦難の2年間が磨かせたんであろう。
煩悶の柔道王・井上康生と学舎をともにしたバンカラさとナイーブさ。
凄い若者である。
この人がトップでいい。総てが治まる。
東国原を使いし神はあちこちに配置されてるようだ。
さくらの舞い散る例えようもない美しさは命を奪い去る
狂喜の季節でもあるのか。
読売紙が明るく人生の生死を教える。
8歳の女の子が雲の上で白いひげのおじいさんに会う。
どうやら神様らしい。
お兄ちゃんが悪さをしても、お父さんはぶたない。
女の子の話におじいさんは微笑した
「それはな、子供は人間の掟だけで決めつけられないと、お父さんが知っているからじゃよ。」
「子どもには生まれてくる前の国、神様のお国の規則をあてはめてみなくちゃならんところが、たくさんあるのでな…」
創作童話「ノンちゃん雲に乗る」を戦争の末期、心沈む友人を慰めるために書いた石井桃子。
「クマのプーさん」などの名訳はこの人の手になる。
読者は数人
、暗い電灯の下でわら半紙に綴られた物語である。
祖父のあぐらの中で昔話を聴きながら物語の愉しさを覚えたという。
三つ子の魂、101歳まで。
亡くなった4月2日はアンデルセンの誕生日であり、「国際子どもの本の日」といういわくの日。
幻想の花の上にはどこまでも青い空
白き春の雲ひとつ。
白いひげをしたおじいさんの声がする。
おやまの会場にわざわざ奈良からお出かけの背中さえ見せる日光、月光の全身からの有難き
平静なる心のありようでもある。
仏教の国に神が同居するに不可解さはない。
ひたすら自然に両手を合わせるご利益。。
将軍様の行列
2008年4月5日明治大学での小栗上野介の企画展が
その人望から意外なことになった5日のことである。
小栗上野介(1827〜68)〉忠順(ただまさ)は以前に書いてきた幕末の英傑。
日米修好通商条約批准のため渡米、世界を一周して帰国。
知行地の権田村(群馬県高崎市)で官軍に殺された。
ただ、勘定奉行として横須賀製鉄所建設の功績を残し日本の礎を気づいた陰の立役者。
横須賀港の造船所が
「完成するまで幕府はあるのか」
小栗上野介答えていわく、
「幕府の運命に限りがあるとも、日本国の運命には限りがない」。
世界一のバルチック艦隊を破って日露戦争を勝利に導いたのは
幕末幕府の最後の勘定奉行に負うところが大である。
幕臣小栗上野介は反対を押し切り横須賀港を開き造船所を建設した。
ロシア・艦隊を迎えるに当たり、海軍は艦隊を横須賀造船所でオーバーホールして迎え撃った。
遠くヨーロッパ経由で望んださしものバルチック艦隊も日本海軍の前に敗北した。
幕末に先を見通した小栗上野介があったればこそ。
世界の大国に小国日本が勝ち世界は驚嘆した。
家康から数えて18代目の徳川恒孝(つねなり)・徳川記念財団理事長(68)が5日、
町火消しの先導で東京・神田駿河台を旧旗本の子孫らと行列で歩いた。
江戸っ子の祭り好きのDNAはしっかりと根ずいている。
、小栗邸があった駿河台の地元町会が担ぎ出した。
小栗が官軍によって殺された群馬県高崎市の顕彰会も、初の里帰りを喜ぶ。
この行列のきっかけをつくったのは駿河台で喫茶店「穂高」を営む粟野芳夫(67)。
06年3月、氏子を務める太田姫稲荷神社に奉納する刀を店の2階で展示したところ、
家康をまつる神社ということで恒孝さんが訪問。
たまたま話題になった小栗を「侍の中の侍」とたたえた。
小栗ファンの粟野は翌月、殺されるまで小栗が住んだ東善寺(高崎市)を訪ね、
小栗上野介顕彰会の村上泰賢住職(66)に
「(徳川幕府の最後の将軍)15代慶喜からは罷免されたが、18代は認めた」
と伝えた。
意気投合し、駿河台西町会と顕彰会が共同で、寺で展示する小栗の業績を伝えるパネルや遺品を東京で公開することになった。
「恒孝さんにも講演を」と依頼すると、地元の火消し四区五番組の頭から「お迎えが必要では」との声が上がり、
葵の御紋の使用許可を財団から得て高張り提灯を用意。
すると、
「せっかくだから御成行列を」
と、纏と木遣(きや)りを先導に旧旗本の子孫、千代田区長など一行は100人以上にふくれあがった。
粟野
「葵の御紋で、地元は舞い上がっちゃいました。恒孝さんにはご迷惑をかけます」
と恐縮する。
一方の徳川恒孝は
「目立つのは好きではないのですが」
と困惑気味。
当初、「明大の入り口から地下の博物館まで」と聞き、案内役を引き受けたのが、いつのまにか行列に。
地元の張り切り様を見て断れなくなった。
「小栗は、生きていればもっと大きな仕事をしたであろう能吏。多くの人に知ってもらいたい」という思いもあった。
日光東照宮への参拝などで旗本の子孫らと歩くことはあるが、東京での行列は初めてだった。
桜の木のあるところの花吹雪がお祝いを彩った。
企画展は4〜27日。入場無料。
週末を中心に、村上住職によるギャラリートークもある。
問い合わせは顕彰会事務局(027・378・3111)へ。
星賀亨弘記述からの忘備録。
その人望から意外なことになった5日のことである。
小栗上野介(1827〜68)〉忠順(ただまさ)は以前に書いてきた幕末の英傑。
日米修好通商条約批准のため渡米、世界を一周して帰国。
知行地の権田村(群馬県高崎市)で官軍に殺された。
ただ、勘定奉行として横須賀製鉄所建設の功績を残し日本の礎を気づいた陰の立役者。
横須賀港の造船所が
「完成するまで幕府はあるのか」
小栗上野介答えていわく、
「幕府の運命に限りがあるとも、日本国の運命には限りがない」。
世界一のバルチック艦隊を破って日露戦争を勝利に導いたのは
幕末幕府の最後の勘定奉行に負うところが大である。
幕臣小栗上野介は反対を押し切り横須賀港を開き造船所を建設した。
ロシア・艦隊を迎えるに当たり、海軍は艦隊を横須賀造船所でオーバーホールして迎え撃った。
遠くヨーロッパ経由で望んださしものバルチック艦隊も日本海軍の前に敗北した。
幕末に先を見通した小栗上野介があったればこそ。
世界の大国に小国日本が勝ち世界は驚嘆した。
家康から数えて18代目の徳川恒孝(つねなり)・徳川記念財団理事長(68)が5日、
町火消しの先導で東京・神田駿河台を旧旗本の子孫らと行列で歩いた。
江戸っ子の祭り好きのDNAはしっかりと根ずいている。
、小栗邸があった駿河台の地元町会が担ぎ出した。
小栗が官軍によって殺された群馬県高崎市の顕彰会も、初の里帰りを喜ぶ。
この行列のきっかけをつくったのは駿河台で喫茶店「穂高」を営む粟野芳夫(67)。
06年3月、氏子を務める太田姫稲荷神社に奉納する刀を店の2階で展示したところ、
家康をまつる神社ということで恒孝さんが訪問。
たまたま話題になった小栗を「侍の中の侍」とたたえた。
小栗ファンの粟野は翌月、殺されるまで小栗が住んだ東善寺(高崎市)を訪ね、
小栗上野介顕彰会の村上泰賢住職(66)に
「(徳川幕府の最後の将軍)15代慶喜からは罷免されたが、18代は認めた」
と伝えた。
意気投合し、駿河台西町会と顕彰会が共同で、寺で展示する小栗の業績を伝えるパネルや遺品を東京で公開することになった。
「恒孝さんにも講演を」と依頼すると、地元の火消し四区五番組の頭から「お迎えが必要では」との声が上がり、
葵の御紋の使用許可を財団から得て高張り提灯を用意。
すると、
「せっかくだから御成行列を」
と、纏と木遣(きや)りを先導に旧旗本の子孫、千代田区長など一行は100人以上にふくれあがった。
粟野
「葵の御紋で、地元は舞い上がっちゃいました。恒孝さんにはご迷惑をかけます」
と恐縮する。
一方の徳川恒孝は
「目立つのは好きではないのですが」
と困惑気味。
当初、「明大の入り口から地下の博物館まで」と聞き、案内役を引き受けたのが、いつのまにか行列に。
地元の張り切り様を見て断れなくなった。
「小栗は、生きていればもっと大きな仕事をしたであろう能吏。多くの人に知ってもらいたい」という思いもあった。
日光東照宮への参拝などで旗本の子孫らと歩くことはあるが、東京での行列は初めてだった。
桜の木のあるところの花吹雪がお祝いを彩った。
企画展は4〜27日。入場無料。
週末を中心に、村上住職によるギャラリートークもある。
問い合わせは顕彰会事務局(027・378・3111)へ。
星賀亨弘記述からの忘備録。
テケレッツノパー
2008年4月6日擬似病期的を喜ぶ人はこの世に広といえどこの爺のみであろう。
いっちょ前に病気的になり痛みがわかるからだ。
木曜日から鼻水が溢れクシャミを伴う突然の「花粉症症状」に驚いた。
「おまえは・・だれだ!」
「ヘヘツ〜エッエッヘツ・・三遊亭円生デェ〜・・テケレッツノパー」
「今日から鼻の下が炎症=円生の花粉症なんだ。!・・」
「エエッ!知らなかったの。・・田舎モン・・」
4日後の宮崎・・鼻の下に鼻水の痕跡を示すなんかチョッピリ異様なるカサカサを感じる。
長年人間ヤッ取れば自分のことは誰よりわかり、にわかお医者さん気取り。
どうやら言われてる花粉症は都会病との複合汚染であると断定。
罹患、治癒があまりにも偶然過ぎる人体実験の様相からの判断。
はや化石人の生きてる環境は田舎風に生きる体質と化している。
人間を超えたる老人の域での悟りの境地。
菜の花や 月は東に 日は西に。
優しさ淡菜画を思わせる情景描写が慕わしい。
イザナギ・イザナミの子孫の天孫降臨後の西都原、菜の花桜を東より朝の4時頃の風景。
月天心 貧しき町を 通りけり。
与謝蕪村の詫びさびを帯たるを好む。
いわんや そのおしえをば。
俗気を脱するを以って最となす。
5日浅草の仲見世までは良しとしても浅草寺界隈は年に数度の主役交代。
浅草寺より花やしきに向かっての伝法院が賑わった。
伝法院大書院での投扇興ゆえだ。
扇を約1,5M離れた的に目掛けて投げ、的の落ち方で点数を競う春の恒例行事。
華やかなキモノの芸者が模範演技。
120人がトーナメントで参加。
80畳の大書院は白熱
伝法院は120名の宮崎からの人を含める参加者に沸きに沸いた。
扇を投げる奥義アリ。言わぬが花の奥伝。
上野国立では353年王義之の蘭亭序展でせせらぎに杯ゑ浮べ詩を読んだときの展示物。。
宮崎都城では島津邸宅で曲水の宴。
シーガイヤ隣の遊園地のメイン施設・大観覧車は壊された。
花やしきは1853年植物園として開園。
大正から昭和初期は動物園。
1947年日本最初の遊園地として開業。
昭和28年ジェットコースーター国内第一号。
変わらぬ歓声がせまぐるしい不思議な空間に敷地以上の広さ利用ゆえにより響く。
反対側の木馬館の方が本来の拙者むけ。
文化の大衆的合意の所産の映画。
3丁目のオールゥエイズに涙する世代。
塩野七生は日本人を含む東洋人でおそらく初めてローマの体形をなしえた人。
文芸春秋4月号でもローマからの寄稿をかかさない。
地中海性気候では夜雨が降る。と教えていただいた。
なるほど、羅生門で黒沢が雨を見事にスクリーン化。
、ヴェネツィアでのグランプリ受賞は邦画を世界レベルに引き上げた。
敗戦後の混乱期の時代背景もあり、日本人、映画人にどれほどの勇気を与えてくれたかわからない。
嫌な雨模様は、仏国映画カトリーヌドヌーブにして「シェルブールの雨傘」を
米国にもとびジンケリーにして「雨に歌えば」とミュージカル映画に昇華した。
ローマの日本文化会館ほどゴージャスなつくりはない。
向き合ってるローマ大学の建築家の人々は日本建築に誤解を持って見てるいることだろう
その建物での映画祭に成瀬巳喜男の連続上映がされてると報告する。
クロサワでも小津安二郎、溝口健二でさえ映画が好きのイタリア人になって久しい。
浮雲、流れる、女が階段を上るとき、乱れる
浮雲は三流の女たらしを忘れられなく屋久島にまでついていって亡くなるお話。
流れるは芸者屋のお話。
女が・・はバーのマダムのお話。
乱れるも地方の個人商店で苦労する未亡人のお話。
いずれも日本人にさえ娯楽性に乏しき理解しズらキモノを
イタリア人は歓喜して迎いいれたのか。
演出、脚本撮影演技、俳優の大人の顔の人々。
高峰秀子、山田五十鈴、田中絹代、岡田茉莉子森雅之、らの役者があったればこそ。
時代は荻原朔太郎が羨望で異国をながめた頃。
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすは あまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅に いでてみん。
畏友と呼びたき大先輩の詩人で絵描き黒岩敏郎の懺犠の言葉を想起する。
「せきやん・・・モンマルトルに一度でも行き描いてみたい。」
社会改革の多忙さで何一つの自由なる時間も持てず逝った吟遊詩人の社会改革の闘志が痛い。
アンチ巨人・中日ドラゴンの理由を恐怖で聞けなかった。
中央での文芸の審査委員の多忙さ。
何もかも映画をも教えいただいた。
名匠小津安二郎に凡作の「お茶漬の味」作品がる。
「赤飯で祝うべき出征なのに、前夜に夫婦でお茶漬けサラサラとは何ごとか。」
内務省や軍部の難癖に、1940年お蔵入り。
、戦後あらためて完成させた映画人の執念の映画。
ただ、牙を抜かれた時節に作っては凡作をやむ得ないとことか。
黒沢明監督の「一番美しく」は終戦の前年に封切られた
脚本にさえ目くじらを立てる。
「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」
「胸をひろげ」は猥褻で劣情を刺激する。
内務省の検閲官はそう告げて再考を命じたと
黒沢の自叙伝「蝦蟇(がま)の油」(岩波現代文庫)に事実の怒りを訴える。
洋の東西を問わず被害はあるようだ。
「独裁者」は歓喜で迎え入れられたが、チャプリンの「殺人狂時代」(47年)は
米国の宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけた。
マッカシーの赤狩りの嵐に覆われるたこの国は、「追放」する
20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。
アカデミー特別名誉賞の授賞式である。
それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない
靖国神社がテーマの日中合作「靖国」
東京と大阪の映画館5館が街宣車の抗議行動のひと握りの人の意思により上映を中止
多くの人が目隠しをされる。
それがまかり通る社会。
多少似たことを実に身近に所見できる世相がまかり通る。
ブログ復活はいまだ不安定で動揺を持っての不安定さ。
爺にブログを続けさせてくれ!
伝統文化と映画にはそのようなことは微塵も窺い知れない日本人の姿がある。
落ちる鼻水は目じりのものが加わってカサを増しているのやも知れない。
「テケレッツノパー」
いっちょ前に病気的になり痛みがわかるからだ。
木曜日から鼻水が溢れクシャミを伴う突然の「花粉症症状」に驚いた。
「おまえは・・だれだ!」
「ヘヘツ〜エッエッヘツ・・三遊亭円生デェ〜・・テケレッツノパー」
「今日から鼻の下が炎症=円生の花粉症なんだ。!・・」
「エエッ!知らなかったの。・・田舎モン・・」
4日後の宮崎・・鼻の下に鼻水の痕跡を示すなんかチョッピリ異様なるカサカサを感じる。
長年人間ヤッ取れば自分のことは誰よりわかり、にわかお医者さん気取り。
どうやら言われてる花粉症は都会病との複合汚染であると断定。
罹患、治癒があまりにも偶然過ぎる人体実験の様相からの判断。
はや化石人の生きてる環境は田舎風に生きる体質と化している。
人間を超えたる老人の域での悟りの境地。
菜の花や 月は東に 日は西に。
優しさ淡菜画を思わせる情景描写が慕わしい。
イザナギ・イザナミの子孫の天孫降臨後の西都原、菜の花桜を東より朝の4時頃の風景。
月天心 貧しき町を 通りけり。
与謝蕪村の詫びさびを帯たるを好む。
いわんや そのおしえをば。
俗気を脱するを以って最となす。
5日浅草の仲見世までは良しとしても浅草寺界隈は年に数度の主役交代。
浅草寺より花やしきに向かっての伝法院が賑わった。
伝法院大書院での投扇興ゆえだ。
扇を約1,5M離れた的に目掛けて投げ、的の落ち方で点数を競う春の恒例行事。
華やかなキモノの芸者が模範演技。
120人がトーナメントで参加。
80畳の大書院は白熱
伝法院は120名の宮崎からの人を含める参加者に沸きに沸いた。
扇を投げる奥義アリ。言わぬが花の奥伝。
上野国立では353年王義之の蘭亭序展でせせらぎに杯ゑ浮べ詩を読んだときの展示物。。
宮崎都城では島津邸宅で曲水の宴。
シーガイヤ隣の遊園地のメイン施設・大観覧車は壊された。
花やしきは1853年植物園として開園。
大正から昭和初期は動物園。
1947年日本最初の遊園地として開業。
昭和28年ジェットコースーター国内第一号。
変わらぬ歓声がせまぐるしい不思議な空間に敷地以上の広さ利用ゆえにより響く。
反対側の木馬館の方が本来の拙者むけ。
文化の大衆的合意の所産の映画。
3丁目のオールゥエイズに涙する世代。
塩野七生は日本人を含む東洋人でおそらく初めてローマの体形をなしえた人。
文芸春秋4月号でもローマからの寄稿をかかさない。
地中海性気候では夜雨が降る。と教えていただいた。
なるほど、羅生門で黒沢が雨を見事にスクリーン化。
、ヴェネツィアでのグランプリ受賞は邦画を世界レベルに引き上げた。
敗戦後の混乱期の時代背景もあり、日本人、映画人にどれほどの勇気を与えてくれたかわからない。
嫌な雨模様は、仏国映画カトリーヌドヌーブにして「シェルブールの雨傘」を
米国にもとびジンケリーにして「雨に歌えば」とミュージカル映画に昇華した。
ローマの日本文化会館ほどゴージャスなつくりはない。
向き合ってるローマ大学の建築家の人々は日本建築に誤解を持って見てるいることだろう
その建物での映画祭に成瀬巳喜男の連続上映がされてると報告する。
クロサワでも小津安二郎、溝口健二でさえ映画が好きのイタリア人になって久しい。
浮雲、流れる、女が階段を上るとき、乱れる
浮雲は三流の女たらしを忘れられなく屋久島にまでついていって亡くなるお話。
流れるは芸者屋のお話。
女が・・はバーのマダムのお話。
乱れるも地方の個人商店で苦労する未亡人のお話。
いずれも日本人にさえ娯楽性に乏しき理解しズらキモノを
イタリア人は歓喜して迎いいれたのか。
演出、脚本撮影演技、俳優の大人の顔の人々。
高峰秀子、山田五十鈴、田中絹代、岡田茉莉子森雅之、らの役者があったればこそ。
時代は荻原朔太郎が羨望で異国をながめた頃。
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすは あまりにも遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅に いでてみん。
畏友と呼びたき大先輩の詩人で絵描き黒岩敏郎の懺犠の言葉を想起する。
「せきやん・・・モンマルトルに一度でも行き描いてみたい。」
社会改革の多忙さで何一つの自由なる時間も持てず逝った吟遊詩人の社会改革の闘志が痛い。
アンチ巨人・中日ドラゴンの理由を恐怖で聞けなかった。
中央での文芸の審査委員の多忙さ。
何もかも映画をも教えいただいた。
名匠小津安二郎に凡作の「お茶漬の味」作品がる。
「赤飯で祝うべき出征なのに、前夜に夫婦でお茶漬けサラサラとは何ごとか。」
内務省や軍部の難癖に、1940年お蔵入り。
、戦後あらためて完成させた映画人の執念の映画。
ただ、牙を抜かれた時節に作っては凡作をやむ得ないとことか。
黒沢明監督の「一番美しく」は終戦の前年に封切られた
脚本にさえ目くじらを立てる。
「勤労動員の学生達を、工場の門は胸をひろげて待っている」
「胸をひろげ」は猥褻で劣情を刺激する。
内務省の検閲官はそう告げて再考を命じたと
黒沢の自叙伝「蝦蟇(がま)の油」(岩波現代文庫)に事実の怒りを訴える。
洋の東西を問わず被害はあるようだ。
「独裁者」は歓喜で迎え入れられたが、チャプリンの「殺人狂時代」(47年)は
米国の宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけた。
マッカシーの赤狩りの嵐に覆われるたこの国は、「追放」する
20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。
アカデミー特別名誉賞の授賞式である。
それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない
靖国神社がテーマの日中合作「靖国」
東京と大阪の映画館5館が街宣車の抗議行動のひと握りの人の意思により上映を中止
多くの人が目隠しをされる。
それがまかり通る社会。
多少似たことを実に身近に所見できる世相がまかり通る。
ブログ復活はいまだ不安定で動揺を持っての不安定さ。
爺にブログを続けさせてくれ!
