月変わり。
2006年2月1日いつから月変わりかも知らず、6時30分には検査に備え、都城へ向かう。
10時からの機器の性能テストの情報に従う仕上げの仕方。
ギリギリのセーフ
。実質昨日と今日のみの作業みたいなもの。
流石にアパデン宮崎職人さんたち。
昼過ぎにはアクシデントで宮崎のコンサルに向かう。
夜も先客万来。引っ切り無し。それもそのはず、月末も来ていたのである。
3日の検査に向けて作業は出来ず、
おまけにPCの持ち出しを深夜不在のときにくらう。
野球のキャンプイン、巨人、福岡ソフトバンク。広島、西武
テレビニュースも確認できないでいる。
jリーグも揃う。
日本代表
宮崎市
宮崎県総合運動公園
陸上競技場他
期間: 1/29(日)〜2/4(土)
時間: 9:00 〜
15:30 〜
ガンバ大阪/J1 綾町
錦原サッカー場 期間: 2/10(金)〜2/19(日)
時間: 9:00 〜 11:00
15:00 〜 17:00 綾町産業観光課
0985-77-1111
鹿島アントラーズ/J1 宮崎市
宮崎県総合運動公園
陸上競技場 期間: 2/6(月)〜2/17(金)
時間: 2/6(月)19:10〜
宮崎空港到着ロビー
宮崎市観光協会
0985-20-8658
セレッソ大阪/J1 宮崎市
国際海浜エントランスプラザ 期間: 2/9(木)〜2/18(土)
宮崎市観光協会
0985-20-8658
サンフレッチェ広島/J1 宮崎市
シーガイアイベントスクエア 期間: 2/9(木)〜2/24(金)
時間: 宮崎市観光協会
0985-20-8658
川崎フロンターレ(1次)/J1 綾町
錦原サッカー場 期間: 1/27(金)〜2/7(火)
時間: 綾町産業観光課
0985-77-1111
川崎フロンターレ(2次) 宮崎市
宮崎県総合運動公園
サッカー場 期間: 2/14(火)〜2/19(日)
時間: 宮崎市観光協会
0985-20-8658
横浜F・マリノスJ1 宮崎市
シーガイアイベントスクエア
期間: 2/1(水)〜2/10(金)
時間: 2/1(水)15:20〜
シーガイアイベントスクエア 宮崎市観光協会
0985-20-8658
アビスパ福岡/J1 宮崎市
宮崎県総合運動公園
サッカー場 期間: 2/4(土)〜2/13(月)
宮崎県総合運動
公園サッカー場 宮崎市観光協会
0985-20-8658
ヴァンフォーレ甲府/J1 西都市
清水台総合公園
多目的広場 期間: 2/6(月)〜2/17(金)
時間: 2/6(月)15:00〜
西都市役所前 Jリーグ西都協力会事務局
0983-41-1557
ベガルタ仙台/J2 延岡市
西階陸上競技場 期間: 1/31(火)〜2/17(金)
延岡市役所前 延岡市西階陸上競技場
0982-32-5832
宮崎市
宮崎県総合運動公園
陸上競技場 期間: 2/18(土)〜3/5(日)
3/10(金)
時間: 9:30 〜 11:30
15:00 〜 17:00 宮崎市観光協会
0985-20-8658
宮崎市
国際海浜エントランスプラザ 期間: 3/6(月)〜3/9(木)
時間: 9:30 〜 11:30
15:00 〜 17:00 宮崎市観光協会
0985-20-8658
コンサドーレ札幌/J2 宮崎市
国際海浜エントランスプラザ 期間: 1/23(月)〜2/9(木)
時間: 1/23(月)13:10〜
宮崎空港到着ロビー 宮崎市観光協会
0985-20-8658
徳島ヴォルティス/J2 西都市
清水台総合公園多目的広場 期間: 2/17(金)〜2/24(金)
時間: 9:30 〜 11:00
15:00 〜 16:30 2/17(月)15:00〜
西都市役所前 Jリーグ西都協力会事務局
0983-41-1557
ザスパ草津/J2 高原町
総合運動公園多目的芝生広場 期間: 2/6(月)〜2/16(木)
時間: 9:30 〜 11:30
15:00 〜 17:00 高原町社会教育課
0984-42-2111
城南一和/K 15・17日清武町総合運動公園
多目的広場
20日〜宮崎市国際海浜エント
ランスプラザ 期間: 2/14(火)〜2/26(日)
清武町総合運動公園
0985-85-1148
あれ?トリニータは二部に降格したの?
いや〜おこられそう〜(笑い)
あった!あった!
大分トリニータ/J1 綾町
てるは文化公園サッカー場 期間: 2/16(木)〜2/23(木)
綾町産業観光課
0985-77-1111
元気下さい。
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ギリギリのセーフ
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流石にアパデン宮崎職人さんたち。
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夜も先客万来。引っ切り無し。それもそのはず、月末も来ていたのである。
3日の検査に向けて作業は出来ず、
おまけにPCの持ち出しを深夜不在のときにくらう。
野球のキャンプイン、巨人、福岡ソフトバンク。広島、西武
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jリーグも揃う。
日本代表
宮崎市
宮崎県総合運動公園
陸上競技場他
期間: 1/29(日)〜2/4(土)
時間: 9:00 〜
15:30 〜
ガンバ大阪/J1 綾町
錦原サッカー場 期間: 2/10(金)〜2/19(日)
時間: 9:00 〜 11:00
15:00 〜 17:00 綾町産業観光課
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鹿島アントラーズ/J1 宮崎市
宮崎県総合運動公園
陸上競技場 期間: 2/6(月)〜2/17(金)
時間: 2/6(月)19:10〜
宮崎空港到着ロビー
宮崎市観光協会
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セレッソ大阪/J1 宮崎市
国際海浜エントランスプラザ 期間: 2/9(木)〜2/18(土)
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サンフレッチェ広島/J1 宮崎市
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時間: 宮崎市観光協会
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川崎フロンターレ(1次)/J1 綾町
錦原サッカー場 期間: 1/27(金)〜2/7(火)
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宮崎県総合運動公園
サッカー場 期間: 2/14(火)〜2/19(日)
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期間: 2/1(水)〜2/10(金)
時間: 2/1(水)15:20〜
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アビスパ福岡/J1 宮崎市
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サッカー場 期間: 2/4(土)〜2/13(月)
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いや〜おこられそう〜(笑い)
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早春賦
2006年2月2日大阪からお目見えのメーカーの方々と串間に走る。
仕事内容から連続してこの地に走る必要があるのか。
多忙を自ら買って出てるわけではないが命令ゆえやむ得まい。
こんなに時間がとられたんじゃ〜たまったもんじゃ〜ない。
明日は検査というのに準備ができないではないか。
昨日の自己検査の仮のバイパス工事のため現場は騒然としている。
自分の仕事をする時間がなく情けない。
深夜金融機関の方と会う状況事態異常なる生活。
気候も春の穏やかさは程遠い。
寒いのか温かいのかわからぬ。節分の後は立春。
早春賦
作詞:吉丸 一昌
作曲:中田 章
1.春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
2.氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
3.春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)
胸の思を
いかにせよとの この頃か
吉丸 一昌は大分臼杵の人。
「蛍狩り」「早春賦 」「故郷を離るる歌」などの作品(作詞)で知られる。国文学者。
記念館はユキ夫人の実家(旧板井家)である江戸時代からの旧家屋を利用して開設された。
当時の楽譜や遺品など吉丸一昌ゆかりの品が多数展示されている
東大を卒業ののち、明治41年に東京音楽学校教授に。
『尋常小学校唱歌』(全6冊)の編纂委員(作詞)として、芳賀矢一(作詞委員長)や上田万年、高野辰之、佐佐木信綱らとともに日本の唱歌成立に携わった中心的人物の一人。
『尋常小学唱歌』に収められた「日の丸」や「桃太郎」「池の鯉」「かたつむり」も吉丸の作品ではないかと言われている。
「夏の思い出」の作曲者、中田 喜直の父であると書けば音楽のDNDを理解できることである。
作詞 吉丸一昌/作曲 中田章
「お玉じゃくし」
作詞 吉丸一昌/作曲 梁田貞
「故郷を離るる歌」
作詞 吉丸一昌/ドイツ民謡
1886〜1931)
中田 章は 東京都生まれ。東京音楽学校を卒業し、母校の教授も務めた。
この歌の舞台となったのは、長野県の安曇野。
春の訪れを待ちわびる山国の人達の心が描かれています。
氷が解けて春がやってきたかと思うと、雪の日々。早春の三寒四温の空模様をじれったく思う心情が吐露されています。
この歌の歌碑は、JR穂高駅から東に1.5Km、穂高川右岸の堤の上にあります。
ここには歌碑だけではなく、五線譜を刻んだ曲碑、太陽電池を内蔵したオルゴールも設置されています。
川面を渡る風に吹かれながら、早春賦のメロディーを楽しむのもいいでしょう。
場所は長野県南安曇郡穂高町等々力穂高川右岸
吉丸一昌は、明治42年から大正3年にかけて文部省が『尋常小学唱歌』を編纂した際に、編纂委員となっています。
編纂委員は作詞と作曲の両方に分かれて任命され、
作詞は芳賀矢一(委員長)、吉丸、佐々木信綱、八波則吉、上田万年、尾上八郎、高野辰之、武島又次郎(羽衣)が、
作曲は、湯原元一(委員長)、島崎赤太郎、岡野貞一、南能衛、小山作之助、上真行、楠美恩三郎、田村虎蔵が担当しました。当時の音楽界には、東京高等師範学校&学習院を背景とする一派と東京音楽学校を中心とする一派の2つの派閥がありましたが、
東京帝大出身の吉丸は、双方のまとめ役を果たしたといわれています。
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仕事内容から連続してこの地に走る必要があるのか。
多忙を自ら買って出てるわけではないが命令ゆえやむ得まい。
こんなに時間がとられたんじゃ〜たまったもんじゃ〜ない。
明日は検査というのに準備ができないではないか。
昨日の自己検査の仮のバイパス工事のため現場は騒然としている。
自分の仕事をする時間がなく情けない。
深夜金融機関の方と会う状況事態異常なる生活。
気候も春の穏やかさは程遠い。
寒いのか温かいのかわからぬ。節分の後は立春。
早春賦
作詞:吉丸 一昌
作曲:中田 章
1.春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
2.氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
3.春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)
胸の思を
いかにせよとの この頃か
吉丸 一昌は大分臼杵の人。
「蛍狩り」「早春賦 」「故郷を離るる歌」などの作品(作詞)で知られる。国文学者。
記念館はユキ夫人の実家(旧板井家)である江戸時代からの旧家屋を利用して開設された。
当時の楽譜や遺品など吉丸一昌ゆかりの品が多数展示されている
東大を卒業ののち、明治41年に東京音楽学校教授に。
『尋常小学校唱歌』(全6冊)の編纂委員(作詞)として、芳賀矢一(作詞委員長)や上田万年、高野辰之、佐佐木信綱らとともに日本の唱歌成立に携わった中心的人物の一人。
『尋常小学唱歌』に収められた「日の丸」や「桃太郎」「池の鯉」「かたつむり」も吉丸の作品ではないかと言われている。
「夏の思い出」の作曲者、中田 喜直の父であると書けば音楽のDNDを理解できることである。
作詞 吉丸一昌/作曲 中田章
「お玉じゃくし」
作詞 吉丸一昌/作曲 梁田貞
「故郷を離るる歌」
作詞 吉丸一昌/ドイツ民謡
1886〜1931)
中田 章は 東京都生まれ。東京音楽学校を卒業し、母校の教授も務めた。
この歌の舞台となったのは、長野県の安曇野。
春の訪れを待ちわびる山国の人達の心が描かれています。
氷が解けて春がやってきたかと思うと、雪の日々。早春の三寒四温の空模様をじれったく思う心情が吐露されています。
この歌の歌碑は、JR穂高駅から東に1.5Km、穂高川右岸の堤の上にあります。
ここには歌碑だけではなく、五線譜を刻んだ曲碑、太陽電池を内蔵したオルゴールも設置されています。
川面を渡る風に吹かれながら、早春賦のメロディーを楽しむのもいいでしょう。
場所は長野県南安曇郡穂高町等々力穂高川右岸
吉丸一昌は、明治42年から大正3年にかけて文部省が『尋常小学唱歌』を編纂した際に、編纂委員となっています。
編纂委員は作詞と作曲の両方に分かれて任命され、
作詞は芳賀矢一(委員長)、吉丸、佐々木信綱、八波則吉、上田万年、尾上八郎、高野辰之、武島又次郎(羽衣)が、
作曲は、湯原元一(委員長)、島崎赤太郎、岡野貞一、南能衛、小山作之助、上真行、楠美恩三郎、田村虎蔵が担当しました。当時の音楽界には、東京高等師範学校&学習院を背景とする一派と東京音楽学校を中心とする一派の2つの派閥がありましたが、
東京帝大出身の吉丸は、双方のまとめ役を果たしたといわれています。
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追憶ブログ
2006年2月3日過去のブログの再掲で多忙時期を逃げ切る卑怯さ。
検索をかけてみていたら自分のブログの4年前がそのままなんだから実に不思議なこと。
都城の検査立会いも出来ず、串間ぬ向かう。
夜は都城。深夜のご帰還。朝までここんとこ住み込んでる若者と会話。どうしようもない多忙さ。
九州の各県は、そのまま江戸期の藩を引きずっており、お城跡地が、そのまま県庁所在地となっている。
肥後は熊本、薩摩が鹿児島、肥前が佐賀と
いうように名前を変えただけである。
ただし、宮崎だけは、違うのである。
正確には宮崎と札幌のみは藩庁たるお城跡が県庁にならなかった。ではどこか。
初代天皇たる神武のお船出後のところが美々津県庁で耳川の宮崎側よりの小高いところにあった。
川越進らを中心とする分県運動の尽力により現在の宮崎県が成立した。
明治を迎えるとき、延岡の内藤、高鍋、
串間の秋月、佐土原の島津、日南の伊東、都城、
小林の島津、米良の菊池、宮崎市内は、複雑で
天領地、内藤、伊東となっていた。
よって、いまだまとまりが無く、
言葉、食文化に違いが生じている。
換言すれば、いまだ他国なのである。
宮崎の県民性、後進性の根本である。
その、延岡の地に行った。
文豪漱石にしてうらなり先生が赴任していく先の・・猿とと人間が、同居しているところ・・・
である。
若大将のハンドルさばきは、実に丁寧。
それでも、時間通りについた。
野口記念館、や、市役所の天下一の旗には活気を感じた。
藩主、内藤家なり、素封家の谷氏の寄進した能面がこんな財産になっているとは、驚いた。
昭和45〜48年頃にもこれらの、文化財はすでにあった。そのころは、宝の持ち腐れ。
町おこしに一役買っているようである。
縣城、の城山での野外の薪能は多くの観光客を呼んでいる。
食い意地の張っている、
私には、ひたすら鮎やなの鮎料理である。
ついたのが、約束通り、の13時。
日本一の企業の方と、大貫、じゃ無かった西階球場の、ある、野田町のお客さん宅に直行である。
この道路は、青春時代、駅伝大会で颯爽と駆け抜けるたところである。青春の重いでは、どこでもほろ苦い。
そして今日は、太陽光発電の伝道者である。
すでに何社かとの競合であるようだ。
アパデンなら、勝てるのだが,あくまでも下請け工事業者である。
屋根の状況を一目4メートル×10メートルでパネル24〜30枚と判断。
屋内の電気配線を見聞きして回る。
再度、来訪できることの約束を取り付けて辞した。
さぁ鮎やなである。
塩焼き4匹、せごし、生臭い川魚の独特をご相伴にあずかった。
しめて7000円は痛かったが、何十年ぶりの味では、安いものだ。
この時節のこの街中で鮎が取れる清流が何処にあろう。野口尊の起こした今の旭化成。
本業より、陸上の日本代表を数多く輩出したことのほうが、名高い。
「靴が、ぬけちゃいました。」
でオリンピック世界5位?、の谷口浩美
宗兄弟、
遠くは、ベルリンの広島兵庫、日出国。
日本記録の児玉、森下、上げればきりが無い。
その勇姿はシンボルの赤煙突のそばの競技場で見られたものだ。
土台、歴史に支えられていない宮崎は、ある意味で延岡がその中心といえるのかもしれない。
日向の全支配者は、日下部氏に始まった。、
鎌倉以前の荘園制のころ宇佐の神官の田部氏の
嫡流の土持氏は宣綱の代その日下部氏の氏久の娘の養子になる。
そして、日向のほとんどを従える。
薩摩の荘が全国一で二番目に広い荘園であった。
伊東氏や島津氏との領地争いもありながら、700年支配した。
その土持氏も大分の大友宗麟と島津氏との間でにあり、ついに大友氏に滅ぼされる。
朝鮮の役を得て、高橋元種が27年間、有馬78年間、三浦20年間、牧野35年間を経て、
頼朝政権時の御家人の内藤氏が1747年に延岡に入り、明治まで続く。
不夜城の世界一の東京でも、とりわけ歌舞伎町の東新宿。ゴールデン街の傍。
その歌舞伎町の3丁目の末広亭のあるところの隣。わからねぇだろうな。
否!歌舞伎町1丁目のアルタ。タモリの笑っていいとも!と言った方がわかりがいい。これだ!これ!
その歌舞伎町の3丁目。
その花園神社が元の位置の名残である。
尤も、元の位置は、今より、20メートル南の伊勢丹にあったそうだ。
ここは、徳川御三家、尾張藩邸があったという。その花園で花園神社が名前の由来。
もともと、この地は、内藤家の領地であった。内藤新宿、追分新宿と言った。
新宿の名も内藤家、敷地前にできた新しい家。に由来する。
正蔵、のちの彦六や円生の落語に出てくるところだ。
甲州街道の一番目の宿は、高井戸であった。日本橋から16KMもある。
<東海道の高輪、品川と比べるがいい。10月1日の日記の通りである。>
そこで、内藤家のまえに宿屋を作った。
その後、内藤新宿は宿場町として栄えることとなったが、同時にその性質上、岡場所
(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても栄えることとなった。
「岡場所遊郭考」には
「甲州街道旅籠屋飯盛女あり、明和(1764〜71)安永(1772〜80)のころは殊の外盛なり・・・
(中略)美服を着し紅粉の装いあたかも吉原におとらぬ春花をおきたり。・・・」
とあるように華美反映の姿がうかがえる。
また「高松文書」(東京都公文書館蔵)には、
「飯盛女を抱える旅籠屋は、寛政11年(1799)には上町(新宿3丁目あたり)には20軒、
中町(同2丁目あたり)には16軒、下町(同1丁目あたり)に16軒あり、中には大間口之旅籠屋追々建増仕るべく候」とある。
上野、吉原に劣らぬ賑わいであるのが現在の下地として会ったのだ。
ゴールデン街の内藤陳さんの店『深夜+1』で飲んだ経験を私は持っている。
この店では、遠距離訪問者は優先的に席に座らせてもらえるという暗黙のルールがある。
もちろん、その栄誉に浴した。
残念ながら、内藤家とのお話はできないでいた。
内藤さんしらない?有名なボードビリアン。
カーボーイ姿で二丁拳銃。
なぜかあの世でしか見れない早野凡平さんの芸を思い出す。
もう一度いおう!
トリオ・ザ・パンチの、「ハードボイルドだど!」の人。やはり知らない?
もぉ最後、日本冒険小説家協会会長の、内藤陳さん。
なんやかんやで、この片田舎の宮崎は、ナント世界一の歓楽街の分家であったと言いたかったわけ。
天下一の能面がなにを語っているのか。
きずいてほしい と訴えていたのか。
わたしには、太陽光発電の普及をガンバレといっている。
もう病的なぐらいである。
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都城の検査立会いも出来ず、串間ぬ向かう。
夜は都城。深夜のご帰還。朝までここんとこ住み込んでる若者と会話。どうしようもない多忙さ。
九州の各県は、そのまま江戸期の藩を引きずっており、お城跡地が、そのまま県庁所在地となっている。
肥後は熊本、薩摩が鹿児島、肥前が佐賀と
いうように名前を変えただけである。
ただし、宮崎だけは、違うのである。
正確には宮崎と札幌のみは藩庁たるお城跡が県庁にならなかった。ではどこか。
初代天皇たる神武のお船出後のところが美々津県庁で耳川の宮崎側よりの小高いところにあった。
川越進らを中心とする分県運動の尽力により現在の宮崎県が成立した。
明治を迎えるとき、延岡の内藤、高鍋、
串間の秋月、佐土原の島津、日南の伊東、都城、
小林の島津、米良の菊池、宮崎市内は、複雑で
天領地、内藤、伊東となっていた。
よって、いまだまとまりが無く、
言葉、食文化に違いが生じている。
換言すれば、いまだ他国なのである。
宮崎の県民性、後進性の根本である。
その、延岡の地に行った。
文豪漱石にしてうらなり先生が赴任していく先の・・猿とと人間が、同居しているところ・・・
である。
若大将のハンドルさばきは、実に丁寧。
それでも、時間通りについた。
野口記念館、や、市役所の天下一の旗には活気を感じた。
藩主、内藤家なり、素封家の谷氏の寄進した能面がこんな財産になっているとは、驚いた。
昭和45〜48年頃にもこれらの、文化財はすでにあった。そのころは、宝の持ち腐れ。
町おこしに一役買っているようである。
縣城、の城山での野外の薪能は多くの観光客を呼んでいる。
食い意地の張っている、
私には、ひたすら鮎やなの鮎料理である。
ついたのが、約束通り、の13時。
日本一の企業の方と、大貫、じゃ無かった西階球場の、ある、野田町のお客さん宅に直行である。
この道路は、青春時代、駅伝大会で颯爽と駆け抜けるたところである。青春の重いでは、どこでもほろ苦い。
そして今日は、太陽光発電の伝道者である。
すでに何社かとの競合であるようだ。
アパデンなら、勝てるのだが,あくまでも下請け工事業者である。
屋根の状況を一目4メートル×10メートルでパネル24〜30枚と判断。
屋内の電気配線を見聞きして回る。
再度、来訪できることの約束を取り付けて辞した。
さぁ鮎やなである。
塩焼き4匹、せごし、生臭い川魚の独特をご相伴にあずかった。
しめて7000円は痛かったが、何十年ぶりの味では、安いものだ。
この時節のこの街中で鮎が取れる清流が何処にあろう。野口尊の起こした今の旭化成。
本業より、陸上の日本代表を数多く輩出したことのほうが、名高い。
「靴が、ぬけちゃいました。」
でオリンピック世界5位?、の谷口浩美
宗兄弟、
遠くは、ベルリンの広島兵庫、日出国。
日本記録の児玉、森下、上げればきりが無い。
その勇姿はシンボルの赤煙突のそばの競技場で見られたものだ。
土台、歴史に支えられていない宮崎は、ある意味で延岡がその中心といえるのかもしれない。
日向の全支配者は、日下部氏に始まった。、
鎌倉以前の荘園制のころ宇佐の神官の田部氏の
嫡流の土持氏は宣綱の代その日下部氏の氏久の娘の養子になる。
そして、日向のほとんどを従える。
薩摩の荘が全国一で二番目に広い荘園であった。
伊東氏や島津氏との領地争いもありながら、700年支配した。
その土持氏も大分の大友宗麟と島津氏との間でにあり、ついに大友氏に滅ぼされる。
朝鮮の役を得て、高橋元種が27年間、有馬78年間、三浦20年間、牧野35年間を経て、
頼朝政権時の御家人の内藤氏が1747年に延岡に入り、明治まで続く。
不夜城の世界一の東京でも、とりわけ歌舞伎町の東新宿。ゴールデン街の傍。
その歌舞伎町の3丁目の末広亭のあるところの隣。わからねぇだろうな。
否!歌舞伎町1丁目のアルタ。タモリの笑っていいとも!と言った方がわかりがいい。これだ!これ!
その歌舞伎町の3丁目。
その花園神社が元の位置の名残である。
尤も、元の位置は、今より、20メートル南の伊勢丹にあったそうだ。
ここは、徳川御三家、尾張藩邸があったという。その花園で花園神社が名前の由来。
もともと、この地は、内藤家の領地であった。内藤新宿、追分新宿と言った。
新宿の名も内藤家、敷地前にできた新しい家。に由来する。
正蔵、のちの彦六や円生の落語に出てくるところだ。
甲州街道の一番目の宿は、高井戸であった。日本橋から16KMもある。
<東海道の高輪、品川と比べるがいい。10月1日の日記の通りである。>
そこで、内藤家のまえに宿屋を作った。
その後、内藤新宿は宿場町として栄えることとなったが、同時にその性質上、岡場所
(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても栄えることとなった。
「岡場所遊郭考」には
「甲州街道旅籠屋飯盛女あり、明和(1764〜71)安永(1772〜80)のころは殊の外盛なり・・・
(中略)美服を着し紅粉の装いあたかも吉原におとらぬ春花をおきたり。・・・」
とあるように華美反映の姿がうかがえる。
また「高松文書」(東京都公文書館蔵)には、
「飯盛女を抱える旅籠屋は、寛政11年(1799)には上町(新宿3丁目あたり)には20軒、
中町(同2丁目あたり)には16軒、下町(同1丁目あたり)に16軒あり、中には大間口之旅籠屋追々建増仕るべく候」とある。
上野、吉原に劣らぬ賑わいであるのが現在の下地として会ったのだ。
ゴールデン街の内藤陳さんの店『深夜+1』で飲んだ経験を私は持っている。
この店では、遠距離訪問者は優先的に席に座らせてもらえるという暗黙のルールがある。
もちろん、その栄誉に浴した。
残念ながら、内藤家とのお話はできないでいた。
内藤さんしらない?有名なボードビリアン。
カーボーイ姿で二丁拳銃。
なぜかあの世でしか見れない早野凡平さんの芸を思い出す。
もう一度いおう!
トリオ・ザ・パンチの、「ハードボイルドだど!」の人。やはり知らない?
