禁煙宣言?

2005年6月22日
私の喫煙歴は真っ正直には書けない。法事国家の20歳の決まりに反するからである。
大人になりたかったゆえの背伸びで実に恥ずかしい。
貴乃花が20歳前で優勝をして儀式で優勝カップで酒を飲み物議をかもした晴れがましさではない。 
社会改革に没頭するときには止めていた。指導者たるもの!人の見本で案外体裁を気にして生きてるようである。
最近では昨年、大先輩の体からの訴えで何ヶ月か止めていた。
ところが仕事柄どうにも格好がつかない事が生じる。
紫煙の行方は気ままな者で飯抜きでもタバコには世話になっている。
このようなことの書き方では「止める」事にはならぬのではなかろうか。
「自粛」を経てから「いずれ止める」としとった方がいいのかもしれない。
先輩が胃を切除され、今日退院であった。
壮絶なる6月1日の手術を経て腹部に20センチばかりの傷がある。
まったく病院に縁のない私にすれば傷を見ただけでしょんべんをチビリそうである。
ここでタバコを止めると書けばどうにも不順なる禁煙宣言となろう。
一世を風靡した林家三平師匠の喫煙宣言がちょうど私向きである。
1974年(昭和49年)の春に、三平師匠はタバコをやめた。
なぜか。・・・・・・
小野田寛郎少尉がフィリピンのルバング島から帰国した時である
「命令があるまで任務を続けるつもりだった」
誰もが戦後の太平に慣れた29年間なのにお国のために戦い続けてたのである。
日本人であれば誰もが衝撃を受けた。
「同世代にこういう人がいる」。
感嘆のあまり自身の生活を見直し胸を突かれての禁煙。
根岸の三平堂の実に細かな日記に三平師匠の人柄が読み取れる。
「将校の怖さのままで帰還する」増田鬼祥。
先日のフィリピン・ミンダナオ島の元日本兵のニュースはどうなったのか。
この国は一過性でニュースにドーッと押し寄せる。
あとの追跡はまったくない。
密林の中で終戦を迎え、そのまま60年近くを山岳地帯で生活している訳である。
手を差し伸べる方法はあるはずだ。
確かに一部金目当てのアングラ情報とも言われてはいる。、
申し訳ないの武士道の精神は日本人から廃れてしまってるのであろうか。
そうこう書くうちに禁煙宣言が遠のいていくいい加減な自分を見る。
伏流煙たる二次喫煙は避けてのマナーは持っている。
先日、出水のお客さん宅では12時から18時まで当然のこと喫煙なしであった。
出直しの一歩の日でもある。
他に迷惑をかけまいとの人生観の重荷が偏狭なる考え方で誤解を招くきらいがある。
社会を恐れ交通事故を隠してきたが日記では触れてきた通りで、今日検察庁のお達しがあり、裁判所からの決定も出た!
これからは自分を律して厳しく生きていく。
どうにか心のつっかえは精算できた。
これで車の心配はどうにか、できそうである。
禁煙宣言の根拠をこれにしよう。
不純な動機でタバコの誘惑が断ち切れるもんであろうか。
これを書くときはタバコがずいぶんいる。
タバコをやりながら禁煙宣言を書いている。

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