伝統文化と映画にはそのようなことは微塵も窺い知れない日本人の姿がある。
落ちる鼻水は目じりのものが加わってカサを増しているのやも知れない。
「テケレッツノパー」
甘茶でカッポレ
2008年4月7日江戸学は や!おもしろきや おぞましきや
お釈迦様でもないわいに。
たれがいわれをしるまいて。
ましてや日向の田舎人。
知るはずなし、語れるはず無しき。
おめでたきや お釈迦様にこう日。
出久根達郎、野口武彦と江戸学の達人の文章は一字一句見逃せぬ知の巨人で頼もしい。
古事記日本書紀の記紀の多くの舞台を占める日向人は興味を覚える記述がある。
新宿区下落合二丁目氷川神社はクシイイナタヒメノミコトを祀る
江戸名所図会では女体の宮と称した
高田の氷川明神はスサノウノミコトの男体の宮
一対にシテ夫婦の宮。
土俗には在原業平と二条后に配する誤伝も広まった。
女体社は関東一円に分布
由来は諸説あるが、立地条件周辺環境という点で顕著な特徴を持つ。
大部分が河川や用水に沿って鎮座する事実。
牛山佳吉著「小さき社の列島史」
船霊信仰との関連を指摘。
地名の落合は妙正寺川と神田川合流が語源。
それは全国共通で宮崎の落合姓も例外ではない。
古地図では他にもいくつもの支流細流が二つの川に注ぎ込んでおり、
このあたり一体が水郷というほどの湿地帯であった事を意味している。
東京は人の住めない湿地帯。
そして痩せこけた武蔵野台地。
秀吉の関東移封を家康は沼地解消で禄高増を目指し領地拡大と家臣に説いた。
治水工事で神田上水に整備される以前の古神田川。
ふだんは人と荷物を載せた上下する水路だがいったん大雨が降れば氾濫する原始の暴れ川の風景である。
川岸に船運を守ってくれる船霊様の社があって不思議はない。
船霊は女体と決まっている。
三遊亭円生の噺、三十石船の伸びある歌声からさえ豊穣の喜びを感ずる。、
時代劇ものの最もなる時代考証の船着場の風景を思い起こせばいい。
西武新宿線中井駅から妙正寺川に沿って歩くと
下落合駅少し過ぎたるところで川の流れは突然視界から蒸発する。
陰も形もなくなる。
NHKが以前放映したとおりである。
辰巳橋の小さな失地点からはっきり見える。
妙正寺川はそれから地下に潜り下流の高戸橋で神田川と合流するまで暗渠となる
川が姿を消す地点に鎮座が女体の社とは何か暗合じみて感動さえ覚ゆ。
コンクリートに閉じ込め地下に閉じ込めた水の気配が立ち上る。
近くにおとめ山がある。
ただし乙女でなくお鷹場の御留山だ。
この歴史は殿様の落語の噺の舞台でもある。
人情噺の三遊派でなくとも滑稽を真髄とする柳派のお家芸にも伝わる。
宮崎の人たる二代目小さんの笠碁、目黒のサンマの背景地。
チリトテチンが火をつけた落語ブームなんだそうな。
それにしても末広鈴本の4月の上中下席、香盤を見る限り学芸会程度。
新人のみを並べただけで出し物に工夫がない。
寄席側もなめられたものだ。
これでは独演会でしか落語は楽しめない。
より老舗鈴本に電車で移動すると福神漬けのお茶漬け程度の看板に誰が2500円も払うか。
若手中心で真打は漫才のあしたひろし順子ぐらい。
昼席トリに円生をしくじった川柳川柳程度。
当時のぬう生のときの著作の新書を思い出す。
懐かしきの歌の出し物はこの人の十八番。
三遊亭にあわぬ芸風ゆえやむ得ぬこと。
さりとて新作の雄・三遊亭円丈師匠までになれ得ば異端ながら円生も許したろうに
破門の意味が理解できてない川柳のそれでも懐かしき歌の芸。
鈴本の先の席亭鈴木肇、末広亭の先の席亭・北村銀太郎銀の書き残したる記録文。
地元江戸学に精通される博学で二冊の著書を読んだ記憶がある。
安藤鶴雄の旺文社文庫に納まる二冊も同様だ。
譚海(たんかい)に利根川の水中で暮らしてる人間のお話がある。
水辺でなく川の中に住む。
上流の布施から大宝のあたりで見られたという。
その人間は魚などを補食して水中に棲息し、五-60日ぐらい全く
水からでない。
よほど飢え迫られたときは
停泊中の船に食べ残しを乞うこともある。
船頭達が目のあたりにした事実であり、
決して河童や人魚のたぐいでなかった保証付きだ。
安永のはじめ1772年頃よく行き会ったがその後どこに言ったのか。
バッタリいなくなった。
奇怪な水棲人
正体はいまだ不明である。
利根川の水は縦横に張り巡らされた運河網で江戸の隅田川に繋がっている。
水路伝いに江戸に泳ぎ着いたら川に漂う溺死死体の多さに驚いた。
溺死者を土左衛門と呼ぶようになった起源
享保9年(1724)
番付けに見える成瀬川土左衛門
ブヨブヨ肥満、まるで水死人みたいと冗談にしたのに始まるそうだ。。
八百屋お七の芝居にでてくる土左衛門伝吉と言う役も
成瀬川に名を借りたもの。
山東京伝近世奇跡考が教える。。
黙阿弥の三人吉三
「見るたびに引き上げちゃ葬むるのでアダ名のように私が事を土左衛門爺伝吉といひます」
と名セリフ
この白浪劇、外題に吉三とあるように八百屋お七の世界が下敷き。
お嬢吉三振袖のお七の形をしている。
松浦静山著「続甲子夜話」
本所の水死堂の庵を建てた奇特な男の記事がある。
船頭の頃から隅田川に漂う水死人引き上げて葬っていた
腐乱死体のヒモの首に百両がゆあえてあったので発心。
その金でお堂を建てたというお話だ。
土左衛門伝吉のモデルやもしれない。
九死に蘇った人アリ。
柔道王たる日向の人・井上康生が首の皮一枚残し29日の場に賭けえた。
5月の国家の威信をかけ世界最高峰のチョモランマ(エベレスト8848M)に登頂する聖火リレー見たいなるもの。
チベットでの国威発揚が世界はどう受け取るか。
失ったものの回復ほど容易ではない。
唯一の道は清き生き様を真剣に晒すしかない。
江戸っ子は 皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで、はらわたはなし。
ええぃ!甘茶でカッポレ!だい。
お釈迦様でもないわいに。
たれがいわれをしるまいて。
ましてや日向の田舎人。
知るはずなし、語れるはず無しき。
おめでたきや お釈迦様にこう日。
出久根達郎、野口武彦と江戸学の達人の文章は一字一句見逃せぬ知の巨人で頼もしい。
古事記日本書紀の記紀の多くの舞台を占める日向人は興味を覚える記述がある。
新宿区下落合二丁目氷川神社はクシイイナタヒメノミコトを祀る
江戸名所図会では女体の宮と称した
高田の氷川明神はスサノウノミコトの男体の宮
一対にシテ夫婦の宮。
土俗には在原業平と二条后に配する誤伝も広まった。
女体社は関東一円に分布
由来は諸説あるが、立地条件周辺環境という点で顕著な特徴を持つ。
大部分が河川や用水に沿って鎮座する事実。
牛山佳吉著「小さき社の列島史」
船霊信仰との関連を指摘。
地名の落合は妙正寺川と神田川合流が語源。
それは全国共通で宮崎の落合姓も例外ではない。
古地図では他にもいくつもの支流細流が二つの川に注ぎ込んでおり、
このあたり一体が水郷というほどの湿地帯であった事を意味している。
東京は人の住めない湿地帯。
そして痩せこけた武蔵野台地。
秀吉の関東移封を家康は沼地解消で禄高増を目指し領地拡大と家臣に説いた。
治水工事で神田上水に整備される以前の古神田川。
ふだんは人と荷物を載せた上下する水路だがいったん大雨が降れば氾濫する原始の暴れ川の風景である。
川岸に船運を守ってくれる船霊様の社があって不思議はない。
船霊は女体と決まっている。
三遊亭円生の噺、三十石船の伸びある歌声からさえ豊穣の喜びを感ずる。、
時代劇ものの最もなる時代考証の船着場の風景を思い起こせばいい。
西武新宿線中井駅から妙正寺川に沿って歩くと
下落合駅少し過ぎたるところで川の流れは突然視界から蒸発する。
陰も形もなくなる。
NHKが以前放映したとおりである。
辰巳橋の小さな失地点からはっきり見える。
妙正寺川はそれから地下に潜り下流の高戸橋で神田川と合流するまで暗渠となる
川が姿を消す地点に鎮座が女体の社とは何か暗合じみて感動さえ覚ゆ。
コンクリートに閉じ込め地下に閉じ込めた水の気配が立ち上る。
近くにおとめ山がある。
ただし乙女でなくお鷹場の御留山だ。
この歴史は殿様の落語の噺の舞台でもある。
人情噺の三遊派でなくとも滑稽を真髄とする柳派のお家芸にも伝わる。
宮崎の人たる二代目小さんの笠碁、目黒のサンマの背景地。
チリトテチンが火をつけた落語ブームなんだそうな。
それにしても末広鈴本の4月の上中下席、香盤を見る限り学芸会程度。
新人のみを並べただけで出し物に工夫がない。
寄席側もなめられたものだ。
これでは独演会でしか落語は楽しめない。
より老舗鈴本に電車で移動すると福神漬けのお茶漬け程度の看板に誰が2500円も払うか。
若手中心で真打は漫才のあしたひろし順子ぐらい。
昼席トリに円生をしくじった川柳川柳程度。
当時のぬう生のときの著作の新書を思い出す。
懐かしきの歌の出し物はこの人の十八番。
三遊亭にあわぬ芸風ゆえやむ得ぬこと。
さりとて新作の雄・三遊亭円丈師匠までになれ得ば異端ながら円生も許したろうに
破門の意味が理解できてない川柳のそれでも懐かしき歌の芸。
鈴本の先の席亭鈴木肇、末広亭の先の席亭・北村銀太郎銀の書き残したる記録文。
地元江戸学に精通される博学で二冊の著書を読んだ記憶がある。
安藤鶴雄の旺文社文庫に納まる二冊も同様だ。
譚海(たんかい)に利根川の水中で暮らしてる人間のお話がある。
水辺でなく川の中に住む。
上流の布施から大宝のあたりで見られたという。
その人間は魚などを補食して水中に棲息し、五-60日ぐらい全く
水からでない。
よほど飢え迫られたときは
停泊中の船に食べ残しを乞うこともある。
船頭達が目のあたりにした事実であり、
決して河童や人魚のたぐいでなかった保証付きだ。
安永のはじめ1772年頃よく行き会ったがその後どこに言ったのか。
バッタリいなくなった。
奇怪な水棲人
正体はいまだ不明である。
利根川の水は縦横に張り巡らされた運河網で江戸の隅田川に繋がっている。
水路伝いに江戸に泳ぎ着いたら川に漂う溺死死体の多さに驚いた。
溺死者を土左衛門と呼ぶようになった起源
享保9年(1724)
番付けに見える成瀬川土左衛門
ブヨブヨ肥満、まるで水死人みたいと冗談にしたのに始まるそうだ。。
八百屋お七の芝居にでてくる土左衛門伝吉と言う役も
成瀬川に名を借りたもの。
山東京伝近世奇跡考が教える。。
黙阿弥の三人吉三
「見るたびに引き上げちゃ葬むるのでアダ名のように私が事を土左衛門爺伝吉といひます」
と名セリフ
この白浪劇、外題に吉三とあるように八百屋お七の世界が下敷き。
お嬢吉三振袖のお七の形をしている。
松浦静山著「続甲子夜話」
本所の水死堂の庵を建てた奇特な男の記事がある。
船頭の頃から隅田川に漂う水死人引き上げて葬っていた
腐乱死体のヒモの首に百両がゆあえてあったので発心。
その金でお堂を建てたというお話だ。
土左衛門伝吉のモデルやもしれない。
九死に蘇った人アリ。
柔道王たる日向の人・井上康生が首の皮一枚残し29日の場に賭けえた。
5月の国家の威信をかけ世界最高峰のチョモランマ(エベレスト8848M)に登頂する聖火リレー見たいなるもの。
チベットでの国威発揚が世界はどう受け取るか。
失ったものの回復ほど容易ではない。
唯一の道は清き生き様を真剣に晒すしかない。
江戸っ子は 皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで、はらわたはなし。
ええぃ!甘茶でカッポレ!だい。
地底より
2008年4月11日米ソ二大超大国に勝ち抜いたアメリカは地球の唯一の支配として、
資源戦争の覇権をも一手に握らんとしていた。
ブッシュの強引なんるイラク戦争が契機となり情勢は一挙に混沌。
歴史は皮肉なもので破綻した国家ロシアは再生、資源国ロシアとしての台頭を許している。
米露仏に日本、かってお互い交戦した国は、実に不思議なるエニシを歴史は教える。
4月11日は、国と時代は全く違えど、3人の時代の寵児が、表舞台から消え去った日。
連合国軍総司令部の最高司令官ダグラス・マッカーサー。
1951年4月11日に、朝鮮戦争をめぐり対立したトルーマン大統領から任を解かれた。
皇帝ナポレオン・ボナパルト。
ロシア遠征の失敗が致命傷となり、1814年4月11日、退位宣言に署名する。
徳川最後の将軍慶喜。
1868年、4月11日時代の流れにあらがえず、幕府は江戸城を新政府軍に明け渡した。
大政奉還後も復権の機会を狙ってたフシのある慶喜だが、水戸で謹慎。
政治生命を完全に絶たれた。
権力を持つ者にとっては縁起の悪い日の4・11失脚記念日
福田首相、71歳
職を解かれた時のマッカーサーと奇しくも同年齢。
福田内閣は昨年秋に発足した当時57%の支持率が4月には26%台まで落ち込み
政権維持の危険のゾーンにある。
昨10日と続く御難のせきやん。
PB作製して届ける手続きが上手くかみ合わない。
一昨日の返却持ち帰りはやむ得ぬものとしても
その後の処置は極めて速やか迅速ならザル得ないものを周囲は理解しない。
手直し納品の積極果敢の熱意が個人プレーみたいに置き換えられてしまっている。
そもそもの全体的原因があってのことなのに担当者の一人ミスになってしまい
誠意を表す早急なる取り組みは組織の状況的には裏目に出ている。
孤立無援は全般的に被っており、社会の最末端の事柄でさえ4・11は受難の日。
このところの安定なきブログアップの失政状況と同じでその極に達している。
3人よれば決定者が現れる。
最小限の権力。
強力なるリーダーシップ。
涙流して歌を聴く。
ヨイトマケの歌
【作詞】丸山明宏
【作曲】丸山明宏
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ
1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
2.子供の頃に小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に暮れながら
泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
日にやけながら 汗を流して
男に混じって ツナを引き
天に向かって 声をあげて
力の限り 唄ってた
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も忘れ果て
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと言いながら
勉強するよと言いながら
5.あれから何年経ったことだろう
高校も出たし大学も出た
今じゃ機械の世の中で
おまけに僕はエンジニア
苦労苦労で死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
6.何度か僕もぐれかけたけど
やくざな道は踏まずに済んだ
どんなきれいな唄よりも
どんなきれいな声よりも
僕を励ましなぐさめた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ
藍は藍より出でて 藍より青し。
資源戦争の覇権をも一手に握らんとしていた。
ブッシュの強引なんるイラク戦争が契機となり情勢は一挙に混沌。
歴史は皮肉なもので破綻した国家ロシアは再生、資源国ロシアとしての台頭を許している。
米露仏に日本、かってお互い交戦した国は、実に不思議なるエニシを歴史は教える。
4月11日は、国と時代は全く違えど、3人の時代の寵児が、表舞台から消え去った日。
連合国軍総司令部の最高司令官ダグラス・マッカーサー。
1951年4月11日に、朝鮮戦争をめぐり対立したトルーマン大統領から任を解かれた。
皇帝ナポレオン・ボナパルト。
ロシア遠征の失敗が致命傷となり、1814年4月11日、退位宣言に署名する。