もぉ最後、日本冒険小説家協会会長の、内藤陳さん。
なんやかんやで、この片田舎の宮崎は、ナント世界一の歓楽街の分家であったと言いたかったわけ。
天下一の能面がなにを語っているのか。
きずいてほしい と訴えていたのか。
わたしには、太陽光発電の普及をガンバレといっている。
もう病的なぐらいである。
地球環境はそれぐらいないと守れない。
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春・・始動
2006年2月4日よく書いてることだが不思議に出くわすのは仕事柄ゆえだろうか。
つい何日かまえ♪春は名のみぞ・・・とその前日の陽気との比較のみで書いたら今日の寒さは何だ。
最後の季節の確認を思わすかのような寒さ。あるのかどうか知らないが寒魂を呼び起こしたようだ。
それも何も宮崎ばかりではなかったようだ。
節分が明ければ立春。
旧暦で言う四立のひとつ正月節 月の斜度315度
暦のうえではこの日から春。
日本の旧暦においては、一年の始まりとされていた
二月=如月を瑞穂の国は雨の中で迎え、植物には水が欠かせない故、豊作の年であろう。
二月=如月(キサラギ)の字を当てるのは諸説あるらしい。
今年は>衣更着>が分かりやすい。
寒さのために衣を重ねて着るからキサラギ・キヌサラギだ
〈気更来〉は陽気が発達する時節であるところからという説だ。
気は陽気で、暖冬ならこの方が分かる。
秋に黄落した草木がさらに変わる月で〈葱更生〉やら〈木更月〉説もある。
、草木の芽が張り出す月という春待望の気分から言えば、気更来説の肩を持ちたくもなる。
新聞記事でお教えて頂いている。
ところがブル〜ン。
立春の4日、各地で最高気温が軒並み平年を下回り真冬並みの寒さとなったと気象庁。
最高気温は東京・大手町で5.1度(平年比マイナス4.3度)▽札幌で氷点下2.8度(同1.6度)▽仙台で0.6度(同4.2度)▽
新潟で0.9度(同3.8度)。
東北、北陸を中心に33か所で、この冬で最も低い数字を記録した。
八丈島では午後3時ごろ、1946年3月8日以来となる3センチの積雪を観測。60年ぶりの降雪。
千歳では3日午後9時から4日午後3時までの降雪量は47センチ。
空港は閉鎖、今シーズン最多の計223便の欠航が決定と記録ずくめ。
マイナス7.5度は仙台で今冬最低
水道局によると市内では水道管破裂が3件、各家庭の水道管凍結も40件あった。
就寝前に水道管の水抜きを行うよう呼び掛けている水道局の呼びかけが懐かしい。
消防団の大人たち=ニセドンと夜回りをしたものである。
「水道管の水をぬいておやすみください」
それでも仙台市太白区四郎丸の農家の庭先では、雪をかぶりながらもネコヤナギが芽吹き始めたという。
寒の戻りもまだまだあるだろうが、遠くに春の足音がかすかに聞こえる。
木々の冬芽は日々ふくらみ、新世代が芽吹きを待ち引き継ごう。転生輪廻あせることはない。
冷たき寒気団の震源地に思いをはせる。
氷点下30度。想像もつかない寒さにモスクワ市民が震え上がった。
家庭や職場、工場の暖房で電気の消費量がピークに達し、生産現場や市民生活などに大きな影響が出た。
日本の最低気温は1902(明治35)年1月25日、北海道・旭川市で記録した氷点下41度だ。
大陸の発達した高気圧が張り出し、列島は大寒波に襲われた。
青森の八甲田山で雪中行軍中の陸軍第八師団の199人が、道に迷って死亡したのもこの時。苦闘の記録は映画で偲べる。
地球を取り巻く大気中には氷点下140度の世界がある。
成層圏の上にある高度約90キロの中間圏と呼ばれる辺り。
水蒸気が凍って生まれる極中間圏雲を夜光雲ともいうが、さすがにこの低温下で雲ができるメカニズムを解明できない。
56(昭和31)年11月8日、「宗谷」が晴海埠ふ頭とうを出発した。今年は日本の南極観測が始まって50年。
なぜ南極が地球環境モニターとして重要か。
科学技術広報財団の「S&Tジャーナル」が
「南極観測50年―これからの南極」を特集している。
新聞記事は続く。
例えば二酸化炭素の増え具合を東京で観測しても周りに放出源が多く、正確な値は出ない。
それに比べて、南極には住人がなく、人間の活動から遠く離れているため地球全体の微妙な変動をとらえるのに絶好の観測地点。
南極の年間平均気温は氷点下60度。もしも、地球温暖化で一メートル海面が上昇するなら、その供給源は南極などの氷床だ。人為的に放出された物質が最後に回ってくるモニタリング基地なのだから、南極に黄色信号がともった時が地球滅亡。
そう長くはない。春遠からじというところか。
めっそうもない。
ブルッーとしたのは寒さばかりではなかったようだ。
地球環境に負荷のないエネルギー太陽光発電の普及が急がれる。
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つい何日かまえ♪春は名のみぞ・・・とその前日の陽気との比較のみで書いたら今日の寒さは何だ。
最後の季節の確認を思わすかのような寒さ。あるのかどうか知らないが寒魂を呼び起こしたようだ。
それも何も宮崎ばかりではなかったようだ。
節分が明ければ立春。
旧暦で言う四立のひとつ正月節 月の斜度315度
暦のうえではこの日から春。
日本の旧暦においては、一年の始まりとされていた
二月=如月を瑞穂の国は雨の中で迎え、植物には水が欠かせない故、豊作の年であろう。
二月=如月(キサラギ)の字を当てるのは諸説あるらしい。
今年は>衣更着>が分かりやすい。
寒さのために衣を重ねて着るからキサラギ・キヌサラギだ
〈気更来〉は陽気が発達する時節であるところからという説だ。
気は陽気で、暖冬ならこの方が分かる。
秋に黄落した草木がさらに変わる月で〈葱更生〉やら〈木更月〉説もある。
、草木の芽が張り出す月という春待望の気分から言えば、気更来説の肩を持ちたくもなる。
新聞記事でお教えて頂いている。
ところがブル〜ン。
立春の4日、各地で最高気温が軒並み平年を下回り真冬並みの寒さとなったと気象庁。
最高気温は東京・大手町で5.1度(平年比マイナス4.3度)▽札幌で氷点下2.8度(同1.6度)▽仙台で0.6度(同4.2度)▽
新潟で0.9度(同3.8度)。
東北、北陸を中心に33か所で、この冬で最も低い数字を記録した。
八丈島では午後3時ごろ、1946年3月8日以来となる3センチの積雪を観測。60年ぶりの降雪。
千歳では3日午後9時から4日午後3時までの降雪量は47センチ。
空港は閉鎖、今シーズン最多の計223便の欠航が決定と記録ずくめ。
マイナス7.5度は仙台で今冬最低
水道局によると市内では水道管破裂が3件、各家庭の水道管凍結も40件あった。
就寝前に水道管の水抜きを行うよう呼び掛けている水道局の呼びかけが懐かしい。
消防団の大人たち=ニセドンと夜回りをしたものである。
「水道管の水をぬいておやすみください」
それでも仙台市太白区四郎丸の農家の庭先では、雪をかぶりながらもネコヤナギが芽吹き始めたという。
寒の戻りもまだまだあるだろうが、遠くに春の足音がかすかに聞こえる。
木々の冬芽は日々ふくらみ、新世代が芽吹きを待ち引き継ごう。転生輪廻あせることはない。
冷たき寒気団の震源地に思いをはせる。
氷点下30度。想像もつかない寒さにモスクワ市民が震え上がった。
家庭や職場、工場の暖房で電気の消費量がピークに達し、生産現場や市民生活などに大きな影響が出た。
日本の最低気温は1902(明治35)年1月25日、北海道・旭川市で記録した氷点下41度だ。
大陸の発達した高気圧が張り出し、列島は大寒波に襲われた。
青森の八甲田山で雪中行軍中の陸軍第八師団の199人が、道に迷って死亡したのもこの時。苦闘の記録は映画で偲べる。
地球を取り巻く大気中には氷点下140度の世界がある。
成層圏の上にある高度約90キロの中間圏と呼ばれる辺り。
水蒸気が凍って生まれる極中間圏雲を夜光雲ともいうが、さすがにこの低温下で雲ができるメカニズムを解明できない。
56(昭和31)年11月8日、「宗谷」が晴海埠ふ頭とうを出発した。今年は日本の南極観測が始まって50年。
なぜ南極が地球環境モニターとして重要か。
科学技術広報財団の「S&Tジャーナル」が
「南極観測50年―これからの南極」を特集している。
新聞記事は続く。
例えば二酸化炭素の増え具合を東京で観測しても周りに放出源が多く、正確な値は出ない。
それに比べて、南極には住人がなく、人間の活動から遠く離れているため地球全体の微妙な変動をとらえるのに絶好の観測地点。
南極の年間平均気温は氷点下60度。もしも、地球温暖化で一メートル海面が上昇するなら、その供給源は南極などの氷床だ。人為的に放出された物質が最後に回ってくるモニタリング基地なのだから、南極に黄色信号がともった時が地球滅亡。
そう長くはない。春遠からじというところか。
めっそうもない。
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変わり行く風景
2006年2月5日100000ヒットがもう間近か。
過去のブログがよく検索にかかってるようだ。
経験していないのに、「これって前にもあったよね」という感覚
デジャビュ。「既視感」と訳される。
3年前に書いたブログがそのまま再掲してみる。
情報家電2003年9月18日
明日からの鹿児島県末吉町の4,0KWの太陽光発電施工準備で慌ただしい。
新規事業をも考えながらの毎日で、個人的な収入面だけで考えると何をやっているのかわからない。
確実な業務拡大を進めている。
激しい世の中の動きを見ておかなければ生きてはいけない。
100000ヒットがもう間近か。
過去のブログがよく検索にかかってるようだ。
経験していないのに、「これって前にもあったよね」という感覚
デジャビュ。「既視感」と訳される。
3年前に書いたブログがそのまま再掲してみる。
情報家電2003年9月18日
明日からの鹿児島県末吉町の4,0KWの太陽光発電施工準備で慌ただしい。
新規事業をも考えながらの毎日で、個人的な収入面だけで考えると何をやっているのかわからない。
確実な業務拡大を進めている。
激しい世の中の動きを見ておかなければ生きてはいけない。
<朝日9/17>からのデーター記事を2つ記したい
。
西日本銀行が<468名>の主婦からパソコンに関するアンケートを集約した。
保有について7年前4パーセントが8割。
7割の過程がインターネットに加入している
36パーセントが主婦自身のパソコンであり、96年の倍となっている。
買い換えたのはこの2〜3年前。
3割の人が毎日アクセスしている。
22パーセントがネットで買い物をした経験がある。
パソコン中心で今では過程の必需品となっている。
通信費の支出が10万円が3割もいる。
是ではホームページの活用が急がれる。
情報家電への業務拡大はないのか。
片山総務相は16日05年にも世界で始めて情報家電の無線周波数帯を設定する方針を明らかにした。
電機業界は07年までに企画を統一する合意があり。コンピュウターの基本ソフトや半導体部品などの開発に特定の周波数が不可欠としている。
インターネットの関連機器では米国に基幹技術を抑えられた。
情報家電では官民一体となり、世界標準を目指す。
新しい無線接続方式に対応したOSは機動に「時間がかかるウインドウズは家電には適さない。
として日本が独自に開発する。」半導体部品もOSと平行して設計する製品は05年後半。
インターネットの足かせから逃れ世界標準を狙う。
電波を利用すりうる機器の市場規模は5年後に43兆円、10年後92兆円と予測されている。
日本のめーかーにはぱそこん産業の苦い経験を繰り返したくないとの事情がある。
米マイクロソフトがOSで、米インテルがMPU<超小型演算装置>など中核の半導体部品で、
それぞれ圧倒的なシェアーを握り、組立作業は労賃の低さで中国などに移り、
日本メーカーの収益につながらない構造になっている。
独自技術の開発で情報家電を新たな成長の糧にする。
無線ランや情報家電は10年後には現状の4〜5倍の周波数帯が必要。
5ギガヘルツ帯電波を3年以内に情報家電専用にする。
5ギガヘルツ帯5ギガは現在気象レーダーが使っている
電波使用の現状
3K〜30K 超長波
30K〜300K 長波
300K〜3M 中波 AMラジオ
3M〜30M 短波 短波放送
30M〜300M 超短波 FM放送
300M〜3G 極超短波 携帯電話
3G〜30G マイクロ波 衛星放送 5GHZ帯を情報家電に開放
30G〜300G ミリ波 衛星通信
300G〜3000G サブミリ波
K=キロ M=メガ G=ギガ
12月1日より、いよいよデジタル放送が始まる。
UFJ銀行は24時間営業をはじめる。
とどまっている暇はない。
アパの動きはあいかわらずである。
焦りを感じているが、行かんともしがたい。
これを書いた3年前の時期は携帯電話もそう通話数がなかったが今日では運転中はイヤホーンで違反から逃れ、バッテリーさえ途中で上がる多忙なる状況。
それに妙な物がはやりだした。
アメリカ発の情報家電である。
ソニーの凋落を感ずる出来事だ。
「iPod」はかつての「ウォークマン」の現代版の進化のはずとの想いだが違う!全く別物だ。
この装置は、ただ音楽を楽しむための小道具ではない。
身に着けてイヤホンをつけて自分だけの音の世界に身を投じた瞬間、そこいらの景色は反転する。
周囲の雑多な事象の意味がスーッと薄れていく。
ウォークマンと違うのは、パソコンを経由してネットの膨大な情報と自分がつながっている点だ。
広大な仮想空間で生まれ変わったような心地よさが、確かにそこにはある。
「サイボーグ消費者」が誕生したとトロントのヨーク大学の
ギースラー助教授。
他者の存在が目に映らないかのようなイヤホン族が、跋扈するご時世である。
iPodを生んだアップルコンピュータの米国の威信を賭けた開発が最近にないヒット作となった。
同社は純利益が前年同期比92%増となれば、単なる流行ではなく、人間自身の変化を感じる。
視聴覚の全てをかけて運転してるものに意識は外側でなく内側に向かっている。
危険の意味を読みとろうとして私たちの脳はどう働かされるのか。
ナビにテレビにiPodを操っての運転での交通戦争はどの様なものになろうか。
異様なるものが情報家電に生み出されたものである。
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過去のブログがよく検索にかかってるようだ。
経験していないのに、「これって前にもあったよね」という感覚
デジャビュ。「既視感」と訳される。
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情報家電2003年9月18日
明日からの鹿児島県末吉町の4,0KWの太陽光発電施工準備で慌ただしい。
新規事業をも考えながらの毎日で、個人的な収入面だけで考えると何をやっているのかわからない。
確実な業務拡大を進めている。
激しい世の中の動きを見ておかなければ生きてはいけない。
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経験していないのに、「これって前にもあったよね」という感覚
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情報家電2003年9月18日
明日からの鹿児島県末吉町の4,0KWの太陽光発電施工準備で慌ただしい。
新規事業をも考えながらの毎日で、個人的な収入面だけで考えると何をやっているのかわからない。
確実な業務拡大を進めている。
激しい世の中の動きを見ておかなければ生きてはいけない。
<朝日9/17>からのデーター記事を2つ記したい
。
西日本銀行が<468名>の主婦からパソコンに関するアンケートを集約した。
保有について7年前4パーセントが8割。
7割の過程がインターネットに加入している
36パーセントが主婦自身のパソコンであり、96年の倍となっている。
買い換えたのはこの2〜3年前。
3割の人が毎日アクセスしている。
22パーセントがネットで買い物をした経験がある。
パソコン中心で今では過程の必需品となっている。
通信費の支出が10万円が3割もいる。
是ではホームページの活用が急がれる。
情報家電への業務拡大はないのか。
片山総務相は16日05年にも世界で始めて情報家電の無線周波数帯を設定する方針を明らかにした。
電機業界は07年までに企画を統一する合意があり。コンピュウターの基本ソフトや半導体部品などの開発に特定の周波数が不可欠としている。
インターネットの関連機器では米国に基幹技術を抑えられた。
情報家電では官民一体となり、世界標準を目指す。
新しい無線接続方式に対応したOSは機動に「時間がかかるウインドウズは家電には適さない。
として日本が独自に開発する。」半導体部品もOSと平行して設計する製品は05年後半。
インターネットの足かせから逃れ世界標準を狙う。
電波を利用すりうる機器の市場規模は5年後に43兆円、10年後92兆円と予測されている。
日本のめーかーにはぱそこん産業の苦い経験を繰り返したくないとの事情がある。
米マイクロソフトがOSで、米インテルがMPU<超小型演算装置>など中核の半導体部品で、
それぞれ圧倒的なシェアーを握り、組立作業は労賃の低さで中国などに移り、
日本メーカーの収益につながらない構造になっている。
独自技術の開発で情報家電を新たな成長の糧にする。
無線ランや情報家電は10年後には現状の4〜5倍の周波数帯が必要。
5ギガヘルツ帯電波を3年以内に情報家電専用にする。
5ギガヘルツ帯5ギガは現在気象レーダーが使っている
電波使用の現状
3K〜30K 超長波
30K〜300K 長波
300K〜3M 中波 AMラジオ
3M〜30M 短波 短波放送
30M〜300M 超短波 FM放送
300M〜3G 極超短波 携帯電話
3G〜30G マイクロ波 衛星放送 5GHZ帯を情報家電に開放
30G〜300G ミリ波 衛星通信
300G〜3000G サブミリ波
K=キロ M=メガ G=ギガ
12月1日より、いよいよデジタル放送が始まる。
UFJ銀行は24時間営業をはじめる。
とどまっている暇はない。
アパの動きはあいかわらずである。
焦りを感じているが、行かんともしがたい。
これを書いた3年前の時期は携帯電話もそう通話数がなかったが今日では運転中はイヤホーンで違反から逃れ、バッテリーさえ途中で上がる多忙なる状況。
それに妙な物がはやりだした。
アメリカ発の情報家電である。
ソニーの凋落を感ずる出来事だ。
「iPod」はかつての「ウォークマン」の現代版の進化のはずとの想いだが違う!全く別物だ。
この装置は、ただ音楽を楽しむための小道具ではない。
身に着けてイヤホンをつけて自分だけの音の世界に身を投じた瞬間、そこいらの景色は反転する。
周囲の雑多な事象の意味がスーッと薄れていく。
ウォークマンと違うのは、パソコンを経由してネットの膨大な情報と自分がつながっている点だ。
広大な仮想空間で生まれ変わったような心地よさが、確かにそこにはある。
「サイボーグ消費者」が誕生したとトロントのヨーク大学の
ギースラー助教授。
他者の存在が目に映らないかのようなイヤホン族が、跋扈するご時世である。
iPodを生んだアップルコンピュータの米国の威信を賭けた開発が最近にないヒット作となった。
同社は純利益が前年同期比92%増となれば、単なる流行ではなく、人間自身の変化を感じる。
視聴覚の全てをかけて運転してるものに意識は外側でなく内側に向かっている。
危険の意味を読みとろうとして私たちの脳はどう働かされるのか。
ナビにテレビにiPodを操っての運転での交通戦争はどの様なものになろうか。
異様なるものが情報家電に生み出されたものである。
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100000ヒットおめでとう・・・「忍」
2006年2月6日コメント (5)100000ヒットの瞬間を見たいがこの多忙さで無理であろう。
一日200ヒットだから午前中達成しよう。
キリバン・ゲットのお目出度い方是非ご連絡ください。
かってトップからの妨害や元請さんからの中止命令もあったりで
一時期せきやんを裏返し、きやんせで続けたこともあった。
そのときは中也さんの励ましをいただいた、
多くの人の励ましで乗り越えてきた。
昨日はアップロードせず貴重なる時間を悩んだ。
そんなこともあったりで5年間の苦闘ゆえ感激ひとしおである。
がんばれ受験生!マウス・クリック!
http://www.breaktown.com/sakura/index.htm
師匠からメールをいただいていた。
> 皆様へ
>
> 宮崎の青木です。久しぶりに綾情報です。
> 昨日、綾町で綾の照葉樹林の保護・復元プロジェクト発足の
> 記念講演が開催され、約700人の人が講師の筑紫哲也氏の
> 「多事争論〜綾の照葉樹林をめぐって」の話に聞き入りまし
> た。
綾の照葉樹林とブナ林で世界遺産になっている白神山地
> を比較し、照葉樹林も将来の世界遺産になる価値があると高
> く評価。その上で以前から取り組んできた九電の揚水発電へ
> の送電鉄塔問題にも触れ、明らかにマイナス条件になるとし
> ましたが、現在官民で進められようとしている緑の回廊を広
> げていけば、鉄塔の持つ意味は相対的に下がってくるとしま
> した。>
> 今日2月6日のニュース23「多事争論」は綾の森からの拡
> 大版です。(見てね!)
> 他の方たちにもお知らせください。
書き忘れていたことがある。
熟年世代の眼を熱くしてくれたこと。
35歳越本が夢の世界王者 になったのである。
WBC世界フェザー級タイトルマッチは29日福岡市・九電記念体育館で開催。
日本人史上最年長の35歳24日の世界王者が誕生した。
世界フェザー級5位の越本隆志(35=Fukuoka)が、王者の池仁珍(32=韓国)を2−1の判定で破り、2度目の世界挑戦で王座奪取に成功した。
元世界スーパーウエルター級王者の輪島功一の持つ32歳9カ月の日本人最年長世界王者奪取記録を大幅更新。
フェザー級での世界王者誕生は柴田国明以来36年ぶり。
と記録ずくめ。
年齢と右肩の故障を乗り越えて医者の止めるのを乗り越えての快挙とおまけもつく。
柴田は72年5月に敗れるまで2度防衛した。
次もやってほしい。
父英武会長(62)との父子鷹での世界タイトル獲得も国内初の快挙。
「今日の舞台を夢見て、気持ちだけで突っ走ってきました。
親父(英武会長)に見せてあげられてうれしい。親父ありがとう」。
腰にチャンピオンベルトを巻いた越本は、両手を突き上げて観客に父との二人三脚で夢つかむ と新聞記事が踊っている。
リング上で歓喜の涙にくれる息子の姿を見て、笑いながら泣いた。越本英武会長(62)が父親の顔になった。
30年以上に及ぶ2人だけの苦難の日々がよみがえる。
「小さいころのことを思い出すと…。本当にうれしい」。絞り出すような声で言った。
輪島功一のことを新聞記事から拾うとこうである。
雑貨屋の同級生が売り物のようかんを見せびらかし、
「玉ネギを生で1個食べたら、やるよ」と言った
終戦の数年後、甘い物が貴重だったころで私にも黒砂糖をはじめ甘美品の記憶は数々ある。
「よし」、鼻をつまんで玉ネギにかじりつき、汁に涙を流しながら無我夢中で食べた。もらったようかんの、ひりひりする舌に染み通る甘さはいまも忘れないという
土木現場で働きながらジムに通いはじめたのは24歳だった。
32歳9か月でWBAジュニアミドル級の世界王者になる。
玉ネギとようかんは遅咲きの人が味わった人生の辛酸と甘美、そのものであったろう
「記録は破られるもの。勇気を与えてくれる勝利だ」。感慨深げに輪島さんは苦労人を称(たた)えた
ボクシングに限らず、スポーツに限らず、胸をよぎる絶望を追い払い、焦燥を追い払いして、玉ネギにかじりついている人がどこかにいるだろう。遅咲きの蕾に幸あれ。
その先週は栃東の忍の一字の制覇の話で実にうれしい限り。
忍耐の忍は当世の日本人が忘れかけている資質の一つだ。
その大切を2週続けて思わせてくれた栃東と越本に喝采。
100000ヒットの日にふさわしい。
長い我慢の末の栄冠、けがに泣かされたこと、父子鷹であることなど、二人はそっくりでもある
栃東と玉ノ井親方のように、越本の父英武さんはジムの会長。
タイトルマッチのセコンドも務めた。
負ければ引退、背水の陣。
父子の二人三脚でつかんだこれこそ真のチャンピオンベルト
忍耐を続ける人々を励ましてくれるお話である。
宮崎最大規模の200KWプラス90KW=290KWの太陽光発電所が苦境にある
わが社のエースが今日より動き出しづめんも作図してくれた。
期間もなく難題が横たわり、工事費がない中での苦難は続くが
やり遂げるしかない。
ひたすら忍の一字。
太陽の恵みにすがるのみ。
訪れていただいた皆様!
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一日200ヒットだから午前中達成しよう。
キリバン・ゲットのお目出度い方是非ご連絡ください。
かってトップからの妨害や元請さんからの中止命令もあったりで
一時期せきやんを裏返し、きやんせで続けたこともあった。
そのときは中也さんの励ましをいただいた、
多くの人の励ましで乗り越えてきた。
昨日はアップロードせず貴重なる時間を悩んだ。
そんなこともあったりで5年間の苦闘ゆえ感激ひとしおである。
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師匠からメールをいただいていた。
> 皆様へ
>
> 宮崎の青木です。久しぶりに綾情報です。
> 昨日、綾町で綾の照葉樹林の保護・復元プロジェクト発足の
> 記念講演が開催され、約700人の人が講師の筑紫哲也氏の
> 「多事争論〜綾の照葉樹林をめぐって」の話に聞き入りまし
> た。
綾の照葉樹林とブナ林で世界遺産になっている白神山地
> を比較し、照葉樹林も将来の世界遺産になる価値があると高
> く評価。その上で以前から取り組んできた九電の揚水発電へ
> の送電鉄塔問題にも触れ、明らかにマイナス条件になるとし
> ましたが、現在官民で進められようとしている緑の回廊を広
> げていけば、鉄塔の持つ意味は相対的に下がってくるとしま
> した。>
> 今日2月6日のニュース23「多事争論」は綾の森からの拡
> 大版です。(見てね!)
> 他の方たちにもお知らせください。
書き忘れていたことがある。
熟年世代の眼を熱くしてくれたこと。
35歳越本が夢の世界王者 になったのである。
WBC世界フェザー級タイトルマッチは29日福岡市・九電記念体育館で開催。
日本人史上最年長の35歳24日の世界王者が誕生した。
世界フェザー級5位の越本隆志(35=Fukuoka)が、王者の池仁珍(32=韓国)を2−1の判定で破り、2度目の世界挑戦で王座奪取に成功した。
元世界スーパーウエルター級王者の輪島功一の持つ32歳9カ月の日本人最年長世界王者奪取記録を大幅更新。
フェザー級での世界王者誕生は柴田国明以来36年ぶり。
と記録ずくめ。
年齢と右肩の故障を乗り越えて医者の止めるのを乗り越えての快挙とおまけもつく。
柴田は72年5月に敗れるまで2度防衛した。
次もやってほしい。
父英武会長(62)との父子鷹での世界タイトル獲得も国内初の快挙。
「今日の舞台を夢見て、気持ちだけで突っ走ってきました。
親父(英武会長)に見せてあげられてうれしい。親父ありがとう」。
腰にチャンピオンベルトを巻いた越本は、両手を突き上げて観客に父との二人三脚で夢つかむ と新聞記事が踊っている。
リング上で歓喜の涙にくれる息子の姿を見て、笑いながら泣いた。越本英武会長(62)が父親の顔になった。
30年以上に及ぶ2人だけの苦難の日々がよみがえる。
「小さいころのことを思い出すと…。本当にうれしい」。絞り出すような声で言った。
輪島功一のことを新聞記事から拾うとこうである。
雑貨屋の同級生が売り物のようかんを見せびらかし、
「玉ネギを生で1個食べたら、やるよ」と言った
終戦の数年後、甘い物が貴重だったころで私にも黒砂糖をはじめ甘美品の記憶は数々ある。
「よし」、鼻をつまんで玉ネギにかじりつき、汁に涙を流しながら無我夢中で食べた。もらったようかんの、ひりひりする舌に染み通る甘さはいまも忘れないという
土木現場で働きながらジムに通いはじめたのは24歳だった。
32歳9か月でWBAジュニアミドル級の世界王者になる。
玉ネギとようかんは遅咲きの人が味わった人生の辛酸と甘美、そのものであったろう
「記録は破られるもの。勇気を与えてくれる勝利だ」。感慨深げに輪島さんは苦労人を称(たた)えた
ボクシングに限らず、スポーツに限らず、胸をよぎる絶望を追い払い、焦燥を追い払いして、玉ネギにかじりついている人がどこかにいるだろう。遅咲きの蕾に幸あれ。
その先週は栃東の忍の一字の制覇の話で実にうれしい限り。
忍耐の忍は当世の日本人が忘れかけている資質の一つだ。
その大切を2週続けて思わせてくれた栃東と越本に喝采。
100000ヒットの日にふさわしい。
長い我慢の末の栄冠、けがに泣かされたこと、父子鷹であることなど、二人はそっくりでもある
栃東と玉ノ井親方のように、越本の父英武さんはジムの会長。
タイトルマッチのセコンドも務めた。
負ければ引退、背水の陣。
父子の二人三脚でつかんだこれこそ真のチャンピオンベルト
忍耐を続ける人々を励ましてくれるお話である。
宮崎最大規模の200KWプラス90KW=290KWの太陽光発電所が苦境にある
わが社のエースが今日より動き出しづめんも作図してくれた。
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新事実!
2006年2月7日100000ヒットおめでとう故、深夜2時30分自宅にご帰還後、不眠不休で書いたブログがアップ・ロードしてない。
支援していただいた方々への感謝の言葉。消えて・・・ない。
前オーナーや元請さんからの日記中止は「せきやん」を「きやんせ」で変ネーム日記でかきつづけた。中也さんなどからの声援は有難かった。
大阪の方が記念の100000ヒット。
曰因縁は、わが宮崎西都の出身の中馬大阪市長の大阪である。
二代目子息は現在閣僚をしておられる中馬大臣。
いくつかのエピソードを意気込んで書いたが今書こうにもかけない。
確かに一度アップロードを見てから、書き加え修正をしてる際に消えた!
5時間の作業が不意になり、失意で意気消沈。
完全徹夜あとに仕事に望まねばならぬハメに。
これ以上のドジはない。記憶を読み戻し書いている。
当日は協議と現場のすみ出しを同時並行で進めながらの八面六臂の行動で実に大変な昼間のスケジュール。
慌ただしく変更された処置に対応するため部材を求め携帯は休みを知らない。
終了後、県南から18時に都城に向かい学校玄関シャッターを補修の終了は20時30分。
太陽光発電のお客様に営業。
大方説明を終えご了解をいただく。
そのご深夜2時まで永遠の時間。これが凄い!
この地に似使わないことが起こる。
100000ヒットのお祝いか。
丸山応挙(1733〜1795)なのである。さらに田所三つぐ・・・
焼きものなら鑑定できても絵画、書の真眼力に難ありの私だが
国宝級に背筋が寒い。いわゆる武者震い。畏怖の心根。
1733年(享保18年) 京都近郊の丹波穴太(あのう)村、現在の京都府亀山市外の農家に生まれる。
初名は、岩次郎、通称は主水(もんど)、字は仲選。
それが眼前にある。
逸話に欠かない応挙。
京都市上京区寺の内通り大宮東入る妙蓮寺前町875番地
妙蓮寺
幕末主客転倒で歴史を10年遅らせた長州が逆賊で薩摩に変わる蛤御門の変
その御所に近いため戦いの刀痕の残る1294年創建の妙蓮寺
庫裏の欅柱 玄関前の柱 元治元年(1864)7月頃。
境内宝物殿には、長谷川等泊一派の襖絵「松桜之図」、狩野探幽の「寒山拾得之図」そしてそして「丸山応挙之図」が保管されてハズである。
東京の谷中にある全生庵。落語ファンにはなじみのお寺さん。
ここの幽霊画はつとに有名。
幽霊のはしり、足のないかたちの原型とされる。
「古画の怪」とは、器物百年を経れば妖怪になると言われる通
り、年を経た掛け軸が妖怪変化したもの。まさにそれ。
作・応挙とされる。
関羽や竹林の七賢人などを描いたのを、何か応挙の大作の如く思惟して居る御仁らに告ぐ。
苟も丸山派即ち写生派の元祖として、古人のせぬ新流派を創設せる大家として見るからには斯くの如き画は何の価値も無いのである。
応挙は現代に繋いだ絵画の祖である。
文晁の山水画、渡邊華山、広重及北斎の浮世絵も応挙なくしてない。さすればゴッホもないではないか。
鎖国で途絶えた西洋画にいち早く注目し元来狩野派の絵を学んだ素養で、且つ支那画を取得した跡ゆえ異彩を放った。
応挙門下がその後二派に分かれて発展していく祖である。
応挙の門人中には何れかと云へば全然源から遠ざつて居る人が多い。
蘆雪や源などは共に源から遠ざかつた方で、南岳や祖仙などは其の後者に属する輩である。呉春や文鳳などは運筆に力を用ゐ過ぎて、稍々先生の主義に遠ざかつた、景文は余程写生に力を入れた
全国にも見れる応挙を追ってみる。
輪島市を過ぎると、いよいよ、南惣家後の美術館。奥能登の地。
俵屋宗達(百花百態の図など)・谷文晁(布袋・鶴亀図、三幅)・丸山応挙(猛虎之図)など、美術の教科書に掲載されているとか、テレビ番組「なんでも鑑定団」などで、話題に挙げられている作家名を見つける度に、感動の声があがるハズだ。
岡山・児島半島の中央部にある由加山。
池田綱政藩主を応接する客殿。
それぞれの襖や貼付壁には丸山応挙(1733〜95)の筆と伝えられる竹鶏図や須賀蘭林斎(1806年没)が晩年に手がけた楼閣山水図などが配置さる応挙ワールド。
亀居山大乗寺は応挙寺とも呼ばれ、天平17年(745年)行基により開かれました。客殿十三室には、丸山 応挙とその一門が筆により描いた障壁画、百六十五面がありすべて国の重要文化財。
京都三大祭りは、葵祭、祇園祭、時代祭。
7月1日から一ヶ月間、祇園祭りのメインは、16日の宵山と、17日の山鉾巡行。
四条通り、烏丸通りの周辺は、歩行者天国になり、宵山を迎えた32基の山や鉾には、提灯が飾られ、コンチキチンと祇園囃子の音が、響く。
17日、「長刀鉾」
丸山応挙の絵。左甚五郎の作と言われる鯉山。
安土桃山時代からのペルシャやインドの絨毯など、
まさに動く美術館。
この地のこの方宅もお宝の山。
100000ヒットのお祝いのいい目の保養になった。
書いたものとはマルで違うものとなった。
記憶ほどあてにならないものはない。
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前オーナーや元請さんからの日記中止は「せきやん」を「きやんせ」で変ネーム日記でかきつづけた。中也さんなどからの声援は有難かった。
大阪の方が記念の100000ヒット。
曰因縁は、わが宮崎西都の出身の中馬大阪市長の大阪である。
二代目子息は現在閣僚をしておられる中馬大臣。
いくつかのエピソードを意気込んで書いたが今書こうにもかけない。
確かに一度アップロードを見てから、書き加え修正をしてる際に消えた!
5時間の作業が不意になり、失意で意気消沈。
完全徹夜あとに仕事に望まねばならぬハメに。
これ以上のドジはない。記憶を読み戻し書いている。
当日は協議と現場のすみ出しを同時並行で進めながらの八面六臂の行動で実に大変な昼間のスケジュール。
慌ただしく変更された処置に対応するため部材を求め携帯は休みを知らない。
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この地に似使わないことが起こる。
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丸山応挙(1733〜1795)なのである。さらに田所三つぐ・・・
焼きものなら鑑定できても絵画、書の真眼力に難ありの私だが
国宝級に背筋が寒い。いわゆる武者震い。畏怖の心根。
1733年(享保18年) 京都近郊の丹波穴太(あのう)村、現在の京都府亀山市外の農家に生まれる。
初名は、岩次郎、通称は主水(もんど)、字は仲選。
それが眼前にある。
逸話に欠かない応挙。
京都市上京区寺の内通り大宮東入る妙蓮寺前町875番地
妙蓮寺
幕末主客転倒で歴史を10年遅らせた長州が逆賊で薩摩に変わる蛤御門の変
その御所に近いため戦いの刀痕の残る1294年創建の妙蓮寺
庫裏の欅柱 玄関前の柱 元治元年(1864)7月頃。
境内宝物殿には、長谷川等泊一派の襖絵「松桜之図」、狩野探幽の「寒山拾得之図」そしてそして「丸山応挙之図」が保管されてハズである。
東京の谷中にある全生庵。落語ファンにはなじみのお寺さん。
ここの幽霊画はつとに有名。
幽霊のはしり、足のないかたちの原型とされる。
「古画の怪」とは、器物百年を経れば妖怪になると言われる通
り、年を経た掛け軸が妖怪変化したもの。まさにそれ。
作・応挙とされる。
関羽や竹林の七賢人などを描いたのを、何か応挙の大作の如く思惟して居る御仁らに告ぐ。
苟も丸山派即ち写生派の元祖として、古人のせぬ新流派を創設せる大家として見るからには斯くの如き画は何の価値も無いのである。
応挙は現代に繋いだ絵画の祖である。
文晁の山水画、渡邊華山、広重及北斎の浮世絵も応挙なくしてない。さすればゴッホもないではないか。
鎖国で途絶えた西洋画にいち早く注目し元来狩野派の絵を学んだ素養で、且つ支那画を取得した跡ゆえ異彩を放った。
応挙門下がその後二派に分かれて発展していく祖である。
応挙の門人中には何れかと云へば全然源から遠ざつて居る人が多い。
蘆雪や源などは共に源から遠ざかつた方で、南岳や祖仙などは其の後者に属する輩である。呉春や文鳳などは運筆に力を用ゐ過ぎて、稍々先生の主義に遠ざかつた、景文は余程写生に力を入れた
全国にも見れる応挙を追ってみる。
輪島市を過ぎると、いよいよ、南惣家後の美術館。奥能登の地。
俵屋宗達(百花百態の図など)・谷文晁(布袋・鶴亀図、三幅)・丸山応挙(猛虎之図)など、美術の教科書に掲載されているとか、テレビ番組「なんでも鑑定団」などで、話題に挙げられている作家名を見つける度に、感動の声があがるハズだ。
岡山・児島半島の中央部にある由加山。
池田綱政藩主を応接する客殿。
それぞれの襖や貼付壁には丸山応挙(1733〜95)の筆と伝えられる竹鶏図や須賀蘭林斎(1806年没)が晩年に手がけた楼閣山水図などが配置さる応挙ワールド。
亀居山大乗寺は応挙寺とも呼ばれ、天平17年(745年)行基により開かれました。客殿十三室には、丸山 応挙とその一門が筆により描いた障壁画、百六十五面がありすべて国の重要文化財。
京都三大祭りは、葵祭、祇園祭、時代祭。
7月1日から一ヶ月間、祇園祭りのメインは、16日の宵山と、17日の山鉾巡行。
四条通り、烏丸通りの周辺は、歩行者天国になり、宵山を迎えた32基の山や鉾には、提灯が飾られ、コンチキチンと祇園囃子の音が、響く。
17日、「長刀鉾」
丸山応挙の絵。左甚五郎の作と言われる鯉山。
安土桃山時代からのペルシャやインドの絨毯など、
まさに動く美術館。
この地のこの方宅もお宝の山。
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コウノトリ
2006年2月8日額に汗して働くもののギネスの記録に「日本一の不眠男」があるとすればぜひ立候補したい。
何者かに憑かれてるがごとき異様なる睡眠時間。
地球環境負荷のない自然エネルギーの太陽光発電の普及に取り組んでる以上しょうがない。
国策のエネルギーの関しては総理時代の中曽根が決めた原子力がある。
そのさなか逆なでするような仕打ちのニュースが飛び込む。
玄海原発3号機のプルサーマル計画、佐賀県が同意へとある。
管轄外電力配給の九州電力の形振りかまわぬ姿勢がここにも現れたきた。
プルサーマル発電=軽水炉で燃やした使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、ウランとの混合酸化物に加工して作った燃料(MOX燃料)を軽水炉で再び燃やして発電する方式。
ちょっとまて!しばしまたれよ!