徳川最後の将軍慶喜。
1868年、4月11日時代の流れにあらがえず、幕府は江戸城を新政府軍に明け渡した。
大政奉還後も復権の機会を狙ってたフシのある慶喜だが、水戸で謹慎。
政治生命を完全に絶たれた。
権力を持つ者にとっては縁起の悪い日の4・11失脚記念日
福田首相、71歳
職を解かれた時のマッカーサーと奇しくも同年齢。
福田内閣は昨年秋に発足した当時57%の支持率が4月には26%台まで落ち込み
政権維持の危険のゾーンにある。
昨10日と続く御難のせきやん。
PB作製して届ける手続きが上手くかみ合わない。
一昨日の返却持ち帰りはやむ得ぬものとしても
その後の処置は極めて速やか迅速ならザル得ないものを周囲は理解しない。
手直し納品の積極果敢の熱意が個人プレーみたいに置き換えられてしまっている。
そもそもの全体的原因があってのことなのに担当者の一人ミスになってしまい
誠意を表す早急なる取り組みは組織の状況的には裏目に出ている。
孤立無援は全般的に被っており、社会の最末端の事柄でさえ4・11は受難の日。
このところの安定なきブログアップの失政状況と同じでその極に達している。
3人よれば決定者が現れる。
最小限の権力。
強力なるリーダーシップ。
涙流して歌を聴く。
ヨイトマケの歌
【作詞】丸山明宏
【作曲】丸山明宏
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに エンヤコラ
1.今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
2.子供の頃に小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に暮れながら
泣いて帰った道すがら
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
3.姉さんかぶりで 泥にまみれて
日にやけながら 汗を流して
男に混じって ツナを引き
天に向かって 声をあげて
力の限り 唄ってた
母ちゃんの働くとこを見た
母ちゃんの働くとこを見た
4.なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も忘れ果て
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと言いながら
勉強するよと言いながら
5.あれから何年経ったことだろう
高校も出たし大学も出た
今じゃ機械の世の中で
おまけに僕はエンジニア
苦労苦労で死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
6.何度か僕もぐれかけたけど
やくざな道は踏まずに済んだ
どんなきれいな唄よりも
どんなきれいな声よりも
僕を励ましなぐさめた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子どものためなら エンヤコラ
藍は藍より出でて 藍より青し。
日向の歴史
2008年4月14日もの言えば・・唇さむし・・言論風圧の状況は映画靖国の上映中止だけでなく
ブログの世界にさえチェックでの恐怖として自由闊達なる表現を奪っている。
世相万事が之で歴史の隠喩で表現せざる得ない状況。
実に疲れる=憑かれる時代である。
天皇家のことがマスコミに漏れ伝わる。
触れてない日常の天皇の朝の行事に神事がある。
国家国民の安寧を祈念して「ハレ」の状態の維持である。
ご自身のご病気の身体をお気づきのようで、DNAの受け継ぎを意識されてるようだ。
日常の伝えねばならぬ事の焦りからの参内を増やすようにとの天皇の親心が伝わらないようだ。
田舎では早朝敷地内の10ヶ所を超える神々に一番先に捧げた。
ご飯を小さき器に盛り、お茶共々あげ、祈った。
家族はその仕来たりが済まぬと朝食にありつけなかった。
庶民でさえその暮らしの仕来たりぶり。
天皇家はひたすら民のカマドの煙を心配されるのが日常の要諦。
祓詞は奏上することによりおのずと
罪穢れを祓い清める畏き詞として
現在も日本全国の神社において
必ず奏上されている
大淀川の最下流は、古くから「小戸の渡」と呼ばれ、この地を訪れた三位入道・伊東義祐が神話の世界に思いをはせて詠んだといわれる歌碑が市役所の東玄関近くに立っている。
「神代より その名はいまも 橘や 小戸のわたりの 舟の行く末」
小戸神社駐車場の隅ににある句碑。
「前の世じゃ 志こたま貯めた 男なり」
こんな捨て台詞を辞世の句にしたのは、
日向狂歌の生みの親、
目野丁勘切(めのちょかんきり)こと、
目野清吉。
(ちょかんきりとは『蜥蜴/とかげ』のこと。
為政者は目に見えぬ心労を背負っての日々を過ごしている面がある。
元亀二年大隈肝付、球磨の相良義陽(ヨシアキ)が島津討伐に動いた。
飯野襲撃である。
ところが間に合わず伊東軍が日向支配地を追われる結果となった。
・・・・
敵をあなどり軍法みだりにありしかば、おのおのせん議して供えを堅うして引き取り給えと制しけれど
過半若き大将にて下知調わず、薩州の士卒如何ばかりのことをか、してかすべし。
竹竿一本にては打ち破らんものをと声々によばとて・・日向記は記す。
そのころの心教に通うじたもの。
飫肥の経略の、のちの満足ソ手入る心境
入道権威重く、して、三州の大守とおぼしめしいりたるもことわりなり・・・日向記
伊東軍は列伍を乱して休憩した。
甲冑を脱いで急速水浴。
吉松からの援軍と加久藤を去った。
夫人広瀬と兵300を飯野に残し加賀源四郎、新次郎又次郎弟伊東右衛門
間に合わなかった相良軍。
関が原の家康軍本隊秀忠見たいなもの。
島津との決戦、
真幸口を平げんと元亀3年5月の初め、大軍を催し、まず三ッ山(小林)に軍勢をそろえ
加久藤城を打ち破るべし。と5月3日夜半加久藤城に押し寄せた。
伊東新次郎、伊東修理亮祐青、伊東又次郎若手の大将総軍を引率し民家に火を放ち城に押し寄せた。
城の搦め手、鎌掛口は樺山浄慶と言う山伏父子三人が細道の瀬戸合を防戦。
城中よりも馳せ続いて戦う内、白々と空け始めた
新次郎は叔父相模の守祐梁のこで22歳又次郎25歳
伊東勢はまず飯野川に退いた。
「薩摩の分際何程のことがある。」
「竹竿一本にて打ち払うべし。」
隊伍乱れて整わず、かくては危うしと老巧の武士は制したが命令行われず、薩摩軍を侮っている。
頃は5月の頃なれば暑さはあつし
、衆皆物の具脱いで飯野川で水泳ぎをした。
総大将伊東加賀守祐安は黙っていて笑っていた。咎めなかったのだ。
重い鎧いは焼け顔は真っ赤で汗が滴り落ち、のどはからからに渇いていた。
目の前の清流を見たとき先発隊はとっさに発しリ出した。
何事かと三千の軍勢は色めき立ったが、目の前の一筋の清流に歓声が沸いた。
「水」「水」
争って川に向け走り、思うままに水を飲んだ。
霧島山系寄り染入り湧き出してるゆえに冷たく甘い。
太陽に参ってる木や草を尻目に、山野を走り抜け川に飛び込む。
頭を水に突っ込んで冷やしたり川の中に全身を浸た少しでも体を水にぬらそうとの本能である。
なるほどとまねをするものがでてくる。
これから加久藤城を取り囲む途中の出来事だ。
今に思えば油断である。
具足を脱ぎ水遊びをしながらも遠くに10~20の騎馬がみゆるが、遠見のものの伝令ぐらいであろうと
楽しみを続けていた。
ところがその騎馬隊の後にも数十騎見えている。
先頭の騎馬がそのまま裸同然で水遊びに夢中の中に斬り込んできた。
「島津軍だ!」
怒声が叫ばれるときには、鮮血がすでに飯野川を染め始めている。
逃げまどう伊東軍と戦闘状態の島津軍とでは見ただけで区別がつく様をなしている。
慌てて脱ぎ捨てた刀や槍を探そうにも騎馬隊のあとに将兵が斬り込んできている。
獰猛果敢に戦いあうのでなく、また戦列優位な凄惨なる戦さでなく
武器を持ってるものと、裸同然の素手で逃げ惑う修羅の景色をなしている。
かろうじて岸に上がったものの劣勢は如何ともしがたい。
三千のを誇った伊東勢も不覚ともなんとも形容のしようもなく潰滅した。
総大将の加賀の守は敵陣に馬を走らせ突入した。
時代は幾星霜変わろうと繰り返される変わらぬ状況。
日向人の悲劇の業の原点である。
伊東家は一時滅び、朝鮮出兵で功をなし、子息が日南でお家再興を果たしはしたが、勝手の力強さは畏縮してしまっていた。
ブログの世界にさえチェックでの恐怖として自由闊達なる表現を奪っている。
世相万事が之で歴史の隠喩で表現せざる得ない状況。
実に疲れる=憑かれる時代である。
天皇家のことがマスコミに漏れ伝わる。
触れてない日常の天皇の朝の行事に神事がある。
国家国民の安寧を祈念して「ハレ」の状態の維持である。
ご自身のご病気の身体をお気づきのようで、DNAの受け継ぎを意識されてるようだ。
日常の伝えねばならぬ事の焦りからの参内を増やすようにとの天皇の親心が伝わらないようだ。
田舎では早朝敷地内の10ヶ所を超える神々に一番先に捧げた。
ご飯を小さき器に盛り、お茶共々あげ、祈った。
家族はその仕来たりが済まぬと朝食にありつけなかった。
庶民でさえその暮らしの仕来たりぶり。
天皇家はひたすら民のカマドの煙を心配されるのが日常の要諦。
祓詞は奏上することによりおのずと
罪穢れを祓い清める畏き詞として
現在も日本全国の神社において
必ず奏上されている
大淀川の最下流は、古くから「小戸の渡」と呼ばれ、この地を訪れた三位入道・伊東義祐が神話の世界に思いをはせて詠んだといわれる歌碑が市役所の東玄関近くに立っている。
「神代より その名はいまも 橘や 小戸のわたりの 舟の行く末」
小戸神社駐車場の隅ににある句碑。
「前の世じゃ 志こたま貯めた 男なり」
こんな捨て台詞を辞世の句にしたのは、
日向狂歌の生みの親、
目野丁勘切(めのちょかんきり)こと、
目野清吉。
(ちょかんきりとは『蜥蜴/とかげ』のこと。
為政者は目に見えぬ心労を背負っての日々を過ごしている面がある。
元亀二年大隈肝付、球磨の相良義陽(ヨシアキ)が島津討伐に動いた。
飯野襲撃である。
ところが間に合わず伊東軍が日向支配地を追われる結果となった。
・・・・
敵をあなどり軍法みだりにありしかば、おのおのせん議して供えを堅うして引き取り給えと制しけれど
過半若き大将にて下知調わず、薩州の士卒如何ばかりのことをか、してかすべし。
竹竿一本にては打ち破らんものをと声々によばとて・・日向記は記す。
そのころの心教に通うじたもの。
飫肥の経略の、のちの満足ソ手入る心境
入道権威重く、して、三州の大守とおぼしめしいりたるもことわりなり・・・日向記
伊東軍は列伍を乱して休憩した。
甲冑を脱いで急速水浴。
吉松からの援軍と加久藤を去った。
夫人広瀬と兵300を飯野に残し加賀源四郎、新次郎又次郎弟伊東右衛門
間に合わなかった相良軍。
関が原の家康軍本隊秀忠見たいなもの。
島津との決戦、
真幸口を平げんと元亀3年5月の初め、大軍を催し、まず三ッ山(小林)に軍勢をそろえ
加久藤城を打ち破るべし。と5月3日夜半加久藤城に押し寄せた。
伊東新次郎、伊東修理亮祐青、伊東又次郎若手の大将総軍を引率し民家に火を放ち城に押し寄せた。
城の搦め手、鎌掛口は樺山浄慶と言う山伏父子三人が細道の瀬戸合を防戦。
城中よりも馳せ続いて戦う内、白々と空け始めた
新次郎は叔父相模の守祐梁のこで22歳又次郎25歳
伊東勢はまず飯野川に退いた。
「薩摩の分際何程のことがある。」
「竹竿一本にて打ち払うべし。」
隊伍乱れて整わず、かくては危うしと老巧の武士は制したが命令行われず、薩摩軍を侮っている。
頃は5月の頃なれば暑さはあつし
、衆皆物の具脱いで飯野川で水泳ぎをした。
総大将伊東加賀守祐安は黙っていて笑っていた。咎めなかったのだ。
重い鎧いは焼け顔は真っ赤で汗が滴り落ち、のどはからからに渇いていた。
目の前の清流を見たとき先発隊はとっさに発しリ出した。
何事かと三千の軍勢は色めき立ったが、目の前の一筋の清流に歓声が沸いた。
「水」「水」
争って川に向け走り、思うままに水を飲んだ。
霧島山系寄り染入り湧き出してるゆえに冷たく甘い。
太陽に参ってる木や草を尻目に、山野を走り抜け川に飛び込む。
頭を水に突っ込んで冷やしたり川の中に全身を浸た少しでも体を水にぬらそうとの本能である。
なるほどとまねをするものがでてくる。
これから加久藤城を取り囲む途中の出来事だ。
今に思えば油断である。
具足を脱ぎ水遊びをしながらも遠くに10~20の騎馬がみゆるが、遠見のものの伝令ぐらいであろうと
楽しみを続けていた。
ところがその騎馬隊の後にも数十騎見えている。
先頭の騎馬がそのまま裸同然で水遊びに夢中の中に斬り込んできた。
「島津軍だ!」
怒声が叫ばれるときには、鮮血がすでに飯野川を染め始めている。
逃げまどう伊東軍と戦闘状態の島津軍とでは見ただけで区別がつく様をなしている。
慌てて脱ぎ捨てた刀や槍を探そうにも騎馬隊のあとに将兵が斬り込んできている。
獰猛果敢に戦いあうのでなく、また戦列優位な凄惨なる戦さでなく
武器を持ってるものと、裸同然の素手で逃げ惑う修羅の景色をなしている。
かろうじて岸に上がったものの劣勢は如何ともしがたい。
三千のを誇った伊東勢も不覚ともなんとも形容のしようもなく潰滅した。
総大将の加賀の守は敵陣に馬を走らせ突入した。
時代は幾星霜変わろうと繰り返される変わらぬ状況。
日向人の悲劇の業の原点である。
伊東家は一時滅び、朝鮮出兵で功をなし、子息が日南でお家再興を果たしはしたが、勝手の力強さは畏縮してしまっていた。
この時期
2008年4月15日今日15日は最初の黒人大リーガージャッキー・ロビンソンが出場した日。
日本での開幕投手の実質黒人たる松坂は3連勝。
驚くなかれ!
世界には黄色人種なる区分けはない。
黒か白かでしかないゆえだ。
「素晴らしきアメリカ野球」フィリップ・ロス著
舞台は架空の大リーグ球団。
米国社会を風刺した奇想天外のホラ話。
「<それ>は白人の野球。・・そして白人の国。・・弔鐘だったのではないか。」
<それ>はその球団のオーナーがスカウトのために黒人リーグを観戦に訪れた行為を言っている。
ルオー(1871−1958)没後50年祈念。
新橋の松下汐留ミュージアムでみれる。
ルオー財団が3年前発見した交流書簡集。マチスとの交流
20世紀最大の宗教画家として大阪でのルオー展。
丸の内出光美術館は国内最大のルオー収集館。
プサーマル原発認可され、五月から青森大間に出力138万kwで着工される。
世界初の使用済み核燃料燃料だけで動く。
2012年運転開始。
jパワーは投資ファンド・ザ・チルドレンズインベストメント・フアンド(TCI)から
株の買占めに合っている。
日経新聞トップには具合よく、外資呼び込みに
法人税非課税の構想が発表されている。
新藤兼人監督のエッセーで知ったること。
千葉県市川市の水木洋子記念館。
ガラス越しのキスシーンで知られる
「また会うひまで」(50年今井正監督)
沖縄戦の
ひめゆりの塔(53年)
の脚本家のことである。
地方交響楽団の
「ここに泉あり」(55年今井正監督)
小道具立てが本物である。
電気蓄音機10万円を特注。LPレコードが10枚連続で聞けるすぐれ者。
ベートベン全集は4万円。
公務員初任給一年分で10万円の頃のお話の頃だから凄い。
1000点を越す有名人の手紙郡。
川端康成林芙美子杉村春子・・
自らピーアールした「丈夫で安くて使いやすいあなたの加東大介」
俳優の中でもっとも出演が多かった。
常設ゆえいつでも言い。
日本フライ級チャンピオンは宮崎高原町の吉田健司(笹崎)が二度栄光の座にあった。
14日後楽園ホールで清水智信の前に判定で屈した。
10回戦をフルに戦い抜いたが、アテネの強化選手でもあった
清水にはこれで二度屈したことになる。
手数の差でも負けていた。
何故もっと・・左右を出せ!
単調に左右を出すボクシングは簡単と見える。
自分がリングに上ればわかる。
三分間フルに繰り出す素人は一人もいないと経験から断言する。
ワンツー・ワンツツー。
二分続けれていればたいしたもんだ。
シャドーでもやってみるがいい。
なんでもそうである。
外から見ていれば簡単なことでも実際はとてもではない。
真剣に取り組んでるものをそう簡単に開示披瀝するものではない。
異常でなければなおのこと。
マンゴーが異常である。
ご祝儀とはいえ東京の大田市場で2玉(1キロ)20万円、
宮崎市中央卸売市場でも10万円の過去最高値。
9市場の平均で約2万2千円。
この過熱ぶり、。
東京の20代女性の間でとマンゴーは「2番目に嫌いな果物」が定評だった10年前。
「太陽のタマゴ」とネーミングしたのは18歳で、宮崎市の専門学校生だった日高真理と地元紙が教える。
当時あまり見慣れない果物。
どこか恐竜の卵に似ている。
炎のような赤い色も太陽のくに・宮崎にふさわしい。
JA宮崎経済連が行った公募で見事、採用された。
ネーミングの浸透とともにマスコミに乗った
トップセールスの東国原効果が加わった。
約20年前、西都市の農家四戸で試作を始めた完熟マンゴー。
マンゴー部会長は同期生の西都市都於郡山田の文利君。
地元紙に大きな写真が掲載され誇らしげのお裾分け。
同じ新聞記事でも大きく違う。
ただ実態は厳しく経費さえ出なかった時期もあり、最近の盛況は昔日の感。
実が完熟する前、ネットをかぶせる独特の収穫法が甘さを生む。
庄屋さんのお家柄に父親利文オヤジさん花子オバサンが
その頃集落内でも早くからやってたハウス栽培技術が実を結び開花した技術。
この事を知る人は新聞も書いてないので地元民、同級生たるもの意外いまい。・・エッヘン!・・なんだか・・
東国原知事のトップセールスに加え、糖度15度以上などの厳しい品質管理、
条件をクリアした「実力」の証明でもある価格だ。
今年は増産されて全国の市場、店頭へ網を広げていく。
食卓に上がった同級生の開発した栽培法「太陽のタマゴ」から、
日本一の宮崎の光をまぶした宮崎の夏が孵る。
年金から2か月分一万二千円の後期高齢者医療制度で年金支給日の
きょう15日天引きされる。
800万人で宮崎でさえ10万4千人。
75歳以上の自民党支持者が多い相が今後どう動くか。
急なる実施の感はぬぐえないが二年前に決まってたのを
広報活動が十分とれなかったこともある。
健康保険証さえ配られてない不手際も多々あると
マスコミが教える不手際もあるようだ。
墓穴を掘ってる連続で安倍より途中引き継いだ
政権に何もいい事はない。
創刊50周年の少年マガジンと少年サンデーは講談社と小学館
53週連続であしたのジョーなどの二期キャラクターをあしらったシャツを売り出す。
英米など6カ国も含まれている。
タイガーマスクとうる星やつらの共演さえある。
ユニクロのTシャツは面白い。
完全復活である。株買ったら?
内側から綺麗になりたい
このコンセプトは凄い。!
ハーブ飲料は化けそうである。
噂話のたぐいは化けてしまうから怖い。
あえて打ち消すのもまた可笑しい。
4月は新人類の入社時の混乱の時期にあり、
列島は困惑気味であろう。
大企業ならいざ知らず定着率はどこもかしこも金太郎飴状態。
ご同輩!新人社員に惑わされる被害に会うことのなきよう進言しましょうぞ。
日本での開幕投手の実質黒人たる松坂は3連勝。
驚くなかれ!
世界には黄色人種なる区分けはない。
黒か白かでしかないゆえだ。
「素晴らしきアメリカ野球」フィリップ・ロス著
舞台は架空の大リーグ球団。
米国社会を風刺した奇想天外のホラ話。
「<それ>は白人の野球。・・そして白人の国。・・弔鐘だったのではないか。」
<それ>はその球団のオーナーがスカウトのために黒人リーグを観戦に訪れた行為を言っている。
ルオー(1871−1958)没後50年祈念。
新橋の松下汐留ミュージアムでみれる。
ルオー財団が3年前発見した交流書簡集。マチスとの交流
20世紀最大の宗教画家として大阪でのルオー展。
丸の内出光美術館は国内最大のルオー収集館。
プサーマル原発認可され、五月から青森大間に出力138万kwで着工される。
世界初の使用済み核燃料燃料だけで動く。
2012年運転開始。
jパワーは投資ファンド・ザ・チルドレンズインベストメント・フアンド(TCI)から
株の買占めに合っている。
日経新聞トップには具合よく、外資呼び込みに
法人税非課税の構想が発表されている。
新藤兼人監督のエッセーで知ったること。
千葉県市川市の水木洋子記念館。
ガラス越しのキスシーンで知られる
「また会うひまで」(50年今井正監督)
沖縄戦の
ひめゆりの塔(53年)
の脚本家のことである。
地方交響楽団の
「ここに泉あり」(55年今井正監督)
小道具立てが本物である。
電気蓄音機10万円を特注。LPレコードが10枚連続で聞けるすぐれ者。
ベートベン全集は4万円。
公務員初任給一年分で10万円の頃のお話の頃だから凄い。
1000点を越す有名人の手紙郡。
川端康成林芙美子杉村春子・・
自らピーアールした「丈夫で安くて使いやすいあなたの加東大介」
俳優の中でもっとも出演が多かった。
常設ゆえいつでも言い。
日本フライ級チャンピオンは宮崎高原町の吉田健司(笹崎)が二度栄光の座にあった。
14日後楽園ホールで清水智信の前に判定で屈した。
10回戦をフルに戦い抜いたが、アテネの強化選手でもあった
清水にはこれで二度屈したことになる。
手数の差でも負けていた。
何故もっと・・左右を出せ!
単調に左右を出すボクシングは簡単と見える。
自分がリングに上ればわかる。
三分間フルに繰り出す素人は一人もいないと経験から断言する。
ワンツー・ワンツツー。
二分続けれていればたいしたもんだ。
シャドーでもやってみるがいい。
なんでもそうである。
外から見ていれば簡単なことでも実際はとてもではない。
真剣に取り組んでるものをそう簡単に開示披瀝するものではない。
異常でなければなおのこと。
マンゴーが異常である。
ご祝儀とはいえ東京の大田市場で2玉(1キロ)20万円、
宮崎市中央卸売市場でも10万円の過去最高値。
9市場の平均で約2万2千円。
この過熱ぶり、。
東京の20代女性の間でとマンゴーは「2番目に嫌いな果物」が定評だった10年前。
「太陽のタマゴ」とネーミングしたのは18歳で、宮崎市の専門学校生だった日高真理と地元紙が教える。
当時あまり見慣れない果物。
どこか恐竜の卵に似ている。
炎のような赤い色も太陽のくに・宮崎にふさわしい。
JA宮崎経済連が行った公募で見事、採用された。
ネーミングの浸透とともにマスコミに乗った
トップセールスの東国原効果が加わった。
約20年前、西都市の農家四戸で試作を始めた完熟マンゴー。
マンゴー部会長は同期生の西都市都於郡山田の文利君。
地元紙に大きな写真が掲載され誇らしげのお裾分け。
同じ新聞記事でも大きく違う。
ただ実態は厳しく経費さえ出なかった時期もあり、最近の盛況は昔日の感。
実が完熟する前、ネットをかぶせる独特の収穫法が甘さを生む。
庄屋さんのお家柄に父親利文オヤジさん花子オバサンが
その頃集落内でも早くからやってたハウス栽培技術が実を結び開花した技術。
この事を知る人は新聞も書いてないので地元民、同級生たるもの意外いまい。・・エッヘン!・・なんだか・・
東国原知事のトップセールスに加え、糖度15度以上などの厳しい品質管理、
条件をクリアした「実力」の証明でもある価格だ。
今年は増産されて全国の市場、店頭へ網を広げていく。
食卓に上がった同級生の開発した栽培法「太陽のタマゴ」から、
日本一の宮崎の光をまぶした宮崎の夏が孵る。
年金から2か月分一万二千円の後期高齢者医療制度で年金支給日の
きょう15日天引きされる。
800万人で宮崎でさえ10万4千人。
75歳以上の自民党支持者が多い相が今後どう動くか。
急なる実施の感はぬぐえないが二年前に決まってたのを
広報活動が十分とれなかったこともある。
健康保険証さえ配られてない不手際も多々あると
マスコミが教える不手際もあるようだ。
墓穴を掘ってる連続で安倍より途中引き継いだ
政権に何もいい事はない。
創刊50周年の少年マガジンと少年サンデーは講談社と小学館
53週連続であしたのジョーなどの二期キャラクターをあしらったシャツを売り出す。
英米など6カ国も含まれている。
タイガーマスクとうる星やつらの共演さえある。
ユニクロのTシャツは面白い。
完全復活である。株買ったら?
内側から綺麗になりたい
このコンセプトは凄い。!
ハーブ飲料は化けそうである。
噂話のたぐいは化けてしまうから怖い。
あえて打ち消すのもまた可笑しい。
4月は新人類の入社時の混乱の時期にあり、
列島は困惑気味であろう。
大企業ならいざ知らず定着率はどこもかしこも金太郎飴状態。
ご同輩!新人社員に惑わされる被害に会うことのなきよう進言しましょうぞ。
4月18日記
2008年4月18日文書って面白いものだ。
再掲でも言霊は宿っているようで何らの訂正も要しない不可思議さ。
心境を語るに冷静さがあり、丁度いい。
女性の服装は季節を写し半そでの白もの類がはおられている時期が到来。
それにしては・・・日本で一番長き日。
多忙どころではなく、ブログに向き合う時間が無い。
それでも瞬間の時間を見つけている。
久々の曇り空から察して雨が近い。
一雨ほしいところに神の干天の慈雨がこよう。
涙雨でなく雨降って地かたまるとしたいものだ。
歴史はいずれかそのことを差し示してくれる。
棺のふた閉めて評価定まる。
は、なにも政治家だけではない。
市井の庶民の一生でもある。
日本史や世界史が選択であったことには驚いた。
日本史の履修が問題になったときの報道でさえ、そのことを知りえなかった。
敬愛する方の2月15日付ブログで教えていただき驚いたというわけだ。
サンケイグループらの焦りが安倍普三ら極右的政治体質の政治家を国家運営の中枢としようとの必死の足掻きをようやく理解できた次第だ。
その国の国家を基本に住んでる社会や土地々の過去現在未来を知らねば生身の人々の思考形態は理解できない。
存在が意識を決定するという哲学的命題の基本はなにも学問的問題でなく生活感覚から導き出される常識程度の教養に過ぎなかろう。
住んでいる国家形態の生活環境があって個々人の生活環境の差がその人の考え方大きく左右する。
それは政治的階層分けとなり、自分の立つ位置の、政治的立場となり、支持政党にも繋がる。
今の歴史の混迷皮肉を見るがいい。
世界の警察を辞任する為政者のナラズ者世界支配のブッシュのことだ。
現在も部族支配にあるのが石油産油国に多く見られ欧米の近代国家観の倫理では推し量れない、いわゆる民主主義を強いているというわけだ。
石油資源効果がもたらす経済繁栄で富の分配が生活環境に満足行く形で都合よく言っているので、王族支配の「民主主義」の国家運営には大衆の政権へのはっきりとした不満は表面化していない。
よって欧米民主主義は押しつけの何者でもないとなる。
イラクがフセイン追放後に混乱が起きてるのは薄っぺらなブッシュの占領政策にしかなかったイラク国家の歴史が考慮されてなかった証左だ。
もっともうまくいった戦争終了後の占領支配に米国当局は日本支配をあげる。
後の米国民俗学の草分け、ベネジェクト女史にして「菊と刀」でこの東洋の不思議なる国をキッチリ分析し、最高司令官にたくした。
この著書に示す占領政策は日常の日本国民の総てをこまなく記しこれ以上は無い一コマが描かれている。
一度も訪れてないのに驚くほどの日本人の日常が分析され、今でもそのとおりに生きているのには、まさに「笑える」。
良くぞここまでのニンヤリの苦笑いだ。
飛来の空港の飛行機タラップのマドロスパイプを加えるラフなスタイルのマッカサーに抑圧されていた国民は沸いた。
3ヶ月後、神たる天皇と並んでの支配・被支配者を歴然とさせる二人の並んだ写真の見事さが国民の前に示される。
イラクの宗教、部族の支配統治形態、その民族の基本部分さえ把握されてない初歩的ミス。
偏差値時代的に言えば体育会的ブッシュのイラク政策ゆえに生じてる混乱である。
もっとも変化は生じようとしている。
28年間もホワイトハウス支配のブッシュ親子、クリントンの馴れ合いを拒否してる
老獪なるこの国は世界を見る眼は敏感でそろそろ黒人大統領でもいいのではないのか。
小原=オバマ庄助さんと言うユックリズムを選出しようとしている。
この国が改革を常時掲げねばならぬ問題はここに潜んでいる。
焼け野原から出発したこの国は先進国一、二の経済大国で、1500兆円もの金融資産がる。
戦後日本を鳥瞰図的に俯瞰すれば、吉田茂が形作り、池田隼人の所得倍増、田中角栄の列島改造で今日の経済生活状況を形成している。
宗教政党にその重要なるイスを渡した支配者自民党は劇的に経済政策の変更を行っている。
経済を牽引してきた内需の建設業=土建国家からの必死の足掻きの脱却方向である。
都市と地方との明らかなる偏在する経済状況を助長する政策を遂行した。
小泉・竹中の列島生活破壊で義理人情さえなく非道なる兼ねに追われる拝金主義剥き出しのグローバル化のの美名の名の格差政策の実施であった。
自民党支配の原動力であった土建業的国家体質からの脱却である。
ガソリン国会の本質はここにある。
それは演じる人さえ変化登場させ、いまや自民党は
司令塔ではなく代役が露払いを務める。
翼賛政治の前兆を見るに材料は毎日提供される。
管直人と東国原知事との対談はその象徴たるできごと。
この後進県にあって、輝いていた時期があった。
瀬戸山小山と二代続いて建設大臣を送り出したことだ。昭和40年代のこと。
その後、昨年末他界した江藤建設大臣まで大臣輩出は止まっていた。
決定的道路事情の遅れはそこから発している。
田中角栄土建政治の渦中であったからである。
それは生活インフラ全般にもおよび信じられない道路事情として後進性を見て取れる。
暴動が起きなかったのはこの県のひたすらなる「県民性」・
「テニャオカ」「のさん」「だれた」「テゲテゲ」・・・
「宮崎をどんげかせんといかん!」はとても宮崎県民ではない異邦人。
笛吹けどそう簡単にはピエロの踊りは見られないハズ。
それがすこしずつ・・踊らにゃ〜〜となりつつ・・・あるから不思議なものだ。
宮崎の唯一である県の西部の大動脈でさえ、高速道は実質的に高速道ではない
なぜならば基点の小林までは一般道路のほうが早く着く笑いもの。
45年ルート決定
キリシマの東側を支持しての宮崎にの悲願であった。
ただ当初計画とは大きくそれて現在の利用で大きな問題となっている。
明治維新で日本を作った鹿児島は異論を唱えた。
西回りの高速道路である。
現在完成している八代から西海岸線ををへた高速道路と二本もある。
新幹線もおなじルートを営業線として走り出した。
キリシマ山麓、かっての西岳町。
交通の要所を荒襲(アラソ)という。
山を回る路線と、都城からきたものとがぶつかり合うところ。
・ ・・・
・ 土手には蛇の巣があったのだろう。
・ まさにウジョロ、ウジョロにはビックリ。
・ あのときを思い出すところの交差点荒襲。
・
都城の荒襲をを通さないと承知しないらしい。
熊襲の中でも特に荒っぽい。
そんな山ん中、通しといてなんにになる。
・・・・・
我田引水と批判。
この県は政治的に巧みであるのは維新史実を紐解けば驚くほどの事実が出てくる。
大久保利通が紀尾伊坂で惨殺で去ったことが何より者事実。
DNAは引き継がれている。
「国土の将来を考えるのが政治家。」
「道路は総て政治路線だ。」
38年前の出来事である。
いやはや文脈文意とも魑魅魍魎の世界が生じたゆえ
うつしでも丁度いい可笑しさ
ヒトの生活の繰り返しにはただただ呆れ返る。
不条理の時代に生きる爺は居場所一つ見出せない。
再掲でも言霊は宿っているようで何らの訂正も要しない不可思議さ。
心境を語るに冷静さがあり、丁度いい。
女性の服装は季節を写し半そでの白もの類がはおられている時期が到来。
それにしては・・・日本で一番長き日。
多忙どころではなく、ブログに向き合う時間が無い。
それでも瞬間の時間を見つけている。
久々の曇り空から察して雨が近い。
一雨ほしいところに神の干天の慈雨がこよう。
涙雨でなく雨降って地かたまるとしたいものだ。
歴史はいずれかそのことを差し示してくれる。
棺のふた閉めて評価定まる。
は、なにも政治家だけではない。
市井の庶民の一生でもある。
日本史や世界史が選択であったことには驚いた。
日本史の履修が問題になったときの報道でさえ、そのことを知りえなかった。
敬愛する方の2月15日付ブログで教えていただき驚いたというわけだ。
サンケイグループらの焦りが安倍普三ら極右的政治体質の政治家を国家運営の中枢としようとの必死の足掻きをようやく理解できた次第だ。
その国の国家を基本に住んでる社会や土地々の過去現在未来を知らねば生身の人々の思考形態は理解できない。
存在が意識を決定するという哲学的命題の基本はなにも学問的問題でなく生活感覚から導き出される常識程度の教養に過ぎなかろう。
住んでいる国家形態の生活環境があって個々人の生活環境の差がその人の考え方大きく左右する。