これまで東京電力の福島第1(福島県)と柏崎刈羽(新潟県)、関西電力の高浜(福井県)の各原発でも許可されたが、
トラブル隠しや事故の影響で実現のめどはたっていない。
そのさなかの今回のことである。
玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)3号機で計画するプルサーマル発電について、佐賀県は「安全性は確保されている」とする見解を公表。
玄海町は近く計画に事前了解(同意)するとみられ、県も同意する見通し。
国の核燃料サイクル政策の一翼を担うプルサーマルが同原発で実施されるのはほぼ確実な情勢で、実施されれば全国初となる。
九電は2010年度の実施を目指し、04年5月、佐賀県と玄海町に対し、安全協定に基づく「事前了解願」を提出するとともに、経済産業省にプルサーマル発電のために玄海原発3号機の原子炉設置変更許可を申請した。
国の審査では問題なしとされ、経産相は昨年9月に変更を許可。
焦点は県と同町が計画に同意するかどうかに移っていた。
同意の判断に当たって、佐賀県の古川康知事は
「安全性の確保を大前提に、玄海町の意向、県議会での議論などを総合的に勘案して判断する」と発言
。同知事は昨年10月、玄海町で開かれた国主催のシンポジウム後、「プルサーマルの必要性に一定の理解はした」と表明し、同12月、同県唐津市で開かれた県主催の公開討論会後には「安全性について理解が深まった印象」と語っていた。
一方、寺田司町長は12月、町議会の一般質問で必要性を初めて認め、安全性についても「国が審査して許可したことに何ら問題ないという話だった」と一定の理解を示していた。
佐賀県の玄海町の隣に呼子存在する。
佐賀県唐津市呼子町は30数年前の鉄道用地買収の記憶が蘇るところ。
田島神社は唐津から北上し、岬の先端、呼子の北にある加部島に鎮座。
港に面して、鳥居は海に向かってたっている。
田島神社の祭神は、宗像大社と同じ、三女神だ。
宗像大社辺津宮の鎮座地が「玄海町田島」(現宗像市田島)であり、そこからの勧請ゆえ田島とするという説がある。
新宮崎市になった佐土原にも田島神社があり、町内は大字田島が町内全体の多くを占めている。
田島といえば宮崎・佐土原に縁があるのか。
田島はこの地の豪族。
伊東/島津氏の支配の以前のこの地の支配者であった。
西の京都を目指した文化が豊富で面白い。
ところで田島神社と宗像大社の位置関係も興味深い。
古代九州王朝の存在を伊都国(前原周辺)に求める説があるが、
そこを中心に見ると、東の博多湾の東方に宗像大社、
西の唐津湾の西方に田島神社が鎮座。対象配置だ。
田島神社から船で北上すれば、壱岐がある。
半島・大陸への交通を考えるなら、
田島神社こそ「道主貴(みちぬしのむち)」にふさわしい。
この地に第134回芥川賞「沖で待つ」の受賞者の絲山(いとやま)秋子(39)が移り住む。
この人、同賞の賞金100万円の半分を海外で医療や災害・戦災の復興活動をしている団体に寄付する意向を明らかにした。
菊池寛が創設し、71年の歴史のある芥川賞だが、賞金の寄付はきわめて異例。主催する日本文学振興会は
「特に調べたわけではありませんが、寄付した例は思い当たらない」としている。
絲山さんは「以前から寄付に興味があった。原稿料以外のまとまったお金が入るので、いい機会のをだと思いました。残りの半分は自分のために使います」とさり気なく話してるので調べると。
やっぱり!江戸っ子であった。
宵越しの銭はもたねぇ〜の江戸っ子そのものの生き方論。
実に爽やか。
もっとも苦手なものにテレビ、虫はいいとしても江戸っ子らしき食い物たる納豆がダメは解せぬ。
江戸ファンを自称してる小生にしてみれば数十年かけ克服した納豆だけに、ダメを克服した意味を持たなくなるからでもある。
隠さぬ履歴も凄いの一言。
新宿高校、駿台予備校、早稲田大学卒業(経済学科/農業経済専攻)
メーカーに入社、営業として福岡、名古屋、高崎、大宮に赴任
間ではいいとして
1998 躁鬱病発症、4ヶ月休職、半年復職(途中転勤)、5ヶ月入院、2年休職、
1999 入院中に小説を書き始め
2000 退院、iBook購入、HP開設
2001 会社退職、東京の実家に戻る
2002 蒲田で一人暮らしをはじめる
2003 第96回文學界新人賞受賞「イッツ・オンリー・トーク」(第129回芥川賞候補)
「第七障害」「袋小路の男」「海の仙人」(第130回芥川賞 候補)
2004 単行本「イッツ・オンリー・トーク」「スモールトーク(連載)」「勤労感謝の日」
第30回川端康成文学賞受賞「袋小路の男」
「小田切孝の言い分」「ベル・エポック」
影響を受けた作家、石川淳、ヘンリー・ミラーはいいとして
ル・クレジオを私はしらない。
ペンネームの「絲山秋子」の由来について。
絲山は、弁護士絲山貞規より拝借。
絲(もろいと)は長男一族が使う文字。
絲山貞規の父が田島神社の神主、貞幹
さて、苦しき時の神頼みではなかろうが、先日コウノトリのことを書いた。
あの新春の歌会始のお題「笑み」で秋篠宮さまご夫妻のお歌が、そろって「こふのとり」であったことを紹介した。
この時のほほえみは示唆的である。
胎児は超音波検査から妊娠六週だという。
この時期の胎児の大きさは数ミリで、梅が咲きにおう二週間後には安定してくる。
ご懐妊で皇室典範の改正論議も一変した。
「今国会で成立」といっていた小泉首相も、当然ながら軌道
を修正している。
皇室の危機を救える救世主にもなったコウノトリ。
この二日の寒いこと。このことで一変春遠からじ。
「こふのとり」は「暖かい日を運んでくる」との言い伝えがある。
寒い日が三日続いても、次に暖かい日が続く三寒四温。
晴れ上がった空の色は、皇太子妃雅子さまがお好きな色でもある。
宮崎に一番似合う景色の色でもある。
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地球環境負荷のない自然エネルギーの太陽光発電の普及に取り組んでる以上しょうがない。
国策のエネルギーの関しては総理時代の中曽根が決めた原子力がある。
そのさなか逆なでするような仕打ちのニュースが飛び込む。
玄海原発3号機のプルサーマル計画、佐賀県が同意へとある。
管轄外電力配給の九州電力の形振りかまわぬ姿勢がここにも現れたきた。
プルサーマル発電=軽水炉で燃やした使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、ウランとの混合酸化物に加工して作った燃料(MOX燃料)を軽水炉で再び燃やして発電する方式。
ちょっとまて!しばしまたれよ!
これまで東京電力の福島第1(福島県)と柏崎刈羽(新潟県)、関西電力の高浜(福井県)の各原発でも許可されたが、
トラブル隠しや事故の影響で実現のめどはたっていない。
そのさなかの今回のことである。
玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)3号機で計画するプルサーマル発電について、佐賀県は「安全性は確保されている」とする見解を公表。
玄海町は近く計画に事前了解(同意)するとみられ、県も同意する見通し。
国の核燃料サイクル政策の一翼を担うプルサーマルが同原発で実施されるのはほぼ確実な情勢で、実施されれば全国初となる。
九電は2010年度の実施を目指し、04年5月、佐賀県と玄海町に対し、安全協定に基づく「事前了解願」を提出するとともに、経済産業省にプルサーマル発電のために玄海原発3号機の原子炉設置変更許可を申請した。
国の審査では問題なしとされ、経産相は昨年9月に変更を許可。
焦点は県と同町が計画に同意するかどうかに移っていた。
同意の判断に当たって、佐賀県の古川康知事は
「安全性の確保を大前提に、玄海町の意向、県議会での議論などを総合的に勘案して判断する」と発言
。同知事は昨年10月、玄海町で開かれた国主催のシンポジウム後、「プルサーマルの必要性に一定の理解はした」と表明し、同12月、同県唐津市で開かれた県主催の公開討論会後には「安全性について理解が深まった印象」と語っていた。
一方、寺田司町長は12月、町議会の一般質問で必要性を初めて認め、安全性についても「国が審査して許可したことに何ら問題ないという話だった」と一定の理解を示していた。
佐賀県の玄海町の隣に呼子存在する。
佐賀県唐津市呼子町は30数年前の鉄道用地買収の記憶が蘇るところ。
田島神社は唐津から北上し、岬の先端、呼子の北にある加部島に鎮座。
港に面して、鳥居は海に向かってたっている。
田島神社の祭神は、宗像大社と同じ、三女神だ。
宗像大社辺津宮の鎮座地が「玄海町田島」(現宗像市田島)であり、そこからの勧請ゆえ田島とするという説がある。
新宮崎市になった佐土原にも田島神社があり、町内は大字田島が町内全体の多くを占めている。
田島といえば宮崎・佐土原に縁があるのか。
田島はこの地の豪族。
伊東/島津氏の支配の以前のこの地の支配者であった。
西の京都を目指した文化が豊富で面白い。
ところで田島神社と宗像大社の位置関係も興味深い。
古代九州王朝の存在を伊都国(前原周辺)に求める説があるが、
そこを中心に見ると、東の博多湾の東方に宗像大社、
西の唐津湾の西方に田島神社が鎮座。対象配置だ。
田島神社から船で北上すれば、壱岐がある。
半島・大陸への交通を考えるなら、
田島神社こそ「道主貴(みちぬしのむち)」にふさわしい。
この地に第134回芥川賞「沖で待つ」の受賞者の絲山(いとやま)秋子(39)が移り住む。
この人、同賞の賞金100万円の半分を海外で医療や災害・戦災の復興活動をしている団体に寄付する意向を明らかにした。
菊池寛が創設し、71年の歴史のある芥川賞だが、賞金の寄付はきわめて異例。主催する日本文学振興会は
「特に調べたわけではありませんが、寄付した例は思い当たらない」としている。
絲山さんは「以前から寄付に興味があった。原稿料以外のまとまったお金が入るので、いい機会のをだと思いました。残りの半分は自分のために使います」とさり気なく話してるので調べると。
やっぱり!江戸っ子であった。
宵越しの銭はもたねぇ〜の江戸っ子そのものの生き方論。
実に爽やか。
もっとも苦手なものにテレビ、虫はいいとしても江戸っ子らしき食い物たる納豆がダメは解せぬ。
江戸ファンを自称してる小生にしてみれば数十年かけ克服した納豆だけに、ダメを克服した意味を持たなくなるからでもある。
隠さぬ履歴も凄いの一言。
新宿高校、駿台予備校、早稲田大学卒業(経済学科/農業経済専攻)
メーカーに入社、営業として福岡、名古屋、高崎、大宮に赴任
間ではいいとして
1998 躁鬱病発症、4ヶ月休職、半年復職(途中転勤)、5ヶ月入院、2年休職、
1999 入院中に小説を書き始め
2000 退院、iBook購入、HP開設
2001 会社退職、東京の実家に戻る
2002 蒲田で一人暮らしをはじめる
2003 第96回文學界新人賞受賞「イッツ・オンリー・トーク」(第129回芥川賞候補)
「第七障害」「袋小路の男」「海の仙人」(第130回芥川賞 候補)
2004 単行本「イッツ・オンリー・トーク」「スモールトーク(連載)」「勤労感謝の日」
第30回川端康成文学賞受賞「袋小路の男」
「小田切孝の言い分」「ベル・エポック」
影響を受けた作家、石川淳、ヘンリー・ミラーはいいとして
ル・クレジオを私はしらない。
ペンネームの「絲山秋子」の由来について。
絲山は、弁護士絲山貞規より拝借。
絲(もろいと)は長男一族が使う文字。
絲山貞規の父が田島神社の神主、貞幹
さて、苦しき時の神頼みではなかろうが、先日コウノトリのことを書いた。
あの新春の歌会始のお題「笑み」で秋篠宮さまご夫妻のお歌が、そろって「こふのとり」であったことを紹介した。
この時のほほえみは示唆的である。
胎児は超音波検査から妊娠六週だという。
この時期の胎児の大きさは数ミリで、梅が咲きにおう二週間後には安定してくる。
ご懐妊で皇室典範の改正論議も一変した。
「今国会で成立」といっていた小泉首相も、当然ながら軌道
を修正している。
皇室の危機を救える救世主にもなったコウノトリ。
この二日の寒いこと。このことで一変春遠からじ。
「こふのとり」は「暖かい日を運んでくる」との言い伝えがある。
寒い日が三日続いても、次に暖かい日が続く三寒四温。
晴れ上がった空の色は、皇太子妃雅子さまがお好きな色でもある。
宮崎に一番似合う景色の色でもある。
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宮崎ゆえのことである。
夜22時に現場から上がってくるサムライ6名。
明日は7時に出発。
どうなってることやら太陽光発電工事の世界。
同じ現場の防水工事の方から期限をきられてるためこの寒さの中のガンバリ工事。
地球温暖化防止対策のひとつで環境負荷の無い電源として その有効性
が認められている太陽光発電への支援策として国は、12年前から一
般住宅向けに設置時の初期投資費用についてNEF(新エネルギー財
団)を通して補助金をだしその普及を図ってきた。
そして、当初1KWあたりの初期投資費用が1Kwあたり180万円
であったものが60万円まで下がったことから当初の目的は果たした
としその事業を終了させた。
※価格の低下にもっとも大きな貢献をしたのは機器のうちパワーコン
ディショナーと言われる系統連携様の装置で当初価格250万円〜
280万円のものが20万円〜30万円に10分の1に下がったこ
とがもっとも大きい。これは量産効果によるものである。
基幹部品の太陽電池そのものは、当初Wあたり600円といわれて
いたが、現在は350円ほどである。
一方、大規模な産業用に関してはも1Kwあたりの価格が若干高めに
推移した。これはNEDO(新エネルギー開発機構)の要求するスペッ
クが若干高くさらに書類の申請などに家庭用よりも煩雑な手続きが必
要であったのと予算の関係上、実施件数が少なく量産効果が働かなかっ
たためである。
対応策として、国では十分な効果を挙げていないとして昨年度は90
億円程度の予算を組んで市場を維持しているが、その設置設備容量は
2万6000Kwに過ぎない。一方の家庭用で23億円で30万KW
ほどが設置されているので税金として支出された資金の対費用効果を
見れば明らかに無駄な使い方が成されたと言える。
この予算は、平成18年度(つまり来年)まで支出される。ちなみに
17年度の予算は約50億円である。KWあたりの単価が例え50万
円に下がったとしても、この予算で設置可能な設備容量は2万500
0Kwにしかならない。
しかも、この設置者は企業の場合は本来納めるべき税金から特別控除
ということで企業側が負担した金額の90%までを納めないで済ませ
る特例措置を政府が決めている。つまり、額面上1000万円の機器
を50万円で手に入れることが出来るという事になっている。さらに
談合などで裏取引をするならこの50万円を業者からキックバックさ
せて無料同然、むしろ、持参金つきで1000万円の太陽光発電設備
を手に入れられるのだ。Kw60万円で1000万円の予算なら16
Kwのシステムである。
これは12年前にはじめられた個人住宅向け太陽光発電の補助事業で
この3分の1の5Kwシステムで450万円もの負担をして、資金回
収にあと35年もかかる個人と比べるとほとんど国が貧乏人から金持
ちへの資金の流れを作ったとしか思えないひどひどい制度だと言える。
勿論、NPO。NGOの方々にはそういう特権は無い。環境によくな
い事業をして儲けている企業だけがそうした恩恵に与かれるのだ。
公金という社会を維持するために必要な経費をこの社会での強者であ
る営利企業に流す仕組みなのだ。個人を犠牲にし・・・。てこうした
公平性に欠く資金の流れを恣意的に作った官僚の責任は問われるべき
だと思う。
この予算をを家庭用に度年度と同じスキームで(勿論、これは設置者
への支援としては少なすぎるのだが)使われるなら11万5000K
wの設備を導入できた計算になる。実質5倍の設備容量を確保できた
だろう。まことにお粗末な金の使い方である。
ま、いずれにしてもこうした不公平と不公正を助長するような制度は
やめてさっさと実質的な効果を上げるドイツ型の固定価格買い取り制
度に変更することを強く求めるものである。
では、以下にその固定価格買い取り支援制度(FIT)、所謂、アー
ヘンモデルについてのメリットを述べておく。
※アーヘン・モデルとはドイツのアーヘン市で試行され、現在はドイツ
の自然エネルギー推進法の根幹をなす考え方=FIT・固定価格買い
取り支援制度のことである。
これは年度毎に決まる発電原価を一定期
間、保障することで、その事業者が経済的なデメリットを受けない様
にする経済的な支援方式である。
>
> 固定価格買い取り制度(FIT)のメリット
>
> 1.資本投下に対してのリターンが保証されており、社会の投資資金が出てくる
電源への資金投資は長期に亘っての資金の固定化が必要である。その
為、かつては国家戦略として日本では電力企業に総括原価方式という
必ずその投入資金の回収が保障される制度を認めていた。お金という
ものがより増えることを前提に動くのものである。よって社会の資金
をその事業へ呼び込むため子制度は実に合理的である。
> 1.補助金制度の様に面倒な申請が不要
設置時補助金の場合は、一度、社会から集めた資金を分配するために、
公的に公正さが保障されねばならない。日本には一応、補助金適正下
方というものがあるので・・・。その適正度を保障するために一応、
中立的であるとされる政府にその仕事が委ねられている。そして、そ
れが誰の目から見ても公正であるかを検討できるように書類が山のよ
うに必要になる。
ただその実効性に関しては企業ぐるみで不正を働いたサンヨーをはじ
め各メーカーが上乗せして請求し販促費に使ったり、キックバックの
資金としたりしたことはすでに報道され明らかである。
また、実際にかかる経費の面から見ても申請された書類を審査する費
用が発生するだけで無く申請書類を書く側にも費用が発生する。具体
的な例を挙げるならKw支援なので、一枚一枚の太陽電池のスペック
を書いて申請せねばならないが、実際はそれは意味を持たない。何故
ならそれは目的は電力の生産であり、太陽電池を購入する事ではない
からだ。
固定価格買買い取り制度の場合は個別の案件に対しての支援ではなく、
総発電量成果(Kwh)に対しての支援であるので、その要件さえ決
めていれば個別に審査する必要性は系統への技術的な要件だけなので、
そのための費用は低く抑えられる。
※実際、設置時補助金でKwあたり2万円支援は、個別に受給する金
額は多くてもせいぜい10万円で、これは当たり前に設置者が合い
見積もりを取るなどマーケットメカニズムが働くように行動すれば
安くなる金額 以下であったし、むしろ、そのほうが無駄な人件費を
使うことは無かったと言える。
> 1.機器の購入にマーケットメカニズムが働く
既存の電力事業では、地域独占状態にあったために、発電設備の費用
が高止まりする原因を作っってしまった。 つまり、費用がすべて消費
者に転嫁出来たため、むしろその費用が高いもののを購入して企業の
利益を確保することになった。
が、自然エネルギー事業の場合は、先にも述べたが設備の購入者が複
数であり、設備の供給者も複数となるので談合が無い限りマーケット
メカニズムは働く。市場への参加者が多くなり、市場規模が大きくな
り、そこに確実な市場があるとなればば供給者も増える。
但し、個別発電事業者の発電原価を保証するものではそのメカニズム
は働きにくいので、発電原価の決定に際しては、サンプリング調査を
してその年度の平均発電原価を決定する。これによって、設備購入者
はそれぞれ発電量のもっとも多いものなど対費用効果の大きなものを
購入し、発電事業によって個人のリターンを最大にするために当然、
あい見積もりをとるなどの購入行動を行うので、その発電原価を適正
に決定することは可能である。先に次の期間の価格を具体的にアナウ
ンスする必要性は無い。むしろ、それは市場を混乱させることになる。
太陽光発電事業では発電原価は機器の設置時購入価格で決まることは
既知の事実である。にも関わらず、現在、日本で施行されている新エ
ネルギー促進法では機器の量産化による価格の低下を考慮せずに環境
価値分(発電原価回収への補填費用となるが)をマーケットに委ねる
としている。
これでは、先行設置による経済的なメリットはない。むしろ資金を温
存し、価格が下がった時点で設備投資を行う方が合理的な行動だとさ
れてしまう。その為、自然エネルギー事業への投資は逆に阻害される。
> 1.発電量を根拠にCO2削減の具体的成果が把握できる
去年発効した京都議定書により、CO2削減量の具体的な数値で表さ
れる成果達成が必要となった。だが、これまでの行われた設置時設備
購入補助金(KW支援制度)でわかるのは機器の設備容量であり、具
体的なCO2削減量は推定で試算するしかなくカウントできない欠陥
を持つ。
また、成果を評価するとされている証書取り引きをメインとする新エ
ネルギー特措法でも、電力企業へ販売した分だけを評価対象としてお
り、自家消費分がカウントできない致命的な欠陥をもつ。
私たちが求めている総発電量評価(KWH支援制度)では、すべての
派生電力を支援の対象とするべきだと考えている。それは具体的にC
O2削減量に換算することが可能で、この点がKwh支援のもっとも
優れた点だと考えられる。
> 1.地域経済への長期的な貢献が図れる
現在の電力供給は巨大な電力企業から一方的に電力が供給される。が、
それは決して無料ではなく、電力料金として地域外へと富=資金の流
失を生んでいる。
具体的に例を挙げるなら、日本全体の1%経済といわれる宮崎県で、
最低でも1300億円が電力料金として県外企業の九州電力に支払わ
れている。
一方、自然エネルギー変換装置である太陽光発電などに地域内から資
金が投資されれば、その資金への配当は地域内に支払われる、地域内
で資金が循環することで地域社会を豊かにできる 。
但し、現状のようにその買い取り価格が一方的に電力企業によって決
定される不適正価格の下では電力料金を上げられたのを同じとなるの
で、それが適正に形成される仕組みも必要である。
> 1.系統全体での負荷平準化効果が大きい
電力供給においては、電力の貯蔵できないという特性から需要と供給
が常に対応している必要がある。(その点では生鮮野菜や鮮魚よりも
腐りやすい? 特殊な財である)その為、電力企業は供給義務を負う
代わりに地域独占を許され、需要に応じるために最大需要に合せて供
給設備を持つこととされてきていた。
※電力品質は一般的には100Vで60ヘルツか50ヘルツとしか知
られていないが、実際は101ボルト±6ボルトの範囲内で変動す
る様に決められているが、実際にはこれを外れることもしばしば起
きている。
ただ、日本の様な夏が異常に暑く冬が寒い地域では電力は夏場にはエ
アコン需要のためにピークが高くなる。それも社会の経済活動が大き
な昼間に出てくる。この時期の為に用意されねばならない発電設備は
ピーク対応電源として稼動時間的が短いために設備の利用効率が悪く
結果として発電原価が高くなる。
※電力の自由化の中で、コストを下げたい既存電力企業から出されて
いるこの時期の一応の発電原価をあらわしている指標がある。それ
はオール電化契約の夏季料金で33円/Kwhほどとなっている。
(が、本当はもっと高いかもしれない)
ここには自然エネルギーのうち太陽光発電が適応する。故に太陽光発
電は社会全体から見ればこのピーク対応電源としての価値が認められ
るべきである。しかし、その価格での買い取りは電力企業は行ってい
ない。
※これは電力企業の圧倒的地位の乱用であり独占禁止法に触れる違法
な行為である。(実際に、電力企業関係者からもそうした意見が出
てきている)
また、需要地に近い場所で供給されるために送電費用が圧縮され、送
配電系統自体への負荷が軽減され、機器の劣化を防ぎコスト削減に
繋がっている。
※これらは発電・送電・配電を一体不可分で行う方が合理的であると
主張する既存の巨大電力企業によって秘密にされている。
> 1.必要な社会的負担が公平になる
この支援の資金の原資が電力料金に付加されるならば、全電力の使用
者に公平に負担されることになる。CO2非排出の点から見るならば
化石燃料にかける税金からの支出も考えられるが、電力という財にか
ける方が妥当性は高い。既に日本では電源開発促進税というものが掛
けられているのでこれを充当するのが妥当である。
> 1.誰もがその恩恵に与かれる(差別的でない)
自然エネルギー発電設備に資金を投入するものは正当なリターンを受
け取る。一方、その電力を受け取る人々は環境負荷の無い電力を使う
ことが出来るようになる。
>
> デメリットは
>
> 1.官僚の采配権が無くなる
単年度予算というものでどうコントロールするかそれが彼らの権力の
源泉である。
> 1.見かけ上、予算が長期に縛られる高くつく
かかる費用は見かけ上たたくつくが、社会全体で負担する総費用は安
くつくだろうし、効率的に資金は使われるようになる。こうした制度
設計こそが必要だ。その為にも情報は公開されねばならない。
> 1.電力企業は金儲けの手段にならない
既存の電力企業は化石燃料資源を電力に変換、その対価として電力料
金を得ているが、この電力の大部分は非再生性の枯渇資源である。そ
もそもそうした資源を使うことは反社会的な行為であり、未来の人た
ちにとっては迷惑な企業である。
こうした独占企業にとって分散型の個人所有の電源が系統に繋がるこ
とは実に迷惑なのだ。 それに、官僚や政治家と談合して過去に導入
してしまった原子力という不良資産を錬金術として維持するためには、
何としても、主導権を自然エネルギー推進派などに渡すわけにはいか
ないと考えている。
しかし、社会の未来を考えるなら、こうした一極集中型のシステムが
動く限り、テロへの防衛や事故の可能性、さらにはその保安上の理由
から社会は実に抑圧的な監視社会としなければならなくなる。
これでは本末転倒である。道具に支配され自由を失うことになってし
まう。奴隷状態である。それで良いのかどうなのか・・・・。
本来の企業の仕事とは営利が目的では有るものの、社会的に必要とさ
れ、且つ、未来に資するものでなくては事業とは言えまい。
> 1.誰もが出来るので自分だけいいカッコ(差別化)出来ない
最近ではこれがもっとも問題となっている。他の者たちよりも優れて
いることを言いたいが為に、誰もがやれる仕組みに変える事をあえて
望まないものも多い。
先行設置者のお陰で!安くなったものをさらに補助金をもらって自分
たちの収益性を上げることだけを目的とする輩がやたら幅を利かせる
ようになってしまった。それを恥ずかしいことだという事すら感じて
いないのである。
> 1.嘘をついて補助金詐欺が出来なくなる
設置時補助金ならいくらでも出来る。簡単なことだ、談合して、裏領
収書を発行すれば出来る。成果評価の出来ないものは簡単に出来るが、
成果評価ならそう簡単に出来はしない。
> 1.原発推進の為に金が使えなくなる
政府の役人はそれが一番嫌らしい。だって利権構造そのものだもの。
業界、中央政府官僚、政治家の諸氏の錬金術の道具なんだから・・・。