それは政治的階層分けとなり、自分の立つ位置の、政治的立場となり、支持政党にも繋がる。
今の歴史の混迷皮肉を見るがいい。
世界の警察を辞任する為政者のナラズ者世界支配のブッシュのことだ。
現在も部族支配にあるのが石油産油国に多く見られ欧米の近代国家観の倫理では推し量れない、いわゆる民主主義を強いているというわけだ。
石油資源効果がもたらす経済繁栄で富の分配が生活環境に満足行く形で都合よく言っているので、王族支配の「民主主義」の国家運営には大衆の政権へのはっきりとした不満は表面化していない。
よって欧米民主主義は押しつけの何者でもないとなる。
イラクがフセイン追放後に混乱が起きてるのは薄っぺらなブッシュの占領政策にしかなかったイラク国家の歴史が考慮されてなかった証左だ。
もっともうまくいった戦争終了後の占領支配に米国当局は日本支配をあげる。
後の米国民俗学の草分け、ベネジェクト女史にして「菊と刀」でこの東洋の不思議なる国をキッチリ分析し、最高司令官にたくした。
この著書に示す占領政策は日常の日本国民の総てをこまなく記しこれ以上は無い一コマが描かれている。
一度も訪れてないのに驚くほどの日本人の日常が分析され、今でもそのとおりに生きているのには、まさに「笑える」。
良くぞここまでのニンヤリの苦笑いだ。
飛来の空港の飛行機タラップのマドロスパイプを加えるラフなスタイルのマッカサーに抑圧されていた国民は沸いた。
3ヶ月後、神たる天皇と並んでの支配・被支配者を歴然とさせる二人の並んだ写真の見事さが国民の前に示される。
イラクの宗教、部族の支配統治形態、その民族の基本部分さえ把握されてない初歩的ミス。
偏差値時代的に言えば体育会的ブッシュのイラク政策ゆえに生じてる混乱である。
もっとも変化は生じようとしている。
28年間もホワイトハウス支配のブッシュ親子、クリントンの馴れ合いを拒否してる
老獪なるこの国は世界を見る眼は敏感でそろそろ黒人大統領でもいいのではないのか。
小原=オバマ庄助さんと言うユックリズムを選出しようとしている。
この国が改革を常時掲げねばならぬ問題はここに潜んでいる。
焼け野原から出発したこの国は先進国一、二の経済大国で、1500兆円もの金融資産がる。
戦後日本を鳥瞰図的に俯瞰すれば、吉田茂が形作り、池田隼人の所得倍増、田中角栄の列島改造で今日の経済生活状況を形成している。
宗教政党にその重要なるイスを渡した支配者自民党は劇的に経済政策の変更を行っている。
経済を牽引してきた内需の建設業=土建国家からの必死の足掻きの脱却方向である。
都市と地方との明らかなる偏在する経済状況を助長する政策を遂行した。
小泉・竹中の列島生活破壊で義理人情さえなく非道なる兼ねに追われる拝金主義剥き出しのグローバル化のの美名の名の格差政策の実施であった。
自民党支配の原動力であった土建業的国家体質からの脱却である。
ガソリン国会の本質はここにある。
それは演じる人さえ変化登場させ、いまや自民党は
司令塔ではなく代役が露払いを務める。
翼賛政治の前兆を見るに材料は毎日提供される。
管直人と東国原知事との対談はその象徴たるできごと。
この後進県にあって、輝いていた時期があった。
瀬戸山小山と二代続いて建設大臣を送り出したことだ。昭和40年代のこと。
その後、昨年末他界した江藤建設大臣まで大臣輩出は止まっていた。
決定的道路事情の遅れはそこから発している。
田中角栄土建政治の渦中であったからである。
それは生活インフラ全般にもおよび信じられない道路事情として後進性を見て取れる。
暴動が起きなかったのはこの県のひたすらなる「県民性」・
「テニャオカ」「のさん」「だれた」「テゲテゲ」・・・
「宮崎をどんげかせんといかん!」はとても宮崎県民ではない異邦人。
笛吹けどそう簡単にはピエロの踊りは見られないハズ。
それがすこしずつ・・踊らにゃ〜〜となりつつ・・・あるから不思議なものだ。
宮崎の唯一である県の西部の大動脈でさえ、高速道は実質的に高速道ではない
なぜならば基点の小林までは一般道路のほうが早く着く笑いもの。
45年ルート決定
キリシマの東側を支持しての宮崎にの悲願であった。
ただ当初計画とは大きくそれて現在の利用で大きな問題となっている。
明治維新で日本を作った鹿児島は異論を唱えた。
西回りの高速道路である。
現在完成している八代から西海岸線ををへた高速道路と二本もある。
新幹線もおなじルートを営業線として走り出した。
キリシマ山麓、かっての西岳町。
交通の要所を荒襲(アラソ)という。
山を回る路線と、都城からきたものとがぶつかり合うところ。
・ ・・・
・ 土手には蛇の巣があったのだろう。
・ まさにウジョロ、ウジョロにはビックリ。
・ あのときを思い出すところの交差点荒襲。
・
都城の荒襲をを通さないと承知しないらしい。
熊襲の中でも特に荒っぽい。
そんな山ん中、通しといてなんにになる。
・・・・・
我田引水と批判。
この県は政治的に巧みであるのは維新史実を紐解けば驚くほどの事実が出てくる。
大久保利通が紀尾伊坂で惨殺で去ったことが何より者事実。
DNAは引き継がれている。
「国土の将来を考えるのが政治家。」
「道路は総て政治路線だ。」
38年前の出来事である。
いやはや文脈文意とも魑魅魍魎の世界が生じたゆえ
うつしでも丁度いい可笑しさ
ヒトの生活の繰り返しにはただただ呆れ返る。
不条理の時代に生きる爺は居場所一つ見出せない。
4・19
2008年4月19日誕生日は馬齢を重ねてもワクワク感がある特別なる日。
何の縁があるのかこの日の始まり。
携帯の時代である。
「おきちょる?」
「皿洗いをおえ、仮眠にはいる手前の状態。・・・」
「サラアライ?」
「ブログどうなっちょると・・」
「書いちょるが不可抗力の状態で・・」
「力かしちゃろか・・・」
「ちからをぬく時期なんじゃろ・・・」
薄暗い早朝近い明け方に車でお迎えをしていただく。
30数年来の友はナントこの日を覚えてお出でいただいた。
政界操縦術の田中角栄みたいである。
感激のプレゼント。
まさに不眠不休の努力をお認めいただき皿洗いをしてまでも商道に邁進する姿を買っていただいた。
軽快なる始まりの予感ではあった。
午前中メールでの受注だが之では上手く進まないので電話に集中せんといたさん。
支障状況もあり、受注には至らず。
溝に落ちたる憑き物の長きスランプ。
4・19のお祝いの昼食後は休みを頂く。
適当なるバランスをとらないと精神構造が持たない。
宮崎の経済状況ににたる環境。
九州の一部にありながら陸の孤島といわれ、ドン底からの脱皮が進まない。
マスコミの宮崎の派手な取り上げ方にしては内需政策が切り捨てられてるために
建設業でなってた県は不況風がもろに吹き荒れている。
ガソリン国会は知事を先頭に、郵政選挙の刺客を殲滅しえた県の面目若如。。
世論に抗しての一般財源化反対!道路を整備しよう。と公聴会の二会場の一つの県にもなった。
危うき福田内閣は党の主張を下げガソリン国会を乗り切ろうと強行した。
政局の混迷はここにある。
それを受ける以前に宮崎の道路事情は察するに余る。
ただ自然の恵みは宮崎のナを高めつつある。
太陽の卵マンゴー、宮崎地鳥・・・山の幸、海の幸はますます賑わいを増す。
日本一の宮崎牛の称号を得た年に、新たに海の幸が加わった。
養殖部門のトップの農林大臣賞に宮崎北浦の「日向の本サバ」が選ばれた。
、実におめでたい。
この栄誉は一昼夜になったものではない。
昭和45年当時の北浦町はブリの養殖で賑わってた頃、仕事に携わっていた。
いまの道路はなく海岸線をひたすら未舗装砂埃の中を北浦を土々呂より目指した。
途中熊野江ではサザエ、鮑のつぼ焼きを食した。
今と違い、その一個あたりの大きかったこと。
自然地元近海もの。
当時制定された単調なる日向灘海岸の北部の日豊リアス式海岸の国定公園区間内である。
大分鯖江町に隣接する直海そしてこの北浦町に行くには、国道10号線を北川から行くか、
海岸線をひたすら走るしかなかった。
この道路事情悪き中、桜並木、桜トンネルは今でも残る当時の往来の名残。
この僻地扱いの地域もバイパス道路が完成して一変した。
今では足を延岡より日帰りのチョット伸ばしたる観光地。
足の不自由なる松井議員は宮崎政界にも名を成した。
漁協さんよりのその頃の時代がなしえた贈り物に養殖ブリが合った。
お正月前には尾頭付の一本者をバイクで郷里の西都まで運び一家の中心的話題を受けた頃がある。
国道10号線をノンビリとバイクを走らせた。
道路状況はアレから38年を経てもほとんど進展がない。
建設大臣を輩出した門川町内の区間のみが片側二車線に改良されただけ。
隔世の感がある他県道路事情からシテも
よくぞ耐え得る県である。・
秋サバは嫁に食わすな。
脂の乗り切ったサバを食するときの喜びひとしお。
嫁にまで回らぬ秋サバは嫁イビリ。
ただも一つの説がある。
サバの生き腐れの言葉があるように食あたりにならぬようの思いやり。
養殖部門の全国には名だたる技術の県がある。
北海道カキ、石川県のフグを抑えて「日向本サバ」の農林大臣賞
養殖の技術を地元紙が伝える。
日向本サバの技術は功である。
長崎より種苗150-200センチ
半年後には400-500センチ
無投薬、歯ごたえのある食材の誕生。「日向本サバ」
救世主たるは海産物水揚げの落ちてるときでもある。
太陽信仰の国に抗さんか効果を備え、食材の宝庫に燦然と青い魚の光が差し込んだ。
語源は小さい歯=小サバからと説く。
青い背中は青魚の代表
北上して秋に南下
無投薬、歯ごたえ日向本サバ
端境期に水揚げすれば平静のブリ大臣も夢ではない。
四面楚歌の状態における一筋の光明でもある。
古事記日本書紀のうみさちひこやまさちひこのすんだ古代日向のDNA。
財産の受け継ぎは有難い。
生活の隅々に人間としての矜持があればこそなし恵たるもの。
大事に引き継がれている日本人の心根がなしえたるもの。
青き太陽神の日向本サバは関サバ漁不振にあるなか押しも押されぬ名実ともに日本一である。
何の縁があるのかこの日の始まり。
携帯の時代である。
「おきちょる?」
「皿洗いをおえ、仮眠にはいる手前の状態。・・・」
「サラアライ?」
「ブログどうなっちょると・・」
「書いちょるが不可抗力の状態で・・」
「力かしちゃろか・・・」
「ちからをぬく時期なんじゃろ・・・」
薄暗い早朝近い明け方に車でお迎えをしていただく。
30数年来の友はナントこの日を覚えてお出でいただいた。
政界操縦術の田中角栄みたいである。
感激のプレゼント。
まさに不眠不休の努力をお認めいただき皿洗いをしてまでも商道に邁進する姿を買っていただいた。
軽快なる始まりの予感ではあった。
午前中メールでの受注だが之では上手く進まないので電話に集中せんといたさん。
支障状況もあり、受注には至らず。
溝に落ちたる憑き物の長きスランプ。
4・19のお祝いの昼食後は休みを頂く。
適当なるバランスをとらないと精神構造が持たない。
宮崎の経済状況ににたる環境。
九州の一部にありながら陸の孤島といわれ、ドン底からの脱皮が進まない。
マスコミの宮崎の派手な取り上げ方にしては内需政策が切り捨てられてるために
建設業でなってた県は不況風がもろに吹き荒れている。
ガソリン国会は知事を先頭に、郵政選挙の刺客を殲滅しえた県の面目若如。。
世論に抗しての一般財源化反対!道路を整備しよう。と公聴会の二会場の一つの県にもなった。
危うき福田内閣は党の主張を下げガソリン国会を乗り切ろうと強行した。
政局の混迷はここにある。
それを受ける以前に宮崎の道路事情は察するに余る。
ただ自然の恵みは宮崎のナを高めつつある。
太陽の卵マンゴー、宮崎地鳥・・・山の幸、海の幸はますます賑わいを増す。
日本一の宮崎牛の称号を得た年に、新たに海の幸が加わった。
養殖部門のトップの農林大臣賞に宮崎北浦の「日向の本サバ」が選ばれた。
、実におめでたい。
この栄誉は一昼夜になったものではない。
昭和45年当時の北浦町はブリの養殖で賑わってた頃、仕事に携わっていた。
いまの道路はなく海岸線をひたすら未舗装砂埃の中を北浦を土々呂より目指した。
途中熊野江ではサザエ、鮑のつぼ焼きを食した。
今と違い、その一個あたりの大きかったこと。
自然地元近海もの。
当時制定された単調なる日向灘海岸の北部の日豊リアス式海岸の国定公園区間内である。
大分鯖江町に隣接する直海そしてこの北浦町に行くには、国道10号線を北川から行くか、
海岸線をひたすら走るしかなかった。
この道路事情悪き中、桜並木、桜トンネルは今でも残る当時の往来の名残。
この僻地扱いの地域もバイパス道路が完成して一変した。
今では足を延岡より日帰りのチョット伸ばしたる観光地。
足の不自由なる松井議員は宮崎政界にも名を成した。
漁協さんよりのその頃の時代がなしえた贈り物に養殖ブリが合った。
お正月前には尾頭付の一本者をバイクで郷里の西都まで運び一家の中心的話題を受けた頃がある。
国道10号線をノンビリとバイクを走らせた。
道路状況はアレから38年を経てもほとんど進展がない。
建設大臣を輩出した門川町内の区間のみが片側二車線に改良されただけ。
隔世の感がある他県道路事情からシテも
よくぞ耐え得る県である。・
秋サバは嫁に食わすな。
脂の乗り切ったサバを食するときの喜びひとしお。
嫁にまで回らぬ秋サバは嫁イビリ。
ただも一つの説がある。
サバの生き腐れの言葉があるように食あたりにならぬようの思いやり。
養殖部門の全国には名だたる技術の県がある。
北海道カキ、石川県のフグを抑えて「日向本サバ」の農林大臣賞
養殖の技術を地元紙が伝える。
日向本サバの技術は功である。
長崎より種苗150-200センチ
半年後には400-500センチ
無投薬、歯ごたえのある食材の誕生。「日向本サバ」
救世主たるは海産物水揚げの落ちてるときでもある。
太陽信仰の国に抗さんか効果を備え、食材の宝庫に燦然と青い魚の光が差し込んだ。
語源は小さい歯=小サバからと説く。
青い背中は青魚の代表
北上して秋に南下
無投薬、歯ごたえ日向本サバ
端境期に水揚げすれば平静のブリ大臣も夢ではない。
四面楚歌の状態における一筋の光明でもある。
古事記日本書紀のうみさちひこやまさちひこのすんだ古代日向のDNA。
財産の受け継ぎは有難い。
生活の隅々に人間としての矜持があればこそなし恵たるもの。
大事に引き継がれている日本人の心根がなしえたるもの。
青き太陽神の日向本サバは関サバ漁不振にあるなか押しも押されぬ名実ともに日本一である。
聖火りれー
2008年4月20日精神状態が尋常ではない。
三度目のチャンピオンベルトを巻きつづけることが出きるか
地元宮崎での会場を選定して凱旋勝利を目論んでいたが、
ウェルター級チャンピオン湯場がKO負けした。
地元民としての悔しさは昇華してスポーツの清清しさで納得させられている。
象徴たるはオリンピックであろうがどうにも趣が違うようだ。
、北京五輪の26日の長野でのオリンピック聖火リレーが紛糾し始めた
聖火に胸ときめかせた経験を持つ世代は、そもそも聖火をやる必要があるのであろうか疑問である。
善光寺の出発点返上には近頃の日本にないスッキリした思いを持つ。
これも過去の経験則が生きたのか。
東京オリンピックのときは宮崎が聖火の出発点であった。
昭和15年紀元2600年の戦争の記憶を見届けてきたモニュメントの八紘台の途中にハニワの聖火台が設置され歴史の織り成す平和の光景が全国、全世界に届けられた。
八紘一宇の侵略の思想のシンボル塔に平和の白き使者の鳩がが澄んだ青い空に夜空の満月に飛んだ。
まさに歴史を秘めた宮崎ならではの出来事であった。
こよいは東の空に満月が昇る。
月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。
菜の花や月は東に日は西に
と蕪村が詠んだのは、いまごろのことか。
東の空には「おぼろの満月」が浮かあの日の再現の普遍の月日の連続性。
冬の夜の「冴(さ)え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。
湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。
昼間は霞と言い、日が落ちてからを「おぼろ」
太陰暦民族の血が騒ぐ満月夜の朧月である。
満月をとってくれとはわが子かな。
長野五輪では10年前の2月7日。
天女に扮した点火者の伊藤みどりに聖火を引き継いだ最終聖火ランナーの一人が義足のマラソンランナー、クリス・ムーンであったと新聞が伝え記憶が蘇る。
「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞したのがヒント。
英国生まれで陸軍退役後、非政府組織活動に入り、95年にモザンビークで地雷撤去作業中に地雷が爆発、右手と右脚の下部を失った。だがムーンさんは義足で走ることで、かえって対人地雷廃絶を世界中に強くアピールできるようになった
長野が「平和の願い」を聖火に託すことに成功したあの日。
まだ神の力の善光寺さんの力を借りずに運営されたオリンピック。
信濃の人々のお国の自慢は善光寺さん。
奇怪なる字体発音での「牛に引かれて善光寺参り」その教えでの国。
牛に引かれて・・牛車?・・公家の乗り物?