> 1.電力の民主化が起きてしまうので困る
独占企業の、誰もが出来ないことだから利権を生む仕組みなのに、そ
れを止める?出来ない相談だ。誰もが自然エネルギーでエネルギーが
自給できるなんて・・・。そりゃ〜悪夢だよ。
でもね。
>
>
> 税金と言う社会を維持するために使われるべき資金が官僚の特権を保証す
> るために恣意的に使われる。また、企業のためだけに使われるようになっ
> てしまうのは実に社会的な無駄です。 (2月11日3時15分 師匠)
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夜22時に現場から上がってくるサムライ6名。
明日は7時に出発。
どうなってることやら太陽光発電工事の世界。
同じ現場の防水工事の方から期限をきられてるためこの寒さの中のガンバリ工事。
地球温暖化防止対策のひとつで環境負荷の無い電源として その有効性
が認められている太陽光発電への支援策として国は、12年前から一
般住宅向けに設置時の初期投資費用についてNEF(新エネルギー財
団)を通して補助金をだしその普及を図ってきた。
そして、当初1KWあたりの初期投資費用が1Kwあたり180万円
であったものが60万円まで下がったことから当初の目的は果たした
としその事業を終了させた。
※価格の低下にもっとも大きな貢献をしたのは機器のうちパワーコン
ディショナーと言われる系統連携様の装置で当初価格250万円〜
280万円のものが20万円〜30万円に10分の1に下がったこ
とがもっとも大きい。これは量産効果によるものである。
基幹部品の太陽電池そのものは、当初Wあたり600円といわれて
いたが、現在は350円ほどである。
一方、大規模な産業用に関してはも1Kwあたりの価格が若干高めに
推移した。これはNEDO(新エネルギー開発機構)の要求するスペッ
クが若干高くさらに書類の申請などに家庭用よりも煩雑な手続きが必
要であったのと予算の関係上、実施件数が少なく量産効果が働かなかっ
たためである。
対応策として、国では十分な効果を挙げていないとして昨年度は90
億円程度の予算を組んで市場を維持しているが、その設置設備容量は
2万6000Kwに過ぎない。一方の家庭用で23億円で30万KW
ほどが設置されているので税金として支出された資金の対費用効果を
見れば明らかに無駄な使い方が成されたと言える。
この予算は、平成18年度(つまり来年)まで支出される。ちなみに
17年度の予算は約50億円である。KWあたりの単価が例え50万
円に下がったとしても、この予算で設置可能な設備容量は2万500
0Kwにしかならない。
しかも、この設置者は企業の場合は本来納めるべき税金から特別控除
ということで企業側が負担した金額の90%までを納めないで済ませ
る特例措置を政府が決めている。つまり、額面上1000万円の機器
を50万円で手に入れることが出来るという事になっている。さらに
談合などで裏取引をするならこの50万円を業者からキックバックさ
せて無料同然、むしろ、持参金つきで1000万円の太陽光発電設備
を手に入れられるのだ。Kw60万円で1000万円の予算なら16
Kwのシステムである。
これは12年前にはじめられた個人住宅向け太陽光発電の補助事業で
この3分の1の5Kwシステムで450万円もの負担をして、資金回
収にあと35年もかかる個人と比べるとほとんど国が貧乏人から金持
ちへの資金の流れを作ったとしか思えないひどひどい制度だと言える。
勿論、NPO。NGOの方々にはそういう特権は無い。環境によくな
い事業をして儲けている企業だけがそうした恩恵に与かれるのだ。
公金という社会を維持するために必要な経費をこの社会での強者であ
る営利企業に流す仕組みなのだ。個人を犠牲にし・・・。てこうした
公平性に欠く資金の流れを恣意的に作った官僚の責任は問われるべき
だと思う。
この予算をを家庭用に度年度と同じスキームで(勿論、これは設置者
への支援としては少なすぎるのだが)使われるなら11万5000K
wの設備を導入できた計算になる。実質5倍の設備容量を確保できた
だろう。まことにお粗末な金の使い方である。
ま、いずれにしてもこうした不公平と不公正を助長するような制度は
やめてさっさと実質的な効果を上げるドイツ型の固定価格買い取り制
度に変更することを強く求めるものである。
では、以下にその固定価格買い取り支援制度(FIT)、所謂、アー
ヘンモデルについてのメリットを述べておく。
※アーヘン・モデルとはドイツのアーヘン市で試行され、現在はドイツ
の自然エネルギー推進法の根幹をなす考え方=FIT・固定価格買い
取り支援制度のことである。
これは年度毎に決まる発電原価を一定期
間、保障することで、その事業者が経済的なデメリットを受けない様
にする経済的な支援方式である。
>
> 固定価格買い取り制度(FIT)のメリット
>
> 1.資本投下に対してのリターンが保証されており、社会の投資資金が出てくる
電源への資金投資は長期に亘っての資金の固定化が必要である。その
為、かつては国家戦略として日本では電力企業に総括原価方式という
必ずその投入資金の回収が保障される制度を認めていた。お金という
ものがより増えることを前提に動くのものである。よって社会の資金
をその事業へ呼び込むため子制度は実に合理的である。
> 1.補助金制度の様に面倒な申請が不要
設置時補助金の場合は、一度、社会から集めた資金を分配するために、
公的に公正さが保障されねばならない。日本には一応、補助金適正下
方というものがあるので・・・。その適正度を保障するために一応、
中立的であるとされる政府にその仕事が委ねられている。そして、そ
れが誰の目から見ても公正であるかを検討できるように書類が山のよ
うに必要になる。
ただその実効性に関しては企業ぐるみで不正を働いたサンヨーをはじ
め各メーカーが上乗せして請求し販促費に使ったり、キックバックの
資金としたりしたことはすでに報道され明らかである。
また、実際にかかる経費の面から見ても申請された書類を審査する費
用が発生するだけで無く申請書類を書く側にも費用が発生する。具体
的な例を挙げるならKw支援なので、一枚一枚の太陽電池のスペック
を書いて申請せねばならないが、実際はそれは意味を持たない。何故
ならそれは目的は電力の生産であり、太陽電池を購入する事ではない
からだ。
固定価格買買い取り制度の場合は個別の案件に対しての支援ではなく、
総発電量成果(Kwh)に対しての支援であるので、その要件さえ決
めていれば個別に審査する必要性は系統への技術的な要件だけなので、
そのための費用は低く抑えられる。
※実際、設置時補助金でKwあたり2万円支援は、個別に受給する金
額は多くてもせいぜい10万円で、これは当たり前に設置者が合い
見積もりを取るなどマーケットメカニズムが働くように行動すれば
安くなる金額 以下であったし、むしろ、そのほうが無駄な人件費を
使うことは無かったと言える。
> 1.機器の購入にマーケットメカニズムが働く
既存の電力事業では、地域独占状態にあったために、発電設備の費用
が高止まりする原因を作っってしまった。 つまり、費用がすべて消費
者に転嫁出来たため、むしろその費用が高いもののを購入して企業の
利益を確保することになった。
が、自然エネルギー事業の場合は、先にも述べたが設備の購入者が複
数であり、設備の供給者も複数となるので談合が無い限りマーケット
メカニズムは働く。市場への参加者が多くなり、市場規模が大きくな
り、そこに確実な市場があるとなればば供給者も増える。
但し、個別発電事業者の発電原価を保証するものではそのメカニズム
は働きにくいので、発電原価の決定に際しては、サンプリング調査を
してその年度の平均発電原価を決定する。これによって、設備購入者
はそれぞれ発電量のもっとも多いものなど対費用効果の大きなものを
購入し、発電事業によって個人のリターンを最大にするために当然、
あい見積もりをとるなどの購入行動を行うので、その発電原価を適正
に決定することは可能である。先に次の期間の価格を具体的にアナウ
ンスする必要性は無い。むしろ、それは市場を混乱させることになる。
太陽光発電事業では発電原価は機器の設置時購入価格で決まることは
既知の事実である。にも関わらず、現在、日本で施行されている新エ
ネルギー促進法では機器の量産化による価格の低下を考慮せずに環境
価値分(発電原価回収への補填費用となるが)をマーケットに委ねる
としている。
これでは、先行設置による経済的なメリットはない。むしろ資金を温
存し、価格が下がった時点で設備投資を行う方が合理的な行動だとさ
れてしまう。その為、自然エネルギー事業への投資は逆に阻害される。
> 1.発電量を根拠にCO2削減の具体的成果が把握できる
去年発効した京都議定書により、CO2削減量の具体的な数値で表さ
れる成果達成が必要となった。だが、これまでの行われた設置時設備
購入補助金(KW支援制度)でわかるのは機器の設備容量であり、具
体的なCO2削減量は推定で試算するしかなくカウントできない欠陥
を持つ。
また、成果を評価するとされている証書取り引きをメインとする新エ
ネルギー特措法でも、電力企業へ販売した分だけを評価対象としてお
り、自家消費分がカウントできない致命的な欠陥をもつ。
私たちが求めている総発電量評価(KWH支援制度)では、すべての
派生電力を支援の対象とするべきだと考えている。それは具体的にC
O2削減量に換算することが可能で、この点がKwh支援のもっとも
優れた点だと考えられる。
> 1.地域経済への長期的な貢献が図れる
現在の電力供給は巨大な電力企業から一方的に電力が供給される。が、
それは決して無料ではなく、電力料金として地域外へと富=資金の流
失を生んでいる。
具体的に例を挙げるなら、日本全体の1%経済といわれる宮崎県で、
最低でも1300億円が電力料金として県外企業の九州電力に支払わ
れている。
一方、自然エネルギー変換装置である太陽光発電などに地域内から資
金が投資されれば、その資金への配当は地域内に支払われる、地域内
で資金が循環することで地域社会を豊かにできる 。
但し、現状のようにその買い取り価格が一方的に電力企業によって決
定される不適正価格の下では電力料金を上げられたのを同じとなるの
で、それが適正に形成される仕組みも必要である。
> 1.系統全体での負荷平準化効果が大きい
電力供給においては、電力の貯蔵できないという特性から需要と供給
が常に対応している必要がある。(その点では生鮮野菜や鮮魚よりも
腐りやすい? 特殊な財である)その為、電力企業は供給義務を負う
代わりに地域独占を許され、需要に応じるために最大需要に合せて供
給設備を持つこととされてきていた。
※電力品質は一般的には100Vで60ヘルツか50ヘルツとしか知
られていないが、実際は101ボルト±6ボルトの範囲内で変動す
る様に決められているが、実際にはこれを外れることもしばしば起
きている。
ただ、日本の様な夏が異常に暑く冬が寒い地域では電力は夏場にはエ
アコン需要のためにピークが高くなる。それも社会の経済活動が大き
な昼間に出てくる。この時期の為に用意されねばならない発電設備は
ピーク対応電源として稼動時間的が短いために設備の利用効率が悪く
結果として発電原価が高くなる。
※電力の自由化の中で、コストを下げたい既存電力企業から出されて
いるこの時期の一応の発電原価をあらわしている指標がある。それ
はオール電化契約の夏季料金で33円/Kwhほどとなっている。
(が、本当はもっと高いかもしれない)
ここには自然エネルギーのうち太陽光発電が適応する。故に太陽光発
電は社会全体から見ればこのピーク対応電源としての価値が認められ
るべきである。しかし、その価格での買い取りは電力企業は行ってい
ない。
※これは電力企業の圧倒的地位の乱用であり独占禁止法に触れる違法
な行為である。(実際に、電力企業関係者からもそうした意見が出
てきている)
また、需要地に近い場所で供給されるために送電費用が圧縮され、送
配電系統自体への負荷が軽減され、機器の劣化を防ぎコスト削減に
繋がっている。
※これらは発電・送電・配電を一体不可分で行う方が合理的であると
主張する既存の巨大電力企業によって秘密にされている。
> 1.必要な社会的負担が公平になる
この支援の資金の原資が電力料金に付加されるならば、全電力の使用
者に公平に負担されることになる。CO2非排出の点から見るならば
化石燃料にかける税金からの支出も考えられるが、電力という財にか
ける方が妥当性は高い。既に日本では電源開発促進税というものが掛
けられているのでこれを充当するのが妥当である。
> 1.誰もがその恩恵に与かれる(差別的でない)
自然エネルギー発電設備に資金を投入するものは正当なリターンを受
け取る。一方、その電力を受け取る人々は環境負荷の無い電力を使う
ことが出来るようになる。
>
> デメリットは
>
> 1.官僚の采配権が無くなる
単年度予算というものでどうコントロールするかそれが彼らの権力の
源泉である。
> 1.見かけ上、予算が長期に縛られる高くつく
かかる費用は見かけ上たたくつくが、社会全体で負担する総費用は安
くつくだろうし、効率的に資金は使われるようになる。こうした制度
設計こそが必要だ。その為にも情報は公開されねばならない。
> 1.電力企業は金儲けの手段にならない
既存の電力企業は化石燃料資源を電力に変換、その対価として電力料
金を得ているが、この電力の大部分は非再生性の枯渇資源である。そ
もそもそうした資源を使うことは反社会的な行為であり、未来の人た
ちにとっては迷惑な企業である。
こうした独占企業にとって分散型の個人所有の電源が系統に繋がるこ
とは実に迷惑なのだ。 それに、官僚や政治家と談合して過去に導入
してしまった原子力という不良資産を錬金術として維持するためには、
何としても、主導権を自然エネルギー推進派などに渡すわけにはいか
ないと考えている。
しかし、社会の未来を考えるなら、こうした一極集中型のシステムが
動く限り、テロへの防衛や事故の可能性、さらにはその保安上の理由
から社会は実に抑圧的な監視社会としなければならなくなる。
これでは本末転倒である。道具に支配され自由を失うことになってし
まう。奴隷状態である。それで良いのかどうなのか・・・・。
本来の企業の仕事とは営利が目的では有るものの、社会的に必要とさ
れ、且つ、未来に資するものでなくては事業とは言えまい。
> 1.誰もが出来るので自分だけいいカッコ(差別化)出来ない
最近ではこれがもっとも問題となっている。他の者たちよりも優れて
いることを言いたいが為に、誰もがやれる仕組みに変える事をあえて
望まないものも多い。
先行設置者のお陰で!安くなったものをさらに補助金をもらって自分
たちの収益性を上げることだけを目的とする輩がやたら幅を利かせる
ようになってしまった。それを恥ずかしいことだという事すら感じて
いないのである。
> 1.嘘をついて補助金詐欺が出来なくなる
設置時補助金ならいくらでも出来る。簡単なことだ、談合して、裏領
収書を発行すれば出来る。成果評価の出来ないものは簡単に出来るが、
成果評価ならそう簡単に出来はしない。
> 1.原発推進の為に金が使えなくなる
政府の役人はそれが一番嫌らしい。だって利権構造そのものだもの。
業界、中央政府官僚、政治家の諸氏の錬金術の道具なんだから・・・。
> 1.電力の民主化が起きてしまうので困る
独占企業の、誰もが出来ないことだから利権を生む仕組みなのに、そ
れを止める?出来ない相談だ。誰もが自然エネルギーでエネルギーが
自給できるなんて・・・。そりゃ〜悪夢だよ。
でもね。
>
>
> 税金と言う社会を維持するために使われるべき資金が官僚の特権を保証す
> るために恣意的に使われる。また、企業のためだけに使われるようになっ
> てしまうのは実に社会的な無駄です。 (2月11日3時15分 師匠)
--------------------------------------------------------------------------------
先哲に学ぶ現場
2006年2月10日朝7時に始めた仕事は終了が現地23時。
監督署の方、読まないで内緒デッセ。
太陽光発電の基礎つくりに14名の戦士。
襤褸の旗はためくもとに。
日本で最初の方式の太陽光発電所工事は艱難辛苦のもと進んでいる。
ザ〜ット今日の出来事を記すとこうだ。
ポンプ圧力で20メートル上にあげるのはコンクリート・生コン。
ところがポンプが横槍で使えない。作業が汚くなるという輩のためである。
13?の26KGにもなる膨大な量を手作りで作業する。
今日一日で300個近い基礎を完成。
この高さにな生コンをあげたのはポンプ車でなく、
巨大クレーン25トン対応車。
タイヤの直径がゆうに1メートル50センチ以上もある。
工事終了後、作業から一般道に向け直すときはまるで起動戦士・ガンダム。
すべて収納され変形した車になる。
われらの世代ではゴジラ。、
ゴジラ映画の音楽を担当したのは先日九十一歳で亡くなった作曲家の伊福部昭。
テーマ音楽のみならず、ゴジラの鳴き声も「発明」した。
封切りが迫るなか、ゴジラの鳴き声が決まらない。
これらの事は名画第三の男のハリーライムのチターの名曲が決まるまでに酷似。
そのチターの世界一の演奏者はアントン・カラスの唯一の弟子たる宮崎の人・川野で世界をまたに賭けチターを奏でている。
ゴジラでのエピソードを新聞でうかがい知れる。
録音部が動物園で猛獣の咆哮をとり、回転速度を変えたり、複数の動物の声を混ぜたりしたが、しっくりこない。
そこで音楽担当の伊福部はコントラバスの弦を、松ヤニを塗った革の手袋でしごくアイデアを思いついた。
空想の怪物に命が吹きこまれた瞬間だ。
北海道生まれの伊福部さんは幼いころアイヌの歌や踊りに触れ、独学で作曲を始めた。
大学も北大農学部に進み、音楽家としては異端の道。
だからこそ型にはまらない発想による情念の旋律が生まれた。
これまた独学で日本の特殊撮影を世界標準に押し上げた円谷英二の映像とあいまって、ゴジラは不朽の名作となった。
コンクリート打設はまさにこのゴジラの暴れるさまである。
議論無用もそうだ。
原子力反対をメッセージとするゴジラ映画に何を学んでいるというのか。
太陽光発電のこの現場に私どもの主張はかき消され、はたまた復活し膨大なる工事費となっている。
経費見合いでのお客さん本位での工事がわれらのテ〜マ。
横暴なる意見の主は誰かは知らぬが満足する工事工法ではない。
怒髪天を衝く怒りどこではない。
さて、この20メートル高さのクレーン移動方式。・・・
昭和45年浅間山荘事件の一日中何日も生で放映された鉄球体でぶち壊す映像そのものでそこからの着想。
動員された警察官のべ十二万人、集まった報道陣は六百人、負傷者二十七人、そして死者三人。
テレビ中継の視聴率は、史上最高を記録。
昨年映画にもなった突入せよ!である。
厳寒の軽井沢の山荘は南国宮崎の極寒の今日の天候に酷似。
先ほど23時までの夜間作業もそうであった。
考案したのは内閣緊急危機管理の佐々淳行。
織田信長の武将だった秀吉の無二の親友佐々成政、熊本の殿様佐々ドンの末裔である。
カミソリ後藤田正晴は上司。婦人運動家・参議院議員の紀平悌子は兄弟。
父は向坂逸郎らと共に九大教授を追われた労農派の論客・佐々弘雄。
その父・佐々友房はおじいちゃん
この祖父は熊本市内坪井町に生まれ同郷に幕末を指導した横井小楠、宮部鼎蔵がいる。
時代をはやまった幕末の理論藩・水戸。
水戸勤皇党の理論家藤田東湖、に師事。
幕末4賢公の島津斉彬にして福井の橋本佐内を持ち上げ「東湖を見ずして、佐内をみよ!」と西郷隆盛を諭したほどの急先鋒の理論家であった水戸藩藤田東湖。
還暦の震災で死んだゆえ幕末に名はない。
また池辺吉十郎(新聞人・池辺三山の父)の門下生だった。
明治7年(1875年)2月に江藤新平の佐賀の乱に参加しようと同志と謀っていたが、断念。神風連の乱にも不参加。
、明治10年(1878年)西南戦争が起こるや、
かねて西郷隆盛と気脈を通じていた池部吉十郎(熊本隊長)のもと、薩軍に身を投じた。
西南戦争では小隊長として肥後、薩摩、日向の山野に転戦。
この中でも吉次峠の戦いは、近くの田原坂とともに激烈を極めた。
重傷を負うて入院し、宮崎の監獄に収監された。
獄中で青年子弟を教育し、国家有用の人材を養うことが今日の急務であると決意し
、明治12年(1879年)1月に出獄すると、
熊本市高田原相撲町に同心学舎を設立し建学精神を皇室中心、国家主義を建学精神とした。
後に同心学校と改め、明治15年2月に濟々黌と改称する。
現在の熊本県立済々黌高等学校である。
難題続く現場に知恵者がきていただけた。
培われた技術、経験をを生かすも殺すも小田原評定衆ではどうしようもない。
脈々と受け継がれるものがあってこそ達成される現場状況であるり、ここには民主主義の欠片も、ノミの姿ほどの人間的良心もなく企業的良心のみで事が進んでいる。
穴があったらは入りたい。実にお恥ずかしい。
元請で仕事がしたい。
すべての英知を入れた太陽光発電所である。
疲れ切手午前様でのご帰還を迎えてくれたのは師匠。
久しぶりに顔合わせ。
見知らぬ先哲の知恵、今日は県南まで職人の匠が着てくれた。
その知恵で工法変更を迫るが聞き入れようともしない現実が
あり苦難が深まっている。
ただ朝まで師匠と議論をしていただいてる。
10日開幕のトリノからは原田復活の元気メッセージ。
このように多くの人々に包まれ幸せな私である。
受験生にエールを送る時間がないが私の生き様が応援メッセージである。
爺はがんばってるぞ!
負けるな受験生!
訪れていただいた皆様!
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監督署の方、読まないで内緒デッセ。
太陽光発電の基礎つくりに14名の戦士。
襤褸の旗はためくもとに。
日本で最初の方式の太陽光発電所工事は艱難辛苦のもと進んでいる。
ザ〜ット今日の出来事を記すとこうだ。
ポンプ圧力で20メートル上にあげるのはコンクリート・生コン。
ところがポンプが横槍で使えない。作業が汚くなるという輩のためである。
13?の26KGにもなる膨大な量を手作りで作業する。
今日一日で300個近い基礎を完成。
この高さにな生コンをあげたのはポンプ車でなく、
巨大クレーン25トン対応車。
タイヤの直径がゆうに1メートル50センチ以上もある。
工事終了後、作業から一般道に向け直すときはまるで起動戦士・ガンダム。
すべて収納され変形した車になる。
われらの世代ではゴジラ。、
ゴジラ映画の音楽を担当したのは先日九十一歳で亡くなった作曲家の伊福部昭。
テーマ音楽のみならず、ゴジラの鳴き声も「発明」した。
封切りが迫るなか、ゴジラの鳴き声が決まらない。
これらの事は名画第三の男のハリーライムのチターの名曲が決まるまでに酷似。
そのチターの世界一の演奏者はアントン・カラスの唯一の弟子たる宮崎の人・川野で世界をまたに賭けチターを奏でている。
ゴジラでのエピソードを新聞でうかがい知れる。
録音部が動物園で猛獣の咆哮をとり、回転速度を変えたり、複数の動物の声を混ぜたりしたが、しっくりこない。
そこで音楽担当の伊福部はコントラバスの弦を、松ヤニを塗った革の手袋でしごくアイデアを思いついた。
空想の怪物に命が吹きこまれた瞬間だ。
北海道生まれの伊福部さんは幼いころアイヌの歌や踊りに触れ、独学で作曲を始めた。
大学も北大農学部に進み、音楽家としては異端の道。
だからこそ型にはまらない発想による情念の旋律が生まれた。
これまた独学で日本の特殊撮影を世界標準に押し上げた円谷英二の映像とあいまって、ゴジラは不朽の名作となった。
コンクリート打設はまさにこのゴジラの暴れるさまである。
議論無用もそうだ。
原子力反対をメッセージとするゴジラ映画に何を学んでいるというのか。
太陽光発電のこの現場に私どもの主張はかき消され、はたまた復活し膨大なる工事費となっている。
経費見合いでのお客さん本位での工事がわれらのテ〜マ。
横暴なる意見の主は誰かは知らぬが満足する工事工法ではない。
怒髪天を衝く怒りどこではない。
さて、この20メートル高さのクレーン移動方式。・・・
昭和45年浅間山荘事件の一日中何日も生で放映された鉄球体でぶち壊す映像そのものでそこからの着想。
動員された警察官のべ十二万人、集まった報道陣は六百人、負傷者二十七人、そして死者三人。
テレビ中継の視聴率は、史上最高を記録。
昨年映画にもなった突入せよ!である。
厳寒の軽井沢の山荘は南国宮崎の極寒の今日の天候に酷似。
先ほど23時までの夜間作業もそうであった。
考案したのは内閣緊急危機管理の佐々淳行。
織田信長の武将だった秀吉の無二の親友佐々成政、熊本の殿様佐々ドンの末裔である。
カミソリ後藤田正晴は上司。婦人運動家・参議院議員の紀平悌子は兄弟。
父は向坂逸郎らと共に九大教授を追われた労農派の論客・佐々弘雄。
その父・佐々友房はおじいちゃん
この祖父は熊本市内坪井町に生まれ同郷に幕末を指導した横井小楠、宮部鼎蔵がいる。
時代をはやまった幕末の理論藩・水戸。
水戸勤皇党の理論家藤田東湖、に師事。
幕末4賢公の島津斉彬にして福井の橋本佐内を持ち上げ「東湖を見ずして、佐内をみよ!」と西郷隆盛を諭したほどの急先鋒の理論家であった水戸藩藤田東湖。
還暦の震災で死んだゆえ幕末に名はない。
また池辺吉十郎(新聞人・池辺三山の父)の門下生だった。
明治7年(1875年)2月に江藤新平の佐賀の乱に参加しようと同志と謀っていたが、断念。神風連の乱にも不参加。
、明治10年(1878年)西南戦争が起こるや、
かねて西郷隆盛と気脈を通じていた池部吉十郎(熊本隊長)のもと、薩軍に身を投じた。
西南戦争では小隊長として肥後、薩摩、日向の山野に転戦。
この中でも吉次峠の戦いは、近くの田原坂とともに激烈を極めた。
重傷を負うて入院し、宮崎の監獄に収監された。
獄中で青年子弟を教育し、国家有用の人材を養うことが今日の急務であると決意し
、明治12年(1879年)1月に出獄すると、
熊本市高田原相撲町に同心学舎を設立し建学精神を皇室中心、国家主義を建学精神とした。
後に同心学校と改め、明治15年2月に濟々黌と改称する。
現在の熊本県立済々黌高等学校である。
難題続く現場に知恵者がきていただけた。
培われた技術、経験をを生かすも殺すも小田原評定衆ではどうしようもない。
脈々と受け継がれるものがあってこそ達成される現場状況であるり、ここには民主主義の欠片も、ノミの姿ほどの人間的良心もなく企業的良心のみで事が進んでいる。
穴があったらは入りたい。実にお恥ずかしい。
元請で仕事がしたい。
すべての英知を入れた太陽光発電所である。
疲れ切手午前様でのご帰還を迎えてくれたのは師匠。
久しぶりに顔合わせ。
見知らぬ先哲の知恵、今日は県南まで職人の匠が着てくれた。
その知恵で工法変更を迫るが聞き入れようともしない現実が
あり苦難が深まっている。
ただ朝まで師匠と議論をしていただいてる。
10日開幕のトリノからは原田復活の元気メッセージ。
このように多くの人々に包まれ幸せな私である。
受験生にエールを送る時間がないが私の生き様が応援メッセージである。
爺はがんばってるぞ!