理解しがたき知られわたる言葉。
流石に学問教育の県。長野らしさ。
昔、信濃の国小諸=長野県に強欲でけちな老婆がいた。
ある日、川にさらしていた白布を牛が角に引っかけて逃げた。
老婆が後を追いかけると、そこは善光寺の境内。
如来堂に入ると牛はいなかったが、白布が観世音菩薩の首に掛かっていた。老婆は仏様が善光寺へ導いてくれたことを知り、悪行を反省して仏恩に感謝した…。
有名な「牛に引かれて善光寺参り」のいわれである。
転じて、幸運は偶然にめぐってくることも指す。
このように書くことでご利益にあやかりたいものだが
されど遠く如何ともしがたい。
かって日向西都の先人はくじ引きでムラの総代で関東人の富士参りみたいに金毘羅さんともども善光寺さんを参った。
貧乏人同士の生活の知恵たる助け合いでの代表者を通じて夢の実現は農耕民族の知恵でもあった賢き先哲の生活ぶりで今に生かしたい。
無宗派だけに全国の善男善女の尊崇を集め、お参りは古くから庶民の夢。
「遠くとも一度は詣まいれ善光寺」の言葉がそれだ。
善光寺=長野市で、本堂下の真っ暗な通路を回る「戒壇巡り」を体験された方々少なくないだろう。
その「庶民の仏様」が怒った。
「チベットの仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」。
同じ仏教者として苦渋の決断だったのは想像に難くない。
法衣で会見した僧侶の表情から、あの「善光寺さん」の穏やかさは
消えている。
芸ではない真剣さは法衣と言うドクトクのファションも手伝ってダライラマを髣髴させる。
円生百選に古典落語「お血脈」はある。
信濃の善光寺が参詣者に授ける「おけちみゃく血脈のごいん御印」は御利益が絶大で、いただいた人は皆、極楽往生してしまう。
地獄がさびれて困った閻魔さまは、石川五右衛門に御印を盗むよう命じた
信濃の善光寺ゆえ相応しきお噺
仏語の「血脈」は仏道の教えがお釈迦さまから弟子へ、そのまた弟子へ代々伝えられることを血縁にたとえた言葉である。
仏道では仏・法・僧を「三宝」と呼ぶ
「世の中は三つの“ほう”で治まるようで…」
「仏法、鉄砲、女房でございます」と客席をくすぐる高座の円楽師匠が髣髴。。
強くなり過ぎたる女房はさておき、鉄砲で仏法を治めるようなことがあってはならない。
オリンピックのシンボルたる聖火リレーが通常でないのはここにある。
平和国家に住んでるのは元気の名古屋の良心平和のイラク派遣違憲判決もあり、実に有難い
。政府にとってもチベット族の住民にとっても、
善光寺にとってチベット仏教の僧侶たちは血を分けた同胞なんだろう
混乱の収拾に御利益のある「御印」は対話のみである。
三度目のチャンピオンベルトを巻きつづけることが出きるか
地元宮崎での会場を選定して凱旋勝利を目論んでいたが、
ウェルター級チャンピオン湯場がKO負けした。
地元民としての悔しさは昇華してスポーツの清清しさで納得させられている。
象徴たるはオリンピックであろうがどうにも趣が違うようだ。
、北京五輪の26日の長野でのオリンピック聖火リレーが紛糾し始めた
聖火に胸ときめかせた経験を持つ世代は、そもそも聖火をやる必要があるのであろうか疑問である。
善光寺の出発点返上には近頃の日本にないスッキリした思いを持つ。
これも過去の経験則が生きたのか。
東京オリンピックのときは宮崎が聖火の出発点であった。
昭和15年紀元2600年の戦争の記憶を見届けてきたモニュメントの八紘台の途中にハニワの聖火台が設置され歴史の織り成す平和の光景が全国、全世界に届けられた。
八紘一宇の侵略の思想のシンボル塔に平和の白き使者の鳩がが澄んだ青い空に夜空の満月に飛んだ。
まさに歴史を秘めた宮崎ならではの出来事であった。
こよいは東の空に満月が昇る。
月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。
菜の花や月は東に日は西に
と蕪村が詠んだのは、いまごろのことか。
東の空には「おぼろの満月」が浮かあの日の再現の普遍の月日の連続性。
冬の夜の「冴(さ)え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。
湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。
昼間は霞と言い、日が落ちてからを「おぼろ」
太陰暦民族の血が騒ぐ満月夜の朧月である。
満月をとってくれとはわが子かな。
長野五輪では10年前の2月7日。
天女に扮した点火者の伊藤みどりに聖火を引き継いだ最終聖火ランナーの一人が義足のマラソンランナー、クリス・ムーンであったと新聞が伝え記憶が蘇る。
「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞したのがヒント。
英国生まれで陸軍退役後、非政府組織活動に入り、95年にモザンビークで地雷撤去作業中に地雷が爆発、右手と右脚の下部を失った。だがムーンさんは義足で走ることで、かえって対人地雷廃絶を世界中に強くアピールできるようになった
長野が「平和の願い」を聖火に託すことに成功したあの日。
まだ神の力の善光寺さんの力を借りずに運営されたオリンピック。
信濃の人々のお国の自慢は善光寺さん。
奇怪なる字体発音での「牛に引かれて善光寺参り」その教えでの国。
牛に引かれて・・牛車?・・公家の乗り物?
理解しがたき知られわたる言葉。
流石に学問教育の県。長野らしさ。
昔、信濃の国小諸=長野県に強欲でけちな老婆がいた。
ある日、川にさらしていた白布を牛が角に引っかけて逃げた。
老婆が後を追いかけると、そこは善光寺の境内。
如来堂に入ると牛はいなかったが、白布が観世音菩薩の首に掛かっていた。老婆は仏様が善光寺へ導いてくれたことを知り、悪行を反省して仏恩に感謝した…。
有名な「牛に引かれて善光寺参り」のいわれである。
転じて、幸運は偶然にめぐってくることも指す。
このように書くことでご利益にあやかりたいものだが
されど遠く如何ともしがたい。
かって日向西都の先人はくじ引きでムラの総代で関東人の富士参りみたいに金毘羅さんともども善光寺さんを参った。
貧乏人同士の生活の知恵たる助け合いでの代表者を通じて夢の実現は農耕民族の知恵でもあった賢き先哲の生活ぶりで今に生かしたい。
無宗派だけに全国の善男善女の尊崇を集め、お参りは古くから庶民の夢。
「遠くとも一度は詣まいれ善光寺」の言葉がそれだ。
善光寺=長野市で、本堂下の真っ暗な通路を回る「戒壇巡り」を体験された方々少なくないだろう。
その「庶民の仏様」が怒った。
「チベットの仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」。
同じ仏教者として苦渋の決断だったのは想像に難くない。
法衣で会見した僧侶の表情から、あの「善光寺さん」の穏やかさは
消えている。
芸ではない真剣さは法衣と言うドクトクのファションも手伝ってダライラマを髣髴させる。
円生百選に古典落語「お血脈」はある。
信濃の善光寺が参詣者に授ける「おけちみゃく血脈のごいん御印」は御利益が絶大で、いただいた人は皆、極楽往生してしまう。
地獄がさびれて困った閻魔さまは、石川五右衛門に御印を盗むよう命じた
信濃の善光寺ゆえ相応しきお噺
仏語の「血脈」は仏道の教えがお釈迦さまから弟子へ、そのまた弟子へ代々伝えられることを血縁にたとえた言葉である。
仏道では仏・法・僧を「三宝」と呼ぶ
「世の中は三つの“ほう”で治まるようで…」
「仏法、鉄砲、女房でございます」と客席をくすぐる高座の円楽師匠が髣髴。。
強くなり過ぎたる女房はさておき、鉄砲で仏法を治めるようなことがあってはならない。
オリンピックのシンボルたる聖火リレーが通常でないのはここにある。
平和国家に住んでるのは元気の名古屋の良心平和のイラク派遣違憲判決もあり、実に有難い
。政府にとってもチベット族の住民にとっても、
善光寺にとってチベット仏教の僧侶たちは血を分けた同胞なんだろう
混乱の収拾に御利益のある「御印」は対話のみである。
日仏150年
2008年4月24日昨日降った雨は上がり、宮崎の空が蘇っている。
風がやや強く、冷たささえあり、心地よい。
勿忘草が今日の誕生日の花。
それゆえではなかろうが早朝の朦朧たる記憶で始めている。
今年の7月パリ祭は尋常ではなかろう。
1858年(安政5年)日仏修好条約から150年。
片田舎の宮崎でさえ目を凝らせばいろんな行事が繰り広げられている。
いわんや他県をば。
宮崎歓楽街のニシタチにソファレド・パリなるシャソン専門店には
高英男、越地吹雪、三輪明宏・・・名だたるシャソニェストが
ほんとに狭き店で唄い、贅沢な時間が過ごせたが今はなきゆえ、どうなるんであろう。
宮崎日仏協会の後援会の日程のみは聞いている。
正常なる初期の国と国の関係はお互いの互恵から始まる。
不幸なる歴史の真実は侵略からが多くをしめてはいるがこの国はそうではなかった。
大陸からのそのときの軍には二回の神風が吹いて博多湾に鎮めた神の国。元寇である。
世界の超先進国・仏国と日本は、シルク=蚕の日本側からの提供から、その見返りに仏国
の産業技術がもたらされた。
仏人サバチィーは趣味の植物から静岡のイチゴ、山形のサクランボ等をもたらした。
14代将軍家茂の語られてない殖産興業への開明の取り組みである。
近代国家作りの横須賀の造船所の建設は世界の海の支配者露国バルチック艦隊を破る
驚きを全世界に知らしめた。
終戦の話し合いのポーツマスには宮崎の人外務大臣小村寿太郎が総てを取り仕切った。
樺太の半分、戦争賠償金で世界の舞台に日本が出るきっかけとなった。
、その後の富岡製糸工場建設に連なる仏国の最高スタッフでの指導で成就していく。
幕末での仏国は18人の軍事顧問団のシャヌアール大佐は1年半も幕府軍を指導した。
戊辰戦争で仏国は中立扱いだが、榎本武揚に付き添い孤軍奮闘の武士道を示した函館共和国はつとに有名。
プリーネイ大佐カズブルら5人は函館幕府の松平太郎土方歳三とともに半年間、
通訳田島を介して政府軍と闘った。
絹蚕移転技術造船製鉄には超エリートが派遣された。
日仏の150年で一番幸せな時期にあたろう。
国家プロジェクトの明治9年富岡工場は
製糸に付加価値をつける。大いなる国家建設に貢献した。
布地産業は新興企業で政治状況から英国の領域を考え合わせると異様なることでもある。
官軍は英国と結びついての明治維新の歴史が合ったからである。
ブリュナーは横浜居留での買い付け商売人。
品質状態がわかる製糸の専門。
水、石炭機材買い付けが用ゆえ富岡を選んだ。
二人の技師5人の女工が新しき建築の富岡製糸工場にいった。
富岡製糸工場の設計はバスチェン。
地震対策のレンガ、柱の工夫、セメントと石の建材物質とはじめてづくし。
これには忘れ得ぬ仏国人の尽力があった。
公司ロッシュ。
「日本は低い階層でも感嘆するほどの礼節を重んじる国。
優秀なる専門官を送り込め!
善意のすべてを仏国は実施した。」
富岡の職員採用には二の足を踏んだ日本人。
明治5年400人に応募が少ない。
石炭のばい煙の煙突の煙からの噂、ワインノ飲酒は人の鮮血を飲んでいる。
明治6年明治天皇もご巡幸。
状況を錦絵で伺い知れる。
・・・
はかま姿の高潔なるお嬢さん。
極東一の近代化施設
・・・・・
同様に20軒ほど建設された。
リュナーら16人ぐらいの仏国人が携わった。。
富岡製糸工場は石建物保存のユネスコに登録されている。
ジャパニズムが仏国に与えた影響は大である
広重、北斎、歌麿・・
廃仏毀釈が日本文化の断絶と嘆くのには
共通の土俵である事を感じた。
ラジオ深夜便から興してみた。
クリスチャン・ポラックは
1950年ピレネー地方生まれ。
71年留学37年間日本にいる大の日本ファン。
先の相撲に詳しき日本贔屓の大統領のように大和の国に造詣が深い。
風がやや強く、冷たささえあり、心地よい。
勿忘草が今日の誕生日の花。
それゆえではなかろうが早朝の朦朧たる記憶で始めている。
今年の7月パリ祭は尋常ではなかろう。
1858年(安政5年)日仏修好条約から150年。
片田舎の宮崎でさえ目を凝らせばいろんな行事が繰り広げられている。
いわんや他県をば。
宮崎歓楽街のニシタチにソファレド・パリなるシャソン専門店には
高英男、越地吹雪、三輪明宏・・・名だたるシャソニェストが
ほんとに狭き店で唄い、贅沢な時間が過ごせたが今はなきゆえ、どうなるんであろう。
宮崎日仏協会の後援会の日程のみは聞いている。
正常なる初期の国と国の関係はお互いの互恵から始まる。
不幸なる歴史の真実は侵略からが多くをしめてはいるがこの国はそうではなかった。
大陸からのそのときの軍には二回の神風が吹いて博多湾に鎮めた神の国。元寇である。
世界の超先進国・仏国と日本は、シルク=蚕の日本側からの提供から、その見返りに仏国
の産業技術がもたらされた。
仏人サバチィーは趣味の植物から静岡のイチゴ、山形のサクランボ等をもたらした。
14代将軍家茂の語られてない殖産興業への開明の取り組みである。
近代国家作りの横須賀の造船所の建設は世界の海の支配者露国バルチック艦隊を破る
驚きを全世界に知らしめた。
終戦の話し合いのポーツマスには宮崎の人外務大臣小村寿太郎が総てを取り仕切った。
樺太の半分、戦争賠償金で世界の舞台に日本が出るきっかけとなった。
、その後の富岡製糸工場建設に連なる仏国の最高スタッフでの指導で成就していく。
幕末での仏国は18人の軍事顧問団のシャヌアール大佐は1年半も幕府軍を指導した。
戊辰戦争で仏国は中立扱いだが、榎本武揚に付き添い孤軍奮闘の武士道を示した函館共和国はつとに有名。
プリーネイ大佐カズブルら5人は函館幕府の松平太郎土方歳三とともに半年間、
通訳田島を介して政府軍と闘った。
絹蚕移転技術造船製鉄には超エリートが派遣された。
日仏の150年で一番幸せな時期にあたろう。
国家プロジェクトの明治9年富岡工場は
製糸に付加価値をつける。大いなる国家建設に貢献した。
布地産業は新興企業で政治状況から英国の領域を考え合わせると異様なることでもある。
官軍は英国と結びついての明治維新の歴史が合ったからである。
ブリュナーは横浜居留での買い付け商売人。
品質状態がわかる製糸の専門。
水、石炭機材買い付けが用ゆえ富岡を選んだ。
二人の技師5人の女工が新しき建築の富岡製糸工場にいった。
富岡製糸工場の設計はバスチェン。
地震対策のレンガ、柱の工夫、セメントと石の建材物質とはじめてづくし。
これには忘れ得ぬ仏国人の尽力があった。
公司ロッシュ。
「日本は低い階層でも感嘆するほどの礼節を重んじる国。
優秀なる専門官を送り込め!
善意のすべてを仏国は実施した。」
富岡の職員採用には二の足を踏んだ日本人。
明治5年400人に応募が少ない。
石炭のばい煙の煙突の煙からの噂、ワインノ飲酒は人の鮮血を飲んでいる。
明治6年明治天皇もご巡幸。
状況を錦絵で伺い知れる。
・・・
はかま姿の高潔なるお嬢さん。
極東一の近代化施設
・・・・・
同様に20軒ほど建設された。
リュナーら16人ぐらいの仏国人が携わった。。
富岡製糸工場は石建物保存のユネスコに登録されている。
ジャパニズムが仏国に与えた影響は大である
広重、北斎、歌麿・・
廃仏毀釈が日本文化の断絶と嘆くのには
共通の土俵である事を感じた。
ラジオ深夜便から興してみた。
クリスチャン・ポラックは
1950年ピレネー地方生まれ。
71年留学37年間日本にいる大の日本ファン。
先の相撲に詳しき日本贔屓の大統領のように大和の国に造詣が深い。
小さな
2008年4月26日人を殺せば大変なこと・・殺人である。
だが書くことを監視され
心を殺されても罰せられないのは片手落ちではないか。
「ブログに書かれるよ」
囁かれる書き手に伝えられるプレッシャー。
確かに書かれる怖さがあるのやも知れぬ。
ブログを貼ってる輩からの誹謗中傷を筆頭にあらゆるところに
表現の自由たるブログへの抑圧が横たわっている。
中止すればいいこと。睡眠だって十二分に取れると開き直る。
よって、どうにも連続更新に支障条件が多すぎ
ここんとこの更新が思うようにいかない。
事情をささやかに披瀝して書く身の辛さの弱音を吐く。。
早急なる状況打開が必要である。
励ましを頂いてる敬愛するブログの方から引用するとこうだ。
・・・・
ネット規制をして喜ぶのは、実績を作った政治家と監督者ということになるけど、パノプティコン的には、ネットだけじゃなくなるんだよね。日本は口約束が契約のうちに入るので、飲み屋でバカ話するのも憚られることになる。
実際厚生労働省管轄の研究所では、政治の話や体制批判は昼休みとかでも厳禁である。
・・・・・
備忘録としての工夫したる形での記録方法もあってしかるべき
再度挑戦である。
ガンバ!せきやんブログ。
実は・・・真実を吐露せねばならぬ。
これは初めてのこと。
一度書いたものを加筆訂正。
何故か。
お読みいただき、お礼のお手紙を頂いた。
ありがとうございます・・・で始まる恐縮するもので
あくまでも紳士的である。
これには答えねばならない。
備忘録に過ぎない!は矜持してる譲れない第一線。
ただ、あたえた、無断アップロードでの不快は解消せねば
「なんらかのオファーがあっていいのかもしれません。」
ヒェ〜〜・・妖刀宗正の切れ味。
せきやんブログのいい加減さを披瀝するようなこと。
ここに訂正させていただき不快をお詫びいたいます。
せきやんブログ 正しき表現
宮崎エフエム 宮崎サンシャインFM
FM76,1MH2 76,1MHZ
永井竜雲 永井龍雲
ナツメ漱石が
お二人だけ。 夏目漱石2〜3人(平均)
カウンターが7席
あるのみ カウンター5名奥座敷3名
電話番号 抹消
なお、悪意はなかったことも付け加えてはおきます。
次のようなるブログ。
一度アップしましたが、抹消したわけでなく
訂正過程が長くなっただけ。
顛末処理の仕方でご本人様にお会いして誤解を解いたゆえ。
フォーク・ビレッジはニシタチの西恵比寿ビルのIFにある
カウンターが7席あるのみの小さな小さなお店。
ところがこの心地よさは何なんだ!。
これ以上狭き店はニシタチにはないほどなのに
350席のアイザックスターンが演じる県民文化ホールに負けない広がりがある。
器の自由空間は人が集いしてこそ限りなく広がりうるかの如きである。
主の人となりにミューズの神が空間全般に宿り
燃え盛ってた青春の追憶が加わり情念の如く燃えさかり、
最後の生命の日が燃え立っているからであろう
。
おはなしの舞台が地方ゆえわからない?ならこう換言しよう。
新宿歌舞伎町3丁目のゴールデン街のイス五つぐらいの広さが
醸し出す広さのあの雰囲気に似ている。
情緒とお店の広さからNO1の京都先斗町みたいなもの。
大阪宗右衛門町の車が二車線ですれ違っててはダメで
やはり肩触れ合う法善寺横町がいいのに通ずる。。
ここで22日ライブがあった。
この日隣でかすかに漏れ聞いてただけでまだそのときは私には未開の地。
これで余韻からも十分なのに客はいい加減もの。
足を踏み入れてから世界観は変わった。
とある方と打ち合わせで隣にいると、漏れ伝えられるお店にいこうとといわれる。
アロハシャツの君のご馳走である。
この君を含めなにもかも初めてのこと。
すぐさま常連の気概である。
ミッキー大野は宮崎エフエム「ミッキーのフオークビレッジ」の番組を持つ。
木曜日19〜20月曜日12〜13のラジオ番組を持つ。
若草とおりにあるスタジオから電波が流れる。FM76,1MH2
どうしても田舎人はビッグネームに弱い。
永井竜雲のコンサートを6月6日に開催とボランテァ方式でこの店主は始めた。
竜雲の人となりの聖人君子ぶりは半端ではない。
竜雲はAPA銀行を設立して太陽光発電などの社会的価値ある活動企業に資金を融資してくれる。
宮崎で最大の太陽光発電所を建設した時を含め何度となくHPをみまわしたものだ。
この狭き店の壁には輝く財産の宝庫。
盲導犬を増やすカンパがあり、5円でアフリカの子にワクチンを!