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いやおうにも、お国をさとさる五輪の輪 せきやん
イタリア北部の街トリノから日の丸の威信が示される。
初めて見たる地図帳をものめずらしく眺める小学生の私に
長靴の形に似たる国の異国の空を眺めたく思いをはせたものだ。
当時長靴が貴重なるものであったため
興味半分より畏怖の目で異国をしのんだ。
日独伊で世界を相手に戦った友好国。
年端を重ね知識もつき、ローマやフィレンツエ、ベネチャ、富豪メチア家さらに映画での「苦い米」や「自転車泥棒」「ローマの休日」でしか知識がなかった私に1970年よりイタリアから発信する塩野七生の諸著書は、理解を深めた。
ウフィツイ美術館(ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ラファイエルロのルネンサンス三巨頭の作品をはじめ、
ボッティチェルリの「春 プリマヴェーラ」「ヴィーナス誕生」の二枚はここにある。
美術作品、映画はよくこのくにを知りえた。
この国は北と南の抗争の歴史でもあり、現在もその風土の克服は中々ではない。
塩野の著作から自らを投影させる。
駅前のホテルから街を歩き始めるとアーケードがまっすぐにのびている。交差する道も広く、かなり遠くまで見通せる。
五輪向けの一時的な表情とは別に、街の素顔の方は、すっきりとしているようだった。
見果てぬ異国の地はいまだそのままの大いなる幻影・
中世以降、諸州・諸都市が分立していたこの長靴形の半島に「イタリア王国」ができたのは、日本の幕末にあたる1861年のことだった。
祖国の統一と解放をめざす運動の結果、トリノに最初の首都が置かれた。
今は、フィアットなどの自動車産業や機械工業の中心地となっている。
美術の国はデザインのくに。
ジョージアローの車思想が凝縮した117クーペはわたしの愛した唯一の車であった。
記すべき多さと睡魔との闘いにダウン気味。
今もなお、この国の北と南はなじんでいないという。
それぞれに、重い歴史を背負っているのだろう。
祖国統一の象徴の地トリノで、20回目の冬季五輪が開幕されたァ
冬季種目は縁とおい宮崎だが 華麗なるフギァー競技のメインは
華やかしき美の競演。伊東みどりのころに比べ実に見事なる肢体。ようやく世界に追いついた日本を感じるトリノだ。
さぞかしNHKの視聴率を上げることであろう。
せきやん日記の過去の記事
イタリア映画
2004年10月16日 TrackBack
イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティの作品。
無防備都市 のロベルト・ロッセリーニは「カサブランカ・ガス灯」
主演の我らのイングリッド・バーグマンさえ虜にする監督で嫉妬する。
他の国の人が作るとローマの休日とか旅愁とかになるイタリアが舞台となる映画。
イタリア映画の作品群、
郵便配達は二度ベルを鳴らす
Ossessione
(1943年/イタリア/141分/白黒)
出演=クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、フアン・デ・ランダ
ジャン・ルノワールにケイン原作の仏語訳を渡されて映画化が実現した、初監督作品。イタリア北部の国道沿いで夫と軽食堂を営む
ジョヴァンナ(カラマイ)は、新しく雇われた若い放浪者ジーノ(ジロッティ)に強く惹かれる。一度駆け落ちに失敗するも、偶然
の再会を機に二人で夫を殺害するまでに至る。激しく求め合う男女の不安・嫉妬・疑念を、二大スターが見事に演じている。"ネオ
レアリズモ"という言葉を生んだ歴史的作品。
山猫
Il Gattopardo
(1963年/イタリア=フランス/187分/テクニカラー)
出演=バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ
シチリアのパルマ公爵ランペドゥーサの小説が原作。19世紀末、イタリア統一戦争の時代。貴族階級の没落を平然と眺めるサリーナ
公爵(ランカスター)と、対比的に未来に向って明るい若きアンジェリカ(カルディナーレ)とタンクレディ(ドロン)。時代の推
移とそれに背を向けて生きる者が描かれる。圧巻は大舞踏会のシーン。実際のシチリア貴族をエキストラに起用した、まさにヴィス
コンティにしか撮れない映像絵巻。
ベニスに死す
Morte a Venezia
(1971年/イタリア=フランス/133分/テクニカラー)
出演=ダーク・ボガード、シルヴァーナ・マンガノ、ビョルン・アンドレセン
トーマス・マンの同名小説が原作。主人公は小説家から大作曲家(ボガート)に変わっているが、そもそもマンはマーラーをモデル
にしたとも言われる。ベニスに静養に来た老作曲家が、ギリシア彫刻のようなポーランドの美少年(アンドレセン)に心を奪われる
。美を求める者の恍惚と苦悩、歓喜と絶望が究極の耽美主義で描かれる。重厚なマーラーの交響曲第5番が全編に使用されている映画史屈指の名作。
共同監督作品
栄光の日々
Giorni di gloria
(1945年/イタリア/70分/白黒)
レジスタンス組織からの注文を受けて作った共同監督ドキュメンタリーで、ヴィスコンティがイタリアのレジスタンス運動や戦争そ
のものを扱った唯一の作品である。1943年9月から1945年春までの映像をマルチェッロ・パリエーロと共に監督をしたが、ヴィスコ
ンティが撮ったのはカレッタの処刑やピエトロ・カルーゾの裁判のシーンと言われる。イタリア公開後、長らく失われており、1970
年に発見され、復元。日本初公開。
夏の嵐
Senso
(1954年/イタリア/121分/テクニカラー)
出演=アリダ・ヴァッリ、ファーリー・グレンジャー、マッシモ・ジロッティ
ヴィスコンティ初の歴史物。オーストリアからの解放戦争が迫る、激動のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場で若いオーストリア士
官(グレンジャー)に出会った伯爵夫人(ヴァッリ)はその虜となっていく。欺瞞と苦悶の果て、彼女は復讐を考え始める。歴史の
変革期、官能的な陶酔と残酷な覚醒がブルックナーの音楽を背景に描かれる。演劇的な様式美とリアリズムの融合が見事な、圧倒的
な映像美を誇る初期の傑作。
若者のすべて
Rocco e i suoi fratelli
(1960年/イタリア=フランス/177分/白黒)
出演=アラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド
イタリアで興行的に成功した最初の作品。南部からミラノに移住したパロンディ一家の5人兄弟は、それぞれ別の運命をたどる。次
男シモーネ(サルヴァトーリ)はプロボクサーを目指し、三男ロッコ(ドロン)はクリーニング店で地道に働く。娼婦ナディア(ジ
ラルド)の登場で二人の間に軋轢が生まれ、家族は崩壊し始める。ヴィスコンティのドロンへの思い入れはかなりのもので、他の俳
優では撮らなかったと語っている。 [コメントする]
日伊に繋がる太陽光発電
2004年10月16日 TrackBack
イタリア年というのがあるらしいがそれに因んでということもなかろうが宮崎日伊協会主催により日伊科学技術交流会が15〜16日開催された。
宮崎県立美術館のフォーラム会場には「貴金属とナノテクノロジーの開発と生活文化・芸術との接点」が主要テーマであったが
私も先般のナノテクの考え方の整理と郷里、伊東マンショに惹かれ出席した。
同時通訳が何ともおもがゆく国際会議に慣れてないのでゆっくりとした時間が流れる。
笑いを撮る場面が特に違和感を感じる。
遅れて笑うのも同じ時間の共有にしては、どうかなという感じである。
信長の頃の420年前に訪欧使節は13才の使節団・団長の伊東マンショは西都市都於郡、の生まれで8年をかけローマに使えした。
、旭化成は81年前にイタリアの化学者カザレ−博士を招聘して世界ではじめてアンモニア合成に成功した
このように宮崎とイタリアの由緒ある歴史・技術交流は私たちの知らないところで関係があった。
なにも日独伊三国同盟なるキナ臭いムッソリーニは登場しないだろうし、革命者グラムシもない時代であろうから安心である。
わが国における電気事業界、化学工業界の先駆者である、
野口 遵(のぐち したがう)は、石川の人
市役所隣りの野口記念館としてその名を残している。
1923年(大正12年)、世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功し、宮崎・延岡の地に、20世紀をリードする産業基地の建設を開始して、現在の工業都市「延岡」の礎が出来た。
延岡市の初代市長である仲田又次郎氏は、翁の追懐録のなかで、
「野口 遵翁は、延岡市新興の母である」と、その偉大なる事業の
足跡を称えた。
昭和史の財閥の名に燦然と輝く人々の名に同列してる。
野口 遵
日産コンツェルン の元石油資源開発会長 鮎川義介
電力会の偉人・電力王の元東邦電力社長 松永安左エ門、
昭和電工会長 石川一郎、元伊藤忠商事会長 伊藤忠兵衛
日本化薬会長 原安三郎、
借用して記すと次のようである。
野口 遵(したがう)、工業の先駆者であり、旭化成の創立者。
明治6年金沢市に生まれ、小学校から大学まで東京に学び、明治29年、東京帝国大学電気工学科を卒業。
在学時より、国家の産業基盤を支えるものとして、水力発電に高い関心をもっており、明治39年、鹿児島県に水力発電を建設、その電力を利用して、かねてより研究を進めていたカーバイドを企業化。
さらにドイツからカーバイドを原料とした石灰窒素肥料製造技術を導入。
日本窒素肥料株式会社を設立、熊本県でカーバイドから石灰窒素、硫安にいたる一貫生産を開始した。
その後、新潟や熊本での水力発電所の建設、大阪や熊本県鏡町での工場施設などにより一応の事業基盤を確立した大正10年、翁
は欧州視察に赴き、イタリアのカザレ―博士のアンモニア合成法の特許を獲得しました。
帰国後、野口翁は、かねてより開発を進めていた五ヶ瀬川の電力を利用すべく、また、地元の強い誘致運動もあって、この延岡で
アンモニアと硫安の事業化を図ることを決定、
大正12年、生産を開始しました。これが旭化成の発祥です。
続いて、アンモニアの高度利用として「ベンベルグ」や火薬、さらには苛性ソーダやレーヨンなどの製造を始め、現在の旭化成延岡地区の基礎を築いてきました。
翁の事業意欲はとどまるところを知らず、昭和2年 大陸に進出、鴨緑江などで百数十万キロワットにおよぶ発電を行い、興南を
中心とした、肥料50万トン規模の一大コンビナートを建設しました。
しかしながら、永年の苦労がたたったのか、満州、海南島などに活躍中の昭和15年、ついに病に倒れました。そして昭和19年
1月15日、療養中の静岡県韮山において、享年72才をもって逝去されました。
多年にわたる実業界への功績に対し、昭和17年、勲一等瑞宝章が授けられています。
どうにも一般の参加者はなく私も発言したものである。
・・・・・・
思うに連れ「自転車泥棒」とか「苦い米」で心の簸だ、物悲しさは共通である。
イタリア北部のポー川流いきの水田地帯からして日本人にあうようだ。
ミニマリズムなる不必要な物は買わないも感情でよくわかる。
・・・・・・・・・
♪♪ 八と瀬のたびを 船出して 遠くローマに使えせし
海を渡りし 可憐なる 伊東マンショ名も高し
偉大なりや 伊東マンショ 嗚呼偉大なり 少年や
思わず口ずさむ、うたの披露である。
チャッカリ太陽光発電も披露しましてAPAイタリア支店が実現したら・・・さぁ〜大変だ。
仕事もちゃんとやりまして、3時間に渡り説明をした人々。
不動産の社長さんをご紹介いただいた。
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イタリア北部の街トリノから日の丸の威信が示される。
初めて見たる地図帳をものめずらしく眺める小学生の私に
長靴の形に似たる国の異国の空を眺めたく思いをはせたものだ。
当時長靴が貴重なるものであったため
興味半分より畏怖の目で異国をしのんだ。
日独伊で世界を相手に戦った友好国。
年端を重ね知識もつき、ローマやフィレンツエ、ベネチャ、富豪メチア家さらに映画での「苦い米」や「自転車泥棒」「ローマの休日」でしか知識がなかった私に1970年よりイタリアから発信する塩野七生の諸著書は、理解を深めた。
ウフィツイ美術館(ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ラファイエルロのルネンサンス三巨頭の作品をはじめ、
ボッティチェルリの「春 プリマヴェーラ」「ヴィーナス誕生」の二枚はここにある。
美術作品、映画はよくこのくにを知りえた。
この国は北と南の抗争の歴史でもあり、現在もその風土の克服は中々ではない。
塩野の著作から自らを投影させる。
駅前のホテルから街を歩き始めるとアーケードがまっすぐにのびている。交差する道も広く、かなり遠くまで見通せる。
五輪向けの一時的な表情とは別に、街の素顔の方は、すっきりとしているようだった。
見果てぬ異国の地はいまだそのままの大いなる幻影・
中世以降、諸州・諸都市が分立していたこの長靴形の半島に「イタリア王国」ができたのは、日本の幕末にあたる1861年のことだった。
祖国の統一と解放をめざす運動の結果、トリノに最初の首都が置かれた。
今は、フィアットなどの自動車産業や機械工業の中心地となっている。
美術の国はデザインのくに。
ジョージアローの車思想が凝縮した117クーペはわたしの愛した唯一の車であった。
記すべき多さと睡魔との闘いにダウン気味。
今もなお、この国の北と南はなじんでいないという。
それぞれに、重い歴史を背負っているのだろう。
祖国統一の象徴の地トリノで、20回目の冬季五輪が開幕されたァ
冬季種目は縁とおい宮崎だが 華麗なるフギァー競技のメインは
華やかしき美の競演。伊東みどりのころに比べ実に見事なる肢体。ようやく世界に追いついた日本を感じるトリノだ。
さぞかしNHKの視聴率を上げることであろう。
せきやん日記の過去の記事
イタリア映画
2004年10月16日 TrackBack
イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティの作品。
無防備都市 のロベルト・ロッセリーニは「カサブランカ・ガス灯」
主演の我らのイングリッド・バーグマンさえ虜にする監督で嫉妬する。
他の国の人が作るとローマの休日とか旅愁とかになるイタリアが舞台となる映画。
イタリア映画の作品群、
郵便配達は二度ベルを鳴らす
Ossessione
(1943年/イタリア/141分/白黒)
出演=クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、フアン・デ・ランダ
ジャン・ルノワールにケイン原作の仏語訳を渡されて映画化が実現した、初監督作品。イタリア北部の国道沿いで夫と軽食堂を営む
ジョヴァンナ(カラマイ)は、新しく雇われた若い放浪者ジーノ(ジロッティ)に強く惹かれる。一度駆け落ちに失敗するも、偶然
の再会を機に二人で夫を殺害するまでに至る。激しく求め合う男女の不安・嫉妬・疑念を、二大スターが見事に演じている。"ネオ
レアリズモ"という言葉を生んだ歴史的作品。
山猫
Il Gattopardo
(1963年/イタリア=フランス/187分/テクニカラー)
出演=バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ
シチリアのパルマ公爵ランペドゥーサの小説が原作。19世紀末、イタリア統一戦争の時代。貴族階級の没落を平然と眺めるサリーナ
公爵(ランカスター)と、対比的に未来に向って明るい若きアンジェリカ(カルディナーレ)とタンクレディ(ドロン)。時代の推
移とそれに背を向けて生きる者が描かれる。圧巻は大舞踏会のシーン。実際のシチリア貴族をエキストラに起用した、まさにヴィス
コンティにしか撮れない映像絵巻。
ベニスに死す
Morte a Venezia
(1971年/イタリア=フランス/133分/テクニカラー)
出演=ダーク・ボガード、シルヴァーナ・マンガノ、ビョルン・アンドレセン
トーマス・マンの同名小説が原作。主人公は小説家から大作曲家(ボガート)に変わっているが、そもそもマンはマーラーをモデル
にしたとも言われる。ベニスに静養に来た老作曲家が、ギリシア彫刻のようなポーランドの美少年(アンドレセン)に心を奪われる
。美を求める者の恍惚と苦悩、歓喜と絶望が究極の耽美主義で描かれる。重厚なマーラーの交響曲第5番が全編に使用されている映画史屈指の名作。
共同監督作品
栄光の日々
Giorni di gloria
(1945年/イタリア/70分/白黒)
レジスタンス組織からの注文を受けて作った共同監督ドキュメンタリーで、ヴィスコンティがイタリアのレジスタンス運動や戦争そ
のものを扱った唯一の作品である。1943年9月から1945年春までの映像をマルチェッロ・パリエーロと共に監督をしたが、ヴィスコ
ンティが撮ったのはカレッタの処刑やピエトロ・カルーゾの裁判のシーンと言われる。イタリア公開後、長らく失われており、1970
年に発見され、復元。日本初公開。
夏の嵐
Senso
(1954年/イタリア/121分/テクニカラー)
出演=アリダ・ヴァッリ、ファーリー・グレンジャー、マッシモ・ジロッティ
ヴィスコンティ初の歴史物。オーストリアからの解放戦争が迫る、激動のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場で若いオーストリア士
官(グレンジャー)に出会った伯爵夫人(ヴァッリ)はその虜となっていく。欺瞞と苦悶の果て、彼女は復讐を考え始める。歴史の
変革期、官能的な陶酔と残酷な覚醒がブルックナーの音楽を背景に描かれる。演劇的な様式美とリアリズムの融合が見事な、圧倒的
な映像美を誇る初期の傑作。
若者のすべて
Rocco e i suoi fratelli
(1960年/イタリア=フランス/177分/白黒)
出演=アラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド
イタリアで興行的に成功した最初の作品。南部からミラノに移住したパロンディ一家の5人兄弟は、それぞれ別の運命をたどる。次
男シモーネ(サルヴァトーリ)はプロボクサーを目指し、三男ロッコ(ドロン)はクリーニング店で地道に働く。娼婦ナディア(ジ
ラルド)の登場で二人の間に軋轢が生まれ、家族は崩壊し始める。ヴィスコンティのドロンへの思い入れはかなりのもので、他の俳
優では撮らなかったと語っている。 [コメントする]
日伊に繋がる太陽光発電
2004年10月16日 TrackBack
イタリア年というのがあるらしいがそれに因んでということもなかろうが宮崎日伊協会主催により日伊科学技術交流会が15〜16日開催された。
宮崎県立美術館のフォーラム会場には「貴金属とナノテクノロジーの開発と生活文化・芸術との接点」が主要テーマであったが
私も先般のナノテクの考え方の整理と郷里、伊東マンショに惹かれ出席した。
同時通訳が何ともおもがゆく国際会議に慣れてないのでゆっくりとした時間が流れる。
笑いを撮る場面が特に違和感を感じる。
遅れて笑うのも同じ時間の共有にしては、どうかなという感じである。
信長の頃の420年前に訪欧使節は13才の使節団・団長の伊東マンショは西都市都於郡、の生まれで8年をかけローマに使えした。
、旭化成は81年前にイタリアの化学者カザレ−博士を招聘して世界ではじめてアンモニア合成に成功した
このように宮崎とイタリアの由緒ある歴史・技術交流は私たちの知らないところで関係があった。
なにも日独伊三国同盟なるキナ臭いムッソリーニは登場しないだろうし、革命者グラムシもない時代であろうから安心である。
わが国における電気事業界、化学工業界の先駆者である、
野口 遵(のぐち したがう)は、石川の人
市役所隣りの野口記念館としてその名を残している。
1923年(大正12年)、世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功し、宮崎・延岡の地に、20世紀をリードする産業基地の建設を開始して、現在の工業都市「延岡」の礎が出来た。
延岡市の初代市長である仲田又次郎氏は、翁の追懐録のなかで、
「野口 遵翁は、延岡市新興の母である」と、その偉大なる事業の
足跡を称えた。
昭和史の財閥の名に燦然と輝く人々の名に同列してる。
野口 遵
日産コンツェルン の元石油資源開発会長 鮎川義介
電力会の偉人・電力王の元東邦電力社長 松永安左エ門、
昭和電工会長 石川一郎、元伊藤忠商事会長 伊藤忠兵衛
日本化薬会長 原安三郎、
借用して記すと次のようである。
野口 遵(したがう)、工業の先駆者であり、旭化成の創立者。
明治6年金沢市に生まれ、小学校から大学まで東京に学び、明治29年、東京帝国大学電気工学科を卒業。
在学時より、国家の産業基盤を支えるものとして、水力発電に高い関心をもっており、明治39年、鹿児島県に水力発電を建設、その電力を利用して、かねてより研究を進めていたカーバイドを企業化。
さらにドイツからカーバイドを原料とした石灰窒素肥料製造技術を導入。
日本窒素肥料株式会社を設立、熊本県でカーバイドから石灰窒素、硫安にいたる一貫生産を開始した。
その後、新潟や熊本での水力発電所の建設、大阪や熊本県鏡町での工場施設などにより一応の事業基盤を確立した大正10年、翁
は欧州視察に赴き、イタリアのカザレ―博士のアンモニア合成法の特許を獲得しました。
帰国後、野口翁は、かねてより開発を進めていた五ヶ瀬川の電力を利用すべく、また、地元の強い誘致運動もあって、この延岡で
アンモニアと硫安の事業化を図ることを決定、
大正12年、生産を開始しました。これが旭化成の発祥です。
続いて、アンモニアの高度利用として「ベンベルグ」や火薬、さらには苛性ソーダやレーヨンなどの製造を始め、現在の旭化成延岡地区の基礎を築いてきました。
翁の事業意欲はとどまるところを知らず、昭和2年 大陸に進出、鴨緑江などで百数十万キロワットにおよぶ発電を行い、興南を
中心とした、肥料50万トン規模の一大コンビナートを建設しました。
しかしながら、永年の苦労がたたったのか、満州、海南島などに活躍中の昭和15年、ついに病に倒れました。そして昭和19年
1月15日、療養中の静岡県韮山において、享年72才をもって逝去されました。
多年にわたる実業界への功績に対し、昭和17年、勲一等瑞宝章が授けられています。
どうにも一般の参加者はなく私も発言したものである。
・・・・・・
思うに連れ「自転車泥棒」とか「苦い米」で心の簸だ、物悲しさは共通である。
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♪♪ 八と瀬のたびを 船出して 遠くローマに使えせし
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偉大なりや 伊東マンショ 嗚呼偉大なり 少年や
思わず口ずさむ、うたの披露である。
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師匠の主張
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師匠からのメールは定期的に熱く太陽光発電の必要性を説く。
ここに掲載して敬愛する意思を披瀝する。
なぜ、日本一の太陽電池生産国日本はドイツに設置量で追い越されたか・・・。
そして、この国が望ましい自然エネルギー普及策を取れるかの試論
※ここ13年ほど日本の太陽光発電普及の歴史を見てきました。その問題点などを纏めました。ご一読を・・・。
補助金だけを纏めたもの は http://trust.watsystems.net/hojyokin2002matome.html になります。
地球温暖化防止対策のひとつで環境負荷の無い電源としてその有効性が認められている太陽光発電。新たな産業分野として、支援策として国は、12年前から一般住宅向けに設置時の初期投資費用についてNEF(新エネルギー財団)を通じ総額1500億円ほどの補助金をだしその普及を図ってきた。これは決して、国民の為だとは言い難い普及策であった。
そして、当初1KWあたりの初期投資費用が1Kwあたり180万円であったものが60万円まで下がったことから当初の目的は果たしたとしその事業を終了させた。
価格の低下にもっとも大きな貢献をしたのは機器のうちパワーコンディショナーと言われる系統連携用の装置で当初250万円〜280万円のものが現在では20万円〜30万円と10分の1に下がったことがもっとも大きい。これは量産効果によるものである。
基幹部品の太陽電池そのものは、当初Wあたり600円といわれていたが、現在は350円ほどである。原料シリコンの価格が下がりきらないこともある。CIS太陽電池など市場の拡大を受けて企業によるデバイスの開発は続いている。
一方、大規模な産業用に関してはも1Kwあたりの価格が若干高めに推移した。これはNEDO(新エネルギー開発機構)の要求するスペックが若干高くさらに書類の申請などに家庭用よりも煩雑な手続きが必要であったのと予算の関係上、実施件数が少なく量産効果が働かなかったためである。
対応策として、国では十分な効果を挙げていないとして昨年度は90億円程度の予算を組んで市場を維持しているが、その設置設備容量は2万6000Kwに過ぎない。一方の家庭用で23億円で30万KWほどが設置されているので税金として支出された資金の対費用効果を見れば明らかに無駄な使い方だろう。
予算は、平成18年度(つまり来年)まで支出される。ちなみに17年度の予算は約50億円。KWあたりの単価が例え50万円に下がったとしても、この予算で設置可能な設備容量は2万5000Kwにしかならない。
では、この事業は設置者にとってどうなのだろうか?
企業の場合は、本来納められるべき税金から特別控除ということで企業側が負担した金額の90%までを納めないで済ませる特例措置を政府が決めている。この特典をつかえば、額面上1000万円の機器を50万円で手に入れることが出来る。さらに裏取引をするならこの50万円を業者からキックバックさせて無料同然、むしろ、持参金つきで1000万円の太陽光発電設備を手に入れられる。Kwあたりちょっと高めの70万円で1000万円の予算なら14Kwほどのシステムである。
勿論、このおいしい特別措置は、NPO・NGOの方々には無い。環境によくない事業?をして儲けている企業だけがそうした恩恵に与かれるのだ。
これは、現在でも個人の場合は全額自己負担でKw50万でも14Kwを設置するなら700万円。NPO・NGOがやっても半額補助で10Kw以上でなければならないし標準化の進んだシステムでも自分たちで350万円は用意する必要がある。
また12年前にはじめられた個人住宅向け太陽光発電の補助事業でこの3分の1の5Kwシステムで450万円もの負担をして、資金回収にあと35年もかかる個人と比べるとほとんど国が貧乏人から金持ちへの資金の流れを作ったとしか思えないひどひどい制度だと言える。
これは、換言すれば、個人を犠牲にし、公金という社会を維持するために必要な経費をこの社会での強者である営利企業に流す仕組みだ。こうした公平性に欠く資金の流れを恣意的に作った官僚の責任は問われるべきだと思う。
この予算をを家庭用に度年度と同じスキームで(勿論、これは設置者への支援としては少なすぎるのだが)使われるなら11万5000Kwの設備を導入できた計算になる。実質5倍の設備容量を確保できただろう。まことにお粗末な金の使い方である。
ま、いずれにしてもこうした不公平と不公正を助長するような制度はやめて、さっさと実質的な効果を上げるドイツ型の固定価格買い取り制度に変更されることが望まれよう。
では、以下にその固定価格買い取り支援制度(FIT)、所謂、アーヘンモデルについてのメリットとデメリットを述べておく。
> 固定価格買い取り制度(FIT)のメリット
アーヘン・モデルとはドイツのアーヘン市で試行され、現在はドイツの自然エネルギー推進法の根幹をなす考え方=FIT・固定価格買い取り支援制度のことである。これは年度毎に決まる発電原価を一定期間、保障することで、その事業者が経済的なデメリットを受けない様にする経済的な支援方式である。
> 1.資本投下に対してのリターンが保証されており、社会の投資資金が供給される
電源への資金投資は長期に亘っての資金の固定化が必要である。その為、かつては国家戦略として日本では電力企業に総括原価方式という必ずその投入資金の回収が保障される制度を認めていた。お金というものがより増えることを前提に動くのものである。よって社会の資金をその事業へ呼び込むため制度設計としては実に合理的である。これを自然エネルギーに適用することは十分に合理性を持つ。
> 1.補助金制度の様に面倒な申請が不要
設置時補助金の場合は、一度、社会から集めた資金を分配するために、公的に公正さが保障されねばならない。日本には一応、補助金適正化法というものがあるので・・・。その適正度を保障するために一応、中立的であるとされる政府にその仕事が委ねられている。そして、それが誰の目から見ても公正であるかを検討できるように書類が山のように必要になる。
ただその実効性に関しては企業ぐるみで不正を働いたサンヨーをはじめ各メーカーが上乗せして請求し販促費に使ったり、キックバックの資金としたりしたことはすでに報道され明らかである。
また、実際にかかる経費の面から見ても申請された書類を審査する費用が発生するだけで無く申請書類を書く側にも費用が発生する。具体的な例を挙げるならKw支援なので、一枚一枚の太陽電池のスペックを書いて申請せねばならないが、実際はそれは意味を持たない。何故ならそれは目的は電力の生産であり、太陽電池を購入する事ではないからだ。
固定価格買買い取り制度の場合は個別の案件に対しての支援ではなく、総発電量成果(Kwh)に対しての支援であるので、その要件さえ決めていれば個別に審査する必要性は系統への技術的な要件だけなので、そのための費用は低く抑えられる。
実際、設置時補助金でKwあたり2万円支援は、個別に受給する金額は多くてもせいぜい10万円で、これは当たり前に設置者が合い見積もりを取るなどマーケットメカニズムが働くように行動すれば安くなる金額 以下であったし、むしろ、そのほうが無駄な人件費を使うことは無かったと言える。
> 1.機器の購入にマーケットメカニズムが働く
既存の電力事業では、地域独占状態にあったために、発電設備の費用が高止まりする原因を作っってしまった。つまり、費用がすべて消費者に転嫁出来たため、むしろその費用が高いもののを購入して地域独占の電力企業の利益を確保することになった。
が、自然エネルギー事業の場合は、先にも述べたが設備の購入者が複数であり、設備の供給者も複数となり談合が無い限りマーケットメカニズムは働く。市場への参加者が多くなり、市場規模が大きくなり、そこに確実な市場があるとなればば供給者も増える。
談合はマーケットの参加者が少なく情報が公開されない状態で共有される場合にのみ可能である。既に数万件の設置件数になる設置者数を考慮すれば既にこうした談合を行うことは不可能である。
但し、個別発電事業者の発電原価を保証するものではそのメカニズムは働きにくいので、発電原価の決定に際しては、サンプリング調査をしてその年度の平均発電原価を決定することとすべきだろう。これによって、設備購入者はそれぞれ発電量のもっとも多いものなど対費用効果の大きなものを購入し、発電事業によって個人のリターンを最大にするために当然、あい見積もりをとるなどの購入行動を行うので、その発電原価を適正に決定することは可能である。
先に次の期間の価格を具体的にアナウンスする必要性は無い。むしろ、それは市場を混乱させることになる。公的な機関の行うべき仕事はこうした制度の理解を深めるための広報活動とその前年の機器の価格の周知活動である。
太陽光発電事業では発電原価は機器の設置時購入価格で決まることは既知の事実である。にも関わらず、現在、日本で施行されている新エネルギー促進法では機器の量産化による価格の低下を考慮せずにその時点での環境価値分(発電原価回収への補填費用となるが)をマーケットに委ねるとしている。
これでは、先行設置による経済的なメリットはない。誰もが躊躇するのが当然である。むしろ資金を温存し、価格が下がった時点で設備投資を行う方が合理的な行動だとされてしまう。その為、自然エネルギー事業への投資は逆に阻害される。
> 1.発電量を根拠にCO2削減の具体的成果が把握できる
去年発効した京都議定書により、CO2削減量の具体的な数値で表される成果達成が必要となった。だが、これまでの行われた設置時設備購入補助金(KW支援制度)でわかるのは機器の設備容量であり、具体的なCO2削減量は推定で試算するしかなくカウントできない欠陥を持つ。
また、成果を評価するとされている証書取り引きをメインとする新エネルギー特措法でも、電力企業へ販売した分だけを評価対象としており、自家消費分がカウントできない致命的な欠陥をもつ。
私たちが求めている総発電量評価(KWH支援制度)では、すべての派生電力を支援の対象とするべきだと考えている。それは具体的にCO2削減量に換算することが可能で、この点が生産電力量を評価するKwh支援のほうが優れた点だと考えられる。
> 1.地域経済への長期的な貢献度が大きい
現在の電力供給は巨大な電力企業から一方的に電力が供給される。が、それは決して無料ではなく、電力料金として地域外へと富=資金の流失を生んでいる。
具体的に例を挙げるなら、日本全体の1%経済といわれる宮崎県で、最低でも1300億円が電力料金として県外企業の九州電力に支払われている。これは地域外へと支払われるため、長期的に地域の経済力を奪っていくこととなっている。
一方、自然エネルギー変換装置である太陽光発電などに地域内から資金が投資されれば、その資金への配当は地域内に支払われる、地域内で資金が循環することで地域社会を豊かにできる 。
但し、これは投資資金に見合う買い取り価格が保障されれいれば話である。
現状のようにその買い取り価格が一方的に電力企業によって決定される不公平な状態での取引条件下では電力料金を上げられたのを同じとなるので、それが適正に決められる仕組みも必要である。
> 1.系統全体での負荷平準化効果が大きい
電力供給においては、電力の貯蔵できないという特性から需要と供給が常に対応している必要がある。(その点では生鮮野菜や鮮魚よりも腐りやすい?特殊な財である)その為、電力企業は供給義務を負う代わりに地域独占を許され、需要に応じるために最大需要に合せて供給設備を持つこととされてきていた。
電力品質は一般的には100Vで60ヘルツか50ヘルツとしか知られていないが、実際は101ボルト±6ボルトの範囲内で変動する様に決められているが、実際にはこれを外れることもしばしば起きている。
ただ、日本の様な夏が異常に暑く冬が寒い地域では電力は夏場にはエアコン需要のためにピークが高くなる。それも社会の経済活動が大きな昼間に出てくる。この時期の為に用意されねばならない発電設備は ピーク対応電源として稼動時間的が短いために設備の利用効率が悪く結果として発電原価が高くなる。
電力の自由化の中で、コストを下げたい既存電力企業から出されているこの時期の一応の発電原価をあらわしている指標がある。それはオール電化契約の夏季料金で33円/Kwhほどとなっている。 (が、本当はもっと高いかもしれない)
ここには自然エネルギーのうち太陽光発電が適応する。故に太陽光発電は社会全体から見ればこのピーク対応電源としての価値が認められるべきである。しかし、その価格での買い取りは電力企業は行っていない。
これは電力企業の圧倒的地位の乱用であり独占禁止法に触れる違法な行為である。(実際に、電力企業関係者からもそうした意見が出てきている)
また、需要地に近い場所で供給されるために送電費用が圧縮され、送配電系統自体への負荷が軽減され、機器の劣化を防ぎコスト削減に繋がっている。
これらは発電・送電・配電を一体不可分で行う方が合理的であると主張する既存の巨大電力企業によって秘密にされている。
> 1.必要な社会的負担が公平になる
この支援の資金の原資が電力料金に付加されるならば、全電力の使用者に公平に負担されることになる。CO2非排出の点から見るならば化石燃料にかける税金からの支出も考えられるが、電力という財にかける方が妥当性は高い。既に日本では電源開発促進税というものが掛けられているのでこれを充当するのが妥当である。
> 1.誰もがその恩恵に与かれる(差別的でない)
自然エネルギー発電設備に資金を投入するものは金銭的に正当なリターンを受け取る。一方、その電力を電力企業の配電網を通して受け取る人々は環境負荷の無い電力を使うことが出来るようになる。これによって、未来世代に不良資産を残すことも少なくなるだろう。また、そうした資金の流れが作られれば、企業は設備投資を行い、技術開発をしてさらに優れた機器を開発し社会に供給するようになるだろう。
>
> デメリットは
>
> 1.官僚の采配権が無くなる
単年度予算というものでどうコントロールするかそれが彼らの権力の源泉である。よって予算制度自体を考え直さねばならなくなる。制度、枠組みの設計がもっとも重要な政策手段である。この制度設計を行うことが政治家の仕事である。官僚は、執行機関の事務手続きをおこなうだけになり、現状のように強大な権力を持つころがなくなる。
> 1.見かけ上、予算が長期に縛られる高くつく
かかる費用は見かけ上た高い見えるが、社会全体で負担する総費用は安くつくだろうし、効率的に資金は分配され目的に応じて効率的に配分されるようになる。こうした制度設計こそが必要だ。その為にも成果評価に変えるべきである。そして、その為の情報は公開されねばならない。
> 1.電力企業の金儲けの手段にならない
既存の電力企業は化石燃料資源を電力に変換、その対価として電力料金を得ているが、この電力の大部分は非再生性の枯渇資源である。そもそもそうした資源を使うことは反社会的な行為であり、未来の人たちにとっては迷惑な企業活動である。勿論、現在はそれによって社会活動が行われていることも確かである。が、問題はそれをどう変えるかである。
こうした、電気気を売って利益を上げるビジネスモデルで行動する独占企業にとって分散型の個人所有の電源が系統に繋がることは、マーケットの縮小としか見えないので実に迷惑なのだ。それに、官僚や政治家と談合して過去に導入してしまった原子力という錬金術の道具として導入した、いまや社会全体としての不良資産を維持するためには、何としても、主導権を自然エネルギー推進派などに渡すわけにはいかないと考えている。
しかし、社会の未来を考えるなら、こうした一極集中型のシステムが動く限り、テロへの防衛や事故の可能性、さらにはその保安上の理由から社会は実に抑圧的な監視社会としなければならなくなるために重い負担となることは確かである。
これでは本末転倒である。道具に支配され自由を失うことになってしまう。奴隷状態である。それで良いのかどうなのか・・・・。特に少子高齢化社会となるこの国ではそれを維持するための資金氏すら用意できなくなる可能性が大きい。
本来の企業の仕事とは営利が目的では有るものの、社会的に必要とされ、且つ、未来に資するものでなくては事業とは言えまい。
電力の分割が必要になる。発電・送電・配電の3分野に分割し、そのコストを明らかにして誰がどのように負担すべきかが再度議論されねばならない。
> 1.誰もが出来るので自分だけいいカッコ(差別化)出来ない
最近ではこれが問題となっているように思える。他の者たちよりも優れていることを言いたいが為に、誰もがやれる仕組みに変える事をあえて望まないものも散見される。
先行設置者のお陰で!安くなったものをさらに補助金をもらって自分たちの収益性を上げることだけを目的とするものがやたら幅を利かせるようになってしまった。それを恥ずかしいことだというすら感じていないようなのである。
これも設置時の一過性補助金のもつ不道徳性である。この方たちも、本来の目的を見失うような状況に追い込まれていることに気が付かれれば、もっと大きなリターンを手に入れることが出来るだろうし、彼らの活動がもっと有効に社会に評価されるようになるだろう。
> 1.嘘をついて補助金詐欺が出来なくなる
設置時補助金ならいくらでも出来る。簡単なことだ、談合して、裏領収書を発行すれば出来る。成果評価の出来ないものは簡単に出来るが、成果評価ならそう簡単に出来はしない。
> 1.原発推進の為に金が使えなくなってしまう
政府の役人はそれが一番嫌らしい。勿論、それを人質にとって金をせびることしか頭にない所謂、地元自治体も・・・。だって、それは利権構造そのものだもの。業界、中央政府官僚、政治家の諸氏の錬金術の道具なんだから・・・。彼らが嫌がるのは当然だろう。
よってこの方式による支援に方法が変更されれば原子力発電などという不良資産がこれ以上に肥大化することはなくなるだろう。
> 1.電力の民主化が起きてしまうので困る
独占企業の、誰もが出来ないことだから利権を生む仕組みなのに、それを止める?出来ない相談だ。誰もが自然エネルギーでエネルギーが自給できるなんて・・・。そりゃ〜悪夢だよ。しかし、普通の市民には望ましいことだと私には思えます。
税金と言う社会を維持するために使われるべき資金が官僚の特権を保証す
るために恣意的に使われる。また、企業のためだけに使われるようになっ
てしまうのは実に社会的な無駄です。
私たちは、資金をどう使うか社会の未来の有り様を決めてしまいます。
どういう社会が望ましいのか・・・
どういう未来を作り出すのか・・・
それを選ぶのは皆さんです。
そして、そういう責任を負っていることを忘れないでください。
去年11月に逝去されたソルテクス・オーディオプロ代表・佐々木昌彦氏に謝意を表します。
2006年2月12日
「太陽光・風力発電トラスト」運営委員、中川修治
九州地区ブログ順位アップ!
がんばれ!の元気下さい!
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師匠からのメールは定期的に熱く太陽光発電の必要性を説く。
ここに掲載して敬愛する意思を披瀝する。
なぜ、日本一の太陽電池生産国日本はドイツに設置量で追い越されたか・・・。
そして、この国が望ましい自然エネルギー普及策を取れるかの試論
※ここ13年ほど日本の太陽光発電普及の歴史を見てきました。その問題点などを纏めました。ご一読を・・・。
補助金だけを纏めたもの は http://trust.watsystems.net/hojyokin2002matome.html になります。
地球温暖化防止対策のひとつで環境負荷の無い電源としてその有効性が認められている太陽光発電。新たな産業分野として、支援策として国は、12年前から一般住宅向けに設置時の初期投資費用についてNEF(新エネルギー財団)を通じ総額1500億円ほどの補助金をだしその普及を図ってきた。これは決して、国民の為だとは言い難い普及策であった。
そして、当初1KWあたりの初期投資費用が1Kwあたり180万円であったものが60万円まで下がったことから当初の目的は果たしたとしその事業を終了させた。
価格の低下にもっとも大きな貢献をしたのは機器のうちパワーコンディショナーと言われる系統連携用の装置で当初250万円〜280万円のものが現在では20万円〜30万円と10分の1に下がったことがもっとも大きい。これは量産効果によるものである。
基幹部品の太陽電池そのものは、当初Wあたり600円といわれていたが、現在は350円ほどである。原料シリコンの価格が下がりきらないこともある。CIS太陽電池など市場の拡大を受けて企業によるデバイスの開発は続いている。
一方、大規模な産業用に関してはも1Kwあたりの価格が若干高めに推移した。これはNEDO(新エネルギー開発機構)の要求するスペックが若干高くさらに書類の申請などに家庭用よりも煩雑な手続きが必要であったのと予算の関係上、実施件数が少なく量産効果が働かなかったためである。
対応策として、国では十分な効果を挙げていないとして昨年度は90億円程度の予算を組んで市場を維持しているが、その設置設備容量は2万6000Kwに過ぎない。一方の家庭用で23億円で30万KWほどが設置されているので税金として支出された資金の対費用効果を見れば明らかに無駄な使い方だろう。
予算は、平成18年度(つまり来年)まで支出される。ちなみに17年度の予算は約50億円。KWあたりの単価が例え50万円に下がったとしても、この予算で設置可能な設備容量は2万5000Kwにしかならない。
では、この事業は設置者にとってどうなのだろうか?
企業の場合は、本来納められるべき税金から特別控除ということで企業側が負担した金額の90%までを納めないで済ませる特例措置を政府が決めている。この特典をつかえば、額面上1000万円の機器を50万円で手に入れることが出来る。さらに裏取引をするならこの50万円を業者からキックバックさせて無料同然、むしろ、持参金つきで1000万円の太陽光発電設備を手に入れられる。Kwあたりちょっと高めの70万円で1000万円の予算なら14Kwほどのシステムである。
勿論、このおいしい特別措置は、NPO・NGOの方々には無い。環境によくない事業?をして儲けている企業だけがそうした恩恵に与かれるのだ。
これは、現在でも個人の場合は全額自己負担でKw50万でも14Kwを設置するなら700万円。NPO・NGOがやっても半額補助で10Kw以上でなければならないし標準化の進んだシステムでも自分たちで350万円は用意する必要がある。
また12年前にはじめられた個人住宅向け太陽光発電の補助事業でこの3分の1の5Kwシステムで450万円もの負担をして、資金回収にあと35年もかかる個人と比べるとほとんど国が貧乏人から金持ちへの資金の流れを作ったとしか思えないひどひどい制度だと言える。
これは、換言すれば、個人を犠牲にし、公金という社会を維持するために必要な経費をこの社会での強者である営利企業に流す仕組みだ。こうした公平性に欠く資金の流れを恣意的に作った官僚の責任は問われるべきだと思う。
この予算をを家庭用に度年度と同じスキームで(勿論、これは設置者への支援としては少なすぎるのだが)使われるなら11万5000Kwの設備を導入できた計算になる。実質5倍の設備容量を確保できただろう。まことにお粗末な金の使い方である。
ま、いずれにしてもこうした不公平と不公正を助長するような制度はやめて、さっさと実質的な効果を上げるドイツ型の固定価格買い取り制度に変更されることが望まれよう。
では、以下にその固定価格買い取り支援制度(FIT)、所謂、アーヘンモデルについてのメリットとデメリットを述べておく。
> 固定価格買い取り制度(FIT)のメリット
アーヘン・モデルとはドイツのアーヘン市で試行され、現在はドイツの自然エネルギー推進法の根幹をなす考え方=FIT・固定価格買い取り支援制度のことである。これは年度毎に決まる発電原価を一定期間、保障することで、その事業者が経済的なデメリットを受けない様にする経済的な支援方式である。
> 1.資本投下に対してのリターンが保証されており、社会の投資資金が供給される
電源への資金投資は長期に亘っての資金の固定化が必要である。その為、かつては国家戦略として日本では電力企業に総括原価方式という必ずその投入資金の回収が保障される制度を認めていた。お金というものがより増えることを前提に動くのものである。よって社会の資金をその事業へ呼び込むため制度設計としては実に合理的である。これを自然エネルギーに適用することは十分に合理性を持つ。
> 1.補助金制度の様に面倒な申請が不要
設置時補助金の場合は、一度、社会から集めた資金を分配するために、公的に公正さが保障されねばならない。日本には一応、補助金適正化法というものがあるので・・・。その適正度を保障するために一応、中立的であるとされる政府にその仕事が委ねられている。そして、それが誰の目から見ても公正であるかを検討できるように書類が山のように必要になる。
ただその実効性に関しては企業ぐるみで不正を働いたサンヨーをはじめ各メーカーが上乗せして請求し販促費に使ったり、キックバックの資金としたりしたことはすでに報道され明らかである。
また、実際にかかる経費の面から見ても申請された書類を審査する費用が発生するだけで無く申請書類を書く側にも費用が発生する。具体的な例を挙げるならKw支援なので、一枚一枚の太陽電池のスペックを書いて申請せねばならないが、実際はそれは意味を持たない。何故ならそれは目的は電力の生産であり、太陽電池を購入する事ではないからだ。
固定価格買買い取り制度の場合は個別の案件に対しての支援ではなく、総発電量成果(Kwh)に対しての支援であるので、その要件さえ決めていれば個別に審査する必要性は系統への技術的な要件だけなので、そのための費用は低く抑えられる。
実際、設置時補助金でKwあたり2万円支援は、個別に受給する金額は多くてもせいぜい10万円で、これは当たり前に設置者が合い見積もりを取るなどマーケットメカニズムが働くように行動すれば安くなる金額 以下であったし、むしろ、そのほうが無駄な人件費を使うことは無かったと言える。
> 1.機器の購入にマーケットメカニズムが働く
既存の電力事業では、地域独占状態にあったために、発電設備の費用が高止まりする原因を作っってしまった。つまり、費用がすべて消費者に転嫁出来たため、むしろその費用が高いもののを購入して地域独占の電力企業の利益を確保することになった。
が、自然エネルギー事業の場合は、先にも述べたが設備の購入者が複数であり、設備の供給者も複数となり談合が無い限りマーケットメカニズムは働く。市場への参加者が多くなり、市場規模が大きくなり、そこに確実な市場があるとなればば供給者も増える。
談合はマーケットの参加者が少なく情報が公開されない状態で共有される場合にのみ可能である。既に数万件の設置件数になる設置者数を考慮すれば既にこうした談合を行うことは不可能である。
但し、個別発電事業者の発電原価を保証するものではそのメカニズムは働きにくいので、発電原価の決定に際しては、サンプリング調査をしてその年度の平均発電原価を決定することとすべきだろう。これによって、設備購入者はそれぞれ発電量のもっとも多いものなど対費用効果の大きなものを購入し、発電事業によって個人のリターンを最大にするために当然、あい見積もりをとるなどの購入行動を行うので、その発電原価を適正に決定することは可能である。
先に次の期間の価格を具体的にアナウンスする必要性は無い。むしろ、それは市場を混乱させることになる。公的な機関の行うべき仕事はこうした制度の理解を深めるための広報活動とその前年の機器の価格の周知活動である。
太陽光発電事業では発電原価は機器の設置時購入価格で決まることは既知の事実である。にも関わらず、現在、日本で施行されている新エネルギー促進法では機器の量産化による価格の低下を考慮せずにその時点での環境価値分(発電原価回収への補填費用となるが)をマーケットに委ねるとしている。
これでは、先行設置による経済的なメリットはない。誰もが躊躇するのが当然である。むしろ資金を温存し、価格が下がった時点で設備投資を行う方が合理的な行動だとされてしまう。その為、自然エネルギー事業への投資は逆に阻害される。
> 1.発電量を根拠にCO2削減の具体的成果が把握できる
去年発効した京都議定書により、CO2削減量の具体的な数値で表される成果達成が必要となった。だが、これまでの行われた設置時設備購入補助金(KW支援制度)でわかるのは機器の設備容量であり、具体的なCO2削減量は推定で試算するしかなくカウントできない欠陥を持つ。
また、成果を評価するとされている証書取り引きをメインとする新エネルギー特措法でも、電力企業へ販売した分だけを評価対象としており、自家消費分がカウントできない致命的な欠陥をもつ。
私たちが求めている総発電量評価(KWH支援制度)では、すべての派生電力を支援の対象とするべきだと考えている。それは具体的にCO2削減量に換算することが可能で、この点が生産電力量を評価するKwh支援のほうが優れた点だと考えられる。
> 1.地域経済への長期的な貢献度が大きい
現在の電力供給は巨大な電力企業から一方的に電力が供給される。が、それは決して無料ではなく、電力料金として地域外へと富=資金の流失を生んでいる。
具体的に例を挙げるなら、日本全体の1%経済といわれる宮崎県で、最低でも1300億円が電力料金として県外企業の九州電力に支払われている。これは地域外へと支払われるため、長期的に地域の経済力を奪っていくこととなっている。
一方、自然エネルギー変換装置である太陽光発電などに地域内から資金が投資されれば、その資金への配当は地域内に支払われる、地域内で資金が循環することで地域社会を豊かにできる 。
但し、これは投資資金に見合う買い取り価格が保障されれいれば話である。
現状のようにその買い取り価格が一方的に電力企業によって決定される不公平な状態での取引条件下では電力料金を上げられたのを同じとなるので、それが適正に決められる仕組みも必要である。
> 1.系統全体での負荷平準化効果が大きい
電力供給においては、電力の貯蔵できないという特性から需要と供給が常に対応している必要がある。(その点では生鮮野菜や鮮魚よりも腐りやすい?特殊な財である)その為、電力企業は供給義務を負う代わりに地域独占を許され、需要に応じるために最大需要に合せて供給設備を持つこととされてきていた。
電力品質は一般的には100Vで60ヘルツか50ヘルツとしか知られていないが、実際は101ボルト±6ボルトの範囲内で変動する様に決められているが、実際にはこれを外れることもしばしば起きている。
ただ、日本の様な夏が異常に暑く冬が寒い地域では電力は夏場にはエアコン需要のためにピークが高くなる。それも社会の経済活動が大きな昼間に出てくる。この時期の為に用意されねばならない発電設備は ピーク対応電源として稼動時間的が短いために設備の利用効率が悪く結果として発電原価が高くなる。
電力の自由化の中で、コストを下げたい既存電力企業から出されているこの時期の一応の発電原価をあらわしている指標がある。それはオール電化契約の夏季料金で33円/Kwhほどとなっている。 (が、本当はもっと高いかもしれない)
ここには自然エネルギーのうち太陽光発電が適応する。故に太陽光発電は社会全体から見ればこのピーク対応電源としての価値が認められるべきである。しかし、その価格での買い取りは電力企業は行っていない。
これは電力企業の圧倒的地位の乱用であり独占禁止法に触れる違法な行為である。(実際に、電力企業関係者からもそうした意見が出てきている)
また、需要地に近い場所で供給されるために送電費用が圧縮され、送配電系統自体への負荷が軽減され、機器の劣化を防ぎコスト削減に繋がっている。
これらは発電・送電・配電を一体不可分で行う方が合理的であると主張する既存の巨大電力企業によって秘密にされている。
> 1.必要な社会的負担が公平になる
この支援の資金の原資が電力料金に付加されるならば、全電力の使用者に公平に負担されることになる。CO2非排出の点から見るならば化石燃料にかける税金からの支出も考えられるが、電力という財にかける方が妥当性は高い。既に日本では電源開発促進税というものが掛けられているのでこれを充当するのが妥当である。
> 1.誰もがその恩恵に与かれる(差別的でない)
自然エネルギー発電設備に資金を投入するものは金銭的に正当なリターンを受け取る。一方、その電力を電力企業の配電網を通して受け取る人々は環境負荷の無い電力を使うことが出来るようになる。これによって、未来世代に不良資産を残すことも少なくなるだろう。また、そうした資金の流れが作られれば、企業は設備投資を行い、技術開発をしてさらに優れた機器を開発し社会に供給するようになるだろう。
>
> デメリットは
>
> 1.官僚の采配権が無くなる
単年度予算というものでどうコントロールするかそれが彼らの権力の源泉である。よって予算制度自体を考え直さねばならなくなる。制度、枠組みの設計がもっとも重要な政策手段である。この制度設計を行うことが政治家の仕事である。官僚は、執行機関の事務手続きをおこなうだけになり、現状のように強大な権力を持つころがなくなる。
> 1.見かけ上、予算が長期に縛られる高くつく
かかる費用は見かけ上た高い見えるが、社会全体で負担する総費用は安くつくだろうし、効率的に資金は分配され目的に応じて効率的に配分されるようになる。こうした制度設計こそが必要だ。その為にも成果評価に変えるべきである。そして、その為の情報は公開されねばならない。
> 1.電力企業の金儲けの手段にならない
既存の電力企業は化石燃料資源を電力に変換、その対価として電力料金を得ているが、この電力の大部分は非再生性の枯渇資源である。そもそもそうした資源を使うことは反社会的な行為であり、未来の人たちにとっては迷惑な企業活動である。勿論、現在はそれによって社会活動が行われていることも確かである。が、問題はそれをどう変えるかである。
こうした、電気気を売って利益を上げるビジネスモデルで行動する独占企業にとって分散型の個人所有の電源が系統に繋がることは、マーケットの縮小としか見えないので実に迷惑なのだ。それに、官僚や政治家と談合して過去に導入してしまった原子力という錬金術の道具として導入した、いまや社会全体としての不良資産を維持するためには、何としても、主導権を自然エネルギー推進派などに渡すわけにはいかないと考えている。
しかし、社会の未来を考えるなら、こうした一極集中型のシステムが動く限り、テロへの防衛や事故の可能性、さらにはその保安上の理由から社会は実に抑圧的な監視社会としなければならなくなるために重い負担となることは確かである。
これでは本末転倒である。道具に支配され自由を失うことになってしまう。奴隷状態である。それで良いのかどうなのか・・・・。特に少子高齢化社会となるこの国ではそれを維持するための資金氏すら用意できなくなる可能性が大きい。
本来の企業の仕事とは営利が目的では有るものの、社会的に必要とされ、且つ、未来に資するものでなくては事業とは言えまい。
電力の分割が必要になる。発電・送電・配電の3分野に分割し、そのコストを明らかにして誰がどのように負担すべきかが再度議論されねばならない。
> 1.誰もが出来るので自分だけいいカッコ(差別化)出来ない
最近ではこれが問題となっているように思える。他の者たちよりも優れていることを言いたいが為に、誰もがやれる仕組みに変える事をあえて望まないものも散見される。
先行設置者のお陰で!安くなったものをさらに補助金をもらって自分たちの収益性を上げることだけを目的とするものがやたら幅を利かせるようになってしまった。それを恥ずかしいことだというすら感じていないようなのである。
これも設置時の一過性補助金のもつ不道徳性である。この方たちも、本来の目的を見失うような状況に追い込まれていることに気が付かれれば、もっと大きなリターンを手に入れることが出来るだろうし、彼らの活動がもっと有効に社会に評価されるようになるだろう。
> 1.嘘をついて補助金詐欺が出来なくなる
設置時補助金ならいくらでも出来る。簡単なことだ、談合して、裏領収書を発行すれば出来る。成果評価の出来ないものは簡単に出来るが、成果評価ならそう簡単に出来はしない。
> 1.原発推進の為に金が使えなくなってしまう
政府の役人はそれが一番嫌らしい。勿論、それを人質にとって金をせびることしか頭にない所謂、地元自治体も・・・。だって、それは利権構造そのものだもの。業界、中央政府官僚、政治家の諸氏の錬金術の道具なんだから・・・。彼らが嫌がるのは当然だろう。
よってこの方式による支援に方法が変更されれば原子力発電などという不良資産がこれ以上に肥大化することはなくなるだろう。
> 1.電力の民主化が起きてしまうので困る
独占企業の、誰もが出来ないことだから利権を生む仕組みなのに、それを止める?出来ない相談だ。誰もが自然エネルギーでエネルギーが自給できるなんて・・・。そりゃ〜悪夢だよ。しかし、普通の市民には望ましいことだと私には思えます。
税金と言う社会を維持するために使われるべき資金が官僚の特権を保証す
るために恣意的に使われる。また、企業のためだけに使われるようになっ
てしまうのは実に社会的な無駄です。
私たちは、資金をどう使うか社会の未来の有り様を決めてしまいます。
どういう社会が望ましいのか・・・
どういう未来を作り出すのか・・・
それを選ぶのは皆さんです。
そして、そういう責任を負っていることを忘れないでください。
去年11月に逝去されたソルテクス・オーディオプロ代表・佐々木昌彦氏に謝意を表します。
2006年2月12日
「太陽光・風力発電トラスト」運営委員、中川修治
菜の花忌色とにおいであけくれり
2006年2月13日一日遅れの日記を書く。
700万もの電線部材にギブアップ。
もうこうなりゃ〜どうにでもなれである。
日曜返上で延岡の方に試算を依頼シタ日曜日。
今日は西のほうに資金つくり。
青島、昨日のオール電化の現場を処理した。
澄んだ青空。相当の電気が取れてる光の具合である。
さしずめ原色の色がよく似合おう。
プロ野球やサッカーのキャンプインで賑わう宮崎に春一番が吹き荒れた
尤も強風が吹いたのを勝手にそう私が読んでるだけだが明日のニュースでどうなってるのかわかろう。
桃色と黄色。色の鮮やかなる季節も着た。
日曜美術館では赤で櫻島を描き続けた京都画壇の西山秀雄を放映していた。
京都は丸山派、応挙の教えで画業が続いている。
「21世紀は日本の世紀だ」という米国の未来学者の予言を紹介した人は坂西志保、。
1896(明治29)年生まれで、戦後「ジャーナリズムの寵児となった女性評論家である。
日本人の勤労意欲や貯蓄の美徳を挙げ、それが次の世代にも受け継がれていくとの事を根拠としてのことだ。ところが、既に日本人は貯蓄より刹那主義へと移行してはいまいか。
ニートやフリーターが堂々と職業欄に載ってるご時世である。
閉塞感はヒーロを求めホリエモンをなる寵児を生み出した。
小泉=竹中の言うグローバルゼーションなる市場に任せよ!の無秩序化である。
市場主義はマーケットに任せとけばすべてうまくいく!なる
マイケル・ミューケンの二番煎じである。
私ども太陽光発電の仕事の環境は生活保護以下の賃金しか払われてない。
この両日の賃金支払日にその賃金さえ払えない。
ワーキング・プアーのわが職人グループ員。
あってはならない働くことが割りにあわない状況。
格差はあっていいという政治。
格差は活力ある社会とも嘯く小泉政治。
改革なるなのもとの貧困の格差である。
勝ち組負け組みの根拠である裏づけする数値がある。
総収入の上位20パーセントと下位20パーセントの数値比較がある。
80年は10倍
90年は20倍
04年は108倍
働くとは何か。
マネーなる自己増殖資金の300兆なるITマネー。
地球経済総生産に対してお金は30兆ドルで十分という。
だが自己増殖のみで8兆。
額に汗して働くものが報われる金の流れが緊急である。
ファンドなる金の動きに歯止めをかけたのがホリエモン事件である。。
世界の流れはこれで果たしてとまりえるのか。、
なるはずがない。暴れ狂うファンド・マネー
一部の額に汗しない不労所得見たいなファンドマネーが増殖するばかり。
富とは何か。
豊かさとは何か。
座標軸にすえるのはエネルギーでよい。
国土が狭く、一億もの人口は多すぎ、石化燃料や天然資源の皆無に近い日本は、
没後30年の坂西の論拠とした
瑞穂の国民の長所が失われる時、
成長は止まると見るのが妥当であろう。
では、どこに学ぶのか。
NHK大河ドラマは「功名が辻」
千代の持参金100万が二人の三脚で土佐の藩主・山内一豊を生み出した出世物語。
述べてきた世相のファンドとは趣が違う
それもそうであろう。
原作者は歴史小説を我国の大衆文学の中心にした
福田定一。?・?
司馬遼太郎の諸著作を司馬史観なる冠名詞で尊敬をこめて呼ぶ。
「史記」は古代から前漢までの中国の歴史、
司馬遷が獄中を挟んで全力を傾けた全130巻の通史。
時の権力者武帝の決定たる、戦に負けた武将を一家皆殺しに司馬遷だけが弁護し
武帝の激怒を買って投獄された。
数年後に出獄するまでの間、司馬遷は人間の真の価値を決めるには事実の正確な検討を必要とし
歴史学の神髄は因果関係の不合理を修正すること、と気付く。
そこで、司馬遷をもとに、司馬遼太郎と名乗る。
「遷」にしなかったのは「司馬遷には遼に(はる)か 及ばず」との謙遜 。
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「坂の上の雲」など戦国時代から幕末までの人物を題材にした小説群。
どれも新しい歴史観と独特の人物描写が貫かれた司馬史観。
ミニ春一番のきょうは、菜の花が好きだった司馬遼の命日の
「菜の花忌」。
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700万もの電線部材にギブアップ。
もうこうなりゃ〜どうにでもなれである。
日曜返上で延岡の方に試算を依頼シタ日曜日。
今日は西のほうに資金つくり。
青島、昨日のオール電化の現場を処理した。
澄んだ青空。相当の電気が取れてる光の具合である。
さしずめ原色の色がよく似合おう。
プロ野球やサッカーのキャンプインで賑わう宮崎に春一番が吹き荒れた
尤も強風が吹いたのを勝手にそう私が読んでるだけだが明日のニュースでどうなってるのかわかろう。
桃色と黄色。色の鮮やかなる季節も着た。
日曜美術館では赤で櫻島を描き続けた京都画壇の西山秀雄を放映していた。
京都は丸山派、応挙の教えで画業が続いている。
「21世紀は日本の世紀だ」という米国の未来学者の予言を紹介した人は坂西志保、。
1896(明治29)年生まれで、戦後「ジャーナリズムの寵児となった女性評論家である。
日本人の勤労意欲や貯蓄の美徳を挙げ、それが次の世代にも受け継がれていくとの事を根拠としてのことだ。ところが、既に日本人は貯蓄より刹那主義へと移行してはいまいか。
ニートやフリーターが堂々と職業欄に載ってるご時世である。
閉塞感はヒーロを求めホリエモンをなる寵児を生み出した。
小泉=竹中の言うグローバルゼーションなる市場に任せよ!の無秩序化である。
市場主義はマーケットに任せとけばすべてうまくいく!なる
マイケル・ミューケンの二番煎じである。
私ども太陽光発電の仕事の環境は生活保護以下の賃金しか払われてない。
この両日の賃金支払日にその賃金さえ払えない。
ワーキング・プアーのわが職人グループ員。
あってはならない働くことが割りにあわない状況。
格差はあっていいという政治。
格差は活力ある社会とも嘯く小泉政治。
改革なるなのもとの貧困の格差である。
勝ち組負け組みの根拠である裏づけする数値がある。
総収入の上位20パーセントと下位20パーセントの数値比較がある。
80年は10倍
90年は20倍
04年は108倍
働くとは何か。
マネーなる自己増殖資金の300兆なるITマネー。
地球経済総生産に対してお金は30兆ドルで十分という。
だが自己増殖のみで8兆。
額に汗して働くものが報われる金の流れが緊急である。
ファンドなる金の動きに歯止めをかけたのがホリエモン事件である。。
世界の流れはこれで果たしてとまりえるのか。、
なるはずがない。暴れ狂うファンド・マネー
一部の額に汗しない不労所得見たいなファンドマネーが増殖するばかり。
富とは何か。
豊かさとは何か。
座標軸にすえるのはエネルギーでよい。
国土が狭く、一億もの人口は多すぎ、石化燃料や天然資源の皆無に近い日本は、
没後30年の坂西の論拠とした
瑞穂の国民の長所が失われる時、
成長は止まると見るのが妥当であろう。
では、どこに学ぶのか。
NHK大河ドラマは「功名が辻」
千代の持参金100万が二人の三脚で土佐の藩主・山内一豊を生み出した出世物語。
述べてきた世相のファンドとは趣が違う
それもそうであろう。
原作者は歴史小説を我国の大衆文学の中心にした
福田定一。?・?