ボランテイア運動の県下事業が一目瞭然。
お店への連絡tel
お客さんが凄い。
ナント!この日奇跡的なる出会いさえ神が授づけてくれた。
名古屋を中心に社交ダンスの超有名人がおられるではないか。
日本一の古墳群西都原のメジャー化を目指し、自腹で独自の焼酎を出しレコーデングの
CDを出された。
ともに名づけて西都物語。
10人もおられない中のお一人の西都市親善大使。
お偉いさんなんである。
手に届くところでの生のフォークギター演奏には感動で痺れる。
席を次の人のために開けたいが、直ぐに5時間以上を経ている。
ギターを中心に歌の輪が広がる。
70年代東京新宿のかっての歌声喫茶ともしびではないか。
料金?ナツメ漱石がお二人だけ。
かくも豊富なるアルコール類を八頭のおろちの如くのみ尽くした暁の清算書ではない
だが書くことを監視され
心を殺されても罰せられないのは片手落ちではないか。
「ブログに書かれるよ」
囁かれる書き手に伝えられるプレッシャー。
確かに書かれる怖さがあるのやも知れぬ。
ブログを貼ってる輩からの誹謗中傷を筆頭にあらゆるところに
表現の自由たるブログへの抑圧が横たわっている。
中止すればいいこと。睡眠だって十二分に取れると開き直る。
よって、どうにも連続更新に支障条件が多すぎ
ここんとこの更新が思うようにいかない。
事情をささやかに披瀝して書く身の辛さの弱音を吐く。。
早急なる状況打開が必要である。
励ましを頂いてる敬愛するブログの方から引用するとこうだ。
・・・・
ネット規制をして喜ぶのは、実績を作った政治家と監督者ということになるけど、パノプティコン的には、ネットだけじゃなくなるんだよね。日本は口約束が契約のうちに入るので、飲み屋でバカ話するのも憚られることになる。
実際厚生労働省管轄の研究所では、政治の話や体制批判は昼休みとかでも厳禁である。
・・・・・
備忘録としての工夫したる形での記録方法もあってしかるべき
再度挑戦である。
ガンバ!せきやんブログ。
実は・・・真実を吐露せねばならぬ。
これは初めてのこと。
一度書いたものを加筆訂正。
何故か。
お読みいただき、お礼のお手紙を頂いた。
ありがとうございます・・・で始まる恐縮するもので
あくまでも紳士的である。
これには答えねばならない。
備忘録に過ぎない!は矜持してる譲れない第一線。
ただ、あたえた、無断アップロードでの不快は解消せねば
「なんらかのオファーがあっていいのかもしれません。」
ヒェ〜〜・・妖刀宗正の切れ味。
せきやんブログのいい加減さを披瀝するようなこと。
ここに訂正させていただき不快をお詫びいたいます。
せきやんブログ 正しき表現
宮崎エフエム 宮崎サンシャインFM
FM76,1MH2 76,1MHZ
永井竜雲 永井龍雲
ナツメ漱石が
お二人だけ。 夏目漱石2〜3人(平均)
カウンターが7席
あるのみ カウンター5名奥座敷3名
電話番号 抹消
なお、悪意はなかったことも付け加えてはおきます。
次のようなるブログ。
一度アップしましたが、抹消したわけでなく
訂正過程が長くなっただけ。
顛末処理の仕方でご本人様にお会いして誤解を解いたゆえ。
フォーク・ビレッジはニシタチの西恵比寿ビルのIFにある
カウンターが7席あるのみの小さな小さなお店。
ところがこの心地よさは何なんだ!。
これ以上狭き店はニシタチにはないほどなのに
350席のアイザックスターンが演じる県民文化ホールに負けない広がりがある。
器の自由空間は人が集いしてこそ限りなく広がりうるかの如きである。
主の人となりにミューズの神が空間全般に宿り
燃え盛ってた青春の追憶が加わり情念の如く燃えさかり、
最後の生命の日が燃え立っているからであろう
。
おはなしの舞台が地方ゆえわからない?ならこう換言しよう。
新宿歌舞伎町3丁目のゴールデン街のイス五つぐらいの広さが
醸し出す広さのあの雰囲気に似ている。
情緒とお店の広さからNO1の京都先斗町みたいなもの。
大阪宗右衛門町の車が二車線ですれ違っててはダメで
やはり肩触れ合う法善寺横町がいいのに通ずる。。
ここで22日ライブがあった。
この日隣でかすかに漏れ聞いてただけでまだそのときは私には未開の地。
これで余韻からも十分なのに客はいい加減もの。
足を踏み入れてから世界観は変わった。
とある方と打ち合わせで隣にいると、漏れ伝えられるお店にいこうとといわれる。
アロハシャツの君のご馳走である。
この君を含めなにもかも初めてのこと。
すぐさま常連の気概である。
ミッキー大野は宮崎エフエム「ミッキーのフオークビレッジ」の番組を持つ。
木曜日19〜20月曜日12〜13のラジオ番組を持つ。
若草とおりにあるスタジオから電波が流れる。FM76,1MH2
どうしても田舎人はビッグネームに弱い。
永井竜雲のコンサートを6月6日に開催とボランテァ方式でこの店主は始めた。
竜雲の人となりの聖人君子ぶりは半端ではない。
竜雲はAPA銀行を設立して太陽光発電などの社会的価値ある活動企業に資金を融資してくれる。
宮崎で最大の太陽光発電所を建設した時を含め何度となくHPをみまわしたものだ。
この狭き店の壁には輝く財産の宝庫。
盲導犬を増やすカンパがあり、5円でアフリカの子にワクチンを!
ボランテイア運動の県下事業が一目瞭然。
お店への連絡tel
お客さんが凄い。
ナント!この日奇跡的なる出会いさえ神が授づけてくれた。
名古屋を中心に社交ダンスの超有名人がおられるではないか。
日本一の古墳群西都原のメジャー化を目指し、自腹で独自の焼酎を出しレコーデングの
CDを出された。
ともに名づけて西都物語。
10人もおられない中のお一人の西都市親善大使。
お偉いさんなんである。
手に届くところでの生のフォークギター演奏には感動で痺れる。
席を次の人のために開けたいが、直ぐに5時間以上を経ている。
ギターを中心に歌の輪が広がる。
70年代東京新宿のかっての歌声喫茶ともしびではないか。
料金?ナツメ漱石がお二人だけ。
かくも豊富なるアルコール類を八頭のおろちの如くのみ尽くした暁の清算書ではない
韓国の聖火
2008年4月27日聖火リレーは3000人に守られ韓国を行っている。
北を終え、中国の自国内に入り、8月8日8時8分を迎える。
聖火リレーが混沌としている。
ギリシャ神話
ゼウスとプロメテウスの「火の争い」
全能の神ゼウスからプロメテウスが火を盗み、
それを人間に与える。それがさらに災いを生む。
日本神話
、イザナミは火の神カグツチを産んだ際に火傷やけどを負い、それが元で死ぬ。
怒ったイザナキに殺されそれを契機にさらなる混沌こんとんを生み出していく。火は人間の偉大な発明であると同時に、争いもその火が原因となる。
聖火は、プロメテウスに由来するギリシャ・オリンピアで採火される。
11人の巫女みこによって火を誕生させる神話的儀式
「火の争い」に怒ったゼウスは、人類を困らせるためにパンドラという神を命じてつくる。
彼女に秘密の箱を与えわざと開けさせた。
多くの災いがそこから飛び出す「パンドラの箱」。
信州の国における良心・善光寺のギリギリの聖火受け入れの出発地点返上の苦渋の決断。
更科紀行の旅での俳聖・松尾芭蕉。
「月影や 四門四宗も ただ一つ」。
宗派や性別、階級にかかわりなく人々を救う。
この寺の独特の性格を表している。
天台宗と浄土宗が共同で住職を務め合計39の寺院が一緒に運営する。
中には尼寺もある。
善光寺の存在そのものが、多様な価値が溶け合う様を説いている。
聖火リレーとほぼ同時に、その善光寺でチベット騒乱の犠牲者を追悼する法要が開かれ。
希望者は誰でも参加のかたちをとった。
「平和的な手段による中国への抗議」。
厳戒の中で走者に声援を送るか。
本堂で静かに祈りを捧げるか。
どちらも平和を願う心に変わりはない。
今の時代人は差別蔑視丸出しの「チョウセンジン!」の言葉の真意が汲み取れまい。
ヨン効果もありハングル全盛。
霧島酒造の幻の焼酎金霧島もこの国があればこその冬草奈津虫焼酎である。
よき時代になったものだ。
幼少期には伊東家の菩提寺たる三財岩崎観音様西側山麓に数件の朝鮮人の住む家があり
地域の朝鮮人蔑視の風潮から怖いもの見たさで投石の意地悪準備をして近寄っていったものであった。
近接に自経営耕作地があり、カンショなどの収穫時期の家族総出の作業にはないもを
敵愾心の如く燃え上がらせてて望んだものだ。
「チョウセンジン、チョウセンジン、パカスルナ。」
たどたどしき会話で揶揄。挑発。
朝鮮人ごっこは幼少期の小さき心の冒険心を慰めるに十分なるものであった。
ほんのこの前まで日本映画さえ上映されず、漫画を含めた日本文化禁止。
歴史の逆行は過去の本性として生じてしまう。
難航した「靖国」は公開がそれぞれ発表されている。
関川夏央の作品にルポ「ソウルの練習問題」がある。
・・・・・
ひとりの青年が肩の力を抜いて韓国をめぐり歩く。
ハングルに酔い、人々に出会い、素朴な驚きと胸に迫る共感を軽やかに綴っていく。
・・・・
世に出たのは四半世紀ほど昔になる。
韓国、と聞けばへんに身構える雰囲気もあった時代に、この本は新鮮なるもの。
居酒屋の喧噪。迷路のような地下道。
若い女性のつぶやき。
描かれた様々な「日常」から隣の国の素顔を知った人も多かろう。。
韓流ブームで垣根はにわか低くなった
日本人の韓国観が大きく変わったのはソウル五輪を控えたあのころからだろう。
日本のOLが週末にソウルへショッピングに出かけ、
向こうからもシーガイヤの多勢を占める普段着で観光客がやって来る。
初めて来日した李(イ)明博(ミョンバク)大統領と福田康夫首相も
「シャトル外交」継続を約束した
そういう自然なつき合い方ができるのが「日韓新時代」だろう。
切り札のずっと懸案になっている天皇陛下の訪韓が現実味を帯びてくる。
報道されてないが、李大統領は陛下との会見で訪韓への期待を口にしたという。
中国のときと同じ状況である。
北を終え、中国の自国内に入り、8月8日8時8分を迎える。
聖火リレーが混沌としている。
ギリシャ神話
ゼウスとプロメテウスの「火の争い」
全能の神ゼウスからプロメテウスが火を盗み、
それを人間に与える。それがさらに災いを生む。
日本神話
、イザナミは火の神カグツチを産んだ際に火傷やけどを負い、それが元で死ぬ。
怒ったイザナキに殺されそれを契機にさらなる混沌こんとんを生み出していく。火は人間の偉大な発明であると同時に、争いもその火が原因となる。
聖火は、プロメテウスに由来するギリシャ・オリンピアで採火される。
11人の巫女みこによって火を誕生させる神話的儀式
「火の争い」に怒ったゼウスは、人類を困らせるためにパンドラという神を命じてつくる。
彼女に秘密の箱を与えわざと開けさせた。
多くの災いがそこから飛び出す「パンドラの箱」。
信州の国における良心・善光寺のギリギリの聖火受け入れの出発地点返上の苦渋の決断。
更科紀行の旅での俳聖・松尾芭蕉。
「月影や 四門四宗も ただ一つ」。
宗派や性別、階級にかかわりなく人々を救う。
この寺の独特の性格を表している。
天台宗と浄土宗が共同で住職を務め合計39の寺院が一緒に運営する。
中には尼寺もある。
善光寺の存在そのものが、多様な価値が溶け合う様を説いている。
聖火リレーとほぼ同時に、その善光寺でチベット騒乱の犠牲者を追悼する法要が開かれ。
希望者は誰でも参加のかたちをとった。
「平和的な手段による中国への抗議」。
厳戒の中で走者に声援を送るか。
本堂で静かに祈りを捧げるか。
どちらも平和を願う心に変わりはない。
今の時代人は差別蔑視丸出しの「チョウセンジン!」の言葉の真意が汲み取れまい。
ヨン効果もありハングル全盛。
霧島酒造の幻の焼酎金霧島もこの国があればこその冬草奈津虫焼酎である。
よき時代になったものだ。
幼少期には伊東家の菩提寺たる三財岩崎観音様西側山麓に数件の朝鮮人の住む家があり
地域の朝鮮人蔑視の風潮から怖いもの見たさで投石の意地悪準備をして近寄っていったものであった。
近接に自経営耕作地があり、カンショなどの収穫時期の家族総出の作業にはないもを
敵愾心の如く燃え上がらせてて望んだものだ。
「チョウセンジン、チョウセンジン、パカスルナ。」
たどたどしき会話で揶揄。挑発。
朝鮮人ごっこは幼少期の小さき心の冒険心を慰めるに十分なるものであった。
ほんのこの前まで日本映画さえ上映されず、漫画を含めた日本文化禁止。
歴史の逆行は過去の本性として生じてしまう。
難航した「靖国」は公開がそれぞれ発表されている。
関川夏央の作品にルポ「ソウルの練習問題」がある。
・・・・・
ひとりの青年が肩の力を抜いて韓国をめぐり歩く。
ハングルに酔い、人々に出会い、素朴な驚きと胸に迫る共感を軽やかに綴っていく。
・・・・
世に出たのは四半世紀ほど昔になる。
韓国、と聞けばへんに身構える雰囲気もあった時代に、この本は新鮮なるもの。
居酒屋の喧噪。迷路のような地下道。
若い女性のつぶやき。
描かれた様々な「日常」から隣の国の素顔を知った人も多かろう。。
韓流ブームで垣根はにわか低くなった
日本人の韓国観が大きく変わったのはソウル五輪を控えたあのころからだろう。
日本のOLが週末にソウルへショッピングに出かけ、
向こうからもシーガイヤの多勢を占める普段着で観光客がやって来る。
初めて来日した李(イ)明博(ミョンバク)大統領と福田康夫首相も
「シャトル外交」継続を約束した
そういう自然なつき合い方ができるのが「日韓新時代」だろう。
切り札のずっと懸案になっている天皇陛下の訪韓が現実味を帯びてくる。
報道されてないが、李大統領は陛下との会見で訪韓への期待を口にしたという。
中国のときと同じ状況である。
なんの日だって?
2008年4月29日今日の誕生日の花はコテマリ。
花言葉は・・・ 努力。
山笑う ふふふふふふと 麓まで
橋本淳子絵本画家はすでに鬼籍に入られている。
木々のうつろい、木々の芽の少しづつの色合いの違い。
鳥の声に流れる水の音、なで往く風、うららかなる陽光、残ってる枯れススキ。
「山笑う」は言いえて妙。
はははは男の笑い。ひひひひ、ふふふふと順に品がない。
ほほほは女の笑い。女の男笑いのははははは最悪。
山は性別不肖ゆえのかくたる笑い
ふふふふふふと となっているのであろう。
緑の日は昭和の日になり二年目とはよ〜〜く知らなかった。
政治状況を表して品格のない笑いが聞こえると新聞が教える。
ただ、為政者には超えねばならぬハードルがある。
一人一票という為政者にとってややっこしい民意である。
山口では岩国市長になった福田に05年郵政選挙で敗れたが
比例で復活当選平岡秀夫54が、国土交通小出身山持繁太郎59候補に勝った。
69パーセントの投票率。
比例でバッジを持ってるのに平岡秀夫が
再度選挙に立つのもなんかややっこしくヘン?
ただ、議席は圧倒的でこの明後日には強行採決でガソリン国会が終了する。
初の国政選挙の結果には目に瞑るようである。
解散総選挙を経ないで総理に居座る福田の目論みはここにある。
自民党・304
民主党・114
公明・・・31
共産・・・・9
社民・・・・7
国民・・・・6
無所属・・・9
参議院を無視して再可決がなされよう。
男の笑い。ひひひひ
品格のない国である。
日向の国は九州山地を陸地の背に生活する群れゆえ、あちこちに点在する中山間地帯の山村。
行政を初めメディアは平均年齢が65歳を超えてる地域を限界集落と呼ぶ。
その呼称を持って限界集落の209箇所にはこれまで70兆円が投入されてきたらしい。
効果は道路などの整備が良くなっただけで生活基盤の働く場所はない。
高等教育はおろか義務教育施設さえ廃校され若き夫婦は存在できない。
投入されてきた予算でも過疎対策止まらない。
限界の言葉の響きに人材という資源を送りつづけた人々は複雑である。
世界に冠たる繁栄続ける日本国。
その大都会を支え人材を送った限界集落.
残ったもの慟哭の淋しく小さき声。
残酷な状況は限界とか高齢者を前期後期と言葉一つマスコミのメデイアの責任でもある。
後期高齢者を愛称として長寿医療制度と総理が呼んでる笑止の沙汰。
山笑う ふふふふふふと 麓まで
「山笑う」は言いえて妙。
昭和の日は昨年からとは・・記憶が飛んでいる。
1989年昭和64年昭和天皇崩御以来
馴染んだ飛び石連休の初日の天皇誕生日は「みどりの日」
「復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と趣旨にある。」
明治以来農業国家からの脱皮、殖産興業で工業国家をひたすら目指し、
ひたはしったが異変が生じている。
農業製品が工業製品より重要な役割を示してるデーターが数限りなく見受けられる。
自給率40パーセントをきってる瑞穂の国の笑えない現実がある。
ガソリン160円時代を迎え成長神話が止まろうとしている。
農業国家からの逆襲である。
地球環境破壊の問題は農業製品からの代変えガソリンとしての燃料提供のバイオ・エタノール。
穀物の異常なる値上がりの一因をなす。
凶器たる投機資金なるファンドの比ではないが。
食の基準品がガソリンに変わっている。
いまや農産物は軍事的意味さえもつようになってきているが日本国では気づいていない。
穀物生産はFAO、08年の統計で
21億6400万トン増加している。
だが食料は天上知らずの値動き。
この一年でコメ小麦が倍になり、3割値上げのトウモロコシに代表される。
暴動が多発している貧困国。
コメ輸入国フィリッピン、ナイジェリア、バングラディツシュ
コメ輸出国タイベトナム米国
小麦輸入国ブラジルエジプト日本
小麦輸出国米国カナダロシア
トウモロコシ輸入国日本メキシコ韓国
トウモロコシ輸出国米国アルゼンチンブラジル
近代国家体制経済成長時代精神の終焉。
歴史から学ぶ昭和の日である。
明治昭和平行説
明治10年・西南戦争
昭和11年・2・26事件
明治22年・憲法公布
昭和21年・新憲法
明治44年・条約改正
昭和47年・沖縄返還
明治45年・乃木将軍殉死
昭和45年・三島由紀夫割腹。
二つの時代の60年の還暦周明説
社会の仕組みを整えた。
あがなえない貴重なる体験の歴史。
日経紙トップ京セラミタの複写機の国内中止、中国での生産報道は昨日のこと。
日替わりでトップ記事が踊る。
「携帯などの中小型液晶生産海外勢攻勢で縮小」
セイコエプソン=生産6拠点を2拠点
東芝松下テクノロジー=高精細LTPS方式液晶を8割。
日立デスプレイ=キャノン松下出資受け入れ。
旭硝子と三菱=中小型液晶から撤退。
シャープ=駆動用ICの生産をルネサステクノロジーに移管。
世界中小パネルシェアー^
シャープ 20,3
東芝松下 10,9
サムソン 8,6
エプソン 8,2
日立 7,0
AUO 台湾 7,0
その他
EU電力供給シェアー
化石燃料
石炭30
石油 4
天然ガス20
原子力31
再生エネルギー15
花言葉は・・・ 努力。
山笑う ふふふふふふと 麓まで
橋本淳子絵本画家はすでに鬼籍に入られている。
木々のうつろい、木々の芽の少しづつの色合いの違い。
鳥の声に流れる水の音、なで往く風、うららかなる陽光、残ってる枯れススキ。
「山笑う」は言いえて妙。
はははは男の笑い。ひひひひ、ふふふふと順に品がない。
ほほほは女の笑い。女の男笑いのははははは最悪。
山は性別不肖ゆえのかくたる笑い
ふふふふふふと となっているのであろう。
緑の日は昭和の日になり二年目とはよ〜〜く知らなかった。
政治状況を表して品格のない笑いが聞こえると新聞が教える。
ただ、為政者には超えねばならぬハードルがある。
一人一票という為政者にとってややっこしい民意である。
山口では岩国市長になった福田に05年郵政選挙で敗れたが
比例で復活当選平岡秀夫54が、国土交通小出身山持繁太郎59候補に勝った。
69パーセントの投票率。
比例でバッジを持ってるのに平岡秀夫が
再度選挙に立つのもなんかややっこしくヘン?
ただ、議席は圧倒的でこの明後日には強行採決でガソリン国会が終了する。
初の国政選挙の結果には目に瞑るようである。
解散総選挙を経ないで総理に居座る福田の目論みはここにある。
自民党・304
民主党・114
公明・・・31
共産・・・・9
社民・・・・7
国民・・・・6
無所属・・・9
参議院を無視して再可決がなされよう。
男の笑い。ひひひひ
品格のない国である。
日向の国は九州山地を陸地の背に生活する群れゆえ、あちこちに点在する中山間地帯の山村。
行政を初めメディアは平均年齢が65歳を超えてる地域を限界集落と呼ぶ。
その呼称を持って限界集落の209箇所にはこれまで70兆円が投入されてきたらしい。
効果は道路などの整備が良くなっただけで生活基盤の働く場所はない。
高等教育はおろか義務教育施設さえ廃校され若き夫婦は存在できない。
投入されてきた予算でも過疎対策止まらない。
限界の言葉の響きに人材という資源を送りつづけた人々は複雑である。
世界に冠たる繁栄続ける日本国。
その大都会を支え人材を送った限界集落.
残ったもの慟哭の淋しく小さき声。
残酷な状況は限界とか高齢者を前期後期と言葉一つマスコミのメデイアの責任でもある。
後期高齢者を愛称として長寿医療制度と総理が呼んでる笑止の沙汰。
山笑う ふふふふふふと 麓まで
「山笑う」は言いえて妙。
昭和の日は昨年からとは・・記憶が飛んでいる。
1989年昭和64年昭和天皇崩御以来
馴染んだ飛び石連休の初日の天皇誕生日は「みどりの日」
「復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と趣旨にある。」
明治以来農業国家からの脱皮、殖産興業で工業国家をひたすら目指し、
ひたはしったが異変が生じている。
農業製品が工業製品より重要な役割を示してるデーターが数限りなく見受けられる。
自給率40パーセントをきってる瑞穂の国の笑えない現実がある。
ガソリン160円時代を迎え成長神話が止まろうとしている。
農業国家からの逆襲である。
地球環境破壊の問題は農業製品からの代変えガソリンとしての燃料提供のバイオ・エタノール。
穀物の異常なる値上がりの一因をなす。
凶器たる投機資金なるファンドの比ではないが。
食の基準品がガソリンに変わっている。
いまや農産物は軍事的意味さえもつようになってきているが日本国では気づいていない。
穀物生産はFAO、08年の統計で
21億6400万トン増加している。
だが食料は天上知らずの値動き。
この一年でコメ小麦が倍になり、3割値上げのトウモロコシに代表される。
暴動が多発している貧困国。
コメ輸入国フィリッピン、ナイジェリア、バングラディツシュ
コメ輸出国タイベトナム米国
小麦輸入国ブラジルエジプト日本
小麦輸出国米国カナダロシア
トウモロコシ輸入国日本メキシコ韓国
トウモロコシ輸出国米国アルゼンチンブラジル
近代国家体制経済成長時代精神の終焉。
歴史から学ぶ昭和の日である。
明治昭和平行説
明治10年・西南戦争
昭和11年・2・26事件
明治22年・憲法公布
昭和21年・新憲法
明治44年・条約改正
昭和47年・沖縄返還
明治45年・乃木将軍殉死
昭和45年・三島由紀夫割腹。
二つの時代の60年の還暦周明説
社会の仕組みを整えた。
あがなえない貴重なる体験の歴史。
日経紙トップ京セラミタの複写機の国内中止、中国での生産報道は昨日のこと。
日替わりでトップ記事が踊る。
「携帯などの中小型液晶生産海外勢攻勢で縮小」
セイコエプソン=生産6拠点を2拠点
東芝松下テクノロジー=高精細LTPS方式液晶を8割。
日立デスプレイ=キャノン松下出資受け入れ。
旭硝子と三菱=中小型液晶から撤退。
シャープ=駆動用ICの生産をルネサステクノロジーに移管。
世界中小パネルシェアー^
シャープ 20,3
東芝松下 10,9
サムソン 8,6
エプソン 8,2
日立 7,0
AUO 台湾 7,0
その他
EU電力供給シェアー
化石燃料
石炭30
石油 4
天然ガス20
原子力31
再生エネルギー15
武士の国
2008年4月30日今日の誕生日の花は。シャクヤク
花言葉は・・・ 風格。
花の王たるシャクヤクは獅子との組み合わせなどで襖絵など
美術品に描かれてきた。
立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花。
似たるボタンは木であるがシャクヤクは草。
平安時代に薬草として渡来。
昭和27年以来52年ぶりの衆議院での再可決
ガソリン価格がまたもや25円の税金復活で価格の動揺が収まらない。
どうにも国家に風格がない。
世界に誇る生き様の
志向の根底の武士道が廃れてるからであろう。
欲望丸出しの金本位の末期的資本主義の行き着いた投機社会のグローバル化にあるゆえだ。
かの国は荘園時代からその領有の保全で武力統治としての武士が台頭。
日向の国は土持氏が領治して来た。
「日向戦国武将物語・土持戦記・復習するは、我が宿命なり」
が上辞された。
土持氏は平安時代に台頭。
宮崎西都日南高鍋と勢力基盤を築いた。
抗争に破れ県(あがた)=延岡のみが支配地となる土持氏。
1578年天正6年大友宗麟に滅ぼされる。
その後島津家の家老として230年間生き延びる。
佐野郷土史家は古川町の当主・土持綱義83からも捻蜜に取材。
時代の渦に、筋を通した土持氏。
その生き様は連綿と血が受け継がれている。
0982ー26ー0805
作者は大木町の佐野量幸(52)本名光山信幸。
平安戦国に冠する著書が他にもある。
日向は鵜戸神宮を剣聖の地として剣豪は必ず鵜戸の大石に座禅、
日向灘と対峙し、剣の道を極めた。
鹿島神道の宗家をなす。
日向にはその血を奥義を伝える人々がある。
清嶺松陰叶流3代家元児玉秀雄(77)は市内瀬頭に生を受け兵庫に住む。
18日宮崎神宮に代々伝わる八奏神霊剣を奉納した。
全日本抜刀道連盟なる組織の長を師とする不動産関係の方がおられる。
写真集にある風勢からは威圧感はない好々爺。
元衆議院議員で参謀本部の源田実を顧問とする
会長は中村泰三郎
全日本戸山派居合道連盟をも組織する。
真剣を持ち歩けるただ一人の特権の人。
西南戦争はその考察姿勢からいかようでも学べる課題を持つ。
国論を二分しての国内戦争としては初めてであり、
武士階級の消滅していく時代の産物としても読みとかれよう。
端午の節句にあくまきを食する風習として
かってに戦場を旋風した武士の食料品がマルに十の字の生きがいとして残る。
西南戦争の勝敗は武器鉄砲の能力の差で語らえよう。
螺旋状に飛ぶ政府と西郷軍のストレ^トに飛ぶでは殺傷力に差がある。
ただ、鼓舞する武士力の魂たる武士の舞台こそ戦場にあり、新政府軍の劣るところであった。
新政府軍に抜刀隊が結成され、初めて現場の戦場の戦況は大きく変わった。
もう一つの内乱をあげるなら、1歩早かった水戸藩である。
陽明学のまずは行動アリキは、天狗党の突出となり、
明治政府樹立には人材が枯渇、力を発揮できなかった。。
武田耕雲斎、藤田小四郎は最後は合流して京都の守護職の後の15代将軍慶喜に懇願の長征となる
。一ツ橋家での慶喜は下は水戸の出故だ。
那珂湊は那珂川河口にあり、太平洋に面し、城下町水戸よりある意味栄えた。
斎昭が大砲鋳造のために反射炉も合った。
松平頼徳を切腹させ、10月5日。政府軍は軍艦黒龍の艦船砲を見舞った。
榊原新左衛門隊が降伏し、幕府軍引き入れる。
降伏した千人は罪人扱い。
切腹死刑に処せられた。
那珂湊を脱出した武田耕雲斎、藤田小四郎は軍儀で激論を交わす。
歴史書に記録が残さる。
明治維新水戸風雲録は日本一の社会学者山川均の妻たる水戸の出の山川菊栄の記述である。
50日間にわたる日本の歴史で初めての大行軍である。
毛沢東は蒋介石の国民党軍との触発を避け長征で兵力軍律を高め権力をを手中した如くである。
下野栃木県、上野群馬県信濃美濃岐阜を経て越前福井県に至る。
「尊皇攘夷の素意を公明天皇に奏上したい。」
世に天魔の一群と恐怖された天狗党の一隊の思いつめた信念集団である。
大砲をガラガラひいて厳しい規律。
無罪の人民をみだりに殺傷してはならない。
民家に立ち入り財産を略奪してはならない。
婦女子をみだりに近づけてはならない。
田畑作物を荒らしてはならない。
自分勝手な行動をしてはならない。
まらぬものは斬首。
下仁田で高崎藩兵、松本高島両藩を和田峠出破り、前進。
飯田藩では献金を頂き、美濃越前を経て水の芽峠を下り、北国街道の新保でとマッタ。
12月11日は雪深く疲労困憊。馬を食うまでに飢えていた。
前方には慶喜に追討を命じられた加賀兵が立ちふさがる。
後方の追討は彦根福井の両販兵。
力尽きた823名の天狗党は全員幸降伏。
敦賀濁護送。
田沼意尊は態度を一変。
翌年352名斬首処分。
身分に応じて処分
彦根藩は桜田門外の事件の報復で首切り約を応じた。
処刑を見守ってた加賀藩士。
幕府を命脈尽きさせた。
慶喜の権威は落ち長州に情報はもたらされた。
幕府と闘うには徹底抗戦しかない。
歴史は些細な感情で動く。
改革最先端の藩水戸は人材が枯渇し、維新に乗り遅れた。
藤田東湖を初めとする陽明学が時代に早すぎたゆえである。
山口で民意は示されたのに福田政治は強行採決。
品位はない。
花言葉は・・・ 風格。
花の王たるシャクヤクは獅子との組み合わせなどで襖絵など
美術品に描かれてきた。
立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花。
似たるボタンは木であるがシャクヤクは草。
平安時代に薬草として渡来。
昭和27年以来52年ぶりの衆議院での再可決
ガソリン価格がまたもや25円の税金復活で価格の動揺が収まらない。
どうにも国家に風格がない。
世界に誇る生き様の
志向の根底の武士道が廃れてるからであろう。
欲望丸出しの金本位の末期的資本主義の行き着いた投機社会のグローバル化にあるゆえだ。
かの国は荘園時代からその領有の保全で武力統治としての武士が台頭。
日向の国は土持氏が領治して来た。
「日向戦国武将物語・土持戦記・復習するは、我が宿命なり」
が上辞された。
土持氏は平安時代に台頭。
宮崎西都日南高鍋と勢力基盤を築いた。
抗争に破れ県(あがた)=延岡のみが支配地となる土持氏。
1578年天正6年大友宗麟に滅ぼされる。
その後島津家の家老として230年間生き延びる。
佐野郷土史家は古川町の当主・土持綱義83からも捻蜜に取材。
時代の渦に、筋を通した土持氏。
その生き様は連綿と血が受け継がれている。
0982ー26ー0805
作者は大木町の佐野量幸(52)本名光山信幸。
平安戦国に冠する著書が他にもある。
日向は鵜戸神宮を剣聖の地として剣豪は必ず鵜戸の大石に座禅、
日向灘と対峙し、剣の道を極めた。
鹿島神道の宗家をなす。
日向にはその血を奥義を伝える人々がある。
清嶺松陰叶流3代家元児玉秀雄(77)は市内瀬頭に生を受け兵庫に住む。
18日宮崎神宮に代々伝わる八奏神霊剣を奉納した。
全日本抜刀道連盟なる組織の長を師とする不動産関係の方がおられる。
写真集にある風勢からは威圧感はない好々爺。
元衆議院議員で参謀本部の源田実を顧問とする
会長は中村泰三郎
全日本戸山派居合道連盟をも組織する。
真剣を持ち歩けるただ一人の特権の人。
西南戦争はその考察姿勢からいかようでも学べる課題を持つ。
国論を二分しての国内戦争としては初めてであり、
武士階級の消滅していく時代の産物としても読みとかれよう。
端午の節句にあくまきを食する風習として
かってに戦場を旋風した武士の食料品がマルに十の字の生きがいとして残る。
西南戦争の勝敗は武器鉄砲の能力の差で語らえよう。
螺旋状に飛ぶ政府と西郷軍のストレ^トに飛ぶでは殺傷力に差がある。
ただ、鼓舞する武士力の魂たる武士の舞台こそ戦場にあり、新政府軍の劣るところであった。
新政府軍に抜刀隊が結成され、初めて現場の戦場の戦況は大きく変わった。
もう一つの内乱をあげるなら、1歩早かった水戸藩である。
陽明学のまずは行動アリキは、天狗党の突出となり、
明治政府樹立には人材が枯渇、力を発揮できなかった。。
武田耕雲斎、藤田小四郎は最後は合流して京都の守護職の後の15代将軍慶喜に懇願の長征となる
。一ツ橋家での慶喜は下は水戸の出故だ。
那珂湊は那珂川河口にあり、太平洋に面し、城下町水戸よりある意味栄えた。
斎昭が大砲鋳造のために反射炉も合った。
松平頼徳を切腹させ、10月5日。政府軍は軍艦黒龍の艦船砲を見舞った。
榊原新左衛門隊が降伏し、幕府軍引き入れる。
降伏した千人は罪人扱い。
切腹死刑に処せられた。
那珂湊を脱出した武田耕雲斎、藤田小四郎は軍儀で激論を交わす。
歴史書に記録が残さる。
明治維新水戸風雲録は日本一の社会学者山川均の妻たる水戸の出の山川菊栄の記述である。
50日間にわたる日本の歴史で初めての大行軍である。
毛沢東は蒋介石の国民党軍との触発を避け長征で兵力軍律を高め権力をを手中した如くである。
下野栃木県、上野群馬県信濃美濃岐阜を経て越前福井県に至る。
「尊皇攘夷の素意を公明天皇に奏上したい。」
世に天魔の一群と恐怖された天狗党の一隊の思いつめた信念集団である。
大砲をガラガラひいて厳しい規律。
無罪の人民をみだりに殺傷してはならない。
民家に立ち入り財産を略奪してはならない。
婦女子をみだりに近づけてはならない。
田畑作物を荒らしてはならない。
自分勝手な行動をしてはならない。
まらぬものは斬首。
下仁田で高崎藩兵、松本高島両藩を和田峠出破り、前進。
飯田藩では献金を頂き、美濃越前を経て水の芽峠を下り、北国街道の新保でとマッタ。
12月11日は雪深く疲労困憊。馬を食うまでに飢えていた。
前方には慶喜に追討を命じられた加賀兵が立ちふさがる。
後方の追討は彦根福井の両販兵。
力尽きた823名の天狗党は全員幸降伏。
敦賀濁護送。
田沼意尊は態度を一変。
翌年352名斬首処分。
身分に応じて処分
彦根藩は桜田門外の事件の報復で首切り約を応じた。
処刑を見守ってた加賀藩士。
幕府を命脈尽きさせた。
慶喜の権威は落ち長州に情報はもたらされた。
幕府と闘うには徹底抗戦しかない。
歴史は些細な感情で動く。
改革最先端の藩水戸は人材が枯渇し、維新に乗り遅れた。
藤田東湖を初めとする陽明学が時代に早すぎたゆえである。
山口で民意は示されたのに福田政治は強行採決。
品位はない。