司馬遼太郎の諸著作を司馬史観なる冠名詞で尊敬をこめて呼ぶ。
「史記」は古代から前漢までの中国の歴史、
司馬遷が獄中を挟んで全力を傾けた全130巻の通史。
時の権力者武帝の決定たる、戦に負けた武将を一家皆殺しに司馬遷だけが弁護し
武帝の激怒を買って投獄された。
数年後に出獄するまでの間、司馬遷は人間の真の価値を決めるには事実の正確な検討を必要とし
歴史学の神髄は因果関係の不合理を修正すること、と気付く。
そこで、司馬遷をもとに、司馬遼太郎と名乗る。
「遷」にしなかったのは「司馬遷には遼に(はる)か 及ばず」との謙遜 。
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」「坂の上の雲」など戦国時代から幕末までの人物を題材にした小説群。
どれも新しい歴史観と独特の人物描写が貫かれた司馬史観。
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贈り物
2006年2月14日バレンタインデーにチョコのひとつこないものにとっては
ソリャ〜根暗になりますって〜。
このめでたき日に綴る酷を承知ゆえどうぞこれから先は元気に満ち溢れてる人以外は読まないでください。
どだい、日記を書いたり読んだりするのはパワーをもらうためであり、人のふり見て我が振りなおせより、やさしきブログの方々ゆえおかわいそうと慰めていただけてるゆえ、気をまわしてるわけ。
この社会には常に、愛や平和と暴力や残忍さとが同居している。
トリノで流れたイマジンをヨーコ・オノは現実社会で苦しんでるゆえ愛や平和を訴えたかったんであろう。
そのことを象徴しているような気がしてならない。
また70歳で引退したハズのイタリアのテノール歌手パバロッティその人が、トリノを愛し歌ったのも同じものだろう。
だからこそ大切にしたい「愛の日」の浮かれてる元禄日本なのだが。
中国ではこの日を「情人節」というらしい。
もともと七夕に祝う恋人たちの日をバレンタインデーにあてて、若者たちが贈り物をする習慣が日本と同じように広がっているという。
もともとはトリノのイタリアで始まった血で塗られたバレンタインの日が発足趣旨らしい。
ローマ帝国で3世紀にキリスト教の司教、聖ウァレンティヌスが殉教した日にちなむといわれる。
国を守る兵士の士気低下を恐れて若い男に結婚を禁じた皇帝クラウディウス・ゴティクスの意に反し、
恋人たちを保護し続けたことが原因とされる。
その伝説が異教の日本で商業化して「義理チョコ」などの国民的行事になった商魂たくましきジャパンの知恵。、
さらに背景をたどれば多くの神が共存するローマ帝国内に台頭してきたキリスト教との宗教上の葛藤が浮かび上がる。
パーマ学の塩野七生は「不安の時代にはかえって不寛容な教えのほうが力強く見える」(『ローマ人の物語』)と記す。
このことは荒れ狂うイスラム教徒の今日的暴徒につながる。
イスラム教は偶像崇拝を禁じているが、実際にはムハンマドの肖像画は珍しくない。
デンマーク紙がイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を掲載し、これに怒ったイスラム教徒の抗議行動が続いている
たかが宗教、風刺画ではない。
デンマーク紙が昨年9月に掲載した風刺画の多くは、悪趣味に満ち溢れ日本人さえ目をふせるもの。
預言者の頭を爆弾として描いた絵はまだしも、説明さえはばかられる絵もあるそうだ。
やってイスラム教徒の不快感は理解できる。
風刺画をめぐる抗議行動で、多くの死傷者が出た。
シリアやレバノンではデンマークの外交施設が襲われ、中東の反米国家で抗議行動が盛り上がる傾向が目立っている。
特にイランはデンマークとの通商停止を宣言したほか、イラン紙がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を風刺する絵のコンテストを呼びかけている。
ユダヤ人に報復して何になるのか。
憎悪の輪を広げてはならない 混乱を収めるには、イスラム教徒が暴力的な抗議を控えると同時に、メディアが新たな風刺画掲載について慎重に判断することだ。
「報道の自由」は大事だが、信仰や崇拝の対象をおとしめるのは罪深い。
ことの発端はナンでもアメリカ。
イラン攻撃の布石ではないのか。
米兵がコーランを基地のトイレに流したと米誌が報じ、抗議行動が広がったのは05年5月。デンマーク紙が風刺画を掲載する4カ月前だ。
80年代末からの小説「悪魔の詩」事件で、イランの故ホメイニ師が作者の「死刑宣告」を出し、翻訳者の
筑波大助教授が惨殺されたことも思い出される。
イスラム教徒にとって、十字軍との戦いや列強の植民地支配は決して過去のものではない。
「被害者意識」に批判的な欧米側にも、イスラム世界への差別意識、実際の差別がないとは言い切れまい。
問題の根は深い。
だがハンチントン氏の言う「文明の衝突」にしてはならないし、衝突を意識するあまり対立のコースに入る「ハンチントンの罠(わな)」にはまり込むのも禁物だ。
相手が大切にするものを尊重するのは、融和への第一歩である。
わたしどもの世代には苦き過去がある。
世相の先導にのっかってた気風もあったからだ。
演出家の蜷川幸雄さん(70)は、喫茶店で見知らぬ青年からナイフを脇腹に突きつけられた。
東京・新宿の小劇場で反体制のアジテーションを含む過激な芝居をつくっていた30代のころである
「あなたはいま、希望を語ることができますか」。
顔面蒼白の青年が尋ねた。
何が起きたのか分からぬ困惑のなかで、
「おれには語るべき希望なんて一つもないよ」と蜷川さんは答えた
「ああ、よかった。僕はずっとあなたの芝居を見てきたし、影響も受けてきました。あなたが希望を語ったら刺すつもりでした…」。青年は店を出ていった。学生運動が下火に向かい、多くの若者に絶望混じりの虚脱感が漂いはじめた時期である
扇動したお前が希望を語るのは許さない、というのが青年の心情であったらしいと「蜷川幸雄伝説」(河出書房新社)の紹介を新聞が伝える。
私には凄いプレゼントがいただけた。
社民党先週末の党大会で、イラクなどへ派遣した自衛隊の現状について「違憲状態」とする新たな「党宣言」を採択した。
旧社会党時代の村山富市委員長=首相のもとで「自衛隊は合憲」と路線転換して以来、12年ぶりに基本文書で「違憲」の表記が復活した。
この党の歴史のフシメに起こる左バネが復活したのである。
社民党はジリ貧状態にある。政権交代可能な2大政党化時代で、社民党はいわば政界の「負け組」となった。
社民党が生き残りをかけて独自路線に踏み出したことを、単に時代錯誤と切り捨ててしまっていいのだろうか。
路線転換には、もちろん党内事情がある。
「違憲」の明記は地方組織からの要求が強かったという。
地方党員は高齢化が進み、55年体制下の旧社会党時代を懐かしむ人が多いが、現実には党の選挙を支えているのが地方組織の人たちだ。執行部はこういう人たちの声を無視できない。
しかも硬直した路線に失望した党員たちは他党にくら替えしてしまうから、結果として党内の現実路線派は淘汰されていく傾向にもある。
今回執行部が取った、自衛隊の存在自体は否定しないけれども
今の活動を「違憲状態」とした表記は、党内にある「非武装中立派」と市民運動派の双方の顔を立てたのだ
細川政権の与党だったころに小選挙区導入に賛成した党の決定を、党大会で「正しくなかった」と反省し、当時の違反者に下した処分を取り消し、名誉を回復している。
村山社会党の政権与党入りは「間違いかもしれぬ」と総括したことに他ならない。
万年野党が看板だった社民党は、政権与党入りして衆院への小選挙区制導入に賛成したことから党の衰退が始まった。
社民党はそのことに気づき、また抵抗政党の道を歩み始めようとしている。
改憲対護憲では、護憲の側につき、小選挙区制対中選挙区制では、中選挙区を取る。
社民党は、55年体制にタイムスリップしたと言ってみても意味がない。
資金も党員も減った「負け組」党が、いったん忘れ去られた視点を復活させることに党の存在をかけたのだ。
これで「ダメなものはダメ」と言い続けても何の不都合もない。
青春や人生のすべてをかけ生きてきた私にとって社民党のこのこと。
憲法改正が政治的には完結してる中で反対運動をしていくうえで胸の使えがとれスッキリしたものになった。
愛の手が差し伸べられたバレンタインの日本最大の贈り物だったのかもしれない。
みやざきの人たる福島党首。
願わくば社会党に党名変更もしてほしかったものである。
それこそが私どもに対する真実の愛。
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ソリャ〜根暗になりますって〜。
このめでたき日に綴る酷を承知ゆえどうぞこれから先は元気に満ち溢れてる人以外は読まないでください。
どだい、日記を書いたり読んだりするのはパワーをもらうためであり、人のふり見て我が振りなおせより、やさしきブログの方々ゆえおかわいそうと慰めていただけてるゆえ、気をまわしてるわけ。
この社会には常に、愛や平和と暴力や残忍さとが同居している。
トリノで流れたイマジンをヨーコ・オノは現実社会で苦しんでるゆえ愛や平和を訴えたかったんであろう。
そのことを象徴しているような気がしてならない。
また70歳で引退したハズのイタリアのテノール歌手パバロッティその人が、トリノを愛し歌ったのも同じものだろう。
だからこそ大切にしたい「愛の日」の浮かれてる元禄日本なのだが。
中国ではこの日を「情人節」というらしい。
もともと七夕に祝う恋人たちの日をバレンタインデーにあてて、若者たちが贈り物をする習慣が日本と同じように広がっているという。
もともとはトリノのイタリアで始まった血で塗られたバレンタインの日が発足趣旨らしい。
ローマ帝国で3世紀にキリスト教の司教、聖ウァレンティヌスが殉教した日にちなむといわれる。
国を守る兵士の士気低下を恐れて若い男に結婚を禁じた皇帝クラウディウス・ゴティクスの意に反し、
恋人たちを保護し続けたことが原因とされる。
その伝説が異教の日本で商業化して「義理チョコ」などの国民的行事になった商魂たくましきジャパンの知恵。、
さらに背景をたどれば多くの神が共存するローマ帝国内に台頭してきたキリスト教との宗教上の葛藤が浮かび上がる。
パーマ学の塩野七生は「不安の時代にはかえって不寛容な教えのほうが力強く見える」(『ローマ人の物語』)と記す。
このことは荒れ狂うイスラム教徒の今日的暴徒につながる。
イスラム教は偶像崇拝を禁じているが、実際にはムハンマドの肖像画は珍しくない。
デンマーク紙がイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を掲載し、これに怒ったイスラム教徒の抗議行動が続いている
たかが宗教、風刺画ではない。
デンマーク紙が昨年9月に掲載した風刺画の多くは、悪趣味に満ち溢れ日本人さえ目をふせるもの。
預言者の頭を爆弾として描いた絵はまだしも、説明さえはばかられる絵もあるそうだ。
やってイスラム教徒の不快感は理解できる。
風刺画をめぐる抗議行動で、多くの死傷者が出た。
シリアやレバノンではデンマークの外交施設が襲われ、中東の反米国家で抗議行動が盛り上がる傾向が目立っている。
特にイランはデンマークとの通商停止を宣言したほか、イラン紙がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を風刺する絵のコンテストを呼びかけている。
ユダヤ人に報復して何になるのか。
憎悪の輪を広げてはならない 混乱を収めるには、イスラム教徒が暴力的な抗議を控えると同時に、メディアが新たな風刺画掲載について慎重に判断することだ。
「報道の自由」は大事だが、信仰や崇拝の対象をおとしめるのは罪深い。
ことの発端はナンでもアメリカ。
イラン攻撃の布石ではないのか。
米兵がコーランを基地のトイレに流したと米誌が報じ、抗議行動が広がったのは05年5月。デンマーク紙が風刺画を掲載する4カ月前だ。
80年代末からの小説「悪魔の詩」事件で、イランの故ホメイニ師が作者の「死刑宣告」を出し、翻訳者の
筑波大助教授が惨殺されたことも思い出される。
イスラム教徒にとって、十字軍との戦いや列強の植民地支配は決して過去のものではない。
「被害者意識」に批判的な欧米側にも、イスラム世界への差別意識、実際の差別がないとは言い切れまい。
問題の根は深い。
だがハンチントン氏の言う「文明の衝突」にしてはならないし、衝突を意識するあまり対立のコースに入る「ハンチントンの罠(わな)」にはまり込むのも禁物だ。
相手が大切にするものを尊重するのは、融和への第一歩である。
わたしどもの世代には苦き過去がある。
世相の先導にのっかってた気風もあったからだ。
演出家の蜷川幸雄さん(70)は、喫茶店で見知らぬ青年からナイフを脇腹に突きつけられた。
東京・新宿の小劇場で反体制のアジテーションを含む過激な芝居をつくっていた30代のころである
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社民党はジリ貧状態にある。政権交代可能な2大政党化時代で、社民党はいわば政界の「負け組」となった。
社民党が生き残りをかけて独自路線に踏み出したことを、単に時代錯誤と切り捨ててしまっていいのだろうか。
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「違憲」の明記は地方組織からの要求が強かったという。
地方党員は高齢化が進み、55年体制下の旧社会党時代を懐かしむ人が多いが、現実には党の選挙を支えているのが地方組織の人たちだ。執行部はこういう人たちの声を無視できない。
しかも硬直した路線に失望した党員たちは他党にくら替えしてしまうから、結果として党内の現実路線派は淘汰されていく傾向にもある。
今回執行部が取った、自衛隊の存在自体は否定しないけれども
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細川政権の与党だったころに小選挙区導入に賛成した党の決定を、党大会で「正しくなかった」と反省し、当時の違反者に下した処分を取り消し、名誉を回復している。
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改憲対護憲では、護憲の側につき、小選挙区制対中選挙区制では、中選挙区を取る。
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プルサーマル伊万里処理施設。
2006年2月15日コメント (1)インター・ネット時代における経営者感覚は障害者の専用駐車場や宿泊室を常備することを怠ってたことの東横ホテル社長の会見の一日おきの180度違う会見でわかるように常にアンテナをマスコミ向けにしておかないと大変である。
そのインター・ネットの玄関口たるスタートページ、を何にしてる?とのアンケート調査がブログであった。
日本人ゆえ、寄らば大樹、先行したものが市場を席巻しているのがわかる。
ヤフー
50.0%
グーグル
10.2%
MSN
10.5%
その他ポータル検索サイト
4.3%
自分のサイト/ブログなど
6.6%
プロバイダのページ
6.3%
自分の会社のページ
1.0%
そのほか
11.3%
同じようなことが国の基幹たるエネルギー問題でおこっている。
原発燃料の再利用たるプルサーマルの福島、新潟で開発者たる東芝のデーター改ざんが表面化した。
2/9日だったか高らかにニュースが流れたばかりで完全に水を指した形となった。
これで実質佐賀県伊万里原発の九電が初めてのプルサーマル計画を実施することになろう。
尤も7日県知事の実施発表に対し地元市町村の議会は頭ごなしの県のやり方に怒りを表明している。
ま〜これもポーズに過ぎない田舎芝居であろう。
発電所建設には協力費の多額の金額が動いてるのが常で、その資金狙いに過ぎないのは私にはお見通しである。
独占的専横はこれで当たり前となろうニュースである。
原発需要の高まり映す東芝のWH買収なる新聞記事から。(2/9)
東芝は英核燃料会社(BNFL)が傘下に置く米原子炉メーカー、ウエスチングハウス(WH)を総額54億ドルで買収した。
WHは世界の原子力発電所の約7割を占める加圧水型軽水炉(PWR)の有力メーカー。
東芝は米ゼネラル・エレクトリック(GE)と提携し、沸騰水型軽水炉(BWR)を日本国内で東京電力向けなどに建設してきた。
東芝はWH買収によって、ふたつの異なるタイプの原子炉技術を持つ世界トップクラスの原子炉メーカーになる。
日本は国内で54基の原子炉が稼働する世界第3位の原発大国で、豊富な建設実績がある。
だが、基本技術はWHとGEの2社が押さえ、東芝、日立製作所、三菱重工業など日本の原子炉メーカーは両社との連携なしには自由な事業展開ができなかった。
今後、東芝はPWRに関しては原子炉輸出などを独自に進めることができるようになる。
日本の原子力産業にとっても大きな転機になるのは間違いない。
BNFLがWHを買収した1998年ころは、欧米などで反原発、脱原発の動きが活発で、原子力事業の将来性にも懐疑的な見方が多かった。
しかし、この数年の世界的なエネルギー需要の急増とそれに伴う原油、天然ガスなどの価格高騰で、原子力の見直しが急速に進んでいる。
80年代から原発新設が止まっている米国では、新規の建設申請の動きが出ている。
電力需要が急増する中国は2020年までに原発を30基新設する計画を進め、インドネシア、ベトナムも初の原発建設の検討に入っている。
原子力はエネルギー確保だけでなく、二酸化炭素(CO2)の排出削減の面でも期待が出ている。
80年代以降、日本はフランスとともに原発の施工、原子力機器の製造で中核的な役割を担ってきた。
安全性と経済性をより高めたABWR(改良型沸騰水型軽水炉)など新型軽水炉の技術開発でも日本企業の貢献はきわめて大きい。
ただ、国内では電力需要の伸びが鈍化しており、原発新設はペースダウンしている。
原子力産業の技術維持のためにも日本メーカーが海外展開を進める時期に来ている。
東芝のWH買収には難しさも残っている。
まず、買収成立には米政府の承認が必要で、WHと長年提携関係にあるPWR陣営の三菱重工との関係も不透明。
買収価格が当初予想の二倍程度に膨らんだことも大きな負担だ。東芝がそうした問題を乗り越え、日本の原子力産業を活性化させることを期待したい。
どう要望しようと所詮九電の手の内にある日本国の第一号にならんとしてるプルサーマル伊万里発電所。
この国際テロが横行する時代になにも集中するエネルギー施設をつくる必要が真剣に議論されてるのか。
分散型のエネルギーたる地球環境に負荷のない太陽光発電所が真剣に国策として議論されない不可思議さにいらいらしてるのは私一人なんであろうか。
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そのほか
11.3%
同じようなことが国の基幹たるエネルギー問題でおこっている。
原発燃料の再利用たるプルサーマルの福島、新潟で開発者たる東芝のデーター改ざんが表面化した。
2/9日だったか高らかにニュースが流れたばかりで完全に水を指した形となった。
これで実質佐賀県伊万里原発の九電が初めてのプルサーマル計画を実施することになろう。
尤も7日県知事の実施発表に対し地元市町村の議会は頭ごなしの県のやり方に怒りを表明している。
ま〜これもポーズに過ぎない田舎芝居であろう。
発電所建設には協力費の多額の金額が動いてるのが常で、その資金狙いに過ぎないのは私にはお見通しである。
独占的専横はこれで当たり前となろうニュースである。
原発需要の高まり映す東芝のWH買収なる新聞記事から。(2/9)
東芝は英核燃料会社(BNFL)が傘下に置く米原子炉メーカー、ウエスチングハウス(WH)を総額54億ドルで買収した。
WHは世界の原子力発電所の約7割を占める加圧水型軽水炉(PWR)の有力メーカー。
東芝は米ゼネラル・エレクトリック(GE)と提携し、沸騰水型軽水炉(BWR)を日本国内で東京電力向けなどに建設してきた。
東芝はWH買収によって、ふたつの異なるタイプの原子炉技術を持つ世界トップクラスの原子炉メーカーになる。
日本は国内で54基の原子炉が稼働する世界第3位の原発大国で、豊富な建設実績がある。
だが、基本技術はWHとGEの2社が押さえ、東芝、日立製作所、三菱重工業など日本の原子炉メーカーは両社との連携なしには自由な事業展開ができなかった。
今後、東芝はPWRに関しては原子炉輸出などを独自に進めることができるようになる。
日本の原子力産業にとっても大きな転機になるのは間違いない。
BNFLがWHを買収した1998年ころは、欧米などで反原発、脱原発の動きが活発で、原子力事業の将来性にも懐疑的な見方が多かった。
しかし、この数年の世界的なエネルギー需要の急増とそれに伴う原油、天然ガスなどの価格高騰で、原子力の見直しが急速に進んでいる。
80年代から原発新設が止まっている米国では、新規の建設申請の動きが出ている。
電力需要が急増する中国は2020年までに原発を30基新設する計画を進め、インドネシア、ベトナムも初の原発建設の検討に入っている。
原子力はエネルギー確保だけでなく、二酸化炭素(CO2)の排出削減の面でも期待が出ている。
80年代以降、日本はフランスとともに原発の施工、原子力機器の製造で中核的な役割を担ってきた。
安全性と経済性をより高めたABWR(改良型沸騰水型軽水炉)など新型軽水炉の技術開発でも日本企業の貢献はきわめて大きい。
ただ、国内では電力需要の伸びが鈍化しており、原発新設はペースダウンしている。
原子力産業の技術維持のためにも日本メーカーが海外展開を進める時期に来ている。
東芝のWH買収には難しさも残っている。
まず、買収成立には米政府の承認が必要で、WHと長年提携関係にあるPWR陣営の三菱重工との関係も不透明。
買収価格が当初予想の二倍程度に膨らんだことも大きな負担だ。東芝がそうした問題を乗り越え、日本の原子力産業を活性化させることを期待したい。
どう要望しようと所詮九電の手の内にある日本国の第一号にならんとしてるプルサーマル伊万里発電所。
この国際テロが横行する時代になにも集中するエネルギー施設をつくる必要が真剣に議論されてるのか。
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競い竣工させる。
2006年2月18日世界を征服していた大英帝国ゆえ綻びた組織もあり、複雑怪奇の残滓がある。
007でも明らかになった王室諜報部は特殊警察であり、ロンドン警視庁などと対立することがある。
「ローマの休日」の映画のシーンで船着場の王女を保護するための両組織の乱闘で描かれたのを想起する。
米国のCIAと連邦警察の関係であり、モンロー「殺害」の時に起こったケネディー家の放ったのと連邦警察とが交互に現場をかく乱したのとに酷似してるのが ダイアナ元妃死亡事故である
。いまだ死亡事故をめぐる陰謀説が払拭できないでいる。
前警視総監が疑念を抱き再捜査にまでなった。
ロンドン警視庁のスティーブンス前警視総監は、事故当時、飲酒状態にあったとされる運転手の血液検査に疑問を持ち、検査状況の再調査に乗り出し英対外情報部(MI6)の職員からも事情を聴いた。
女王陛下の国はとかく皇族にまつわるお話が好きで個人宅配の日本と違い立ち売りのみの新聞購買の売り上げに響く。
先般の 大衆紙の英バッキンガム宮殿への潜入記者を逮捕 もそうである。
大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの女性記者(25)を、宮殿への求職申請書に虚偽事実を記入していた疑いで19日に逮捕したことを明らかにした。英メディアが報じた。
記者は面接の段階で逮捕され、同日中に保釈された。記者の身分を偽っていたとみられている。
職員などに成り済ましての潜入ルポは英メディアの“お家芸”。
同紙は「警備態勢を調査する合法的な取材活動」と反論している。
チャールズ英皇太子の二男ヘンリー王子(21)が陸軍士官学校卒業後、紛争地帯にもたびたび派遣されている近衛騎兵連隊「ブルーズ・アンド・ロイヤルズ」に配属されている。
同連隊はアフガニスタンに派遣されるほか、イラク駐留が命じられる可能性もある。
王子の配属について「部隊がイラク派遣を命じられれば、彼も行くことになるだろう」といわれている。
英王室ではエリザベス女王の二男アンドルー王子が1982年のフォークランド紛争の際、海軍ヘリコプター操縦士として作戦に参加している。
話は尽きない。最終はどうしてもロンドン塔。
王族の住む宮殿でもロンドンの東のはずれ、イースト・エンド。
お城としてより、牢獄・処刑場として名高いロンドン塔は、幽霊が出ることでもつとに有名。
昼間に現地で見たときは、その気配は微塵も感じず、時差ボケも手伝い、絵本の世界であった。
今は、世界最大のダイアモンドを見にくる人が多いらしい。
すてきな衣装のガイドさんは旅の疲れを癒してくれたものだ。
この塔に住み着く“伝説のカラス”も鳥インフル拡大で非難というニュース。
ロンドンの観光名所ロンドン塔で飼われ、いなくなると英国が滅びるとの言い伝えがある大型のカラスが、対岸のフランスで高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)感染が確認されたことを受け、塔内に避難させられた
避難したのはカラスの一種のワタリガラス。
避難は「不測の事態に備えた措置」で、飼育担当の専任衛士が欧州での鳥インフルエンザの感染拡大を注視しているという。
英国には、ワタリガラスがいなくなるとロンドン塔が崩壊し英王室が滅びると、約340年前に占い師が予言したとされるなど、カラスにまつわる言い伝えがある。
ロンドン塔では常に6羽が飼われているという。
夏目漱石の「倫敦(ロンドン)塔」でも知ることができる。
何故にこう書いてきたか。
鳥インフルエンザの猛威が気がかりだからである。
ドイツ連邦議会農業委員会のヘーン委員長は、欧州で鳥インフルエンザの感染が広がれば6−7月にドイツで開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)の中止を求める考えを明らかにした。
ニュース専門テレビN24で語った。とニュースは伝える。
W杯は6月9日から1カ月間、ドイツ各地で開催。
同委員長は「夏まで(感染拡大が)続くとは思わない」としながらも「開催時期にウイルスが存在したとすれば、中止を考えるべきだ」と主張した。
同じ番組で世界保健機関(WHO)のインフルエンザ部門担当部長も、「パニックが広がれば慎重に対応を講じる必要がある」と述べた。
鳥インフルでストップするのはいいが人為的なもので進捗しないは努力が足りない。
1500枚パネル工事がすすまず、今日より傾斜屋根の架台工事を私が工務店社長二人を加え3人ではじめた。
アパデン宮崎の職人さんは、部材の確認と午後より電線管埋設の土木事業に着手。
ようやく動き出した。
この小さく組織にもおこってるように、どこにも官僚主義的な弊害が生じる。
インター・ネットのストップが私に与えた衝撃はひどい。
こうして思い出し書いている。
競い、竣工させる方針を採用。
空は何とか持っている。
太陽光発電の普及にはとどまってる余裕はない。
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007でも明らかになった王室諜報部は特殊警察であり、ロンドン警視庁などと対立することがある。
「ローマの休日」の映画のシーンで船着場の王女を保護するための両組織の乱闘で描かれたのを想起する。
米国のCIAと連邦警察の関係であり、モンロー「殺害」の時に起こったケネディー家の放ったのと連邦警察とが交互に現場をかく乱したのとに酷似してるのが ダイアナ元妃死亡事故である
。いまだ死亡事故をめぐる陰謀説が払拭できないでいる。
前警視総監が疑念を抱き再捜査にまでなった。
ロンドン警視庁のスティーブンス前警視総監は、事故当時、飲酒状態にあったとされる運転手の血液検査に疑問を持ち、検査状況の再調査に乗り出し英対外情報部(MI6)の職員からも事情を聴いた。
女王陛下の国はとかく皇族にまつわるお話が好きで個人宅配の日本と違い立ち売りのみの新聞購買の売り上げに響く。
先般の 大衆紙の英バッキンガム宮殿への潜入記者を逮捕 もそうである。
大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの女性記者(25)を、宮殿への求職申請書に虚偽事実を記入していた疑いで19日に逮捕したことを明らかにした。英メディアが報じた。
記者は面接の段階で逮捕され、同日中に保釈された。記者の身分を偽っていたとみられている。
職員などに成り済ましての潜入ルポは英メディアの“お家芸”。
同紙は「警備態勢を調査する合法的な取材活動」と反論している。
チャールズ英皇太子の二男ヘンリー王子(21)が陸軍士官学校卒業後、紛争地帯にもたびたび派遣されている近衛騎兵連隊「ブルーズ・アンド・ロイヤルズ」に配属されている。
同連隊はアフガニスタンに派遣されるほか、イラク駐留が命じられる可能性もある。
王子の配属について「部隊がイラク派遣を命じられれば、彼も行くことになるだろう」といわれている。
英王室ではエリザベス女王の二男アンドルー王子が1982年のフォークランド紛争の際、海軍ヘリコプター操縦士として作戦に参加している。
話は尽きない。最終はどうしてもロンドン塔。
王族の住む宮殿でもロンドンの東のはずれ、イースト・エンド。
お城としてより、牢獄・処刑場として名高いロンドン塔は、幽霊が出ることでもつとに有名。
昼間に現地で見たときは、その気配は微塵も感じず、時差ボケも手伝い、絵本の世界であった。
今は、世界最大のダイアモンドを見にくる人が多いらしい。
すてきな衣装のガイドさんは旅の疲れを癒してくれたものだ。
この塔に住み着く“伝説のカラス”も鳥インフル拡大で非難というニュース。
ロンドンの観光名所ロンドン塔で飼われ、いなくなると英国が滅びるとの言い伝えがある大型のカラスが、対岸のフランスで高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)感染が確認されたことを受け、塔内に避難させられた
避難したのはカラスの一種のワタリガラス。
避難は「不測の事態に備えた措置」で、飼育担当の専任衛士が欧州での鳥インフルエンザの感染拡大を注視しているという。
英国には、ワタリガラスがいなくなるとロンドン塔が崩壊し英王室が滅びると、約340年前に占い師が予言したとされるなど、カラスにまつわる言い伝えがある。
ロンドン塔では常に6羽が飼われているという。
夏目漱石の「倫敦(ロンドン)塔」でも知ることができる。
何故にこう書いてきたか。
鳥インフルエンザの猛威が気がかりだからである。
ドイツ連邦議会農業委員会のヘーン委員長は、欧州で鳥インフルエンザの感染が広がれば6−7月にドイツで開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)の中止を求める考えを明らかにした。
ニュース専門テレビN24で語った。とニュースは伝える。
W杯は6月9日から1カ月間、ドイツ各地で開催。
同委員長は「夏まで(感染拡大が)続くとは思わない」としながらも「開催時期にウイルスが存在したとすれば、中止を考えるべきだ」と主張した。
同じ番組で世界保健機関(WHO)のインフルエンザ部門担当部長も、「パニックが広がれば慎重に対応を講じる必要がある」と述べた。
鳥インフルでストップするのはいいが人為的なもので進捗しないは努力が足りない。
1500枚パネル工事がすすまず、今日より傾斜屋根の架台工事を私が工務店社長二人を加え3人ではじめた。
アパデン宮崎の職人さんは、部材の確認と午後より電線管埋設の土木事業に着手。
ようやく動き出した。
この小さく組織にもおこってるように、どこにも官僚主義的な弊害が生じる。
インター・ネットのストップが私に与えた衝撃はひどい。
こうして思い出し書いている。
競い、竣工させる方針を採用。
空は何とか持っている。
太陽光発電の普及にはとどまってる余裕はない。
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辛い!!
2006年2月19日サーバー故障から日記の復元に取り組んでいる。
記憶の限界に挑戦してるが1週間前はさすがに記憶が途絶える。
日曜日返上で1500枚パネルの太陽光発電所の工事。
昨日の傾斜屋根を若者二人が仕上げた。
時代は若者のものである。
同時に100スケゥエアーの電線を8本も通すには、土木工事ともなる。
昨日より重機をを持ち込み挑戦中で夕方仕上がる。
水道管や配水管を壊してしまい復旧を同時に行う。
雨模様の中に完成する。
2,2トンの発電機を屋上からおろす準備をしているがどうにも重機の対応が無理である。
隣接に新規の建物ができたためおろすことができないでいる。
さ〜てどうなることやら。
記憶の限界に挑戦してるが1週間前はさすがに記憶が途絶える。
日曜日返上で1500枚パネルの太陽光発電所の工事。
昨日の傾斜屋根を若者二人が仕上げた。
時代は若者のものである。
同時に100スケゥエアーの電線を8本も通すには、土木工事ともなる。
昨日より重機をを持ち込み挑戦中で夕方仕上がる。
水道管や配水管を壊してしまい復旧を同時に行う。
雨模様の中に完成する。
2,2トンの発電機を屋上からおろす準備をしているがどうにも重機の対応が無理である。
隣接に新規の建物ができたためおろすことができないでいる。
さ〜てどうなることやら。
日本一い加減企業「ocn」
2006年2月20日魔法の箱たる、モデムはパソコンと併用されさらにネットかされはじめてその本領を発揮する。
NTTの回線とサーバーを選択し、このブログも書けているわけである。
ところがサーバーたるOCNの会社の管理ほど杜撰なものはない。
午後9時以降は修理ができないし、逃げ回り翌日回し。
ところが前日担当された方とは二度と話せないように仕組まれている。
このことは何回となく確認した。
NTT自体は24時間担当しててくれが、OCNのいい加減差により結局はインター・ネットは働かない。
これでいいんであろうか。猛者を促したい。
「国会議員にに訴えてでもこの仕組みを変更させて見せる」
といったらやっと自分の部署と電話番号を教えてくれ、パソコンのネット化が復旧できた。
この自体に何日断線してたことであろう。
即インターネットが動くようにしろ!
モデムのPPPが点燈するようにしろ!
担当者は双方向の会話のため電話番号を名乗れ!
罵声と怒号を続けようやくの復旧では官僚機構の弊害を感じえられずにはおれない。
このネット社会での断線が連続続いたのではたまらない。
6年間続けてきた連続ブログ記録が途絶えた衝撃もこたえた。
NHK改革が沸き起こったのもそうだがチョットしたことから事は大きくなるアリの穴の喩えのようなもの。
ニュースを冷ややかに見ている。
「竹中懇 NTT解体視野 見直し一致 市場支配を抑制」
竹中平蔵総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)は、通信業界のあり方を議論し、NTTグループの組織や経営形態を抜本的に見直すことで意見が一致した。
NTT法改正による「NTT再々編」を視野に、NTTが他社を圧倒している市場支配力を抑制し、公正な競争環境を整えたい考え。より一体経営を進めようとしていたNTTグループにとって、極めて厳しい内容となった。
会合では、NTT傘下の研究開発部門は分離し、技術特許などの外部開放を進める方向性も示された。
その後の記者会見で松原座長は、
「基礎的な研究所は外部に出した方が合理的。他の産業分野でも活用できる」と明言。研究開発部門の分離を優先させたい考えを示した。
また、NTTに義務付けられている固定電話のユニバーサル(全国一律)サービスの見直しについては、ブロードバンド(高速大容量)通信の環境がほぼ整う平成二十二年ごろに現行の銅回線のユニバーサルサービスが「必要かどうかは疑問」との意見が多数出た。
NTTの組織や経営形態についても松原座長は、
「『今のままでNTT法がいいという意見もあるか』と(構成員に)聞いたら皆無だった」として、NTT再々編を進める方向で意見が一致したことを強調した。
同時に、昭和六十年の通信自由化以来、新規参入が相次いだものの、固定電話や携帯電話、光ファイバーなどあらゆる通信領域でシェア五割以上を確保するなど、いまだにNTTグループの支配力が継続していることに懸念を示した。
一方、竹中総務相は会合で、
「競争政策、競争促進とが第一の問題だ」と指摘。
NTT持ち株会社のもとで
(1)地域電話のNTT東西地域会社
(2)長距離電話のNTTコミュニケーションズ
(3)携帯電話のNTTドコモ−などが集結した現行の経営形態に疑問を示す形で、グループ完全資本分離や、解体も視野に入れているようだ。
NTTの和田紀夫社長は、
「顧客のニーズに応えるため」として、昨秋策定した中期経営戦略では次世代のIP(インターネット・プロトコル)通信網のグループ共有化など、より強固な“一体経営”を打ち出した。
これに対し競合他社は、
「競争政策に逆行する暴挙」(KDDIの小野寺正社長)、
「NTTの支配力が高まる」(ソフトバンクの孫正義社長)などと強く批判してきた。
このためNTTと競合する通信各社が竹中総務相と歩調を合わせることも否定できない。
ただ、情報通信分野の技術開発速度は速く、世界市場での競争も激しさを増すばかりで、NTTの経営形態の行方次第では日本の国際競争力が損なわれかねないため、より慎重な議論も求められる。
と産経新聞は伝えている。
情報関連の仕事は基地局の設置、新鮮の配置で人手が足りぬが
私どもアパデン宮崎には通信分野開拓となる。
これまでのように協同で参画しての電気屋商売しかないのではないか。
部材を布良電気だけでなく、競争させ、○ン○○でとることにした。
そこの所長さんと最近お見えの方が同級生との縁であり、メーカーのご努力を頂き、60万ほど安く入手できそうである。
雨降って地かたまる
そぼ降る天候の中の焼き鳥屋さんでは痛い出費を気にせず、7人のサムライの気勢を上げるこえが何時間も続いた。
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このことは何回となく確認した。
NTT自体は24時間担当しててくれが、OCNのいい加減差により結局はインター・ネットは働かない。
これでいいんであろうか。猛者を促したい。
「国会議員にに訴えてでもこの仕組みを変更させて見せる」
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NHK改革が沸き起こったのもそうだがチョットしたことから事は大きくなるアリの穴の喩えのようなもの。
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「竹中懇 NTT解体視野 見直し一致 市場支配を抑制」
竹中平蔵総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)は、通信業界のあり方を議論し、NTTグループの組織や経営形態を抜本的に見直すことで意見が一致した。
NTT法改正による「NTT再々編」を視野に、NTTが他社を圧倒している市場支配力を抑制し、公正な競争環境を整えたい考え。より一体経営を進めようとしていたNTTグループにとって、極めて厳しい内容となった。
会合では、NTT傘下の研究開発部門は分離し、技術特許などの外部開放を進める方向性も示された。
その後の記者会見で松原座長は、
「基礎的な研究所は外部に出した方が合理的。他の産業分野でも活用できる」と明言。研究開発部門の分離を優先させたい考えを示した。
また、NTTに義務付けられている固定電話のユニバーサル(全国一律)サービスの見直しについては、ブロードバンド(高速大容量)通信の環境がほぼ整う平成二十二年ごろに現行の銅回線のユニバーサルサービスが「必要かどうかは疑問」との意見が多数出た。
NTTの組織や経営形態についても松原座長は、
「『今のままでNTT法がいいという意見もあるか』と(構成員に)聞いたら皆無だった」として、NTT再々編を進める方向で意見が一致したことを強調した。
同時に、昭和六十年の通信自由化以来、新規参入が相次いだものの、固定電話や携帯電話、光ファイバーなどあらゆる通信領域でシェア五割以上を確保するなど、いまだにNTTグループの支配力が継続していることに懸念を示した。
一方、竹中総務相は会合で、
「競争政策、競争促進とが第一の問題だ」と指摘。
NTT持ち株会社のもとで
(1)地域電話のNTT東西地域会社
(2)長距離電話のNTTコミュニケーションズ
(3)携帯電話のNTTドコモ−などが集結した現行の経営形態に疑問を示す形で、グループ完全資本分離や、解体も視野に入れているようだ。
NTTの和田紀夫社長は、
「顧客のニーズに応えるため」として、昨秋策定した中期経営戦略では次世代のIP(インターネット・プロトコル)通信網のグループ共有化など、より強固な“一体経営”を打ち出した。
これに対し競合他社は、
「競争政策に逆行する暴挙」(KDDIの小野寺正社長)、
「NTTの支配力が高まる」(ソフトバンクの孫正義社長)などと強く批判してきた。
このためNTTと競合する通信各社が竹中総務相と歩調を合わせることも否定できない。
ただ、情報通信分野の技術開発速度は速く、世界市場での競争も激しさを増すばかりで、NTTの経営形態の行方次第では日本の国際競争力が損なわれかねないため、より慎重な議論も求められる。
と産経新聞は伝えている。
情報関連の仕事は基地局の設置、新鮮の配置で人手が足りぬが
私どもアパデン宮崎には通信分野開拓となる。
これまでのように協同で参画しての電気屋商売しかないのではないか。
部材を布良電気だけでなく、競争させ、○ン○○でとることにした。
そこの所長さんと最近お見えの方が同級生との縁であり、メーカーのご努力を頂き、60万ほど安く入手できそうである。
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そぼ降る天候の中の焼き鳥屋さんでは痛い出費を気にせず、7人のサムライの気勢を上げるこえが何時間も続いた。
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はるきたり
2006年2月21日キャンプinで賑わう宮崎。
どうやら冬があけたようでストーブがいらない陽気となった。
地球環境異変の温暖化の凶器たるCO2の増加が気象庁に緊迫感をもたらしている。
、気象庁が21日に43年ぶり命名した今冬は「平成18年豪雪」近く正式に発表するらしい。
大雪被害の命名は1963年(昭和38年)に死者228人を出した「昭和38年1月豪雪」
(三八豪雪)以来という。
大雪の被害に命名基準はないらしいが、死者数が戦後2番目の134人に達したことなどから、「顕著な災害」と判断したようだ。
総務省消防庁によると、20日、山形県で59歳の男性が、群馬県では56歳の男性がそれぞれ除雪作業中、落ちてきた雪に埋もれて死亡。
三八豪雪に次いで犠牲者が多かった81年(昭和56年)の通称「五六豪雪」の死者133人を上回った。
また今冬の大雪では、犠牲者の約65%が65歳以上の高齢者が占めるなど、「災害弱者」が被害に遭っていることも特徴となっている。
自然災害の命名について気象庁は2004年3月に基準を公表。
地震は
〈1〉震源が陸地ならマグニチュード7・0以上かつ最大震度5弱以上
〈2〉全壊100棟程度以上
〈3〉群発地震が発生して被害が拡大――した場合に、
豪雨は損壊家屋1000棟以上で浸水家屋1万棟以上などの被害が出た場合に名前を付ける
ことにしている。
大雪については基準はないが、
〈1〉全国28か所で最大積雪の記録を更新
〈2〉死者数が戦後2番目に達した
〈3〉死者は65歳以上の高齢者が多い――などを総合的に考慮した。
記録にとどめるため転記する過去の記録はこうである。
三八豪雪
昭和38年.日付不詳.三八豪雪.1962年12月末から1963年(昭和38)2月初めにかけて北陸地方を中心に襲った大雪.1ヶ月以上の長期にわたり,大陸から新しい寒波が次々と押し寄せ,記録的な大雪となった.
福井県地方も1月17日には,平野部で1mを越える積雪となり,山沿い地方では2mを越えた.
下旬も連日降り続き,24日勝山で,日降雪量95cmを記録.この期間の最深積雪は,勝山325cm,今庄315cm,大野288cm,福井213cm,敦賀154cmに達した.
この大雪のため,山沿い地方で雪崩により尊い人命を失った.
また主要道路は寸断され,各交通機関は完全に麻痺,福井県は「豪雪非常災害対策本部」を設置し,自衛隊が災害救助で出動した.気象庁は「38年1月豪雪」と命名した.
<被害>雪の深さが観測史上最大であっただけでなく,社会的にも大きな影響を与えた.
死者31人,うち勝山市横倉雪崩によるもの16人,美山町芦見雪崩によるもの4人.建物全壊476棟,半壊 9,768棟あり,雪そのものによる被害も大きいが,県全体の物的損害の総額は173 億8,300万円にのぼった.このうち商工業関係の間接的被害80億円が特徴である.交通機関をはじめ,社会的機能が大きく損なわれたからであり,時代は高度成長期に向かうところで,この豪雪が道路除雪等の雪害対策が本格的に行われる契機となった.
五六豪雪
昭和56年.日付不詳.五六豪雪.1980年の年末から1981年(昭和56)1月半ばまでの短期間に,3回にわたって降った記録的大雪.福井県では12月27日から29日にかけて嶺北地方を中心に終日雷を伴って激しい雪が降り,30日の積雪は福井で 120cm,大野で204cmに達した
.明けて1月4日から8日にかけて再び嶺北地方を中心に大雪になり,福井での5日の日降雪量は73cmになった.10日からまた激しい雪になり,特に嶺南地方で強く,敦賀では10日からの5日間の降雪量の合計は2m を越えた.最深積雪は15日に福井・敦賀共に196cmに達し,勝山市の北谷では450 cm(14日)となった.敦賀の最深積雪は三八豪雪を上まわり,観測開始以来第一位の記録になっている.この雪は15人の命を奪い,交通機関を麻痺させ,県民に精神的・経済的打撃を与えた.<被害>被害は死者15人,負傷者134人,建物全半壊550棟をはじめ,地域社会の広い範囲に及んだ.被害及び雪対策経費の総額は1,283億円にのぼり,三八豪雪に迫るものといわれるが比較は難しい.12月末の重い雪のため1,283haの造林の幹折れ被害が特徴的.また,市街地の大量の排雪が,県庁お濠に20m以上も積み上げられ,福井新山のニックネームがついた.
春を告げる宮崎の日のそのおり、柳宗民=園芸家79歳の訃報が届いた。
、ぼうこうがんだったらしい。
民芸運動の創始者・柳宗悦の三男らしく、話し振りからも気品ある造詣深い会話を楽しませていただけた。
長兄の工業デザイナーの宗理、次兄美術史家の宗玄さんの影響もあろう。
京都市生まれ故のはんなりさを醸し出し、東京都小平市で柳育種花園の経営からくる
江戸っ子のにおいもしていた。
、NHKテレビ「趣味の園芸」講師はこの人の独演劇。
TBSラジオ「こども電話相談室」の回答者としても楽しく聞けた。
コンクリート打設と架台部材をあげている。
早朝、途中で引き返し、急遽明日以降の行事スケジュールを決めるため情報提供者のお客さんに会う。
えびの市で防水工事費用の値下げの交渉がうまくいく。
オリジナル鉄骨架台をえびのでいただく。
うまく乾燥してないまま運んでいるとこれが見事に乾燥していた。
朝の雨空は晴天に変わり太平洋気圧圏内になり、はるの到来のおかげであろう。
壊れていたパソコンへの怒りもなんとなく治まっているのもこの陽気がなしえたものであろうか。
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大雪被害の命名は1963年(昭和38年)に死者228人を出した「昭和38年1月豪雪」
(三八豪雪)以来という。
大雪の被害に命名基準はないらしいが、死者数が戦後2番目の134人に達したことなどから、「顕著な災害」と判断したようだ。
総務省消防庁によると、20日、山形県で59歳の男性が、群馬県では56歳の男性がそれぞれ除雪作業中、落ちてきた雪に埋もれて死亡。
三八豪雪に次いで犠牲者が多かった81年(昭和56年)の通称「五六豪雪」の死者133人を上回った。
また今冬の大雪では、犠牲者の約65%が65歳以上の高齢者が占めるなど、「災害弱者」が被害に遭っていることも特徴となっている。
自然災害の命名について気象庁は2004年3月に基準を公表。
地震は
〈1〉震源が陸地ならマグニチュード7・0以上かつ最大震度5弱以上
〈2〉全壊100棟程度以上
〈3〉群発地震が発生して被害が拡大――した場合に、
豪雨は損壊家屋1000棟以上で浸水家屋1万棟以上などの被害が出た場合に名前を付ける
ことにしている。
大雪については基準はないが、
〈1〉全国28か所で最大積雪の記録を更新
〈2〉死者数が戦後2番目に達した
〈3〉死者は65歳以上の高齢者が多い――などを総合的に考慮した。
記録にとどめるため転記する過去の記録はこうである。
三八豪雪
昭和38年.日付不詳.三八豪雪.1962年12月末から1963年(昭和38)2月初めにかけて北陸地方を中心に襲った大雪.1ヶ月以上の長期にわたり,大陸から新しい寒波が次々と押し寄せ,記録的な大雪となった.
福井県地方も1月17日には,平野部で1mを越える積雪となり,山沿い地方では2mを越えた.
下旬も連日降り続き,24日勝山で,日降雪量95cmを記録.この期間の最深積雪は,勝山325cm,今庄315cm,大野288cm,福井213cm,敦賀154cmに達した.
この大雪のため,山沿い地方で雪崩により尊い人命を失った.
また主要道路は寸断され,各交通機関は完全に麻痺,福井県は「豪雪非常災害対策本部」を設置し,自衛隊が災害救助で出動した.気象庁は「38年1月豪雪」と命名した.
<被害>雪の深さが観測史上最大であっただけでなく,社会的にも大きな影響を与えた.
死者31人,うち勝山市横倉雪崩によるもの16人,美山町芦見雪崩によるもの4人.建物全壊476棟,半壊 9,768棟あり,雪そのものによる被害も大きいが,県全体の物的損害の総額は173 億8,300万円にのぼった.このうち商工業関係の間接的被害80億円が特徴である.交通機関をはじめ,社会的機能が大きく損なわれたからであり,時代は高度成長期に向かうところで,この豪雪が道路除雪等の雪害対策が本格的に行われる契機となった.
五六豪雪
昭和56年.日付不詳.五六豪雪.1980年の年末から1981年(昭和56)1月半ばまでの短期間に,3回にわたって降った記録的大雪.福井県では12月27日から29日にかけて嶺北地方を中心に終日雷を伴って激しい雪が降り,30日の積雪は福井で 120cm,大野で204cmに達した
.明けて1月4日から8日にかけて再び嶺北地方を中心に大雪になり,福井での5日の日降雪量は73cmになった.10日からまた激しい雪になり,特に嶺南地方で強く,敦賀では10日からの5日間の降雪量の合計は2m を越えた.最深積雪は15日に福井・敦賀共に196cmに達し,勝山市の北谷では450 cm(14日)となった.敦賀の最深積雪は三八豪雪を上まわり,観測開始以来第一位の記録になっている.この雪は15人の命を奪い,交通機関を麻痺させ,県民に精神的・経済的打撃を与えた.<被害>被害は死者15人,負傷者134人,建物全半壊550棟をはじめ,地域社会の広い範囲に及んだ.被害及び雪対策経費の総額は1,283億円にのぼり,三八豪雪に迫るものといわれるが比較は難しい.12月末の重い雪のため1,283haの造林の幹折れ被害が特徴的.また,市街地の大量の排雪が,県庁お濠に20m以上も積み上げられ,福井新山のニックネームがついた.
春を告げる宮崎の日のそのおり、柳宗民=園芸家79歳の訃報が届いた。
、ぼうこうがんだったらしい。
民芸運動の創始者・柳宗悦の三男らしく、話し振りからも気品ある造詣深い会話を楽しませていただけた。
長兄の工業デザイナーの宗理、次兄美術史家の宗玄さんの影響もあろう。
京都市生まれ故のはんなりさを醸し出し、東京都小平市で柳育種花園の経営からくる
江戸っ子のにおいもしていた。
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宇宙のゴミ
2006年2月22日夜の空を一筋の光を追って眺めている。
「あかり」と命名されたものを探し当てるため想像をめぐらしている。今朝の午前6時28分、内之浦宇宙空間観測所からM5ロケット8号機を打ち上げた。赤外線天文衛星アストロFを搭載している。
宇宙航空研究開発機構は1月24日のH2Aの8号機、今月18日の9号機に続き、今日1か月間に3機のロケット打ち上げに成功した。
暗い宇宙から発せられる赤外線にちなんで「あかり」。赤外線観測専用の衛星は日本で初めて。
ロケットは約9分後に衛星を分離、予定軌道へ投入、約1時間50分後に太陽電池パネルを展開した。
約2週間後に観測に適した高度750キロの極軌道に入る。2か月後から本格的な観測を行う。
重さ952キロ・グラムのあかりは、口径約70センチの望遠鏡で全天を観測、宇宙空間を漂うちりに隠れた星などを1年以上かけ調べる。観測結果を基に作成される精密な宇宙地図が、銀河の進化や太陽系以外の惑星の存在といった宇宙の謎の解明に役立つと期待される。
もちろん極秘に進められているであろう軍事的利用の価値は計り知れない。
あかりは当初、2003年度に打ち上げる予定だったが、望遠鏡を支える部品に不具合が見つかったため延期していた。
8号機は東京工業大が開発した超小型衛星と、太陽光を帆に受け進む宇宙船を想定し宇宙機構が研究中の「ソーラーセイル」と呼ばれる実験装置も搭載。
超小型衛星は無事に分離した。
ソーラーセイルについては、直径約10メートルの帆の展開に成功したかどうか調べている。
ところが、同じ光でも、重さ百三十トンを超える、宇宙では過去最大の人工物体・ロシアの宇宙ステーション「ミール」が間もなく地表に落ちてくる。
22日前後というから、機を同じくする。
大部分は大気圏突入時の摩擦熱で燃え尽きるが、エンジンの耐熱部分など約二十トンが1500個程度の破片となり散乱する。
専門家は「制御が順調にいけば、日本に落ちることはまずない」と分析している。
しかし、ミールは打ち上げから15年がたち老朽化が進んでいることから、万が一の事態も皆無とは言い切れない。
ロシア当局によると、南太平洋上に落下する予定のミールは、落下のための最終噴射後の段階で日本の上空は通過しないという。
当初は日本上空を通過するとされていただけに、この予測通りなら破片落下の懸念は軽減された。だが首尾よく行くとは限らない。南太平洋上に安全に落ちるまで、まだまだ気が抜けない。
宇宙のゴミは今回落下するミールだけではない。
地球上空には、衛星やロケットの残がいの宇宙ゴミが大小合わせて8000個以上も漂っている。
こうした宇宙ゴミは、スペースシャトルや衛星に衝突したり地上に落下するなど危険極まりない。破壊力もすさまじい。
1978年1月、カナダ北西部に旧ソ連の原子炉衛星「コスモス954号」が落下、放射能汚染を引き起こし世界中を震撼させた。
翌79年7月には、米国の宇宙実験室「スカイラブ」がインド洋上に落下、破片の一部はオーストラリアにも落ちた。
これを機に、原子炉や原子力電池など危険物を積載した人工衛星の打ち上げ規制や終末処理を求める声が強まったが、その後大きな進展もなく、その時の教訓はいまだ生かされていない。
ただここんとこ続けさまの成功がどこにあるのか。
日本の新しい宇宙開発ビジョンが、ようやくまとまった。
宇宙開発事業団と宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の統合後の組識と事業のあり方を検討していた文部科学省の三機関統合準備会議が、最終報告書をまとめた。
報告書は、新機関を「宇宙開発や宇宙・航空科学研究を進める中核機関」と位置づけ、宇宙分野の研究開発や国際協力、人材養成などを担うとしている
その上で、業務の柱として
(1)ロケットなどの整備・運用
(2)衛星利用の企画開発
(3)再使用型ロケットなど先端技術の開発
(4)宇宙科学研究と教育、の四つを打ち出した。
新組織は、非公務員型の独立行政法人とし、効率的な技術開発を行うとともに産業界との連携や技術移転を進める。来年にも新しい組識に生まれ変わる。
統合の利点を、これからの宇宙開発や関連産業の発展にどう結び付けるのか。真価が問われる。
ロケットは、何十万点にも上る部品の集大成であり、打ち上げ時の高温・高出力により、わずかなミスが失敗に結びつく。
部材の材質や構造上の問題もあれば、組識間の連携不足といった問題もある。
宇宙開発事業団が二月に打ち上げたH2Aロケットは、主エンジンは完璧な成功を収めたが、宇宙科学研究所が開発した便乗衛星の高速再突入実験機(DASH)がケーブルの誤配線という単純ミスで切り離しに失敗した。
予算規模も世帯も小さい研究所の「遠慮」が遠因になったとされる。
今回、宇宙機関の組識の垣根が取り払われたことで、組織内の風通しがよくなり、命令・指揮系統が一元化される。
これこそが統合のメリットといえよう。
わが国の宇宙開発の当面の目標は、本格ロケットであるH2Aの打ち上げ精度を高め、国際的な衛星市場に参入できる体制を早く確立することだ。
そのためには産業界との信頼関係の確立は重要だ。技術協力を得やすい環境を整えると同時に、出来上がった技術を早く移転し、産業のすそ野を広げる主導的な役割が求められよう。
とはいえ、実用に偏重し、科学・教育が後回しになるようなことでも困る。準備会議の中で教育・研究を進める組識として非公務員型はふさわしいか、といった指摘もあった。十分、留意すべき問題だ。
科学と実用のバランスのとれた宇宙開発ビジョンと、それにふさわしい組識の確立は新組織の両輪でなければならない。
宇宙開発を真に国民のものとするためには、まだまだ詰めるべき課題は多い。
95年には米スペースシャトル「ディスカバリー」と「コロンビア」の操縦室の窓ガラスに宇宙ゴミの小片が衝突している
。宇宙空間を約十カ月飛行した日本の実験衛星を、九六年にスペースシャトルで回収、検査したところ、宇宙ゴミや微小ないん石が衝突した痕跡が337個も見つかった。
宇宙開発事業団の調査によると今年一月末現在、地球を回る軌道上には衛星2867個のほか、宇宙ゴミが6104個もありやがて地表に落下する。
寿命が尽きた衛星は、高度を上げるなどして地上への影響を少なくする措置が講じられる。
問題は衛星打ち上げなどに使われた上段ロケットの燃えがらなどの宇宙ゴミだ。安全な落下のための制御が不可能に近いからだ。
宇宙人工物を安全に廃棄するための取り組みが急務だ。宇宙ゴミを減らすのに最も効果的なのは、何度でも衛星打ち上げに使える再使用型ロケットの開発である。
米国やロシア、欧州、日本などで開発に取り組んでいるが、今後は国際協力で開発のピッチを上げてほしい。
2006年春の完成を目指して建設中の国際宇宙ステーションも2020年すぎにはミールと同じ廃棄寿命を迎える。
サッカー場ほどの大きさで重量は四百五十トンもある。
これを安全に廃棄するため、どのような方法が最善なのか世界の英知を結集して取り組んでもらいたい。
人類にとって宇宙の平和利用は今後も積極的に推進しなければならない。だが、それ以上に大切なのは宇宙ゴミの安全な廃棄方法の確立である。ミールの落下を契機に、この課題解決に本腰を入れて取り組むよう求めたい。
本の宇宙開発どう進める
中国は昨年10月、有人宇宙飛行船「神舟5号」を打ち上げ、旧ソ連、米国に次ぎアジアで初となる有人宇宙飛行を成し遂げた。
中国人民解放軍が主導、「神舟」の名付け親は江沢民前国家主席で、国を挙げた国威発揚の意気込みを感じる。
ところが、石原慎太郎東京都知事が、中国の成功に対して「中国人は無知だから喜んでいる」といった趣旨の発言をして物議をかもした。
わがニッポンの宇宙開発レベルは、果たして中国を笑えるのか。
ここ数年連続して起こったロケットや、人工衛星の打ち上げ失敗を忘れていやしないか。
日本の宇宙開発はこれまで所管が異なる宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の三機関が縦割り的に行ってきた。
とりわけ、衛星やロケットが大型化した一九九○年代半ばから故障や失敗が目立つ。
98年2月、当時の宇宙開発事業団が打ち上げた国産「H2」ロケット5号機は第二段エンジンが燃焼停止し、通信放送技術衛星「かけはし」の静止軌道投入に失敗。
翌九九年十一月には「H2」8号機の第一段エンジンが燃焼停止し、運輸多目的衛星の打ち上げに失敗した
縦割りの弊害をなくそうと、昨年10月、宇宙開発事業団など三機関が統合し、独立行政法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA、通称・宇宙機構)が発足した。
日本の宇宙技術の底力を見せようと、宇宙機構が行ったのが昨年11月29日の国産主力ロケット「H2A」6号機の打ち上げだった。
ところが、大型補助ロケットを切り離すことができないという基本的なミスが起き、地上から爆破指令で破壊した。
この6号機には、北朝鮮のミサイル発射などを監視する情報収集衛星二基を搭載していたが空中に散った。
情報収集衛星は既に2基打ち上げられており、4基で運用して初めて特定の地点を24時間以内に撮影できる。
二基だけだと機能不全なのである。
さらに、日本の宇宙技術は失敗が続く。
「H2A」で一昨年暮れ打ち上げた環境観測技術衛星「みどり2号」は昨年十月、通信が途絶し運用断念に追い込まれた。
電源となる太陽電池パネル系のトラブルとみられている。
96年に打ち上げた「みどり」もわずか十カ月で故障、二つの衛星に投じた総開発費千四百億円が消えた。
また、火星探査機「のぞみ」にも不具合が発生、まさに総崩れの感がある。
日本の最近十年間のロケット打ち上げ実績は十三回中、三回失敗し成功率は77%。
石原知事が揶揄する中国は96年10月以降、31回連続打ち上げに成功、どっちが宇宙開発大国といえるだろうか。
日本の「H2A」は一回当たりの打ち上げ費用が約85億円。これに対して中国の主力ロケット「長征」は約64億円とコストも安い。
有人宇宙飛行に成功した中国は、月の探査を視野に入れている。来年、一、二基の月周回衛星を打ち上げ、月の資源分布を調べる。2010年までに無人探査機を月面に着陸させ、二〇年前後に月の試料を持ち帰る計画だ。
小泉首相が議長を務める総合科学技術会議が、今夏をめどに日本の宇宙開発利用政策の新たな基本方針を策定するという。
宇宙飛行、月探査、星探査も視野に入れることになろう。
しかし、大風呂敷を広げることより、宇宙飛行技術の基礎・基本を確かなものにし、二度とロケット打ち上げに失敗しないことから始めてはどうか。
2,2トンの発電機を3階の屋上から下ろすのに苦慮している。
25トンや50トンクレーンでさえおろすに耐えない重さであり、ロケットを飛ばす技術のすばらしさを痛感させられている。
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「あかり」と命名されたものを探し当てるため想像をめぐらしている。今朝の午前6時28分、内之浦宇宙空間観測所からM5ロケット8号機を打ち上げた。赤外線天文衛星アストロFを搭載している。
宇宙航空研究開発機構は1月24日のH2Aの8号機、今月18日の9号機に続き、今日1か月間に3機のロケット打ち上げに成功した。
暗い宇宙から発せられる赤外線にちなんで「あかり」。赤外線観測専用の衛星は日本で初めて。
ロケットは約9分後に衛星を分離、予定軌道へ投入、約1時間50分後に太陽電池パネルを展開した。
約2週間後に観測に適した高度750キロの極軌道に入る。2か月後から本格的な観測を行う。
重さ952キロ・グラムのあかりは、口径約70センチの望遠鏡で全天を観測、宇宙空間を漂うちりに隠れた星などを1年以上かけ調べる。観測結果を基に作成される精密な宇宙地図が、銀河の進化や太陽系以外の惑星の存在といった宇宙の謎の解明に役立つと期待される。
もちろん極秘に進められているであろう軍事的利用の価値は計り知れない。
あかりは当初、2003年度に打ち上げる予定だったが、望遠鏡を支える部品に不具合が見つかったため延期していた。
8号機は東京工業大が開発した超小型衛星と、太陽光を帆に受け進む宇宙船を想定し宇宙機構が研究中の「ソーラーセイル」と呼ばれる実験装置も搭載。
超小型衛星は無事に分離した。
ソーラーセイルについては、直径約10メートルの帆の展開に成功したかどうか調べている。
ところが、同じ光でも、重さ百三十トンを超える、宇宙では過去最大の人工物体・ロシアの宇宙ステーション「ミール」が間もなく地表に落ちてくる。
22日前後というから、機を同じくする。
大部分は大気圏突入時の摩擦熱で燃え尽きるが、エンジンの耐熱部分など約二十トンが1500個程度の破片となり散乱する。
専門家は「制御が順調にいけば、日本に落ちることはまずない」と分析している。
しかし、ミールは打ち上げから15年がたち老朽化が進んでいることから、万が一の事態も皆無とは言い切れない。
ロシア当局によると、南太平洋上に落下する予定のミールは、落下のための最終噴射後の段階で日本の上空は通過しないという。
当初は日本上空を通過するとされていただけに、この予測通りなら破片落下の懸念は軽減された。だが首尾よく行くとは限らない。南太平洋上に安全に落ちるまで、まだまだ気が抜けない。
宇宙のゴミは今回落下するミールだけではない。
地球上空には、衛星やロケットの残がいの宇宙ゴミが大小合わせて8000個以上も漂っている。
こうした宇宙ゴミは、スペースシャトルや衛星に衝突したり地上に落下するなど危険極まりない。破壊力もすさまじい。
1978年1月、カナダ北西部に旧ソ連の原子炉衛星「コスモス954号」が落下、放射能汚染を引き起こし世界中を震撼させた。
翌79年7月には、米国の宇宙実験室「スカイラブ」がインド洋上に落下、破片の一部はオーストラリアにも落ちた。
これを機に、原子炉や原子力電池など危険物を積載した人工衛星の打ち上げ規制や終末処理を求める声が強まったが、その後大きな進展もなく、その時の教訓はいまだ生かされていない。
ただここんとこ続けさまの成功がどこにあるのか。
日本の新しい宇宙開発ビジョンが、ようやくまとまった。
宇宙開発事業団と宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の統合後の組識と事業のあり方を検討していた文部科学省の三機関統合準備会議が、最終報告書をまとめた。
報告書は、新機関を「宇宙開発や宇宙・航空科学研究を進める中核機関」と位置づけ、宇宙分野の研究開発や国際協力、人材養成などを担うとしている
その上で、業務の柱として
(1)ロケットなどの整備・運用
(2)衛星利用の企画開発
(3)再使用型ロケットなど先端技術の開発
(4)宇宙科学研究と教育、の四つを打ち出した。
新組織は、非公務員型の独立行政法人とし、効率的な技術開発を行うとともに産業界との連携や技術移転を進める。来年にも新しい組識に生まれ変わる。
統合の利点を、これからの宇宙開発や関連産業の発展にどう結び付けるのか。真価が問われる。
ロケットは、何十万点にも上る部品の集大成であり、打ち上げ時の高温・高出力により、わずかなミスが失敗に結びつく。
部材の材質や構造上の問題もあれば、組識間の連携不足といった問題もある。
宇宙開発事業団が二月に打ち上げたH2Aロケットは、主エンジンは完璧な成功を収めたが、宇宙科学研究所が開発した便乗衛星の高速再突入実験機(DASH)がケーブルの誤配線という単純ミスで切り離しに失敗した。
予算規模も世帯も小さい研究所の「遠慮」が遠因になったとされる。
今回、宇宙機関の組識の垣根が取り払われたことで、組織内の風通しがよくなり、命令・指揮系統が一元化される。
これこそが統合のメリットといえよう。
わが国の宇宙開発の当面の目標は、本格ロケットであるH2Aの打ち上げ精度を高め、国際的な衛星市場に参入できる体制を早く確立することだ。
そのためには産業界との信頼関係の確立は重要だ。技術協力を得やすい環境を整えると同時に、出来上がった技術を早く移転し、産業のすそ野を広げる主導的な役割が求められよう。
とはいえ、実用に偏重し、科学・教育が後回しになるようなことでも困る。準備会議の中で教育・研究を進める組識として非公務員型はふさわしいか、といった指摘もあった。十分、留意すべき問題だ。
科学と実用のバランスのとれた宇宙開発ビジョンと、それにふさわしい組識の確立は新組織の両輪でなければならない。
宇宙開発を真に国民のものとするためには、まだまだ詰めるべき課題は多い。
95年には米スペースシャトル「ディスカバリー」と「コロンビア」の操縦室の窓ガラスに宇宙ゴミの小片が衝突している
。宇宙空間を約十カ月飛行した日本の実験衛星を、九六年にスペースシャトルで回収、検査したところ、宇宙ゴミや微小ないん石が衝突した痕跡が337個も見つかった。
宇宙開発事業団の調査によると今年一月末現在、地球を回る軌道上には衛星2867個のほか、宇宙ゴミが6104個もありやがて地表に落下する。
寿命が尽きた衛星は、高度を上げるなどして地上への影響を少なくする措置が講じられる。
問題は衛星打ち上げなどに使われた上段ロケットの燃えがらなどの宇宙ゴミだ。安全な落下のための制御が不可能に近いからだ。
宇宙人工物を安全に廃棄するための取り組みが急務だ。宇宙ゴミを減らすのに最も効果的なのは、何度でも衛星打ち上げに使える再使用型ロケットの開発である。
米国やロシア、欧州、日本などで開発に取り組んでいるが、今後は国際協力で開発のピッチを上げてほしい。
2006年春の完成を目指して建設中の国際宇宙ステーションも2020年すぎにはミールと同じ廃棄寿命を迎える。
サッカー場ほどの大きさで重量は四百五十トンもある。
これを安全に廃棄するため、どのような方法が最善なのか世界の英知を結集して取り組んでもらいたい。
人類にとって宇宙の平和利用は今後も積極的に推進しなければならない。だが、それ以上に大切なのは宇宙ゴミの安全な廃棄方法の確立である。ミールの落下を契機に、この課題解決に本腰を入れて取り組むよう求めたい。
本の宇宙開発どう進める
中国は昨年10月、有人宇宙飛行船「神舟5号」を打ち上げ、旧ソ連、米国に次ぎアジアで初となる有人宇宙飛行を成し遂げた。
中国人民解放軍が主導、「神舟」の名付け親は江沢民前国家主席で、国を挙げた国威発揚の意気込みを感じる。
ところが、石原慎太郎東京都知事が、中国の成功に対して「中国人は無知だから喜んでいる」といった趣旨の発言をして物議をかもした。
わがニッポンの宇宙開発レベルは、果たして中国を笑えるのか。
ここ数年連続して起こったロケットや、人工衛星の打ち上げ失敗を忘れていやしないか。
日本の宇宙開発はこれまで所管が異なる宇宙開発事業団、宇宙科学研究所、航空宇宙技術研究所の三機関が縦割り的に行ってきた。
とりわけ、衛星やロケットが大型化した一九九○年代半ばから故障や失敗が目立つ。
98年2月、当時の宇宙開発事業団が打ち上げた国産「H2」ロケット5号機は第二段エンジンが燃焼停止し、通信放送技術衛星「かけはし」の静止軌道投入に失敗。
翌九九年十一月には「H2」8号機の第一段エンジンが燃焼停止し、運輸多目的衛星の打ち上げに失敗した
縦割りの弊害をなくそうと、昨年10月、宇宙開発事業団など三機関が統合し、独立行政法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA、通称・宇宙機構)が発足した。
日本の宇宙技術の底力を見せようと、宇宙機構が行ったのが昨年11月29日の国産主力ロケット「H2A」6号機の打ち上げだった。
ところが、大型補助ロケットを切り離すことができないという基本的なミスが起き、地上から爆破指令で破壊した。
この6号機には、北朝鮮のミサイル発射などを監視する情報収集衛星二基を搭載していたが空中に散った。
情報収集衛星は既に2基打ち上げられており、4基で運用して初めて特定の地点を24時間以内に撮影できる。
二基だけだと機能不全なのである。
さらに、日本の宇宙技術は失敗が続く。
「H2A」で一昨年暮れ打ち上げた環境観測技術衛星「みどり2号」は昨年十月、通信が途絶し運用断念に追い込まれた。
電源となる太陽電池パネル系のトラブルとみられている。
96年に打ち上げた「みどり」もわずか十カ月で故障、二つの衛星に投じた総開発費千四百億円が消えた。
また、火星探査機「のぞみ」にも不具合が発生、まさに総崩れの感がある。
日本の最近十年間のロケット打ち上げ実績は十三回中、三回失敗し成功率は77%。
石原知事が揶揄する中国は96年10月以降、31回連続打ち上げに成功、どっちが宇宙開発大国といえるだろうか。
日本の「H2A」は一回当たりの打ち上げ費用が約85億円。これに対して中国の主力ロケット「長征」は約64億円とコストも安い。
有人宇宙飛行に成功した中国は、月の探査を視野に入れている。来年、一、二基の月周回衛星を打ち上げ、月の資源分布を調べる。2010年までに無人探査機を月面に着陸させ、二〇年前後に月の試料を持ち帰る計画だ。
小泉首相が議長を務める総合科学技術会議が、今夏をめどに日本の宇宙開発利用政策の新たな基本方針を策定するという。
宇宙飛行、月探査、星探査も視野に入れることになろう。
しかし、大風呂敷を広げることより、宇宙飛行技術の基礎・基本を確かなものにし、二度とロケット打ち上げに失敗しないことから始めてはどうか。
2,2トンの発電機を3階の屋上から下ろすのに苦慮している。
25トンや50トンクレーンでさえおろすに耐えない重さであり、ロケットを飛ばす技術のすばらしさを痛感させられている。
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